2009年7月12日

 

 

 

要介護認定新基準と経過措置について(見解)

 

 

 

ケアマネジメントをみんなで考える会

 

 

 

※本書では、本年4月13日に開催された「第1回要介護認定の見直しに係る検証・検討会」を「第1回検証・検討会」と略して表記します。また、同6月24日に開催された「第64回社会保障審議会介護給付費分科会」を「第64回介護給付費分科会」と略して表記します。

 

 

(目次)

1 第1回検証・検討会と第64回介護給付費分科会を「検証」する

2 体験としての要介護認定新基準と経過措置を「検証」する

3 改善に向けて

 

 

 

1 第1回検証・検討会と第64回介護給付費分科会を「検証」する

 

(1)   議事進行は公正であったか

 

 まず、両会の議事進行について、わたしたちは失望しています。諮問機関とは、行政が組織内の狭い知見で誤った方向に進まないよう、ひろく国民各層の知恵を集め、方向を修正する役目を担う組織でありましょう。それが、厚生行政を追認し、正当化するためだけに機能するようでは、存在意義自体を疑われます。両会の議事進行に共通することですが、国民、利用者の感覚とは大きくかけはなれたところへその身を置いているように思えてなりません。さながら、要介護認定新基準のたたずまいそのものです。

 

第1回検証・検討会では、その名のとおり、要介護認定新基準の内容や手続などについて当否を議論しなければならないはずなのに、公開された議事録によれば、そもそもそんなことを議論する価値はないかのような発言が次々に導き出され、中心議題がケアマネジメントの当否にすり替えられていることが分かります。これでは、なんのための検証・検討会か分かりません。

 

 また、第64回介護給付費分科会にいたっては、国民の声を具体的に事例を挙げて届けようとする委員の発言に対し、これを論理的な根拠も示さず一方的に「感情論」と決めつけて発言を遮る行為まで見られました。これは、民主主義のルールに照らして明らかにアンフェアです。なかんずく、発言の封殺(スピーチロック)の発生をむしろ牽制し、論理的な反証をもって冷静に応える姿勢を示すことが期待されている学識経験者によってこれが行われてしまったのはとても残念なことでした。

 

 社会実態を明らかにする方法は、なにも統計的手法ばかりではありません。むしろ、それだけでは数の操作の中に真実が埋もれてしまいます。その真実を発見するためにも、個別事例ごとのきめ細かな把握(ケーススタディ)を行う努力が必要です。たとえたった一例であっても、深い洞察があれば社会実態を正しく映し出すことができます。淑徳大学の結城准教授は、第2回検証・検討会に先立って、独自に行った調査結果を公開しておられますが、報道等からわたしたちにも入手できる同調査のケーススタディ部分を読む限り、利用者・家族の立場をはじめ、要介護認定新基準の事務に携わってきた認定調査員、審査会委員、行政担当者など、あらゆる現場関係者の目から見て、「まったくそのとおりだ」と心情的にうなずける内容です。第2回検証・検討会では、ケーススタディを無価値なものとして切り捨て、議論を封殺するかのような議事進行があってはなりません。

 

(2)   経過措置の評価は誰が行うのか

 

 ところで、第64回介護給付費分科会では、「経過措置」の手法が今後の制度や基準改定時の「ひとつのモデル」となるかのような見解が座長から示されていますが、これもわたしたちをひどく失望させるものでした。

 

今般の経過措置は、実施直前まで重要な情報を隠す「だましうち」のごとき手法さえとられなければ、そもそも不要な措置でした。真っ先に反省すべきこの点について、第64回介護給付費分科会では論点とすら認識されていません。なぜこの点を議論しないのでしょうか、また議論しないままで座長が一方的に肯定的な断定をなぜ行えるのでしょうか。座長とは、適切に論点を整理し、出席者から意見を集め、とりまとめるのが本来の務めではないでしょうか。

 

