セクハラ

セクハラはしていない!!…つもり

職場に「セクハラ防止のための言葉集」なるものが届いた。まるで,自分のために送られてきたような内容だ。なぜ,あなたは私の言動を知っているの?と思わずこの文書に問いかけてしまった。以来,私は女性に対しては職務上どうしても必要な依頼,報告,質問以外はしないと心に決めた。(決めたことが実践されているかどうかは自分ではわからない。)
マーフィーの法則に”セクハラは何をされたかではなく,誰にされたかである”というのがある。言い得ていると思うが,この法則そのものがセクハラであるといえばセクハラである。
広辞苑によると,「その意志に反して」いるかどうかなのだそうで,同一人物の言動であっても気分の悪い時もあれば,それほどでもない時もあるにちがいない。もっとも,何を言われても気持ちが悪いという人もいるかもしれないが,この人をセクハラで訴えるのはかわいそうである。「あんたがきらい!」ですべて解決する。でも,「あんたがきらい!」と言われた人はきわめて「不快」でしょうなあ。こうなるとどっちが被害者か加害者かわからなくなってくる。
それにしても,「快か不快」か「意志に反しているか否か」といった感情が単純に発した言葉できまるとは思えない。感情は多様な要素が複雑にからみあって刻々変化しているものであり,この変化する感情の網の目にからまりながら人間関係が成り立っているから楽しいのである。いや,むずかしいのである。
一律の「いけない言葉集」は職場の話題にはなるが,それ以上のものにはなり得ない。