(ちくま新書98年10月発刊)

「日本の医療を問いなおすー医師からの提言」を分析する。


この本が発刊される少し前、メディカル朝日(98年9月号)の「辛口トーク『日本文化防衛論』」で同じ著者が「調剤薬局の是非善悪の論争は新聞紙上を賑わしているが、この議論には議論の価値などなにもない、院内薬局が良いに決まっているからである。」と断定されています。医薬分業を一刀両断、切り捨てるようなご意見に驚きました。氏はどのような哲学のもと、こんな一方的な発言をされるのか、知りたくてこの本を取り寄せてみました。



まずはその内容を‘一刀両断的’に要約します。

【日本の医療を悪くしたのは厚生省官僚。良い医療が出来ないのは診療報酬が少なすぎるから。医師は自己犠牲、奉仕の精神で働いてきた。薬の使いすぎと非難されるが、それも患者のためを思ってのこと。検査漬けととがめられるのも元はといえば裁判に訴えようとする患者がいるため、仕方なしの防衛反応。インフォームドコンセントができないのも、訴訟対策としてのカルテ書きなどに忙しく時間がないから。医薬分業は厚生省の陰謀。医療不信はマスコミの扇動が原因。】



<はじめに> 読み終わって医者の本音、内幕をよくぞここまで書けたものとその勇気に感心しました。と同時に、私は20年前の自分自身の医療にタイムスリップしたような気分にもなりました。当時、私は大学病院で小児心臓病の主任をしていましたが、大学の権威を後ろ盾におごった姿勢で医師主体の医療をしていたように思います。今考えると若気の至りとはいえ恥ずかしい限りです。当時は、厚生省もマスコミも医療現場を知らない“しろうと”、こんなに一所懸命に治療したのに訴えられるとすれば訴える方がおかしいなどと不遜な考えでした。この本には、そんなかっての私と同じような自己中心的考えが展開されており、自分の“化石”に遭遇したような思いにかられました。

「医師からの提言」との副題が付いていますが、特に目新しい提言、主張はなかったように思う。むしろ旧来型の古い医療体質を引きずった内容で、「医師主体の医療」「お任せ医療」に逆戻りするような時代遅れの姿勢が感じられた。他人(厚生省、患者、調剤薬局、マスコミ)を非難するばかりで、医療関係者、特に医師については自己礼賛に終始した内容には正直言って驚いた。医師の自己改革や自ら医療を変えていこうという姿勢があまり感じられない。患者主体の医療、インフォームドコンセント、インフォームドチョイス、カルテ開示、薬の情報公開、癌告知などの医療キ−ワードがほとんど登場してきません。革新的な“提言”かと想像したが、残念ながら期待はずれに終わった。



<本文> この本の主題は「日本の医療を改善するためには、日本の医療を統制している厚生省を、まず俎上に上げることが必要です。」と述べているように厚生省のやり方を徹底的に叩くことにあるようです。「厚生省が述べる医療改革がこれまでの医療費抑制策をさらに強化する内容である限り、日本の医療が悪くなることはあっても、改善するとはとうてい思えません。」そして「矛盾だらけの現在の医療をミスリードしてきた厚生省官僚に、これからの医療を任すわけには行きません。ミスリードをさらに重ねる危険性が確実と考えるからです。これまでの医療に対し、責任と病識を持たない厚生省官僚が、ますます悪い方向へ得意げに誘導する危険性が高いと危惧するのです。」よくぞここまで言えたものと感心しました。「日本の医療を改善させるには、その病巣である医療費抑制策を変える以外に方法がありません、診療報酬を上げ、医療費の配分を変え、患者への医療サービスを充実させる必要があります。さらに、医療従事者の数を増やし、患者への人的サービスと医療従事者の負担を軽くする必要があります。」医療に携わる一人として、とても“心強い”発言で、もしこの通り実現すれば こんなにうれしいことはありません。

