「時速30kmの福祉(201~250)」




 富山総合福祉研究所の塚本が、ケアマネジャーとして原動機付自転車で地域を回ってい
る中で見聞した事などをまとめ、月1回のペースで配信しています。





※バックナンバー 時速30kmの福祉(1)~(50)
※バックナンバー 時速30kmの福祉(51)~(103)
※バックナンバー 時速30kmの福祉(104)~(150)
※バックナンバー 時速30kmの福祉(151)~(200)
※バックナンバー 時速30kmの福祉(201)~(250)
  時速30kmの福祉(251)~





2022.06.20.

時速30kmの福祉(第250回)

 先日「事業継続計画(BCP)は目的か手段か?」というとても大切な問い
が含まれるご質問を受けました。国は、ケアマネジメントを行う事業者に対し、
災害や感染症などでダメージを受けても事業を継続していく計画をあらかじめ
策定するよう義務づけました。そこで、各事業者の担当者は、当然ながら定め
られた期限までに計画を立てようとします。つまり、計画を立てることが目的
として意識されるわけです。しかし、いざ計画を立てようとすると、その事業
者単独では災害や感染症のダメージを乗り越えられない事態が起こり得るので、
他の事業者との連携が必要となることに気がつく。計画を立てるという目的を
達成するためには、その前に連携関係を築かなければならないと考える。つま
り、連携関係構築は計画を作るための手段として意識されるわけです。ところ
が、事業者によっては、必要なサービスはすべて自分のところで提供できるか
ら別に他の事業者に頼らなくても大丈夫だと考えるところがあるかもしれませ
ん。そのような事業者の場合、計画を作るという目的を達成するために連携関
係を構築するという手段を用いる必要がないと判断して自己完結型の計画を作
ろうとするでしょう。

 しかし、その考え方は本当に正しいのでしょうか? 地域のケアマネジメン
トシステムに穴が開いたらみんなで助け合ってその穴を埋めていかなければい
けない。これは、その地域のすべてのケアマネジャーと事業者が所属や経営の
垣根を越えて果たさなければならない社会的責任です。己の事業に内在する社
会的責任を自覚せず、自分の狭い利益だけを守って地域を見殺しにする計画の
どこが「事業継続計画」と言えるでしょうか? 地域のケアマネジメントシス
テムが健全に機能し続けることでしか己の事業を継続できないのだと自覚し、
地域のケアマネジメントシステムを守ることを目的として位置づけ、その目的
を達成するための手段の一つとして自分たちの果たすべきことを事業継続計画
にまとめ上げなければならないのです。

 なぜ手段なのに目的と錯覚されてしまうのか? それは、思考の出発点が国
からの義務づけにあるからです。縦方向に個々を分断するトップダウンの思考
に慣らされて、現実の社会の問題から出発してそれを横のつながりで解決して
いくボトムアップの思考力やそのフィードバックの蓄積で民主的に国を動かし
ていく政策マネジメント力が奪われている。それがこの問題の根本原因なので
す。





2022.05.23.

時速30kmの福祉(第249回)

 前号に続き「ケアマネジメントサポートネットワーク富山」についてご紹介
したいと思います。同ネットワークでは、平素からの軽微な補い合いや情報交
換、専門的な知識の共有なども目的としてはいますが、そのような内容だけで
あればこれまでも富山県内でさまざまに試みられてきた経緯があります。今回
の我々のネットワークの新しさは、ケアマネジメントをシステムとして位置づ
け、ケアマネジメントシステム自体を守る仕組み(プラットフォーム)作りを
行ったところにあります。これは、おそらく全国初の取り組みです。では、具
体的にどのような手順でこれを実現しようとしているのか、以下にざっくりと
ご説明します。

(1)基本協定に加入する

 ケアマネジメントを仕事にしている人で、自分になにかあったら他のケアマ
ネジャーから助けてもらいたいと思う人は、まず当ネットワークの基本協定に
事業者として加入します。また、これとは逆に、自分以外のケアマネジャーで
困っている人がいたら助けたいと思っている人も、同様に基本協定に加入しま
す。

(2)個別連携協定を締結する

 次の段階として、基本協定に加入している事業者のケアマネジャーの一覧
(一般に公開されています)を見て、自分がいざというときに助けてもらいた
いケアマネジャーのいる事業者と自分が所属している事業者との間で個別連携
協定を締結します。同様に、自分が助けを求められたら協力してもよいと思う
ケアマネジャーのいる事業者とも個別連携協定を締結します。協定に加入して
いない事業者のケアマネジャーを相手方に希望する場合は、そのケアマネジャ
ーのいる事業者に働きかけて基本協定に加入してもらいます。

(3)サブ・ケアマネジャーを選ぶ

 個別連携協定は複数の事業者と自由に締結することができます。相手方のす
べての事業者のネットワーク登録ケアマネジャーが、自分になにかあったとき
にサポートしてくれるサブ・ケアマネジャー候補となります。自分がケアマメ
ジメントを担当しているサービス利用者ご本人とご家族にこのネットワークの
しくみを説明し、自分を支えてくれるサブ・ケアマネジャー候補を提示します。
ご本人・ご家族は、その中からご希望に応じてサブ・ケアマネジャーを選任し、
その方に提供する個人情報の範囲やサポートの内容を個別具体的に決めていき
ます。より詳しいことをお知りになりたい方は当ネットワークのホームページ
をご覧ください。

(参考情報)
・ケアマネジメントサポートネットワーク富山
 http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/cmsn-toyama.html





2022.04.17.

時速30kmの福祉(第248回)

 2022年4月1日から「ケアマネジメントサポートネットワーク富山」と
いう協定が発効しました。これは、「感染症拡大や自然災害などがあっても地
域のケアマネジメントシステムに綻びが生じないようケアマネジメントの当事
者が平素からおたがいに助け合う関係づくりとしくみづくりを行う」ことを目
的として富山県内外の居宅介護支援事業者などが集ったものです。この協定に
加入している居宅介護支援事業者等のケアマネジャーは、誰かが感染症で入院
したり地震や水害などで事務所がダメになったりしたときでもお互いに助け合
う約束になっています。

 近時の地球規模の気候変動は広域的かつ凄まじい被害を繰り返しもたらすよ
うになりました。また、新型コロナウイルス感染症の世界的な流行は、個々の
生活や労働の形態だけではなく国際的な政治経済の枠組みにまで深刻な影響を
与え続けています。

 そのような中で、これまでは自前でなんとかなると思われてきた大規模な事
業者でも思わぬ脆弱性が明らかになってきました。ケアマネジャーが複数いる
場合に同じ空間で仕事をすることによる集団感染のリスクであったり、自然災
害時に事務所まるごと全滅するリスクが顕在化してきたのです。そんなときで
も、いままでなら系列施設などからの応援が期待できました。しかし、系列施
設自体が集団感染や濃厚接触疑いによる欠勤で余力を失った上に外国人介護人
材の受け入れ中止でとどめをさされ、ケアマネジャーにまで手が回らなくなる
例が出てきているのです。ケアマネジメントサポートの問題は事業者の大小を
問いません。これまでの常識は通用しないのです。経営の垣根も地域の垣根も
都道府県の垣根も全部取り払って、地域のケアマネジメントシステム全体をみ
んなで支えきらなければならない。そのためのセーフティネットは地理的に広
範であればあるほど、かつ網の目が細かければ細かいほどサポート力を高める
ことができます。いますでに岡山県でも富山県と同じ土台(プラットフォーム)
でしくみづくりが始まっています。もっともっと広まってほしい。同じ問題意
識を共有し志を同じくする人々と幅広く連帯してこの問題に挑んでいければと
思います。

(参考情報)
・ケアマネジメントサポートネットワーク富山
 http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/cmsn-toyama.html





2022.03.21.

時速30kmの福祉(第247回)

 2022年2月24日、ヨーロッパ障がい者フォーラムという団体がロシア
とウクライナ、ヨーロッパ各国の政府首脳とEUおよびNATOの責任者に対
して公開書簡を発出しました。その中で、ウクライナの障がい者は核シェルタ
ーにもなる地下鉄の駅など安全なところに移動することができず、また西側国
境に向けて避難することもできず自宅に取り残されているとし、国際法規に基
づいて人道危機下の障がい者の保護と安全を保障するよう訴えました。ただ、
公開書簡に列挙されているあらゆる障がい者の中で、なぜか通常ならば併記さ
れるはずの「認知症の人」が見当たりませんでした。その後日本国内でも戦況
や被害状況とともに市民の避難状況などが映像で伝えられるようになりました
が、映されるのは女性と子ども、高齢者でいずれも歩いて避難する人ばかりで
した。

 そんななか、あるとき短時間の映像が報じられました。電気もガスも使えな
い施設の中で、おそらくは認知症の人が何人か一つの部屋に集まっていて、そ
の中で若い女性がひとり介護のために残っていました。オンライン通話なので
しょうか、「ロシアに対して何か思うことはあるか」と尋ねる声の後で、その
女性は「何もない」と答えました。続けてウクライナ政府に対しても「何もな
い」と言いました。そして、「この人たちはどこにも行けない。わたしにはこ
の人たちを置いて逃げることはできない」と言ってしばらく口を結んだあと、
「ただ、哀しい」とだけ述べて泣き出しました。映像はそこまででした。3月
14日になって、ある障がい者施設が爆破されたと報じられました。関連する
報道で当方が「障がい者」という言葉を聞いたのはこのときだけです。

 あの泣いていた人は、いまどうしているでしょう? 当方にはあの映像が偽
造されたものであるとは思えませんでした。なぜならば、そこに映っていたも
のは、武力攻撃をしかけたロシアにとっても、障がいのある人を助ける法的義
務を果たそうとしないウクライナにとっても、自分たちが最も得をするように
かけひきを続けるEUやNATOにとっても、己の醜悪な姿を一言のもとには
っきりと晒されるものだったからです。どの立場から公開しても何のメリット
もないことが真実である証です。

 国外から支援に入るケアスタッフにできるのは自力避難者のケアのみ。障が
い者も「ケアする人」も未だ取り残されたままです。

(参考情報)
 ・ヨーロッパ障害者フォーラム
  https://www.edf-feph.org/





2022.02.15.

時速30kmの福祉(第246回)

 もうずいぶんと昔の話になりますが、2003年のはじめ、独立開業したケ
アマネジャーが中心となってケアマネジメント専門職の全国組織を作ったこと
がありました。その際に会の内部で共同研究プロジェクトを立ち上げ、いくつ
か研究課題を掲げました。そのうちの一つに、ケアマネジメントシステムの共
通プラットフォームの作製がありました。当時はケアマネジメントシステムを
各企業が別々に作っていたため、互換性がなく非効率だったのです。そこで、
日本全国の関連企業に統一規格の導入を呼びかけるため、当方はプロジェクト
を代表して当時NECが幹事会社となっていたJAHISという企業連合体へ
協力依頼に出向きました。しかし、残念ながらわれわれの提案は受け入れられ
ませんでした。当時は介護保険制度が始まって間がなく、ケアマネジメントシ
ステムのソフトは出せば右から左に売れる時代でした。そこで、各企業は利益
率がより高い大規模法人向けのイントラネット型システムの開発と販売に力を
入れており、かえってその足かせとなる共通プラットフォームを共同で導入し
ようなどとは誰も考えなかったのです。法人内だけで完結するイントラネット
型システムの普及は、当時すでに問題となっていた大規模法人によるサービス
利用者の囲い込みをさらに悪化させていきました。

 その後、大口の大規模法人向けの需要が一段落して市場が飽和状態となり、
価格競争から利益率も減少に転じたころ、代わりの市場を開拓して利益率を高
めるために各企業は一転して共通プラットフォームの構築と互換性の向上を謳
うようになりました。しかし、その内容はクラウド型システムと呼ばれるもの
で、2003年当時われわれの考えていたプラットフォーム(「中間技術」と
呼ばれる優れ物であり、実質経費0円で達成できるものでした。経費の節約分
はそのまま介護保険料の引き下げや税金の節約、ケア水準の向上に直結させる
つもりでした)とは全く異なるものになろうとしています。国策で国産クラウ
ド開発に巨額の税金が投入されるタイミングで、これを右から左にシステム開
発会社が濡れ手に泡で獲得していく利権構造。政策が間違っていなければケア
の充実に用いられるはずだった節約分が、このままではIT長者の個人資産に
化けていくことになるでしょう。あの当時のわれわれにもっと力があれば、い
ま直面している状況とは違う景色が観えていたかもしれないなどと苦々しく振
り返っています。





2022.01.01.

時速30kmの福祉(第245回)

 「正月早々からまた苦言ですか?」と言われそうな話題で恐縮ですが、とて
も大切なことなので新年第一号で述べたいと思います。なにを述べたいかとい
うと、「はなしことば」についてです。

 「はなしことば」の反対は「かきことば」ですが、いまこの国では、紙の上
の文字だけではなく、口から発せられる音としての言葉まで「かきことば」に
なってしまっていて、本当の「はなしことば」が失われてきているのではない
かと思うのです。元日の今上天皇ご夫妻の国民に向けてのメッセージも、音声
として発せられてはいるけれども、実は多くの目で無難に校正をかけられた文
章です。政治家や閣僚の発言も官僚が作成したカンニングペーパーどおり。企
業トップの謝罪会見も、みな一様に紋切り型の定型文をそらんじているだけで
す。アスリートが口を開けば「感動を与えたい」、新入社員なら「チャレンジ
したい」「成長したい」「生産性を高めたい」。おとなの世界がこんな具合だ
から、こどもたちまでおとなからコメントを求められたときには「びっくりし
た」「どきどきした」「わくわくした」と、おとなたちがあらかじめ用意した
テンプレートのなかにある型どおりの音しか発しなくなってきています。

 この国では、いまから80年くらい前にも同じことが起きました。本当の自
分の気持ち、自分の考えは口に出すものではない、口に出すことはテンプレー
トの中から卒なく選ぶのが社会のルールであり、ルールを破ればその社会から
追い出されたり潰されたりすると訓練づけられました。そして、テンプレート
の中の言葉は少しずつ減らされて、「ほしがりません勝つまでは」とか「生き
て虜囚の辱めを受けず」とか、「男子の本懐」とか「一億火の玉」とか本当の
心の声とは裏腹の他人の作った「かきことば」しか声に出せなくなって多くの
人が無残な死に方をしました。

 今日さらに問題を複雑にしているのは、人工知能が「かきことば」を扱うよ
うになってきていることです。人工知能には感情も魂もありません。人工知能
に支配された「かきことば」は、下手な人間が作ったそれよりも一層容赦なく
人間社会を破壊することができてしまいます。

 わたしたちは、もっと言葉を、わけても魂の宿った生きた「はなしことば」
を大切にしなければいけないのではないでしょうか? ほんとうの自分を、ほ
んとうの自分のことばで魂を傾けて語ってよいし、また語らなければならない
のだと思います。





2021.12.16.

時速30kmの福祉(第244回)

 12月15日の夕方、近畿財務局元職員の配偶者が国と当時の理財局長に対し損
害賠償を求めていた裁判で、急転直下、国側が原告の請求を認諾し賠償金全額を
一方的に支払うことになったと報じられました。請求の認諾は双方が納得する和
解と異なり、コミュニケーションを一方的に拒絶して法的な追求から逃れる手法
です。これには当の裁判所も「想定外」と驚き、原告代理人弁護士は「国家の立
場で一番やってはいけない卑劣な行為」だと国を非難しました。夫を自殺で失い、
司法の場で真実を明らかにすることだけを願ってきた配偶者は、あくまでもこれ
を阻もうとする国の姿勢に怒り、「夫は国に二度殺された」と語ったそうです。

 この報道があってまもなく、今度は国土交通省で長年統計数値の改ざんがあっ
たと報じられました。この二つの改ざんの共通点は、当時の政府にとって都合の
悪い事実を「見えず化」していることです。そして、国土交通省の改ざんが報じ
られて後に前者の財務省の改ざんの報道が激減し、インターネットからもいつの
間にか消えました。後者の改ざん報道それ自体が前者を「見えず化」している。
醜悪ここに極まれりです。

 この「時速30kmの福祉」で折々に申してきたことですが、この国では公私
問わず言葉が粗末に扱われ、日常生活の言葉遣いが詐欺と脅迫にまみれるように
なってしまいました。日々正直に生きている者は居場所を奪われ、それが嫌な者
は互いに騙し合い罵り合って寸暇の我欲を満たそうとするが、長い目で見れば結
局はつぶし合って果てていく。2005年のマンション耐震強度の構造計算書改ざん
や2016年の自動車の燃費検査数値の改ざん、今般のジェネリック医薬品の工程
改ざんは氷山の一角。言葉によってしか成立し得ない人間社会で言葉を疎かにす
れば、人間社会が土台から崩壊することは誰にでもわかるあたりまえの話です。
なのに、それを誰にも止められない。止めようとする者が増えれば止まるのに、
損な役回りは他人に押し付けて自分だけ得しようとする愚か者ばかりになったも
のだから、止められるものも止められなくなっている。そして、結局はつぶしあ
って果てていく未来しかない。

 これもまたこの「時速30kmの福祉」で繰り返し巻き返し述べていることで
すが、この地獄行きの物語を別の物語に書き換える(リストーリー)必要があり
ます。気づいた人から、つながって、考えを深めて、ともに行動していくしかあ
りません。





2021.11.18.

