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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)K

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 主流派が正しいとは限らない

 歌舞伎に、「21世紀歌舞伎組」という門閥出身ではないグループが存在し、その公演が人気を集めているが、彼らの師匠であり、名プロデューサーでもある市川猿之助の後押しがなくなれば、ブランドではなくなり、そうなった時には、純粋な歌舞伎の世界から、弾き出される運命にあると予想している。

 可哀想な話だが、歌舞伎とは、御曹司の世界であり、門閥の世界だからである。

 私は、悲観しているわけではない。

 歌舞伎から「前進座」が生まれたように、市川猿之助の芸の全部は恐らく引き継げないだろうが、少なくとも、その心と気を受け継いだ市川右近や市川笑也ら愛弟子たちが、「NEO KABUKI」ともいうべき新たな舞台のジャンルを誕生させることを期待している。

 それがいつかは花開き、「これこそ本物の歌舞伎」と呼ばれるようにならないとも限らないし、それが歌舞伎の御曹司たちの意識改革にもつながり、歌舞伎を発展させることにつながると信じているからである。

  

 宗教革命が起き、プロテスタント(反主流派)がカトリック(主流派)を批判して出て行ったときに、残ったカトリックは、プロテスタントの批判に負けないよう、自分たちの手で大きく変わろうとしたことによって、今日まで、存続することができたように、どんな世界も、批判勢力があってこそ、改革が進む。

 そして、批判勢力であった反主流派も本物なら、プロテスタントや「前進座」が残ったように残る。

  

 主流派、反主流派、どちらも批判されるべき誤った部分を含みつつ、どちらも正しいことがあり、簡単に答えを出すとマスコミは恥をかくことになる。

 マスコミが、主流派の走狗となって、反主流派の弾圧に、手を貸さないように祈っている。

  

 とはいえ歌舞伎に限らず古典芸能の世界では、血筋や家柄、名前がブランドであり、カリスマ性となり、御曹司たちの存在、そのものが芸であり、後からきた一般の人間には、最初からチャンスのない世界なのである。

  

   (文中敬称略)

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