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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)I

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 芸は襲名の後についてくるもの

 芸がないから名や家を継げないとするなら、誰も継げないし、襲名など出来なくなる。

 むしろ逆で、襲名してから力がついてくるものであり、それを期待しての襲名である。

  

 観客に幻想を抱かせる、血筋、家系、カリスマ性をもった御曹司が、それらを土台にして努力し、人気をばねに、芸を磨いていくのが古典芸能の世界であって、芸が初めにあるわけではない。

 観客にとって、芸人に求める一番大事な要件は芸ではない。

 観客あっての芸であり、人に見られない芸など存在しない。

 日本の芸能の世界において、芸が人気を育てていく場合より人気が芸を育てていく場合の方がはるかに多い。

  

 現・市川猿之助は、団子時代から、評論家に評価されずとも人気だけはあった。

 現・松本幸四郎も、染五郎時代から、弟の吉右衛門に比べて、専門家の評価は低かったが、世間では、ミュージカルもシェークスピアも映画もドラマも出来る歌舞伎役者として、喝采を浴びていた。

 それでも彼らは、今や文句なく当代一流の芸の持ち主であり、大役者となった。

 姿が良くて人気はあるが、口跡が悪く、声も悪ければ、演技も下手という三拍子揃った大根役者で、どうしようもないと陰口をきかれた現・市川団十郎でさえ、今や立派な役者となり貫禄もついており、芸は努力次第で何とかなるという良い見本であり、この変貌を観るのがファンの醍醐味なのである。

  

 宗家会会長の宝生英照が、自分の子供に能を教えているテレビ番組を、かつて見たことがあるが、これが宗家かとがっかりした記憶がある。

 それほど教え方も下手で、一流の演者には到底見えなかった。

 しかし、その親以上に彼の子供には才能がなく、かつてテレビで見た父親から狂言を教わる和泉元彌の子供時代、勘九郎の子の勘太郎や七之助の幼少時代とは比べるまでもなく、才能のかけらも感じられないほどの下手さ加減だった。

 私の考え方からすれば、あんな親でも宗家になったのだから、あんな子でも、いつかは宗家を継ぐだろうし、長年やっていれば、宗家としての芸は身につくという立場で、全く問題ないと思っている。

 とはいえ大変立派なことを言っておられた宗家会会長さんは、「あの芸のない息子さんに、宗家の家督を継がせないで下さい」と弟子たちに責められたら一体どうするのだろうかと、ついつい余計な心配をしてしまうのである。

  

 今からでも遅くない、和泉元彌に手を差し伸べることが、自分たちの身を守ることだと、早く気がついて欲しいものである。

 明日は我が身なのである。

  

   (文中敬称略)

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