「時速30kmの福祉(51)〜(103)」




 富山総合福祉研究所の塚本が、ケアマネジャーとして原動機付自転車で地域を回ってい
る中で見聞した事などをまとめ、月1回のペースで配信しています。





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2010.12.19.

時速30kmの福祉(第103回)

 今月は、社会保障審議会介護保険部会意見書の話題を小休止して、堤修三さ
んが「介護保険情報」という雑誌に書かれた文章の読後雑感を記します。

(読後雑感)

     堤修三「連載パンセ−社会保障をめぐって85
     介護保険を支えるトリアーデ、しかし兵站が弱い」
     (社会保険研究所発行「介護保険情報」2010年
      12月号所収)


(1)「トリアーデ」と呼ぶほどの構造か?

 氏は、介護保険を「構造物」に見立て、それを真に支える仕組みとして、
「要介護度別支給限度額(とそれを導くための要介護認定)による適正な給付
の確保」、「1号保険料の年金天引きと2号保険料の医療保険者徴収による保
険料の確実な収納」、「調整交付金による調整後の保険料所要額に基づく1号
保険料の設定と財政安定化基金による一般会計繰り入れ封じで確保される保険
財政の自律性」の3つを挙げています。しかし、これら3つは、必ずしも構造
的に不可分一体のものとして介護保険を構成しているわけではなく、「より多
く保険料をとって、より少なく給付する」装置として二重三重に張り巡らされ
たものにすぎないと認識した方が、事実に近いのではないかと思います。これ
ら3つ以外にも、介護予防しかり、定率負担しかりで、似たような装置は他に
幾重にも張り巡らされています。わざわざ「トリアーデ」(強いて意訳すれば
「三位一体」、あるいは毛利元就の「三本の矢」ぐらいになるでしょうか・・
・)という言葉が引っ張り出されてくると、かえって「要介護認定だけ切り取
って廃止ということにさせたくない」という動機が透けて見えるようで、説明
に無理矢理感が否めません。氏自身も、同稿の中で、後の2者は「介護保険特
有のものではない」と述べていて、さらに主張の一貫性がくずれている観があ
ります。

(2)「無知な人たち」に「理解」を求めて解決するのか?

 氏は、上の3つが介護保険を支えていることに「無知な人」たちがいて、介
護保険を壊そうとしていると主張しています。そして、介護保険を壊さないた
めには、それら「無知な人」たちに対し、「粘り強く説明し、理解を求めるほ
かない」と断定しています。

 さて、それで介護保険は壊れずに済むのでしょうか?

 「より多く保険料をとって、より少なく給付する」ことを徹底するならば、
入りが多くて出が少ないわけですから、出過ぎて足らなくなることはない。当
たり前のことですが、その限りで、保険自体の「持続可能性」は確保できるで
しょう。しかし、現実の社会では何が起きているかと言えば、支払い切れない
保険料を求められて保険から排除される人が出てきたり、認定が厳しくて必要
な介護を受けられない人が出てきたりしている。もし、介護保険が、必要な人
に必要な介護を保障する社会連帯の仕組みであるならば、その目的を達成でき
ずに持続し続ける保険に果たして意味があるのか、という根本的な問いが生じ
ます。それで、介護保険は本当に壊れていないと言えるのか?

 要介護認定も含め、上の3つ自体が介護保険を壊しているという社会実態が
あるからこそ、それを改めよと主張する人が現れる。至極当然のことです。

 氏は、要介護認定廃止論者のことを、「要介護度別支給限度額が財政的見地
からする給付抑制の防波堤としての機能を果たしていることをご存じないらし
い」と評していますが、これは二重の意味で誤認があります。一つは、要介護
認定廃止論者は、「要介護度別支給限度額が財政的見地からする給付抑制の防
波堤としての機能を果た」すはずだと堤氏のような立場の人が思いこんでいる
ことをイヤと言うほど思い知っています。ご存じないどころの話しではありま
せん。2つには、そのように思いこまれている要介護度別支給限度額が、実際
にはその思いこみどおり機能せず、必要を満たせないばかりか無駄もなくせな
いという事実、むしろ介護保険制度全体の公正に対する重大な疑念の元凶とな
っているという厳然とした事実をも、イヤと言うほど思い知っています。だか
らこそ、要介護認定を廃止すべきだと主張しているのです。認定調査の現場や
認定審査会の現場、保険者の認定事務担当者の現場で何が行われているか、少
しでも事実を知っている者であれば、かつ誠実に真実を述べる者であれば、要
介護度別支給限度額に何の合理性も妥当性もないことを証言するはずです。

 左右を問わず、頭の中だけでこしらえたイデオロギーを現実の社会に上から
落とし込む手法では、何をやってもうまくいきません。うまくいかないのは、
順応できない国民が「無知な人たち」だからではなく、手法が間違っているか
らです。現実の社会から目をそむけず、何が問題なのか事実は事実として受け
止めるところから始めなければ、社会の問題はなにも解決しません。

(3)兵站が弱かったら、どうすればよいのか?

 氏は、本稿のまとめとして、「介護保険はこの3つの仕組みを守ってさえい
れば安泰というわけではない。高齢化の進展に伴い増加する給付費を賄う兵站
の仕組みが必ずしも強くないからである」との問題提起を行っています。しか
し、では、その問題はどうすれば解決するのか、というご自身の見解を述べて
おられません。氏の主張を論理的に突き詰めれば、いくつかの結論が想定され
ます。一つには、アテにならない公費負担は制度改正によって廃止し、保険料
のみを財源とせよ、という結論です。しかし、この場合、保険料を「トリアー
デ」に基づいて厳格に設定することによって、保険からの脱落や給付の形骸化
に拍車がかかり保険自体を瓦解させる結果となるでしょう。そうならないため
に、どのような方策があるのかを、論者は示せなくてはなりません。第二に、
50%の公費を残し、かつ公費抑制のための給付カットを認めるべきではない、
という結論が考えられます。この場合、生活保護費の国庫負担同様、財源不足
を理由に支払いを拒むことを認めないわけで、ならば必要なだけ赤字国債を出
せ、ということになるのか、それとも消費税を目的税化して税率を連動させよ
ということになるのか、介護保険のシステム上の無駄を削るならばどこを削る
のか、あるいは他の方法があるのか、財源の手だてをどう考えるのかを示せな
くてはなりません。第三に、最終行の表現で言えば、「介護保険はやせ衰えて
いくばかり」でも致し方ない、という結論です。しかし、これでは、なんのた
めに「トリアーデ」を力説して介護保険を支えよと言っているのかわけがわか
らなくなります。もし、支えよと言う主張は表向きのかけ声で、本当のところ
は社会保険としての介護保険は所詮その程度の位置づけ(「ユートピア社会保
障観」の安楽死装置)でしかなく、最終的にはアメリカ型の民間保険へと解体
すべきである、ということならば、隠さずに堂々とそう主張し、論の正邪を世
に問うべきであると思います。

(4)ケアマネジメントは、無くてもよいのか?

 氏は、介護保険を真に支える3つの仕組みの中に、ケアマネジメントを入れ
ていません。「ケアマネジメントは介護保険の要である」とは、介護保険法の
成立過程で言われ始め、今日でも表向きは否定されていない言い回しです。し
かし、氏をはじめとする「財政的見地」を強調する論者は、ことケアマネジメ
ントに関しては過小評価が目立ちます。ケアマネジメントが最大限効果を上げ
るようシステムの改善を行えば、サービス利用者や家族にとっての費用対効果
が高まり、財政的にも有効であることが、もっと評価されてもよいのではない
かと思います。

 氏の文章は、トリアーデと言いながら、扱いとしては明らかに要介護認定廃
止論を主たるターゲットとしている文章なのですが、なぜ要介護認定がなけれ
ば介護サービスを提供できないと言えるのか、肝心の説明が全くありません。
これは擁護論者に共通の振舞で、いわゆる三段論法(大前提である認定基準に
小前提である具体的な人の状態を当てはめ、結論として認定を下すという「大
前提」「小前提」「結論」と進む論法)を自明のこととしているのがその原因
だと思います。しかし、現実の社会では、とくにケアマネジメントを政策とし
て採用している国では、日本のような要介護認定がなくても介護サービスの種
類、量、提供期間を支障なく決定し実行できているという事実があるわけで、
三段論法の枠組みが必ずしも絶対「前置」ではないはずです。

 要介護認定のために、あらゆるパターンを想定して「この場合はこの認定」
という基準を作るのは、あらゆる体格の人を想定して、誰が注文しても大丈夫
なレディメイドの服の型紙パターンを大量に準備しようとするのに似ています。
それでは無駄でしようがないから、ケアマネジメントというものが編み出され
ているわけで、必要な人が現れたら、その人に合わせてその人のためだけに1
着作った方がよほど無駄がない。

 いまは、服をくださいと言ってお金を出したら、服を作るために必要な自分
の寸法を計ってはもらえず、「ありとあらゆる体型の人の寸法を膨大な時間と
費用をかけて測定し、情報をデーターベース化してあります。このエビデンス
にもとづくと、あなたの服の型紙はこれです」と説明され、しかも、型紙どお
りにレディーメイドの服を作るのではなく、要支援まで含めると7段階に分け
た面積の生地を渡されるだけ。縫ってみて、着れないような小さな服になるの
は、力量不足の縫い手(ケアマネジャー)を選んだ自己責任だと言われたり、
自分で買った生地と混合して作りなさいと言われたり、下手をすると「あなた
には服は必要ありません、非該当です」と、服のお金を月々支払っているにも
かかわらず丸裸で放り出されている始末なわけで、そんな目に遭ったら、「わ
たしはわたしの服を必要としています。支払ったお金を、年間何百億円もする
型紙のデータベースの維持管理に使うのを止めてください」というのは当たり
前のことです。

 同じようなことが2012年からの新サービスについても言えます。既存の
単品サービスを組み合わせた新サービスの類型を作った方が良いなどと言い出
したら、様々な単品サービスの組み合わせパターン分だけサービス類型を大量
に編み出さなければならなくなります。それでは無駄でしようがないから、ケ
アマネジメントによって、その人に合わせてオーダーメイドでサービスを組み
合わせようということになっているはずなのですが・・・。ほおっておいたら、
サービス類型の膨脹は、介護保険が持ちこたえられなくなって瓦解するまで続
いてしまいます。

 本当に財政破綻を回避させたいと思うのであれば、なにをさておいても、ま
ずケアマネジメントシステムをまともに立て直すことが先決です。様々な利害
やしがらみで機能不全に陥っているケアマネジメントシステムをいかに大胆に
組み立て直すか、公平・公正・中立を、しらじらしいかけ声ではなく、本当に
システムとして実現するためにはなにを行わなければならないのか、その答え
を真剣かつ果敢に求めなければならない。しかも、解決のために残された時間
には余裕がなく、ぎりぎりのところまで追いつめられている段階なのだという
危機意識と緊張感を持って臨まなければなりません。





2010.11.23.

時速30kmの福祉(第102回)


(前回のつづき)

 本稿の第100回で、要介護認定廃止論が不当に軽く扱われていることにつ
いて触れました。

 要介護認定にかかる総費用は、年額でおよそ2,800億円と言われていま
す。それに対し、今回の試算で利用者に求めたもろもろの負担増で抑えられる
国庫からの支出は、全部足しても380億円。負担を求める前に、まず無駄を
削るべきだと考えるのが当たり前です。

 介護サービス情報公表についても、無駄だから廃止せよとの声がこれだけ高
まっているのに、介護サービス事業者の手数料負担を無くしてガス抜きとし、
制度本体は残すという方向でまとめてありました。

 要介護認定も介護サービス情報公表も、毎年莫大な公費をコンピューター関
連産業に投じるシステムです。いくらコンピューター産業が今後の日本の基幹
産業として国家ぐるみで支えなければならないものであるとしても、わざわざ
要らない事業をでっちあげてまで公金を投じるのは誤った政策であると言わざ
るを得ません。赤字国債づけのコンクリートから介護保険づけのコンピュータ
ーに名義が変わるだけで、国家財政をむしばんでいることに変わりがありませ
ん。

 このほかにも、大規模法人でなければ提供できないサービスを新たに作った
り、小規模な事業所に「ダメ事業所」の烙印を押して大規模化をうながすなど、
大規模法人への利益誘導の流れが一層明確に打ち出されています。

 巨額の公金が動くとき、そこに癒着や不正が起きる。そうならないための仕
組み作りが必要なのに、仕組みを作る側がすでにむしばまれている。

 ケアマネジャーの仕事は、無駄な介護費用は1円でも節約し、それを他の必
要な人のために回す仕事です。そうやって、より少ない費用でより多くの人の
幸せを実現する仕事。だからこそ、バケツの底が抜けたようなだらしない公金
の流れに対し、怒りを覚えるのです。

(次回につづく)





2010.11.23.

時速30kmの福祉(第101回)


(前回のつづき)

 また、財政的な見通しを示す「財政影響試算」も資料に含まれていたので読
んだのですが、これまでの会議であれほど「利用者の負担が能力の限界に達し
ている」ことや「公費負担を5割から6割へ引き上げる必要がある」ことが指
摘されていたにもかかわらず、公費負担は5割のままとする前提で試算が行わ
れていて、不足するお金はサービスを利用する人のもろもろの自己負担を増や
して埋め合わせる計算になっていました。

 しかし、当方のような財政の素人にも分かることですが、利用者の負担能力
が限界だと言われる中でさらに負担を強めれば、利用者は必要なサービスを受
けられなくなります。その結果、介護家族への負担は増えるし、仕事を辞めな
ければならない家族が出てくれば家計はさらに厳しくなる悪循環に陥ります。
介護だけではなく、必要な生活費を切りつめれば、生活の基本となる食事にも
影響が出るでしょうし、医療も中断するかもしれない。そうやって、追いつめ
られて行き着く先は、要介護状態の悪化や病気の悪化、下手をするといのちに
関わる事態にもなってしまいます。

 経済学では、こういったマイナスの効果が生じる場合のことを「不経済効果」
というのだそうですが、国家財政の負担を減らす効果をねらって行った政策が
元で、いったいどのような「不経済効果」が生じるのか、その「不経済効果」
を元の状態まで回復することに国家が責任を果たした場合、いったいいくらの
国家財政上の負担が新たに必要となるのか・・・。

 もし、そこまで考えて試算を行ったならば、サービスを利用する人への負担
ではなく、保険料や租税のあり方(料率や対象)の方を変える方が、よほど費
用対効果にすぐれていることが分かります。もしも「結果」が介護殺人や自殺
だったら、費用対効果などという言葉で語ることすらはばかられる取り返しの
つかない、回復不能な結果なのですから・・・。

 もし、「不経済効果」を計算した上で、あえて今回の試算を出しているのだ
としたら、事態はもっと悪質です。それは、要するに、国家と国民を見捨てる
政策選択をしたということなのですから・・・。

 国家と国民を見捨てることを、社会保障政策とは呼びません。社会連帯の哲
学を法律として形にしたはずの介護保険が、2012年以降は社会連帯を破壊
する装置になりかねない。いまの介護保険部会のとりまとめの方向をそのまま
にしていたら、おおげさではなく、本当にそうなってしまう恐れがあります。

(次回につづく)





2010.11.23.

時速30kmの福祉(第100回)


 11月19日に、東京都内のホテルで、第36回社会保障審議会介護保険部
会が開催されました。2012年からの介護保険をどうすべきなのか、国家の
方向を決める重要な会議です。当日の資料は、以下の厚生労働省のページから
公開されています。

第36回社会保障審議会介護保険部会資料
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000wspu.html

 資料を読んでみたところ、これまでの議論が正しく反映されていない箇所が
いくつかあり、まとめ方に疑問を持ちました。たとえば、ケアプラン作成に利
用者負担を導入すべきという案に対しては、部会委員が総反対したはずなのに、
あたかも議論が伯仲したかのような両論併記の表現になっており、反対案の表
現も、「絶対に反対」ではなく「慎重な対応」を求めるという表現に弱められ
ていました。これでは、会議を傍聴せずに読んだ人ならば、どちらかというと
導入賛成に議論が傾いたかのような印象を受けかねません。

 要介護認定についても、事実とは異なる内容でした。会議の場では、要介護
認定廃止論も含めて、今後時間をかけて議論すべきとする意見が多かったはず
なのですが、今回の資料では廃止論を含めず、要介護認定を残す前提で、その
認定のあり方を時間をかけて議論すべきであるという結論に至ったかのように
書かれてありました。要介護認定廃止のメリットには一切触れられず、デメリ
ットだけが箇条書きに列挙されていました。

(次回につづく)





2010.11.01.

時速30kmの福祉(第99回)


 10月27日のNHKのクローズアップ現代で、認知症の人の詐欺被害に関
して報じられていました。あやしい会社だけではなく、名の通った証券会社で
あっても、営業ノルマの厳しさから詐欺的な手法をとる例もあるとの事。

 当方の担当した人で、冠婚葬祭の互助会の代理店が、似たような詐欺的手法
で掛け金をとっている事が判明し、止めさせたことがあります。また、ある生
命保険会社に対しては、契約の途中解除ではなく、無効を主張して、これまで
の掛け金全額を返還させたこともあります。

 そういった交渉過程で、保険会社や代理店の関係者と話しをする機会があり、
代理店が厳しいノルマを課せられている実態や、心が負けて不正をはたらいて
しまう事情も、必ずしもその人ばかりを責められない、より大きな不正がある
ということにも思いが至りました。

 これは、対岸の火事ではありません。現時点で、すでにケアマネジャーは囲
い込みを強要されていますし、短期入所の空床へらしのために必要日数以上に
その前後の宿泊を利用者に求めることなども当然のようにやらされています。
だから緊急時に短期入所が使えない。

 この状況は、ケアマネジャーが雇用されているサービス事業者法人からの圧
力だけで既に生まれているのですが、放っておいたら、数年後には、民間私保
険が、さらに事業者に対して圧力をかけてくるようになるわけで、ケアマネジ
ャーには2重の強要が行われるようになる。いま保険会社の代理店がノルマで
あえいでいるのと同様の状況が、ケアマネジャーにも生じるということです。

 そうなれば、ケアマネジャーによる詐欺事件も、増えないとは限らない。む
しろ、増えていくような社会システムが生まれてしまう(いわゆるマネー・マ
ネジメントですが・・・)恐れがあります。

 サービス利用者と家族も、ケアマネジャー当事者も、こういった事への警戒
心があまりにもなさすぎます。もっと警戒しなければならない。そうならない
ように、政策が誤った方向に進まないようにしなければならないと思います。





2010.10.24.