時速30kmの福祉(第243回)

 今は昔、まだ介護保険などというおかしなしくみがなかった頃、高齢者介護
施設のケアは自由で、のどかで、それは楽しいものでした。ある昼下がり、ユ
ーモアが大好きな御大に「大きくなったら将来何になりたいですか?」と尋ね
たら、しばらく難しい顔で考えて、「ほね」と一言。周りは車いすをたたいて
大笑い。「そんなさみしいことを言わないで、もっと夢のあるなにか別の答え
はないですか?」とさらに尋ねると、また難しい顔をして黙り込み、やがて一
言、「はか」。またまた大笑いの渦。

 さて、いまの介護保険下の施設ではどうなっているでしょう? 国が介護の
現場に求めてくるのは、なんとサービス利用者の「成長目標」。いえ、決して
ユーモアで言っているのではありません。3ヶ月後どんな自分に成長していた
いか? 6ヶ月後はどうか? と現場スタッフからしつこく尋ねられる始末。
「ほね」などと答えようものならば、ノルマのケアプランを書けなくなって現
場スタッフの方が難しい顔をして頭をかかえてしまうかもしれません。

 いったい、この国はいつから年寄りに成長を求めるようになったのでしょう?
そもそも「成長」っていったい何なのでしょう?

 そんなことをもやもや考えていたら、テレビで「国連気候変動枠組条約第26
回締約国会議(COP26)」のニュースが流れてきました。地球温暖化を防ぐ
と言いながら会議で決まったことは内容に乏しく、言葉だけ立派に取り繕った
「はりぼて」に過ぎないとグレタ・トゥーンベリさんら環境活動家から厳しく
批判されていました。「成長しなければ経済社会は破綻する」という強迫観念
に支配されて「成長を前提としない経済社会」という別の景色が見えていない。
「成長にこだわり続けるから経済社会が破綻する」ことが明らかになっている
のに直視しようとしない。どうも、その延長線上に田舎の介護施設で起きてい
る事態が、笑えない「成長目標」が「はりぼてケアプラン」に記載されていく
事態がつながっているように思えてきました。

 おっと、こんな文章を書いている暇はないぞ。主任介護支援専門員更新研修
の事前課題を期日までに仕上げなくては・・・・・・。なになに、「あなたはこの研
修を通じてどのような専門職に成長したいですか?」だって! そんなこと、
毎年年齢を尋ねられたら25歳ときっぱり答える「脱成長ケアマネジャー」に向
かって聞きますか? やれやれ・・・・・・。





2021.10.16.

時速30kmの福祉(第242回)

 今は昔、京都帝国大学の法学部の滝川幸辰教授が「赤化教授」として文部省
から休職処分を下されたとき、これを学問の自由を侵害する違法な処分である
として、法学部の全教官が抗議の辞表を提出し、法学部の全学生が退学届を出
して抗議した事件がありました。当時はファシズムの嵐が吹き荒れ、国家権力
自体が法を破り、気に入らない者は誰であれ「赤化」の差別用語を使って逮捕
したり拷問にかけたりする時代でした。このとき本当に大学を辞めてしまった
教授の一人に末川博という人がいます。戦後末川さんは京都大学への復職を断
固として拒みました。国立の大学では国家から学問を守ることができないと身
をもって知ったからです。そして、私立大学の運営に携わり、すべての当事者
が主人公であるとして、学生にも大学の運営に参加する権利を認めるなど画期
的な仕組みを成立させました。

 丁度その頃、ある大学の医学部を出て医学研究を志していた医師がありまし
た。早川一光さんといいます。この方も、大学の運営はかくあるべきだと民主
化改革に賛同したのですが、その大学では残念ながら叶いませんでした。その
後早川さんは大学を離れ、開業医としての人生を歩み始めますが、志は一貫し
て民とともにありました。戦前と同じ過ちを繰り返してはいけない。民が主人
公であり、真実は常に民の側にあるのだから、医学も医療も民とともにあらね
ばならない。民の声を聞き、民とともに作り上げてこそ真の医学であり医療で
あると考えておられました。そんな現場実践のなかで、当時は何の救済策もな
く放置されていた認知症の患者とその家族たちに巡り会いました。そこで早川
さんが考えたことは、彼らを助けるしくみを作るよう国家に懇願するのではな
く、患者・家族が主人公となって、医師もそれに加わって、みんなで助け合っ
て解決していくこと、そして、国家そのものを自分たちのための国家へとみん
なで作り替えていくことでした。そうして出来上がったのが、認知症の人と家
族の会(当時は呆け老人をかかえる家族の会という名称でした)です。政治的
な立場や宗教的な立場が先にあって、それに合わせて生きるのではない。民の
暮らしという厳然たる事実とそこから生じる人としてのゆるぎない真実の心を
土台にする。だから、早川さんは、戦争は嫌だ、原子力は嫌だという声を一方
的な政治主張だ、非中立的だと言って切り捨てはしなかった。それは主義主張
などではなく、間違いなくそこにある事実であり、それこそが人間の真実の声
であると信じて疑わなかったのです。

 時は下り、いま国会議員の選挙が行われようというとき、どこからともなく
一通のメールが届きました。認知症ケアの動画をYouTubeで公開したので見て
ほしいとの内容でした。視聴したところ、合間合間頻繁に入るコマーシャルの
内容がファシズムを礼賛する見るに堪えないものでした。

 この国の民は、この90年もの歳月一体何をしてきたのだろう? 自由の本
当の意味、民主主義の本当の意味を見失って、一体あとに何が残るというのだ
ろう? あと何人犠牲者が出れば気づくのだろう?





2021.09.22.

時速30kmの福祉(第241回)

 お盆過ぎからの富山県内の新型コロナウイルス感染症の第五波がようやく落
ち着きつつあります。これを受けて、今後面会制限の緩和をどうすべきか悩ん
でいるという声を医療・介護施設の方々から聞くようになりました。そんなと
き、当方は「身体拘束ゼロ作戦のときを思い出せば簡単ですよ」とお伝えして
います。身体拘束ゼロ作戦というのは、介護保険法が施行されるタイミングで
厚生労働省が大々的に打ち出したキャンペーンです。この時国が示した基準は、
「緊急性」「一時性」「非代替性」の三要件を満たさない身体拘束は人権侵害
とみなすというもので、憲法の一般理論に基づいた当時としては画期的な内容
でありました。具体的には、そもそも必要性がないのに手足を縛ったら論外で
すが、たとえ何らかの必要性が認められる場合であっても、それをいま直ちに
行わなければならない理由(緊急性要件)が説明できなければ人権侵害になる。
また、始めたときは緊急性があったとしても、そのうち必要なくなったという
場合は、それを継続する理由(一時性要件)なくだらだら続けていると人権侵
害になる。そして、より人権侵害の程度が弱い別の手段があるにもかかわらず
それを選択しない(非代替性要件)場合、例えばベッドの下にセンサーマット
を敷くだけで手足を拘束せずにすむはずなのにあえて縛るような場合は人権侵
害になるとされました。

 面会制限は身体拘束と同じく人権侵害ですので、上の「身体拘束」という箇
所を「面会制限」に読みかえるだけで、実は「面会制限ゼロ作戦」の施設内マ
ニュアルがあっという間にできあがります。「人権としての面会保障」は意外
に簡単なのです。新型コロナ問題だけに限定して例を述べれば、感染爆発が起
きた最初のときは何の備えもなくウイルスの正体も対策方法もわからない状態
であったので、施設内の人々の健康を守るため直ちに通常面会をストップする
必要があった。これはOK。しかし1年半以上経って、面接用テーブルにアク
リル板も立てない、アルコール消毒液やマスクも備蓄していない、オンライン
面会の設備も導入していないとなると、これは明らかに努力が足らない。人手
がないんですとか、予算が確保できなかったというのは理由にならない。身体
拘束の場合といっしょです。特に、オンライン面会などは全く接触しないわけ
ですからこれを禁止する合理的理由(非代替性要件)など何もありません。

 施設内マニュアルとしてまずこの三要件を明確に打ち出し、個別の事案が発
生した場合はこの三要件を満たしているかチェックし、満たしている場合はご
本人とご家族に説明して同意をとる。定期的に再チェックして要件を満たさな
くなったらその面会制限を止める。オンライン面会の回数制限を非代替性の観
点から少しずつなくしていく努力をする。接触型面会の再開条件を整える。再
開できたらその回数制限も一定の期限を定めて撤廃する。その一連の経過を記
録として保管する。これでその施設の「人権としての面会保障」が完成します。

 これって、本当は身体拘束の時のように国が率先して言わなくちゃいけない
ことなのですが・・・・・・。国の衰退ぶりが痛々しい。





2021.08.19.

時速30kmの福祉(第240回)

 今年のお盆は、ある若い有名人の発言が問題となり本人が謝罪するという事
件が起きました。発言の内容は、「生活保護の人達に食わせる金があるなら猫
を救ってほしい。生活保護の人が生きていても僕は別に得しないが猫は生きて
いれば得なので」「自分にとって必要のない命は軽い。ホームレスの命はどう
でもいい」というものでした。

 当方個人の体感に過ぎませんが、1980年代以降、この国では新自由主義の価
値観がそれまでの価値観を一掃する勢いで浸透してしまったように思います。
それまでの価値観というのは、例えて言えばxyzの3つの座標軸があり、そ
れぞれに真・善・美が対応していました。より正しく、より善く、より美しく
生きるのを人間の理想とするのが、実際に行えるかどうかは別として多くの人
が納得する共通の価値観であったと思います。

 ところが、新自由主義の価値観の浸透によって真・善・美のうちの善の解釈
がまず変わり、「人倫に適うことが善いこと」から「自分にとって得なことが
善いこと」と考える人が急激に増えました。それに伴って、善以外の真や美の
座標軸もだんだん忘れ去られてしまい、「自分にとって得なことが善いこと」
という軸一本だけで行動が選択されるようになっていきました。今回問題となっ
た発言は、1980年以降に生まれ、真や美の物差しを自分の中に確と培う機会を
奪われてしまった若者たちの意識のありようをくっきり浮き上がらせた観があ
ります。また、これを「人倫に反する」「醜い発言」と批判した人たちとその
批判の真意を正確に汲み取ることができない人たちとの間に立ち塞がる絶望的
なまでの座標空間の断絶をも厳しく浮き上がらせました。

 いまこの国では、感染症対策のあり方をはじめ原子力エネルギーの問題も気
候変動の問題も、教育制度の問題も介護の問題も、ありとあらゆる問題につい
て意見の対立があり、しかも初歩的な言語がかみ合わず話し合って解決するこ
とに失敗し続けています。そのすべてに通底する根本原因が上の座標空間の断
絶にあるのではないでしょうか? 真の領域に属する科学的な正しさや論理的
な正しさ、善の領域に属する人倫としての正しさがないがしろにされ、支配権
を握る1%の集団の損得勘定ですべてが決まってしまう。その醜悪に吐き気を
催しつつも解決手段を見つけられずもがき苦しんでいるのが残りの99%。地
獄絵図です。

 このような閉塞状況を打開する決め手こそ「ケア」という四つ目の軸を新た
に提起して他の三つの軸をもう一度新たな解釈のもとに立て直すことであると
当方は考えます。真・善・美のベースとなっているのはイマヌエル・カントの
哲学思想です。近年日本に輸入され注目を集めているアメリカのケア理論はイ
ギリスのアダム・スミスやヒュームの系譜に親和性を持つ思想です。そして、
どちらにも歴史的な制約があります。カントの時代にマルクスはなく、マルク
スの時代に相対性理論も量子論もありませんでした。いま行わなければいけな
いことは、最先端の知を結集し、ペシミズムやニヒリズムを乗り越え、類とし
て人の歩むべき道を明らかにすることだと思います。





2021.07.12.

時速30kmの福祉(第239回)

 インターディペンデントという言葉があります。これは、2003年に独立・
中立型介護支援専門員全国協議会という組織を立ち上げた際に、組織名の「独
立」の英訳として採用した言葉です。当時、この英訳には会の内外から反対や
批判の声が上がりました。会の内部からは、独立は「インディペンデント」が
正しい英訳であり、「インター」にしてしまうと会のそもそもの設立目的であ
る「ダイレクトケアサービス事業所からの分離・独立」の主張が薄まってしま
うと反対されました。会の外からは、国連の社会保障関連の公的文書の言葉遣
いに倣えば「独立」は「インディペンデント」が当たり前であり、「インター」
では依存・支配関係を肯定し独立を阻害する意味を持ってしまうと批判されま
した。これ対し、起案者である当方からは、(1)インディペンデントは依存・
従属を敢然と拒む意味があり、いわれのない支配を受けている人にとっては解
放を勝ち取るために未だ必要な言葉であることは認める。(2)しかし、イン
ディペンデントには西洋近代の古い「自立した個人」モデル(アトミズム)の
限界があり、他者との相互尊重関係の視点が欠けている。インターディペンデ
ントはお互いに支え合い高め合うことを通じて他者を排除するだけでは到達で
きないより高次の自立を目指すものであって、互いに依存しあいつぶし合う共
依存関係(コディペンデンス)とは異なる。上記(1)(2)の意見を述べ、
最終的には当方の案を採用していただきました。その後同協議会は消滅しまし
たが、有志が集い「ケアマネジメントをみんなで考える会」をあらたに設立、
2008年に政策提言(本文末尾参照)をとりまとめて当時の国会に議席を有
する政党の議員と厚生労働省当局に提出いたしました。その提言では、インター
ディペンデントを「ほんとうの自立」と翻訳しました。

 なぜこの場で10年以上も前のこんな話をしているのかというと、大月書店
から今年出版された翻訳書「ケア宣言」で、インターディペンデントが「相互
依存」と翻訳されてしまっているのです。翻訳者の一人の岡野八代さんは、「依
存」概念のバージョンアップでこの問題を解決するおつもりのようですが、個
人的にはとても残念なことでした。

(参考) ・政策提言「わたしたちが望むケアマネジメントについて~『おもい』と『ね
 がい』~」
 http://www2.nsknet.or.jp/~mcbr/kangaerukai-teigen-20080728.html





2021.06.22.

時速30kmの福祉(第238回)

 前回の「時速30kmの福祉」で聴覚情報処理障害(APD)についてお伝
えしましたが、その後ケアマネジメントの定期訪問先でこれを読まれた方の中
に「自分もそうかもしれない」と思われた方が何人かありました。先駆的研究
者の小渕さんも、ご著書の中で受診に至っていない潜在的な患者数はもっと多
いのではないかという趣旨の指摘をしておられます。気になられる方は耳鼻科
専門医にご相談ください。

 ところで、今回のテーマは、「伴走型支援」という言葉についてです。この
言葉は、起源は定かではありませんが、もう何年も前から使われはじめ、行政
文書などにも登場するようになってきた言葉です。最近では、今年の4月に
「一般社団法人日本伴走型支援協会」というのができたようで、そのホームペ
ージに記載された説明文によれば、支援には「問題解決型支援」と「伴走型支
援」があって、両者は車の両輪なのだということです。当方がショックだった
のは、先日富山県内で長く障害者運動を主導してこられた方にお会いしたとき、
この「伴走型支援」にいたく共感したとうれしそうに語られたことでした。と
いうのは、当方はこの「伴走型」という発想は誤りだと考えているからです。

 誤りと考える理由はいくつかあります。ひとつは、「伴走」という言葉自体
に「伴走する人」と「伴走される人」という主客の別が含意されていることで
す。国際的には「ケアパートナー」という言葉が定着しており、「ケアマネジ
メントをみんなで考える会」では、10年以上前から「ともに歩む者」と翻訳
しています。「伴走」ではないのです。前述の協会でも本人の主体性を尊重する
としていますが、一旦客体化した後で「尊重」することを「ともに歩む」とは
言いません。「伴走型」を肯定する立場の人は、そこを深く考えていないように
思えてならないのです。

 また、問題解決と伴走が別という整理の仕方も不自然です。「いまどんな問題
で困っているのか」、「いま何をどうしたいと望んでいるのか」を共感とともに
理解し、「どうすればその問題が解決するのか」、「どうすればその望みが実現す
るのか」をいっしょに考え、解決方法や実現方法が見つかったらいっしょに実
行する。それが「ともに歩む」ということです。同協会では「伴走型支援士」
なる資格の認定と育成に関与する模様。正しい問題意識から出発しても様々な
利害でいつの間にか歪んでいく「いつものパターン」が透けて見えるような気
がして悲しくなります。





2021.05.25.

