あれから…年
自分が小学校6年生の時,担任の先生が短い時間をつかって,毎日読みきかせをしてくれた。ある時は,長編物を何ヶ月もかかって読んでくれたり,あるときは短編童話を1,2回で読み終わってくれたりした。
活字を読むことが極端に苦手だった自分にとっては本の世界に触れることのできる貴重な時間であった。また,楽しくて,待ち遠しい時間でもあった。後になって自分を振り返って思うのだが,先生が読んでくれた本の中に「自分も教師になりたいなあ」とぼんやり無意識に心の中にふくらんでいった1編がある。
小川未明の「小さな針の音」という童話である。未明は多くの短編童話を書いている。中でも有名なのは「赤いろうそくと人魚」である。当時の担任の先生はどちらも読んでくれた。同級生と当時のことを話題にすることがあるのだが,「人魚」は覚えていても,「小さな針の音」を覚えている者は少ない。自分はその10年後に教師になった。それから…年間,小・中あわせて学級担任をした生徒数は600人あまりになろうか。そのどの子たちにも必ず年度末に読みきかせをしてきた1冊が「小さな針の音」である。
あらすじはこうである。
若い教師が田舎の小さな小学校に赴任した。小さな子どもたちを教えていたのだが,彼はもっと社会に役立つ仕事をしたいと思うようになった。この子どもたちにそのことを告げて学校をやめることにした。子どもたちはこの若い先生のためにお別れに少しずつのお金を出し合って時計を贈ることにした。彼はその時計を身につけて都会へ出て一生懸命がんばった。ある時,ちょっとした不注意でこの時計を落としたはずみで裏に小さなへこみをつくってしまった。
努力を重ねた結果,ふと気がつくと彼はかなりえらい地位についていた。この時彼は自分の持っている時計が自分の地位にふさわしくないあまりにも安っぽいものであることに気づいた。彼はこの時計を質屋に売って新しい時計を求めた。その後彼は何回か時計を買い換えた。しかし,どんなに最新の時計を求めても,満足のいく時計に巡り会うことはなかった。
あるとき,彼は会社で誰に言うともなしにそのことを話すと,部下のひとりが「自分の時計は安物だけれど,標準時に毎日ぴったり合っている。」という者がいる。半信半疑で部下のその時計を手にした彼はおもわず「はっ」と声に出した。その時計の裏には…