時速30kmの福祉(第98回)


 マルティン・ブーバーという哲学者がいます。当方の、マルティン・ブーバ
ーとの出会い(もっとも、マルティン・ブーバーは故人なので、間接的な出会
い、ということになりますが)は、「ケアマネジメントをみんなで考える会」
の富山のつどいで起きました。そこに参加された介護サービスの利用者の方か
ら、「あなたは、マルティン・ブーバーを知っているか?」と尋ねられ、知ら
ないと答えたところ、「では、いまから学んだらよい。きっとあなたのために
なる」と・・・。

 それから、大学図書館で関連書籍を借りて読むようになりました。そして、
調べれば調べるほど、これはとても重要なことを語っている人だということが
分かってきました。

 ケアマネジャーをはじめ、医療や介護に従事している人は、ともすると、医
療や介護のサービスを利用している人々と「対話」しているつもりが、自分の
価値観を知らず知らずのうちに相手に押しつけ、自分が期待する方向に話しを
誘導してしまっていることがあります。ブーバーによれば、このような行為は、
相手を道具化しているだけで、その人の内部で自己完結する閉じられた行為に
すぎず、本当の「対話」とは言えないとされます。

 本当の「対話」とは、全人格をかけた出会い。実存的な意味における成長の
場。利害や打算で交渉するような駆け引きは本当の「対話」ではないし、力で
抑えつけるような行いも「対話」ではない。本当の「利用者中心のケア(パー
ソンセンタード・ケア)」の実現のためには、本当の「対話」が不可欠である。
ブーバーは、そのことを明確に示しているように思います。

 また、ブーバーの言う「対話」は、紙の上に書かれる「文字」や、口から発
せられる音声といった意味での「言語」を、必ずしも用いない(用いなくても
可能である)とされます。これも、とても重要なことだと思います。失語症や
認知症などで上の意味での「言語」を失いつつある人との間にも、人間として
の本当の「対話」は成立するということなのですから・・・。

 「対話をあきらめるな」

 これが、ブーバーを読むよう勧めてくださった方が、ブーバーを介して当方
に伝えたかったことなのだと確信しました。





2010.10.08.

時速30kmの福祉(第97回)


 9月26日(日)の午後、サンフォルテ2階ホールにて、アルツハイマーデ
ー記念講演とシンポジウムがあり、参加しました。記念講演では、埼玉県内で
老人保健施設を経営しておられる佐藤龍司さんという方が登壇され、ご自身の
法人の非常にユニークな取り組みを紹介されました。

 佐藤さんのところでは、「老人保健施設で医療が提供できないのはおかしい」
とし、必要とあらば積極的な治療を施されるとのこと。老人保健施設は、医療
面を手厚くするほど経営的に採算が合わなくなるのですが、多額の赤字を出し
ながらも治療に力を入れておられる由。佐藤さん曰く、「そこだけ見れば赤字
でも、地域の中で必要とされることを行えば厚い信用が生まれ、サービスを利
用したいという人が自ずと集まります。トータルで見れば決して無謀な経営戦
略ではないのです。また、施設個々の費用対効果ではなく、地域全体の費用対
効果を考えるならば、老人保健施設という社会資源はむしろこのように機能す
べきだと思っています」とのこと。また、在宅生活を支えるという面では、休
日夜間でも必要なときにいつでも迎えに行って入所できる体制を整えておられ
るとのことでした。「そういう安心があれば、ご本人もご家族も本当は望んで
いない『施設に入りっぱなし』の状態に陥らずに済むから」というお考えなの
だそうです。

 お話をうかがい、なるほど理屈は分かるのですが、いざこれを実践するとな
ると相当に勇気の要ることではないかと感じました。また、この体制を支える
スタッフの方々のご苦労もしのばれました。当方自身は、佐藤さんのお考えの
すべてについて賛成というわけではないのですが、佐藤さんの地域ケアに対す
るするどい切り口や、信念を貫こうとされる剛胆さには、すがすがしさを感じ
ました。

 ところで、後半のシンポジウムでは、当方も登壇し、「要介護認定とケアプ
ラン」と題して少しお話をさせていただきました。その内容は以下のページか
らご覧いただけます。ご一読の上、ご意見やご叱正を賜ることが出来ましたら
幸いです。


    「要介護認定とケアプラン」
     http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/p-chuchotement20100926.html





2010.09.03.

時速30kmの福祉(第96回)


 8月27日(金)の午後、埼玉県志木市にて、「ケアマネジメントをみんな
で考える会総会記念シンポジウム『利用者・家族とともに歩むケアマネジメン
トとは?〜介護保険10年の検証とこれからの課題〜』」が開催され、参加し
ました。

 シンポジストのお一人、及川さんは、ご本人・ご家族とも実名を公表され、
当日もお二人でいらっしゃる予定だったのですが、ご都合によりご家族のみ登
壇されました。日頃の思いなどをうかがうなかで、制度があとほんの少し心の
通うものであれば、それだけで満たされることがいっぱいあるのだとあらため
て感じました。あとほんの少しのことなのに、もったいない・・・。

 公益社団法人認知症の人と家族の会全国副代表の勝田さんからは、家族の会
の歴史が、認知症の人や家族への偏見との闘いの歴史でもあったことや、政府
へ「要望」するのと「提言」するのとでは意味が違うということ、要介護認定
はなぜ廃止すべきなのか、などについて、分かりやすくお話いただきました。

 当日は、一般参加者として大阪市立大学の白澤教授にもお運びいただきまし
た。このような市民による小さな手作りの会に、大学の研究者の方が手弁当で
かけつけてくれるということは、主催者として大変うれしいことでした。白澤
教授からは、地域包括ケアというときの「包括」という言葉の多義性に注意が
必要であることや、ケアマネジメントの成功報酬を考えるときに、要介護度が
軽くなったかどうかではなく、その人の社会生活が豊かになったり、社会的存
在として生きる意欲が高まったり、その人を介護する家族の負担が軽減された
りといったことも評価軸に加えられなければならないこと、要介護認定につい
ては、客観的な基準をつくるのであればICFに準拠したしっかりしたもので
なければならず、そのような方向で見直すのではない限り、現行の認定システ
ムを廃止すべきであることなどが、簡潔明瞭に述べられました。

 シンポジウムの様子は、ケアマネジメントオンラインでも紹介されています。
(参考)ケアマネジメントオンライン http://www.caremanagement.jp/





2010.08.22.

時速30kmの福祉(第95回)


 4回連続で、介護保険の要介護認定廃止論に関連する話題です。前3回は、
要介護認定廃止論への批判に対する反批判が主な内容でした。今回は、要介護
認定廃止論を主張している側の問題について述べます。

 要介護認定廃止論は、2009年4月の「事件」をきっかけにしてほとんど
社会問題化しているのですが、実は「論」自体は2000年の介護保険法施行
前から存在していました。また、その後も法改正などを機に要介護認定廃止論
を主張する研究者が何人も現れました。そして、廃止の条件として決まって挙
げられてきたのが、「ケアマネジメントの公正中立が本当に確保されること」
でした。

 当方がここで言いたいのは、これだけ市民運動レベルで要介護認定廃止の是
非が問われてきているのに、これまで要介護認定を廃止すべきだと主張したり、
本を出したりしてきた大学の研究者たちが沈黙しているのはどういうわけか、
ということです。「廃止すべき」というのは言葉だけのことで、本当のところは、
実際の社会がどうなったってかまわないと思っているのか? そういうところ
に違和感を感じます。

 また、「ケアマネジメントの公正中立が本当に確保される」ためには、「居
宅介護支援事業所(ケアマネジャー)と介護サービス事業所の完全分離」が必
要だと論じる研究者は珍しくないのですが、ではどうすればその完全分離が可
能となるのか、実現までの道筋を示している論考を、不勉強のためか残念なが
ら見たことがありません。政策として実現できなければ、その理論は社会的に
意味を持ちません。本当に現実の社会に対して責任を負う覚悟があるならば、
実現までの具体的な道筋まで論じてほしいと思います。

 またまた蛇足ですが、当方や当方の仲間は、「第三者機関主義ケアマネジメ
トの段階的法義務化」を具体的な解決の道筋として提案し、広く批判的検討を
請い続けています。
 




2010.08.22.

時速30kmの福祉(第94回)


 前回、前々回に続いて、介護保険の要介護認定廃止論に関連する話題です。

 インターネット上の「医療介護情報サービス キャリアブレイン」のニュー
ス欄に、8月21日付で「要介護認定を維持しつつ、未来志向の議論を」とい
うインタビュー記事が掲載されました。インタビューの相手は、高橋紘士国際
医療福祉大大学院教授です。

 記事を引用したら著作権の侵害となる可能性がありますので、ここでは参照
のためアドレスを記すに止めます。

「要介護認定を維持しつつ、未来志向の議論を」
https://www.cabrain.net/news/article.do;jsessionid=F5150396969758524C05B76164A9E5C7?newsId=29172

 この記事を読んでの当方の感想を以下に述べます。

(1)「10年前に決着がついた」論

 当方の読み間違いでなければ、要介護認定の議論は10年前に決着がついて
いるので蒸し返すべきではないとの主張が述べられているようです。
 しかし、その10年前の議論というのは、いつ、誰と誰がどのような議論を
して、どのような論理的な結論に至ったのか、そこのところが明らかにされて
いませんので、当方も含め、その議論に関わっていない者にとっては、それだ
け言われても納得できる内容ではありません。肝心なのは、「いつ決着したか」
ではなく、「どう考えるのが正しいのか」です。「蒸し返すのは未来志向では
ない」という理屈で「どう考えるのが正しいのかを明らかにする作業」を否定
すべきではないと思います。

(2)「制度の背骨」論

 また、「認定は制度の背骨だから、廃止したら制度が破壊される」という趣
旨の主張も述べられているようですが、その表現は文学的であり、具体的にど
のような理由で制度が破壊されるということになるのか説明がないように思い
ます。

(3)「介護支援専門員の力量不足」論

 ところで、現時点で要介護認定廃止論を最も有力に主張しているのは、誰が
見ても公益社団法人認知症の人と家族の会でしょう。同会では、介護支援専門
員単独で認定せよとは一言も主張していません。しかし、このインタビュー記
事では、要介護認定廃止論と単独認定論は同じであるという前提の元に論が進
められています。前提となる事実に誤認があるので、その後の議論はすべて要
介護認定廃止論に対する「言いがかり」の域を出ないものとなってしまってい
ます。もしも意図的なミスリードであるならば、とても悪質な行為であると言
わざるを得ず、非常に残念に思いました。

(4)「認定をなくすとコストコントロールができない」論

 認定をなくすとコストコントロールができない、という主張が述べられてい
るようです。先に述べたとおり、単独認定論に事実誤認があるので論自体が意
味を持たないのですが、それ以前の問題として、「では、今の認定システムを
残せばコストコントロールができる」と言えるのか、その点についての論証が
欠けているように思いました。当方の現場経験では、とてもコストコントロー
ルができているシステムであるとは思えません。

(5)「認定の3区分化は不合理」論

 認定の3区分化については、いくつかの新たな問題が生じるという主張がな
されており、この点については当方も正しい批判であると思いました。これに
加えるならば、「仮に認定を3区分化しても、これまでの認定システムの問題
が解決されるわけではない」という点も、同じくらいの熱意で批判すべきであ
ると思います。具体的には、@ケアマネジメントのアセスメントと連動してお
らず、二重調査の無駄がある。A認定基準が、そもそも必要な介護を満たすこ
とを目的としていない。B「なぜこの状態でこの認定なのか」、利用者・家族
から見て納得がいかない。C認定システムを開発・維持するためにコンピュー
ター関連産業に投じる費用が効果に比して高すぎる。D認定基準が厳しいほど
民間私保険の市場が拡大するので癒着の温床となりやすい。E認定調査員と認
定審査会委員は、申請された利用者とは一期一会の関係であり、認定の影響を
検証し、基準の見直しにフィードバックさせることができない。F認定に時間
がかかりすぎ、その間は利用者と家族が不安定な立場を強いられる、などの問
題があり、これらは認定を3区分化しても解決しません。付言すれば、要介護
認定廃止論で主張されている新しいしくみを導入すれば、これらの問題は解決
します。

(6)「財政を破綻させる無責任な主張」論

 「認定廃止の主張は、財政を破綻させる無責任な主張である」という趣旨の
ことが述べられているようです。このように言うと、あたかも現行の認定シス
テムを存続すれば財政が破綻しないかのような印象を受けてしまいますが、果
たして本当にそうでしょうか。現行の認定システムをそのままにし、かつ低所
得者対策等を保険内で新たに講じないのであれば、ドイツのように介護保険か
ら漏れた人に対する社会援護措置を新たに創設する必要が生じるので、その財
源をどうするかまで責任を持って論じる必要があります。その財源論を行わな
いのであれば、認定廃止論を「財政を破綻させる無責任な主張だ」と批判する
のと同様の批判が、そのまま認定擁護論者に向けられなければならないでしょ
う。
 また、もし社会援護措置は不要という立場で認定廃止論を批判するのであれ
ば、堂々と「介護難民には手を差しのべるべきではなく、自分でなんとかさせ
ればよい。それがグローバルスタンダードだ」と正直に主張し、国民がそのよ
うな社会を望んでいるかどうか、自らの耳で確かめるべきであると思います。

(7)「介護保険は、世界に類がない優れた制度」論

 ここでは、池田龍谷大学教授とは異なり、個人的な国際的交流体験として
「介護保険は、世界に類がない優れた制度」だと評価されているという印象を
持ったという趣旨のことが述べられています。しかし、これだけでは、体験を
共有していない者にとってはわけがわかりません。どういうところが、どのよ
うな理由で優れていると、誰が評価したのか。そこが明らかにならないと、本
当に優れた制度なのかの判断をつけることは誰にも出来ません。また、なぜこ
こだけ「認定が優れている」ではなく、「介護保険が優れている」と言葉がす
り替わっているのかも個人的には気になるところです。
 




2010.08.22.

時速30kmの福祉(第93回)


 前回の号で、「日本の要介護認定システムは海外で高い評価を受けている」
という主張について、具体的に誰がどんなことを言っているのか知りたいとい
う趣旨のことを書きました。

 その後、7月29日の社会保障審議会介護給付費分科会で、同分科会委員の
池田省三龍谷大学教授が、関連する文献の情報を開示していることを知りまし
た。

「要介護認定システム廃止・簡略化論に対する意見」
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000ikoc-att/2r9852000000ikuc.pdf

 そこで、この資料に掲載されている原著のうち、取り寄せ可能なものをいく
つかざっと読んでみました。結論を言うと、なぜこの内容で「日本の要介護認
定システムは海外で高い評価を受けている」ことの根拠になるのか、当方には
理解できませんでした(以下に述べます)。

 また、それ以前の問題として、この意見書に関連していくつか指摘したいこ
とがあります。

(1)これまでの分科会の議事進行では、「要介護認定は介護給付費分科会の
   検討事項ではないから発言すべきではない」との批判がなされ、要介護
   認定廃止論の発言が制止されてきました。にもかかわらず、要介護認定
   擁護論の立場から「認定の廃止・簡略化は介護給付費にも重大な影響を
   与える」からという理由で意見を提出することが認められたり、発言が
   認められるというのは、議事進行のあり方として公正を欠くと言わざる
   を得ません。

(2)海外の評価の根拠として挙げられている文献などの情報は、いずれも日
   本人自身が2009年4月を体験する前のものです。また、池田教授は
   「肯定的な評価がある」ことのみ言及しておられますが、原著には否定
   的な評価も併せて記されており、肯定論否定論ともに公平に扱っておら
   れるのかどうか、大いに疑問が残ります。

(3)評価はもっぱら大局的な国際比較の観点から行われており、その内容は
   必ずしも要介護認定廃止論を否定する根拠とはならないものです。たと
   えば、他の国に比較して軽度者に手厚いことをプラス評価の根拠として
   いる部分については、認定廃止後に軽度者への対応を同様に行うことが
   できないのであれば廃止論への批判根拠となりますが、廃止論者は軽度
   者への対応を削れとは一言も言っておらず、これをもって廃止論批判の
   根拠とはならないことなどがよい例です。

(4)ケアマネジメントの公正中立が歪められているのは、所属法人からの圧
   力によるものが最も大きく、かつ深刻であるのに、そのことについては
   一切触れられておらず、あたかも利用者と家族からの強要が中心問題で
   あるかのように論じられています。しかし、引用された原著には、利用
   者と家族からの強要が中心問題であるとは全く述べられておらず、むし
   ろサービス提供者の立場とケアマネジャーの立場が同一人物によって担
   われることの問題の方が、簡潔明瞭に記されています。このことは、原
   著を読めばすぐに分かることです。また、仮に利用者と家族から強要が
   あった場合に、現行の要介護認定システムに抑止効果があるというエビ
   デンスはどこにもないことを、論者自身の資料が証明しています(給付
   限度額ぎりぎりまで使う事例が極めて少ない)。