 今般の経過措置では、結城准教授の調査からも明らかなとおり、サービス利用者・家族、認定調査員、審査会委員、行政担当者、そして認定結果に基づき居宅サービス計画原案を作成する介護支援専門員などあらゆる関係者がそれぞれに大迷惑を被っています(具体的な内容は本稿でも後述します)。何よりも、サービス利用者が二重の基準(ダブル・スタンダード)を適用され、同じ状態の人に異なる認定が下りる不公正な取り扱いを受け、特に新規の申請者には非該当として切り捨てられる者が続出しています。たとえ検証手続が終了し、非該当として切り捨てられる者が減ったとしても、既に非該当と認定された者に対する失った利益分の補償や救済はどうするのか。この問題は非該当者だけにとどまらず、検証の結果修正された基準との差が生じるすべての者について発生する問題です。

 

 現実の社会の中で生きている生身の人間を被験者とする人体実験のような手法は、これを「前例」として踏襲してよいはずがありません。検証・検討会や介護給付費分科会は、その事を確認し、猛省するためにこそあるのではないでしょうか。今後5年に1度の法改正、3年に1度の基準改定時に同様の手法を踏襲され、官僚主導の強行が正当化されていく事を防げないのであれば、また国民による自主的な検証の精度と比較して著しくかけ離れた結果しか出せないのであれば、両会の人選も含め、そのあり方が国民の目から厳しく批判されることを覚悟しなければならないでしょう。

 

 

2 体験としての要介護認定新基準と経過措置を「検証」する

 

 当会会員が体験し、また見聞した要介護認定新基準と経過措置の実態は以下のとおりです。結城准教授が調査された結果と多くの点で符合します。

 

(1)   利用者が体験した新基準と経過措置

 

 ・新規申請者の場合、旧基準であれば要支援にはなるはずの者が次々と非該当とされ、サービスを受けることができず困っている。

 ・要介護2だったものが、新基準の一次判定で要支援1とされたことを知り驚いた。経過措置で要介護2のままだが、経過措置が終わったらどうなるのか心配。

 ・市町村によっては、経過措置適用者の一次判定結果の情報開示を求めても認められない。自分自身の情報なのになぜ開示されないのか不当に思う。

 ・更新申請書作成時に介護支援専門員から経過措置について説明を受けたが、何度聞いてもよく理解できなかった。希望調書のどこにチェックしたらどうなるのか分からない。

 ・調書であらかじめ認定が決まるのなら、認定調査や意見書作成、審査会開催が無駄になるのではないか。お金の無駄遣いではないかと感じた。

 ・不自然に短期有効期間の認定が下りたので、経過措置が切れたら次の認定で恐ろしく軽く出るのではないかと今から心配している。

 

(2)   介護家族が体験した新基準と経過措置

 

 ・介護家族として制度のあり方に関心を持ち、動向を見守ってきたが、重要な情報を施行直前まで国民に隠し、だまし打ちに近い手法がとられたと思う。このような手法がとられなければ、今般の大混乱は起きなかったはず。

 ・「自立」とか「介護されていない」という言葉の使い方が非常識。

 ・認定調査員の質問の仕方が、認定軽度化を狙っているように思えてならない。

 ・希望調書の選択肢の説明を3度聞き直したけれど、結局よく分からなかった。

 

(3)認定調査員が体験した新基準と経過措置

 

 ・旧基準に慣れているせいもあるかもしれないが、新基準の判断根拠に合理性が感じられない。

 ・新基準より旧基準の方がよいという意見も聞くが、どちらも良くないと思う。困っている人が本当に助かるような判断基準に変えないとダメ。

 ・どんどん調査依頼が押し寄せてくるので、ただただ数をこなしていくしかない。立ち止まることが許されない。

 ・「認定調査員の特記事項記述で認定が変わる」などとプレッシャーをかけられるが、特記事項にどう書けばよいのかとまどう。清書して仕上げるまでの時間が2、3時間余計にかかるようになった。自分もボロボロだが制度もボロボロだと思う。認定調査員による偏りをなくす目的で変えた基準で、かえって認定調査員の書きようにかかっているなどと説明されるわけだから、めちゃくちゃだと思う。

 ・1回の調査にかかる時間が増えた。

 ・特記事項が4枚5枚と多くなっている。

・特記事項についてはコンピューターソフトの都合で字数制限のある自治体もあり、書きたくても反映しきれない。

 ・新基準になってから、提出した調査票の書き直しを命じられることが多くなった。1つの事例で3回書き直したこともあった。軽くなるように書き直させられていると感じたが、結果は要介護で重く出た。なんでそうなったのかよく分からない。

