わたしたちが望むケアマネジメントについて
〜「おもい」と「ねがい」〜
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わたしたちは、介護サービスの利用者と家族、介護保険法の居宅介護支援(ケアマネジ
メント)を業とする介護支援専門員(ケアマネジャー)などの立場から、よりよいケアマ
ネジメントについて会合を重ね、意見交換を行ってきた者です。
介護保険法が施行され、はや8年が経過しました。その間に数回の制度改正・報酬改定
などがあり、そのつど介護サービスの利用者と家族、介護支援専門員(ケアマネジャー)
をとりまく環境は変わりました。しかし、その変化は、必ずしもわたしたちが望む変化で
はありませんでした。そこで、わたしたちは、わたしたちが望む居宅介護支援(ケアマネ
ジメント)の実現を目指し、政策提言「わたしたちが望むケアマネジメントについて〜
『おもい』と『ねがい』〜」をとりまとめました。
8月6日には厚生労働省に出向き、厚生労働大臣にこの政策提言をお届けしたほか、国
会に議席を持つ6政党の議員の方々にお届けし、政策の立案と実行にご配意をいただきた
い旨お願いしてまいりました。お忙しいなかお時間をいただきました大臣官房の方、老健
局各課ご担当の方々、各政党議員の方々にお礼申し上げます。
※社会民主党の福島みずほ議員にこの政策提言をお届けしたときの様子を、議員のブロ
グで紹介いただいております。興味をお持ちいただける方は以下をご覧ください。
福島みずほのどきどき日記
2008年8月10日
ケアマネジメントについて考える会
わたしたちが望むケアマネジメントについて
〜「おもい」と「ねがい」〜
(1)ケアはすべての人にとって必要
(おもい)
介護保険制度では、「ケアを受けないことが自立である」とする価値観が強調され、と
もするとケアが必要な人に対して自立の名の下にケアを奪う制度運用がなされています。
しかし、人間存在は、決して故障知らずのマシーンではありませんし、またそうなるべ
きものでもありません。すべての人間は、その一生を通じて必ずなんらかのケアのなかで
生きています。そのケアを奪うことは、人間存在そのものを否定するのと同じです。
わたしたちは、ケアを受けない身体づくりのお手伝いをするのではなく、必要なケアを
満たし、「ほんとうの自立」の実現を目指します。
(ねがい)
・国は、混合医療や混合介護の導入を積極的に推進しようとしていますが、公的な保険で
保障される範囲が狭まれば、経済的に豊かではない人ほど必要なケアを受けることがで
きなくなります。これは、必要な人に必要なケアを保障することとは正反対です。お金
がないために必要なケアを受けられない悲しい国にしないでください。
・国は、公的な保険で保障される範囲を縮小した分、民間の私保険の市場が拡大するとし、
これからは民間の私保険を積極的に活用する時代だと位置づけていますが、その私保険
も、保険料を支払うことができなければ頼りになりません。また、アメリカのHMOな
どで問題となっている不公正な保険運用が日本でも蔓延し、保険会社の営利のみが追求
されてしまう恐れがあります。そもそも、すべての人に必要なケアを保障するのであれ
ば、公的保険と民間の私保険の多重構造の保障システムよりも、単一構造の保障システ
ムの方が、単純に考えてもランニングコストを節約することができ、保険料を支払う側
にとって費用対効果に優れています。わざわざ効率の悪い多重構造の保障システムを導
入して同時に社会保障の普遍性まで失うということのないようにしてください。
・国は、後期高齢者医療制度や介護保険制度において、保険料の負担割合を高めていこう
としています。しかし、現時点ですでに負担の限界に達している高齢者がおおぜいいま
す。後期高齢者医療制度についてはしばらくのあいだ一部据え置かれることとなりまし
たが、例外的に据え置くのではなく、制度の原則そのものを収入に見合った支払い可能
な額となるよう設定してください。
・国は、医療の報酬も介護の報酬も包括算定化を進めています。しかし、積算根拠に基づ
いた報酬額ではないため、事業者は必要な費用分を回収できず、結果的に必要な治療や
ケアを受けられない人が出てきています。医療の報酬も介護の報酬も、事業者に無理を
強いることのない適正な額としてください。
