「時速30kmの福祉(104)〜(150)」




 富山総合福祉研究所の塚本が、ケアマネジャーとして原動機付自転車で地域を回ってい
る中で見聞した事などをまとめ、月1回のペースで配信しています。





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 時速30kmの福祉(251)〜





2014.06.15.

時速30kmの福祉(第150回)

 6月10日参議院厚生労働委員会で介護保険法改正を含む法案の審議がありまし
た。その内容は、以下のサイトから視聴することができます。

 参議院インターネット審議中継
 http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/index.php

 午後からの参考人意見陳述と質疑で社団法人認知症の人と家族の会の勝田登
志子副代表が15分という厳しい時間制約の中で法案の問題点を簡潔明瞭に説明
されました。サービスの利用者や介護家族にとって何が問題なのかよく分かり
ますので、その部分だけでも一見の価値があります。

 その一方で、他の参考人の方から「介護を受けて生きていきたいと思ってい
る人間は一人もいない」という趣旨の発言があり、「ああ、またか」と、とて
も悲しくなりました。

 この言葉は、国が介護予防施策を開始した当初から、その正当性を説明する
際に開口一番言い放ってきた言葉です。詐欺商法でよく用いられる手口で、
「あなたは介護を受け続けて生きていたいですか? 違いますよね?」と問い
かけて、相手に「イエス」と答えさせる。人間は、一旦自分でイエスと答えた
ことを後でなかなか疑えなくなる。そういう心理傾向を利用したものです。

 冷静に考えれば分かることですが、世の中には介護を受け続けなければ生き
ていけない人は山ほどいます。歳をとってからではなく、生まれてすぐ必要と
なる人もいます。そのような人たちの目の前で、「介護を受けて生きていきた
いと思っている人間は一人もいない」と言えるでしょうか? 言えば、それは、
その人たちに人間としての価値がないと言っているのと同じことになります。

「必要なケアが奪われた状態で生きていきたいと思っている人間は一人もいない」

 「介護を受けて生きていきたくない」と思っている人というのは、逆に言え
ば、必要なケアが奪われた状態への恐怖を表明している人です。心配なのは、
このような「介護予防詐欺」にひっかかってマインドコントロールを受けてい
る人が要介護状態になったとき、己の内に育てた障害者差別意識に自身が傷つ
けられてしまうことです。

 今後、介護予防施策の成果を数値目標への到達度で評価し、金銭で賞罰をつ
ける方向で市町村への締め付けが強まればどうなるか?統計上の数字の辻褄合
わせだけのために、生活保護の水際作戦のように要介護認定申請書を渡さない
という違法行為を招いたり、認定調査をさじ加減で厳しくしたりという保険者
裁量の濫用を招く恐れがあります。どちらを向いて仕事をするのか、とりわけ
地域包括支援センターの現場倫理がいよいよ試されます。





2014.05.14.

時速30kmの福祉(第149回)

 漫画雑誌に連載されている「美味しんぼ」という作品の内容が、このところ
騒動となっています。漫画の登場人物が、「福島で鼻血が出たり倦怠感の症状
が出ているけれど、それを表に出して言えない空気がある」という趣旨の話を
語っていることや、「福島で広域除染は不可能だと思う」と語っていることが、
風評被害を助長するとして問題視されているためです。その一方で、逆に作品
を支持したり、擁護したりする意見表明の動きも出始めています。

 事情のよく分からない者が推測でものを言ってはいけないのかもしれません
が、作者は、表現の自由の問題と原発被害の問題の2つの点で、譲れないもの
があったのだと想像します。

 最初の表現の自由の問題については、「はだしのゲン」の書架はずしや「風
立ちぬ」の喫煙シーン非難などの一連の出来事の延長線上で、権力的に作品内
容に干渉してくる動きに対して表現者の立場から抗議の意思を示す必要を感じ
たのではないかと推測します。

 もうひとつの原発被害の問題については、力でもみ消そうとされている声な
き声に形を与えたいと望まれたのではないかと推測します。

 この度騒動となったのは原発についてですが、原発に限らず、国家が推し進
めたい政策に反する言論を、力によって封殺しようとする動きが強まっている
ように感じます。

 STAP細胞の騒動についても、国家が多額のお金を投じている最先端科学
分野の不祥事をもみ消したい、騒ぎを早期に鎮めたいという意思が働き、メディ
アを抑制的にさせているように感じます。

 ケアマネジメントの領域で言えば、これも国家が多額のお金を投じている要
介護認定システムへの批判はタブーとなっています。これから海外にシステム
を売り込もうとするときにケチをつけるのは日本の国益を損なう悪い行為だと
言わんばかり。当方から見れば、欠陥だらけのシステムを買いたいと思う国は
たぶん現れないだろうし、間違って買ってしまったらその国の国民がひどい目
にあうので、そうならないように発言する人が日本国内にいたという事実が、
日本の健全さをかろうじて示す「救い」になるんじゃないかと思います。

 「介護予防」や「地域包括ケア」もワンセットで売り込みを図られている
「商品」ですが、その言葉の詐欺性について国内でまともに批判を試みる人は、
現時点で既にほとんどいません。今後、「国家が望む正しさ」へと国民をから
めとっていく戦略過程が、「言葉でだます段階」から「言葉を奪う段階」に進
んだとき、今までとは比較にならない閉塞空間が生まれてしまうでしょう。

 そんな折も折、NHKのお笑い番組を低俗だと批判した国会議員の発言に
対抗し、それをそのまま笑いのネタにして番組を作ったコメディアンの話題
に接しました。江戸の黄表紙文化を彷彿させる小気味の良さを感じました。





2014.04.12.

時速30kmの福祉(第148回)

 いろいろ、いろいろ、やらなければならない仕事が山積しているのですが、
一切合切目をつぶって、今日は一日畑仕事。

 まずは草むしり。ひょっこりと出てきたばかりの、色も若々しい草たちを、
無慈悲にも残らず摘み取っていきます。草たちには何の罪も非もありません。
全部人間の損得に任せた行い。農作業の度に人間存在の罪深さを思い知らされ
ます。

 しかし、草をつまんですっと抜き取るとき、その拍子にぱらぱら、ぱらぱらっ
と小さな種がこぼれ落ちていくのにも気づきます。自分のいのちを奪う人間の
力までも無駄にせず、自分の子どもたちをもっと遠くにと送り出します。これ
は、いかなる仕組みなのか・・・。誰の手によるものなのか・・・。

 草たちのいのちの有り様から、天然自然のいのちの大きな循環を知らされま
す。人間たちがこだわり、悩み、ときに命をおとしている小さな小さな正義の
愚かさに気づかされます。そして、弱くてはかない存在であっても、そのよう
な存在として生きるということの意味と尊さを教わります。

 さらに、無慈悲な手は草むしりを続けます。植えっぱなしのいちごの苗のス
ペースにさしかかったときのこと、草といっしょに、豆粒ほどもない小さなか
たつむりたちが飛び出してきました。親のかたつむりが、ここなら食べるもの
に困らないと考えたのでしょうか・・・。しばらくじいっと見ていたら、かす
かに動くのがわかりました。

 君たちの気持ちは分かる。でも、いちごの実を手当たり次第に食べられちゃ
うと、こちらも困る。と、いうわけで、かたつむりのあかちゃん諸君には、少
しとおいところでいましばらくお眠りいただくこととしました。まぁ、彼らに
かかれば、じゃがいもの森を抜けていちご畑にたどりつくことなど、あっとい
うまにやってのけるでしょうけれど・・・。

 そんなこんなでもたもたしていたら、まる一日かけたのに、畑の半分しか耕
せませんでした。あとはゴールデンウィークまで持ち越しです。





2014.03.25.

時速30kmの福祉(第147回)

 アルコール依存を病院に行って治しなさいといくら言ってもきかないシェル
ター木賃宿暮らしのおじさんが、先日大騒ぎして電話をかけてきました。早朝
に空を見たら、月のそばにとても明るい星が光っていて、こんな光景は見たこ
とがない、何か不吉なことが起きる前兆に違いないと・・・。

 考えられる可能性としては、一つには飲み過ぎ。幻覚でしょう。でも、もう
一つ可能性があるとすれば、金星が月に接近したかも・・・。

 というわけで調べてみたところ、目撃日時には、確かに金星と月が接近して
いました。その時の月の形も、ぴったり符合しました。

 ご当人にこのことを説明したら、安心した様子でした。本当になにか起きる
かもしれないと心配していたようです。

 この出来事が気になって、次の接近日時を確認、その日の午前5時頃を目が
け、見晴らしの良い公園まで出かけました。外はまだ寒かったので、しばし車
の中で待機していたところ、目的の時刻にさっと雲がはれて、細い細い月の脇
に金星の影がはっきりと見えました。

 金星は、とても明るく美しい星なので、古来美の象徴として尊ばれました。
その反面、地球から見て軌道を逆に進んでいるように見える期間は、戦争など
の不吉なことが連想され、懼れられました。件のおじさんは、古代のギリシャ
やローマの人々と同じく、天体の動きと人間社会のつながりを感じ、ひいては
自分と世界のつながりを感じて、身震いをしながら空を眺めていたのでしょう。

 時が下り、科学が発達して、様々な言い伝えが迷信だと切り捨てられ、金星
から神秘が奪われました。そして、それと引き替えに、多くの便利なものが発
明され、生活は快適になり、戦争はいっそう悲惨になりました。

 おじさんといっしょに何もない時代にもどってこの世界を感じたい人は、3
月27日、その次は4月26日がチャンスです。空を見上げましょう。





2014.02.05.

時速30kmの福祉(第146回)

 多額の予算を投じて進められてきたアルツハイマー病研究の国家プロジェク
ト「J―ADNI(アドニ)」でデータ改ざんの内部告発があったにもかかわ
らず、真相を明らかにする責任がある厚生労働省自身がその隠蔽に加担したの
ではないかと疑われている事件。厚生労働省から「内部告発があったよ」と大
学の研究責任者に情報提供があり、その後疑惑のデータは製薬会社所属の人物
が持ち去ったとも報じられています。製薬会社の薬がよく売れて儲かるように
データを改ざんし、儲けを研究者と厚生労働省の担当者とで山分けするという
ことであれば、いくら厚生労働省に告発をしても握りつぶされてしまいます。

 これは、よそ事で済まされる問題ではありません。介護保険の世界でも、要
介護認定システムの研究開発に多額の予算が投じられていますが、そのシステ
ムを用いて導き出される認定結果の妥当性やシステムの費用対効果には当初か
ら疑問の声が上がっていました。しかし、厚生労働省も開発に当たった研究者
たちも、問題なのは認定に携わる人たちが未熟だからで、コンピューターシス
テムのせいではないと言い張ってきました。もし、コンピューターシステム開
発や維持にかかる巨額の公費が研究者や厚生労働省の担当者に天下りの受け入
れなどの形で環流するようであれば、コンピューター業界にとっての利益が最
大となるしくみへと誘導され、本来介護が必要な人々のために投じられなけれ
ばならない社会保障の予算が掠め取られてしまうこととなります。

 不正に気がついた人というのは、社会のその分野が適切に動いているかどう
かチェックする役割をその社会から求められている立場であったからこそ気が
つけたのだと思います。こういった産官学の癒着、もしかしたら政治も巻き込
んでの癒着に対しては、「それが世の常」「どうしようもないこと」と諦める
のではなく、不正に気づいた者が声を上げなければいけないと思います。また、
そのような声が上がったときに握りつぶされないような仕組みも、社会の中で
作っていかなければいけないと思います。それは「しょせん無理なこと」では
なく、「まだ成功していないけれど、いずれは実現しなければならないこと」
です。





2014.01.01.

時速30kmの福祉(第145回)

 年末年始は、いつも病院や施設を回って過ごします。体調など事情が許せば
ご自宅に戻ることができますが、なかなかそうはいかないご事情の方もありま
す。そんな方々のところに行って、こんな顔でもお見せすれば、それなりに喜
んでもらえます。

 なかには、ご兄弟で別々の施設に入っておられ、お互いに会いたいけれど会
えないというご事情の方もあります。そんなときは、当方が行き来することで
近況をお伝えできたり、お託けを受けたりすることができます。実際に会えな
くても、そこは血のつながりで、当方の話だけでも、だいたいのことは頭の中
で映像になるご様子。お話をする当方も、ちょっとは役に立てたかなと手前勝
手に思ったりします。

 また、なかには、1年を通して当方しか面会する者がないという方もありま
す。施設の担当のスタッフは人事異動で交代しますので、当方のことを知らな
いスタッフの方は、「まさかこの人のところに面会者が来るとは」と言って驚
かれたりします。しかし、その後は、当方の面会に謝意を示され、施設内での
ご様子などについて、いろいろ教えてくださいます。お話をうかがい、この施
設ではきちんとご本人のことを観ていてくださるのだと分かり、感謝の気持ち
が湧いてきます。

 ところで、この度の一連の訪問を振り返って、不思議だなぁと思うことがひ
とつありました。

 ある方とお会いしたとき、昨年末は何月何日の何時に当方が来て、何を語っ
ていったかというお話をされ、その正確さにとても驚いたのですが、さらに、
これまで語られなかったご自身の幼少の頃のお話をなさいました。およそ十年
間ほど面会に通ってきましたが、このようなことは初めてでした。

 そして、同じように、今までの面会時にはなかったことが、ほかの方々との
間でも起こりました。ただの偶然だったのかもしれませんが、なんとも不思議
な余韻が残りました。何年も何年も経って、はじめて開かれる扉もあるのでしょ
うか。勝手に壁と思いこんであきらめていてはいけないと、あらためて反省さ
せられました。





2013.12.17.

時速30kmの福祉(第144回)

 鬼手仏心という言葉があります。もともとは、仏教に由来する言葉なのだそ
うです。外科系のお医者さんは、この言葉を好み、座右の銘としておられる方
が多いです。

 外科手術は、患者の身体に刃物を入れて傷つける行為です。難しい手術の場
合は、取り返しのつかない後遺症をその人に与えることになるかもしれません
し、命を奪うことすらあるかもしれません。そう考えると、とてもおそろしい
ことで、できれば自分ではなく、誰か他の人にやってもらいたい、逃げたいと
いう気持ちが湧いてくる。しかし、その逃げたい自分、不完全で弱い自分の姿
をありのままに認め、その上で刃物を手に取り、手術に向かう。自分は不完全
な人間だけれども、もしこの世に神や仏があるのなら、この患者を救いたいと
望まれるのなら、どうぞこのわたしの手を用いてその業(わざ)をなしてくだ
さいと祈りながら・・・。

 このような姿勢は、別の面から見ると、自分の腕に慢心せぬよう、油断せぬ
ようとの自戒の意味もあるのかもしれません。

 外科手術は、目に見える身体に対して向けられる行いですが、身体には、目
に見えない身体というのもあります。目に見えない身体に、手術の必要な傷が
開いている。そのような場面に、わたしたち相談を業とする者は、しばしば巡
り会います。過去からの長い長い経過の中で積み重ねられた傷もあれば、一瞬
にして全身に負う傷もあります。

 その傷が深刻であればあるほど、弱い自分は逃げたくなる。どうせ他人の目
には見えない傷。放っておいても誰から責められるものでもない。そんな自分
の姿をありのままに眺めながら、その人その人と向き合う。向き合っているの
は、わたし自身ではなく、この身体を使ってその業をなそうとする何者かであ
るかもしれない。いや、そうであってほしいと思うことがあります。





2013.11.28.

