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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)P

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 結論

 今回の一連の騒動は、一般の新聞に取り上げられたこともなければ、NHKで報道されることもない、全く取るに足らない他愛のない話の筈であった。

 それを、一部の週刊誌が大きく取り上げ、テレビのワイドショーが後追い報道して、騒動を大きくしてしまった。

 自分たちで火をつけ、煽って大きくしておいて、和泉元彌がいかにも大騒動をしでかした人物であるかのごとく追い掛け回し、会見を要求しては、言葉の揚げ足を取って批判するという、これまでに見られた手法を飽きもせず踏襲している。

  

 そこには、事実を報道して社会正義を実現するという、マスコミ本来の使命感など存在しない。

 あるのは、売上を増やし視聴率を上げるという目的のためには大衆の嫉妬心を刺激して煽れば、「他人の不幸は蜜の味」とばかりに喜ぶに違いないと読者や視聴者は愚かで馬鹿ばかりと決め付けた恐ろしいばかりの人間不信と、自分の利益のためには、スケープゴートとして、いつも一致団結して行動している幸福そうな旧家を差し出すことを厭わない、目的のためには手段を選ばない、実に身勝手なマスコミのエゴだけである。

 強い権力を持つ体制派、多数派を監視し、弱い立場の少数派を守るためにある筈のマスコミが、弱い立場の芸能人を監視し、つまらないことに目くじらを立て、揚げ足を取るような追求をする。

 そんなことに何の意味があり、それでマスコミの役目を果たしていると言えるのだろうか。

  

 世の中には報道すべき、もっと重要なことがあるはずである。

 そうでないジャーナリストもいると信じたいが、そうでない報道の方が目立つ現状では、そうした仲間を放置している「同じ穴のムジナ」ばかりと思わざるを得なくなってしまう。

 そうならないように、自分たちで何とかしようという行動を見せて欲しい、と思う。

  

 マスコミは、今回の騒動を教訓に、きちんと事実を調べ報道し、その問題点を明らかにし、我々に警鐘を与え、そして信頼される存在となっていって欲しいと祈ってやまない。(文中敬称略)

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