・国は、リハビリの日数や入院日数などについて、疾患ごとに制限を設けています。しか
かし、同一の疾患でも症状には個別性があり、ほんとうはリハビリが必要なのにその機
会を奪われたり、退院をせまられたりする人が後を絶ちません。個別的な必要性の判断
は、原則として医師の専門裁量にゆだね、根拠があって制限を超える利用をした場合は
保険適用を認めてください。
(2)ケアは「つながり」そのもの
(おもい)
介護保険制度では、ケアは介護サービスとして商品化された姿となっていますが、本来
のケアは、一方的に相手方に与えたり、逆に受け取ったりするものではなく、人と人との
つながりそのものです。介護サービスを提供している人が、介護サービスを受けている人
との関係性の中で心の癒(いや)しを得る。そのような立場の逆転は、介護の現場では日
常的に体験されることです。
今日、認知症ケアの領域では、商品のやりとりを想起させるケア・ギバー(ケアを提供
する人)とケア・テイカー(ケアを受け取る人)という枠組みを越えて、ケア・パートナ
ー(ともにケアを満たす人)を目指す運動が進んでいます。この方向は、認知症ケアの領
域だけに当てはまることではなく、すべての人のケアに当てはまることです。
しかし、介護保険制度では、この大切な人と人とのつながりを分断する制度運用がなさ
れています。わたしたちは、つながりの分断ではなく、つながりの強化を目指します。
(ねがい)
・経済的な格差や地域間の格差などによって、必要なケアが満たされない人が増えていま
す。この国のどこに住んでいても、病気や障害があっても地域のなかで安心して暮らし
ていけるよう、人と人とのつながりの回復を支援してください。
・ケアマネジャーは、人と人とのつながりを強化する役割を担っています。1対1の個別
契約関係に還元できない公共性の高い役割ですので、ケアマネジメント報酬に関しては
引き続き全額公費でまかなうこととしてください。
(3)ケアは「いのち」を守る
(おもい)
介護保険制度をはじめとする社会保障制度の改革により、社会保障の範囲や水準が縮小
されています。年間の自殺者数は常に3万人を越え、介護放棄、介護殺人、無理心中、生
きるための刑法犯などが後を絶ちません。現実の社会に生きる人々は、ケアを奪われるこ
とによって自分や他者のいのちを大切にできなくなっています。
世界保健機関(WHO)は、健康の条件として、生物的(バイオ)なレベルの健康の他
に、心理的(サイコ)なレベルの健康、社会的(ソシオ)なレベルの健康があるとし、そ
れらの条件がすべて整う人間環境づくりを目指しています。しかし、この健康の定義から
出発している国際生活機能分類(ICF)を肯定し、その価値観に基づいて政策が展開さ
れているはずの日本で、いのちを大切にあつかわない状況が一層深刻化しています。
わたしたちは、世界保健機関(WHO)が目指している「ほんとうの健康」を守ります。
また、「ほんとうの健康」のみなもとである「いのち(スピリチュアリティ)」を守り、
生きるよろこびが実感できる社会をつくります。
(ねがい)
・国民のいのちと尊厳を守るのが社会保障制度です。いのちと尊厳を傷つけてまで社会保
障費を削減する政策にはなんの合理性も正当性もありません。政策の優先順位を見直し、
国民のいのちと尊厳を守ってください。
・国は、介護保険制度の導入によって介護の社会化がはかられるとしていました。しかし、
現実には、費用負担と利用制限の厳しさから、家庭介護者は社会から切り離されて孤立
しています。家庭介護者が社会とつながり、自分の人生をとりもどせるよう、利用しや
すい制度に変えてください。
・国は、昨年12月に、同居家族等がいることのみを判断基準として一律機械的に訪問介
護および介護予防訪問介護の生活援助等の可否を決定するのは適当ではないとして、個
々の利用者の状況に応じて具体的に判断するよう各都道府県担当課を通じて管下の市町
村に対し周知する事務連絡を発出しました。しかし、その後もこの趣旨が周知されてお
らず、利用が認められないという相談が寄せられています。必要な人に必要なケアが行
き届くよう、いっそうの周知徹底をはかってください。
・後期高齢者医療などで、終末期の医療やケアのありかたが問題となっています。入院し
なかったら成功報酬を与えるかのような制度ではなく、「いかに尊厳に満ちた生を全う
できたか」を評価する制度に改めてください。