・自分が経験した限りでは、他で聞くような調査票の書き直しを命じられたことはない。そのことがちょっと不思議なようにも感じている。

 

(4)審査会委員が体験した新基準と経過措置

 

 ・これまでの相場というか、妥当な線だと思う結果とは明らかに異なる一次判定が出る。これをどう常識的なところに修正するか、1事例で30分近く検討したものもあるが、変更の根拠をついに見いだせなかった。非該当の場合は目も当てられない。いやな消耗を体験している。

 ・新規の申請者は低めに出てしまう一方で、更新の申請者は、旧基準でも要介護から要支援に改善していると判断されるような人が、たまたま経過措置の調書で要介護のしかも重いままとなるなどとても不公平に感じる。こんな審査を続けていたら審査会委員としてのモチベーションが下がる。

・経過措置で結論が出ているのになぜ審査会を開催するのかという疑問が残る。無駄ではないか。

 

(5)行政担当者が体験した新基準と経過措置

 

 ・新基準のさみだれ式の修正や経過措置への対応など、このどたばたで残業続き。家には寝に帰るだけ。精神的にも体力的にも限界に近い。経過措置がいつまでかも示されておらず混乱を極めている。

 ・ある市では、経過措置が適用される更新申請者の一次判定結果を非公開と決め、議会の承認も得た。その理由は、公開することによって制度の円滑な運用が妨げられる恐れがあると判断したからだ。また、現実問題として、いまさら既に認定が下りている人ひとりひとりについて一次判定結果を通知するような新たな事務負担には耐えられないし、情報を得て苦情件数が増えればまたその対応に追われるはめになる。

・本音を言えば、経過措置はどんなに長くても総選挙までだろうから、それまでの間の辛抱だと思っている。

・経過措置でどう考えても実態とずれがある判定結果が出て困る場合は、認定有効期間を短くして対応している。経過措置がなければ通常の有効期間で済んだわけで、結果的に審査会の開催頻度が多くなり、その分のコストも増えてくる。表だっては言えないが正直無駄なことをしていると思う。

・ある市では、一次判定とのずれがあっても短期有効期間にすることはない。

 ・審査会委員からの突き上げに閉口している。市町村のせいではないのに。

 ・市町村のせいではないのに、窓口や説明会の場で責められることが大きなストレスになっている。

 

(6)介護支援専門員が体験した新基準と経過措置

 

 ・新基準で非該当となったり、経過措置が分かりにくかったりというトラブルに最前線で直面している。本来は保険者が説明責任を果たすべきだと思うが、そこが不十分で、結果的に介護支援専門員にしわ寄せがきている。行政はもっと説明責任を果たしてほしい。

 ・認定結果の予測が立たなかったり、短期間で認定が安定せず、居宅サービス計画の作成に支障が出る。

 ・短期有効期間に振り回される。

 ・認定が軽く出ると、同時に改定された介護報酬の加算主義の影響も加わり、限度単位数いっぱいまで利用する必要のある人が超過負担にさらされてしまう。サービスを削るにも限界があり、プランづくりがつらい。

 

 

3 改善に向けて

 

(1)   要介護認定新基準凍結が正しい判断だったと認めるところから出発すべき

 

 経過措置という手法は、上に見たように様々な弊害を新たに引き起こしましたし、そうなる前に新基準を凍結することはいくらでも可能でした。にもかかわらず凍結という選択をとらず、混乱を拡大させてしまったことの誤りをまず認めなければなりません。その反省に立たない限り、改善に向けたいかなる取り組みも失敗に終わるでしょう。

 

(2)短期的にはコンピューターソフトを旧基準にもどすべき

 

新認定基準は誰のためにもなりません。短期的には認定基準をひとまず旧基準にもどすのが最も費用対効果の観点から望ましいのではないでしょうか。コンピューターソフトを新基準から旧基準に戻すためには、なるほど一定の費用がかかります。しかし、それは、原理的にはダウンバージョンであって、過去3年間の運用で安全性が実証されている分リスクも少なく、コンピューター関連企業の言い値ではなく、客観的な評価基準で査定すれば法外な金額にはならないはずです。