時速30kmの福祉(第143回)

 11月23日に富山県中小企業研修センター1階会議室で「反−貧困ネット
ワークとやま」の設立全体会があり、当方も途中から参加させていただきまし
た。

 このネットワークは、弁護士や司法書士、社会保険労務士、医療ソーシャル
ワーカーなど、相談専門職として日頃から貧困問題の相談を受けてきた方々と
貧困問題に直面しているご本人・ご家族などが集まり、みんなで力を合わせて
なんとか貧困の問題を解決しようという目的で設立されたものです。

 当方自身は、介護保険のケアマネジャーという立場で、主に高齢の方の経済
的な問題や生活保護の申請手続きについてご相談を承っておりますので、この
数十年の間、直接間接に現実の社会で起きている問題を見聞してきました。

 路上生活をしていて、何度も役場の生活保護の申請窓口に行ったのに、書類
上は申請が無かったことにされていたという人もありました。市町村合併後に
出来た行政センターでは生活保護に該当しないと言われたけれど、その後で本
庁に行ったら該当すると言われ、手続が進んだという人もありました。当方の
担当する人ではありませんが、たまたま生活保護の窓口の前を通りかかったと
きに、一人暮らしの高齢女性が若い窓口職員から大きな声で罵倒されているの
を見たこともあります。なぜ一人暮らしだと分かったかというと、その窓口職
員があたりに聞こえるようにプライバシー情報をしゃべっていたからです。小
さくなってうつむいているその人の姿を見て、通り過ぎる人たちの表情が一様
に曇っているのが分かりました。生活保護を頼んでいる人への偏見からではあ
りません。なんてひどいことをするのだという驚きと嫌悪からです。もちろん、
申請窓口の職員のすべてがそうだというわけではありません。むしろ、ごく一
部の人です。しかし、その人たちが、とても残酷なことを日常的に行っている
のも事実です。ちなみに窓口職員向けマニュアル「生活保護法の解釈と運用」
には、その人の自立を支える言葉を選ぶことやプライバシーに配慮した面談室
の確保が必要だと記されています。当たり前ですよね。

 ネットワークのメンバーの方々のお話をうかがうと、生活保護法が立法当時
に目指したとおり正しく運用されるだけでも、現実の社会の多くの問題が解決
すると言われます。当方の経験に照らしても、全くそのとおりだと思います。

 ネットワークでは、生活に困ったという人たちのための相談窓口を開設し、
必要であれば様々な手続の支援なども行う予定です。なにができるか分かりま
せんが、当方もネットワークに参加し、少しでも困っている人の助けになれれ
ばと考えています。





2013.10.06.

時速30kmの福祉(第142回)

 10月最初の日曜午前は、さつまいも掘りでつぶれました。午後は、そのつ
るを塩ゆでし、冷凍する作業を行いましたが、たくさん採ったのでまだ半分ほ
ど残っています。

 ところで、さつまいもを掘っていたとき、三畝あるうちの真ん中の畝のその
また中央で、さつまいもとじゃがいもが仲良く並んで出てきました。まさか、
さつまいものつるにじゃがいもが、と一瞬驚きましたが、さつまいもの苗を植
える前はじゃがいも畑だったので、とりもれたじゃがいもがそのまま埋まって
いて、そこにたまたま成長したさつまいもがくっついてきたのだろうと察しが
つきました。

 それにしても、出てきた様子がいかにも幸せそうだったので、記念に写真を
撮りました。見ようによっては、紅白そろってなにやら縁起も良さそうな・・・。

 アメリカでは、オバマケアに共和党が反対し、国家の機能が一部停止状態と
の事。日本に住んでいると過激に映りますが、力のぶつかりあいがはっきりし
た形で現れるという意味では、分かりやすくて良いかもしれません。

 共和党がオバマケアに反対する理由は、要するに金融保険資本の利益が減る
からで、それを理由に治療が受けられない人を見殺しにしてよいというのはい
かにも乱暴な考えだと思いますが、そういう考えの人が自分の利益を守る目的
で国家の機能を一部停止させるだけの力を持っているということが恐ろしいで
す。

 これは、対岸の火事ではありません。彼らは日本の社会保険も解体して民間
の金融・保険市場に作り換え、アメリカと同じルールで利益を拡大したいと思
っているので、アメリカの国家機能の一部を停止させるのと同じだけの力が日
本国家に対してもかけられていると考えるのが自然です。ただ、国民が知らさ
れていないだけのことで・・・。

 霊長を自称するだけでもおろかな生き物かも知れませんが、幸せそうないも
たちを見るにつけ、何をやっているんだかと悲しくなります。





2013.09.08.

時速30kmの福祉(第141回)

 前回に引き続き、8月11日に放送されたNHKの日曜討論についての話題
です。

 当方が気になったもう一つのことは、出席者の一人から、介護保険への税金
の投入を止めよとの主張がなされたことです。現行の介護保険は、税金と保険
料が半々のしくみですが、税金の投入を止めて保険料だけにし、ういた税金は
低所得者対策に充てよという趣旨です。

 この主張の根拠もまた、「介護保険は共助だから」「公助ではないから」と
いうことのようです。しかし、そのような頭の中だけでこしらえた類型を現実
の社会に無理矢理当てはめるとどうなるか。現時点でさえ介護保険料が高くて
支払えず滞納している人がいるのに、税金分まで保険料で賄うとなれば、保険
料の大幅な引き上げが必要となり、支払いたくても支払えない、介護保険に入
ることすらできない人が続出してしまいます。

 論者は、その問題は低所得者対策で解決できると言いますが、ここで言う
「低所得者」の設定範囲が厳しく狭められれば、隙間にいる人たちがこぼれ落
ちてしまいます。しかも、下手をすると、本当は低所得なのに、「そういうと
きだけ所得や資産の高い人だということにされてしまう人」たちは、「応分の
負担」の名の下に逆に負担を増やされてしまいます。「所得の再分配」という
言葉を用いて、実際には所得格差を拡大させる。これはもはや社会保障ではあ
りません。

 国民会議の諸議論の方向が、それぞれの名目上のゴールとは裏腹に、隠れた
本当のゴールである「保険者の実質民営化」へとどれもこれも向かっているよ
うに思えてなりません。金融・保険市場をアメリカ仕様にフォーマットするこ
とが、本当にこの国に住む人たちの幸福につながるのか、疑問を禁じ得ません。





2013.08.11.

時速30kmの福祉(第140回)

 8月11日に、NHKの日曜討論という番組で、「医療・介護・年金 社会
保障の将来は?」と題して有識者の討論がありました。内容は多岐にわたるも
のでしたが、ここでは当方が気になったことを2点だけ述べます。

 ひとつは、「自助・共助・公助」という言葉についてです。登場されたどの
有識者の方もこの言葉を当然の前提として用いておられましたが、その時点で
すでに間違っています。この「時速30kmの福祉」では度々言及しているこ
とですが、この世の中に、自助も共助も公助も存在しません。人間の行う活動
一つ一つを指さして、これは100パーセント自助だとか、これは100パー
セント公助だとか言い切れるものなど一つもないのです。100パーセント自
助だと言い張っていることでも、よく見れば背景に様々な人の助けがあること
に気づくはずです。「自助・共助・公助」というのは、現実の社会に存在する
ものではなく、一部の人が頭の中でこしらえた類型に過ぎません。

 しかも、今回の討論の場では、「共助とは集団で行う自助のことだ」という
趣旨の発言があり、これを誰も否定しませんでした。よく考えてください。そ
のような論法が認められるのであれば、「公助とは国家の強制力によって保障
された共助のことだ」と言っても誤りではないことになります。「国家による
保障を求め実現することは、国民が自らの自立(インディペンデント)をかけ
国家の主権者として自己実現する事であり、自助の最も完成された形である」
と、そう言ってどこが悪いのでしょうか。

 もちろん、「自助・共助・公助」という類型を作った人たちは、公助が悪で、
自助が善だと意識づけするために類型を作ったわけで、自助と共助と公助がイ
コールで結ばれるなどとは認めたくないはずなのですが、その人たちでさえ、
このような論理的な矛盾を発言の中に内包させているということです。

 いったいいつまで、このような不毛な類型の土俵で遊ばれ続けるのか。本当
に問題を解決しようと考える人であれば、まずこの類型自体をきちんと批判す
るところから始めなければなりません。

 もう一つの気になった点については、次回で述べます。
 




2013.07.25.

時速30kmの福祉(第139回)

 先日、介護支援専門員の更新研修があり、受講しました。その際、講師の方
より、今後の動向として、ケアマネジメントに利用者負担が導入される可能性
が高くなったとの説明がありました。

 現行の制度では、介護保険サービスを利用するときに、原則として1割の利
用者負担が求められています。たとえば、千円のサービスを利用するときは、
900円が介護保険で賄われ、利用する人は1割の100円を支払うというし
くみです。しかし、ケアマネジメントサービスに限っては、利用者負担を求め
ないこととされており、10割が介護保険で賄われています。なぜ利用者負担
がないのかというと、ケアマネジメントサービスは、他のサービスとは決定的
に異なる性質を有するサービスだからです。

 ケアマネジメントサービスは、限られた財源の中で、いかに多くの人のケア
の必要を満たすか、いかに人としての尊厳が大切にされる地域社会を実現する
かという課題を背負ったサービスです。非常に公益性が高く、サービスを利用
する個々の人との私的契約関係にすべてを還元できる仕事ではないのです。国
によっては、ケアマネジメントサービスと称して利用者がお金を払って利用す
るサービスがないわけではありませんが、それは実質的に個人の利得や節約の
ためのアドバイスを行うサービス内容であって、本来のケアマネジメントサー
ビスとは全く異なるものです。そのような国では、ケアマネジャーの資格条件
について何の定めもなく、無資格が合法化されていることが現地でも問題視さ
れています。つまり、同じ「ケアマネジメント」という言葉を用いることの方
が不適切なサービスです。

 日本で1割の利用者負担導入を主張している人は、こういったケアマネジメ
ントの公益性を意図的に矮小化し、保険財政支出の切り下げを優先したいよう
です。しかし、この問題は、何割なら許容範囲かといった量的な問題ではなく、
ケアマネジメントの根幹に関わる質的な問題ですので、何割であろうと、一度
導入してしまえば日本のケアマネジメントの自殺行為となってしまいます。

 日本介護支援専門員協会では、これまでケアマネジメントの利用者負担導入
に反対の立場を表明してきました。しかし、その理由は、「お金を払うことに
よって利用者のわがままが通ってしまうから」という、なんとも見当違いな説
明をしています。何が問題なのかを正しく理解していない導入反対では、いず
れまるめこまれて賛成に転じるということがないとも限りません。

 当方の所属する「ケアマネジメントをみんなで考える会」では、2010年
5月の時点で、「介護保険10年のふりかえりと今後の課題について(意見)」
をとりまとめ、当時の厚生労働大臣と各政党の議員等関係者の方々にお届けし
ています。その文章の中で、1割の利用者負担には合理的な根拠がないので導
入すべきではないとはっきり示しています。その当時は、今日の政権与党だけ
ではなく、国会に議席を有数する政党がこぞって導入反対を表明していました。
これからそれらの政党がどのような言動を示すのか、前言を翻すのか、それと
も貫徹するのか、注視していきたいと思います。

(参考情報)
「介護保険10年のふりかえりと今後の課題について(意見)」
 http://www.office-yui.net/20100511.pdf





2013.06.14.

時速30kmの福祉(第138回)

 6月5日(水)・6日(木)と、大阪の国際会議場他で、日本ケアマネジメ
ント学会第12回研究大会があり、参加しました。当日は日本老年学会などの
他の学会も同じ会場で開催されていましたので、時間をみつけてあちこち見て
回りました。

 そのうち、いくつか驚くような発表を目撃しました。当方が気になったのは、
神経難病の患者さんで、嚥下障害(食べ物をのみこむ能力が低下した状態のこ
とです)で困っていたところ、歯を全部抜いて総義歯にしたら問題が解決した
というものがありました。健康な歯を全部抜いて、というところがひっかかっ
たのですが、それでも、食べることの喜びには代えられないということなのか
もしれません。

 また、他の会場では、高血圧に効く薬について、調べてみたら認知症の予防
効果があったり、その他の病気の予防効果もあったという発表がありました。
学会で発表されているのだから、大きな間違いはないのだろうとは思うのです
が、発表している人が製薬会社に関わりのある人のようで、ちょっと気になり
ました。同じような発表は他の会場でもあり、そこを回るたびに製薬会社の名
前の入ったボールペンを資料といっしょにもらいました。手元がボールペンだ
らけになりました。(^_^;)

 余談はさておき、今回の学会では、この「時速30kmの福祉」でも連載し
ております「ケアマネジメントの『第三者性』の問題」について、口演の機会
をいただくことができました。その内容は、インターネットの以下のページで
公開していますので、興味のある方は是非ご覧いただければと思います。また、
ご意見などもいただけましたら幸いです。


「ケアマネジメントにおける『第三者』性について 〜
『第三者』概念の内容分析から政策効果を予測する〜」
 http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/p-chuchotement20130605.pdf


 すこしずつでも、この問題に関心を持つ人が増えてくれればうれしいなぁと
思います。





2013.05.21.

時速30kmの福祉(第137回)

 今月も、第三者機関主義ケアマネジメントについて述べる予定でしたが、こ
れを来月に繰り延べて、最近の政策動向について少しだけ触れたいと思います。

 厚生労働省の地域包括ケア研究会がとりまとめた2012年度の研究報告書が、
インターネット上で公表されています。

「2012年度の研究報告書のページ」

 同研究会は、過去の法改正時にも報告書を出して改正内容に影響を与えてき
ましたので、今回の報告書の内容から次期改正の内容を推し量ることができま
す。

 これを読んでの当方個人の感想を二点述べます。

 一つは、「自助・互助・共助・公助」の区分の作意性です。この四助はそれ
ぞれ別々のものとして定義されていますが、他方で、社会実態としては分離困
難であり、それぞれが渾然一体となっていることを、報告書自身が四頁以下で
告白しています。ケアとは何か、という根本理解の誤りを正し、理念としての
ケアと制度としてのケアを峻別するところから始めなければ、このような言葉
の混乱を解決することはできません。

 もう一つは、ある意味で悲劇的なことですが、人権感覚の完全な欠如を指摘
せざるを得ません。報告書には、「植木鉢のたとえ」が重要なイメージとして
描かれています。それによれば、「住まい」は植木鉢で、「生活」は土、「医
療、看護、介護、リハビリテーション」はそこに植えた植物に例えられていま
す。そして、土の養分が足らないと植物が枯れる、と語られています。これは、
「医療、看護、介護、リハビリテーション」を「産業」として位置づける視点
からでなければ説明できない比喩です。しかも、植木鉢の受け皿の図には「本
人・家族の選択と心構え」と記され、本人に孤独死する覚悟がなければ植木鉢
の図は成り立たないとも記されています。「人」は、この植木鉢の比喩のどこ
にも出てきません。

 WHOの国際生活機能分類(ICF)は、、基本的人権から出発した手法
(human rights-based approach)ですが、そのICFを肯定しているはずの
研究会が、基本的人権について一言も触れず、逆に人権制約の正当化を試み
ている。これは、海外の研究者の目から見ても極めて異常に映る事態だと思
います。

 付言すれば、報告書の中で、低所得で家を持たない者には、基本的人権の
観点から居住スペースの面積などに最低基準が設けられているような施設で
はなく、既存の中古住宅に住まわせるよう提案されています。「タコ部屋す
し詰めで孤独死を覚悟せよ」の一体どこが「地域包括ケア」なのか、支離滅
裂というほかありません(住宅保障については、生活保護法改正論議でも焦
点の一つとなっており、民間の「タコ部屋強制労働」を行政が後方支援する
仕組みに変質する危険が指摘されています)。

(参考情報)

 以下新刊の情報です。ケアマネジメントと生活保護、ケアマネジャーの独
立開業などに興味のある方にご一読をおすすめします。電子書籍(440円)
は、インターネットの以下のサイトで購入できます。紙媒体(500円)は、
一般書店ではほとんど扱われておりませんが、当研究所にて仲介(無料)
を承ることができます。


望山勿太郎「ぴょこぽん! ケアマネジメント」2013年刊





2013.04.08.