(4)ケアマネジメントはケアパートナーの協働作業
(おもい)
介護保険制度では、ケアマネジメント過程はあたかも工業製品の品質管理に似た作業工
程として扱われ、各工程で製造ミスがないかをチェックするかのような運営基準が設けら
れています。そこでは、本来主体であるはずの介護サービスの利用者は客体化され、作業
工程を完璧にするための被験者に貶(おとし)められます。アセスメントは、本来介護サ
ービス利用者や家族との対話の中で、信頼関係を築きながら時間をかけて行うべきもので
す。しかし、作業工程化されたケアマネジメント観に基づくアセスメントは、プランを作
成する前段階として位置づけられ、必要項目をその前段階のうちにすべて漏れなく調査し
なければマイナス評価を受けてしまいます。その結果、アセスメントは効率を追及した糾
問的手法となるだけではなく、アセスメント票の形式的な穴埋め作業に堕してしまい、か
えって本当に重要な情報を見落とす原因になっています。
わたしたちは、ケアマネジメントをケアパートナーの協働作業として位置づけ、対話を
積み重ねていくなかで本当に大切なことは何かを見極めます。
(ねがい)
・運営基準でとても細かなしばりをかけられ、本当に行わなければならない対話のための
貴重な時間が奪われています。ていねいに対話を積み重ねる良い仕事をするとかえって
マイナス評価を受ける運営基準は改め、専門職としての裁量にゆだねるなかで専門性を
向上させていく取り組みをしてください。
・介護支援専門員(ケアマネジャー)の研修は、認知症ケアの分野をのぞいてエビデンス
(客観証拠)重視の内容となっています。それ自体は悪いことではないのですが、それ
と同等にナラティブ(物語性)に目を向けた教育、研修に力を注いでください。そして、
その教育・研修に、サービスを利用する人や介護家族がケアマネジメントの協働者とし
て参加できるようにしてください。
(5)ケアプランはくらしのなかに書くもの
(おもい)
介護保険制度のケアプランは、居宅サービス計画書と称される書式と同一視され、必要
な事項が適時までに記載されているかどうかで良し悪しを判断される仕組みになっていま
す。しかし、虐待事例などを想定すれば明らかなとおり、介護サービスを利用する本人や
家族が目を通す居宅サービス計画書には書けることと書けないことがあります。居宅サー
ビス計画書は、あくまでケアマネジメント過程におけるケアパートナーの協働作業のごく
一部を反映しているに過ぎません。本当のケアプランは紙の上ではなく、くらしのなかに
あります。ケアプランの適否を問うのであれば、くらしのなかに書かれたケアプランを正
しく評価できる者がその役割を担わなければなりません。しかし、紙の上に書かれている
もので適否を判断する運営基準が強制的に適用される制度下では、くらしのなかにケアプ
ランを書かず、書面を取り繕うだけの仕事が優れていると評価され、逆にくらしのなかに
しっかりケアプランを書こうとする者が時間を奪われて紙の上では劣っていると評価され
る逆転が生まれています。このような評価基準を長く続けるほど、良質の仕事をする介護
支援専門員が淘汰されていきます。
わたしたちは、ケアパートナーとして丁寧に対話を積み重ね、本当に必要なケアプラン
をくらしのなかに書きます。そして、紙の上ではなく、くらしのなかの仕事が正しく評価
されるよう制度の改善を求めます。
(ねがい)
・よいケアマネジメントは、書面を見ただけでは分かりません。形式主義、書面主義的な
指導はやめ、現場の専門裁量にゆだねるなかで専門性を向上させていく取り組みをして
ください。
(6)ケアマネジメントは無駄を省いて必要を満たす
(おもい)
ケアマネジメントは、限られた財源を最も効果的に用いるための手法であり、無駄を省
いて必要を満たすしくみです。しかし、現在の介護保険制度には、必要であるにもかかわ
らずそれを満たせないこと、無駄であるにもかかわらずそれを無くせないことがたくさん
あります。例えば、介護予防ケアマネジメントは、制度上極端な給付抑制が行われている
ため、必要最低限のケア環境を確保できず、ケアマネジメントの形骸化が進んでいます。
その一方で、費用対効果がはなはだ疑わしい要介護・要支援認定システムが廃止されない
ばかりか、改定作業の度に巨額の浪費を繰り返しています。介護保険という一つの制度の
中に介護と予防の二つのシステムを設けたり、地域包括支援センターを「上乗せ」新設し