「欧米の病院はリゾートホテル、日本の病院は民宿以下の簡易宿舎、外来は戦場医療、病棟は豚小屋医療」とのこと。私のクリニックも簡易宿舎以下のトリ小屋でしょう。できればプチホテルなみの建物で、ゆったりとした雰囲気の中で診察し、もっと丁寧に病気の説明がしたい。待合室ももっと快適に待てるような雰囲気と広いスペースがほしい。医療スタッフももっと増やし患者サービスをさらに向上させたい。あげればキリがない。でも私の実力ではトリ小屋が限界。もしかして病院が簡易宿舎なのも日本の国力を表しているのかも・・・・。


氏の提言は我々医療関係者にとっては夢のようなバラ色の内容です。これが本当に医療に反映されるのであれば諸手をあげて賛成といきたいところですね。しかし医療費を無駄遣いしてきたのはわれわれ医者です。そのへんの反省、改善なしに「診療報酬だけ増やせ」では考えが甘すぎるように思います。氏は製薬メーカー等へ回る医療費を減らし医療機関の取り分を増やす、あるいは建設業界に行く公共事業費をもっと減らしその分を医療費に充てるなど提案していますが・・・・世界的に医療費を抑制していこうという中で医療予算を増やすことは本当に出来るのか、ふと弱気になります。まして国の借金が450兆円(新聞では600兆円)もあるそうですし・・・・子孫につけを回すことは無責任にすぎます。




薬の過剰投与についての記述。ちょっと気になりました。「医師は処方するクスリの量が多いと分かっていても、つい量が増えてしまうのです。なぜならば、患者をよくする手段として医師に出来ることは、クスリの処方を増やすことしかないからです。患者の訴える症状が一つ増えると、クスリが一つ増えることになります。このことから、多くの慢性疾患を持つ老人には多くのクスリが処方されることになります。患者に我慢しなさいとは言いにくいのです。」そして「病気を早くよくしてあげたいと思う善意の表れ」だそうで薬の過剰投与は利益追求のためではないとおっしゃりたかったのだと思いますが、これでは病気のプロフェッショナルとしての専門性が疑われますね。薬の飲み過ぎによる副作用など、親切が徒(あだ)とならなければよいのですが・・・。



「医師を訴える社会」についての主張も引っかかるところがありました。「訴訟社会は過剰診療を生むばかりでなく、後ろ向き医療の原因になります。」「訴訟社会は天にツバするのと同様に、自分達(患者さんのことらしい)にはね返ってくることなのです。」後ろ向き医療を患者さんのせいにされていますね。“医師主体”のお考えのようで、残念ながら賛成できません。さらに、「最近はこのカルテが非常に詳しく書かれるようになりました。・・・中略・・・カルテを書く本音は裁判対策なのです。何らかの事故が起きた場合にそなえ、証拠書類としての対策なのです。そしてこのカルテの記載が医療の膨大な時間の無駄をつくることになるのです。医師や看護婦は患者中心の医療と言いますが、患者のためと称する文章類の雑務が多すぎて患者のそばに行けないのです。」これは、ちょっと“医者の言い訳”のように感じられます。私なら、訴訟が怖ければより一層患者さんのベッドへ足を運び、病状を詳しく説明し、そして治療に誠意をつくします。患者さんの納得のいく治療法を選択すれば、たとえ万が一不幸な結果となっても訴えたりしないものです。


「治せる医師・治せない医師」バーナード・ラウン著、1998年、築地書館

私は、訴訟を心配することが訴訟を招くもとだと思う。医師の心の中で訴訟の恐怖が大きな位置を占めていては、訴訟のおぜん立てをするようなものだ。

自己防衛的医療には2つの影響がある。合併症を起こすかもしれない処置を目いっぱいすることになるばかりでなく、医師はどの患者にも疑心暗鬼になってしまう。自己防衛的医療は、医療をゆがめ、非人間的な医療をもたらす元凶だ。患者は親しみやすく思いやりのある医師ではなく、無関心な敵意に満ちた医師に出会う。このような雰囲気では、よいコミュニケーションがとれない。患者がだんだん不機嫌になり不満をあらわにするようになると、医師もますます疑心暗鬼になって、患者に訴えられるのではないかと懸念する。医師と患者の関係が悪いと、医師の言った通りに回復しなかったり、医療費が法外に高いと思われたり、薬や処置によって合併症が起きたりすることが引き金となって訴訟になる。この狂気の力学は、必然的に自分で自分の首をしめるようなものだ。患者は、無関心な他人を訴えることに、何の呵責も覚えない。