 さて、まず池田教授提出意見書の「資料6−1」の「我が国の要介護認定に
関する諸外国からの評価(1)」で紹介されている原文の一つについて述べま
す。

原文
http://www.nasi.org/usr_doc/Merlis_LongTerm_Care_Financing.pdf

 翻訳文を掲載すると、著作権や関連する権利・利益の侵害となる恐れがある
ので掲載を控えます

 原文の著者の大意としては、給付を行う以上は給付に該当する人かどうかを
判断する基準が必要になるけれど、その基準づくりは大変な作業で、どの国の
しくみも一長一短である、というものです。原文を素直に読めば、日本のしく
みはすばらしい、という評価はどこにも表明されていませんし、文脈から考え
て、工夫はあるけれど完璧なしくみではない、という批判にウエイトが置かれ
ていると読むべきでしょう。

 もし肯定的に評価されている国があるとすれば、最後にまとめとして登場す
るドイツの方式の方だと思います。

 もうひとつ原文のアドレスを記します。

原文
http://www.cass.city.ac.uk/media/stories/resources/Full_report_-_LTC.pdf

 原文で「洗練されている」と評価する該当箇所があるとすれば、それは31
頁12行目の文のみだと思います。ここでは、ドイツの介護保険との違いが3
点示されていて、そのうちの2つ目に「ニーズアセスメントの過程がより洗練
されている(more sophisticated)」とされています。しかし、これはあくま
でもドイツの介護保険のデザインとの「事実」の比較であって、「評価」を述
べたものではなく、日本のシステムがより優れているというニュアンスで受け
止めるのは早計のように感じました。むしろ、その後に続く、ドイツの介護保
険との共通点としてあげられているのが、利用に際し「所得調査がないこと」
ですが、ドイツでは介護保険では漏れてしまう低所得者のニーズを満たすプロ
グラムがあるのに日本にはないので、日本の低所得者はとても不安定な状況に
置かれていると指摘しています。このような全体の文脈から判断すると、「ソ
フィスティケート」がほめ言葉なのかどうかも怪しくなります。

 むしろ、この原著の日本の記述の箇所で、著者が最も言いたかったまとめの
部分には別の重要なことが書かれています。具体的には、日本の介護保険では、
ニーズアセスメントとケアマネジメントが、しばしばサービス提供事業者によ
って担われているので、その結果サービスを提供する側の立場とケアマネジメ
ントを行う立場の両立しない仕事を、一人の同じ人物が担当することになって
しまい、ニーズアセスメントの客観性や公正が損なわれる恐れが強いことや、
収益率の良い顧客が選ばれ(利用者選別)、自分の会社のサービスのみ勧めよ
うとする動機付けが強まることなどです。そして、これを放置していては、ニ
ーズ充足度の観点からも費用対効果の観点からも不適切な資源配分とならざる
を得ず、システムを維持する費用が高騰してしまうだろうという趣旨の指摘を
しています。

 要介護認定擁護論者は、「財政が破綻するから要介護認定を維持せよ」と主
張しますが、財政破綻を心配するなら、ケアマネジメントの公正中立にこそ言
及すべきであることを、この原文の著者は的確に突いています。

 ちなみに、原文の内容自体は、あまり高い精度ではありません。たとえば、
短期入所は限度単位数には含まれず、日数で換算する表が挿入されていますが、
これは2000年当時の資料を使っているためで、2004年に出版したわり
には情報のフォローが足りません。また、要介護認定は6ヶ月ごとに更新され
ると書かれていますが、これも収集された情報の確度が低いことの現れです。
日本の記述がそうであるということは、他国の記述でもその程度の確度である
と推して読む必要があるということだと思います。

 そもそもの目的が、各国の制度を表面的になでる、概観するというものなの
で、これはこれで良いのだと思いますが、逆に言えば、日本の要介護認定シス
テムの様々な問題点、たとえばコンピューター関連費用が莫大であることなど
の情報はすっぽり抜け落ちています。とても日本の要介護認定システムについ
て、きちんと全方位から検証して評価したといえる代物ではないです。

 そんなおおざっぱな論考であるにも拘わらず、ケアマネジメントの公正中立
に重大な疑義があるという一点は、2004年の時点でも、よくわかっていな
い海外の研究者でさえも、最後の最後のまとめで書かなければならないと考え
るほどの大問題だったということが重要な事実です。





2010.07.27.

時速30kmの福祉(第92回)


 7月18日に、「介護の社会化を進める1万人市民委員会2010」という
団体が、東京都内でシンポジウムを開催したとの報道がありました。

 当初は、市民の自発的な政策決定への参加の動きなのだろうと受け止めてい
たのですが、その内容を見ると、どうも「要介護認定廃止を阻止せよ」という
スローガンを掲げており、タイミング的にも唐突というか、いかにも政府にと
って都合の悪い主張を打ち消すための「当て馬」として仕立て上げられた「市
民運動」の観を個人的には持ちました。

 比喩的に言えば、改革の志士の「龍馬伝」だと宣伝されていたので期待して
見たら、実際は龍馬をダシにした「岩崎弥太郎伝」(岩崎弥太郎は三菱財閥の
創業者)だと分かって幻滅したという具合です。

 同委員会では、「日本の介護保険の要介護認定は科学的、中立的であり、世
界的にも定評がある」と主張しているようです。また、「要介護認定廃止を主
張しているのは、廃止によって営利をむさぼろうとしている介護保険事業者だ」
と非難し、その根拠として、「認定は保険が成り立つ大前提であり、認定がな
ければ保険は成立しない」ことや、「ケアマネジャーが公正中立ではない」こ
となどを挙げているようです。

 いちいち批判的な検討をする価値もない主張かもしれませんが、放っておい
たら、これが本当のことだと誤解する人が出てこないとも限らないので、いち
おう批判を試みます。

 まず、世界的にも定評があるという主張ですが、具体的にいつ、誰が、どの
ようなことに対して、どのような根拠で、どのような評価を下したのか、論者
には説明する義務があると思いますが、当方は未だかつてその説明を聞いたこ
とがありません。現場の実態を知るものとしては、このような杜撰な認定シス
テムに高い評価を与えたとする人物に是非とも会ってみたいものです。ただ、
「定評がある」とだけ述べて、それが正しいかどうかを検証するための材料を
提示しない態度は、科学とは正反対であり、誠実さに欠けます。

 次に、「認定は保険が成り立つ大前提である」という主張についてですが、
一般論としては、確かに当たっている部分があります。つまり、保険が成立す
るための条件として(1)要保障事故が特定されること、(2)当該要保障事
故が発生したときにどのような種類の給付を行うかが特定されること、
(3)それぞれの種類ごとにどのくらいの量の給付を行うかが特定されること、
(4)その給付をどのくらいの期間継続して行うかが特定されること、の4つ
の条件を満たすことが必要であり、これらを「認定」と呼べば呼べます。

 しかし、これはあくまで一般論であり、「だから」現行の要介護認定システ
ムがなければ保険が成立しない、ということにはなりません。

 まず、(1)についてですが、現行の介護保険法上の要保障事故は、65歳
以上の場合は介護を要する状態であること、40歳から64歳までの場合は加
齢に伴う疾病が原因で介護を要する状態であることとされています。これ自体
は、現行の要介護認定システムとは直結しておらず、廃止後もそのまま適用す
ることができます(もちろん、廃止すると否とを問わず、要保障事故の範囲を
変更することも可能です)。

 次に、(2)については、現行の要介護認定システム上は、審査会意見とい
う形で限定的に種類の特定ができることとされていますが、実際には審査会意
見が付されることはほとんどありません。それは、審査会委員の怠慢でそうな
っているわけではなく、一期一会の関係である審査会委員が、書面情報だけを
根拠として不用意に意見を付せば、それがネックとなってケアプランが最大の
効果を上げられなくなる恐れがあるということを、審査会委員自身がよく理解
しているからです。つまり、現行の要介護認定は、給付の種類を特定する機能
をほとんど果たしていないと言えます。

 (3)の給付量の特定については、認定によって限度単位数が決まるものの、
実際の支給量は限度単位数とは全く無関係に特定される実態があります。限度
単位数は、必要な介護を受けられなくする機能を果たすことはあっても、給付
量を特定する機能を果たしてはいません。

 (4)の支給期間については、現行の要介護認定システムでは、長短の認定
有効期間を決定してはいます。しかし、その妥当性には問題があり、実際には
無駄な更新に時間と費用を要したり、逆にケアプランの途中変更が必要となっ
ても認定の有効期間が連動して変更されないため、ケアプランの期間設定が不
自然になったり、無駄な区分変更で無用に短期間の認定有効期間が設定される
などの不合理が生じます。

 これらのことから、現行の要介護認定システムは、そもそも「保険が成り立
つ大前提としての認定」機能を、介護保険法が始まってから今日までの間ほと
んど果たしてこなかったことが分かります。

 「保険が成り立つ大前提としての認定」が存在しないのに10年も続いた介
護保険は、よほどタフな保険なのでしょうか? いえ、そうではありません。
介護保険がふらふらになりながらも今日まで続いてきたのは、実質的な「認定」
機能を現場の介護支援専門員が担ってきたからです。

 公益社団法人認知症の人と家族の会などが主張する要介護認定廃止論は、廃
止した後の仕組みまで提案しています。その内容は、かかりつけ医と保険者担
当者も参加するサービス担当者会議の場で、(1)〜(4)の特定を行うとい
うものです。これは、まともなケアマネジャーならすでに実践していることで
あり、邪魔な要介護認定が無くなって、かえって好都合なぐらいです。

 最後に、「ケアマネジャーが公正中立ではない」という点ですが、これは、
現行の要介護認定システム下でそうなっていることを、図らずも論者自身が肯
定する結果となっています。ケアマネジャーは、要介護認定システムが残ろう
が廃止されようが、そんな事とは無関係に公正中立でなければならないはずで
す。もしケアマネジャーが公正中立ではない社会実態があるのであれば、そち
らを正さなければならないはずなのに、「どうすれば公正中立を実現できるの
か」についてなにも道筋を示さず、「公正中立ではないから廃止すべきではな
い」と廃止論批判の根拠とするのは本末転倒と言わざるを得ません。

※蛇足ですが、当方は、ケアマネジメントの公正中立を実現するための道筋と
 して、第三者機関主義の段階的法義務化を介護保険法施行当初から主張して
 います。





2010.07.27.

時速30kmの福祉(第91回)


  目で美しいものを見て

  鼻でほのかな香を楽しみ

  耳ですばらしい調べを聴き

  口でおいしいものを食べ

  身体でここちよいことを行い

  心でこのしあわせをありがたく思う

  そして、お金はなるべく持たない


 上の言葉は、2004年9月の時速30kmの福祉でご紹介したものです。

 この言葉を当方に教えてくれた方が、先日お亡くなりになりました。

 亡くなられたのは早朝。その前日の午後に当方が面会したときには、「あん
たにまで迷惑をかけて申し訳ない」と。それが最期の言葉となりました。

 笑われてしまうかもしれませんが、お通夜の読経の途中で、なんだかオレン
ジ色の温かな光が差し込んだような感覚を体験しました。それと同時に、あの
面会のときに、自分が見ていた物体としての身体と、本当に見なければならな
かった魂との厳しい隔たりを悟らされました。「あんたにまで迷惑をかけて申
し訳ない」と、物体としての口唇が動いているのは確かに見ていました。しか
し、その口唇を動かしていた魂は?

 大切にしなければならないのはこっちの方だ、とわざわざ当方に教えようと
されたのではないかと、そんなことを思いました。「向き合う」ということの
厳しさ。まだまだ逃げている自分の姿だけがくっきりと浮かび上がりました。





2010.06.30.

時速30kmの福祉(第90回)


 6月23日は沖縄の慰霊の日です。ホームページの情報によれば、富山県出
身の刻銘者は878名の由。そのうちのお一人のご遺族から、お話を伺う機会
がありました。未だ首里玉砕の方針であった5月末、首里城下の灰燼とともに
落命されたとのことでした。

 戦後、現在の家族とともに今日まで平和な日常を暮らしてきた幸せ。しかし、
その反面で、忘れられないつらい過去。日常の中の非日常。「あたりまえ」と、
「あたりまえであってはいけないこと」との背中合わせの内面世界です。

 今年の全戦没者追悼式で朗読された「平和の詩」。普天間高校3年の名嘉司央
里(なか しおり)さんの作品です。ご自身の日常のなかに、あたりまえであっ
てはならないことがあたりまえのように存在し、そのことに慣れてしまっている
ことへの違和感を表現されました。

 「普通なら受け入れられない現実も当たり前に受け入れてしまっていた」とい
う言葉は、介護保険の現状にも、ケアマネジメントの現状にも、悲しいほどあて
はまる言葉です。「あたりまえであってはならないことへの違和感」を忘れては
いけないとあらためて感じました。


(おしらせ)

 富山県外(埼玉県志木市)ですが、以下のシンポジウムを予定していますので
おしらせします。

テーマ「利用者・家族とともに歩むケアマネジメントとは〜介護保険10年の検
    証とこれからの課題〜」

目 的 本当の意味で利用者が主体となったケアマネジメントを実現するために
    は何が必要か、サービスの利用者、家族、ケアマネジャー、介護サービ
    ス従事者、一般市民がそれぞれの立場から意見を出し、ともに考えます。

日 時 2010年8月27日(金)午後2時から午後4時まで

場 所 志木ふれあいプラザ

定 員 50名(定員になり次第締め切り)

参加費 500円(資料実費のみ)

シンポジスト

 及川浩志さん、智子(さとこ)さん(介護サービス利用者・家族)
 勝田 登志子さん(公益社団法人認知症の人と家族の会全国副代表)
 塚本 聡(ケアマネジメントをみんなで考える会共同代表理事)

主 催 ケアマネジメントをみんなで考える会

後 援 埼玉県 志木市 朝霞市 社団法人認知症の人と家族の会埼玉県支部
    朝霞介護保険事業者協議会
 
申込先

    〒353−0007
  埼玉県志木市柏町3−11−13三喜ハウス201号
  フクモト社会福祉士事務所気付
  「ケアマネジメントをみんなで考える会」宛





2010.05.19.

時速30kmの福祉(第89回)


 さる5月15日の午後、厚生労働省の講堂で、「長妻大臣と語る『みんなの
介護保険!』意見交換会」という集まりがあり、当方も参加しました。

 この会は、もともと介護サービスを利用する本人と家族から意見を聞くとい
う目的で企画されたものでした。しかし、それ以外の人も含めて広く国民全体
から意見を聞くべきではないかといった批判が当初からあり、これに加え、呼
びかけに応じて参加する本人・家族が主催者側の見込みよりも少なかったとい
う事情もあって、当方のような介護サービス従事者にまで参加枠が拡がったよ
うです。

 時間帯は午後1時30分から午後3時までの1時間30分。逆算すると一人
あたり意見表明できるのは約5分程度と考え、当方なりに介護保険法改正にあ
たっての意見を要領よく発表できるよう準備して出向きました。会場に到着し
て他の参加者の方々に尋ねると、みなさんも同様に5分程度で発表できるよう
準備しておられることが分かりました。

 ところが、テーブルについて事前の主催者側の説明が始まるや、参加者から
は嘆息が漏れました。というのは、主催者側の考えていた当日の日程が、思い
もかけないものだったからです。

 主催者側によれば、まず参加者を6グループ分け、各グループに利用者本人
1名、家族1名を配置、それぞれ3分から5分程度不満や要望などを話してい
ただくとの事。次いで、それを他の参加者(ケアマネジャーや地域包括スタッ
フ、介護サービス従事者などです)が聞いて「問題点」を拾い上げ、一つの
「問題点」につき1枚の付箋紙に記入(1名につき付箋紙使用は3枚程度まで)。
その付箋紙をあらかじめ用意した大判紙に貼り付けて「問題点」同士の関係を
整理、最終的に一つの「問題点」に絞り込む(他の「問題点」は捨てる)よう
に指示がありました。

 このような作業の結果、1グループに1つだけ「問題点」なるものが決まる
わけですが、今度はその「問題点」をどう解決していけばよいか、さらに「利
用者・本人を除いて」他の参加者が付箋紙に記入して2枚目の大判紙に貼り付
け、各グループごとの「改善提案」をまとめるよう指示がありました。

 このような手法にはいくつもの問題があります。

 まず、利用者本人と家族は、不満や要望を十分に表明したいと思って参加し
ているのに、それに見合った時間が与えられませんでした。しかも、自分の表
明したことが、他の参加者から共感をもって受け入れられるのではなく、逆に
被験者として対峙させられ、冷徹な目で吟味されるという役回りを負わされて
しまいました。「これは、話が違う」と内心思われたに違いありません。

 また、「広く国民としての意見を求める」との呼びかけに応じて参集した人
たちにとっては、自分の準備してきた「言いたいこと」が封じ込められ、不本
意にも利用者本人と家族の発言を吟味する側に回らされてしまいました。これ
により、それこそ「話しが違う」と考えた参加者の中には、利用者本人と家族
の切実な悩みの声をまず受け止めるという対話の基本を忘れ、自分があらかじ
め準備してきた「言いたいこと」を、こじつけてでも発言しようとする人が出
てくるなど、殺伐として奇妙なやりとりが交わされる結果となりました。

 さらに、付箋紙を用いて「いったん分解してからまとめる」KJ法的な思考
整理法の場合、参加者の中に支配・被支配の上下関係や権力関係が存在すると、
立場の強い人の価値観に誘導されるという欠点があるのですが、司会進行が各
グループに張り付いた厚生労働省官僚によってリードされたことも手伝って、
まとめ方が非常に強引でした。グループ内で一度も議論されていない「福祉目
的税を導入すべき」という「結論」などはでっち上げそのもので、グループに
よっては、「そんなまとめ方はおかしい」と抗議する人が出たり、最後のまと
めの発表では、厚生労働省官僚が大判紙の上にまとめたものを無視して、本当
に議論された内容を勇気を持って発表する人もありました。

 当日は報道機関も多数詰めかけており、このおかしさを目の当たりに見てい
たのですが、利用者本人と家族のプライバシーに配慮して発信を控えるよう事
実上の「報道管制」が敷かれたため、外部に報じられたのは会終了後の大臣の
会見内容のみでした。

 当初のふれこみでは、各グループの中に長妻厚生労働大臣等政務三役がそれ
ぞれ分かれて加わり、じっくり話しを聞くということになっていましたが、実
際に参加したのは長妻大臣と山井政務官の2名だけで、しかも各グループを巡
回(1グループあたり3〜5分前後)しただけで終わりました。

 驚くべきことに、前述の「福祉目的税を導入すべき」も含め、当日厚生労働
省官僚によってまとめられた結論が「国民からの提言」として厚生労働大臣に
提出されるとのこと。長妻大臣は、あろうことか「真摯に耳を傾ける」と約束
しておられました。

 今回の意見交換会は、国(厚生労働省)としてはじめて「介護保険について
国民の声を直接聞く」ことが必要だと認め、その機会を持ったという意味では
画期的なことでした。しかし、その手法は限りなく「骨抜き」を施された醜い
ものであり、利用者本人・家族と介護従事者との絆を分断するばかりか、厚生
労働大臣を道化に仕立て上げる意図まで感じられるものでした。

 国が国民から直接意見を聞く場合、利用者本人・家族側参加者の人選段階か
ら透明性を高める必要があります。また、短時間で発言を制限し、1回限りで
成果を出すことを目的とすべきではありません。参加者間で主客の対立構図と
なる組み立ては止め、ともに自由な対話の積み重ねができるようにすべきです。
そして、主催者は議論に介入してはならない。間違っても議論の方向付けを行
うべきではないし、KJ法まがいの誘導は論外です。

 長妻厚生労働大臣や山井政務官は、これ1回限りで国民の意見が集約された
とお考えなのでしょうか。このままでは、せっかくの取り組みが、選挙前のパ
フォーマンスだと誤解されかねません。今後も第2回、第3回と意見交換会を
積み重ねる事を希望します。また、その際には、同じ間違いが起きないよう、
「政治主導」の実をお示しいただきたいと思います。





2010.04.26.