時速30kmの福祉(第237回)

 認知症ではないのに認知症と間違われてしまう障害のひとつに、「聴覚情報
処理障害」というものがあります。英字の略語でAPDと表記されます。当方
が初めてこの障害を疑われる方と巡り会ったのは、認知症の鑑別診断で長谷川
式簡易スケールの問診に同席したときでした。検査項目の一つで、「桜、電車、
猫」の三つの単語を記憶できるか調べる際に、まず検査員の後を追ってそれぞ
れの言葉を発音することになっているのですが、桜と猫はそれぞれ「さくら」、
「ねこ」とオウム返しで答えられたのに対し、電車だけは何度試しても正確に
聞き取れず、「えんしょ」などの単語にならない音で返されました。全項目の
聞き取りが終わって30点満点中8点。重度障害との採点になってしまいまし
たが、これは以前からこの方を知る身としては大いに違和感を感じる結果であ
りました。というのは、通院の日時などの情報は正確に記憶しておられますし、
物事の判断も至極常識的な方だったからです。ただ、それとは別に、当方自身
以前から気になっていたことがありました。それは、対面してお話する際に、
受け答えがまったく見当違いの話題に跳んでかみ合わなくなることがしばしば
あったのです。電車のところでつまづかれたお姿を見てショックを受けました
が、それと同時に今まで漠然としか意識できていなかったある疑問がはっきり
と形になって立ち現れました。「音としては聞こえているけれども何らかの原
因でそれを意味のある言葉として正しく聞き取れないという症状があるのでは
ないか?」 調べてみたところ、この方面で先駆的な研究をなさっている小渕
知恵さんという方のAPDに関する解説とその方の症状とがピタリと一致しま
した。そして、それが分かった瞬間に、子どもの頃から聞き取りの失敗でどれ
だけ周囲の人々から誤解され、知能を疑われ、見下されて苦労なさってきたの
かが偲ばれて心がつらくなりました。マスクで口元が見えない検査員の言葉を
正確に読み取れず何度もやり直しをさせられたときはどんな気持ちだったでし
ょう?
 小渕さんによれば、APDの鑑別診断基準は未だ医学的に確定しておらず、
またきちんと診断できる医師も限られる段階なのだそうです。しかし、周囲の
人の理解と適切なケア(筆談の併用など)があれば大きな不都合なく暮らして
いけますので、情報を広めるために本稿で言及した次第です。


参考情報
・小渕知恵「APD 音は聞こえているのに聞き取れない人たち」さくら舎
 2020年





2021.04.20.

時速30kmの福祉(第236回)

 4月から介護保険のしくみが変わり、介護の現場ではその対応に忙殺されて
います。また、介護サービスの内容や利用料が変わってくるため、サービスを
利用される方やそのご家族も中身がなんだかよくわからず混乱が生じています。
当方のように長く現場に身を置く者から見れば、しくみが変わるたびに中身が
加速度的におかしくなっています。本来あるべきしくみを健康な身体に例えれ
ば、年を経るごとにガン細胞が倍々で増殖していくような危うさを感じます。
別の言い方をすれば、最初についたウソをウソと認めず、さらに強弁を続けて
新たなウソをどんどん上塗りするものだから、しくみを作っている官僚たち自
身も手に負えなくなっている観があります。オリンピック組織委員会の実務担
当者が「みんな誰かがハンドルを握っていると思っていたけれど、気がついて
みれば誰も持たずに進んでいたという状況に陥っている」とこぼしたことが話
題となっていますが、この国は一事が万事こんな具合で、いつもその尻ぬぐい
をするのは末端の現場と国民です。

 「ケアリング・デモクラシー」の提唱者ジョアン・C・トロントさんによれ
ば、こういった問題は「ケア責任の配分」の誤りから生じるのだそうです。感
染症対策の現場でも同じことが言えますが、ケア責任の配分が片寄ると現場に
過酷なしわ寄せが生じる。この問題を解決するためには、ケアのしくみを民主
化すればよいとトロントさんは言います。つまり現場の人々とケアを必要とす
る人々が互いに協力し、ケア政策の客体から主人公へと転換する。介護保険の
計算は市販の電卓だけで誰でもできる簡素な仕組みに改める。コンピュータシ
ステムやシンクタンクなどへ投じていた予算をケアの担い手の待遇の改善や必
要なケアサービスの確保、感染予防策等に充てる。がんじがらめの規則も全部
やめて現場を自由にし本来の仕事に専心できるようにする。それだけではあり
ません。ケア政策以外のあらゆる政策もケアの理念に照らして全部作り替えて
いく。オリンピック利権をすべて断ち切って税金の流出を止める。誤った政策
で必要なケアを奪われることのない社会を創造する。それが「ケアリング・デ
モクラシー」です。付言すると、これを「上意下達の偽りのマネジメント」を
廃して「現場から政策にフィードバックさせる真のマネジメント」によって実
現するのが、「ほんとうのケアのマネジメント」です。

参考情報
・ジョアン・C・トロント「ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ」
 白澤社2020年(岡野八代訳著)





2021.03.22.

時速30kmの福祉(第235回)

 今月はある怪文書についてのお話です。内容はこんな具合です。

 「大学院で経営学を学んでいる気鋭の若者が、身につけた理論を現実の社会
に適用すべくある現場のマネジメント上の課題を明らかにし以下の提案書をま
とめあげた。
(その1)4人のオーボエ奏者たちはかなり長い時間何もしていない。従って
オーボエ奏者の数を減らすべきである。また業務量を平準化するためプログラ
ム全体を通して均等にオーボエの出番があるようにすることが望ましい。
(その2)20人のバイオリン奏者は全員全く同じ楽譜を演奏しているが、こ
れは無駄な重複であるからバイオリン奏者の数も大幅に削減すべきである。
(その3)道具の老朽化への対処も今後の検討課題である。コンサートのプロ
グラムによれば、第一バイオリン奏者が用いているバイオリンは数百年前のも
のだという。一般的な減価償却の考え方に従えば、このバイオリンの価値はも
はやゼロである。とっくの昔にもっと新しいバイオリンに買い換えておくべき
であった。
(その4)32分音符を演奏するために過大な労力が払われている。すべて
16分音符にしてしまえば実習生やスキルの低い演奏家をもっと起用できコス
トの削減につながる。
(その5)同じパッセージが何度も繰り返されすぎている。弦楽器で演奏した
ものをもう一度ホルンで繰り返しても大して意味はない。楽譜をカットしてこ
うした重複をなくせば2時間のコンサートを20分に短縮でき、楽団員と聴衆
の休憩時間も必要なくなる。」

 出所は1950年代のイギリスの財務省とも言われていますが、そんな風聞
もこの秀逸なユーモアの尾ひれというところでしょうか・・・・・・。2019年に
ヘンリー・ミンツバーグという人が「マネジャーのためのおとぎばなし」とい
う本の中で過去に複数の論文や記事などで引用された文章としてこれを紹介し
ています。

 ところで、この4月からまた介護保険の制度が変わります。厚生労働省のホ
ームページを観ると、どんな風に変わるのかを説明する膨大な文書が掲載され
ています。ひとつ注意しなければいけないのは、その膨大な文書を読んでしま
うと、上に紹介したユーモアが辛辣な警句に変わってしまうということです。

参考:ヘンリー・ミンツバーグ「これからのマネジャーが大切にすべきこと」
   ダイヤモンド社 2021年(池村千秋訳)





2021.02.20.

時速30kmの福祉(第234回)

 大雪警報で定期訪問がすべて繰り延べとなった二日間、必要があって2006
年から2007年にかけての2年分の相談記録を読み返しました。自分ではすっかり
忘れていた出来事の記録を見つけて驚いたり、記憶と異なる記録内容に自身の
記憶の不確かさを思い知らされたりしながら読み進めました。また、自分で言
うのもなんですが、よくこんな細かなことまでやっていたなぁとか、心と身体
のエネルギーをよくここまで注ぎ込めたものだなぁと他人の仕事でも観るかの
ような感覚を覚えたりもしました。それだけ歳をとってしまったということな
のでしょう。なつかしくもあり、ややさびしくもあり・・・・・・。

 同じ歳月を生きてきたということは、当方によって記録を残された主の方も
同じように歳をとったということ。医師によれば余命はわずか。しかし告知を
受けてはいない。何故か? それは当方が告知を遮ったから。「告知を受ける
ことで、きっとこの人は心をひどく乱され、残りわずかな人生が過酷なものに
なってしまう。」そう思いました。つい最近たまたま救急搬送先で巡り会った
医師とはつきあいの深さが違う。「自分の判断に誤りはない」と、疑いらしい
疑いを持たずにおりました。

 ところが、その当方の確信が一瞬で揺らぐ事態が起きてしまいました。何度
目かの救急搬送で初めて運ばれた病院の医師から「告知を行うべきだ」と一喝
されたのです。自分の予後を正確に知り残された生を納得のいくように全うす
ることはその人の尊厳にかかわる問題なのだと。

 否も応もない。それは当方自身が本当は気づいていたこと。気づいていたけ
れども認めたくなかったこと。当方自身がつらかったので認めたくなかったこ
と。生死の修羅場を幾千となく観てきた医師にかかれば一瞬で見破られる偽善
であったのでしょう。

 あまり時間がありません。2008年から2021年2月までの記録を読み終えたとき、
当方はその人に何を語らなければいけないのか? ほんとうに語るべき正しい
言葉を見つけることができるのか? 心と身体のエネルギーが十分その行いに
耐えられるのか? 己を顧みて残念ながら自信はありません。それでも、でき
得るかぎり誠実でありたいと思います。人の生というものに対して、人として
あやまりなく誠実に向き合うことができますように・・・・・・。





2021.01.01.

時速30kmの福祉(第233回)

 当研究所は、年末年始もいつもと変わらず動いております。事務仕事の合間、
目を休めるために窓の外を眺めたところ、年末から降り続いた雪の晴れ間に残
し柿をつつこうと四苦八苦しているカラスを見つけました。柿の枝が細すぎて、
柿の実に近づくほど自分の体重で枝が沈みこんでしまうのです。カラスはバラ
ンスをとるのでせいいっぱい。やがてこちらの気配に気づいて飛び立っていき
ました。その直ぐ後、今度は大勢の小鳥が集まってきました。カラスが去るの
を遠目に見ていたようです。身の軽い小鳥たちは、何の苦もなく近づいて柿の
実にもぐりこむようにしてつついておりました。小鳥たちは、ムクドリ、それ
からツグミと、あらかじめ誰かに決められていたかのように整然と入れ替わっ
ていきます。次に窓からのぞいたときには小鳥たちの姿はなく、いつもより余
計に残してあった実がひとつ残らず食べられていました。その下で、二羽のハ
トが落ちた実の残りをのんびりとつついていました。

 自然の営みに心を洗われたのもつかの間、元日早々から闇ルートで新型コロ
ナウイルスワクチンを手に入れ我先にと接種する国内の富裕層のドタバタが報
じられていてげんなりしました。げにおぞましきは人の業。買う方も買う方な
ら売る方も売る方。マスクや消毒用アルコールの転売騒動が記憶に新しいとこ
ろですが、件の富裕層はいったいいくらでワクチンを取引したのでしょう? 
PCR検査を受けられずに亡くなっていく人々を横目に苦もなく検査を受ける
タレントや有名人、富裕層に政治家の面々。同じルートで抜けがけのワクチン
接種があっても不思議ではない。とうとうそんな国に成り下がってしまいまし
た。

 とは言うものの、このワクチン、本当に安全なのか? いくつかの国で数種
類のワクチンが開発されていますが、安全を強調する表の報道とは裏腹に深刻
な副作用を指摘する無視しがたい声もあります。当方個人のことで言えば、現
時点で得られる安全情報だけでは自分の身に打ちたいとは思えません。そもそ
も、どのように完璧にできたワクチンであっても、それを変異によって克服す
る相手とのいたちごっこ。心配なのは、除草剤によって鍛えられた新種の雑草
で農業生産が大打撃を受け、さらに強い除草剤を強制消費させられていく農家
のように、ウイルスを鍛えて儲けたい製薬会社の手に落ちて世界中の人々が長
く苦しみ続けるハメにならないかということです。

 ところで、昨年末に和歌山県知事から県民に向けて発せられたメッセージが
感染症対策として非の打ち所のない内容であるとして高く評価されています。
その中でも触れられているとおり、いまやらなければならないことは無症状者
も含めた徹底したPCR検査と陽性者隔離、後遺症状も含めたトレーシング
(追跡調査)です。そこをないがしろにしてただワクチン頼みを決め込むのは
率直に言って愚かなことです。

(参考情報)
・「和歌山県知事からのメッセージ」(2020年12月28日付)
https://www.pref.wakayama.lg.jp/chiji/message/20201228.html





2020.12.11.

時速30kmの福祉(第232回)

 このところ、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化しています。ふりかえ
ると、今年は年頭からこの問題で振り回された1年でした。良心的な医療・介
護現場の人は当初から陰圧病床の緊急確保とPCR検査の徹底が必要だと訴え
てきましたが、残念ながら政府にも大方の国民にもその声が届かず、はっきり
と予測されていたにもかかわらず今日の事態を回避することができませんでし
た。当方自身、必要なタイミングで必要な警鐘を鳴らしたつもりですが、悲し
いかな非力の身ではほとんど何も動かすことができませんでした。

 当方のような立場の者が痛切に思うことは、しかるべき人たちが真っ当に発
言の責任を果たしていれば、今頃は犠牲者をほとんど出さずに収束させること
ができていただろうということです。しかるべき人というのは、専門的な研究
を行い、政府や世論を動かすだけの発信力がある人たちのことです。彼らは、
春先にはオリンピックがらみで感染者の存在を隠したい政府筋への忖度から
「PCR検査は精度が低いのでやらない方がいい」とか「PCR検査は熟練の
技術を要するので件数を増やすことができない」などと誤った情報を立て続け
に発信しました。マスクについても、不織布マスクの国際的な調達競争に負け
た政府を無理にかばって「マスクはつけてもつけなくても効果は変わらない」
と言ったり、政府がガーゼマスクを配りだしたら「ガーゼマスクでも不織布マ
スクと同様の感染予防効果がある」などと嘘の情報をばらまきました。ゴー・
ツー・トラベルにいたっては「感染拡大との因果関係が証明されていないので
止める必要はない」と素人でも分かる嘘をほんのつい最近まで平気で拡散して
いました。そんな小銭の稼ぎ方をしてきた人たちが、12月に入って感染拡大
状況が深刻化するや、手のひらを返すように「自分はそんなことは言っていな
い」と見苦しい言い訳を始めています。また、人によっては、はじめから警鐘
を鳴らしていた側であるかのように振る舞っています。

 文の終いまで愚痴では情けないので古哲の引用を。「士の最も重んずるとこ
ろは節義である。その立つやこれに仗(よ)り、その動くやこれに基づき、
その進むやこれに嚮(むか)う。節義の存するところ、水火を踏んで辞せず、
節義の欠くるところ、王侯の威も屈する能わず、猗頓(いとん)の富も誘うべ
からずして、甫(はじ)めてもって士と称するに足るのである。学者は実に士
中の士である。未発(みはつ)の真理を説いて一世の知識を誘導するものは学
者である。学理の蘊奥(うんのう)を講じて、天下の人材を養成するものは学
者である。堂々たる正論、政治家に施政の方針を示し、諤々(がくがく)たる
讜議(とうぎ)、万衆に処世の大道を教うるは、皆これ学者の任務ではないか。
学者をもって自ら任ずる者は、学理のためには一命を抛(なげう)つの覚悟な
くして、何をもってこの大任に堪えられよう。学者の眼中、学理あって利害な
し。区々たる地位、片々たる財産、学理の前には何するものぞ。学理の存する
ところは即ち節義の存するところである。」(穂積陳重「法窓夜話」より抜粋。
引用元は青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/000301/files/1872.html)





2020.11.25.

時速30kmの福祉(第231回)

 このところ、首相の所信表明演説をきっかけにして「介護業界の生産性向上」
という言葉が議論を喚んでいます。「介護の仕事に生産性などあるわけがない」
という意見が出るかと思えば、「そうではない、介護は立派に生産性のある仕
事だ」という反論が出たり、はたまた「介護の価値はそもそも生産性では計れ
ない」といった突き放した意見も見られます。他にも「介護職員の給料を上げ
たり国からの介護報酬を上げれば生産性が上がる」という人がいるかと思えば
、 逆に「生産性が向上すればするほど介護報酬は下げられ介護職員が不安定な就
労に転落する」という人もいます。さて、いったいどれが本当なのでしょうか?