時速30kmの福祉(第136回)

 第三者機関主義ケアマネジメントについての第3回目です。前回は、ケアマ
ネジメントは法規範的には準委任契約であることと、準委任契約は「忠実義務
(duty of loyalty)」を伴うこと、「利益相反行為の禁止」ルールが守られな
ければならないことなどについて述べました。今回は、「利益相反行為の禁止」
ルールがケアマネジメントの世界にどう採り入れられてきたかについて、海外
の例を述べます。

 この時速30kmの福祉では度々言及していることですが、北米の高齢者ケ
アマネジメント専門職の団体(NAPGCM。さらに略してGCMとも表記さ
れます)では、ケアマネジメントの実践基準と倫理綱領を設けており、その中
で「利益相反行為の禁止」ルールを定めています。両方とも、最新のものはG
CMのホームページから見ることができます。

 GCMでは、良いケアマネジャーを選ぶために、「かしこい利用者がケアマ
ネジャーに質問すべきこと」をいくつか挙げています。その中のひとつに、「あ
なたの所属している団体は、(ヘルパーやデイサービス、ショートステイなど
の)介護サービスも提供しますか?」という質問があります。日本では、この
ような質問を受けたケアマネジャーが、「わたしが所属している団体では、あ
りとあらゆるサービスを提供することができますので、同じ団体に所属してい
る強みを生かして、ケアマネジャーとしてあなたに必要なサービスはすべて提
供できます。」と答えるのが立派なケアマネジャーだと錯覚されるかもしれま
せん。しかし、GCMの考える模範解答は、これとは正反対です。「ケアマネ
ジャーの仕事は、ご本人・ご家族にとっての最善を目指さなければならない仕
事です。しかし、わたしが所属する団体からケアマネジメントサービスと介護
サービスの両方を提供することになった場合、ご本人・ご家族にとっての最善
と介護サービス事業者にとっての最善が衝突し、一方を立てれば他方が立たな
いという利益相反の立場に陥る危険性があります。それでは、ケアマネジャー
としての忠実義務に違反することとなりますので、両方を同時にお引き受けす
ることはできません」と説明できるケアマネジャーが、対人援助専門職として
の倫理を身につけた良いケアマネジャーとされます。これだけではありません。
GCMの実践基準では、ケアマネジャーが介護サービスを紹介するときには、
所属する団体のサービスかどうかだけではなく、別団体でも親族などが実質的
な経営者ではないか、資本提携関係やキックバック関係などがないか、ケアマ
ネジャー個人と利害関係のある団体かどうかといった情報も、サービス利用者
・家族に対して書面および口頭で説明すべきこととされています。GCMは北
米の団体ですが、その水準の高さから、世界中で模範とされ、実質的な国際標
準となりつつあります。次回は、これとは対照的な日本の実態とその原因につ
いて述べます。          (つづく)





2013.03.17.

時速30kmの福祉(第135回)

 前回に引き続き、第三者機関主義ケアマネジメントについてのお話です。今
回は、ちょっと難しい言葉遣いになりますが、「ケアマネジメントの法規範的
意義」について述べます。「法規範的意義」というのは、日本の法体系上の位
置づけ、といった意味です。

 ケアマネジメントは、介護保険法の世界では「居宅介護支援」と名付けられ
ています。居宅介護支援は、サービスを利用する人かもしくはその利益を代弁
する人とケアマネジャー(介護保険法上は「介護支援専門員」)の所属する事
業所との間で契約が成立することによって始まります。この契約は、法規範的
には「準委任契約」(民法第656条)という位置づけになります。準委任契約
は、「委任契約に準ずる契約」です。両者の違いは、法律学的には「法律行為」
を扱うのが委任契約、そうではない行為(「事実行為」など)を扱うのが準委
任契約です。もっとも、この区別そのものについては、あまり意味がないこと
なのでここでは略します。委任契約の分かりやすい例に、弁護士と依頼人との
契約関係があります。介護支援専門員と依頼者との関係も、委任契約に準じた
ほぼ同様の関係という事になります。ちなみに、医師と患者の診療契約も、法
的には準委任契約です。

 ところで、弁護士は、一つの訴訟において、原告被告どちらか一方の弁護を
引き受けた場合、同時に他方の弁護を引き受けることは認められません。その
ような行為(「双方代理」)は弁護士法や民法で禁じられています。さて、な
ぜそれが禁じられているのでしょうか?

 もしも、訴訟となっている問題の正しい解決(答え)が一つしかないならば、
法と正義に照らして、誰が担当しようと答えは同じになるはずです。それなら
ば、同じ弁護士が引き受けても構わないじゃないか、という人があるかもしれ
ません。しかし、どのような答えであっても、一方にとって有利な答えは、他
方にとっての不利な答えであるということもまた事実です。弁護士にしてみれ
ば、原告との関係に忠実であろうとすると被告との関係に利益相反が生じる(そ
の逆の場合もあります)わけで、どちらに転んでも契約の相手方との間の対人
援助専門職としての「忠実義務(duty of loyalty)」に悖(もと)ることとな
ります。そこで、このような「倫理問題(Ethical Dilemma)」の発生を未然に
防ぐために、原告被告のように利害が対立する関係の場合は、双方からの依頼
を同時には引き受けないという一律適用のルール(「利益相反行為の禁止」ル
ール)が確立されたのです。このルールは、弁護士と依頼人との関係だけでは
なく、委任契約、準委任契約の一般ルールとなっています。

 次回は、この「利益相反行為の禁止」という倫理規範が、ケアマネジメント
の世界にどう採り入れられてきたかについて、海外の例を述べます。(つづく)





2013.02.17.

時速30kmの福祉(第134回)

 今月から、第三者機関主義ケアマネジメントについて、何回かに分けてこの
場でお話をさせていただければと思います。

 なぜ、そうしたいと思ったのかには、いくつか理由があります。

 ひとつには、先日地域で開催された民生委員さんとケアマネジャーとの交流
会に参加した際に、おひとりの民生委員さんから、「第三者機関主義について
勉強しなければならないと思った」とのご発言があったからです。介護保険も
10年以上の歳月を積み重ねてきておりますが、民生委員さんからこのような
公の場で発言があったというのは、おそらく今回が初めてだと思います。その
ことを、当方は重く受け止めました。

 理由の二つめは、ケアマネジメントをみんなで考える会のつどいに参加され
た方との会話の中で、通所先を変えるためにケアマネジャーも変えなければな
らなくなって困ったというお話をうかがったからです。

 ケアマネジャーは、通所などのダイレクトケアとは全く別のしくみであり、
通所先の事情やご本人の症状の変化などによって通所先を変更する必要が生じ
た場合でも、同じケアマネジャーが一貫してご本人ご家族の立場を代弁し、次
の最善の環境づくりに向けてともに歩むのが本来の仕事です。

 しかし、日本の場合は、ダイレクトケアサービスを変えるたびにケアマネジ
ャーが変わるのが当たり前になってしまっていて、心の支えとして重要な役割
を担ってきたケアマネジャーが変わってしまう場合、その変化はご本人ご家族
にとって大変なダメージとなってしまいます。どうしてこんなことが起きるの
か、どうすれば解決するのか、これを機にあらためてきちんと言葉にする必要
を当方は感じました。

 そして理由の三つめは、国レベルで進行しているケアマネジメントシステム
の改変の動きです。もともとケアマネジメントの世界で「第三者」というとき
は、「ダイレクトケアサービスとは利害関係のない第三者の立場からケアマネ
ジメントを行う」という意味合いで言葉を用います。これは、国際常識と言っ
てもよいと思います。しかし、国の「介護支援専門員(ケアマネジャー)の資
質向上と今後のあり方に関する検討会」における議論の中で、「第三者」とい
う言葉が全く別の意味で用いられている事に、公開されている議事録を読んで
気づきました。

 2005年当時、政府は、ケアマネジメントの「独立」という言葉の意味を
すり替えて、かえって独立を阻害する仕組みに介護保険を改悪してしまいまし
た。それと同じことが、いま「第三者」という言葉の意味をすり替えて行われ
ようとしています。同じ過ちを繰り返させてはいけない。それが、あらためて
「第三者機関主義ケアマネジメント」についてこの場で述べなければならない
三つめの理由です。                     (つづく)





2013.01.01.

時速30kmの福祉(第133回)

 当研究所は、2002年3月に法人登記して事業を開始いたしましたが、実
は、それに先立ち、1998年3月に「社会保障と人権連絡会議inとやま」
を開設、ボランタリーな相談・支援を行ってきた経緯があります。その意味で
は、「連絡会議」は当研究所の母体なのですが、研究所設立後も、「連絡会議」
としての活動はそのまま続けています。

 さて、なぜ、冒頭にこのようなお話をしたかというと、2013年以降、ま
さに「社会保障」と「人権」について、とても大きな変化、しかもはなはだ良
くない変化の予兆を感じるからなのです。

 まず、社会保障については、生活保護基準の引き下げが取りざたされていま
す。政府は、デフレ脱却のためインフレターゲットを設定、物価上昇を誘導す
るとしています。また、消費税率を引き上げるとしています。通常、物価が上
昇し、かつ消費税が上がるという場合は、それに合わせて生活保護基準を引き
上げるものです。しかし、政府は、逆に下げると言っている。現状の水準を維
持するだけでも実質引き下げとなるのに、基準まで引き下げてしまったら、名
目以上の引き下げの効果が生じてしまいます。政府は、引き下げの理由を、最
低賃金や老齢年金との逆転に求めていますが、それは逆で、生活保護基準を引
き下げれば、それに連動して最低賃金も年金の給付水準も引き下げ圧力が強ま
りますし、所得に応じた各種の福祉的な手当や減免などの基準も連動して下が
ります。つまり、これは生活保護が必要な人だけの問題ではなく、所得格差の
一層の拡大で影響を受ける人全体の問題、社会保障の問題だということです。

 次に、人権に関わることですが、昨年暮れに、政府与党の国会議員の憲法改
正草案発言が物議を醸しました。いわく、「国民が権利は天から付与される、
義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、
というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、では
なくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしま
した」との事。一見すると、「権利」と「基本的人権」の違いや、「立法府」
と「憲法制定会議」の違い、「法律」と「憲法」の違いなど、極めて初歩的な
ところで理解を間違えている発言のように見えます。しかし、発言した人の履
歴を見れば、こういった法律論に精通した人であることが分かります。つまり、
理解を間違えているのではなく、言葉の意味を意図的にすり替えていると考え
た方が自然です。理解の浅い人が個人的に間違ったことを言うのとは異なり、
政府与党の憲法改正草案に関わっている人が、党の見解として、確信犯で言葉
をすり替えているわけで、これはかなり危険な事態であると言わざるを得ませ
ん。

 社会保障と人権がこれからどうなるのか、最前線から注視していきたいと思
います。





2012.12.10.

時速30kmの福祉(第132回)

 先日、富山市の実地指導ということで、担当の方お二人が当事業所に来られ
ました。実地指導というのは、介護保険の事業所が法令に従って適切に事業を
行っているかどうかを行政の立場から点検することです。問題がある場合は、
それを正すよう指導されます。また、悪質な事業運営を行っている場合は、監
査を実施したり、事業者指定の効力を一時停止したり、指定自体を取り消すこ
ともあります。実地指導のチェック項目と判断基準は、あらかじめ客観的に定
められていて、担当者は、それに従ってチェックしていきます。

 当日は、天気予報で積雪に注意と出ていましたので、駐車場の除雪を心配し
ていましたが、幸い天候には恵まれました。

 肝心の内容ですが、法令違反の指摘や、介護報酬を返還しなければならない
ような問題の指摘などは一切ありませんでした。

 もっとも、実地指導のチェック項目や判断基準は、当たり前といえば当たり
前ですが、あくまでも書面上不備がないかを調べるものなので、逆に言えば、
書面さえ取り繕っていれば、「何も問題のない事業所」に見えてしまうという
限界があります。その意味では、本当に一生懸命仕事をしているのかどうかは
判別することができませんし、本当に「いい仕事」、質の高い仕事を行ってい
るのかどうかも判別がつきません。これは、実地指導に来られる人が悪
いのではなくて、実地指導という手法そのものの限界です。

 当方が尊敬するケアマネジャーの方々が一様におっしゃるのは、こういった
実地指導では、ケアマネジメントの質を高めることはできない、という事です。
ケアマネジメントの質を保ったり、高めたりするためには、ケアマネジメント
の現場における創意工夫と切磋琢磨がなければいけません。しかし、いまの日
本の介護保険下では、所属事業所の利害に左右されたり、さまざまな規制で手
かせ足かせをはめられたりするので、そういった自主的な取り組みがなかなか
育たないのです。どうすれば、この問題を解決できるのか? 当方自身も、他
の方々と同様、もやもやしながら考え続けています。





2012.11.06.

時速30kmの福祉(第131回)

 ケアマネジメントについて、日本では草分け的な研究者の白澤政和さんが、
シルバー産業新聞に「認知症の人のBPSDに関するニーズをどのように捉え
るか」と題して、3回に分けて稿を起こしておられます。内容への詳細な言及
は、著作権との関わりがありますので控えます。拝読していろいろ思うことが
ありましたが、ここでは2つだけ述べます。

 ひとつは、バイオ・サイコ・ソシオという言葉遣いのことです。これは、国
際的には、慣用表現として定着している言葉遣いで、ICFもバイオ・サイコ
・ソーシャルモデルですし、今回の論稿で白澤さんが言及しておられるとおり、
「BPSDは利用者の身体生理面・精神心理面・社会環境面を背景にして生じ
る」、これは、バイオ・サイコ・ソシオの和訳ですが、そう捉えるのが国際的
な常識です。

 ところが、これは当方自身が体験した事ですが、2006年1月25日付け
の「時速30kmの福祉」でICFが「バイオ・サイコ・ソーシャルモデル」
であることに言及した際に、ケアマネジャー当事者や、あろうことか一部大学
教員ですら、「それは間違いだ」、「ICFの定義はそうではない」と批判す
る人がありました。ICFがバイオ・サイコ・ソーシャルモデルであることは、
ICFを作ったWHO自身が明言していることで、これを否定するなどおよそ
考えられないことなのですが、しかし起きてしまった。なぜ起きたかというと、
そのような批判をした人たちは、原典に遡って資料を調べず、日本語に翻訳さ
れ、翻訳者が自分の思い入れを混ぜてぐちゃぐちゃにしたものを、批判的に吟
味する努力をしないまま受け売りしているからです。原典のまま素直に受け容
れるだけでどれだけ本当の理解が進むか分からないと常々思ってきた者として
は、今回の白澤さんの論稿でのこの点の扱われ方が目に留まりました。

 もう一つは、「視点」という意味で、タイトルの「隠れた主語」が「専門職」
であるらしいことが気になりました。「対人援助技術」の専門性と「協働主体
性」や「双方向性」との関係、もっと言えば、「エビデンス・ベースト」と「ナ
ラティブ・ベースト」の関係について、もう一歩踏み込んだ整理の仕方があり
得るのではないかという感想を持ちました。


参考情報:シルバー産業新聞ホームページアドレス
      http://www.care-news.jp/





2012.10.07.

時速30kmの福祉(第130回)

 先日、当研究所のもとに、1台の車いすが届きました。

 この車いすは、いまから丁度10年前に、若くして難病で歩けなくなった妻
のために、夫がオーダーメイドで製作を依頼されたものでした。小柄な体型に
ぴったり合わせて、当時の水準でもかなり高価な、しっかりした造りのもので
ありました。

 その後、ご不要となられ、大沢野地域ケアネットワークにご寄付いただきま
した。しばらくは当研究所にて管理していたのですが、今度は90歳ぐらいの
女性と同居する娘さんからの求めで、無償貸出することになりました。とても
小さな車いすで、当方などはお尻が入らないぐらいだったのですが、この女性
も小柄な方で、乗ればぴったりとお身体が収まりました。

 それから数年が経過し、先日娘さんからご連絡があり、不要となったのでお
返ししますとの事。戻ってきた車いすは、丁寧にクリーニングされて、若返っ
ていました。

 いま、この車いすは、折りたたまれた姿で、当研究所の相談室の片隅にいま
す。当方とは別々の場所で過ごしてきた10年間、この車いすは、何を見てき
たのだろうと・・・。もしかしたら、車いすの方も、当方のことを同じように
眺めているのかもしれません。





2012.09.14.

