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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)D

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 マスコミはどちらにも与しない冷静な報道をするべきであった。

 民主主義の原則は、多数決であるが、発明、発見など、新しい価値観は、常に少数派から生まれたが故に、少数派の意見を尊重する寛容さと余裕が、多数派に求められている。

 その原則を忘れ、少数派を叩き潰そうとする多数派の動きを、冷静に報道し、牽制することにこそ、言論マスコミとしての存在意義があるのに、多数派よりの判断を安易にしてしまったマスコミの責任は重い。

  

 立場が違えば考え方も違い、どちらが正しく間違っているかを当事者だけでは、冷静な判断が出来ないし、いつもでたっても答えが出ないのが、人間社会の常である。

 どちらも自分の方が正しいと信じており、相手から、間違っていると言われたところで、素直にそうですかと聞く筈がないのである。

 だからこそ、予め法を定めておき、それをもとにして冷静に判断する裁判所という第三者機関が生まれ、便宜的にどちらが正しいか判断を下し、それに従うというルールが出来上がった。

 その判決ですら、当の本人たちにとっては、納得できるものである筈がなく、その権限を与えられた裁判所の判断だからと、納得している(ふりをしている?)に過ぎない。

 しかし、検察庁でもなければ、裁判所でもなく、何の権限も与えられていないマスコミが、責任のもちようのない勝手な判断(判決)を下してしまうことは、とても危険であり、許されないことである。

  

   (文中敬称略)

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