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第一回 あえて和泉元彌を弁護する(完全版)B

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 T.和泉流宗家襲名騒動について

 

 和泉流宗家襲名騒動については、内々の話であり、マスコミが、大々的に報道すべき事柄ではない。

 和泉元彌は、法を犯した犯罪者でもなければ、反社会的な行為をしたわけでもないのだ。

 能楽協会が自主退会か除名かを検討しているというが、全く狂気の沙汰である。

 弟子たちの反乱を認めることは古典芸能の世界を揺るがすことになるということに、どうして能楽協会や宗家会の人たちは気がつかないのだろうか。

 職分会やマスコミの問題点を一つ一つ明らかにしていきたい。

  

  

 マスコミは安易に結論を出してしまった

 今回の宗家襲名騒動は、和泉流流派内の、考え方を異にする二つのグループの勢力争いに過ぎない。

 この騒動の背景には元彌の父親である故・和泉元秀と彼に反発するもともとの本家である野村万蔵家グループの対立がもともとあり、和泉流の圧倒的多数派を形成しているから、職分会側の主張が正しく他に味方する人がいないから和泉家側が間違っているというような、そんな単純で簡単に答えが出せる問題ではない。

 であるにも関わらず、書類もよく見ずハンコを押す馬鹿社長のごとく、いとも簡単に答えを出し、少数派の和泉家側を糾弾するという形の最低の裁定を下してしまったのがマスコミであり、それにのったのが能楽協会である。

 あまりに一方的で、公正さを欠いたマスコミの報道には、大きな問題があると言わなければならない。

  

 元彌の父親・和泉元秀という人は日本初の女性狂言師を誕生させた強引な人とも言えるが、アイデアマンであり、リーダーシップのとれる人でもあった。

 伝統を重んずる人たちは批判的ではあったかもしれないけれども、人間国宝で弟子を破門する権利を有する宗家の威光に負けたのか、流派内の恥を世間に晒したくないという抑制が働いたのか、逆らう勇気がなかっただけなのかは知る由もないが、とにかく争いが表沙汰になることはなかった。

 しかし和泉元秀が急死した時、反元秀派は職分会を結成して、その息子元彌の宗家襲名に反対するという形で、和泉家に対して、クーデターを企てたのである。

 今回の宗家問題は、職分会というより、野村万蔵家グループによる和泉流宗家乗っ取りのためのクーデターと見てとると実にわかりやすい。

  もともと野村万蔵家は、向上心が強く、自分たちの師匠筋にあたる三宅藤九郎家を自分の子供に継がせだ。

 五世・野村万蔵の長男が、六世・野村万蔵を継ぎ、次男が九世・三宅藤九郎を継ぐことで話はついていて、兄弟の仲が良ければ、問題は出なかったのだろうが、弟であっても師匠筋の三宅家の家長になったことで、立場も変わり、兄で本家であろうと、弟子筋の人間のいうことを聞かなくなってしまったのではないたろうか。

 そして、和泉流宗家の家を誰が継ぐかで、三宅藤九郎家の長男と野村万蔵家の四男が争い、その結果、本家(兄)の野村万蔵家が、師匠筋(弟)である三宅藤九郎家側に負けてしまった。

 本家(兄)なのに、弟が師匠筋である三宅家を継ぎ、更に上の和泉流宗家を継いだ、そのことが単に気に入らないというだけの話である。

 その六世・野村万蔵の長男である七世万蔵改め初世・野村萬と、次男である万作も大変仲が悪いというから、仲が悪いのも伝統なのであろう。

 そのことを言うマスコミがないこと自体、体制派からの懐柔に乗っかってしまっている何よりの証拠である。

 このまま進めば、野村万蔵家が宗家になり、野村万之丞が宗家になるであろう。

 野村万蔵(萬)家とは仲の悪い野村万作家も今のところ、息子・萬斎のライバルの一人である和泉元彌を潰すという共通の目的があり、共同歩調を取っているが、和泉元彌の能楽協会追放という念願がかなえば、野村万之丞と野村萬斎が戦いを繰り広げることは確実で、その時になって、そういうことだったのかと気づいても遅いのである。

 そう思って見ているせいか、近頃、万之丞と萬斎の二人が、狸と狐にしか見えず、困っている。

  

 和泉元秀の死後、職分会というより野村万蔵家グループはクーデターを図ったが、節子ママの「和泉流二十世宗家和泉元彌」を商標登録するという奇策により、身動きが取れなくなってしまった。

 しばらく静観していたが、元彌が売れ始め、マスコミに注目されたのを好機と捉え、「元彌の宗家襲名に疑義あり」とリークしたのである。

 このままでは、元彌が和泉流宗家であると世間が認知してしまうという焦りもあったであろうし、自分たちが全く認めていない元彌が売れてきたことに対する嫉妬や反発もあったであろう。

 和泉家に生まれただけで、あんな若造が宗家だなんて、という嫉妬の嵐が心の中で吹き荒れていたに違いない。

 しかし、和泉元秀は、もともと九世三宅藤九郎(五世・野村万蔵の次男、野村万助)の長男(保之)であり、彼が6歳の時に山脇和泉家(昭和21年から和泉家)を継ぐことを和泉流の人々は認めた筈であり、元彌に宗家にふさわしい芸がないという一見尤もらしい意見も、反対する決定的な理由にはならないことは歴史が証明している。

 もともとの出身である野村家側からすれば、新宅(分家筋)が、和泉流宗家という立場にいることが、クーデターを起こされたようで許せないのかもしれないが、彼らも元彌と同じように、弟子たちから御曹司に生まれただけで大きい顔をしていると思われていることに気がつかないのだろうか。

 他人の姿は見えても、自分の姿は見えないということなのだろう。

  

 どちらにしても宗家が生前中は大人しくしていて、亡くなった途端に騒ぎ出し、頭を押えつけられていた恨みを、その子の元彌を苛めることで、はらそうとしているとしか見えない職分会は、かつて田中真紀子議員の軽妙な悪口攻撃に辟易し、「(真紀子議員の長男が)、議員になった時には、イジメてやる、覚えていろ」と息巻いていた自民党の代議士先生方同様、大変情けない人たちである。

 同じ狂言の世界に生きる元彌を敵のように思っていることも含め、おかしいと言わざるを得ない。

 除名申請をして、和泉元彌の狂言者としての生命を奪おうとする職分会とマスコミの動きに、能楽協会と宗家会は惑わされてはならない。

  

   (文中敬称略)

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