 当方の地獄耳をよくすまして聞くと、表向き述べられているキレイゴトが全
部剥ぎ取られて本音だけが浮き上がってきます。曰く、「国全体の産業が衰退
しているので、国として力を入れたいコンピューター産業やロボット産業に税
金を投入して衰退ぶりを隠したい。でも、それにはもっともらしい理由が必要
なので、とりあえず『介護のため』と装ってそれらの業界に金を横流ししよう。
『IoT推進やAI活用で省力化を図る』とか『電子化で紙の無駄を省く』と
か『介護ロボットで介護負担の軽減を図る』とかもっともらしく言えば国民を
だませるだろう」、「国全体が人手不足の状態なので、介護業界から人を引き
上げて他の産業の穴埋めにまわしたい。介護職員一人当たりの労働負荷を高め
たり外国人労働者の割合を増やして辻褄を合わせよう。『生産性』という言葉
でマインドコントロールして、だまされていることに気付きにくくしよう。
『生産性が向上した』と喜んで報告してくれば、向上した分はコストカットが
可能ということなので介護報酬を下げて浮いた税金をさらに国策産業群に回し
て山分けしよう」、「生産性向上のためのスケールメリット拡大を口実にして、
介護業界全体を巨大資本が支配しやすく再編しよう。大規模法人に有利な介護
報酬体系を強化して中小の倒産と吸収合併に拍車をかけよう」と、そんな声が
当方の地獄耳には聞こえてきます。

 製造業では過去にドラッガーをも唸らせた「生産性向上」運動ですが、いま
では無理筋の命令が祟って製品偽装事件まで頻発させる始末。社会全体が「人
としての公正」を忘れ、よろず私利私欲に走る行いを恥とも思わない落ちぶれ
ようでは無理もありません。偽りの言葉に振り回されることなく「ほんとうの
ケアとは何か?」を問い続けることが大切です。





2020.10.20.

時速30kmの福祉(第230回)

 新型コロナウイルス感染症関連の話題が続いておりますがご容赦くだ
さい。本年10月1日付で、淑徳大学の結城康博教授が「新型コロナ問
題における在宅サービスの実態調査報告」という資料をインターネット
上に公開されました。アドレスは以下のとおりです。

https://drive.google.com/file/d/1wOgdVvD3gAibbwUv2X8VT-xNtP7W309Y/view

 この報告書で、結城教授は狭い範囲ながら現場の声を集め、現実の社
会で何が起きているのかを客観的に明らかにしようとされました。そし
て、調査の項目の中には、本時速30kmの福祉で言及してきた事務連絡
第12報の特例算定問題も含まれていて、現場の悲痛な声が数多く寄せ
られておりました。研究者や養成校の教員のほとんどが無視を決め込む
なかで社会的な責任を果たそうとされたことに率直に敬意を表したいと
思います。その上で、当方の目から見て気になったことをいくつか以下
に記します。

(1)通所特例算定のアンケートの項目が「評価する」「評価しない」の
選択項目となっていますが、答える側から見て「所属事業所にとって損
か得か」という意味での評価を指すのか、それとも「国の制度のあり方
として正しいか間違っているか」という意味での評価を指すのかの判別
がつかないため、集計結果に占める両者の配分比が分からないという嫌
いがあります。

(2)当方の見落としでなければ、公開されている情報は調査対象者と
調査方法、調査期間、調査項目および集計結果だけであり、一番肝心な
調査者の分析と結論がすっぽり抜けています。

(3)また、そもそも調査結果とは無関係に結城教授ご自身が特例算定
に対しどのような見解を持っておられるのかの表明がありません。国の
制度が正しいか間違っているかは多数決で決まるものではありません。
10人のうち9人が残りの一人を殺すことに賛成したからといってその
一人を殺すことが正しい行いであるとは言えないのと同じことです。

 結城教授に限らず、国の政策に対して正しいか間違っているかの判断
を明らかにしない姿勢が学会の中で常態化しています。それは、「ケア
マネジメントの公正中立」問題に対する姿勢でも言えることです。今般
の特例算定の事実上の強要で、併設事業所の良心的なケアマネジャーは
所属法人と利用者の板挟みになって苦しんでいます。公正中立の問題を
放置してきた事が今般の特例算定の問題をより過酷にしているのです。
研究者には逃げずに発言し行動する義務があるのではないでしょうか?





2020.09.23.

時速30kmの福祉(第229回)

 先日富山市内の医療関係者と介護関係者が集まって、新型コロナウイルス感
染症との関わりで差別的な攻撃を経験した富山市内の施設の方々からお話しを
聞く機会がありました。PCR検査で陽性と判定された人やそのご家族に対す
る差別や暴力が報道で取り上げられて問題となっていますが、攻撃の矛先は不
当に関連づけられた施設に対しても、その従業員や家族に対しても向けられて
いて、感染棟とは全く無関係の従業員までばい菌扱いされたり、子どもの保育
所や学童保育の利用を拒まれたり、配偶者の出勤を停止させられたり、さらに
ひどい例では無言電話などを頻繁に受けて同居の家族が精神的にまいってしまっ
たという例もあったそうです。「怖いのはコロナより人の方だった」とは体験
された方の弁。

 その語られた体験は事実であるし、受けられた苦しみもよく分かります。そ
れを今後のためにとわれわれに語っていただけたことにも感謝するのですが、
ただひとつ、気になることが残りました。それは、彼らが渦中にあってもっと
も激しく感じたはずのものがすっぽりと抜け落ちているということです。それ
は、「なぜ行政はこれほどまでに無策なのか?」という怒りです。一例を言え
ば、もしも国が不合理な検査制限を行わず毅然と対応していれば、そもそも発
生しなかった問題であったし、人々もここまでの疑心暗鬼に陥ることはなかっ
たはずです。体験から教訓を得るのであれば、なぜ必要な検査が迅速に行えな
かったのか原因を明らかにし、同じ間違いを犯さないよう対策を立てなければ
いけません。しかし、行政が開かれていない権力的・抑圧的な社会では、権力
を批判してはいけないという暗黙の壁にはね返されて、被害者でありながらそ
の壁の内側の範囲でしか思考できなくなる傾向が生じます。終わってしまった
惨劇は忘れたいという無意識の自己防衛機制が働き、みんなで団結して闘った
美談の記憶に置き換えて物語を完結し、壁の外の世界は無かったことにしてし
まう。

 プロテニス選手の大坂なおみさんは、過去にアスリートたちが自らの選手生
命をかけて権力の壁と闘い差別に抗議し続けた歴史の積み重ねの意味を理解し、
自らが継承する使命を果たそうとしています。いまコロナ禍で医療・介護の専
門職が自覚しなければならないのは、知らず知らずのうちに壁の内側の思考に
逃げ込んでいる己自身の弱さです。そこに気づき、壁を打ち壊して本当の解決
を目指す使命を果たさなければいけません。





2020.08.21.

時速30kmの福祉(第228回)

 新型コロナウイルス感染症第一波の折から感染予防のために定期訪問を控え
るケアマネジャーが増えています。しかし、当方は必要を感じて未だに訪問を
続けています。そんな中で気づいたことがひとつあります。梅雨明け以降、な
んだかイライラしている人が増えているのです。

 ひとつには冨山県内でも再燃しつつあるウイルス感染に対するイライラがあ
りましょう。夏場で暑いのにマスク着用を求められたり、再開された病院での
家族面会がふたたび禁止になったり、つい最近はお盆の帰省を楽しみにしてい
た家族と会えなかったりと、ウイルスのせいで良いことが何ひとつありません。

 もうひとつ、連日の気温の高さも原因としてありましょう。庭の草は元気よ
く生い茂りますが、それをむしる方は暑さでぐったり。草にまで八つ当たりし
たくなります。その他にも、学校行事や会社のことなどがいつもとは違うので、
いろいろストレスをため込んでいる人たちもいることでしょう。

 このような、日常生活に潜む小さな不快感の蓄積や漠然と果てしなく続く不
安というものは、人々から冷静な判断力を奪ったり、人と人との信頼関係をう
かつに傷つけてしまったり、自分より弱い立場の人たちを悪者扱いして攻撃す
る衝動に向かったりすることがあるので注意が必要です。自分がたいして意識
せずに吐いた言葉や行ったことが、他者を傷つけ、まわりまわって当の本人を
傷つけてしまうということがないようにしなければいけません。

 先の戦争を経験した方のお話しでは、戦争に突入する前のこの国の空気とい
うものは、経済がおかしくなってみんな生活が苦しいなかで、なんと表現して
よいか分からないような非常に重苦しい嫌な空気であったそうです。そんな中
でため込まれたイライラを、時のファシズム政権はまんまと利用し、植民地の
人や障害のある人への差別行動に転化させていきました。また、そんな閉塞状
況を「こうすれば打開できる」と「生命線」や「八紘一宇」といったワンフレ
ーズを繰り出して人々を熱狂させ、冷静な頭でまともに考えれば勝てるはずも
ない戦争に「この道しかない」とばかりに巻き込んでいきました。

 季節は必ず巡ります。いずれヒグラシがなき、数年後にはウイルスもなりを
潜めるでしょう。そのときに冷静に振り返って「恥ずかしい事をした」と後悔
しないためにも、いまを丁寧に生きなければなりません。





2020.07.15.

時速30kmの福祉(第227回)

 小生、ごくたまにですが、「悪い人じゃないんだろうけど、なんでそんなに
人から煙たがられるようなことばっかり言うの?」と尋ねられることがありま
す。そんなときは、いつもある人のお話をします。その人は、辻に立っては他
人に話しかけ、「うるさい、黙れ!」とか「しゃべるな!」と言われてしまい
ます。世の中いろんな考え、いろんな立場の人がいますけれど、その人はどん
な人に話しかけてもそんな具合なのです。やがて、「こいつはけしからんから
裁いてやろう」と話がまとまって、とうとう裁判にかけられることとなりまし
た。で、その裁判の席でその人がどうしたかというと、やっぱりしゃべっちゃ
った。「うるさい、黙れ!」って叱られて裁判にかけられたのにねぇ・・・・・・。

 ところがところが、そのときその人がしゃべったことを「これは書いておか
ねば!」って思った人が何人かいて、文字にして残しちゃいました。そして、
その中の一つが後になって世界各国の言葉に翻訳されて、二千四百年ほど経っ
たいまも本にまでなって読まれ続けているんです。「聞きたくない、黙れ!」っ
て言われたその話が書き言葉になって読まれ続けているなんて、なんだかおも
しろいですよね。

 ところで、その人がいったいどんな気に障るけしからんことをしゃべったの
かというと、これが実に拍子抜けするほどあっさりとしたことでありました。
相手がどんな考えの人でも、どんな立場の人でも、誰に話しかけるときでも、
その人はたった一つ、これだけを相手に問いかけました。

「それって、本当に正しいことなの?」

 その人のことは、誰でも名前くらいは知っているほど有名なんだけれども、
ではなんでそんなことを人に出会う度に問い続けたのか、叱られても罵られて
も問い続けたのか、しまいには有罪で死刑を言い渡されるのを承知でなおも問
い続けたのか、ほんとうの心を分かっている人は果たしてこれまでに何人いた
のか、いま何人いるのか、ましてや、その人のように生きようという変わり者
はというと、果たしていまの世の中いるのかいないのか・・・・・・。

 でも、本が読まれ続けているということは、その謎を解きたい人や彼のほん
とうの心に触れたいと思う人が少なからずいるということなのでしょう。その
本は、日本語の版ですと、たいてい「ソクラテスの弁明」とかいうタイトルで
出版されています。





2020.06.24.

時速30kmの福祉(第226回)

 今回も新型コロナウイルス関連の話題となりますがご容赦ください。本年6
月1日に厚生労働省から各都道府県に宛ててある事務連絡文書が発出されまし
た。文書名は「新型コロナウイルス感染症に係る介護サービス事業所の人員基
準等の臨時的な取り扱いについて(第12報)」です(厚生労働省のウェブサイ
トで全文公開されています)。文書名自体がなんだかややこしいのですが、そ
の中身はさらにややこしいものです。

 この文書で厚生労働省が何をしたいかというと、「新型コロナウイルス感染
症拡大防止のために頑張っている通所サービスの事業所と短期入所サービスの
事業所に対して、国からの介護のお金を少し割り増しして報いたい」というこ
とです。そこまでは分かるのですが、問題はその方法です。通所サービスの場
合で言うと、その月に通った回数のうちの何回分かを普通より長い時間利用し
たことにして、その分多めに事業者に報酬を支払うというのです。実際にはい
つも通りの時間しか利用していないのに、書類上は長かったことにするなんて、
なんだか詐欺みたいで嫌ですよね。こんな発想を平気でできる感覚が国全体の
政治や行政でまかり通ってしまっていることにまず驚きます。

 問題はそれだけではありません。書類上は長く利用したことになっているの
で、利用者が支払う利用料も、それに連動して高くなるのです。利用していな
いサービスの対価をどうして支払わなければならないのでしょう? 理由が全
く理解できません。この厚生労働省の「臨時的な取り扱い」で報酬を余計にも
らいたい事業所は、少なくとも利用者の負担分を国が肩代わりするように求め
る道義的義務があるのではないでしょうか?

 通所サービス事業所の担当者の方々も頭をかかえています。上からはサービ
スの利用者と家族に納得してもらえと尻を叩かれるけれども、そもそも納得し
てもらえるような中身ではないので「しかたがない」とあきらめてもらうよう
に話をもっていくしかありません。サービスの利用者と家族は、支払いを断っ
てサービスを利用できなくなったら困るので渋々承知せざるを得ない。形の上
では円満に支払い同意が得られたことにされるけれども、実際には事実上の強
制なわけです。思えば「自粛のお願い」しかり、いつのまにか事実上の強制だ
らけで随分息苦しい国に成り果てました。ワクチンよりも先に国につける薬が
欲しくなります。





2020.05.17.

時速30kmの福祉(第225回)

 新型コロナウイルスの話題が続きますがご容赦ください。5月14日に国から
緊急事態宣言一部解除の発表があり、富山県は対象地域からはずれることとな
りました。もっとも、県としては平常化に向けて独自の三段階対策指針を作成
し、15日以降を第二段階と位置づけて県民に対し警戒を緩めないよう呼びかけ
ています。過去のパンデミックの経験上、第一波よりも第二波の方で被害が大
きくなることも珍しくありません。ましてや、この国の場合は国際的にみてPCR
検査数が極端に低く感染実態が分からないままですので、どのような不測の事
態がぶり返さないとも限りません。県には公立総合病院の一般病床をいつでも
感染症専用病床に転用できるよう空調の陰圧仕様化を引き続き進めていただき
たいと思いますし、人工呼吸器や人工心肺装置、消毒用アルコールやサージカ
ルマスク、防護服などの備えを怠らないようにしていただきたいと思います。

 ところで、それらとはまた別の意味で大事なことなので申しますが、医療機
関や介護施設での面会の一律全面禁止措置は直ちに止めていただきたいと思い
ます。患者にとっても家族にとっても、面会は人権そのものです。仮に制限が
必要と思われる場合であっても、必要性の判断は「緊急性」、「一時性」、
「非代替性(人権制約度のより少ない代替案がない状態のこと)」の三要件を
満たさなければなりません。フランスでは、3月28日に国が高齢者施設での面
会全面禁止措置を打ち出しましたが、老年医学の専門家などからの批判を受け
て方針を転換、4月20日からは透明なガラスなどをはさんだ非接触型の面会が
できるようになりました。日本国内でも、非代替性の観点からテレビ会議シス
テムなどを用いた非接触型面会が広がり始めています。富山県内の例としては、
杉野脳神経外科病院ではズームを、富山西総合病院ではフェイスタイムを用い
て実施しておられます。また、公式な形ではありませんが、病棟の判断や担当
スタッフの判断でライン動画やスカイプを活用してくださるところもあります。
今後第二波、第三波の度に面会一律全面禁止ということではあまりにも恥ずか
しい。高価なシステムをそろえなくても透明なアクリル板一つあればできるこ
と、銀行の窓口でもスーパーのレジでも今すでにできていることです。医療や
介護に携わる者の人権感覚がいかほどのものか、医療・介護サービスの利用者
とその家族から厳しく問われているのだと自覚しなければいけません。





2020.04.20.

時速30kmの福祉(第224回)

 新型コロナウイルスの話題が続きますがご容赦ください。いよいよ富山県内
の市中感染拡大が深刻化してきています。この危機をどう乗り越えるべきか?
テレビに出てくる人は、マスクをした方がいいと言う人もいれば、マスクをつ
けない方がいいと言う人もいます。しかもどちらも専門家の肩書きがあったり
するものですから、一人暮らしのお年寄りにとっては対策しようにも何をどう
すればよいのか混乱してしまいます。そんな対策疲れで、とうとう「オラ、コ
ロナにかかって死んだ方が楽だ」という人まで出てきちゃいました。

 そこで、あきらめてしまうよりはマシな方策として、「新型コロナウイルス
に感染しない心得7箇条」というチラシを作って配ることにしました。この7
つさえ守っていればかからないのかと思うことで心の安定につながりますし、
あきらめない心を保つことができるのではないかと考えたわけです。内容は、
わかりやすくするために多少正確性や厳密性を犠牲にしていますが、実際にこ
の7つを守ってさえいれば、100%とはいかないまでもほぼそのくらいは被
害を防ぐことができると思います。かかったら結果が深刻なのは間違いありま
せんけれど、基本的な予防策をしっかり守ってさえいれば実はそんなに恐れる
ほどのものでもないのだと分かっていただけるとうれしいです。

 ところで、この「7箇条」をケアマネジャーのなかまたちに伝えたところ、
岡山県の石原さんというご同業が、やはり感染予防で閉じこもりがちになって
不安な思いをしている人たちのためにご自身で作詞作曲なさった「ひとりじゃ
ないよ」という歌をユー・チューブで公開していると教えてくださいました。早
速視聴。その完成度の高さに驚きました。とても平易な歌詞なのに、なんとも
心が揺さぶられました。歌の力とはこういうものなのかと目からうろこでした。
当方のような小難しい理屈を並べた文章よりも、よほど人の心を打つ。心の支
えになる。こういうすばらしい仕事をなさるケアマネジャーがこの国にはいる
のだなぁとちょっと感動しました。興味をお持ちになられた方は以下のサイト
をご覧になってください。


「ひとりじゃないよ」


「新型コロナウイルスに感染しない心得7箇条」






2020.03.25.