時速30kmの福祉(第129回)

 先日、富山市から郵便物が届きました。中身は、「短期入所の食費は原則1
食ごとの設定とすべきなのに、そうなっていない事業所がまだあるので、取り
扱いを徹底するように」との厚生労働省からの事務連絡文書の写しでした。富
山市内の介護関係の事業所に、一斉に送られたもののようです。

 この問題は、「短期入所の出入りの時間の関係で3食まで食べていない日ま
で、3食分の請求があるのはおかしい」という、サービスを利用するご家族か
らの素朴な疑問が発端となり、共感する有志の人たちが制度運用の改善を求め
たところ、厚生労働省がその理を認め、本年3月30日付の「QアンドA」と
いう文書で、原則1食ごとに計算するよう各事業所に制度の解釈を示していた
ものです。
    
 これとは別の件ですが、ホームヘルパーさんによる通院等乗降介助について、
複数の医療機関にかかる場合は、病院間の移動にも算定を認めるよう、総務省
から厚生労働省宛に8月31日付で通知されたとの報道がありました。算定を
認めた方が、かえって利用者の自己負担や介護給付費を節約できるというのが、
その理由です。

 こういった制度の不合理やムダは、まだまだたくさんあります。たとえば、
夫婦二人暮らしで夫婦とも家事が十分にできない状態であった場合、一人暮ら
しではなくても例外的に生活援助の利用が認められますが、その内容は要介護
認定を受けた本人のために必要な範囲に限られます。逆に言えば、食事の準備
などは、現行法制度の解釈通り厳格に運用すれば、夫婦それぞれ別々に訪問介
護を受けて、それぞれ別々に買い物、調理を行うこととなります。このような
場合は配偶者分の買い物や調理も同時に行って良いと厚生労働省が解釈を改め
るだけで、利用者世帯の自己負担は半減、税金や介護保険料を原資とする介護
給付費も半分に節約することができます。なにより、利用者の常識的な生活感
覚に合致します。

 まだまだ省ける無駄がある。無駄は1円でも省いて、それを必要な人のケア
に振り向けなければいけません。





2012.08.21.

時速30kmの福祉(第128回)

 8月は、戦争にまつわるお話を聞かせていただくことが多い月です。

 先日、あるデイサービスにおじゃました折、お互い軍隊経験をお持ちの男性
同士の会話を偶然に拝聴しました。出征した先は異なっても、「ひどい目にあっ
た」という体験は同じ。昔話として語ることができるのは、懐かしい話だけ。
「ひどい目にあった」というその具体的な中身は、言葉に変換して口に出すこ
とができないほど「ひどい」のでしょう。お互い、ただ「ひどい目にあった」
という、たった一つの、抑制された言葉だけで、すべてを語られました。

 おひとりおひとりの体験の中に封じ込められた「事実」。そこから、わたし
たちは何を学ぶべきか・・・。そんなことを思いながら帰路につきました。と
ころが・・・。

 テレビをつけると、内戦の取材中に無差別掃射を受けて、日本人女性ジャー
ナリストが亡くなったとの報。紛争地で虐げられる弱い者の立場、子どもや女
性の立場から「事実」を明らかにする仕事を心がけてこられた方だったようで
す。人としての尊厳が大切にされる世の中に変えていこうとする人の事を、ディ
グニティ・チャンピョンと呼ぶことができるとすれば、彼女はその一人だった
のだと思います。

 近いところでは、尖閣諸島や竹島の領有をめぐる国家間の争いが連日報じら
れています。お互いに、島は自国の領土だから、「領土問題は存在しない」と
主張し、相手の話を聞こうとしない。自国民が上陸したら歓呼し、他国民が上
陸したら罵倒する。一体、先の戦争から、何を学んだのか?

 日本も含め、どの国の態度も、己の利益のためならば他人を傷つけても構わ
ないという自己中心的な奢りで共通しています。相手との関係を「損得のかけ
ひき」以外に求められない価値観では、その延長線上には暴力の支配しかあり
ません。

 「対話」とかけひき・交渉は違います。大切なのは、力でねじ伏せるのでは
なく、言葉で正しい道をともに探ることです。





2012.07.24.

  時速30kmの福祉(第127回)

 富山のお隣の石川県にある志賀原発の直下に、明らかな活断層が見つかった
との報道があります。普通に考えれば、稼動は言語道断、稼動させない場合で
も、大きな地震になる前に危険な設備を撤去すべきでしょう。しかし、国も電
力会社も、今のところそのようには考えていないようです。活断層があるかな
いかは事実の問題です。それが、「ある」のに「ない」ことにされて、後から
やっぱり「ある」と分かっても、さかのぼって過去の誤りの原因を究明して正
していこうという力が働かない。とても恐ろしいことだと思います。

 ところで、介護保険の世界では、この4月から報酬が改定されるなどの変化
があったため、様々なアンケートが実施されています。その自由記述を拾い上
げると、様々な「事実」が垣間見えます。しかし、アンケートの実施主体の利
害が色眼鏡になるのか、その調査分析結果として出てくるコメントは、「なぜ
この事実からこの結論になるのか」という噴飯ものばかり。

 ケアマネジメントに限って言えば、今年3月の時点、つまり、報酬改定後の
ケアプランを作成する時期ですが、その時点で現場が混乱して大変だったとい
う「事実」に対し、実際は大変ではなかったと発言する人があります。曰く、
「大変だと言っているのは、事業者の意向に沿って、強引にケアプランを変更
したケースであろう」との事。その根拠は、「3月から4月のわずか1ヶ月の
間で、全利用者の状態像が急変する」ことなどあり得ないから、というもので
す。

 現場で汗をかいたケアマネジャーなら誰でも知っている事実、実際にサービ
スを利用しているご本人・ご家族が3月に直面して困った事実は、一つしかあ
りません。

 公正中立ではなく、自分の所属する法人の利益を最大にしたいと思って囲い
込みをしているケアマネジャーであれば、自法人の訪問介護や通所介護の利益
率が高くなるように時間や回数を操作することなど、何の苦労もなく行うこと
ができます。そうであってはいけないと思っているケアマネジャーが、独立型
・併設型を問わず、ご本人ご家族への改定内容の説明や、その理解を踏まえて
の意向の確認、各事業所との交渉にとんでもない労力をかけざるを得なかった
のです。

 訪問介護であれば、同じ時間だけ利用すれば、実質訪問介護事業者に入る収
入が減ってしまう場合が多く、それでも同じ時間のままで気持ちよく働いても
らうための交渉に、いったいどれだけの労力がかかるか、実際に汗をかいてい
ない人には分からないのかもしれません。

 通所介護であれば、同じ時間の利用となれば、通い合わせの仲間からはずれ
て早めに帰宅することとなり、その変化がご本人にマイナスの影響を与える場
合もあります。上は、ほんの一例ですが、介護報酬を改定した側はおよそ気づ
いていないであろう様々な影響がご本人・ご家族に襲いかかり、無用の混乱や
悩みを生じさせました。その一つ一つと向き合い、いっしょに問題を解決しよ
うとしたケアマネジャーたちの労苦が、報われるどころか、偏った価値観の色
眼鏡を通して「公正中立ではない」と決めつけられるとは!

 誤った情報でも、権力が後押しして金に糸目をつけず大量に発信すれば、そ
れが「事実」になっていく。原発と同じ構造の恐怖を感じます。

 ケアマネジメントに限らず、現場の仕事というものは、「ウソ」が混じると
回らなくなります。事実を歪める発言には苛立ちを感じますが、そんなものに
惑わされずにご本人・ご家族と向き合い、本当になすべき仕事を誠実に行って
いる人々の姿を見て、かろうじて救われた気持ちになります。





2012.06.13.

時速30kmの福祉(第126回)

 キリスト教の聖書マタイ伝の第25章に、「最も小さな人」のお話がありま
す。それは、こんなお話しです。

 神様から、「あなたは、わたしが食べるものがなくて困っているときに食べ
物を、のどが乾いて困っているときに飲み物を、着る物がなくて困っていると
きに着る物を、泊まるところがなくて困っているときに泊まるところをわたし
に与えてくれました。病気で心細いときには、傍にいてくれました。虐げられ
て牢に入れられたときは、会いにきてくれました」と言われて、その心当たり
がなかった人々が、「いつ、わたしがあなたにそのようなことをしたでしょう?」
と尋ねたところ、神様は、次のように答えられたというのです。

 「わたしと親を同じくする者たちの中で最も小さな者の一人(one of the least
of these brothers of mine)」のためにあなたがたがしてくれた行為は、わ
たしのためにしてくれた行為と同じなのです」

 聖書の中のお話は、この後も続きます。ところで、この一節と出会って、そ
の後の人生が大きく変わった人がありました。

 その人は、生まれながらのご病気で骨が折れやすく、成人されてからも、身
長が子どものように小さなままの人でした。その障害ゆえに、周囲から劣った
人間とさげすまれ、差別を受け、つらい体験を積み重ねていました。そして、
ご本人自身が、果たして自分には生きる価値があるのか、なんのために生きて
いるのかと自分を責め、深く悩むようになっていました。

 そんなときに、あるきっかけで聖書のこの一節と出会い、その人は気づきま
した。自分は、最も小さな者の一人であり、自分が生きているのは、神がそれ
を望んでいるからなのだと。そして、自分と同じ最も小さな者、差別を受け、
つらい思いをしている人たちとともに生き、あらゆる差別を無くすこと、あら
ゆる苦しみを無くすことが、自分に与えられた使命なのだと。

 その人は、昨年の5月9日に亡くなられました。その後1年かけて、故人を
しのぶ人たちの手で追悼集が刊行され、昨日当方の手元に届きました。寄せら
れた原稿を読むと、様々な差別に苦しみ、その差別と闘ってきた人たちが、い
かに故人の言葉と行動によって勇気づけられ、励まされてきたのかがよく分か
りました。

 社会運動にありがちな党派の対立や駆け引きを嫌い、純粋に人としての誠を
追求する姿勢は、時に痛々しくもありました。ご生前にご本人に接したことの
ある者として、自分の身の足らなさを恥じると同時に、足らない者であればこ
そ、襟を正して尽くさなければならないのだと思い至ります。

 ちいさな者であるからこそ、発言し、行動しなければならない。

 それが、その人、大和秀雄さんが、当方に遺してくれた言葉です。生前の大
和さんにお会いになったことのない方でも、追悼集を通じて大和さんと出会い、
対話を積み重ねることができます。当方自身も含め、大和さんとの厳しい対話
が、これから始まります。


(参考情報)

・「大和秀雄さん追悼集」編集委員会編「引き継ぐもの−大和秀雄さん追悼集−」
 ダダ印刷企画 2012年4月 500円





2012.05.13.

時速30kmの福祉(第125回)

 5月9日、厚生労働省が設置した「介護支援専門員(ケアマネジャー)の資
質向上と今後のあり方に関する検討会」の第2回目の会合が開催されました。
名称が長いので、ここでは「あり方検討会」と略させていただきます。

 報道によれば、今回の会合で、複数の委員から、ケアマネジャーが一人だけ
の事業所への指導・支援体制の構築を求める声が相次いだとの事です。そのよ
うな声が出るということは、一人事業所はダメ事業所だという価値観が前提と
なります。

 当方自身は、その会合に出席も傍聴もしておらず、断片的な記事の内容に頼
るほかないのですが、取り寄せ可能な情報を読む限りでは、なぜ一人事業所は
ダメ事業所だと断ずるのか、その根拠が分かりません。論理的に考えて、「あ
り方検討会」がまず第一にやらなければならないことは、「あり方検討会」と
してどのようなケアマネジメントが良いケアマネジメントだと定義するのかを
はっきりさせることです。それがあってはじめて、一人事業所はこれこれこの
ような理由でその定義から逸脱するとか、これこれの条件を満たさないという
説明が成り立ちます。しかし、彼らは、肝心の「良い」の条件を明らかにしな
いまま、乱暴に一人事業所をダメ事業所と決めつけています。しかも、その会
合の場には、当事者である一人事業所の立場から反論する機会が保障されてい
ませんでした。

 このような野蛮な手法のことを、「魔女裁判」と呼びます。

 一人事業所は、小規模な訪問介護事業所併設や通所介護事業所併設が圧倒的
に多いのですが、その理由は、利用者を確保するためです。もっとも、囲い込
みをする事業者のみが悪いというわけではなく、複数のケアマネジャーを擁す
る大規模法人の事業所が、自系列のサービスに利益率の高い利用者を囲い込む
ため、小規模事業所は自衛手段としてやむを得ず年間約200万円の人件費の
赤字を覚悟で一人事業所を併設せざるを得ないのです。他方で、大規模法人事
業所のケアマネジャーも、ノルマに追われ、書面の取り繕いに忙殺されて、本
当はやらなければならないことが何かを分かっていながら、それができない苦
しみを背負っています。

 もし、「良い」の条件に欠けることがあるとすれば、それは、現場のケアマ
ネジャーの問題ではなく、ケアマネジメント政策の歪みから生じる問題です。
「あり方」を吟味しなければならないのは、他でもない「あり方検討会」自身
です。医療や介護を市場という側面からしか見ず、己の利益になるように政策
を誘導しようとする者だらけの「あり方検討会」に、ケアマネジメントを語る
資格はありません。





2012.04.11.

時速30kmの福祉(第124回)

 このところ、風の強い日が続いています。屋根が飛ばされたり、電柱が軒並
み折れて大停電になるなどの被害が、全国各地で報告されています。

 本日も、朝から強風で、小学校に上がったばかりの小さな子どもたちが、風
で飛ばされそうになりながらとことこと歩いてきました。よく見ると、その後
ろには、去年までの一年生が、転ばないように、飛ばされないようにと、両手
を前に差し出して守ろうとする姿が見られました。

 おそらく、1年前は、彼らも同じようにして、両手で守られていたのでしょ
う。目に見えない大切な何かが、人の生き死によりもずっとずっと長い時間を
かけて、手から手へ、そしてまた手から手へと、しっかり受け継がれているよ
うに見えました。

 介護保険の世界では、「自立支援」という言葉がよく使われます。自立を支
援する、とはどういうことでしょう?

 政府や政府に近い立場の人たちが語る「自立」は、「人の世話にならないこ
と」、「自分でできるようになること」のようです。

 どんな強風でも、自分で転ばないようになんとかする、飛ばされないように
なんとかする。それができるのが自立した状態だというわけです。そうなると、
「自立支援」というのは、いずれはそういう状態になるように支援すること、
という意味になります。

 そこまでは、一見すると、もっともなことのように見えます。しかし、小さ
なこどもたちの後ろ姿を見ていると、何かが足らないことに気づかされます。

 ただ、自分でできるようになれば、それでよいのか?

 そこで終わってしまっては、来年の1年生に、自分の両手を差し出すことが
なぜ必要なのかを学ぶことができません。そして、大切に受け継がれてきたか
けがえのない何かが、その瞬間にこぼれ落ちてしまいます。地に紛れてしまっ
たら、もはや再び手にとることができなくなるかもしれません。

 本当の自立は、強風に煽られたらひとたまりもない自分、弱い自分の真実の
姿を知るところから始まります。自分は一人でこの世に存在しているわけでは
ない。後ろの手に支えられて今の自分があることに感謝し、自らの手を前に差
し出せるようになろうとすること。それが、本当の自立です。本当の自立を支
援するということは、自らの手で受け取った大切な何かを、次の人に受け継ぐ
ことです。





2012.03.15.