時速30kmの福祉(第88回)


 このごろ、ケアマネジメントの教学の場で、「科学」という言葉を耳にす
る機会が多くなりました。これまでは、「エビデンス」(「客観的な根拠」
というような意味です)という言葉がよく用いられてきましたが、それを含
む「科学」という言葉の使用は、どちらかというと避けられてきた観があり
ました。それが、いまや意図的に多用されています。

 「科学」という言葉を多用する人の含意を調べてみると、どうも、「主体
と客体の分離」という意味合いを強調する目的があるようです。つまり、実
験などで科学的な探究を行う場合、探究する者(主体)と探究の対象(客体)
を完全に切り離し、峻別できることが前提となるため、「科学的であるとは、
主客を分離することである」という理屈です。

 このような理屈は、一見本当のように見えて実は誤っている。ユング心理
療法で高名な故河合隼雄さんをはじめとして、多くの方が、既に数十年前か
ら指摘している「科学主義の誤謬(ごびゅう)」が、なぜ急にケアマネジメ
ントの世界で蠢(うごめ)きだしたのか。

 ひとつには、ケアマネジメントを行うケアマネジャーとそれを受ける利用
者・家族を主客ととらえ、両者を分離するよう意識づけを図る狙いが透けて
見えます。いまひとつは、現場を持つケアマネジャーと現場を持たない上位
のケアマネジャー、さらにその上位に教員、研究者を階層化した意識づけを
図る狙いも垣間見えます。

 これらの動きは、利用者・家族もケアマネジメントの「主体」であること
を否定する意識づけにつながり、利用者・家族とともに歩むケアマネジメン
トを妨げます。また、利用者・家族や第一線のケアマネジャーなどが、実践
地平から理論や政策を構築する「主体」であることを否定する意識づけにも
つながり、「批判力」を含む本当の意味での「科学的なもののみかた」を遠
ざけます。

 表向きは「対象の客観化」だけれども、実は「方法の主観化(恣意化)」
に陥っている。そのような誤りは、既に2009年4月の要介護認定見直し
の検証・検討過程で典型的に見られます。河合隼雄さんなどが最も恐れた「
人のこころが見落とされる」深刻な事態を生んでしまった。

 科学の衣を着た非科学、費用対効果の衣を着た構造的無駄、そういった不
誠実が介護保険を窒息させつつあります。これを一掃したい。介護保険法改
正や報酬改定は、介護保険に新鮮な空気を送り、生き返らせる方向で進める
必要があります。





2010.03.22.

時速30kmの福祉(第87回)


 2000年4月1日に介護保険法が本格的に施行されて、もうすぐ10年
目を迎えます。介護保険法は、制度がこれで良いか5年に1度の頻度で定期
的に見直すことになっています。従って、今年は丁度2回目の総点検の年に
も当たります。

 これに加え、介護報酬は3年に1度、診療報酬は2年に1度の頻度で改定
される決まりがあり、6年に1度の頻度で訪れる両報酬の同時改定が201
2年に予定されています。

 上の事情が重なり、今年と来年は、介護・医療の領域で大きな政策論議が
巻き起こることと思います。

 そのような節目にあたり、とても気になることが一つあります。それは、
簡単に言うと、「学会の沈黙」です。介護保険の10年を振り返り、今後の
10年を展望するときであるにもかかわらず、学会は果たして発言すべきこ
とを発言し、行動すべきことを行動してきたのか、自己批判・自己点検を学
会内で呼びかける声がさっぱり聞こえてこない。果たしてこれでよいのでし
ょうか。

 当方のような立場のものでも、少なくとも以下の諸点について学会として
の振り返りが必要なことぐらいは分かります。

(1)学会と政府・与党とのつきあい方はこれで良かったのか。互恵関係の
   ぬるま湯の中で、批判精神を失っていなかったか。

(2)介護殺人、心中、生きるための犯罪が多発しているが、何らかの政策
   上の誤りがなかったのか。もしあるとすれば、それは理論的にどう説
   明できるのか。また、あらかじめ予防することが理論的・政策的にで
   きなかったのか。

(3)2009年4月の要介護認定見直しの混乱に際し、学会は何を行い、
   何を行わなかったのか。何をなすべきであったのか。

(4)ケアマネジメントに限って言えば、ケアマネジメントの中立公正が10
   年を経た今日でも実現できていないのは、有効な政策の基礎となる理
   論を打ち立てられない研究サイドにも大きな責任はないか。

 学会内部から自己批判・自己点検の声が上がり、自浄作用を働かすことが
できなければ、これからの10年の先が思いやられます。むしろ、海外の日
本研究者から適切な批判が先んじて行われるかもしれない。国内の学会にと
って、はなはだ恥ずべきこととならなければよいがと心配します。





2010.03.22.

時速30kmの福祉(第86回)


 大変重いご病気で、普通ならば到底痛みに耐えられないはずなのに、ご本
人はニコニコして意に介しないご様子。それでも、やはり宣告されたとおり、
後日じわじわと不全感に見舞われ、寝たり起きたりの生活に・・・。「トイ
レに自分で行けなくなったら再入院」と心に決めていたご家族は、いよいよ
最終決断を迫られることとなりました。入院した方が幸せなのか、このまま
家にいる方が幸せなのか・・・。

 ご本人とご家族にとって幸せだったのは、まず、認知症が副作用のない天
然自然の強力な鎮痛剤になったこと。2つには、通常ならば受け入れを拒ま
れるはずのご病態にもかかわらず、ぎりぎりまで通い続けることを認めてく
れたデイサービスセンターがあったこと。3つには、冗談を言ってご本人を
笑わせ、適時的確な助言でご家族を安心させてくれる訪問看護師に巡り会え
たこと。そして、なによりも、休日夜間を問わず、必要なときはいつでも往
診し、ご本人ご家族との対話に多くの時間をかけ、いのちとこころを支えき
る医師が側にいてくれたことでした。

 起きあがるのもやっとという状態になられてから3日後、ご家族から呼ば
れ、医師の死亡確認に立ち会いました。前日にお会いしたとき、座布団を指
さし、足が痛くなるから使いなさいと目で合図されたことを思い出しました。
このようなときまで、当方の足を気遣って。

 集まられたご家族は、泣きながら笑っておられました。よい御最期でした。





2010.01.20.

時速30kmの福祉(第85回)


 1月4日に、「昨年4月度から問題となっていた要介護度の『判定が軽く
なる傾向』が、10月度以降の要介護認定基準再変更によって80%程度是
正された」との新聞報道がありました。淑徳大学准教授の結城康博さんによ
る調査の結果分かった、との報じられ方でした。

 また、その後の1月15日に開催された「要介護認定の見直しに係る検証
・検討会」(今回で第4回目、昨年10月度の基準変更以降では初めて開催)
の場においても、厚生労働省が行った調査の結果が報告されました。その内
容は、「軽度化は改善された」とし、「問題は解消した」と結論付けるもの
でした。これにより、検証・検討会そのものも役割を終えたとされました。

 この2つの調査結果の報道に接し、現場の介護支援専門員や認定調査員、
審査会委員や審査会事務局の人たちは、当方も含めてですが、「また嘘が通
っていく」という無力感を味わうこととなりました。

 認定の現場では何が起きていたのか。事実はこうです。

 コンピューターによる一次判定は、昨年10月度以降も軽度判定傾向が続
きました。そのまま二次判定にかけて、審査会で重度修正される例もありま
すが、そうならなかった場合は直ちに再申請となります。その結果、保険者
としては、1回の認定のために、事実上倍のコストを負担しなければならな
くなります。

 また、審査会委員は、倍の量の審査をこなさなければならなくなりますが、
医師資格をもつ審査会委員にそこまでの無理は求められません(医師以外の
審査会委員、とくに介護職にとっては本業の低収入を補う「まとまった委員
報酬」でも、医師にとっては「ばかにした委員報酬」でしかありませんので、
今回のことがなくても医師資格を持つ委員の欠員が出ないようにするのは大
変なことなのです)。

 しかも、再申請が度重なれば、正式な不服審査を求める人が続発しかねな
い。審査会事務局としては、全国統計上そのような再申請件数や不服審査件
数が、他の保険者と比較して目立って高い数値になってははなはだ都合が悪
い。

 そのような理由から、コンピューターによる一次判定結果が前回よりも軽
く出た場合は、二次判定にかける前に、審査会事務局から担当調査員に連絡
し、そのまま軽く出ても申請者からクレームがつかないかどうか内々に念を
押す作業が「認定調査員のばらつきを是正する適正化指導」を名目として行
われるようになりました。

 その「指導」の結果、認定調査票のチェックや特記事項が書き直され、正
式に審査会に提出される一次判定結果が前もって重く修正されていく。つま
り、下世話な言い方をすれば、二次判定前の保険者との「取り引き」が、実
質的な認定結果を左右する、という醜い制度運用が行われるようになってし
まったのです。

 こんな初歩的なところで操作された数字を元にして統計調査を行っても、
実態など分かるわけがありません。むしろ、実態をごまかすために調査結果
が悪用される危険が非常に高まってしまいます。

 今後「検証・検討会」が消滅し、公的に検証する場がなくなれば、10月
度以降の新基準をそのままにしていても、保険者による「一次判定の根回し
による重度変更」を減らすだけで、認定の軽度化が水面下で静かに進行する
でしょう。そして、既に始まっている「5年ごとの法改正を先送りするムー
ドづくり」によって、「コンピューターによる一次判定に代わる認定基準を
創設せよ」との声も、さらに5年先、10年先の法定改正時の課題として先
延ばしされ、封じ込められていくでしょう。

 「検証・検討会」が本当にやらなければならなかったことは、統計調査で
はなく実態踏査でした。認定現場の声を正面から聴けば、コンピューターに
よる一次判定がいかに杜撰な精度か、それを維持するためにいかに無駄な費
用を公金で穴埋めしているか、いかに現場の調査員や審査会委員、審査会事
務局担当者にばかばかしい負担を強いているか、直ちに明らかとなるでしょ
う。

 官僚が体制内で運営する諮問機関に委員として加わるならば、その危険に
ついても熟知した上でのことでしょう。にも拘わらず、これではお粗末すぎ
ます。事前の根回しで、「もうこのへんでいいじゃないか」という雰囲気作
りにのせられ、安易に調査結果にお墨付きを与えてしまったのではないか。
そのなごやかな雰囲気の中で決まったことが元で、これからまた必要な介護
を受けられず、自殺や介護殺人などの悲惨な運命を他者に強いていくことに
なるのではないか。知らず知らずのうちに、自分のことでもないのに、他人
の介護や人生を、勝手にあきらめていないか。「検証・検討会」に携わった
方々には、是非自省を求めたいところです。

 また、コンピューターによる一次判定の無駄に見て見ぬふりをするのか、
新政権の「無駄を省いて必要を満たす」かけ声が偽りか否か、認定現場から
新政権に対して厳しい目が向けられているのだということを、新政権の責任
者の方々には知ってほしいと思います。





2010.01.20.

時速30kmの福祉(第84回)


 1月17日に、富山県総合福祉会館サンシップとやまで、「ケアマネジメ
ントをみんなで考える会」の第6回目のつどいを開催しました。2ヶ月に1
度の開催ですので、これで丁度1年目を迎えたことになります。

 この間、連続してすべての回に参加された方もあれば、ご病気が悪化して
途中からお休みになられた方、1度だけ参加された方など、おひとりおひと
りさまざまでした。

 1年間開催してみて、日常のあわただしい時間と空間、人間関係からちょ
っと離れて、人の話を聞いたり、自身を振り返ってみることの貴重さ、大切
さをしみじみと感じました。主催者であるわたしたちも、ほんのすこしだけ
気づきを得て、らせん階段を一回り上れたように思います。

 「ケアマネジメントをみんなで考える会とやまのつどい」では、これから
もサービスを利用する人、介護家族、ケアマネジャーなどが、「ともに歩む
人」として語り合い、支え合う場を持ち続けていきたいと思っています。

 次回は、いまのところ3月14日の開催を計画しています。順調に回復さ
れれば、ご病気で休んでおられた方も、久しぶりに参加される予定です。
                            (^。^)





2009.12.15.

時速30kmの福祉(第83回)


 11月の中旬から下旬にかけて、内閣府に設置された行政刷新会議のワー
キンググループが、事業仕分けを行いました。その様子は連日報道され、手
法や内容について賛否両論が巻き起こりました。ケアマネジャーに関連する
ものとしては、研修などに充てる「介護支援専門員資質向上事業」の予算要
求が縮減(半額)の判定となりました。

 関連予算が削られるかもしれないということで、ケアマネジャーはさぞか
し反対しているだろうと思われる向きもありましょう。しかし、実際は逆で、
役に立たない研修はきちんと見直すべき旨が明快に表明されており、溜飲が
下がったというのが大方の反応でした。

 もっとも、ケアマネジャーの団体の中には、「ケアマネジャーは給料が安
く、自分で研修費用を支払えないから予算を削るべきではない」という趣旨
の反対意見を表明したところがあるようです。しかし、これは逆さまの話し
で、「自分で研修費用を支払えるように、報酬水準の方を専門職にふさわし
いレベルまで引き上げる」ことを求めるのが筋でしょう。

 報酬は「ケアマネジャーは生かさぬように、殺さぬように」、研修は「ケ
アマネジャーは由らしむべし、知らしむべからず」、批判を許さない上から
目線の内容。これでは江戸時代の農民と扱いが変わりません。抱石や正座こ
そないものの、朝から晩まで長時間坐位の責め苦を強いられるのはいったい
何の罰でしょうか。

 どのような専門職も、新しい技術や知識を身につけるため、日々自己研鑽
が必要です。ケアマネジャーが本当に必要な研修を選択したり、自ら開発す
ることができるようにすべきです。それによって、不必要な研修やおかしな
内容の研修が自然に淘汰され、費用対効果が直ちに高まります。

 ところで、事業仕分けでは、国家が受講を強制するのであれば、その費用
は受講者の負担とすべきではない、という意見も出されていました。もっと
もなことです。しかし、ケアマネジャーの団体の中には、受講強制をそのま
まにし、なおかつ自己負担も容認し、その負担額を平準化すべきと主張する
ところがあるようです。そのような提案は論理的に支離滅裂ですし、そんな
ことを政策として通せば、これまで受講料を無償としていた都道府県も、他
とのバランスを理由に有償化せざるを得なくなるのは目に見えています。

 私見ですが、国家が一律に強制できるような「立派な」内容の研修を、い
ままで見たことも聞いたこともありません。今後もないでしょう。本当に必
要な研修は、現場実践から練り上げていくほか方法がありません。利用者本
人、介護家族、現場実践者、研究者がそれぞれ汗をかいて、一から築き上げ
ていく取り組みそれ自体が、もっとも効果的な研修になるのではないかと思
います。


(参考情報)

【速報版】 行政刷新会議「事業仕分け」の該当箇所
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/pdf/nov16kekka/2-27.pdf





2009.11.14.