たり、地域密着型という別体系を設けたり、第三者評価や介護サービスの情報公表制度を
新設したりと、それぞれ全く別々の目的であるかに見えて、実はすべてコンピューター産
業への公費の巨額投入という一点で共通しています。公共工事の無駄が政治問題となって
いますが、同様の構造が介護保険制度の中にも存在します。認定のしくみや介護サービス
の体系は、サービスの利用者と家族から見てもっと分かりやすく、もっと費用対効果の高
いものに改善できます。
わたしたちは、無駄を省いて必要を満たす役割を果たすため、介護保険制度がかかえて
いる無駄を徹底的に省くことを求めます。そして、未だ満たされていない必要を満たすこ
とができるよう制度の改善を求めます。
(ねがい)
・介護保険制度全体のコンピューターシステム開発費として国が投じた公費は総額いくら
なのか、納税者や保険料納付者に対して情報が公開されておりません。費用対効果を検
証するためにも当該情報を公開してください。
・介護予防サービスは、給付抑制が強いため、必要なケアを満たすことができません。そ
の結果健康を損ねてかえって医療や介護に要する費用が増えてしまっては逆効果となり
ます。介護予防のサービスには、専門家の間でも自立支援効果に疑義のあるところです。
そこで、旧基準であれば要介護1と一次判定される状態の方が改正後の基準で要支援と
認定された場合、要支援と要介護1のいずれのサービスを利用するかは利用者の選択権
にゆだねるしくみに改めてください。
・介護保険法施行8年を経過しても、状態が変わっていないのに要介護認定結果が変わる
という現象が続いています。これだけ長期にわたって結果にばらつきがあるということ
は、認定調査員や審査会委員の経験不足では説明がつきません。認定基準そのものに問
題はないか改めて見直してください。
(7)ケアマネジメントは人としての尊厳がたいせつにされる地域づくり
(おもい)
介護保険制度では、ケアマネジメントはサービスの利用者との個別契約関係として位置
づけられています。しかし、現実の社会の中で求められるケアマネジメントは、個別契約
関係ではおさまらず、地域資源の開発やネットワークの構築など、広く人としての尊厳が
大切にされる地域づくりにおよびます。また、在宅時に限らず、入院、入所時の相談対応
も求められます。
わたしたちは、人としての尊厳がたいせつにされる地域づくりに責任を負うとともに、
その仕事への正当な評価を求めます。また、個別契約にかかる介護報酬についても、「尊
厳ある労働」(ディーセント・ワーク)の観点から正当な評価を求めます。
(ねがい)
・居宅介護支援(ケアマネジメント)の報酬は、数度の報酬改定を経ても全く採算の合わ
ない水準に抑えられています。赤字分は併設の介護サービスの黒字などで補填せざるを
えないことから顧客の囲い込みが横行しています。そればかりか、併設の介護サービス
も利益率の減少で経営難となり、居宅介護支援(ケアマネジメント)ごと共倒れになる
危険が高まっています。厚生労働省は、ILOの提唱する「尊厳ある労働」(ディーセ
ント・ワーク)の普及啓発の役割を担う国家機関です。医療崩壊、介護崩壊と呼ばれる
社会保障基盤の危機的状況の直接的な原因である介護報酬の抑制方針を転換し、客観的
な積算根拠に基づく適正な報酬とすることを求めます。
・居宅介護支援(ケアマネジメント)は、入退院(所)時と入院(所)期間中の重層的な
相談活動や地域づくりなどに多くの労力を要します。これらの仕事が居宅介護支援(ケ
アマネジメント)の本体業務に含まれることを認め、適正な報酬となるよう改善してく
ださい。
(8)ケアマネジメントは実践から積み上げられた理論
(おもい)
介護保険制度下での介護支援専門員の研修は、制度・政策の追認を強いる内容となって
おり、専門職としての批判力の涵養(かんよう:養い育てること)を妨げています。
わたしたちは、みずから考え行動する専門職として、日本の現場実践の蓄積を通じて、
日本の風土に根差したケアマネジメント理論を確立します。
(ねがい)
・介護保険法が施行されて8年経過し、現場には数多くの知恵の蓄積があります。現場の
知恵が政策にフィードバックされるしくみづくりを求めます。
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