時速30kmの福祉(第123回)

 2012年4月から、介護保険の事業者に支払われる報酬が変わります。こ
れにともない、サービスを利用される方の1割の利用料金や利用時間帯、利用
頻度なども変わってくることが予想されます。具体的に、どのような変わり方
をするのかについては、関係する省令・告示と通知等がインターネットで公開
されていますので、興味のある方はご覧ください。

厚生労働省のページより
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000239zd.html

 もっとも、介護報酬改定関係だけに絞り込んでも、A4版で600頁以上あ
りますし、行政特有の言い回しや専門用語などがたくさん混じっていますので、
読みこなすのは容易ではありません。この紙面で、大まかなことをお伝えしよ
うかとも思ったのですが、一つを説明するためにも多くの字数が必要なことば
かりなので、残念ながらあきらめることにしました。いますでに介護サービス
を利用しておられて、4月以降おかしなことになって困った、という方がいらっ
しゃいましたら、個別に当方宛ご相談ください。また、「ケアマネジメントを
みんなで考える会」のつどいの場で、他のサービス利用者の方々やケアマネジ
ャーの方々と意見交換、情報交換をしていただければと思います。今月のつど
いは、3月17日を予定しております。

 今回の改定の傾向は、これまで同様、大規模法人に有利な報酬配分となって
います。また、医療系サービスに有利な報酬配分であるとも言えそうです。

 どんなサービスがよいサービスなのかを決めるのは、本来エンドユーザーで
ある利用者のはずですが、その利用者の声を反映しないところで報酬が決めら
れるものですから、良いサービスを提供していてもそれに見合った報酬を得ら
れなかったり、質の悪いサービスでも優遇された報酬を得られたりというアン
バランスが解消されていません。マネジメント論の大家ピーター・ドラッカー
は、その著書で、このようなアンバランスな報酬誘導は、組織を誤った方向に
導く4大要因のひとつである旨の警鐘を鳴らしています。報酬の決め方自体の
見直しが必要です。





2012.02.15.

時速30kmの福祉(第122回)

 先日、一人暮らしの方からお電話があり、「眠れない」とのご相談を受けま
した。どうされたのか、よく聞いてみると、金曜日の夕方に数人の男性がやっ
てきて、布団を買う契約を結んだら、その日の晩から眠れなくなったとのお話。
急いでご本人と会い、契約書の内容を確認したところ、布団一式で代金60万
円を超えるお買い物。高級そうな立派なパンフレットには、「このお布団であ
なたの快眠を保障します」などと書かれてありました。

 契約しただけで、心配になって不眠になる「快眠布団」。実際にモノが届い
て使ってしまったら、それこそ眠れないどころか、クレジットの支払いが滞っ
て、住んでいる家を手放すはめになるかもしれません。

 「そうなったら、布団を敷くお部屋がなくなっちゃいますねぇ」とお話した
ところ、ご本人もこの契約の間違いに気づかれました。ただちに当方から業者
に連絡をとり、クーリングオフを通告、幸い契約を解除することができました。
その日のうちに地区の民生委員さんにこの情報を伝え、管轄地域内の一人暮ら
しの方などで、同様に眠れなくなっている人がいないか確認していただきまし
た。

 市町村合併前は、人口2万人強の小さな町。それでも、こういった類の様々
な訪問販売のトラブルが起きています。県外からわざわざ交通費を使って、ど
こかで購入した名簿を頼りに一軒一軒巡回。訪問時間帯は、どの業者も決まっ
て金曜の午後。クーリングオフ期間をかせぐために、金曜午後の消費生活セン
ターの電話相談受付が終了した直後からの集中訪問です。

 そこまで知恵を出し、手間暇をかけることができるのならば、他人をだまし
て利益を得るのではなく、まっとうに働いた方がよほどよいと思うのですが・
・・。「だまされる方が悪い」と為政者が言い放つようになってしまった国で
は、布団一式60万円などまだまだかわいい、ということなのでしょうか・・
・。当方のような古い人間にとっては、なかなか受け容れることのできない変
化です。





2012.01.16.

時速30kmの福祉(第121回)

 前回の時速30kmの福祉で言及した池田さんの論稿について、蛇足になり
ますが、感想の続きを書きます。

 池田さんは、「思考を停止させる『現場』という常套句」という小見出しの
文章で、ご自身が「福祉関係者」から「あなたは現場を知らない」と言われて
いること、その言葉は池田さんには通用しないこと、現場を知ろうが知るまい
が関係なく、論理的に正しいかどうかが大切だと池田さんは考えていることな
どが述べられています。

 この部分は、反批判を試みた結城さんも、自身への批判ではないとして、あ
る意味で切り捨ててしまった部分です。しかし、当方は、介護保険を破綻へと
誘う元凶が、この部分に凝集されていると感じました。

 池田さんが、もし本当に「批判」を試みたいのであれば、「福祉関係者」と
ぼやかさず、具体的に、いつ、誰が、どこで、どのような主張をしたのか、を
明らかにする必要があります。それがあって初めて批判の対象が確定し、その
対象に対する批判を行うことができますし、他者がその批判の当否を反批判す
ることもできるようになります。そして、そのような「本当の批判・反批判」
の積み重ねを行うことを通じて、「あなたは現場を知らない」という言葉が、
「論争を封じる」目的で発せられているのではなく、「政策の誤りが元で実社
会にどのような悪影響が及んでいるのかを明らかにし、その誤りを修正するフィ
ードバックを促す」目的で発せられていることが、誰の目にも疑いの余地なく
明らかになるはずです。

 古今東西、論理的な一貫性のみに頼り、事実を観ないで政策を立案してうま
くいった試しはありません。むしろ、悲劇的な犠牲を伴います。「空想」とは、
事実に基づかない考えのことを指します。事実から出発し、現実の社会の中で、
そこに生きる人々が何に困り、何を望んでいるのかを知るところから出発しな
ければ、困ったことを解決し、望んだことを実現する政策は生まれません。フィ
ードバックを否定するということは、PDCAサイクルが壊れているというこ
とであり、政策マネジメントに失敗しているということです。論理的な一貫性
を補強する材料のみを事実と認定し、都合の悪い材料は無かったことにして抹
殺する。ウソの上にウソを上塗りしていく。その挙げ句の果てが、今日の公的
介護保険の姿ではないでしょうか。

 今必要なのは、サービス利用者・家族の立場から、現場の専門職の立場から、
現実の社会で何が起きているのかを隠さず示す行動、政策へのフィードバック
に責任を負う行動です。その責任を各自が果たすことにより、政策のPDCA
サイクルを巻き返すことができます。むしろ、それより他にこの閉塞を打ち破
るすべはありません。





2012.01.16.

時速30kmの福祉(第120回)

 先日、ある方から、月刊の雑誌に掲載された以下の論稿に対する感想を求め
られました。

池田省三
「空想的介護保険論」からは何も生まれない──結城康博『日本の介護システ
 ム』への批判
(「介護保険情報」No.139所収 社会保険研究所 2011年10月1日号)

   この論稿は、淑徳大学の結城さんの著作の内容に対する批判として書かれた
もののようです。しかし、批判の対象としている結城さんの著作のタイトルを
正しく表記せず、出版社名も省くなど、著者に対する敬意を欠いていることが
明らかなので、本当は読みたくありませんでした。

 学問的な批判は、その対象を厳密に確定するところから始めなければなりま
せん。それがおそろかであるということは、学問に対する真摯さに問題がある
ということです。また、学問的な批判は、人格非難とは全く異なる行為です。
ともに真理を探究する者としての敬意がなければ、正しい批判を行うことはで
きません。この論稿には、残念ながら敬意を感じることができません。政治的
な効果を目的とした論稿であるならば、その目的を達しているのかもしれませ
ん。しかし、研究者が「批判」という言葉を用いる以上、その内容は学問的な
批判としての内実を持っていなければならないはずです。

 他方、結城さんは、同じ雑誌の1月号で反批判の論稿を出しておられますが、
必ずしも成功しているようには見えません。それは、反批判の対象がそもそも
学問的な批判に値するものではないのに、無理矢理反批判を試みたことに基因
するのだと個人的には思います。それぞれ本当に厳密な批判・反批判を行うの
であれば、あの程度の分量で収まる議論ではないはずです。

 今回の、あえて言えば括弧付きの「批判」「反批判」が今後も続く場合、学
問的な批判と人格非難の違いが曖昧になるばかりか、本当は議論されては困る
真の論点を隠すための「でっち上げの論争」に多くの人が巻き込まれ、疲弊し
てしまう恐れがないかと心配します。





2011.12.20.

時速30kmの福祉(第119回)

 古代ギリシャでは、「万物は火と水、土と空気の4元素の組み合わせで成り
立っている」と考えられていました。しかし、いまから11年前、当方が出会
ったその人は、「何にも難しいことはない。この世界は、男と女と金、それが
すべてだ」と強固に主張して譲りませんでした。その人にかかると、国会で白
熱した論戦が繰り広げられている難題も、長年に亘る国際的な大紛争も、なに
もかも男と女と金の3元素で説明できてしまうのでした。その話がなかなかお
もしろいということで、その人はどこに行っても人気者でした。

 そう、丁度11年前に、行政からの依頼で、当方は初めてその人に会いまし
た。男と女の関係は、天国から地獄の果てまで、金に至っては億から一文無し
まで経験し尽くしたその果てに、当方の目の前にあったのは、家族と別れてひ
とりぼっちになり、両足を痛め立つこともできず、腐った畳の上の万年床に横
たわり、大量のネズミの糞と死骸にまみれたその人でした。明日食べる米も、
病院に行くお金もなく、なによりも人として生きるとはどういうことなのか、
その記憶がすべて奪われていました。

 その人が、なぜか当方を受け容れてくれました。きっと、生き別れになった
一人息子の影を見たからなのでしょう。三元素のどれにも還元できそうにない
妙なケアマネジャーが加わって、その人の人生が少し変わりました

 門前払いの繰り返しだった公的扶助に道がつき、必要最低限の生活費は確保、
その他に、膝の治療費や両眼の手術代、内科通院の費用も工面できるようにな
りました。バリアフリーの住宅への転居には、民生委員さんや高齢福祉推進員
さん、果てはたまたま通りかかった近所の人まで荷物運びを手伝ってくれまし
た。ギャッジアップ式のベッドを導入し、大きすぎて収まりきらないお尻のた
めに、オーダーメイドの車いすを交付してもらいました。手すり付きの洋式ト
イレがあれば、誰の助けも借りずに用を足せるようになりました。車いすに乗
ったまま使える流し台は、得意な料理を再開する助けになりました。安く手に
入れた冷蔵庫と冷凍庫が食材でいっぱいになるのは時間の問題でした。

 何年か経って、その人は電動車いすに興味を示すようになりました。術後後
遺症で視野狭窄があるため、安全に操作できるかとても不安がありましたが、
試しに使って頂いたところ、あちこちぶつけて身体も車いすも傷だらけにしな
がら少しずつ運転を覚え、気がついたら車いすの車幅ぎりぎりの隙間をノンス
トップですり抜けるほどの達人になっていました。気候の良い日は、バリアフ
リーのスーパーマーケットまで出かけ、値切り倒して店員を困らせたり、近く
の客をつかまえて話し込み、手のとどかないところにある商品をカゴに入れて
もらったりして過ごすという新たな楽しみを開拓しました。

 今年の秋、日野原重明さんのご講演を聴いた後で、「100歳を目指しまし
ょう」と言ったのですが、その人は、「いや、もう長生きはしたくない」と返
されました。そして、「ケアマネジャーがどういう仕事か難しいことはわから
ないけど、塚本さんに出会う前と後で、わたしの人生観はひっくりかえるほど
変わった。それは、間違いない」とつぶやかれました。

 それからしばらくして後、体調をくずされて入院、数十日の闘病の後、旅立
たれました。厳しい水分制限下でしたが、許可を得て二口ほど含まれた翌日の
早朝のことでした。故人のご遺志により、ご遺体は大学病院に搬送され、将来
の医師の学びに供されることとなりました。車を見送る当方の年齢は、偶然に
も丁度一人息子が行方不明となった当時の年齢と同じでした。





2011.11.27.

時速30kmの福祉(第118回)

 先日、ある方から電話相談がありました。身体の具合が悪くなって、介護保
険の利用を考えているけれど、その場合、どうしても最初に地域包括支援セン
ターに相談しなければならないのか、とのお問い合わせ。事情を尋ねると、過
去にあまりよい体験をしていないもので、できれば相談したくないとの事でし
た。当方からは、介護保険の利用についてのご相談は、地域包括支援センター
だけではなく、市町村の介護保険を担当する窓口でも受け付けているし、すで
に居宅介護支援事業所のケアマネジャーをご存じの場合は、まずそちらに相談
することもできることをお伝えいたしました。

 地域包括支援センターをめぐる同趣旨の相談は、これまでにも度々受けてき
ました。その多くは、地域包括支援センタースタッフの能力に問題があるわけ
ではなく、それぞれの市町村の事業展開の手法に問題があるケースでした。な
かでも最も多いのは、市町村から地域包括支援センター運営事業を民間法人に
委託している場合です。地域包括支援センターの公正中立を十分担保しない委
託方法をとっているため、地域包括支援センターが受託法人の営業マンとなり、
利用者の囲い込みに走っている。良心的なスタッフは配置転換されたり、辞め
させられるので、職場内環境はとても重苦しくなります。

 利用者の側も、すでに地域の中で築かれてきた人間関係とは全く無関係に、
地域包括支援センターと利害を一にするサービスを利用するように求められて
困ることとなります。既存の人間関係をその人の生きる力とし、補強するのが
「地域包括ケア」であるのに、それとは正反対のことが「地域包括」の名の下
に行われてしまっているのです。

 地域包括支援センターも、かれこれ5年の歴史を刻みますので、ダメなとこ
ろはダメだと、地域の人たちも気づくようになってきました。しかし、地域包
括支援センターは地域割りなので、自分の住んでいるところを変えない限りは
他のセンターを利用することはできません。そこで、地域包括支援センター以
外の相談ルートを求めて、利用者同士のネットワークから当方のような立場の
相談員を見つけ、連絡してこられるのです。

 このような現象は、利用者だけではなく、介護サービス事業者の方々や開業
医の方々からも見られます。医療や介護の領域がますます地域寡占化し、選択
肢が狭められ、にがにがしく思っている人は大勢います。個々の利害からでは
なく、地域のより健全な代替え(オルタナティブ)ネットワークの必要性を感
じる人たちが、自主的に情報を発信し、手をつなごうとしています。

 当方個人は、国家の制度政策レベルで地域包括支援センターを廃止し、その
機能を居宅介護支援事業所が担うべきであると考えていますが、地域によって
は、制度政策がそうなる前に、社会実態として地域包括支援センターの形骸化
が進み、代替えネットワークの方で支えるしくみに転換していくかもしれませ
ん。





2011.10.22.

時速30kmの福祉(第117回)

 世の中の価値観はどうなっているのか、ときどき分からなくなります。リビ
アのカダフィ大佐に向けて若い兵士が撃った2発の銃弾。人権侵害だとアムネ
スティは言うけれど、その直前にNATO軍が行った空爆のことを人権侵害で
あるとは言わない。わたしには、その理由がさっぱり分かりません。

 新自由主義の価値観を体現する「だまされる方が悪い」という言葉。これを
言い放つということは、「自分はだますことはあってもだまされることはない」
と自己紹介しているようなもの。なぜ、平気でそんなことが言えるのか、これ
もさっぱり分かりません。

 ここ数週間のうち、にわかに出てきた現象。これまで介護保険のケアマネジ
メントをさんざんこき下ろしてきた人が、手のひらを返すように「ケアマネジ
ャーに期待しています」とエールを送る。新自由主義の立場から介護保険を瓦
解させてきた張本人が、「自分は新自由主義者ではありません」と言う。なん
でそんなことが言えるのか・・・。

 その言葉に心地よくだまされて、エールに応えましょうというケアマネジャ
ーは、「悪い」のか。あるいは、ほんとうは嘘だと知りながらだまされたふり
をして、「自由からの逃走」をきめこむケアマネジャーは、見事だましおおせ
て「善」なのか。

 あなたは、だます方の人間と、だまされる方の人間の、どちらが好きですか?

 そんな問いが、さも正しい問いであるかのように街道を歩いているけれど、
本当に正しい問い?

 これは、どちらが好きか、好きな方を選べというのんきな話しではない。人
間の社会は、言葉によって形成されている。社会の中枢で言葉が詐用されれば、
人間社会は存立基盤を失い、瓦解する。選択の余地など、ないのだ。

 本当に、「自由からの逃走」を決め込んでいて済むのか? それで、逃げ切
れるのか? ケアマネジャー各位に問いたい。

あなたは、だまされてはいないか?