 

他方、新基準のコンピュータソフトをそのまま変えずに使い、調査時の判断基準などを一部修正するに止めた方が費用対効果の観点から優れているとする主張を見聞しますが、現時点ですでに調査員テキストの改訂、その後のさらなる修正とさみだれ式に変更が重なり、その対応に莫大な費用がかかっています。また、検証・検討会議の開催費用や検証のための調査研究費用も法外な単位でかかっています。これらの費用は、あっさり旧基準にもどせば発生しなかった新たな費用負担です。さらに言えば、本来コンピューターソフトと調査時の判断基準、審査会の判断基準は一体のものとして設計されているはずであり、便宜的に今だけ分断しても、後日必ず新基準のコンピューターソフト自体を修正せざるを得なくなるはずです。そこにまた莫大な費用をつぎ込むことになるのは明らかでしょう。そうまでして新基準を守ることが、本当に旧基準に戻すよりも費用対効果の観点から優れていると言えるのか、冷静に考えれば自明のことではないでしょうか。

 

 これに加え、新基準を守るということは、経過措置を設けるということと同義だったわけですが、その経過措置によって二重の基準が適用され、不当な扱いを受けた人々が新たに発生しています。この問題は、「損か得か」という判断基準よりもより高次の「公正かどうか」の判断基準によって判断されなければならない問題です。より踏み込んで言えば、制度が公正でありつづけるためのコストとして、不当な扱いを受けた人に対する逸失利益の補償や人権の回復に責任を負うことまできちんと視野に入れたならば、新基準を守り続けるために「本当に」必要なコストは更に増大すると言えましょう。

 

(3)長期的にはコンピューターソフトに頼らない代替基準を確立すべき

 

短期的には旧基準に戻すとしても、それは次善の策でしかありません。長期的には、コンピューター判定を前提とするこれまでの要介護認定手続を根本から見直し、国民にとって分かりやすく、公共事業的無駄を徹底的に無くした代替基準を確立すべきです。その際には、施設ベースではなく、地域で生活する人のニーズに即したものに改めるべきでしょう。コンピューターソフトの公共事業的無駄については、さる5月13日の「介護保険を持続・発展させる1000万人の輪」の公開政策討論会会場で、国会に議席を有する政党の議員が軒並み言及し、その代替基準を確立する必要があるとの見解を表明しているところです。また、大学研究者の中にも、近時これに同調する発言が出始めているところです。

 

 会社経営の視点で言えば、たとえ長年にわたり多額の資金を投入した事業であっても、将来にわたり損失以外の何物も生み出さないことが明らかである場合は、未練なく直ちに事業を中止するのが最も賢明な判断であるとされます。国家の経営も同様ではないでしょうか。誤りを改めるのに遅いということはありません。

 

(4)検証・検討会や介護給付費分科会は、国民とともに歩むべき

 

検証・検討会や介護給付費分科会の議事進行には、強権的な誘導と受け止められないような配慮が求められます。国民各層の代弁者である委員の自由闊達な議論が促進される議事進行となることが望まれます。また、介護給付費分科会では、委員の条件として年齢制限が新設されたようですが、高齢者の制度のあり方を検討する分科会で高齢者の参加を排除するなどもってのほかです。年齢による不合理な差別は直ちに撤廃すべきです。そして、可能な限り多様な立場から、当事者として議事に参加できる仕組みに改めていくべきです。

 

わたしたちは、ケアマネジメントに関わっているあらゆる人が共通に思うこと、願うことを、政策提言「わたしたちが望むケアマネジメントについて〜『おもい』と『ねがい』〜」(同文書はわたしたちの会の仮設ホームページで公開しています)としてとりまとめ、同じおもいとねがいを共有できる人々とのつながりを大切に築き上げてきました。ケアを必要とする人にとって生きづらいしくみがあるならば、そのしくみの方を、ともに生きるみんなが力を合わせて変えればよい。そのシンプルなメッセージを、今後も発信し続けます。