時速30kmの福祉(第82回)


 ここのところ、デイサービスやホームヘルプサービスの事業所から、ケア
プラン資料をご本人かご家族が同意署名したものの写しに差し替えたいので
持ってきてほしいとの依頼が相次いでいます。理由を尋ねると、監査が近い
からとのこと。国の定める監査基準にはそのような項目はないと思うので、
市町村と県のいずれがそれを求めているのかそれぞれの事業所にお尋ねする
のですが、どうもはっきりしないご様子。

 通常の市民感覚からすると、1対1の個別契約にかかる署名文書をコピー
して第三者に配布するなど、およそ契約の相手方に対して失礼な行為です。
当方などは、そのようなご依頼を受けてもお断りしたいところです。

 ケアプランの同意署名もさることながら、介護保険証の写しを求められる
ということもしばしばあります。介護保険が始まる前は、健康保険証や年金
証書などは有印公文書であり、みだりに持ち出したり、写しをとってはいけ
ないと指導を受けたものですが、介護保険の時代になり、逆に保険証の写し
がなかったら指導を受けるとは情けない話しです。法制定時は、措置から契
約になったら利用者の権利性が高まるなどと説明されたものですが、実際に
は利用者の人権に対する感受性が鈍化してきているのではないかと疑いたく
なります。

 当方の場合、介護保険証はご自宅訪問時にその場で写真撮影させていただ
き、借り受けて持ち出すということはしません。写真はケアプラン担当各機
関の数だけプリントアウトし、手渡しで届けます。これをファックスで送ろ
うとしても写真部分は真っ黒に塗りつぶされます。コピーをとろうとしても
同様に塗りつぶされます。少なくとも、当方が配布した先からは、それを原
本として複製できないようにという配慮からです。本当は、写真撮影自体を
止めたいぐらいなのですが・・・。

 市町村や都道府県で、このような上乗せ指導をしているところがどのくら
いあるか知りませんが、こんなことは行わないよう国から都道府県・市町村
担当者宛に通知の一つも出してもらいたいものです。





2009.10.20.

時速30kmの福祉(第81回)


 先日、富山県内で開催された、主任介護支援専門員研修に参加しました。
その日の講師は、これまで主に製造業の分野でコンサルティングをなさって
こられた方でした。その分野ではとても有名な方なのだそうです。

 しばらくお話を聴いていると、介護サービスを利用される人のことを、
「商品」と表現されました。聞き間違いかと思ったのですが、やはり度々
「商品」と言われました。

 介護サービスを利用される人のことを「お客様」と表現するのであれば、
介護をサービス業として認識しておられるのだろうと、これは合理的に理解
できます(正しいかどうかはともかくとしてですが・・・)。しかし、人間
が「商品」とはどういうことか、最初のうちはその意味が理解できませんで
した。

 しかし、講義が中盤にさしかかり、話しの全体像が見えはじめてきたとき
に、当方なりにピンときました。これは、養殖業の延長線上で介護事業を捉
えておられるのだと・・・。

 牛や豚、魚などの生き物を養い、付加価値をつけて売ることによって利益
を得る。その場合は、牛や豚、魚はたしかに「商品」です。市場から求めら
れている銘柄を適時適量に供給することや、「商品」としての価値を損なわ
ないよう品質を管理すること、ただし管理費用はコスト意識をもって厳格に
抑えることが、経営管理責任者には求められます。話しは、どうもその延長
線上で語られていました。

 しかし、介護は養殖ではありません。

飼育場で        介護施設で
牛や馬を        介護が必要な人を
飼育し、        介護し、
買ってくれる      報酬を出す
消費者に        保険者に
売って         請求して
利益を得る。      利益を得る。
飼育に         介護に
要する費用は      かける費用は
極力抑え、       極力抑え、
利益率を高める。    利益率を高める。

 これは、悲惨きわまりない講義を聴いてしまった、と正直思いました。

 ただし、講師の方の名誉のために付け加えますが、講師ご自身も述べてお
られたとおり、介護のことはまったくの素人であるとのことで、これは講師
に招いた主催者の側の責任だと個人的には思います。製造業などの生産部門
であれば、ほんとうにためになる良いお話をなさっておられたと思います。

 やっかいなのは、自らを素人と自覚せずに、上のような価値観で指導しよ
うとする人たちの方です。商品を管理するのであれば、確かに画一的に品質
管理の点検をしなければならない、その延長線上に月1回の画一的な訪問と
いう発想が生まれてもおかしくない。しかし、人間は商品ではなく、意思を
持ち、自らのありようを主体的に変えていける存在です。ケアのマネジメン
トは、商品の品質管理としてのマネジメントとは決定的に異なります。人間
とは何か、という根本の理解が問われています。





2009.09.15.

時速30kmの福祉(第80回)


 突然ですが、今回は「監査」についての話題です。

 「監査」という言葉を聞くと、当方などは、それだけで体調が悪くなります。

 監査基準をクリアすること自体は、実はそんなに難しいことではありません。
要するに、ケアマネジメントをやらなければよいのです。ケアマネジメントを
やるから監査基準にひっかかる。しかも、いい仕事をすればするほどどんどん
ひっかかってマイナス評価が増える。

 極端で分かりやすい例を挙げるならば、月末にAさんから「死にたい」と連
絡があったとします。しかし、Aさんのところに行ったら、月1回の訪問が終
わっていないBさんのお宅に訪問することができなくなる。さて、どうするか。

 Bさんは、お身体の状態が安定していて、来月のはじめに訪問を延期しても、
誰も何も困らない。ならば、Bさん宅への訪問をキャンセルして、Aさんへの
相談対応を緊急に行うのが、ケアマネジャーとして当然とるべき行動ではない
かと当方などは思います。

 ところが、そのような選択をした場合、Bさんに対して月1回訪問していな
いという理由でケアマネジャーに対する報酬が30%減らされます。そればか
りか、Aさんへの緊急対応の結果、介護計画を緊急で変更した場合、その変更
に必要な一連の手続(サービス担当者会議の開催や計画書の作成、同意署名を
とることなど)が当月内にできなかったら、それを理由としてさらに30%の
減算となります。減算が連続したら減算率は50%に増え、さらに続けばその
ケアマネジャーが所属している事業所の都道府県指定が取り消されることもあ
ります。

 他方、AさんをほったらかしてBさん宅に月1回の訪問を行い、月が変わっ
てからAさんの相談に応じて介護計画を変更した場合、もっと言えば、対応が
遅れてAさんが自殺してしまったという場合であっても、ケアマネジャーには
満額の報酬が支払われます。

 上は極端で分かりやすい例ですが、ケアマネジメントの評価基準がおしなべ
て官僚主導の文書主義、形式主義で凝り固まっているがために、現場のケアマ
ネジメント実践は急激に形骸化しつつあります。

 当方の周囲で見聞するのは、いかにケアマネジメントをしないか、に苦労す
るという話。へたにケアマネジメントをしようとするとマイナス評価を受け、
精神的に参ってしまうので、自己防衛でせいいっぱいという話です。「ケアマ
ネジャーの数は過剰だ」などと「有識者」や政府筋は言いますが、「ケアマネ
ジメントをするケアマネジャー」は減少の一途です。おそろしいのは、いま自
分のやっていることをケアマネジメントだと誤解しているケアマネジャーが増
えつつあること。本当のケアマネジメントを誰からも教わる機会がない。現場
はいま、どうしようもない閉塞感にさいなまれています。

 監査が栄えてケアマネジメントが滅ぶ。こんなおろかなことをいつまで続け
るのでしょうか。新政権にはこの実態をよくよく精査の上、いい仕事が評価さ
れる仕組みに大転換してほしいと思います。まずは、「ケアマネジメントをす
るケアマネジャー」に直接話をきくところから始めてほしいものです。





2009.08.23.

時速30kmの福祉(第79回)


 今回で、なんと7回連続で要介護認定新基準に関する話題です。本稿でひと
くぎりとします。

 既に新聞やテレビなどで報道されているとおり、7月28日に第3回目の検
証・検討会が開催され、4月から厳しくなった新基準を再度見直し、10月か
ら適用することが決まりました。再見直しの内容は、座った姿勢を保持する能
力の評価時間を1分間からもとの10分間にもどすなど、要所要所で本年3月
以前の判断基準にもどす内容のようです。

 もっとも、これにより、認定結果の方も本年3月以前の水準まで戻るかどう
かは、やってみなければ分かりません。おかしなことが見つかれば、あらため
て改善を求めていく必要があります。

 また、経過措置期間中に不利益を受けた新規申請者や変更申請者への救済に
ついては、いまのところ全く手をつけられていない状態です。ほおっておけば、
そのままうやむやにされてしまう恐れがあります。本年の9月末まで、不利益
を受ける人はさらに増え続けてしまいます。

 さらに言えば、コンピュータによる認定システムがかかえている公共事業的
無駄についても、改善策が見えないままです。

 当方の所属する「ケアマネジメントをみんなで考える会」では、前回にひき
つづき、第3回検証・検討会に会員が傍聴参加いたしました。その結果を踏ま
え、後日会としてあらためて見解をとりまとめ、その内容を公開したいと考え
ています。

 ところで、この4月からの新基準のおかしさについては、今となっては誰も
否定する人がいないほど明白ですが、発表された2月3月当初は、各専門職能
団体も学会も研究者も、正面きって「おかしい」と主張する人は残念ながらほ
とんどいませんでした。

 そんな中で、サービス利用者・家族、市民が、生活者としての良識(コモン
・センス)に照らして異議を申し立て、立場を越えて連帯を自然形成し、この
度の基準再見直しという成果を獲得したことは画期的でした。

 研究者などの中には、このような動きを、「利用者・家族のわがまま」であ
るとか「醜い権利主張」であるかのように吹聴する人もあります。しかし、事
の真相は正反対で、個人的な損得勘定を越えて、「共生社会実現のために、そ
の社会の構成員として自分には何ができるのか、なにをなすのが正しいのか」
を考え、行動する責任を果たした人々の勝利であったと考えるべきでしょう。
この流れは止めてはいけないし、また止まることもないでしょう。





2009.07.20.

時速30kmの福祉(第78回)


 とうとう6回連続で要介護認定新基準に関する話題です。7月13日に新橋
の航空会館7階会議室で「第2回要介護認定の見直しに係る検証・検討会が開
催され、当方の所属する「ケアマネジメントをみんなで考える会」から3名の
会員が傍聴参加しました。

 第1回目の検証・検討会については、「考える会」が「見解」をとりまとめ、
以下のページで公開しています。

  「要介護認定新基準と経過措置について(見解)」

 第2回目の検証・検討会も、第1回目同様に、肝心な事が議論されず、焦点
の定まらない意見表明やすれちがいに終始しました。

 特に、看過できないと思ったのは、学識経験者の発言で、要介護認定の一次
判定プログラムや認定調査員テキスト自体は問題ではなく、認定調査員や審査
会委員が恣意的な判断で本来の判断基準をねじ曲げているのが問題だといった
主張が見られたことです。そういった恣意性が統計調査上のバラツキの原因だ
とか、あるいは調査員の質を高めるための研修プログラムの開発が必要だとか、
検証の核心部分とは関係のないところで発言が連続し、何の結論にも達しない
まま時間終了となってしまいました。

 それにしても、新基準の内容ではなく、認定調査員の研修不足などが問題で
あると主張する場合であっても、まずは内容の問題ではないという証明を行う
べきではないでしょうか。そういった証明は、委員の誰一人として行いません
でした(逆に、内容の問題であるとする委員は数名ありました)。むしろ、新
基準の内容以外の要素を問うのであれば、まず第一に経過措置という手法のも
たらした様々な問題の方を検証すべきであると思います。

 また、法施行後9年経っても認定調査員の力量不足が原因と決めつけ、認定
調査員の裁量の余地を少なくするためとして新基準を作っておきながら、その
新基準でまた不都合が起きたら調査員の力量不足が原因というコメントを繰り
返している事自体、コンピューターで一次判定を行うしくみを維持していくこ
との非合理性、不経済性を証明しているようなものではないでしょうか。

 恣意性の指摘についても、認定調査員の恣意性や審査会委員の恣意性は確か
にあるでしょうけれど、今般の新基準との関わりで言えば、新基準があまりに
も非人道的な切り捨てを行う内容であるがために、認定調査員や審査会委員が
必死で常識的な結論を導き出そうとしたことが、当日資料所収の聞き取り調査
の結果などから明らかです。現場にそこまでの無理を強いる新基準自体を問題
にすべきなのは火を見るよりも明らかです。

 また、恣意性を問うのであれば、一次判定ソフト自体の恣意性が第一に問わ
れなければならないでしょう。ソフト開発は年間2200億円の社会保障費削
減政策が転換される前にスタートし、政策転換後も到達目標が修正されないま
まプログラミングされています。収支を無理矢理合わせれば給付抑制効果を高
めざるを得ず、一次判定はその逆算から導き出された恣意的な基準となるのは
自明のことです。

 いま必要なことは速やかに経過措置を解除することであり、解除のために必
要なことは何かを確定することです。統計の取り直しや研修プログラムの開発
といった時間のかかる事については長期目標として別途議論すべきであり、ご
ちゃまぜにして問題解決を遅らせることがあってはなりません。





2009.06.23.

時速30kmの福祉(第77回)


 6月19日・20日と横浜で日本ケアマネジメント学会が開催され、ケアマ
ネジメントをみんなで考える会からケアマネジメント協働者のつどいについて
口演発表をさせていただきました。発表後の質疑応答で、どのようにすれば地
域で同様の取り組みが広がると思うかとの質問があり、当方からは、「家族の
会など、もともと自発的にピアグループ活動を行っているところがあるので、
そういった取り組みにケアマネジャーや地域包括スタッフなどがボランタリー
に関わるのが一番の早道だと思う」と答えました。

 19日夜には、「考える会」会員と会の活動に興味をお持ちいただける方々
との交流会の機会を得ました。その際にも話題となったのですが、新認定基準
について6月18日付で厚生労働省から新たに「QアンドA」という事務連絡
文書が出されました。というわけで、とうとう5回連続で新認定基準の話題で
す。

 文書によると、「介助の方法」を調査する際、調査対象者に「常時、介助を
提供する者がいない場合」、調査員は不足している介助を想定しながら選択肢
を選び、根拠となる事実などを特記事項に記載せよとの事。他方、「介助が不
足の場合」、調査員は実際の介助の状況に基づいて選択肢を選び、不足したり
していると思う介助を特記事項に記し、要介護認定審査会の二次判定で評価す
るとの事。

 他にもいくつか解釈のポイントが記されていますが、内容が細かければ細か
いほど、そのばかばかしさに情けなくなります。もともとが軽度化で介護保険
から門前払いする「水際作戦」を目的とした今回の新基準。給付抑制というベ
ースは変えないままで論理的につじつまの合わない小手先の「事務連絡」では
ごまかしようがありません。そのごまかしに巨額の調査研究費用を投じるぐら
いなら、何もせずに旧基準にもどした方がよほどましです。

 研究者の中には、新認定基準を修正して残し、介護保険でフォローできない
領域を福祉援護制度の創設でまかなうよう主張する人もあります。ドイツの介
護保険などを念頭においての事と思いますが、日本においてこのタイミングで
それを主張するのは、公的介護保険の保障機能の縮小と民間保険会社の市場拡
大、市場に乗らない貧困層への限定的な差別的福祉措置という新自由主義の亡
霊のような路線への逆戻りに加担することを意味します。また、介護保険の公
共事業的無駄をそのままにして福祉の名のもとに消費税増税を進める政策に加
担することともなるでしょう。

 認定調査員や審査会委員は、日々の現場実務でいかに制度の不備を常識的判
断で修正すべきか悪銭苦闘しており、それはそれで尊いことだと思うのですが、
より大きな視点から制度の不備そのものを正すという力を強めなければ、いつ
までたってもその労は報われないでしょう。





2009.05.22.

時速30kmの福祉(第76回)


 新型インフルエンザの国内感染者数があっという間に300人を越え、マス
クの品切れや政府の対策変更の是非などについて連日報道されています。それ
に押されてちょっと影が薄くなっていますが、今回も4回連続で新要介護認定
基準の話題を採り上げます。

 さる5月13日、「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」が公開政策
討論会を主催、国会に議席を有する与野党六政党の議員の方がそろって登壇し
ました。

 民主党議員の方からは、検証作業が終わるまで新基準を凍結すべきとの意見
が出されました。

 日本共産党議員の方からは、地方財政で700億円もかかる現行のコンピュ
ーター判定を止めて、その分のお金でサービスを使えるようにした方が良いと
の意見が出されました。

 社会民主党議員の方からは、コンピューター判定ではなく、担当のケアマネ
ジャーに任せるべきであり、またそのためにも、ケアマネジャーの独立性を高
めるべきであるとの意見が出されました。

 公党の議員の方々の発言が、少しずつ現場の感覚に近づいてきたことをうれ
しく思う反面で、ここまで来るのになぜ10年もかからなければならなかった
のかという憤りも新たにしました。

 仲間うちの情報では、この4月からの新規申請者に、これまでなら要支援に
はなるであろう人の介護保険非該当が相次いでいる模様。天災であればともか
く、人災は人の手で防げるはず。なぜ何もしないのか。「どのように救うかを
議論する暇があったら、議場の入り口の扉の真下でまさに息絶えようとしてい
るこの人を今すぐ救いなさい」というマザー・テレサの言葉が思い出されます。





2009.04.20.