2011.10.01.

時速30kmの福祉(第116回)

 今回は、9月18日に登壇したシンポジウムで発表させていただいた要旨を
以下のアドレスから発信しておりますので、これに代えさせていただきます。

       「地域包括ケアとケアマネジメント不要論
        〜ケアマネジメントの再生にむけて〜」
    2011世界アルツハイマーデイ記念シンポジウム塚本発表要旨
          テーマ「地域包括ケア」の光と影
           2011.09.18.SUN.13:00-16:00
            サンフォルテ2階ホール

    http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/p-chuchotement2011091801.html





2011.08.23.

時速30kmの福祉(第115回)

 報道によれば、8月22日に「これからの認知症ケアを考える」をテーマに
したシンポジウム(介護の社会化を進める1万人市民委員会2010主催)が開催
され、与野党の国会議員が登壇、意見交換したそうです。

 このとき、龍谷大学の池田教授より、認知症ケアをめぐる介護と医療の連携
に関連して、「ケアマネジメントをきちんとやっていけるのは、訪問看護師で
はないか」との発言があった由。どのような議論の流れでこの発言がなされた
のか当方には分かりません。また、この記事を書いた記者の方の解釈が影響し
て、池田教授の真意が伝わっていないのかもしれません。そのような留保を前
提としてではあるのですが、「ケアマネジメントをきちんとやっていけるのは、
看護師」ではなく、「訪問看護師」と主張されたことに強い違和感を持ちまし
た。

 現場に身を置く者であれば誰でも知っていることですが、訪問看護師の仕事
は、片手間でケアマネジメントを行えるほど生やさしい仕事ではありません。
設定された報酬の限界や運営基準のしばりのなかで、どの事業所も慢性的な人
出不足に陥り、非常勤をつないで青息吐息で事業を続けています。法人の方針
で介護支援専門員を兼務させられる訪問看護師の方々も確かにいらっしゃいま
すが、そのご本人自身が、このような兼務には無理があることを一番よく知っ
ています。逆から言えば、ケアマネジメントは、訪問看護の片手間で行えるほ
ど生やさしい仕事ではないのです。

 登壇した議員の中には、訪問看護事業の安定のために包括算定化をと主張す
る方もあった由。包括算定化には、その条件として事業規模の拡大を求められ
ます。もっと言えば、現場から強い要請のある訪問看護一人事業所開業の余地
を認めないということでもあります。

 介護保険10年の歴史は、現場(社会実態)を知らない人が政策を頭の中で
こしらえ、無理矢理現実の社会に適用しようとして失敗し続けてきた歴史です。
歴史から学ばない者は愚かです。まず現場を知り、そこから謙虚に学んでほし
い。ケアマネジメントが、別の本業の片手間でできる仕事ではないことを知っ
てほしいと思います。

(参考情報)キャリアブレイン
≪認知症ケアめぐり与野党議員が意見交換- 介護1万人市民委シンポ ≫
http://www.cabrain.net/news/article/newsId/35325.html





2011.07.17.

時速30kmの福祉(第114回)

 先日、ある方から、「夏休みは何日ぐらいですか? どんなことをして過ご
しますか?」とのご質問がありました。

 当方の場合、お盆やお正月は、地域がら、遠方のご家族がこぞって地元に帰
省されますので、例年お気持ちや思いを直接うかがう貴重な機会となっていま
す。また、ご事情により、入院・入所されて久しくお身内が面会に来られない
方もありますが、当方が季節の節目ごとにお訪ねすると、こんな顔でも喜ばれ
ます。

 と、このように書くと、仕事ばかりして休んでいないかのようですが、必ず
しもそうではありません。

 前職の在宅介護支援センター相談員の頃は、介護保険外の相談(医療相談や
路上生活者支援、社会的ひきこもり相談などです)をお受けしても、被用者と
いう立場上の制約で、相談業務全体としてみるとどうしても無理や無駄な動き
が生じました。家には寝に帰るだけの「休みなし」状態が慢性化し、身体的に
も精神的にも消耗してしまいました。

 開業後も、介護保険の相談と介護保険外の相談の総和量は変わりません。し
かし、自分の働く時間と内容を、完全に自分の裁量と責任で決められるので、
無理や無駄がなくなり、より効率的に仕事ができるようになりました。また、
精神的なストレスから解放されて、自分の時間(大げさに言えば「自分の人生」)
を取り戻せているような気がしますし、より納得のいく仕事ができているよう
に思います。

 居宅介護支援事業所の独立開業というと、とかくマイナスイメージばかりが
宣伝されますが、実際に事実を丹念に調べると、宣伝されているのとは逆に、
まさにマイナスと言われているその部分に、実はプラスの要素があると気づき
ます。

 当事業所に限って言えば、職住近接で通勤時間ゼロですし、自前の民家を活
用していますので、税金を原資とした建設補助金や助成金のたぐいは一切いた
だいておりません。また、休日夜間の相談対応なども特別なことは必要なく、
ただ普通に住んでいるだけで事足ります。光熱水費も通信費も折半なので環境
負荷がその分減ります。そしてなにより、人件費を浪費する天下りポストは全
くありません。これらだけを考えても、独立開業の一人事業所のコストパフォ
ーマンスは、実はかなり優れていることが分かります。

 国の政策担当者は、事業規模拡大で公費を節約すると言います。しかし、そ
の政策誘導にかける膨大なコストまで含めて考えると、費用対効果が逆転しま
す。また、寡占化の弊害がメリットを上回ってしまいます。

 これからは、重厚長大ではなく、簡素で柔軟なウェブネットワークの時代で
す。時代遅れの政策を軌道修正すべきです。





2011.07.05.

時速30kmの福祉(第113回)

 6月16日・17日と、東京で日本ケアマネジメント学会が開催され、参加
しました。今回の学会で、当方が個人的に印象に残ったことが2つあります。
ひとつは、国際高齢者医療研究所所長の岡本祐三さんの、「財源の管理者が方
法論を取り仕切るのは危険である」というご発言です。これは、今後の「ケア
の標準化」や「ケアマネジメントの標準化」の方法論を占う鋭い批判と感じま
した。

 もうひとつは、来年の学会大会長である落久保裕之さんのご発言です。「一人
開業医」のマイナスを補うために医師のネットワーク化や在宅療養支援診療所
への収斂の方向を示唆した政策サイドからの発言に対し、現場実践者の経験を
踏まえ、患者さん一人ひとりに対するチーム医療がきちんとできていれば、
「一人開業医」であっても現場実務上の支障を感じることはなく、むしろ医師
の複数化による弊害を解消できるという趣旨の「やわらかな反論」をされまし
た。落久保さんの主張は、当方が現場で見聞する地域医療の実態とよく符合し
ますし、「一人ケアマネジャー」批判への反批判としても同様に感ずるところ
がありました。

 学会の翌日には、「時速30km」でも度々言及しました「ケアマネジメント
をみんなで考える会」の全国のつどいを開催しました。この度は、介護保険ケ
アマネジメントを語り尽くそうという企画だったのですが、参加された方から
「介護保険から生活援助をはずすことに大賛成」とのご意見が出て驚きました。
よく聞いてみると、今の生活援助には不合理な制約がいっぱいあるので、そん
な使い物にならないサービスは廃止して、代わりに本当に必要なサービスを制
約なしで受けられるようにすべきとのご主張でした。この時期に生活援助をは
ずせと主張することには賛成しかねますが、不合理な制約をなくせという部分
には共感しました。

 不合理な制約がないということでは、小規模多機能型居宅介護が臨機応変に
必要を満たすことが出来るという意味で優れており、硬直しがちな従来型サー
ビスのケアマネジメントにも小規模多機能型居宅介護のノウハウを活かせるよ
うに、おかしな制度上の制約をなくせばよいという意見も出ました。この指摘
には当方も大賛成なのですが、そのおかしな制約の最たるものが「要介護認定」
の問題であり、これをどう解決するかが重要ではないかと当方からは問題提起
しました。要介護認定については、ご本人・ご家族から、実体験を踏まえて
「廃止してほしい」という明確な主張が聞かれました。

 他にもいろいろな話題提供や意見交換などがありましたが、あっという間に
時間となってしまいました。密度の濃いひとときを過ごすことができました。





2011.06.03.

時速30kmの福祉(第112回)

 ケアマネジャーは忙しいのにお金にならない仕事なので、ときどき聞かれま
す。

「どうしてケアマネジメントの仕事を続けているんですか」

 そういうときは、決まってこう答えるようにしています。

「そこにとしよりがいるから」

 たいていの会話は、そこで笑っておしまい。でも、さらに質問する人も・・
・。

「そうは言っても、いつまで続けるんですか? 独立開業なら停年はないでしょ
うし。死ぬまで続けるんですか?」

「できるところまで」

「病気になったり、認知症になったりするまでですか?」

「いえ、認知症になっても続けます」

「え? 認知症になっても? それは無理でしょう?」

「いえ、無理なことはありません。ケアマネジメントは、ひとりケアマネジャー
のみが行うものではなく、ご本人・ご家族とともに行ってはじめて完成するも
のです。だから、わたしが認知症になったら、本人として自分のケアマネジメ
ントを行うのです。」

「自分のケアマネジメントを自分で? やっぱり分からない。認知症になった
ら、自分では無理でしょう?」

「自分だけでは無理かもしれません。そういうときは、誰か、ケアマネジャー
を探さないといけないですねぇ。その意味では、将来のわたし自身のためにも、
本人・家族とともに歩むケアマネジメントがちゃんと分かるケアマネジャーを、
いまのうちから増やしとかなきゃいけませんねぇ・・・。」

 お話の相手は、なんのことだかちんぷんかんぷん。でも、こちらは自分が答
えた言葉によって初めて気づきました。

 そうか、自分のためにも増やさなきゃいけないんだ・・・。


(追記)

 当方の所属する「ケアマネジメントをみんなで考える会」では、以下の日程
で「本人・家族とともに歩むケアマネジメント」について「語り尽くす」つど
いを企画しています。将来認知症になっても、自分のケアマネジメントを自分
で行いたい人は、どうぞご参加ください。 (^。^)


              =緊急企画=
  テーマ 「こんなときだからこそ、ケアマネジメントを語り尽くそう!
       〜介護保険ケアマネジメントの再生を目指すつどい〜」
  日 時 2011年6月18日(土)午前9時30分から
  場 所 女性就業支援センター(旧「女性の仕事の未来館」)
      第一セミナー室
  申 込 ケアマネジメントをみんなで考える会(担当・福本)宛
    TEL/FAX:048-487-2319





2011.06.03.

時速30kmの福祉(第111回)

 「地域包括ケア」という言葉があります。言葉の由来は、アメリカの一部地
域で始められた「高齢者のための包括的ケア・プログラム(Program of All-
inclusive Care for the Elderly)から来ています。このプログラムは、アル
ファベットの頭文字をとって、通常はPACEと略されます。

 「包括」という言葉は、PACEでいうインクルーシブ(inclusive)なの
ですが、このインクルーシブは、障害のあるなしで子どもを分け隔てせず、す
べての子どもに必要な教育を行うという意味の「インクルージョン教育」の語
源と同じです。インクルーシブには、「排除しない」という言葉本来の意味が
あります。

 もし、2012年度以降の「地域包括ケア」が、ケアを必要とする高齢者を
地域から排除しないためのしくみとなるのであれば、それは誠に結構なことだ
と思います。しかし、現在国会で審議されている介護保険法改正案と医療・介
護報酬同時改定案の内容は、言葉の意味とは正反対に、結果的に高齢者から必
要なケアを奪い、地域から排除する方向へと進む恐れがあります。

 たとえば、24時間巡回型の訪問介護を利用しようとすれば、事業者にとっ
ては、より少ない訪問介護スタッフで効率的に仕事を回せば利益率が高まるの
で、利用者・家族にとって必要な時刻と内容にケアサービスが提供されるので
はなく、事業者の都合に合わせた時刻と内容のサービス提供を押しつけられる
可能性があります。それが嫌で、従来型の個別サービスを組み合わせてプラン
を立てようと思っても、今度はその地域で提供される従来型サービスの供給制
限(2012年度以降新設されるサービスに連動した制限です)にひっかかっ
て、必要を満たすプランを立てることができなくなるかもしれません。

 公的な介護保険に頼れず、お金で私的なサービスを買うほどの余裕のない人
はどうなるでしょう。政府は、地域のボランティア組織が提供する安価なサー
ビスを利用したり、近隣で助け合うなりして支えてくださいと言いますが、地
域の人々は打ち出の小槌ではありません。そんなに都合よく「間に合ったね」
「良かったね」とはなりません。むしろ、「地域の人に迷惑をかけるなんて、
あそこの嫁はなんて嫁だ」などという陰口に耐えきれなくなって、家族は勤め
ていた会社を辞めざるを得なくなるかもしれません。また、家族にそんな思い
をさせたくないばかりに、住み慣れた自宅での生活をあきらめ、その地域から
出てケア付き住宅に移住する人が出てくるかもしれません(政府は、ここ数年
ケア付き住宅への住み替えを強く推奨しています)。ケア付き住宅への移住も
お金がかかることですので、それもできない人、家族からの支援も得られない
人は、いよいよ生きること自体に行き詰まらないとも限りません。これでは、
インクルーシブどころか、人間の排除(エクスクルーシブ)そのものです。

 アメリカのPACEも、必要なケアが満たされないという問題を指摘されて
いるのですが、日本の「地域包括ケア」は、それとは比較にならないほどの高
齢者排除を引き起こす恐れがあると個人的には心配しています。また、必要な
ケアが分かっているのにそれを満たすことができないという意味で、良心的な
ケア現場のスタッフほど精神的に苦しい思いをしなければならなくなるでしょ
うし、ケアマネジメントが機能不全を起こすことによって、居宅介護支援事業
所のケアマネジャーも、地域包括支援センターのスタッフもともに徒手空拳の
苦境に立たされることとなるでしょう。

 そうならないためにはどうすればよいか、6月18日に東京で開催される
「介護保険ケアマネジメントの再生を目指すつどい」では、地域包括ケアの実
践者でもあるNPOもんじゅの飯塚裕久さんといっしょに考えを深めていきた
いと思います。

     
ケアマネジメントをみんなで考える会主催
     「緊急企画!! こんなときだからこそ、ケアマネジメン
      トを語り尽くそう! 〜介護保険ケアマネジメントの
      再生を目指すつどい〜」






2011.05.05.

時速30kmの福祉(第110回)

 3月11日金曜日の午前、政府の定例閣議が開催され、「介護サービスの基
盤強化のための介護保険法等の一部を改正する法律案」が閣議決定されました。
4月5日には通常国会に上程、大きな紛糾などがなければ、6月下旬の国会会
期終了までに可決成立する見込みです。

 ところで、同じ3月11日の午後2時46分頃、東北三陸地方に大地震が発
生し、その後は大津波と広域火災、原子力発電所の事故、さらには放射能をめ
ぐる風評被害と、次々に追い打ちをかけるような災害が襲いかかりました。

 連日昼も夜も、どのチャンネルをひねっても被災関連の報道ばかり。当方が
定期訪問で回った先々で、皆さん一様に「見ているだけでつらい」「苦しい」
と訴えられました。こういったPTSD(心的外傷後ストレス障害)まで含め
ると、いったいどれだけの被害が発生しているのか見当もつきません。

 震災直後からの自発的な救援活動や集まった巨額の義援金は、平時には深く
自覚するに至らない「わたしたちが人生で本当に望んでいることは何か」を、
凄惨なまでに、まざまざとわたしたちの眼前にさらけ出しました。

 わたしたちは、決して「ケアを受けない身になること」を理想として生きて
いるわけではない。互いに補いあい、必要なケアをともに満たす人間関係を求
めている。「介護予防」といい、「自立支援」というも、いまとなってはなん
と浅薄な言葉か・・・。

 当方や当方の仲間たちは、介護保険のケアマネジメントが、人々の必要を満
たすために活かされるものとなるよう望んでいます。しかし、今般の介護保険
法の改正案は、それとは逆方向の内容に思えてなりません。

そこで、震災の影響冷めやらぬ時と場所ではありますが、以下のつどいを緊
急企画し、情報交換や意見交換を通じて、この状況をどう考えるべきなのか、
これからどうすべきなのかをともに見つけていきたいと思います。関心のある
方のご参加をお待ちしています。

              =緊急企画=
  テーマ 「こんなときだからこそ、ケアマネジメントを語り尽くそう!
       〜介護保険ケアマネジメントの再生を目指すつどい〜」
  日 時 2011年6月18日(土)午前
  場 所 女性就業支援センター(旧「女性の仕事の未来館」)
      第一セミナー室
  申 込 ケアマネジメントをみんなで考える会(担当・福本)宛
    TEL/FAX:048-487-2319






2011.04.19.