時速30kmの福祉(第223回)

 新型コロナウイルスの話題が続きますがご容赦ください。3月24日午後8
時に東京オリンピックの事実上の延期が発表されました。これによりPCR検
査の件数が急増するのではないかとの観測が出ていますが、当方個人はそのよ
うに楽観視できません。いまのいままでPCR検査は悪であるかのような重苦
しい空気をわざわざ作って心理的な抑圧を続けてきた副作用で、国民は陽性の
判定が出たら差別を受けるのではないかと怯えるようになってしまいました。
多少症状があっても解雇などの社会的不利益を受けるくらいなら内緒にしてお
いた方が得だ、となってしまう。また、身内に肺炎患者がいても濃厚接触者の
烙印を押されたら自分だけではなく勤めている会社にも甚大な損害を与えかね
ないという考えが先に立って検査を拒むようになる。ただの風邪症状だ、検査
をしても陰性に違いないと思い込もうとする。そういう人を増やすような愚か
な誘導をしてしまったものだから、放っている間に重症化して手遅れになる事
例が急増するのではないかと当方は心配します。

 PCR検査というのは、本来公衆衛生、つまり国民全体のいのちと健康を守
るために行うものです。たとえ個人が検査や隔離を拒んでも、全体の利益のた
めに権力によって検査や隔離を命じる。その一方で個人の意思に反して強制す
ることに対しそれに見合った保障を約束する。それが当たり前の手順であり、
日本以外の国が行っていることです。ところが、この国では検査を求めている
人にすら検査を受けさせないという逆方向の権力を行使してしまった。だから、
それに抗う形で保険適用を求める声が高まり、結果として適用が決まりました。
でも、保険には自己負担があります。また、本人が希望しない診療を強制する
根拠が保険診療にはありません。非常にねじれたことになっていますが、さら
におかしなことに、保険診療になった後も本人が望み、主治医も必要と判断す
るPCR検査が未だに拒まれている醜態ぶりです。言ってはなんですが、論理
的に支離滅裂で収集がつかない愚かなことをしています。保険診療にするなら
自己負担をなくすことです。本来国が公費でやるべきことですから。そして、
拒む人にも公益の観点から必要な場合は検査を受けさせることと、検査を受け
ることがその人の不利益とならないよう労働から暮らし全般にまたがる総合的
な社会保障施策を打ち出して国民に安心を提供できなければいけません。遅す
ぎる! でもやらなければいけません。


2020.03.19.

時速30kmの福祉(第222回)

 先月号でも触れました新型コロナウィルス感染症についてですが、WHO
(世界保健機関)のテドロス事務局長は、今月11日の定例会見の席で現下の
感染拡大状況をパンデミック(世界的大流行)とみなすことができる旨の宣言
を行いました。その後、ヨーロッパを中心に国境封鎖などかなり厳しい防疫態
勢がとられるようになってきています。いま必要なことは、(1)感染症対応
の病床の緊急増床と医療スタッフの増員、防護服やマスクなどの必要資材の確
保、(2)自宅待機者とその家族、家庭訪問するホームヘルパーなどの家庭内
感染拡大の防止、(3)保健所機能の抜本的強化と感染症専門外来・往診態勢
の確立の3点です。うち(2)についてWHOは2月4日付で暫定指針を発表
していますので、以下に訳出します。ご家庭での感染予防の参考になさってく
ださい。なお、英語の原文で次亜塩素酸ナトリウム(商品名で言えば「キッチ
ンハイター」の類いです)の希釈度を0.5%としていますが、これはおそら
く0.05%の書き間違いではないかと思います。塩素系の薬剤なので、金属
は腐食する恐れがあります。薬剤で拭いて消毒した後は濡れ拭きで薬剤を拭き
取り、その後はしっかり乾燥するようにしてください。なお、厚生労働省は体
温が37.5以上の日が4日以上続いた場合に保健所へ相談するよう基準を設
けていますが、症状がつらい場合は手遅れにならないよう4日を待たずに保健
所へ連絡してPCR検査を受けてください。



     自宅待機者と家族、出入りするホーム
     ヘルパーなどを二次感染から守るには


・本人を換気の行き届く個室に移す。
・本人の移動範囲をなるべく制限し、共用スペースの換気を心がける。
・家族は別の部屋で過ごすか接触時には少なくとも1m以上距離をとる。
・介護する側の人数を絞り込む。
・手を使う動作の前後は両手を石けんで洗うかアルコール消毒液を用いて清潔
 を保つ。
・手を洗った後は使い捨てのペーパータオルで拭いてフタ付きのゴミ箱に捨て
 る。ペーパータオルがない場合は布タオルを用いて都度交換する。
・本人が咳き込む場合などは医療用マスクの装着を促す。装着がつらそうなら
 ペーパータオルなどで都度代用する。
・介護者は顔にぴったりフィットする医療用マスクを用いて介護に臨む。使用
 中はマスクに触れない。はずすときは前面に触れず後ろからはずす。濡れた
 り汚れたりしたときは速やかに交換する。捨てるときはフタ付きゴミ箱に捨
 てその後手洗いを行う。
・唾液や痰、排泄物などに直接触れない。使い捨てゴム手袋を使用しその前後
 に手洗いを行う。
・マスクやゴム手袋は使い回しをしない。
・寝具や食器、日用品などは共用にしない。使用後は洗浄し清潔を保つ。
・よく触るベッド周りやテーブル、家具などをまず一般家庭用洗剤で洗い、拭
 き取り後に次亜塩素酸ナトリウム0.5%配合の一般家庭用消毒剤で仕上げ
 る。
・浴室とトイレも同様の手順で1日1回以上清掃する。
・本人が使用した衣類やタオルなどは60から90度の高温で一般の洗濯石け
 んや中性洗剤を用いて洗濯し完全に乾燥させる。汚れ物は洗濯用バッグに入
 れる。汚れ物を振り回したり直接触ったり衣類に触れさせてはいけない。
・掃除や洗濯などの際は手袋や使い捨てエプロンなどで身を守る。手袋は使い
 捨てタイプは再利用せずに捨てる。使い捨てタイプではないものは次亜塩素
 酸ナトリウム0.5%配合の洗剤で洗う。手袋着脱前後は手洗いを行う。
・家庭内介護で生じた手袋やマスクなどのゴミは、感染廃棄物としてフタ付き
 ゴミ箱に捨てる。ゴミ箱は本人の部屋に置く。
・歯ブラシや煙草、酒など上記以外の汚染物からの接触感染を避ける。
・ホームヘルパーなどが入室するときは適切な感染防御策(PPE)を選択す
 るためのリスクアセスメントを行い、飛沫感染と接触感染の予防に関する勧
 告に従う。
・感染の疑いのある人を医療施設に搬送するときは事前に先方にその旨を伝え、
 本人にはつらくなければ医療用マスクを装着させ、公共交通機関の利用を避
 けて救急車搬送とするか自家用車を用い、可能であれば窓を開けて換気する。
 感染症状が観られる場合は呼吸と手指の衛生面に常に気を配り、車内と搬送
 先では少なくとも1m以上他者との距離を保つようにする。搬送中に唾液や
 痰、尿などで汚れた箇所は石けんか合成洗剤で洗い、その後に0.5%に希
 釈した漂白剤入りの一般家庭用除染剤を用いて除染する。

※上の箇条書きは以下のWHO発出文書からの訳出(要約)です。同文書は
 WHOのサイトから閲覧することができます。

'Home care for patients with suspected novel coronavirus (2019-nCoV) infection presenting with mild symptoms and management of contacts'
Interim guidance 04 February 2020 World Health Organization


2020.02.26.

時速30kmの福祉(号外)

 新型コロナウィルス関連で以下にアップしました。
時速30kmの福祉(222)





2020.02.17.

時速30kmの福祉(第221回)

 中国の武漢からはじまった新型コロナウィルスの感染拡大で、日本国内でも
死者が出始めています。当研究所にも不安を訴える声が届くようになったので、
以下に世界保健機関(WHO)が推奨している感染予防策の要約を箇条書きで
お知らせします。

(1)手をこまめに洗う。石けんで洗い水ですすぐかアルコール入りの製剤を
   手にすり込む。
(2)咳やくしゃみのときは鼻と口を自分の肘で覆うかティッシュで覆い、
   ティッシュはすぐに密閉容器に入れる。その後は手を洗う。
(3)人との接触は少なくとも1メートル以上の距離を置く。
(4)不用意に目、鼻、口に手を触れない。
(5)感染拡大地域に渡航歴のある人かもしくは渡航歴のある人と接触した人
   のうち熱、咳、呼吸器症状のある人は早めに保健・医療機関等に相談す
   る。
(6)渡航歴などがなく症状が軽度の場合は、上の(1)~(4)を励行しつ
   つ可能であれば回復するまで家に留まる。
(7)動物や動物を原料とする製品に触れた後は手洗いをし、目、鼻、口に触
   らない。
(8)生肉、牛乳、動物の臓器で適切に調理や処理がほどこされていない物は
   消費しない。

 あと、(6)の家に留まる場合の介護家族の心得として、十分に換気のでき
る個室を用いることや使い捨てのゴム手袋を用いること、患者に医療用マスク
を装着させることなど合わせて18項目が挙げられているほか、ケアワークの
専門職の心得として、移送時は公共交通機関ではなく自家用車等を用い、可能
な限り窓を開けて風通しをよくするなど5項目が挙げられています。詳細は末
尾のサイトを参照ください。

 尚、今回の騒ぎに乗じた詐欺事件も出始めていますので注意してください。
また、詐欺ではありませんが、間違った情報、デマも相当出回っています。
WHOによれば、アルコールで全身を拭けば予防になるとかニンニクに効果が
あるという類いは、すべて科学的な根拠がありません。気候が暖かくなれば自
然に収束するという楽観論も同様に科学的な根拠がありません。WHOが東京
オリンピック中止不要とのお墨付きを与えたという報道がありましたが、これ
もWHO自身がきっぱり否定しています。こういうときほど正確な情報を自ら
収集する努力が必要です。


(参考情報)

・世界保健機関(WHO)のサイト
 https://www.who.int/emergencies/diseases/novel-coronavirus-2019

・富山県内の相談窓口一覧
 http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021363.html





2020.01.13.

時速30kmの福祉(第220回)

 今月訪問した先で、ある方から「尊厳」の意味を尋ねられました。なんでも、
古代ローマの皇帝ネロを題材とした小説の結末にこの言葉が出てきて心にひっ
かかっているとの事。

 古代ローマというと、紀元前に初代皇帝が初めてアウグストゥスと称され、
これを「尊厳者」と日本語訳された以外に個人的には言葉の関連が思いうかび
ませんでした。今日一般的に尊厳の問題として議論されるのは、もっと時代が
下ってから後のキリスト教に由来する言葉の方です。当時の宗教観では、人間
は神の姿に似せて造られたものであり、それが他の生き物とは異なる固有の尊
さの源だとされました。その尊さのことを「尊厳」と呼びました。さらに時代
が下り、ルネサンス期を経て、必ずしも神の存在を前提とせず「理性」を尊さ
の根拠に置き換えるようになっていきました。さらに時代が下り、あら、人間
はさほど理性的じゃなかったわぁと気がつく人が出てきて話がややこしくなり
ました。尊厳の根拠を再び神に求めようとする人、人間にはそもそも尊厳なん
かないんだとあきらめる人、いや、そうではなくて、人間は確かに不完全で弱
いけれどもしなやかに支え合うことはできる、そこに人間特有の尊さがあるん
だと受け止め直す人などが現れました。

 そんなこんなは哲学上の議論でしたが、その間に大規模な戦争が繰り返され、
第二次世界大戦後は核兵器で「人類滅亡」が現実味を帯びるようになって、そ
れからは現実社会の問題として人間の尊厳とは何かが真剣に問われるようにな
りました。世界人権宣言や国際人権規約などの国際法で「尊厳」という言葉が
法としての効力を持つようになりました。ここにきて尊厳は理性の力の強い弱
いは関係なし、民族も宗教も身分も年齢も性別も関係なし、ただ人であるとい
う理由だけでかけがえがないのだと確認されました。今日では、環境破壊で脅
かされない事も尊厳の意味に加わるようになったり、ヒト以外の生き物にも範
囲が拡大されて考えられるようになってきています。

 ともすると、「認知症と診断されたら自分の意思で死にたい」とか、「意思
を表明できない人に生きる価値はないから殺してもよい」とか、「死に際の美
しさ」を語る動機で尊厳を口にする人があります。しかし、そもそもその「美
しい」は本当に美しいのか? また生命は個人の所有物のように勝手に処分で
きるのか? 尊厳という言葉は、いつの時代も死ぬためではなく生きるために
問われ続けている言葉なのです。





2019.12.15.

時速30kmの福祉(第219回)

 「思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは倫理的命令です。」ローマ・
カトリック教会のフランシスコ教皇が語られた言葉の一節。これを前回の本コ
ラムでご紹介して丁度一週間後、ペシャワール会の中村哲さんが亡くなられま
した。その報に接し、なんという巡り合わせかと絶句しました。

 中村さんがアフガニスタンの地で行われたことは、まさに「思い出し、とも
に歩み、守る」ことそのものでした。医師としての医療行為から始まり、とも
に歩むうちに用水路建設へと行動の範囲が広がり、さらに農地の開拓、現地後
継者教育へと間断なく行動されました。不毛の地を開いて築かれたのは65万
人を養う4万平方メートルの農地。その上空からの眺めをインターネット経由
で見ると、「思い出し、ともに歩み、守る」という最小の基本形をフラクタル
図形のように無限相似に拡大したような、中村さんの心と行動をそのまま可視
化したような佇まいでした。そして、それをさらに無限相似に拡大した先には、
ガンディーやキリスト、ソクラテスの姿が浮かび上がるようにも思えました。

 訃報に接し、当方のようなペシャワール会の活動に貢献どころか何の関わり
も持ってこなかった者ですら、中村さんを守れなかったという申し訳ない気持
ちがこみ上げてつらくなりました。その後、当方と同じ一種後悔のような独特
の感情を持った人たちがツイッターなどの場でそれぞれに思いを文字にしてい
ることに気がつき、少し心が支えられました。

 ペシャワール会は、中村さん亡き後もすべての事業を継続するのだそうです。
では、当方のような何の力もない者はどうすればよいのか? そう考えたとき、
二つのことが頭に浮かびました。

 ひとつは、憲法を「行う」こと。特に第9条を行うことはペシャワール会の
活動を直接守ることになる。

 そしてもうひとつは、ケアのマネジメントを通じて「思い出し、ともに歩み、
守る」こと。それは、4万平方メートルの農地とは比べる術もない小さな小さ
な仕事です。しかし、もしその仕事が小さいながらも中村さんのフラクタル図
形の相似形となり得るほど確かなものであれば、それはきっと中村さんの仕事
の一部であり、またそれよりさらに大きな仕事の一部になるかもしれない。

 それぞれが各々の持ち場で同じ志をもって臨めば、あるいは不毛に見えたこ
の世界にもなにがしか芽生えるものがあるような気がしてきました。





2019.11.27.