時速30kmの福祉(第75回)

 これで、3回連続で同じテーマですが、新要介護認定基準について、さらに
動きがありました。

 先日の民主党の大河原議員につづき、今度は日本共産党の小池議員が、4月
2日に厚生労働委員会で質問、「厚生労働省の内部資料から、要介護度を低く
して給付費を抑制する狙いが明白である」と追求しました。13日には、厚生
労働省が内部文書の存在を認めたうえで、「議論のための材料として作成した
資料である」との説明文を公表しました。

 この流れを受けて、14日には、厚生労働省から通知が出され、新認定の検
証結果が明らかとなるまでの経過措置として、新方式の要介護認定によって審
査・判定された要介護度がこれまでと異なる場合は、申請者の希望に応じて従
前の要介護度とする方針が示されました。

 厚生労働省としては、かなり思い切った決断だとは思いますが、残念ながら、
このようなやりかたでは問題がかえってこじれてしまいます。

 まず、今回の取り扱いは既に認定を受けている人が更新する場合に限られる
ため、新規申請の人は新基準のみが適用されます。したがって、同じ時期に認
定を申請しても、新規と更新では別基準が適用されるという不公平が生じてし
まいます。

 また、更新の人についても、手続的にまず新基準で一次判定を受けることと
なるのですが、その結果がどうだったのかを申請者に知らせた上で従前の要介
護度とするのではなく、申請者に知らせない方式(新基準の一次判定が出る前
の段階で申請者に旧基準の適用を希望するかどうかを届け出るよう求める方式)
にしてしまうと、申請者にとっては、一旦新基準でどう判定されたのかが分か
らない、つまり、市民の側からの新基準の検証作業の機会が奪われてしまうこ
ととなります。

 今回の新基準が、もともと給付抑制の動機から作られたものであることは、
もはや隠しようのない事実です。その新基準を作り上げた厚生労働省と委託先
企業群だけで検証作業を行い、基礎となるデーターも十分公表しないというこ
とでは、検証作業自体が無意味なものとなってしまいます。

 ことここに至っては、新基準の一切をひとまず撤回して、旧基準を新規、更
新のいずれの方に対しても適用することが、もっとも合理的な決断であり、ま
た費用対効果の観点からも無駄のない選択であると言えます。次善の策として
厚生労働省が言うような経過措置を行う場合も、市民の側からの検証を妨げる
方式ではなく、申請者に新基準による一次判定結果を公開する方式とすること
が不可欠です。





2009.03.23.

時速30kmの福祉(第74回)

 前回の拙稿で、4月から要介護認定の調査項目や判断基準が変わること、そ
して、その内容にはとても問題があることなどを記しました。

 その後、3月12日に、「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」
(共同代表は、評論家の樋口恵子さん、大学教員の白澤政和さん、認知症の人
と家族の会代表理事の高見国生さんです)が厚生労働大臣に要望書を提出、4
月から実施するには問題が多すぎるとして、一旦「凍結」するよう求めました。
http://www.1000man-wa.net/diarypro/data/upfile/8-1.pdf

 3月15日には、民主党の大河原まさこ議員がこの問題を参議院予算委員会
で採り上げ、予定どおり4月から実施すると現場が大混乱するので、内容を検
証をするよう政府に強く求めました。
http://www.ookawaramasako.com/?p=877

 これらを受けて、3月16日には厚生労働省老健局老人保健課から「介護保
険最新情報」という文書が出され、4月からの実施を凍結はしないものの、そ
の内容を一部変更すると表明されました。
http://www.pref.mie.jp/CHOJUS/HP/kaisei/SVOL/SVOL66.pdf

 厚生労働省が、実際に始める前に、その内容を一部とはいえ変更するという
ことは、それだけ多くの人々、様々な立場の人々から反対の声が上がり、無視
できない広がりを持ったということだと思います。

 もっとも、一部変更の内容ははなはだ不十分(「自立」では日本語としてお
かしいので「介助されていない」に改めるなど)なので、最善の選択は撤回な
いし凍結であることに変わりありません。次善の策を講ずるとすれば、少なく
とも第一四半期までの3ヶ月間の制度運用実態を直ちに検証すべきだと思いま
す。政府による検証を待たず、市民や研究者、現場実践者が協力して検証を急
ぐべきです。当方も、そのような取り組みに参加しようと考えています。





2009.02.22.

時速30kmの福祉(第73回)

 1月27日の午前午後と、富山県主催の要介護認定調査員研修を受けました。
今年の4月1日から調査の項目や判断の基準が変わる予定なので、その内容に
ついて学ぶというものでした。

 ところが、講師のお話や配布されたテキストの内容から見えてきたのは、見
苦しいまでにあらかさまな給付抑制のためのしかけでした。

 たとえば、自分勝手に薬を飲んだり飲まなかったりして医師の処方を守らな
い人の場合は、「服薬自立」と判断しなさいと書かれています。そういう人こ
そ、適切にお薬を飲めるよう服薬の見守りや介助が必要なはずなのに、どうし
て「自立」と書かせるのか。重度の認知症で自分で薬を飲めない人であっても、
たまたま調査の時点で内服薬がなかったらそれも「自立」と判断しなさいと書
かれています。

 「簡単な調理」という調査項目では、「買ってきた惣菜や弁当をそのまま食
べるという食生活をしている場合は できる(介助なし) を選択する」と書
かれています。調理ができないからやむを得ず弁当を買って食べている場合で
も調理行為が「自立」であると判断させる。これでは、言葉の使い方としてあ
まりにも無理があります。

 さらに訳が分からないのは、「米飯、弁当、惣菜、レトルト食品、冷凍食品、
即席めんを日常的に食べない場合には できる(介助なし) を選択する」と
書かれています。それでは、手の込んだ煮込みスープとパンを作ってもらう場
合は、見守りでも一部介助でも全介助でもなく 自立(介助なし) というこ
とになってしまいます。確かに「簡単な」調理ではないけれど、逆に言うと、
要介護者は手の込んだ料理を食べる資格なしと言わんばかりの価値観に見えて
しまいます。実生活上かかっている介護の手間が反映されないように、反映さ
れないように持って行く「要介護認定」は、一体なんのために必要なのでしょ
うか。

 拘縮の項目では、手首や肘、足首に拘縮があっても、「拘縮なし」を選択す
ると書かれています。また、肩と股、膝についても、医師から拘縮の診断を受
けている人であっても、調査員テキストで定められた範囲だけ関節が動けば「拘
縮なし」を選択すると書かれています。さらに、当方の聞き間違いでなければ、
いままでの手指足趾はおろか、手首から先がなくても、足首から先がなくても
「欠損なし」を選択するとされています。日本語の当たり前の意味をなんでこ
こまでねじ曲げなければならないのか。

 麻痺についても、しびれではなく、脳卒中で医学的に明確な麻痺が確認され
ていても、また、それによってふらついたり転んだりするため介助を要する人
であっても、決められた検査動作(膝立臥位で膝下を持ち上げるなど)が検査
時にできれば「麻痺なし」を選択すると書かれています。

 行為の頻度の判断基準も変わりました。改定前の基準では、調査時にできた
かではなく、直近の頻度の多い方にチェックすることとされていました。しか
し、改定後の基準では、できない頻度の方が1対9の割合で多くても、たまた
ま調査時にできたら「できる」を選択すると書かれています。そのようなとき
には「調査時にたまたまできました」と特記事項に書くこととされていますが、
果たしてこのような決めごとに何の意味があるのでしょうか。

 坐位保持能力については、改定前は、背もたれなしで10分座り続けられる
かが判断の基準でしたが、改定後は1分に変更となっています。なんで10分
の1なのか。かつて「10分という判断基準はどこから来たのか」と質問され
たときに、厚生労働省は「膨大な検証データーに基づく客観的・科学的な数値
である」と言っていたはずです。それが、なぜ1分に変わるのか。あまりにも
極端です。

 おかしいのは、調査時の判断基準だけではありません。今回の調査員テキス
トには、「形式的には保険者が被保険者に対する審査判定に関する責任を有す
るものの、実質的には、合議体が説明責任を負っていると考えることもできる」
(テキスト6ページ)など、見方によっては保険者への苦情殺到を見越したか
のような「逃げ」の記述もみられます。

 この新しい認定調査が4月から始まると、5月中旬ごろより五月雨式に新し
い認定結果が出ることになります。そして、かなりの人の認定が極端に軽く出
てしまう恐れがある。認定調査員や審査会委員はいまからその事で頭を悩ませ
ています。また、ケアマネジャーも、認定が極端に軽くなった場合の介護計画
をどう組み直すか、頭を悩ませています。特に、限度単位数いっぱいまで使わ
ないと生活を維持できない人の介護計画は、同時に改定される介護報酬の加算
評価主義に追い打ちをかけられていっそう深刻です。4月は派遣切りにあう人
が大量に出現するタイミングでもあり、介護家族ごととんでもない生活に突き
落とされるかもしれない。果たしてこのまま4月を迎えてもよいのでしょうか。

 当方の偏見と受け止められるかもしれませんが、日本の介護保険の要介護認
定システムは、人権としての介護をすべての必要な人に保障するためではなく、
コンピューター業界と利害を一にする人々のためにあるのではないかと疑って
います。あまりにもソフト開発と維持に対して公金の使い方が大きく、そして
受益者が偏っています。しかも、できあがった仕組みや論理に説得力がまるで
なく、理不尽ですらあります。このシステムを維持しなければならない理由は、
少なくとも納税者や介護保険料納付者、介護サービス利用者と家族の側にはな
にもありません。

 介護報酬改定の内容もさることながら、認定調査とか、認定審査の制度自体
についても、タブー視しないできちんと批判できなければ、この国はどこまで
も墜ちていくように思えてなりません。





2009.01.27.

時速30kmの福祉(第72回)

 1月11日、神奈川県藤沢市で、「ケアマネジメントをみんなで考える会」
の設立総会が開催され、参加しました。この会は、政策提言「わたしたちが
望むケアマネジメントについて〜 おもいとねがい〜」をまとめた仲間が集
まって、常設の組織を作ったものです。

 当初仮決めしていた名称は「ケアマネジメントについて考える会」でした。
しかし、これでは専門職や研究者の集まりのようで、利用者や家族から「自
分たちも参加してよい会なんだ」と思ってもらえないのではないかと心配す
る意見が出され、よくよく話し合った結果、「みんなで」を加えることにな
りました。それと同時に、名称が長くなりすぎないようにということで、
「ケアマネジメントについて」から「ケアマネジメントを」に変更すること
になりました。

 ケアマネジメントをみんなで考える会では、ケアマネジメントの主体であ
る利用者と家族、そしてケアマネジャーと介護サービスの従事者などが対話
を積み重ね、ケアマネジメントをとおして人としての尊厳が大切にされる地
域づくりを目指していきます。富山では、年6回ほどの地域のつどいを開催
する予定です。

 ところで、先日あるケアマネジャーの方から、手書きのお便りが「考える
会」に届きました。インターネット上で偶然わたしたちの政策提言を読まれ、
自分の中に埋もれていた何かに気づかれたそうです。ご自身の地域のお仲間
といっしょに対話の機会を作り、政策提言も議論の素材の一つとして活用し
ていきたいとのことでした。

 おもいとねがいを共有する仲間がひとり、またひとりとつながり、それが
動かないと思っていたヤマを動かす大きな変革に結びついていけば、そんな
にうれしいことはありません。お手紙を受け取ったわたしたちの方も勇気づ
けられました。





2008.12.14.

時速30kmの福祉(第71回)

 今年の10月15日付で、アメリカ大使館のホームページ上に以下の文書が
公開されました。

「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政
府要望書」
http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-regref20081015.pdf
 このアメリカ政府からの要望は、2001年から毎年続いてきたもので、今
年で8回目になります。アメリカの国益やアメリカ企業の利益のために、日本
の内政をコントロールしようとしているのではないかと批判する専門家が少な
くありません。

 ところで、介護保険法の今後を考えるとき、こういった政治的な背景をふま
えた考察が必要であると個人的には考えています。

 日本の介護のしくみをアメリカ型に転換しようとする場合、いくつかやらな
ければならないことがありました。主なものを二つ挙げるならば、一つは福祉
領域の「措置」の廃止、一つは出来高報酬のまるめ化です。措置制度が残って
いては、介護に関する民間の損害保険市場をアメリカのように成立、発展させ
ることがとても困難ですし、出来高報酬を残していては、保険料収入よりも給
付が上回り、損害保険会社が利益を出せなくなる恐れがあります。介護領域で
損害保険市場を成立させ、拡大させて、なおかつ確実に利益を出せるように日
本を改造したいと考える人がいたら、「措置」は廃止、介護報酬はまるめ報酬
化した方がよいのは自明のことです。まさにこの流れに沿って日本の医療・介
護政策が現実に展開されていることを考えると、これは決して空想として一笑
に付してよい問題ではないでしょう。

 もちろん、日本のしくみがアメリカ化したからといって、問題が起きなかっ
たり、むしろ良くなるのであれば目くじらをたてることはありません。しかし、
以前この時速30kmの福祉でご紹介したマイケル・ムーア監督の映画「シッ
コ」を見れば分かるとおり、とんでもない人権侵害が発生する可能性が高いの
です。

 介護領域では、措置が廃止され介護保険法の成立をみましたが、介護保険法
は社会保険であり、保険者は市町村等ですので、それだけでは損害保険市場を
成立させ、拡大させるという目的を達成することはできません。利益率を最大
にするためには、むしろ介護保険の保障範囲や保障水準を切り下げ、必要を満
たせないレベルにした方がいい。そうすれば、介護保険で満たせない部分を民
間の損害保険会社が商品化できるようになるし、公的な保障が弱いほど社会不
安が増し、保険契約者が増え、保険料収入の拡大につながります。介護保険制
度は、措置を廃止してアメリカ型に転換する際の「激変緩和措置」の役割を終
えたら、あとは限りなく骨抜きにしていった方が、一部の人たちにとっては利
益率が高まります。おなじ問題が医療の領域でもあてはまります。

 アメリカでは、民主党クリントン政権下で、国民健康保険制度を新設しよう
と試みたときがありましたが、損害保険会社など大資本と利害を一にする政治
家、理論家の反対にあって失敗した経緯があります。このことは、日本におい
て公的な医療保険や介護保険を一旦骨抜きにされてしまうと、二度と修復する
ことが不可能になることを暗示しています。

 このような政治的な作用をそのままにしていたら、介護保険法はサービス利
用者、介護家族、保険料納付者たる市民が望んでいるように豊かに育っていく
ことなど期待できないことが分かります。逆に言えば、もし介護保険法を自分
たちのもとに取り戻したいならば、このような政治状況を変え、経済システム
の代替えモデルを自らの手で作り出さなければならないということが分かりま
す。

 いま一部の人たちが、あたかも国民にとって良いことであるかのように、し
かも不自然なまでに強く宣伝している「混合介護」や「民間保険の活用」が、
果たして本当に国家国民の最善を願って語られていることなのかどうか、批判
と洞察の力が試されています。





2008.11.25.

時速30kmの福祉(第70回)

 原稿書きで夜更かしをしていたら、NHKでダイナマイト漁の番組がはいり、
ついつい見入ってしまいました。ダイナマイト漁とは、海にダイナマイトを放
りこみ、爆発で魚を気絶させて獲る漁なのだそうです。網を使う漁の10倍の
漁獲が得られるとのこと。フィリピンでは、この漁が法律で禁止されているに
もかかわらず根絶されないため、珊瑚礁が爆破され続けて全体の80%以上が
白化、そこを産卵や避難の場とする魚たちが生きていけなくなり、結果的に地
域全体の漁獲総量が激減の一途をたどっているのだそうです。

 この番組を見て、一事業所、一企業の最善の費用対効果を求める行為が、地
域全体、環境全体にとっていかに好ましくないかを象徴的に示す事例であると
感じました。

 「スモール・イズ・ビューティフル 人間中心の経済学」(講談社学術文庫)
の著者として知られているシューマッハーは、一企業の費用対効果の追求がス
ケールメリットの追求となり、規模拡大の欲望に拍車をかけていくけれど、そ
れが結果的に様々なマイナスをその企業内にも、また企業外の社会と環境にも
もたらしてしまうと警告しています。そして、事業それぞれに見合った適正な
規模を見つけ、規模拡大の欲望を抑えることや、簡素でバランスのとれた美し
さを再発見することの大切さを説いています。この思想は、今日注目されてい
る「ロハス」や「職住近接」などの取り組みにもつながっています。

 ところで、先日東京で開催された社会保障審議会介護給付費分科会に傍聴参
加したのですが、各委員からケアマネジャーの独立を促進すべしという意見が
相次ぎ、驚くとともにうれしく思いました。しかし、ここで言う独立には、ど
うも「規模の拡大」という条件がくっついているようで、「規模が小さいこと
は悪いことだ」という価値観が分科会委員の頭を支配しているらしいというこ
とも分かってきました。

 同分科会の委員になる人は、ほとんど例外なく何らかの全国規模の組織の代
表者の方々です。つまり、大規模組織の長です。そのような事情からか、スケ
ールメリットの追求にはなじみやすいけれども、規模拡大の負の側面へのバラ
ンスのとれた関心に欠ける嫌いがあるのかもしれません。

 いま、独立併設を問わず、多くの小規模事業所のケアマネジャーが日本の現
場を支えています。その社会的効用をきちんと調べないままスケールメリット
を追求すればどのようなことが起きるか、負の側面への健全な警戒が求められ
ます。珊瑚礁同様、爆破してしまった後で反省しているようでは手遅れになり
ます。





2008.10.25.

時速30kmの福祉(第69回)

 このところ、リーマン・ショックという言葉がマスコミをにぎわしています。
「米国発世界恐慌」という言葉も出始めました。

 1929年の世界大恐慌は、当方にとっては歴史の教科書に出てくる史実な
のですが、これを幼少期に人生のひとこまとして体験した人とお会いする機会
がありました。

 その方によれば、子どもごころにも、世の中のなんともいえないどんよりし
た閉塞感が分かったとのことです。そして、その空気の延長線上に先の戦争が
つながっていたと・・・。

 みずからも従軍、戦後は日本の復興が生き残った者の使命と信じて、金融の
世界で中小の企業の経営を支え、高度経済成長に心躍らせ、OA化で電算機が
本格導入されるのを機に老兵は第二の人生に・・・。

 しかし、その後世の中の価値観は大きく変わり、銀行は実業を支えるのでは
なく、金儲けにはしるようになってしまった。そのことを、金融界のOBとし
てとても怒っておられました。バブル経済で日本全体が浮ついていた当時、そ
の方は世界大恐慌前夜の愚かな二の舞を確信していたそうです。世界大恐慌を
体験した者であれば、誰でも破綻の予兆は気づいていたはずだと・・・。

 その方の怒りの源泉は、金融業界のモラルの低下といった皮相的なところに
はなく、人工的に造られていく圧倒的な貧困とそれに苦しめられる人びと、戦
争で悲惨な最期を遂げた戦友たち、それらのともに人生を歩んできた同時代の
人びとへの慚愧の念であることが痛いほど伝わってきました。





2008.09.24.

