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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)C

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 マスコミは冷静な報道をするべきであった

 このままではいけないという危機感から、新しいことを模索し、行動しようとする人たちと、伝統を重んずるグループとは、目指すところは、自分たちが住む世界の発展という、同じ目標を持った味方の筈なのに、その方法をどうするかの違いが、なぜこれほどの敵対関係に変ってしまうのだろう。

  

 落語や、講談の世界でも、女性の演者を認めるかどうかで、対立があったし、歌舞伎においても、市川猿之助が、「宙吊り」というケレン味たっぷりの歌舞伎を復活させたり、門閥以外の役者を起用して、門閥の御曹司たちに挑戦状をたたきつけるなどの対立があったことは事実である。

 落語協会から、三遊亭円生(円楽)の一門や、立川談志の一門が独立したのも、考え方の相違からであった。

 なかなか食べていけない芸人をどうするか、真打ちの肩書きを与えてなんとかしようという立場の協会側と、実力のある者だけを真打ちにすべきだと主張する側、それぞれに言い分があった。

 しかし、結局のところ、それは思想の対立であり、方法論の違いであり、業界内の主導権争いであり、どちらが、正しいとか間違っているとか、簡単に結論の出るような話でなかったし、芸のことは最終的には観客に任せるべきという立場から、マスコミが介入することはなかった。

  

 職分会は、和泉家が職分会の同意なしに、勝手に襲名することは狂言の世界の伝統に反する行為と言っているようだが、その職分会が、元秀が亡くなってから結成されたということは、それまで宗家の相続に関して職分会の関与はなかったということの何よりの証明ではないのか。

 宗家の相続には、職分会の賛成が従来から必要であったという、いかにも尤もらしい職分会の言い分も、実は宗家が死んでから作成した泥縄式の極めて怪しいものと考えざるを得ない。

 このように、どちらが正しいか、そう簡単には決められる問題ではなかった筈なのに、和泉家側が悪いという結論を安易に出した根拠はどこにあるのだろうか。

   (文中敬称略)

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