時速30kmの福祉(第109回)

 認知症の人に向かって、「正気に戻ってください」と言ったら、それは間違
ったケアでしょうか、あるいは、人権の侵害でしょうか。そこだけを見れば、
それは当然間違っている、人権の侵害だ、と言われそうな話しです。

 ここでは優さんと呼びます。優さんは、夫婦二人暮らし。脳卒中で半身麻痺
となった妻を十年近く介護して来られました。その姿は献身そのもので、「自
分は妻より1日だけ長く生きたい」というのが口癖でした。数年前から物忘れ
の自覚症状があり、妻の担当ケアマネジャーから勧められて精密な検査を受け、
確定診断を得てアリセプトを服用していました。

 ある日、妻は脳卒中を再発、病院に緊急入院しました。この度は症状が重く、
口から食べることが難しい。そこで、担当の医師は、おなかに穴を空けて胃に
管を通し、直接栄養が届くようにする手術(胃瘻造設術)を提案しました。
 その説明を聞いて、優さんは大混乱に陥りました。医師から手術が必要だと
いう説明をひととおり受けたものの、その意味がよく分からない。おなかに穴
を空けるとはどういうことか。口から食べないで生きていけるのか・・・。胃
に管を通して栄養を送るというが、退院して家に戻った時に、そんな複雑なこ
とを自分にやれと言われてもできるか、間違ったことをして命にかかわること
が起きはしないか・・・。

 日が明けるたびに、説明された言葉の意味や説明の内容はあいまいにぼやけ
て、どうしよう、どうしようという不安だけが増幅されていきます。その不安
と焦燥から、「なぜ入院なんかしなければならなくなった?」「入院する前は
口からちゃんと食べていた。入院してから食べられなくなったのは、治療が間
違っているからではないのか?」と、担当の医師や看護スタッフを責めるよう
になりました。また、「胃に穴を空けるなどかわいそうでできない」、「口か
ら食べられなくなったら生きている価値がない」などとも言われるようになり
ました。手術同意がないまま時間だけが経過し、このままでは栄養が不足して
体力がどんどん奪われていきます。担当の医師は困り果てました。

 そんな折に、優さんから妻の担当ケアマネジャーに電話がかかりました。お
話の内容はいつもと同じ。病院が悪い、手術なんかできるか、とかなり興奮し
てまくし立てます。しかし、「口から食べられなくなったら生きている価値が
ない」と言われたとき、ケアマネジャーはいつもとは違う行動をとりました。

「正気に戻ってください!」

 あまりの強い口調に、優さんは驚きました。

「わたしは日々面会し、奥様が胃瘻造設の手術をしても生きたいと思っておら
れることを知っています。生きている価値があるかないかを決めることなど誰
にもできません。奥様を入院させたのは私です。私は、生きている価値がない
と言われるようないのちを救ったおぼえはありません!」

 10年近くケアマネジャーとしてこのご夫妻と人生をともにしてきたのです
から、「口から食べられなくなったら生きている価値がない」という言葉を
「口から食べられる元通りの姿にもどって自分のところに帰ってきてほしい」
と翻訳しなければならないことぐらい分かっていました。しかし、ここであえ
て優さんの表の言葉を否定することによって、優さんがご自身の本当の心と真
正面から向き合うよう場の切り替えを試みたのです。少々荒っぽいように見え
ますが、このような急展開の介入の仕方もあるのです(ブリーフセラピー)。

 それから、優さんの口調は、静かに、穏やかになりました。「1日だけ長く
生きたい」とだけ願って生きてきた人生。悲しみが、染みるように伝わってき
ました。

 優さんの表の言葉だけを追えば、優さんが求めていたのは、科学的な検査結
果や治療方針の説明、今後の病状の推移の予測などの情報ではないかと誤解し
てしまいますが、実はそうではありませんでした。だから、求めていないもの
が繰り返し与えられるたびに、「それは違う!」「それは違う!」と否定しな
ければならなくなり、優さん本人も、病院スタッフも苦しまなければならなか
った。優さんが本当に求めていたのは、運命の前に無力に投げ出されている
「わたし」の今を誰かに知ってほしい、ということでした。場の切り替えに
よって、優さんは、自身でも気づかないまま本当は求め続けていたものに、
やっと正面から向き合うことができたのかもしれません。その後、優さんは手
術に同意しました。そして、手術後も口から食べる訓練を試みることや、自宅
に帰るときには医師や看護師の訪問など、必要な助けを得ることなどを話し合
われるようになりました。

 ケアとは何かを考えるとき、まず無くてはならないことが、運命の前に無力
に投げ出されている者同士であることを確認しあい、そのつらさを分かち合う
ことです(コンパッション・「共苦」などと訳されます)。コンパッションを
基盤としないケアは、ケアではありません。

 また、ケアは、人と人との関係そのものです。AさんとBさんとの関係にお
いて正しく成立するケア内容であっても、それと同じものがAさんとCさんと
の関係においても正しく成立するとは限りません。まったく見ず知らずの人が、
優さんに向かって「正気に戻ってください!」と言ったら、これは正しいケア
とは到底言えないのと同じです。これまでの固有の人間関係の蓄積がどうであ
ったかという背景事情が分からなければ、個々のケアの内容を正しいとも、正
しくないとも判断できないのです。ケアとはそういうものです。

 認知症ケアという言葉がありますが、認知症の人が必要とするケアと認知症
ではない人が必要とするケアが全く別物だという前提でものごとを考えてしま
うと、認知症の人ひとりひとりとの固有の人間関係が見落とされ、認知症の人
であれば誰に対しても通用するケア、認知症の人に対して、誰が対応してもそ
のようにすれば通用するケア、といった、客観性や普遍性を求める方向に進ん
でしまうのではないでしょうか。それは、具体的に生きている個々のAさんや
Bさんにとって、決して最善のケアではありません。外部から正しいとされる
「ケア」を押しつけられて、その結果本当に必要なケアが奪われるということ
がないようにしなければなりません。





2011.02.26.

時速30kmの福祉(第108回)

 「介護予防」という言葉があります。言葉の意味は、「介護を予防する」と
いうことです。さて、介護を予防するとはどういうことでしょう?

 病気になるのを予防する、というのは、分かります。でも、それを「医療を
予防する」とは表現しません。リハビリテーションや看護の場合もそうです。
リハビリテーションを予防するとか、看護を予防するとは言いません。その代
わり、「予防医療」や「予防リハビリテーション」、「予防看護」という言葉
ならあります。なぜ介護だけ「介護予防」なのでしょう? 「予防介護」では
ないのでしょう?

 国際的な言葉遣いの常識で言えば、「予防」というときは、プリベンティブ
と表現します。「予防医療」はプリベンティブ・メディシン、「予防リハビリ
テーション」はプリベンティブ・リハビリテーション、「予防看護」はプリベ
ンティブ・ナージングです。そして、「予防介護」はプリベンティブ・ケアで
す。
 プリベンティブという言葉にはどういう意味があるのか・・・。もともとの
意味は、「あらかじめ(何か悪いことが起きるのに)備える」といった意味で
す。通常は、治療というと、病気という悪いことが起きてから始めるものです。
病気になって治療を受けられなかったら大変です。だから、病気になったら必
要な治療が受けられるということはとても大事なことです。でも、必要な治療
が受けられるしくみが仮に出来上がったとしても、それがゴールではない、と
考える人が出てきました。もし、病気になること自体をあらかじめ食い止める
ことができれば、苦しまなくて済む。苦しんだ後に治療して治るよりも、そも
そも苦しまずに済めばその方がずっと良いに決まっています。そこで、治療の
技術や理論を応用し、病気になる前の人にも対象を拡大して医療を実践するこ
とが始まりました。それが、「予防医療」(プリベンティブ・メディシン)で
す。「予防医療」は、医療を予防するのではなく、予防のために医療の守備範
囲を拡大するという意味が込められています。

 「予防介護」(プリベンティブ・ケア)についても、同様のことが言えます。
なんらかの病気や怪我、障害などで人生の途中からその状態に応じたケアが必
要になることは、人間誰しもあり得ます。そんなときに、それぞれの状態に応
じたケアが受けられるということはとても大事なことです。でも、必要なケア
が受けられるしくみが仮に出来上がったとしても、それがゴールではない。も
し、ケアの技術や理論を応用し、上のような状態になる前の人にも対象を拡大
してケアを実践すれば、原因となる病気や怪我、障害などが防げたり、軽減で
きる可能性があります。それを目指すのが、「予防介護」(プリベンティブ・
ケア)です。「予防介護」は、ケアを予防するのではなく、予防のためにケア
の守備範囲を拡大するという意味が込められています。

 日本政府は、「自立」という言葉の意味を、「介護を受けないこと」だとね
じ曲げて解釈しています(注:国際常識でいう「自立」は、ケアと二律背反の
関係ではないということは、「時速30kmの福祉」でも度々言及してきたと
ころです)。そこで、自立支援という言葉は「介護を受けないようにすること」
と同じ意味になり、いますでに介護が必要な人からも「自立しなさい」と言っ
て介護を奪うことが「自立支援」の名の下に行われています。

 そればかりか、そのような価値観では、介護は「できれば受けずに済めばよ
い必要悪」と受け止められてしまうため、予防の対象が、「何か悪いことが起
きるのに備える」というときの、「悪いこと」=「介護」という結びつけられ
方をしてしまいます。このような理解の仕方をすると、「自立支援」と「介護
予防」は、ともに「介護をなくすのは良いこと」という意味で同義の言葉とな
ります。

 上に見てきたとおり、日本で言う「介護予防」は、国際常識で言う「予防介
護」とは正反対の意味だということが分かると思います。わたしと、わたしが
所属する「ケアマネジメントをみんなで考える会」では、「介護予防」という
恥ずかしい言葉を国家が行政用語として国民に使用強制させるのを止めるべき
であると訴えています。論者の中には、このような私たちの主張を言いがかり
であるかのように決めつけ、「介護予防」とは表現しているけれど、中身はプ
リベンティブ・ケアのことを意味しているのだと強弁する人があります。しか
し、「介護予防」という行政用語を公式に英語に訳した文書では、「ケアプリ
ベンション」という言葉が用いられ、字義通りに日本語に逆翻訳すれば、「ケ
アという悪を防ぐ」という意味合いになります。「介護予防」という言葉は日
本国内だけの恥ですが、「ケアプリベンション」という造語は世界に日本の恥
をさらす言葉であり、即刻すべての公文書から削除すべきだと思います。

 自立とケアは矛盾対立するものではありません。すべての人に必要なケアを
満たすことが、すべての人の本当の自立を支援することです。





2011.02.23.

時速30kmの福祉(第107回)

 前回の「時速30kmの福祉」では、先の社会保障審議会介護給付費分科会
に提出された調査結果資料について、やや厳しく意見を述べました。今回の調
査に限らず、国が行う調査には、初めから導き出したい結論が決まっていて、
それに沿うような調査が行われるという、ある意味で「八百長」調査が疑われ
るものがいくつもあります。「ケアマネジメントとは、無駄なお金を1円でも
節約して、それを必要な人のケアにまわす仕事だ」と考えている当方のような
立場の者としては、できることなら八百長に関わった全員の携帯電話の通話履
歴をすべて提出させ、癒着の全容を解明して一気に叩きつぶしたいところです。
                             (^_^;)

 国は、「認知症ケアとは何か」について、エビデンスを確立しなければなら
ないと言っています。しかし、その目的は、公費で賄うケアの範囲を限定する
ため。もともとの目的がそうなので、国が根拠として主張するデータは、おき
まりのでっち上げ調査で作られかねません。

 サービス利用者と家族が「認知症ケアとは何か」という問いを発する目的は、
自分たちはどんなケアを必要としているのかを確認するためであり、もともと
目的が異なります。とは言うものの、両者は平行線のままであってはダメで、
エンドユーザーであるサービス利用者と家族が必要とするケアが提供できるし
くみづくりと国の政策が一致しなければなりません。いま必要なのは、サービ
ス利用者と家族からの政策へのフィードバックだと思います。それが弱いと、
国の枠組みに取り込まれていってしまいます。

 当方の私見ですが、認知症ケアを突き詰めて考えると、認知症の人と家族に
とって必要なケアは、それ以外の人には不要なケアということではなく、すべ
ての人にとって必要なケアは一つであり、それが満たされれば認知症の人「も」
家族「も」必要なケアが満たされるということだと思います。

 国は、政策上の便宜として、ケアを「身体介護としてのケア」と「認知症ケア」
の2種類に無理矢理分けたがっています。「身体介護としてのケア」は、物理
的・機械的だから、(1)介護ロボットに置き換えていける→成長産業分野へ
の投資効果がある、(2)外国人介護労働者でも単純労働としてこなせる→人
件費抑制が可能であり、かつ外国人労働者受入・規制緩和の面で輸出関連産業
分野の黒字と相殺可能なので経済効果を期待できる、(3)リハビリテーショ
ンを前置すれば提供する介護量を減らせる→サービス抑制が量的に可能である、
という方向に(それが本当かどうかは別にして)議論を誘導してきた観があり
ます。真の目的は、経済界の利益を拡大する事であっても、表面的には「ケア
について考えています」ということにしなければならない。そこで、以下のよ
うなでっち上げの理屈が出てきました。

 根本的な価値観として、ケアは「必要悪」という価値観で、できればない方
が良い、理想は「ケアのいらない状態」だ、ということで、そのような状態の
ことを「自立」と呼ばせる理屈をでっち上げました。そういう価値観なので、
「自立支援」とは、「ケアを受けない状態にすること」と同じ意味になってし
まいます。だから、必要なケアまで受けない状態にすることであっても、「自
立支援」の名の下に簡単に行われてしまいます。

 国が頭を痛めているのは、本来切り離せない一つの「ケア」を、上のような
よこしまな目的で「身体介護」だけを切り取ってしまったがために、残った
「ケア」のなかでも姿が目立つ「認知症ケア」について、統一的な説明ができ
ないということです。もともと「方便」で作った「自立支援」観や「身体介護」
観の延長線で「認知症ケア」観を組み立てようとしても、どうしても無理が
生じます。そういう意味で、国は「認知症ケア」を「難しい問題」だと言っ
ているのだと思います。自業自得です。

 われわれが、認知症ケアについて語るとき、そもそもケアとはなにか、とい
う根本にまで立ち返ることが肝要だと思います。そうすることによって、国の
価値観が根底から間違っている事が明らかになり、認知症ケア以外のケアのあ
りようも正していくことができます。また、正していかなければ、認知症ケア
自体も、われわれの望む姿にはならないと思います。

 ケアマネジメントをみんなで考える会では度々申しておりますが、「高齢者
のための国連原則」では、「自立」と「ケア」はどっちかを立てればどっちか
が立たないという二律背反の関係として位置づけられているわけではありませ
ん。どちらも必要だとされています。つまり、国際的な常識は、「ケアがいら
ない状態が自立である」ということではなく、「ケアと自立はともに高齢者に
とって必要なこと」であり、「高齢者が自立するためには、必要なケアが満た
されていなければならない」とも読めます。そして、それは、われわれが実社
会での生活で体験していることと、実によく一致しています。必要なケアが満
たされないばかりに人間としての自立を奪われる人が、われわれの目の届くす
ぐそばに大勢出現しています。そして、それはケア政策を変更することによっ
て改善可能でもあります。