時速30kmの福祉(第218回)

 「思い出し、ともに歩み、守ること。この三つは倫理的命令です。」これは、
11月24日に広島平和記念公園で開催された「平和のためのつどい」でローマ・
カトリック教会のフランシスコ教皇が語られた言葉です。「思い出す」とは、
原子爆弾によってもたらされた惨禍のことをいつも心に留めること。「ともに
歩む」とは、その惨禍によって苦しめられた人々、今なお苦しめられている人々
とともに生きること。そして、「守る」とは、同じ悲しみが繰り返されないよ
う積極的に力を尽くすことを意味しています。ただし、フランシスコ教皇は、
これを広島だけ、原子爆弾の惨禍に対してだけ述べられたわけではありません。
差別、貧困、異常気象などあらゆる困難との向き合い方として語っておられま
す。生物分類学上そう分類されるだけの単なる「ヒト」ではなく、人格を持っ
た「ほんとうのひと」になるためには、この三つの行いを一生途切れ目なく続
けなければならない。そして、その義務を免れる例外はなく、国籍、宗派など
の違いを超えてすべての者にその行いが求められているということです。

 たとえばあるひとりの者が、思い立ったときにこれらを行うことは、実はさ
ほど難しいことではありません。特別になにか専門的に高度なことを学んだり
特別な修行を積んでいなければできないということではなく、何か特別な道具
や財産がなければできないということでもない。むしろ心がけてさえいれば誰
でもできることです。しかし、同じその者が、自分の一生をかけてとぎれめな
く心がけ、かつ行い続けるとなると、完遂できる自信のある人はどのくらいい
るでしょうか? それを、すべての者がひとり残らず完遂できて初めて、どの
瞬間をとってもひとりの脱落もないときに初めて揺るぎない平和が訪れる。そ
れを目指さなければならないというわけです。

 ケアについて真剣に考え、その理想を実現しようと心がけている者であれば、
この三つの行いを掲げたフランシスコ教皇の言葉に衝撃を受けなかった者はい
ないでしょう。徹底的に研ぎ澄ませた最小限の言葉で、ケアとは何か、それが
いかに厳しいものであるか、そして逃げることが許されないものであるかを完
璧に伝えきった言葉でありました。


(参考)スピーチ該当部分の公式英訳

   To remember, to journey together, to protect. These are three moral
imperatives that here in Hiroshima assume even more powerful and universal
significance, and can open a true path to peace.





2019.10.22.

時速30kmの福祉(第217回)

 2004年の冬、住むところを失って一年あまり路上で暮らしていた方から
相談を受け、生活保護申請のため富山市役所に同行したことがあります(「時
速30kmの福祉」2004年3月25日参照)。その日のうちに申請手続き
を完了したものの、保護の決定が正式に下りるまでの間は寝泊まりする所があ
りません。いろいろな提案をしてみたのですが、窓口の担当者は「一旦お帰り
ください」の一点張り。「帰るところはありません、凍死の危険があります」
と訴えても「いままでなんとかなってきたんだから大丈夫でしょう」と何のた
めらいもなく言葉を返され愕然としたことを今でも鮮明に覚えています。

 ところで、この10月全国各地に甚大な被害をもたらした台風19号ですが、
避難所の情報を教えてもらって12日にたどり着いた路上生活の方2名に対し、
東京都台東区の担当者が「区民ではない」という理由で避難所への受け入れを
拒んで追い返したことが問題となっています。支援団体によれば、同じような
扱いを受けて命の危険が生じた方は他にもあり、うち1名は河川の氾濫跡から
遺体で発見されたそうです。また、路上生活暦の長い方の中には、「避難所に
行っても追い返されることが経験で分かっているのではじめから行かない」と
言う方もあったそうです。

 内閣府政策統括官が本年4月に作成した「災害救助事務取扱要領」によれば、
避難勧告がない段階で自主避難した人であっても客観的に観て危険な状態であ
れば法による避難者として避難所に受け入れて差し支えないこととされていま
す。また、避難所の運営は「現在地救助の原則」、つまり住民であろうとなかろ
うと現にそこにいる人ならば誰でも救助することとされています。今回の受け
入れ拒否は、「避難準備・高齢者等避難開始」の発令後であり、人命に直接関
わるという意味で深刻な誤りだったと言わざるを得ません。

 共同体というものは、その内部でまとまることによって結束の力が生まれま
すが、一歩間違うとその力が人を排除することにもつながってしまいます。た
またま旅先で被災した「よその人」でもお互い様で受け入れあえる方がよいに
決まっています。その延長線上で言えば、長い人生の旅のどこかで、誰でも家
を失うことがあるかもしれない。たまたまそんな人生の旅先で被災しても、お
互い様で助け合える方が、精神的により次元の高い共同体と言えるのではない
でしょうか。ちなみに2004年に当方が関わった方とは、今でも年に数回お
会いし旧交を温めています。





2019.09.23. → 2019.09.25.一部訂正

時速30kmの福祉(第216回)

 9月は、2ヶ月に1度の「ケアマネジメントをみんなで考える会とやまのつ
どい」の開催月でした。今回は、つどいの冒頭でケアマネジメントにまつわる
「おまけ」情報をいくつかご紹介しました。本稿では、そのうちの「ケアマネ
ジメントは誰がやるのか?」という話題について触れたいと思います。

 「ケアマネジメント」は、あたりまえのことですが、「ケア」の「マネジメ
ント」です。「マネジメント」というと、それを行うのは「マネジャー」であ
ると考えるのが、言葉の単純素朴な受け止め方だと思います。しかし、こと
「ケアマネジメント」については、国際的に見るとちょっと事情が変わってき
ています。

 アメリカでは、世界的にも模範とされる専門職能団体「高齢者ケアマネジメ
ント専門職協会(NAPGCM)」が、自分たちの会の名称から「マネジメント」
をはずして「高齢期ライフケア協会(ALCA)」に変更しました。そして、ケア
が必要な人やそのご家族に自分の職業を名乗るときには、「わたしは高齢期ラ
イフケアの専門職です。高齢者ケアマネジャーと呼ばれていた職業です」と名
乗るようになりました。

 イギリスでは、日本で言えば厚生労働省の医療部門にあたるNHSが、向こう五
年間の行政計画の目玉政策として、「パーソナライズド・ケア」を普及させる
と宣言しています。そして、ケアマネジメントはお上から与えられるのではな
く、自分で行うのが当たり前であり、またその方がケアが必要な人と家族にとっ
て満足度が高くなり、かつ公費の使い方がより効率的になるとして、「セルフ・
ケアマネジメント」が強力に推進されようとしています。もっとも、マネジメ
ント能力はその人その人で差がありますので、客観的な基準を設けて能力を4
段階に分け、自分だけでマネジメントを行うのが難しい人に対しては段階ごと
に適切なサポート体制を保障するしくみになっています。そのサポートをする
人にはいくつかの職種があり、その中の一つの職種が「ケアマネジャー」と呼
ばれています。

 アメリカもイギリスもケアマネジメントの先進国ですが、両者に共通するの
は、ケアマネジメントの主体はケアを必要とするご本人・ご家族であるという
こと、そして、ケアマネジャーは「ご本人・ご家族が自分で自分のケアをマネ
ジメントすることを側面的に支え、ともに歩んでいく専門職」であるというこ
とです。

 もう一つ重要なことを付け加えると、アメリカでもイギリスでも、ケアマネ
ジメントで一番肝心なこと、一番最初にやらなければならないことは、「ご本
人・ご家族にとって何が問題であるのか、何を望んでいるのか(what matters
for the Person)」を明らかにし、皆で共有することだとされています。した
がって、セルフ・ケアマネジメントの最初のとっかかりは、ご本人・ご家族が
「わたしはこんな問題で困っている」、「本当はこうしたい」と発言すること
であり、サポートを担う専門職などに対しその「声を聞くように求める権利」
を行使することであり、彼らに対し「必要な情報の提供義務」を果たすよう求
めることなのです。

 ひるがえって日本の現状を見ると、ケアマネジメントの主体はご本人・ご家
族であると主張している人は当方を含めごくわずかで、ケアマネジメントの専
門職能団体ですらご本人・ご家族がケアマネジメントを行うことに否定的です。
そればかりか、その専門職が行うケアマネジメントの最初のとっかかりが「ご
本人・ご家族にとって何が問題であるのか、何を望んでいるのか」から出発す
ることを否定し、国が定めた「課題整理総括表」に基づいて自動的にはじき出
された「課題」の解決をご本人・ご家族に対して義務であるかのように押しつ
けようとします。

 さらに言えば、課題解決のための方策をAIが答えるしくみづくりに莫大な
公費が投入され、ケアマネジャーですらケアマネジメントの主体ではなく、A
Iに使いこなされる客体にまで貶められようとしています。当方の目から見れ
ば、このような日本のケアマネジメント政策の方向は、世界のケアマネジメン
トがこれから歩もうとしている方向と真逆であり、厳しく言えば「ほんとうの
ケアマネジメント」の否定、アンチ・ケアマネジメントですらあると思います。


(参考情報)
ALCAのサイト
NHSのサイト
 NHSのサイト





2019.08.19.

時速30kmの福祉(第215回)

 当研究所は、介護サービスの併設事業所を持たず、独立した立場でケアマネジ
メントを行っている事業所です。富山県内では珍しい部類に入ります。そのよう
な立場のためか、ご本人やご家族から直接ケアマネジメントを依頼されるだけで
はなく、ご同業のケアマネジャーの方から、「自分の担当している人のケアマネジ
メントを引き継いでもらえないか」というご相談を受けることがままあります。

 ケアマネジメントの担当を続けられない理由としておっしゃることはその方そ
の方で様々です。「いま勤めている事業所を辞めることになったけれども同僚はみ
な件数の上限まで受け持っているので同じ事業所内で引き継げる者がいない」と
いう方がありましたし、「会社の方針で事業所が閉じられてしまうから」という方
もありました。また、「ご本人ご家族から他の人に代わってくれと『引導』を渡さ
れた」という方、「女性のケアマネジャーでは誰がやっても上手くいかないと思う
ので男性ケアマネジャーを紹介したいと思った」という方、果ては「よそに引き
継いだのに後からやっぱりできないと断られて、結果的に宙に浮いてしまった」
という方までありました。

 多くの場合、ケアマネジメントが簡単ではないケースです。各方面の専門的な
知識と技術を要する場合、頻繁な訪問やサービス調整が必要で手がかかる場合、
家族間で意見が対立して先に進めない場合、法的な問題が潜在する場合、経済的
に困窮し必要なサービスを十分に受けられない場合などです。日本の介護保険の
しくみでは、簡単でも難しくてもケアマネジャーの仕事に対して支払われるのは
同じ額の報酬なので、「難しい仕事」が敬遠されるという事情が背景にあります。
また、地域包括支援センターによっては自法人の事業所に利益率の高い簡単な仕
事を割り振り、採算の合わない難しい仕事を他法人の事業所に押しつけるところ
が残念ながらあります。そして、押しつけられた事業所の側の経営者が現場のこ
とをよく分からず数字しか見ない人だったら、とにかく件数が増えれば利益が上
がると考えて事業所全体の能力を顧みずにどんどん引き受けてしまう。そうなる
と、時間のかかる難しい仕事ばかりを引き受けさせられた個々のケアマネジャー
の方は、過労で倒れるか精神的に参ってしまうのです。

 当方の元に相談に見えられるご同業の方々は、表向きの理由は様々ですが、
みな一様に「楽になりたい」という本音がお顔の表情から読み取れます。かと
いって、それらの依頼をすべて引き受ければ当方がダウンしてしまいますし、
そもそもそんなことをしては個々のケアマネジャーの問題解決能力が育たず、
結果として地域全体のケアマネジメントの水準が高まりません。こういった制
度構造に起因する問題は、ことなかれ主義の行政担当者や教育関係者からは気
づかないフリをされてなかなか表だって議論されることがないですけれど、確
実に日本のケアマネジメントと個々のケアマネジャーの健康を蝕んでいます。
また、本当の理由をカムフラージュされて犬か猫のようにやったりとったりさ
れてしまうようでは、主人公であるはずのご本人・ご家族に対してとても失礼
な話です。こういうもろもろの悪弊をなんとかして一掃したいと、同種のご依
頼を受ける度に強く強く思うのです。





2019.07.25.

時速30kmの福祉(第214回)

 7月12日の午前、当研究所は富山市指導監査課より2名の方を迎え、実地指
導なるものを受けました。これは、介護保険事業所が定期的に受けることとされ
ているもので、当研究所としては7年ぶりのご来所でありました。

 ところで、本年5月末に厚生労働省から実地指導の確認項目を減らしたり簡素
化したりする「標準化」の通達が発せられておりました。それによれば、実地指
導先で確認する資料は直近1年間分くらいで、件数は1から2件を目安に調べる
こととされていました。しかし、今回の当研究所の実地指導では、現在担当して
いる方の資料をひととおりすべて調べられました。相談経過の長い人の分では5
年以上前まで遡りました。

 当方自身は、今回の実地指導で厳しいマイナス評価が出るかもしれないと考え
ていました。というのは、当研究所で用いている書式がことごとく厚生労働省か
ら示されているものではなくオリジナルのものなので、こんなものはダメだ、と
言われればそれでおしまいという見方もあったためです。どうしてわざわざそん
な「危ない」ことをしているかというと、厚生労働省に逆らうことそれ自体が目
的なのでは当然なく、既存の書式ではどうも良い仕事ができないと判断し創意工
夫をした結果、たまたま逆らうことになったというわけなのですが、実地指導を
する側にとってはそんなことは考慮する必要のないどうでもよいことです。そし
て、実地指導の担当者によっては、とんでもないパワーハラスメントをしかけて
くるのを実際この目で見てきているので、悪い条件が重なればマイナス評価は本
当に起こり得ることでした。今回来所されたお二人がそういうおかしな人ではな
かったことが、当研究所にとって幸いなことでした。

 手前味噌になりますが、当研究所の書式はICFという国際標準の考え方に基
づいて作成しており、医療関係者やリハビリテーション関係者の方々には存外に
好評です。本当に良い書式というものは、現場の中で「これは良い」、「使える」
となれば自ずとマネをされて広まっていったり、さらに多くの人の手を経て改良
が加えられたりするものです。逆に金儲けが目的の、個人名を冠した○○方式と
いったよこしまな書式や、権力をかさにきて使用を無理矢理強制するような書式
というものは、現場の仕事の手かせ足かせとなってしまい、長い目で見るといつ
の間にか忘れ去られていくもののようです。





2019.05.01.

時速30kmの福祉(第213回)

(前号の続き)
 ところが、いよいよ介護保険法が本格稼働しようとするわずか数ヶ月前に、旧
厚生省はケアマネジャーの専門裁量の一つであるペーシングに介入しました。法
律に書かれていない細かなことや法施行のための手順などは政令や省令といった
行政命令で定められますが、その定めの中で、ケアマネジャーは月1回利用者宅
を訪問することが事実上義務づけられたのです。

 この事態に対して、現場の人や大学の研究者の対応は分かれました。これまで
標準担当件数を設けよと主張していた人たちは、ケアマネジャーにペーシングの
専門裁量があるという前提で50件と設定していたのですが、一律月1回訪問と
いうことでは50件という数字は多すぎるし、そもそもペーシングに対する介入
は専門裁量の否定であり許されないと考えました。当方も同様に考え、イギリス
の例などを挙げて、複雑なケース(コンプレックス・ケース)だけを受け持つな
らば一人あたり7~10件、通常ケース(オーディナリー・ケース)だけを受け
持つならば25~30件が妥当な数字だとその当時主張していました。

 しかし、そのような批判を行ったのはごく少数で、大半の人々は旧厚生省の対
応に批判を加えることなく、むしろ過剰に適応しました。研究者はやらなくても
よい理論的な正当化を図ってお金を儲けようとしましたし、経営者たちは1件あ
たりの報酬が低いのを変える方向ではなく、お客をたくさんとって収益を上げる
方向に、つまり件数制限をむしろ緩くする方向に動かしたいと考えました。そし
て、件数が多すぎると主張する人たちのことを、「仕事の能力がないからそんな
ことを言う」「1ヶ月に1回以上の訪問を要しない事例は理論上存在しない」な
どと罵倒しました。

 その後、国の制度が変わり、標準担当件数は35件に引き下げられましたが、
私たちを罵倒した人たちは「国は間違っているから元の数にもどせ」とは言いま
せんでした。要支援以下の人の訪問も月1回という義務づけが無くなりましたが、
「義務づけをなくした国の決定はケアマネジメント理論上誤りである」と反論す
る研究者は一人もいませんでした。自分の頭で考え、正しく批判することを心が
ければ、このような遠回りをしなくて済んだのです。いまこの国を席巻している
ファシズムの空気、批判力の涵養をおろそかにする空気は、振り返れば既に20
年以上前に芽生えていたのだと気づかされます。
                               (おわり)





2019.05.01.