時速30kmの福祉(第68回)

 9月21日の午後、サンフォルテの2階ホールで、社団法人認知症の人と家
族の会主催の講演会とシンポジウムが開催されました。この企画の目的は、家
族の会がとりまとめた介護保険関連の提言の内容について検討し、その実現に
向けて何をなすべきかを様々な立場の人びとと話し合うというものでした。

 そのシンポジウムに、当方は介護支援専門員の立場から登壇させていただき
ました(当方の当日発表原稿は末尾に掲載したページで公開しています)。そ
の際、おそらく当方の発言に対する反応としてだと思うのですが、フロアから
「介護支援専門員は現在すでにいっしょうけんめい働いている。それなのに、
否定的な評価を受け、責任を果たしていないと言われるのは納得がいかない」
というご発言がありました。

 当方の発言の趣旨は、介護支援専門員個々や職能団体で、自分にとっての損
得に関わること(介護報酬の設定など)については改善のための要望書や提言
をとりまとめる例はあっても、サービス利用者・介護者の権利や利益を代弁
(アドボケート)し、制度に不備があれば正す、足らなければ作るよう行政や
議会に働きかけるという意味での社会的な責任を果たす行動を行っているとこ
ろがほとんど見あたらないので、もっと社会的責任を自覚すべきだ、というも
のでした。

 上の指摘は、すでに多くの研究者や関係者からもなされています。実際、家
族の会ではこれだけ水準の高い提言をまとめ、サービス利用者本人・家族の立
場から社会的責任を果たそうと努力しておられるのに、それと比較して専門職
を名乗る人びとがやらなければならないのにやっていないことの空白が際だっ
て目立ちます。介護支援専門員と職能団体は、このような外部からの批判(専
門性の真贋を問う厳しい批判です)を真摯に受け止め、内向きの自己満足に陥
らないためにも自己批判の目を養う必要があると当方は考えます(「批判」と
いう言葉にアレルギーをもつ専門職も散見されますが、批判はケアマネジメン
トに限らずどのような領域においても専門性を担保する必要条件であり、これ
を否定することは専門性の否定そのものであることを理解すべきです)。

 時間的な制約もあって、フロアの方々の誤解を招く表現となったのであれば
申し訳なく思います。当方自身が現場の最前線に身を置く介護支援専門員です
ので、「介護支援専門員が現在すでにいっしょうけんめい働いている」ことは
当然承知していますし、そのことを否定したわけではないことをご理解いただ
ければと思います。

 なお、シンポジウムの中でもお話しましたが、当方自身の社会的責任の果た
し方として、本当に利用者・家族から、また社会から求められる当事者組織の
設立準備を、問題意識を共有する仲間とともに進めています。


(参考)

・「提言・私たちが期待する介護保険」(家族の会)
http://www.alzheimer.or.jp/jp/oshirase/0711027.htm

・「提言・私たちが期待する介護保険」によせて(塚本原稿)
http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/p-chuchotement20080921.html

・「ケアマネジメントについて考える会」仮設ページ
http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/kangaerukai.html





2008.08.20.

時速30kmの福祉(第67回)

 前回の号で、「ケアマネジメントについて考える会」の活動について触れました。その
後、会の有志で厚生労働大臣宛政策提言をとりまとめ、8月6日厚生労働省に出向き、直
接お届けいたしました。また、同じものを、国会に議席を持つ6政党の担当議員の方々に
直接お届けし、政策立案や実行に際してご配意をいただきたい旨お願いしてまいりました。
そのうち、社会民主党の福島みずほ議員は、ご自身のブログでわたしたちの訪問を紹介し
てくださいました。

 福島みずほのどきどき日記

 このたびの政策提言には、ケアマネジメントについてこれまでにないあたらしい主張が
いくつか含まれています。たとえば、ケアマネジメントはケアマネジャーが行うものとい
う従来の固定観念を見直して、「ケアマネジャーとご本人・ご家族の協働作業として初め
て成立するもの」と位置づけています。また、「自立を支援する」という言葉で「必要な
ケアが奪われる」社会実態があるとし、「必要なケアを満たす」ことが大切だと訴えてい
ます。政策提言は、全文以下のページで公開していますので、興味をお持ちいただける方
はご覧ください。

 政策提言:「わたしたちが望むケアマネジメントについて〜『おもい』と『ねがい』〜」

 ケアマネジメントについて考える会では、これからも日本社会で失われつつある「人と
人とのつながり」を回復し、強化する取り組みを行っていきたいと考えています。





2008.07.22.

時速30kmの福祉(第66回)

 7月16月と17日の2日間、東京で「ケアマネジメントについて考える会」という会
合があり、参加しました。全国各地でどのようなことが起きているのか情報を交換し、問
題解決のためになにができるのか意見を交換しようという企画です。

 話し合っていてあらためて確認したことは、医療や介護の担い手が疲れ果てているとい
うことです。どれだけいっしょうけんめい働いても、国が定めた報酬単価ではやっていけ
ない。まともな給与を支払えないばかりか、事業所の閉鎖に追い込まれている。経済的に
成り立たないというだけではなく、それがわかっていながら改善しようとする動きが見ら
れないことが、社会とのつながりを引き裂かれたような絶望感につながっていました。

 サービスの利用者、家族もまた苦しんでいました。経済的な格差がどんどんひろがり、
一握りの豊かな人にとっては保険料や利用者負担分、自費負担分の支払いは苦にならず、
むしろ「割安感」があるのに対し、格差の底にひろがる多くの人にとっては、必要なこと
を我慢しても支払いきれない負担になっています。医療や介護の次元ではなく、生活その
ものが成り立たない。リハビリの日数制限や入院制限、定額報酬化による医療・介護レベ
ルの事実上の制限などの制度自体の壁と地域間格差が問題に一層拍車をかけます。

 あらゆる意味で、人間にとって必要な「つながり」が分断されていることが浮き彫りに
なりました。そして、「つながり」の回復のために、ケアマネジメントの側面からできる
ことを見つけていこうということになりました。

 目下、7月末までに政策提言をとりまとめて厚生労働省に提出すべく、急いで準備を行
っているところです。





2008.06.25.

時速30kmの福祉(第65回)

 6月23日の夕方、沖縄慰霊の日の式典などの様子が報じられていました。途中、平和
の礎に祈りを捧げる人々の姿も紹介されていました。

 もう、何年も前の出来事を思い出しました。

 ある方が、沖縄で大切な人を亡くされました。平和の礎にその名前があるか確かめたい
けれど、もう身体が不自由で沖縄には行けない。そんなお話を、訪問の折に何度かうかが
っておりました。

 そのお心を、真正面から受け止めた人がいました。当時そのお宅に出入りしていた訪問
介護員の方でした。彼女は、そのお一人の名前を見つけるためだけに自費で沖縄の平和の
礎へ赴き、見事お名前を見つけ、写真に収めて富山に戻ってこられました。その写真を見
て、いえ、それよりも彼女のまっすぐな思いに触れて、その方は涙を流して喜ばれました。

 同じお話をうかがっても、自身が沖縄に出向くことなど思いも及びませんでした。ご本
人の魂だけではなく、沖縄で亡くなられた方の魂までまっすぐに受け止めるお仕事をなさ
った彼女のことを、人間としても専門職としても尊敬します。こんなすばらしい仕事をな
さる方と出会えたことは、当方にとっても幸せなことでした。

 あれから、何度か介護保険制度が見直され、そのたびに介護の仕事もケアマネジャーの
仕事も変わりました。人に向き合うことの懼れ、魂への畏敬、共に生きる覚悟、そういっ
た尊いものがすべて無価値なものと見なされ、生産ライン上のロボットのように決められ
たことをする。そのことに疑問を抱くことすら忘れかけている。

 そんな自分たちの仕事ぶりを反省し、本当に求められている仕事はどんな仕事なのかあ
らためて考えてみようと、有志が定期的に集まって話し合いをするようになりました。3
月に東京、6月に名古屋で話しあいの場を持ち、当方も参加しました。次は7月に再び東
京で集まる予定です。

 自分たちも偽りの仕事はしたくない。感動できる仕事をしたい。そして、その環境を自
分たちの手で築き上げたい。そう願っています。





2008.05.31.

時速30kmの福祉(第64回)

 いっしょに住んでいる家族の顔を見ても名前が思い出せない。その方が、髪を整えると
きはいきつけのあそこで、と言ってゆずらない。

 そのお話をうかがって、いろいろ想像が膨らみました。よほど上手な人がやっていると
ころだったのか、何かお気に入りのものなどがあったのか、あるいは子どもを連れて行っ
て、ついでに自分もといったなつかしい思い出がつまっている場所なのか、などなど・・・。

 そのうち、当方自身の髪の毛が伸びてきて、それこそいきつけの理髪店に足をのばしま
した。子どもの頃からのおつきあい。昔から変わっていない。変わっているのは、ハサミ
を持つ手にしわがのぞくことぐらい。10年ほど前に他界した当方の父の髪の毛のくせが
こんな具合で、切るときはどんなで、といった会話が時間を飛び越えて成立する空間。な
るほど、こういうことか・・・。

 なじみの空間、なじみのもの、なじみの人に囲まれて暮らしていると、ただそれだけで、
それまでの自分の生きてきた歴史が無条件に肯定されているような気分になります。過去
の記憶が遠くへ逃げそうになる人ほど、どんなに心強いことか・・・。

 自分の力を信じて開業し、技を磨き、地域の人々とともに生きてきた歳月が、専門職
(プロフェッショナル)としての揺るぎない矜持を築き上げる。時代が変わり、薄利多売
のチェーン店が林立するようになっても、自分の仕事に妥協もブレもない。そして、集う
人ひとりひとりにとっての「なじみの世界」をさりげなく支え続ける。

 そんな仕事を自分もしてみたいものだと思いながら店をあとにしました。車のミラー越
しに見送ってくださる温かい視線を感じました。





2008.04.23.

時速30kmの福祉(第63回)

 この4月からはじまった後期高齢者医療制度に関し、問い合わせなどが相次いでいます。

 もっとも多いのは、保険料がいくらになるのかといったお問い合せです。行政資料を引
用してお答えするのですが、計算方法が複雑なので、説明する方も間違ったことを言って
いないかとおっかなびっくりです。

 同居家族ではない他人の保険料の引落通知が来たがどういうことか、とのお叱りの電話
連絡も受けました。他市町村に住んでいる人の保険料との事。「それはきっと送り間違い
ですね」とお答えしたところ、「送り間違いですむ問題か!」と一喝されてしまいました。

 確かに、身に覚えのない引落通知などとんでもない話で、「お怒りはごもっともなので
すが、そういった苦情は送り主の市町村か広域連合というところにおっしゃってください」
と連絡先電話番号をお伝えしました。

 当研究所では、インターネット上で、「後期高齢者医療制度で困ったことがあったら情
報をお寄せ下さい」という呼びかけ文を発信しています。もしかしたら、それを見て苦情
受付先と勘違いされたのかもしれません。通知書の「送り間違い」への「怒り間違い」で
当方が叱られる羽目になりました。

 いつの間にこんな制度が出来たんだ、と責められたのがきっかけで2005年11月当
時の「時速30kmの福祉」を読み返してみたところ、ある一級建築士がマンションの耐
震構造計算書を偽造したという事件でニュース番組も国会も連日騒がしくしていた頃に政
府・与党が合意し、事実上確定したと記されていました。

 後期高齢者医療制度も含め、日本の社会保障制度全体の「耐震構造計算」はどうなって
いるのか。今後「揺れ」がますますひどくなっていくなかで、瓦礫と化した制度の下敷き
になってエンドユーザーの国民が苦しむということがあってはならないと思います。





2008.03.18.

時速30kmの福祉(第62回)

 2年前の介護保険法の改正で、ケアマネジャーの所属する居宅介護支援事業所に、特定
事業所集中減算というしくみが導入されました。これは、サービスの利用者にとって最善
の訪問介護事業所や通所介護事業所、レンタル事業所を選ばず、特定の事業所ばかりを紹
介する居宅介護支援事業所はけしからんということで、減点の意味で介護報酬を減算する
しくみです。

 こういったしくみができた背景には、居宅介護支援事業所が同系列のサービスばかりを
紹介したり、特別な利害関係を持っている事業所ばかりを紹介するということが当たり前
のように行われ、介護保険の費用対効果が大きく損なわれてきたのではないかという問題
意識があります。

 その問題意識は正しかったのですが、このしくみが導入されて、果たして問題が解決し
たかというと、残念ながら大いに疑問が残ります。というのは、法改正後、ケアマネジャ
ーの間で、いかにこの基準に反しない範囲で同系列のサービスを組み込むか、毎月計算し
なければならないので大変だ、仕事が増えてしまったという会話が挨拶がわりに交わされ
るようになってしまっているのです。

 特定事業所集中減算は、居宅介護支援事業所に対し、自法人の利益を最優先にするので
はなく、サービス利用者の利益を最優先にしてケアマネジメントを行うという当たり前の
事業者倫理(コンプライアンス)を求めるものでした。しかし、実際には事業者倫理(コ
ンプライアンス)が「法令遵守」にすり替えられ、基準すれすれでも違反しなければ何を
しても良い、という解釈を現場に植え付け、ますます事業者倫理(コンプライアンス)を
地におとしめるという逆説が起きています。

 少し前、「法令遵守が日本を滅ぼす」というタイトルの新書が新潮社から出版されまし
た。思えば、上の例に限らず、日本社会には倫理をおろそかにし、形式的に法令を守って
いるように装って不当な利益を得る風潮がいつの間にか蔓延しているような気がします。

 法令遵守というと、当たり前のことで、それに異議を差し挟むことがなんとなくはばか
られる気持ちになってしまいます。しかし、ナチスドイツ政権下で法令を遵守したらどう
なるかを想像すれば分かるとおり、法令が本当に社会の要請に応えているのか、問題があ
れば法令の方を正すというフィードバックの仕組みが担保されない限り、法令遵守を声高
に叫ぶことへの健全な警戒と批判が必要であることに気づかなければならないと思います。





2008.02.22.

時速30kmの福祉(第61回)

 ある作家の方が、言葉との格闘に疲れ、コッピーという名の小さな観賞魚に癒しを求め
られた。そんな文章が目にとまり、気になっていたコッピー。先日ついに当研究所に迎え
入れました。

 小さなガラス瓶の中を、誰からも強制されず、ただ生きている。言葉も難しい理屈も要
らない世界。人間も生き物のひとつに過ぎないのに、なにやら頭の中でこしらえて、それ
に何十億もの人間が苦しめられている。

 生きるということは、実はもっとシンプルなのではないか。いのちの本当の姿は、宝石
のようにもっと小さくてもっと貴重で、もっと鮮やかなのではないか・・・。と、難しく
考える人間を横目に、コッピーはきらきらと翻ります。

 偶然ですが、時を同じくして、ある方から直筆の絵をいただきました。若い頃に絵を嗜
まれ、しばらく遠ざかっておられたのですが、ご病気をなさってからリハビリを兼ねて再
開されました。

 一見すると、子どもが戯れに描いたようにも見える絵。しかし、じいっと見続けている
と、構図や配色が確かであると分かります。そして、一本一本の線が、いま生まれた直後
であるかのように勢いよく、鮮やかです。余計なものをすべて飛び越えて伝わってくるい
のちの凄み。

 全く別々のところからここにたどり着いたコッピーと額装された絵。うっかり見落とし
て生きてきたとても重要ななにかについて、気づきをうながすために遣わされてきたのか。
また難しく考えそうになる人間をからかうように、コッピーがくるりと向きを変えました。





2008.01.22.

時速30kmの福祉(第60回)

 1月20日のNHKスペシャルで、「認知症 なぜ見過ごされるのか 〜医療体制を問
う〜」というタイトルの番組が放送されました。

 家族の会の高見代表をはじめ、ご本人やご家族も議論に参加しておられました。医療の
質の問題や政策の問題、財政の問題などがテーマとして採り上げられ、有識者や医師、政
策サイドからの意見などがやりとりされていました。

 それぞれの利害がぶつかるなか、高見代表は、「そんな狭い問題か」、という主旨の意
見を差し挟まれました。それぞれの立場で損か得かのかけひきをする議論は狭い。そうで
はなく、現実の社会の中で何が問題になっているのか事実を直視すること、そしてそれぞ
れの立場からどのように問題解決に貢献できるか、自分たちには立場上どのような倫理的
責務があり、何をなすべきか、厳しい自己批判を伴った議論でなければならない。そのよ
うな訴えであったと受け止めました。

 患者と家族が何を体験したのか、その事実から学んでほしいという意見も相次ぎました。
「認知症について学びたいならば、目の前の患者と家族からじっくり話を聞けば良い。2
時間聞けば2時間、3時間聞けば3時間の専門研修を受けたのと同じだ」と。

 あるご家族からは、地域連携に無償で汗を流すケアマネジャーに申し分けない、制度と
してなんとか報いることはできないかという意見も出されました。ひと知れず、よい仕事
をひたむきに行っているケアマネジャーの仲間が目に浮かびました。

 ご本人、ご家族を政策の客体、医療・介護サービスの客体と見るのではなく、ともに政
策を作るパートナー、医療・介護サービスをともにつくり育てる協働者であると気づいて
ほしい。気づく専門職、政策担当者が増えてほしい。ご本人、ご家族の思いがよく伝わっ
た番組でした。

 ところで、文字通り地を這うような訪問診療を通じて早くからともにつくり育てる医療
を実践してこられた方で、杉山孝博さんというお医者さんが、3月2日(日)の「家族の
会」研修講座(「認知症の理解と援助」)の講師として富山にいらっしゃいます。下から
積み上げた実践と理論とはどのようなものか、興味をお持ちいただける方は以下のホーム
ページに情報がありますのでご覧ください。

「家族の会」研修講座(富山会場)

(注)参加には事前申し込みが必要です。





2007.12.20.