 日本政府は、「高齢者のための国連原則」を肯定する立場ですし、WHOの
国際生活機能分類ICFを肯定する立場でもあります。ICFの価値観も、高
齢者のための国連原則同様に、「生物的・心理的・社会的にトータルな健康」
は、必要なケアが満たされているかどうかに左右されるという考え方です。

 そういったことを根拠にして、日本の介護保険政策は、日本政府が肯定して
いるはずの国際的なケアの理念からみてもおかしいのではないか、という投げ
かけを政策サイドに対して行うのが、先に述べたフィードバックの手法として
有効ではないかと考えます。

 あと、国と地方、民間の役割分担ということは、いずれにせよ問題となりま
す。この点については、国の支出を抑えることが最優先なのではなく、必要な
ものまでカットしたら、長期的にはいわゆる不経済効果が生じ、それを回復す
るためにより多くのコストを払わなければならなくなることまで考慮し、カッ
トしてはいけないライン(ナショナル・ミニマム)を守るよう求めることが効
果的であると思います。それをカットするということは、国民を見捨てる
(棄民)政策そのものであり、絶対容認できないことです。GDP2位から3
位になったといっても、高いGDPであることに変わりなく、その国家が棄民
政策をとってしまったら、他の国々の政策に波及し、日本国民だけではなく、
世界中の人が影響を受けて苦しむことになります。近時の中東情勢ではありま
せんが、多国籍企業だけ豊かになって人民が苦しむという構図の世界ではやが
て不安定となり、最終的には多国籍企業自体の利益も損なうことになります。
こういった不幸の連鎖を止め、ケアの良循環を生むことが経済活動全体にとっ
ても必要です。

 さらに、勢いにまかせて付言すれば、「自立支援とはケアのない状態にする
こと」という発想は、自分はケアを受けなくてもやっていける一人前で、他者
はケアを受けなければ生きていけない半人前だという見下した価値観を内包し
ています。このような価値観は、競争社会で勝ち抜いてきたエリート層の価値
観に符合します。まさに政府官僚や大企業のトップの価値観です。しかし、そ
のような人たちも、自分たちが気づいていないだけで、様々なケアによって生
み育てられた過去があって現在があるのであり、しかも、現在も見えないだけ
で様々な他者からのケアに支えられて生きているはずです。社会的存在として
の人間は、ケアがなかったら生きていけません。その事実を謙虚に受け止め、
自分だけが幸せなら他者がどうなっても良いという価値観を改める必要があり
ます。他者だと思っていたが、実は自分とはケアによってつながっている存在
であり、他者を否定することは自分自身を否定することなのだと気づかなけれ
ばならない。人々をケアで満たすということは、自分自身の「人としての自立
の最高形態」なのだという価値観(社会連帯の価値観)を広めるべきだと思い
ます。「自立支援とは、必要なケアを満たすことである」と喝破すべきです。

 ケアというキーワードを折り返し点にして、新自由主義の「飛び出す絵本」
をいったんパタンと閉じてしまいましょう。次に開くときには、必要なケアを
満たす物語に変わるように。





2011.02.23.

時速30kmの福祉(第106回)

 さる2月7日、厚生労働省の第71回社会保障審議会介護給付費分科会が開
催され、当日資料として「区分支給限度基準額に関する調査結果の概要」が発
表されました。その内容は、以下のページから閲覧できます。

第71回社会保障審議会介護給付費分科会資料
http://www.wam.go.jp/wamappl/bb11GS20.nsf/vAdmPBigcategory10/B83AFC51F0F23D4D49257831000ADE15?OpenDocument

 分科会当日は、参加した委員からこの資料の内容に批判が相次いだと報じら
れています。また、開催後は、様々な立場から、内容のいい加減さに怒りの声
が上がっています。当方自身も直ちに読んだのですが、これが国家の公式な審
議会に提出されたということに強い憤りを感じました。不穏当な表現かもしれ
ませんが、国家の恥だと思います。なにが問題なのかをいちいち挙げていたら、
それこそきりがない内容なのですが、主なものだけ箇条書きにして以下に記し
ます。

(1)調査の方法について

・調査対象の選定方法が無作為抽出なのかどうかすら明らかではなく、また母
 数が統計学的に妥当な数値と言えるのかも全く分かりません。
・調査実務を担う「評価者」の選定基準と方法が明らかではなく、恣意性を排
 除し検証可能性を担保する姿勢が全くみられません(報道によれば、たった
 4人で評価したとの事です)。
・アンケートの対象者が担当のケアマネジャーのみであり、利害関係のない第
 三者性を担保した立場からの視点が全く入っていません。現場感覚に基づく
 私見によれば、ケアプランが適切ではない場合の主たる理由は、介護家族の
 わがままであるとか利用者の自立意識の低さが原因なのではなく、担当ケア
 マネジャーが所属法人のサービスを効率的に組み込むことを最優先する囲い
 込み行為によって、利用者・家族が本当に必要とするケアプランとの間にズ
 レが生じるためです。しかし、担当のケアマネジャーからのみのアンケート
 回答では、「囲い込みの弊害」という最も核心的な問題が隠蔽(いんぺい)
 され、調査結果にまったく反映されなくなります。囲い込みは公然の事実で
 あり、厚生労働省も熟知していながら、政治的な圧力に負けて問題解決から
 逃げ続けてきました。ことここに到り、逃げてはいけない局面であるにもか
 かわらず、また逃げています。
・ケアプランが適切ではないとする意見が9割を越えるという結果のみが示さ
 れ、「適切かどうか」の判断基準の客観性・信頼性については何も示されて
 いません。また、たった4名という評価者自身が、判断のために必要な情報
 が少ないとのコメントを出していることが報告書に記されています。評価者
 は、本当に今回の調査自体が適切なものであると考えているのかどうかも疑
 問が残ります。評価者に自由記述や面談の形で再調査を行うことにより、
 「情報が少ない」というマイルドな意見なのではなく、そもそも調査自体が
 適切ではないという強い疑念を含む意見であることが明らかになるかもしれ
 ません。当方に言わせれば、このような調査に加担したこと自体が軽率だと
 思いますが、もし上記のように調査自体が適切ではないと判断しているので
 あれば、4名の評価者は自ら実名を公表してその旨主張する責任があると思
 います。
・利用者・家族が、調査対象の選定方法や調査の内容を決定する手続に参加で
 きておらず、調査実務を担う「評価者」としても「アンケートの回答者」と
 しても、全く参加できていません。利用者・家族を完全に「もの言わぬ調査
 客体」として位置づけており、主体性を全否定しています。「なぜ超過負担
 をしなければならないのか」を本当に知りたいのならば、真っ先に「超過負
 担している利用者・家族」に尋ねるのが当たり前です。それをあえて全く行
 わないところに、この調査の性格が端的に顕れています。
・本件調査を誰に委託し、いくら支払ったのか、調査結果が及ぼす経済効果と
 当該調査機関との間に利害関係がある場合は調査自体の信憑性が問われます
 が、その点についての情報が全く公開されていません。

(2)調査の内容について

・そもそも現行の要介護認定基準自体や認定手続の運用に問題があり、同じ人
 に対しても調査員や審査会委員が異なれば、下される認定も異なってしまう
 実態があります。また、現行の要介護認定基準は、実際の必要介護量を求め
 る物差しではないことを、厚生労働省自身が認めています。にもかかわらず、
 あたかも要介護認定基準自体に問題はないかのような前提で、認定結果どお
 りにサービス利用が行われていないことの方を問題視するのは本末転倒です
 し、論理的に支離滅裂です。本当にやらなければならないことは、必要が満
 たされるように判断基準の方を変えることです。そして、客観的な判断基準
 の策定に際しては、過渡的に家族の会が主張する方式を採用し、利用者・家
 族も参加する担当者会議における「判定」データを蓄積するなかで、新たな
 判定基準を協働策定することです。
・ケアプランが適切ではないとする判断に至る経過が証されておらず、評価者
 の主観を信用したという程度の話しであれば調査自体に意味がありません。
 また、介護保険内サービスの種類数が忖度(そんたく)されていますが、ケ
 アプランは介護保険外サービスまで含めてトータルに見なければその適否は
 判断できないはずです。こんなことは常識中の常識なのに、調査の主体がケ
 アマネジメントを正しく理解しないで、どうして個々のケアプランの適否を
 評価者に判断させることができるでしょうか。もっと言えば、介護保険のデ
 イサービスでも、理学療法士が配置され、パワーリハビリ機材も整備された
 ところがいくらもあります。デイサービスだからデイケアよりもリハビリ体
 制が弱いというのは、教科書を読んだだけで現場をろくに知らない者の先入
 観に過ぎません。調査を行う前に、そもそも自らが調査の主体たる資格を有
 するか、足下を省みるべきです。

(3)調査結果に基づく結論について

・報告書のまとめられ方が、いかにも医療系のサービス利用が少ないのが問題
 の核心であるかのように整理され、リハビリテーションをまず行って自立度
 を高めれば区分支給限度基準額と実際のサービス利用実態との解離状態が改
 善するかのような表現となっています。しかし、そのような結論を導きだす
 だけの根拠となるデータが今回の調査で明らかになっているとは思えません。
 調査をする前から導き出したい結論があらかじめ決まっていた、むしろ、結
 論を無理矢理根拠づけるために調査を行ったことが隠しようもなくにじみ出
 ています。
・本調査の最終的な結論部分は、「区分支給限度基準額については、まず、ケ
 アマネジメントの実態を踏まえた上で、議論をするべきではないか」との投
 げかけ文になっています。しかし、これでは、ケアマネジメントの実態調査
 が済むまで区分支給限度基準額には手をつけないということとなり、ケアマ
 ネジメントが改善先送りの口実に使われてしまいます。実際、2月18日の
 時点で、厚生労働省老健局振興課長が、今後ケアマネジメントに関する大規
 模な実態把握調査を行うとの方針を表明しており、要介護認定システムの延
 命のためだけに、意味のない大規模調査が行われ、天下り先のシンクタンク
 に公金が湯水のように注がれていくという構図が出来上がりつつあります。
 問題はそれだけではありません。ケアマネジメントが不適切である原因を医
 療系サービスの不足に求める先入観をそのままにしてケアマネジメントの適
 正化を行えば、利用者・家族にとって主観的にも客観的にも必要のない医療
 系サービスを強制消費させるようなケアマネジメントが横行したり、逆に必
 要な介護系サービスの利用が抑制されることとなりかねず、利用者・家族が
 本当に必要としているケアプランからますます遠のくばかりではなく、ケア
 マネジメント政策全体の費用対効果を一層低下させてしまう恐れが極めて強
 いと言えます。

 冒頭で、国家の恥という言葉を用いましたが、上のような筋書きどおりに事
が進むのを止められないようでは、民主主義を標榜する国家の国民としてはな
はだ恥ずかしいことだと思います。





2011.01.16.

時速30kmの福祉(第105回)

 先日、慣れないスーパーで買い物をしたとき、なぜか短い列のレジがありま
した。試しに並んだところ、案の定、商品の扱いが極端に雑なレジ係の人でし
た。

 介護保険と違って、レジサービスに「利用者負担」はありません。そんなも
のなくても、利用者がどこに並ぶか自由に選べさえすれば、放っておいても良
いサービスが選択されます。利用者に「こちらへどうぞ」と促しても短い列に
並ぶ人がいなければ、店側も「これはおかしい」と気づいてサービスの改善に
向かうはずです。

 介護保険のケアマネジメントも同じことで、「利用者負担」を導入したとこ
ろで質の向上にはつながりません。質の向上という言葉は、取りやすい所から
お金を取りたい人たちが、表向きの理由(大義名分)として苦しまぎれに言っ
ていることに過ぎません。厚生労働省は、1月の通常国会に提出予定の「介護
保険法等の一部を改正する法律案」で、ケアマネジメント利用者負担の新規導
入を見送りました。もっとも、見送った理由が「時期尚早だから」ということ
なので、利用者負担導入案がいつ再浮上するとも限りません。

 介護保険のケアマネジメントの質を本当に高めたいのであれば、やらなけれ
ばならないことは、利用者負担の導入などではなく、利用者がストレスなく自
由にケアマネジャーを選べるようにすることです。そのためには、

(1)保険者・市町村が、利用者に対して公務員の天下りを受け入れている法
   人に有利な情報操作を行えないようにすること。

(2)委託型の地域包括支援センターが、利用者に対して系列事業者に有利な
   情報操作を行えないようにすること。

(3)開業医が、利用者に対して系列事業者に有利な情報操作を行えないよう
   にすること。

(4)通所サービスや訪問サービスなどの依頼が直接あった場合、当該サービ
   ス事業者が、利用者に対して系列事業者に有利な情報操作を行えないよ
   うにすること。

 が特に大事なことです。ここで言う「情報操作」とは、

・利用者にはケアマネジャーを自由に選ぶ権利があることや、一旦選んでも後
 から自由に変更する権利があることを故意に説明しないこと。

・利用者が選択可能な事業者の情報の一部を故意に伝えないこと。

・利用者に特定の事業者の利用を誘導したり、強要すること。

・利用者に特定の事業者の利用を行わないよう誘導したり、強要すること。

 などです。当方が相談窓口を開設している「社会保障と人権連絡会議inと
やま」でも、「通所先を変えたいと言ったら、ならばケアマネジャーも続けら
れないと脅された」、「開業医から系列事業所を使うよう言われ、言うとおり
にしないと、後のことが怖いので断れなかった」、「役場で聞いたら、この橋
から向こうの人はこの事業所、と決めつけた言い方をされておかしいと思った」
などの具体的で深刻な相談が寄せられています。

 スーパーの話に戻りますが、もし、長い列の人を強制的に短い列へと移すよ
うな店があったとしたら、どうなるでしょう。レジサービスの質が高まらない
どころではなく、店自体が選ばれなくなるかもしれません。

 介護保険の場合、介護保険自体を選ばない、という選択肢は認められていま
せん。なぜならば、介護保険は脱退を許されない強制保険だからです。介護保
険しかないのならば、これを正していくより他ありません。どうすれば既得権
益で歪められたしくみを正すことができるのか、問題意識を同じくする人たち
が、立場を越えて智恵を出し合い、改善に向けて行動しなければなりません。





2010.12.26.

時速30kmの福祉(第104回)

 毎年12月になると、赤十字血液センターから献血依頼の葉書が届きます。
ところが、今年は12月半ばごろから急な入院や退院のご相談が相次ぎ、年末
年始に向かって仕事が追いつかず、連日午前様の残業を続けている始末。今年
は協力できそうにないなと昨日までは思っていました。しかし、この葉書を目
にする度に、どうにもこうにも気になってしまい、とうとう本日赤十字の血液
センターまで行ってきました。正味1時間30分ほどの所要時間。もう気分は
「やぶれかぶれ」です。

 「おまえの血をよこせという脅迫状が届いたので来ました」と窓口の看護師
さんに悪態をつきながら問診を受け、いざ献血台へ。暇つぶしに本棚の漫画を
一冊手にとったのですが、これが浦沢直樹という人の描いた「マスター・キー
トン」というタイトルの作品で、あっという間に作品世界に引き込まれてしま
いました。

 毎日が相談業務の連続で閉塞していたところに、ぽっかりと別空間が現れて、
そこに閉塞を打ち破る鍵が隠されていたりする。採血が終わった頃には、今ま
でのぼんやりとした焦りやストレスなどがちょっと遠のき、ゆったりと穏やか
な気持ちに切り替わっていました。

 年末までの限られた時間、表面的に書類をとりつくろったら楽になれるとい
う声が頭をよぎります。でも、いまは心を支える仕事の方が大事。そう思い定
めると、不思議なもので、自分が本当にやらなければならないことへの確信が
増し、困難を乗り越えようとする力が湧いてきます。

 「余計な血」を抜いてもらったおかげか、物語の魔法かは分かりませんが、
この1時間30分は無駄ではありませんでした。








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