時速30kmの福祉(第212回)

 私たち福祉の相談員の専門用語にペーシング(注1)という言葉があります。
マラソンを走る人は区間ごとに自分のペース配分を計算して走りますが、そのペ
ースを現在進行形にしたのがペーシングです。相談員が相手に関わる場合、どの
ようなスピードでどのくらいの頻度で相手に関わるか? その人の状態や置かれ
ている環境によって、緊急な対応を要する場合もあれば当面経過を観ていてよい
場合もあります。一日に何度でも訪問しなければならない場合もあれば数ヶ月か
ら半年に1回程度の定期訪問で事足りる場合もあります。

 介護保険の世界でこのペーシングが問題となったのは、法律が成立したときで
はなく、いよいよ施行されようとした間際、行政から具体的な手順が示されたと
きでした。

 もともと介護保険法が成立した当初、旧厚生省はケアマネジャー一人あたりが
受け持てる担当件数に制限を設けるつもりはありませんでした。理由は、いわゆ
る老人病院に入っている人をできるだけ多く退院させるためです。ケアマネジメ
ントに対する報酬を赤字になっても当然なほど低く設定したのも同じ理由です。
病院を経営する人たちは、病院のベッド数を削減させられる、将来は廃止させら
れるという見通しのなかで、在宅サービスを早急に整備して患者を右から左に移
動させ、法人全体としての経営を安定させようと考えました。そのためには退院
請負係が必要となる。ケアマネジャーが正にその役割を期待されて生まれたわけ
です。このような制度設計ではいわゆる「囲い込み」が常態化してしまうのはむ
しろ当然なわけですが、政策を作る側はその弊害に目をつぶってしまったのです。

 しかし、相談現場の人は黙っていませんでした。「ほんとう」にケアマネジャー
の仕事をしたいと思う真面目な人たちは、担当件数に制限を設けなければケアプ
ランが粗製濫造され、結果的にご本人ご家族にとって本当に必要なケアを満たす
ことができなくなる。ケアマネジャーが過労で倒れてしまう。そこで、当時現場
の声を中央に届けるほとんど唯一のルートであった全国在宅介護支援センター協
議会を通じて、全国の現場相談員が標準担当件数を50件とするよう求めました。
「標準担当件数」という言葉は、もともと行政が作った言葉ではなく、現場から
生まれた言葉でした。50件という数字は、当時の生活保護ソーシャルワークで
おおかたの人が妥当と考える数字でした。
                             (次号へ続く)

注1:本稿で言及するペーシングは、カウンセリング技法としての狭義のペーシ
   ングとは意味が異なります。混同なきようご注意ください。





2019.04.22.

時速30kmの福祉(第211回)

 前回の「時速30kmの福祉」では、ファシズムに対抗するためには、まず熱狂
に溺れないこと、そして冷静に批判の努力を行うことが肝要であると述べました。
批判という言葉については、「批判と非難の違い」という観点からこれまで本コ
ラムでも何度か言及しましたが、大事なことなのであらためて以下に記します。

 批判と非難は、その対象、方法、内容、自己および他者との関係、効果のすべ
てが異なります。批判とは、他者の思考の論理や行動の論理に対して、論理的に、
正しいか間違っているかを吟味する作業です。他者への批判の方法を応用し、自
分の思考の論理や行動の論理を批判することができます(自己批判)。批判を行
うためには、相手の論理が「批判に値する」という肯定的評価と相手への敬意の
存在が前提条件となります。批判によって相手の論理の全部または一部が正しい
と証明される場合もあります。自分の気づかなかった誤りに気づかせてもらえる
ので、真理を求める人からは「正しい批判」は歓迎されます。批判・反批判は積
み重ねられ、引き継がれて共有の知的財産になっていきます。正しい批判は、共
に真理を探究する同志としての相互尊重を育みます。

 他方、非難とは、他者の人格や存在そのものに対して、感情にまかせて否定的
な言葉を浴びせることです。批判とは異なり、原則として自分自身に対して向け
られることはありません。非難は相手の人格に対する攻撃なので、非難を受けて
傷つくことはあってもプラスになることはありません。関係の悪化により非難し
た側も結局傷つくことになります。非難は、人間関係の対立・悪化を助長します。

 これをさらに分かりやすく山登りに例えると、登るルートは無数にあり、その
どれにも平坦なところと難所とがあります。右のルートであろうと左のルートで
あろうと、キリスト教のルートであろうと仏教のルートであろうと、あるいは無
宗教のルートであろうと、目指す先は一つです。真心からその高みに到達したい
と望む者であれば、どのルートから挑む者に対してであっても、人として敬意を
持ち、その振る舞いから学び、ときに相手を励まし助けることができます。己が
何を目指しているのかを見失い、どこにいるのかも分からず、ただつかの間他者
よりわずかでも優位に立とうと争い、だまし合い、罵り合っている者の背に付き
従っていては、いずれ山の怒りに触れて集団で落命する他ありません。





2019.03.28.

時速30kmの福祉(第210回)

 当方は、介護保険法で規定された介護支援専門員として、この国でケアマネ
ジメントの仕事を続けてきました。そして、国がケアマネジメント政策上の用
語として折々に掲げてきた言葉の不誠実を批判し続けてきました。たとえば、
「自立支援」という言葉は、その印象とは裏腹に人々の自立を妨げる振る舞い
をしてきましたし、「介護予防」という言葉は、人々の自立のために先んじて
行われるケア(プリベンティブ・ケア)の意味を連想させる言葉なのに、実際
には必要なケアの切り捨て(ケア・プリベンション)に用いられてきました。
最近では、「ケアマネジメントの生産性向上」などというグロテスクな言葉が
平気で語られるようになってきましたが、これもトヨタカローラの80点主義
のアナロジーで人間を品質管理の客体化・洗脳化するものであると批判してき
ました。

 しかし、当方個人がいくらこのような批判の努力をしても、政策の流れを変
えるような力は生まれてきません。本来このような批判を率先して行わなけれ
ばならないはずの学会や大学に籍を置く研究者たちが、その社会的責任を果た
さず緘黙を続けています。この麻痺状況は、なにもケアマネジメントの領域に
限らず、この国のあらゆる領域に蔓延しています。おかしいと分かっていても、
そのことをどれだけ正確に、どれだけ厳しく批判しても、ちょうどどれだけ鋭
い釘であっても糠には全く効き目がないのと同じように、全く手応えがない。
何も変わらない。だから、あきらめてしまう。はじめから努力すらしなくなる。

 これは、ファシズムの典型的な社会状態です。戦前にファシズムのまっただ
中でファシズム批判を敢然と行った河合栄治郎さんという方が、二・二六事件
の直後に帝国大学新聞に寄せた「二・二六事件に就て」という文章に書かれて
いることですが、ファシズムというのは、何かこれまでとは違う良いことを行
うような印象だけを大衆に植え付け、そのくせそれが具体的に何なのかを絶対
に自分から説明しようとしない。わざと説明しないことによって、受け止める
大衆の側が勝手に自分に都合の良い解釈をして熱狂するように仕向けるもので
あると河合さんは看破しています。では、これに対抗するにはどうすればよい
か? まずは熱狂に溺れないこと。そして、冷静に批判の努力を行うことが肝
要です。政策サイドから繰り出される意味不明な言葉の一つ一つについてその
定義を明らかにするよう求め、実際に社会の中でどのような機能を果たしてい
るかを調べて告発していかなければなりません。河合さんは、こうも言ってい
ます。「此の時に当たり往々にして知識階級の囁くを聞く、此の暴力の前にい
かに吾々の無力なることよと、だが此の無力感の中には、暗に暴力讃美の危険
なる心理が潜んでいる、そして之こそファッシズムを醸成する温床である」と。

(参考情報)
・河合栄治郎「二・二六事件に就て」青空文庫版
 https://www.aozora.gr.jp/cards/000506/files/46196_24400.html
 なお、河合さんはファシズムとともに共産主義も厳しく批判しておられます
 が、当時の共産主義と今日のそれとでは内容にかなりの変容があります。歴
 史的な文献は書かれた当時の背景事情を踏まえて読解する必要があることを
 申し添えます。





2019.01.27.

時速30kmの福祉(第209回)

 当方が成年後見人になっている一人暮らしの方。年末に届いた年金の源泉徴
収票を確認したところ、本来は控除枠の大きな特別障害者控除の欄にチェック
が入らなければならないのに、通常の障害者控除の欄にチェックが入っていま
した。実は、数年前から日本年金機構に情報の訂正を求めていたのですが、毎
年送られてくる源泉徴収票は全く変更されないまま。今年も訂正を求めるべく
年金ナビダイヤルに電話をかけました。ところが、今年は通話者の身分の確認
段階からつまずきました。当方は成年後見人であると述べたのですが、先方は
未登録なので確認できないと・・・。こちらから富山年金事務所に届け出た年
月日まで伝えて再度確認をと求めたところ、しばらく電話が保留となって後に
登録の確認ができましたとの返答を受けました。次に、今年の源泉徴収票の記
載の訂正方法を知りたいと質問したところ、来年からなら記載を変更できるが
今年の分は無理との回答がありました。ここで当方から、「昨年も同じお願い
をして同じ回答をもらいましたが、結局記載内容が変わりませんでした。そこ
で、どうすれば変わるのかを教えてほしいのです」と伝えました。すると、出
てきた答えがなんと「確定申告をしてもらえれば情報が反映されます」と・・
・。当方からは、年金のみの収入でそもそも確定申告義務のない方であること
を伝えた上で、毎年の扶養控除等申告書や現況届で異同をチェックし確定申告
を省略できる仕組みなのに、なぜ本件の本人の控除についてだけ認められない
のか、そもそもその説明は前年度、前々年度の説明と矛盾することになるがい
ずれが正しいのか、と問いました。すると今度は、「ごもっとも」と返され、
しばらく内部で協議なさった後、結局出てきた答えは、相変わらず「来年度分
から変更を反映させます」でした。

 この方の場合は、当方のような第三者がチェックしているので最終的に税金
の過払いはありませんが、源泉徴収票上に誤りがあっても気づかず、間違った
税額を支払っている人がいないか心配です。また、一人暮らしの方などの場合、
往々にして扶養控除等申告書の葉書が届いても面倒がって日本年金機構に返送
せず、その結果所得税がゼロでも控除情報が市町村に届かず、本来支払い義務
のない市町村民税が課税されることも珍しくありません。介護保険の要介護度
が重度化して障害者控除から特別障害者控除に変更となるタイミングの方は特
に注意なさった方がよいと思います。

 それにしても、いくらの税金を投じて年金のコンピューターシステムを整備
したのか知りませんが、情報管理があまりにもお粗末です。今回の電話照会に
要した通話時間は約20分、料金は電話をかけた側が全額負担。当方のような
困りごとの相談を受ける立場の者は、この国の壊れ具合を日々実感しています。





2018.12.25.

時速30kmの福祉(第208回)

 2018年11月下旬からフランスで急激に拡がった「黄色いベスト運動」。
海外では当初から速報で連日詳細が伝えられましたが、最初のうち日本では報
道らしい報道がありませんでした。やがて無視できない規模になって日本でも
報道されるようになりましたが、その内容は「燃料税の値上げに抗議する運動」
といったまとめ方でした。しかし、海外メディアの報道はそんな生やさしいも
のではありませんでした。特派員が現地に入り、デモに参加している人々と直
接会って話を聞く取材行動をそのまま実況で伝えていました(日本人のメディ
ア関係者は当方が視聴した限りでは一人も見当たりませんでした)。人々の話
を聴けばすぐに分かることですが、デモ参加の動機は単なる私的利害の主張
(税金が上がって生活が苦しくなるのが嫌だという主張)ではなく、社会を公
正にするために国民としての義務を果たさなければならないという使命感でし
た。印象的だったのは、取材に応じた人々が、それぞれ自分自身の言葉で、か
つ落ち着いたはっきりとした口調で、彼らの正義への揺るぎない確信を語って
いたことです。冷静に距離を置いて観るならば、メディアが自分たちが望むと
ころだけを切り取って報じた、という可能性を全く否定することはできません。
しかし、その部分を考慮しても尚余りあるメッセージを当方は受け止めました。
12月に入り一部暴動なども起きましたが、それまでの整然とした映像とは一
転した光景であったため、これはなにか組織的な関与があるのではないかと素
人ながら感じておりました。はたせるかな、海外メディアが報じたところでは、
マクロン大統領の政敵の右派政治家があおり行為を事実上認めたとのことでし
た。

 今回の「黄色いベスト運動」が目指したものは、環境を保護しようとする政
策を誤りとして断罪することではなく、環境保護政策に名を借りて貧困を意図
的に拡大させ、他人の貧困を蜜にして肥え太るピラミッドの頂点に対する異議
申立てであり、ピラミッド構造そのものの打倒でした。その根本の志に国民の
7割以上が共感を示し、政府を守る立場の警官隊の一部も民衆の側に回ったこ
とで、マクロン大統領は自身の誤りを認め、燃料税値上げの中止や最低賃金の
引き上げなどの譲歩策を約束せざるを得なくなりました。フランスではその後
デモ参加者が半減したと報じられましたが、これは沈静化を図りたいフランス
内務省が発表した数字であり、報道映像を観る限りそこまで減っているかなと
いう疑問を素朴に持ちました。その間も、同様の社会構造の変革を求めて、運
動はヨーロッパ全体にいまも拡がりつつあります。

 エッフェル塔に落書きされた「人民のための権力を(Pouvoir pour peuple)!」
というスローガンは、統治権力自体を否定する無政府主義の主張ではなく、一
部の者によって私物化されている権力を万民のもとに取り戻すという主張です。
間接民主制が上手く機能せず、選挙の結果が民意と乖離する状況下で、間接民
主制の欠陥をどうすれば補うことができるのか、より洗練された民主主義の形
は何なのか、すさまじいエネルギーでそれを求めようとしている。当方にはそ
のように映ります。すべての基本的人権の根本である「抵抗権」の行使が国民
の「不断の義務」として意識化されている国は、どんなに転んでもまた立ち上
がることができる。立ち上がる度にたくましくなる。

 同じ社会経済構造でありながらフランスとは逆方向に転がっている日本。政
策論的にも倫理的にも支離滅裂なまま新年を迎えようとしています。ケアマネ
ジメントの世界では、ケアを満たす方向ではなく奪う方向へ、貧困を撲滅する
方向ではなく拡大する方向へと突き進んでいます。このままでは国が持たない。
この国を見捨てるのか、それとも立て直すのか? 立て直す侠気がまだこの国
の民に残っているのか? タイムリミットが刻一刻と迫っています。





2018.12.20.

時速30kmの福祉(第207回)

 つい先日のこと、地域の高齢者の見守り役の方から連絡があり、不審なセー
ルスが高齢者宅を一件一件訪問しているようなんだが大丈夫だろうかとのお尋
ね。現地に行ってみたところ、すでに件のセールスマンは居りませんでしたが、
訪問を受けた方々から聞き取ったところによれば敷地内の排水管の掃除をさせ
てくれとのセールスだった由。近隣の家をまとめて受け持たせてくれれば割引
きもしますと言って客集めまで手伝わせた模様。うちお一人の話では、いらな
いと断ったにもかかわらず、何日の何時に施工にうかがいますとメモ書きを残
して帰っていったとの事で、これはかなり悪質なケースだと判断しました。そ
の方からメモ書きを拝借して事務所に戻り、直ちに市の消費生活センターに通
報。はたせるかな、ご担当曰く、本年4月以降同様の相談が市の中心部で急増し
ていたとの事。施工業者は複数確認されているものの、いずれも同様の価格帯
で同様のサービス内容を提案、実際に施工された例で検証しても排水管の汚れ
具合が施工前と後で大差ない作業を行っている疑いが強いという事が分かりま
した。

 このような事案に出くわしたとき、ほんとうはあまりほめられた事ではない
かもしれませんが、当研究所では問題の事業所に直接連絡をとり、法令に違反
する営業であることや民法上の契約自体が不存在であることを確認した旨を告
げてそれ以上の営業を思いとどまらせるようにしています。その後メモ書きの
施工予定日時に現場に出向いてみたのですが、幸い件の業者の姿はありません
でした。この顛末は念のため周辺の地域包括支援センター数箇所に報告し、管
轄地域内の方々への注意喚起をお願いいたしました。

 当方のような立場から見ると、被害に遭われる人のことだけではなく、この
ような仕事に就いている人のことまで気になってしまいます。いまは名の通っ
た大手企業ですら性能偽装など滅茶苦茶な商売をしている時代ですし、国その
ものが日本最大の暴力団組織みたいなことになっている世の中なので、合法違
法の見分けが曖昧になっているのかもしれません。もしかしたらいけないこと
が含まれているかもと頭の片隅では思いつつ、でも会社の本部から歳末の売り
上げアップノルマを強引に押しつけられ、普段行ったことのない片田舎まで足
を運び、契約がとれたらよくやったと褒められて、だんだん悪いことじゃない
ような気になっていく。自分で自分をごまかせるようになっていく。この会社
以外にも、この国に暮らし働く多くの人たちの間で、「自他を欺かなければ生
きていけない」と心理的に追いつめられている実態があり、しかもそれがこれ
からますます拡がっていくのではないかと思えてつらくなります。

 追記

 万が一ご自身やお知り合いのお宅に同様のセールスが来て困ったという場合
は、必要事項の記載された契約書がなければ法令により契約不存在ないし契約
無効ですので、断っても強引に契約しようとする場合や実工事に及んだ場合で
も料金を支払わず最寄りの警察や市町村の消費生活センターへ通報してくださ
い。





2018.10.31.