時速30kmの福祉(第59回)

 わたくしごとですが、不注意から足にケガをし、その後の養生に失敗してしまいました。
そんなわけで、2週間ほど前から、杖という名のもっとも単純な構造の福祉用具を愛用し
ています。

 棒一本のことですが、あるとないとでは大違い。車の乗り降りにも難儀していたのです
が、これ一本あるおかげでずいぶん楽になりました。歩くときも、体重が杖の方に分散し
てくれるので助かります。この仕事をしていながら、杖一本の本当の効用を実際には分か
っていなかったのだと痛感しました。使う人の身になって考えるという姿勢が足らなかっ
たとおおいに反省させられました。

 他にも気づいたことがあります。杖をついて歩いていると、見知らぬ方々からのさりげ
ない見守り、親切がとてもうれしい。心が温かくなります。自分も急いでいるのにエレベ
ータの順番を譲ってくれる方、レジが混んでいるのに荷物を車まで運んでくれる店員の方、
自分が立って席を譲ろうとしてくれる方、普段も気づかないだけで、同じ人々とすれ違っ
て生きているのだと思うのですが、杖一本あるだけで世界が変わったように感じられます。

 なんだ、日本もまだまだ捨てたものじゃないな

 と思わせてくれる魔法の杖。定期訪問で一人暮らしの方のお宅を訪問したら、後日その
方から安否確認の電話がかかってきました。「その後具合はどうですか?」どちらがケア
マネジャーか分かりません。「そのうち温泉をつつき当てますよ」と返したら、「楽しみ
にして待っていますよ」と。会話もぽかぽかです。





2007.11.20.

時速30kmの福祉(第58回)

 この11月に、社会保険庁から「扶養親族等申告書」と書かれた返信用葉書が送られて
きたけれども書き方が分からない、というご相談が数件よせられました。

 扶養親族等申告書は、老齢年金の額が108万円以上の人(65歳以上の方は158万
円以上の人)に対して、所得税の控除対象となる方の異動を申告いただくために配布され
るものです。

 申告するご本人が「障害者」となった場合や、扶養親族が「障害者」となった場合は、
所得税の障害者控除(障害が重度の場合は特別障害者控除)を受けることができます。申
告しない場合は、控除されないまま源泉徴収されます(後で確定申告を行って修正する事
もできますが、源泉徴収時点ではじめから控除を受けた方がよいと思います)。

 前年度と変わらない場合は「変更なし」にチェックをつけ、受給者氏名欄に記名押印し
て投函してください。変更がある場合は、その下の欄に変更内容を記載して投函してくだ
さい。

 ところで、控除を受けられる「障害者」は、いわゆる障害者手帳を持っている人ばかり
ではありません。たとえば、認知症などで物事の判断能力がなかったり、あってもそれに
よって行動することができないぐらいに進行している場合は、医師の診断書があれば「障
害者」として控除を受ける事ができます。

 また、6か月以上床に就いている人で、排泄など日常の生活に介護を要する場合も、
「障害者」として控除を受けることができます。

 そのほか、お住いの市町村ごとに独自の基準を設けていて、その基準を満たした方を
「障害者控除対象者」と認定する仕組みがあります。介護保険の認定が一定以上であった
り、介護保険の主治医意見書の内容が一定の基準を満たした場合に認めるという市町村が
多いようです。詳細は市町村窓口もしくは当研究所宛お尋ねください。





2007.10.22.

時速30kmの福祉(第57回)

 先日、ようやく富山で上映開始となったマイケル・ムーア監督の映画「シッコ」を観る
ことができました。

 医療制度についてという先入観で見にいったのですが、HMOのケアマネジメントも含
まれていました。アメリカの現状として紹介された事例はどれも深刻なものばかりで、ま
さかここまでとはと驚きました。

 アメリカの無保障(というか医療収奪)との対比としてカナダ、イギリス、フランス、
キューバの医療保障、教育保障、育児休業保障などが紹介されていました。日本への言及
は、当方が見落としていなければ全くなかったと思います。キューバで治療を受けたアメ
リカ国籍の人が医師からケアプランの処方を受けるという場面が印象的でした。

 アメリカの悲惨な現状を次々と観ているときに、これは既に当方自身が日本の現場で見
始めている事だと気づきました。そして、恐ろしいことに、当方自身それに慣れてしまっ
て、異常事態だと思わなくなりつつあった事に気づかされました。慣れというのは本当に
恐ろしい。

 イギリスの紹介場面で、インタビューを受けていた人が、民主主義の大切さを説いてい
たのが心に残りました。民主主義は自然にこの世界に存在するものではなく、人が作らな
ければ生まれず、放置すれば簡単に廃れる。社会保障の問題は民主主義の問題なのだとあ
らためて思い至りました。

 当日は遅い上映時間だったこともあってか、上映開始時に当方を含め観客は3名、エン
ディングタイトルまで残っていたのは当方だけでした。そのエンディングタイトルの中に、
「ドゥ・サムシング」(行動を起こそう)のメッセージが流れているのを見て、先のお二
人は一番大事なところを見逃してしまわれたと残念に思いました。

 映画「シッコ」は、富山県内では、富山市内の「富山シアター大都会」で11月2日ま
で、同じく富山市内の「ファボーレ東宝」で10月26日まで上映される予定です。





2007.09.20.

時速30kmの福祉(第56回)

 先日、スピリチュアルケアの勉強会に招かれ、参加させていただきました。

 スピリチュアルケアとは何か、については、なかなかすっきりとした説明ができません。
「いのちの世話」とか「魂の世話」といった言葉で説明する試みもありますが、しっくり
こないので、そのままカタカナで「スピリチュアルケア」と表記する事が多いようです。

 勉強会では、心理療法やカウンセリングとどう違うのか、ターミナルケアと同じなのか
違うのか、などについての簡単な解説の後、実際にケアの現場で留意すべきことなどを話
し合いました。

 人はどこから来て、どこへ行くのか。いのちとは何か。死ぬとはどういうことなのか。
考えれば考えるほど分からなくなりました。それでも、普段考えることのないこういった
問題は、実はターミナル期の人だけではなく、すべての人がもっとも答えを求めている根
源的な問いであるということだけは分かってきました。

 スピリチュアルケアについては、今年の9月15日に日本スピリチュアルケア学会が設
立されました。今後、スピリチュアルケアワーカーの養成に向けたプログラムが開発され
る予定です。





2007.08.22.

時速30kmの福祉(第55回)

 昨日、介護支援専門員の専門研修課程という研修を受けました。この研修は、現在介護支
援専門員として仕事をしている人向けの現任研修の意味あいがあります。昨年度の法改正で
介護支援専門員証が無期限ではなく有効期間付きになったので、この研修を受けることが更
新のための条件としての意味も持つようになりました。

 富山県高齢福祉課の方からの説明によれば、こういった富山県内の介護支援専門員を対象
とした研修に要する予算は、国からの半額補助も含め本年度だけでもおよそ1,500万円
になるとの事。公のお金をこれだけ使っているのですから、その費用対効果が本当に確かな
ものかどうか、研修を主催する側も受ける側も、謙虚に振り返っていかなければならないと
感じました。

 また、更新に要する研修(専門研修課程II)は、今後5年の更新ごとに1回だけ受けれ
ばよいことになるとの事。これまでは、毎年現任研修を受けてきましたので、今後は任意で
も毎年の研修を継続するのかどうかが気になりました。5年に1度の研修だけでは、介護支
援専門員としての専門性を確保できないと思います。

 当方の所属する富山県地域ケアマネジメント研究会では、専門職としての批判力の涵養
(この点が、これまでの研修で最も欠けているところだと当方自身は考えています)という
テーマについて検討を続けています。予算消化ではなく本当に意味のある研修が必要な回数
確保できる仕組みを作っていかなければならないと思います。

追記:前回の54号を受けて、個人的な戦争体験や間接的なつながりについて思いを言葉に
   してお送りいただいた方々にお礼申しあげます。





2007.07.20.

時速30kmの福祉(第54回)

 当方の母の一番上の兄は、先の戦争に兄弟でただ一人出征し、南方の小さな島で亡くな
りました。当時としてはとても大きな男で、役場の当直室のふすまをたびたび蹴破ってし
まったのだそうです。かざらない実直なひとがらで、信心深く、人を思いやる心がとても
篤かったと、母は生前よく申しておりました。

 ところで、当方が成長するにつれ、その亡くなった大男の伯父に顔かたちから話し方ま
で驚くほどどんどんそっくりになってきた。そんな当方を見て、もしやこの子も早世する
のではないかと要らぬ心配をした時期もあったようです。当時の世情はベトナム戦争のた
だ中。子どもながら戦時下を生きてきた母としては、再び日本が戦禍を被ることにならな
いかと具体的なイメージを抱いて心配していたのでしょう。

 その母の母、当方のおばあちゃんが臨終の床についたとき、なぜか枕の下から当方の幼
いころの写真が出てきたそうです。大勢いる孫のなかでなぜ当方だったのか。当方にとっ
ては長いあいだ謎でした。

 今にして思うのは、おばあちゃんが持っていた写真はきっと亡くなった伯父の子どもの
ころを写したもの、おばあちゃんにとってはそういうものだったのではないかということ
です。長男を結婚させることもなく戦地に送ってしまった悲しみ、異国でどのような生活
を送り、どのように息を引き取ったものか、そのとき何を思っていたものか、戦争が終わ
ってからもずっと心に引きずって生きてきたのでしょう。

 毎年お盆になると、この伯父の墓と対面し、伯父にまつわる様々な人の思いに心を馳せ
ます。戦争が心に残す傷の深さは、今を生きる自分自身の足もとにまで届いていることを
知らされます。





2007.06.26.

時速30kmの福祉(第53回)

 ここ数ヶ月、介護事業で全国展開してきた最大手の企業についての報道が続いています。
事業者の指定申請の書類に嘘の記載をしたり、本当は必要な人員がそろっていないのに書
面上はそろったことにしていたり、介護報酬を不正に請求したりという行為が明らかにな
ったためです。

 このような場合、本来であれば事業者指定を取り消されるべきところなのですが、その
前に事業所の廃止届けを出したということで処分逃れではないかという非難が巻き起こり
ました。その上、系列のグループ企業へそっくり事業譲渡しようとしていたという事で、
反省が見られないではないかとさらに追い打ちをかけるように非難が巻き起こりました。

 気の毒なのは、なんの落ち度もなく働いていた現場スタッフの方々です。不正発覚以降
の企業の対応の醜さもあって、あんなところで提供されていた介護だから質が低いとか、
現場スタッフのレベルが低いとか、十把一絡げに切って捨てるコメントを見聞しますが、
少なくとも当方が仕事上お世話になった現場スタッフの方々は、心のあるよい仕事をなさ
っておられました。中間管理職の方々も、ノルマを課せられて現場との板挟みになり、さ
ぞかしつらい思いをしてこられたのだろうと察せられます。

 この問題は、報道されている一企業だけの問題ではありません。事業譲渡先として複数
の会社法人が名乗りを上げているとの事ですが、引き継がれた先では問題が起きないとい
う保障はなにもありません。実際に、同様の不正を指摘されている会社法人も候補に含ま
れています。また、ノルマを課しているのは大企業だけではありません。競争原理に巻き
込まれた非営利法人の中には、「生き残り」のため企業顔負けのノルマを設定していると
ころも珍しくありません。たまたま悪どい企業が例外的に存在していたのだとか、非営利
法人であればこんなことは起きなかったのだといった矮小化された見方からは、何の問題
解決も導き出せないでしょう。

 紙幅の都合で詳細は申せませんが、根本的には介護報酬の設定があまりにも低すぎると
いう問題を解決しなければなりません。営利企業どころか非営利法人も事業継続が難しい
水準であり、働く人もまっとうに働いて年収200万円未満であっても珍しくないという
環境では明らかに無理があります。介護業界からの人材流出は個々の企業努力で解決でき
る次元を超えています。構造的に無理を強いる制度そのものが不正の温床であると考える
ならば、もっとも責めを負うべきは政策サイドです。

 また、利用者の最善の利益と事業者の最善の利益が矛盾対立する場合にどちらの側に立
つのか、という倫理的二律背反(ethical dilemma)に対して、日本の介護保険システム
は何の対策も講じてきませんでした。当方は、ケアマネジャーを第三者機関から選ぶよう
段階的に法義務化すべきであるとする政策提言を行ってきた者ですが、これが実行に移さ
れるだけでも事業者本意のノルマ設定が物理的に不可能となり、介護報酬の不正請求など
の利益相反行為はほぼ根絶できるはずです。第三者機関主義の段階的法義務化は、極端に
言えば一銭もお金をかけずに実行できる政策です。政府が、ただ「ケアマネジャーは第三
者機関から選びましょう」と利用者・家族に呼びかけ、事業者にもそのように指導するだ
けでよいのです。なぜその程度のこともできないのか不思議でなりません。





2007.05.21.

時速30kmの福祉(第52回)

 先日ある患者さんの病状説明に立ち会った際、担当医師が語った印象的な言葉。

「クリティカルパスは医療費削減が目的。リハビリをしっかりやってから退院させたいと
いう気持ちは分かるが、国の制度ではそう考えていない。アメリカでは患者は近隣のホテ
ルに泊まって通院している。そのまま入院するよりもホテルの方が安いからだ。こういう
実態を厚生労働省は分かっていない。」

 遠回しではあるけれど、要するに必要なリハビリは退院後にどこかでやってほしいとい
うこと。

 この担当医師の説明は、まだ人間味がありました。このところ医療関係者や福祉関係者
の間で、官僚主義的なというか、ロボットのような冷血な言動を見聞する事が多くなり、
背筋が寒くなる思いです。それが当たり前のようになって、見聞するのにも慣れていく自
分が見えてまた怖くなる。

 人を相手にする専門職であれば、ロボットでもできるような対応でおわってほしくない。
少なくとも、心を受けとめて共に苦しむ覚悟(コンパッション)がほしい。

 当方は現場に入ってかれこれ16年強になりますが、この間に医療と福祉とを問わず対
人援助の専門職の仕事として感動したのは、その人の人間が垣間見える仕事ばかりでした。
どんなに水を漏らさないような仕事でも、人間が見えない仕事には感動しなかった。結果
的には必ずしもうまくいかなかった仕事でも、誠実に悩み抜いた姿には感動した。

 専門性、ということを考えるとき、その仕事を社会的使命達成のために人生をかけてや
り遂げようとしている人でなければたどり着けないところのものが不可欠の要素ではない
かと思えてなりません。
 その大切なものを持っている人には、たとえ今の仕事が拙いものであっても、いつか磨
けば玉になるだろうと思わせる何かがあります。自分の持っているものを伝えたいという
気持ちにさせる何かがある。

 当方自身の事を言うと、上の意味での専門性を持った人、本当の仕事を知っている人か
ら「いい仕事をしている」と評価されるととても幸福な気持ちになりますし、もっと磨き
をかけようという動機が強まります。逆に「こんな仕事ではだめだ」と言われても、確か
にそうだ、これでは申し訳ないと素直に反省できますし、それを糧に向上しようという意
欲に結びつきます。仕事を分かっていない人からいくら褒められてもうれしくないし、け
なされても悔しくない。

 良い仕事をする人の後ろ姿というか、言動に間近に接して次世代が育っていくのではな
いだろうか。だとすれば、良い仕事をする人が淘汰される環境下で、専門性は次世代にう
まく引き継がれていくのだろうか。なんだか感動も反省もない乾ききった環境の中で、良
くないものが次世代に引き継がれ、拡大しつつあるのではないかと心配でなりません。

 こんなことを考えるようになったのは、歳をとった証拠でしょうか・・・。
                                く(ー_ー;)





2007.04.25.

時速30kmの福祉(第51回)

 冬のとある日、午後6時の相談面接を午後7時頃に終え、ちょっとはなれたところに停
めていた車まで徒歩で戻る途中、幹線道路脇の畑になにやら動く影が・・・。

 よく見ると、野良着を着た小柄な女性でした。あたりは真っ暗で星が出ている。普通な
ら農作業をあきらめて家で休んでいる時間帯です。認知症? と最初は思ったのですが、
どうもそうではなく、幹線道路沿いのパチンコ屋などから漏れてくる光をたよりに農作業
を行っておられるようでした。

 たぶん、この幹線道路ができる前は、沿線のパチンコ屋もスーパーも看板もなにもなく、
ただ田んぼと畑がひろがっていただけの土地だったのでしょう。たとえ広い道が出来ても、
沿線に暴力的な光と音があふれるようになっても、この人は昔ながらの農作業を続けてき
た。そればかりか、逆境のようにもみえる環境の変化を逆に利用してこれまでの蓄積を強
化する発想を持っていた。

 その姿を見て、ちょっとした感動を覚えました。地を這う民草の力強さというか・・・。

 在宅介護支援センターを作って壊し、今度は地域包括支援センターを作った。これはあ
る意味で幹線道路を敷いてパチンコ屋を並べるような地域づくり。でも本当の地域づくり
は昔からすでに行われてきたもの。はやり廃りでパチンコ屋がなくなったり道路がなくな
ったりしても変わらず続けられていくであろう生活の営みの中にほんとうの地域づくりが
ある。その象徴的な姿のように感じました。

 先日、丁度同じ時刻に畑の前を通りました。日が長くなってあたりは明るく、草一本も
ない見事に手入れされた畑が眼前にひろがっていました。








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