時速30kmの福祉(第206回)

 今月は、入院医療費の分割払いのお話をしたいと思います。人間誰しも健康
で過ごしていたいものですが、運悪く転んで骨折したり、なんらかの病気にか
かって入院を余儀なくされる場合があります。そんなとき、治療はお医者さん
にお任せすればよいとはいえ、入院が長引いたり、家族が同時に入院・入所す
ることになったりして、家に残る家族の生活費と合わせて一時的に出費がぐん
とかさんでしまう、それを考えただけでも具合が悪くなっちゃうなんてことは
ないでしょうか?

 そんなとき、公的な制度としては、もしも住民税非課税の世帯であれば、加
入しておられる医療保険の窓口(国民健康保険ならば市町村、社会保険ならば
協会けんぽの都道府県支部などが窓口となります)で「限度額適用・標準負担
額減額認定申請」という手続きをとることにより、支払う医療費や食費などの
費用を低く抑えることができます。また、世帯住民税非課税ではない場合でも、
限度額適用の認定申請を行えば医療費の上限だけでも低く抑えることができま
す。

 ここまでは、支払う額自体を少なくする方法です。次にできることは、一度
に全額支払うのではなく、分割して支払うことによって過度の家計負担を分散
させることです。それにはおおむねふたつの方法があります。ひとつは、「生
活福祉資金貸付制度」の利用です。市町村の社会福祉協議会の窓口で手続きを
とれば、一時的に支払い困難となる分のお金を借りることが出来ます。もっと
も、その手続きのためには家族の生活や経済状況をこと細かに記入して提出し
なければならなかったり、連帯保証人が見つからない場合は無利子で借りるこ
とができなかったり、申し込んでから決定されるまでに時間がかかったりする
ため、いささか使い勝手が悪いしくみであると言えます。

 ふたつめの方法は、入院先の医療機関に直接分割払いの交渉を試みるという
方法です。富山県内の公立の総合病院であれば、だいたい「地域医療連携室」
などの名称の相談窓口があります。そこに相談すれば医療費を扱う医事課に事
情が伝わって無利子の分割払に応じてくれます。民間医療機関でも同様のご配
慮をいただける場合があります。社会福祉法上の無料・低額診療や生活保護法
上の医療扶助が受けられない方でもあきらめず分割払いの相談をしてみてくだ
さい。また、お勤めの方の場合は、お仕事を休まれる期間分の傷病手当金の申
請について会社の人事担当の方に相談してみてください。





2018.09.30.

時速30kmの福祉(第205回)

 前回の「時速30kmの福祉」では、クリスティーン・ブライデンさんの言葉
「認知症についてのあなたの考え方を変えることによって、あなたは人間が本
当に人間らしくあるとはどういう意味なのかを深く知ることができるかもしれ
ません」の中の「深く知る」という部分が「リフレクション」に当たると述べ
ました。今回は、上の言葉のうちの「考え方を変える」という部分について述
べます。この部分は、英語の原文では「リフレーム」という言葉が用いられて
います。その元々の意味は、「枠組みを組み直す」ということです。

 この言葉を心の枠組みという意味合いで用いる源流を辿ると、戦後日本で大
変なブームとなったカール・ロジャズのカウンセリング理論に遡ります。2006
年9月の「時速30kmの福祉」でも申しましたが、カール・ロジャズは、他者を共
感的に理解するためには、他者の内部からのものの見方(インターナル・フレー
ムワーク・オブ・レファレンス)を意識しなければならないと説きました。この
ような他者と「人として」正面から向き合う行いは、専門職が仕事として行う場
合とても時間と根気が必要なので、経済的な効率性を求めるその後の時代の風潮
から嫌われて一時的な退潮へと向かいます。しかし、1990年代頃から国際社会の
激変とそれに連動する人間を大切にしない思潮の高まりへの批判という意味で
カール・ロジャズの人間観や理論を母胎とした新たな思想や理論が形を持つよ
うになり、有名なトム・キットウッドの「パーソンセンタード・ケア」や北欧
精神医療のナラティブ・アプローチ、哲学的には社会構成主義などが相互に響
き合いながら発展しました。それまで「ケースマネジメント」と呼ばれていた
ものが、「ケアマネジメント」に「リフレーム」されたのもこの頃です。

 クリスティーン・ブライデンさんがその当時に「リフレーム」という言葉を
用いたのは、それらの背景事情をすべて了解した上のことなのですが、実はそ
の後さらに理論の方が進化しており、今日では「リフレーム」から「リストー
リー」(ものがたりの枠組みを組み直す)へと変容しつつあります。

 ケアマネジメントをみんなで考える会では、「リフレクション」とともに、
「リストーリー」を意識したピア・グループワークを継続して行っています。





2018.08.31.

時速30kmの福祉(第204回)

 台風が暑気を払い、エアコンをつけずに過ごせるひとときがありました。窓
を開け気がつけば秋の虫の音。小さな虫たちが音を用いて誰かに何かを伝えよ
うとしています。同じ音のようでも受け止め方はそれぞれに。風水害に見舞わ
れて復旧未だしのかの地の人々は、虫の音に何を感じ何を思っていることでしょ
う。

 音で何かを伝えようとすることは人間もまた同じ。人間の場合は、音で意味
の塊(言葉)を作り、音の高低や強弱、塊の順番などを多彩に組み合わせて誰
かに何かを伝えようとします。この文章では、伝えようとする何かのことを
「ものがたり」、伝えようとする行為のことを「ものがたる」と仮に呼びます。

 人間が何かをものがたるとき、通常はものがたる相手がいます。相手はひと
りのときもあれば、複数のときもあります。相手がひとりもいないように見え
るときであっても、人間は自分の中に存在するもうひとりの自分にものがたっ
ています。そればかりか、相手がいるときであっても、相手にものがたると同
時にもうひとりの自分へもものがたっています。

 ものがたりを聞いた相手は、ものがたりの内容をその人なりに受け止めます。
その受け止めが反応となって、ものがたる人の眼や耳から心へと伝わります。
それと同じことが、誰かにものがたっているときにその誰かといっしょにもの
がたりを聞いているもうひとりの自分にも起きます。そして、もうひとりの自
分の受け止めが反応となって、ものがたる自分に跳ね返ってきます。

 このようなものがたりの反復を繰り返すうちに、受け止めが少し変わるよう
になると、今度はものがたる人のものがたりにそれが影響して、ものがたり自
体が少し変わるようになります。それをまた繰り返しているうちにものがたり
がどんどん展開していくことになります。

 ものがたる人が、ものがたる行為によってもうひとりの自分とやりとりして
いくなかで別のものがたりが生まれることを、「気づく」と言います。気づく
のは瞬間のことですが、気づくまでには長い長い反復のときが必要です。この
反復して何度もものがたりをなぞる行いのことをリフレクションと言います。

 認知症の人であり、認知症の人の人権擁護者でもあるクリスティン・ブライ
デンさんは、その語録「わたしたち抜きにわたしたちのことを決めるな」の中
で、「認知症についてのあなたの考え方を変えることによって、あなたは人間
が本当に人間らしくあるとはどういう意味なのかを深く知ることができるかも
しれません」とおっしゃっています。この「深く知る」というところが、リフ
レクションに当たります。リフレクションは、認知症ケアにおけるとても重要
なキーワードであると同時に、ケアマネジメントにおけるナラティブ・アプロー
チの理解にかかせないキーワードでもあります。ケアマネジメントをみんなで
考える会のピア・グループワークでは、このリフレクションを意識した取り組
みを行っています。次号でもう少し情報を補足したいと思います。

 (関連情報)
・クリスティン・ブライデン「私たちのことを私たち抜きに決めるな」
 ジェシカ・キングスレー出版社 2016年
 http://www.christinebryden.com/books/nothing-about-us-without-us/





2018.07.12.

時速30kmの福祉(第203回)

 今日の日本の話ではありません。80年あまり前のドイツのお話です。

 1934年にヘルマン・ゲーリンクが作った「勤労大衆の闘争のための9つの訓
戒」という文書の中に次の一節があります。

   「女はフライパンと箒とちり取りを持って男に嫁ぐべし」

 同じ年に「母の戦争」と呼ばれる急進運動がナチス主導で引き起こされ、新
学期には「帝国花嫁学校教本」が学校書架必携となりました。

 それから1945年のナチス政権崩壊までの期間に何が起こったか? 結婚は教
会の神前で誓う儀式ではなく、ヒトラー総統への忠誠を誓う儀式となりました。
ナチスの価値観に合致した「よき妻よき母」を養成する8週間の合宿コースが
組まれ、合格した者はナチス親衛隊の誰かに結婚相手として「下賜」される。
合格しなかった者は結婚そのものが許されない。ユダヤとロマの民族系譜は徹
底的に排除され、身体に障害がある者や精神病の診断歴のある者も同様に排除
されました。結婚するのかしないのか、するならば誰と結婚するのか、子ども
を産むのか産まないのか、産むなら何人産むのか、それらはすべてナチスが国
益を最優先して決定する事であり、女性の自己決定権は否定されました。戦争
で兵士の数が足らなくなると、4、5人産んだ母には銅、6、7人産んだ母には銀、
8人以上産んだ母には金の「母親十字章」がナチスから授与されました。

 さて、このような時代に「ケア」はどう語られていたか? 「国家社会主義
女性同盟」の指導者ゲルトルート・ショルツ=クリンクは、「婦人は霊的な
『ケア』を与える存在(スピリチュアル・ケア・ギバー)である」と言いまし
た。ただし、その意味は、ナチスが理想とする「アーリア人」を胎内で育み、
誕生した後はヒトラー総統に忠誠を誓うように洗脳して育てるのが女性の役割
だということです。折しも戦時経済への転換点となった1936年にニュルンベル
クで開催されたナチス党大会で、ヒトラー総統は「小世界(隠喩としての子宮、
女性)への『ケア』なくしていかにして(大世界として)ますます偉大となる
べき帝国が立ちゆこうか?」と述べています。

 ケアという言葉が国家に従属したとき、差別と支配、暴力と戦争がケアの名
の下に正当化されてしまう。このことは、「ケア」を語り「ケア」を分かち合
う者として決して忘れてはならない歴史の教訓です。





2018.06.27.

時速30kmの福祉(第202回)

 今月に入り、「全国訪問看護事業協会」という団体が初めて行った全国調
査の結果が新聞各紙で報道され、これをきっかけにして訪問看護師に対する
暴力やセクハラの問題が議論されるようになってきました。実は、訪問介護
員(ホームヘルパー)について何年も前から同様の問題が指摘されていて、
介護系の労働組合などが継続的に実態調査を行い、その結果を公表し問題を
提起してきました。

 訪問看護や訪問介護(ホームヘルプサービス)は、少しずつ男性スタッフ
が増えてはきていますが、まだまだ男女比では圧倒的に女性の方が多く働い
ています。単独で戸別訪問を行うため密室性が高く、従事者にとっては心理
的なストレスが高い環境であると言えます。また、被害にあった場合の証明
手段が限られるという問題の他に、所属事業所の毅然とした対応が必ずしも
期待できないような場合に被害者が孤立してしまうという問題も残念ながら
あります。

 この問題に対しては、二人対応を原則とするような介護報酬の引き上げを
求める政策提言がなされたり、訪問看護師や訪問介護員(ホームヘルパー)
が所属する事業所に対して予防策や発生時の対応策をマニュアル化するよう
呼びかけられたりするのですが、残念ながら必ずしも奏功しているようには
見えません。

 これは当方の私見ですが、一連の議論の中ですっぽり見落とされているこ
とがあります。それは、ケアマネジャーの責任です。当研究所は介護保険法
上の居宅介護支援事業所であり、訪問看護や訪問介護(ホームヘルプサービ
ス)を組み込んだケアプランを作ることがよくあります。そのケアプラン上
実際に動かれるのは他事業所の方々なのですが、当方の立てたケアプランを
実行していただく以上、その方々の人権を守るのも担当ケアマネジャーの役
割です。そこで、当事業所ではケアマネジメント契約時に作成する重要事項
説明書の中にこの旨を明記し、従事者に対する人権侵害が発生する場合は担
当ケアマネジャーとして人権の回復に責任を持つこと、具体的には訴訟支援
やケアマネジメント契約の解除もあり得る事を書面および口頭で説明してい
ます。事業を興して今年で16年目ですが、本規定適用事例は残念ながら2
事例ありました。このような対応が、事業所の垣根を越えてケアマネジャー
が当然やらなければならないこととして意識化され広まっていけば、人権侵
害の抑止効果はかなり高いと経験上思います。





2018.06.13.

時速30kmの福祉(第201回)

 年6回のペースで開催している「ケアマネジメントをみんなで考える会とや
まのつどい」が先月で50回目を迎えました。その際に出たお話のなかで、障
害者手帳を持っている人が受けられる医療費の助成制度について、65歳になっ
たら後期高齢者医療制度への切り替えを行わないと助成が受けられなくなって
困るというお話がありました。65歳になっても働き続けたい人だっているし、
会社の側も人手不足で雇用を継続したかったり、障害者雇用枠の人を確保した
かったりすることがあると思うのですが、そんな継続して働く意思のある人の
場合でも、被用者の健康保険から後期高齢者医療制度に切り替えなければ助成
が受けられなくなるというのはおかしな話です。

 そこで、当研究所にて全国の動向を調査してみたのですが、東京都や大阪府、
京都府などの都市部の自治体では被用者保険に入ったまま助成を受けられると
ころが多く、逆に地方の自治体では65歳で一律保険の切り替えを求められる
ところが多いことが分かりました。ちなみに隣県の金沢市では切り替えは不要
でした。やや変わったところで、秋田県内の各自治体では被用者保険の本人は
ダメだけれど、被用者保険の被扶養者は利用可能なほか、国民健康保険の被保
険者でも利用可能という分け方になっていました。

 ところで、この医療費助成制度のそもそもの仕組みですが、事業としては市
町村等が一般財源を用いて行う事業です。都道府県は、市町村等がこの事業を
行う場合にその費用の一部を補助する役割を担います。本来は市町村等の事業
なので、市町村等がどの範囲の人にどの程度の助成を行うか、またどのような
方法で助成するかを自由に決められるのですが、市町村等は都道府県からの事
業費補助を受けたいので、結果的に都道府県が設定する範囲の人に都道府県が
設定する程度の助成を行うケースがほとんどです。富山県の場合は、富山県の
福祉担当課で定めた事業費補助基準上65歳で保険の切り替えを求めているた
め、県内市町村がみな横並びに切り替えを支給要件にしています。富山市は中
核市なので県からの補助は受けませんが、概ね周囲の市町村に合わせた制度に
なっています。

 そうなると、なぜ富山県が保険の切り替えを求めているのかが問題となりま
す。

 国の制度を調べたところ、「高齢者の医療の確保に関する法律」(昭和57
年法律第80号)の第50条で以下のように定められています。

第五〇条 次の各号のいずれかに該当する者は、後期高齢者医療広域連合が行
    う後期高齢者医療の被保険者とする。

  一 後期高齢者医療広域連合の区域内に住所を有する七十五歳以上の者
  二 後期高齢者医療広域連合の区域内に住所を有する六十五歳以上七十五
    歳未満の者であつて、厚生労働省令で定めるところにより、政令で定
    める程度の障害の状態にある旨の当該後期高齢者医療広域連合の認定
    を受けたもの

 この条文だけを見ると、65歳になったら必ず後期高齢者医療制度に切り替
えないといけないように錯覚してしまいそうですが、実はそうではありません。
この法律を施行するための厚生労働省令である「高齢者の医療の確保に関する
法律施行規則」(平成19年10月22日厚生労働省令第129号)の第8条
で以下のように定められています。

第八条  法第五十条第二号の規定による後期高齢者医療広域連合の認定(以下
    「障害認定」という。)を受けようとする者は、障害認定申請書に、令
    別表に定める程度の障害の状態にあることを明らかにすることができ
    る国民年金の年金証書、身体障害者手帳その他の書類を添付して、後
    期高齢者医療広域連合に申請しなければならない。
  2  前項の規定による申請をした者は、いつでも、将来に向かってその
    申請を撤回することができる。

 つまり、保険の切り替えは義務ではなく、自由に選択・申請できる権利であ
るとされていて、一旦切り替えた後でも自由に撤回する権利もあるのです。

 社会保険に加入する権利は、労働者が健康に不安なく働き続けるための大切
な権利であり、国際的にも日本の国内法的にも大変重要な権利の一つです。東
京都や大阪府、京都府などの各自治体が保険の切り替えを助成要件としないの
は、助成制度が社会保険加入権の事実上の制約条件となってはいけないという
まっとうな人権感覚に照らしてのことです。ちなみに、それらの自治体の担当
者の方々から直に聞き取ったところ、数は多くはないものの実際に被用者保険
の継続を希望される方はいらっしゃるそうです。

 法律の条文を「義務」と誤解釈した結果なのか、あるいは保険者間の利害対
立などの背景事情からか理由は定かではありませんが、いかなる理由があろう
と地方自治体の作る制度が社会保険加入権の事実上の制約条件となる状態を放
置して良いとは思えません。問題解決の方法をみんなで探してみようと思います。








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