マスコミについての記述も読んでいて寂しい気持ちになりました。「医師を悪人にしたてるマスコミのエスケープゴート的論評も鼻につきます。」「医者を悪者にしたてるマスコミの方法は一時の壮快感を読者に与えても医療の改善にはむすびつきません。マスコミは医学と医療の真実を伝えず、医療に対して悪いイメージばかりです。」そして「患者と医師が共同戦線で戦おうとしているのに、信頼関係を損なう報道はよくありません。結婚を前に離婚の噂を流すようなものです。」今まで“離婚の噂”を流されるような医療をしてきたほうが悪いんだと思います。これはマスコミへの責任転嫁ではないでしょうか。私は自分の医療の反省材料としてマスコミ記事を読んでいます。患者側の立場で読むといちいち納得のいくことばかりで、とても勉強になります。



医薬分業の記述についてはとても勉強になりました。。「厚生省官僚は日本の医学と医療のすべてを支配しようとしている」その具体例として医薬分業を取り上げており、氏によれば医薬分業の推進は厚生省の陰謀だそうです。「薬剤師を支配下に置くために、まず院外薬局の薬剤料(調剤料のこと?)を高く設定し院外薬局を増やす。次に病院の薬剤師の人数を院内処方箋百枚につき一人と規制します(??・・・かなり以前から80枚につき一人、今年から75枚につき一人になります)。このことで病院側に院外処方にするか薬剤師を雇うかの二者選択(択一?)を迫ります。」「さらに最後の段階として、院外薬局の薬剤料(調剤技術料のこと?)を下げ、今度は薬局を飢餓状態にさせて自分の支配下に置くのです。薬剤師は院外処方を長年の悲願と喜んでいますが、医薬分業を大義名分とした厚生省の医療と薬剤師支配はこのように進行するのです。」

驚きました。もちろん、何かはっきりした裏付けがあってのご意見と思いますが・・・・でも、私からするとちょっと穿った見方のように思います・・・・。勿論、今後、調剤技術料は下がっていくとは思いますが、しかし、まさかそれが厚生省の「陰謀」だなどとは・・・・・ここまで厚生省は悪(わる)なんでしょうか。筋の通った分業をしておれば、今後も将来もその薬局は繁栄するものと考えていた私が甘いのでしょうか。



医薬分業についての“ご批判”の数々には少しご勉強不足を感じました。「院外薬局の宣伝は、ただ単に儲かるか儲からないかの貧相な動機でしかないのに、もっともらしく患者の利便性にこじつけてものを言うから、いっそう罪深いものとなるのです。」そうじゃないないと思います。元々医師は処方箋を書き、薬を薬局でもらうのが本来あるべき姿。法律にそうなっています。それを阻止してきたのが薬で儲けていた医者達です。そして薬価差で儲けが出なくなったのでようやく薬を手放したということです。貧相な動機付けをしてあげなければ薬を手放さない医者がいたことのほうが罪深いと私は思います。

「院外薬局の経験しかない外国人に聞いてみればわかります。100人中100人とも『院内薬局がよい』と言います。」誘導尋問にならないような公平は形でご質問されたのだとおもいますが・・・・・・。私の会った外国人の意見はむしろ逆でしたので、ちょっと不思議な気がします。

「薬剤師がクスリをチェックする、医薬分業によりクスリ漬けが改善される、などの院外薬局の利点はあとで付け加えた理屈です。」いいえ、この点はお間違えと思います。中世ヨーロッパでの医薬分業の発端は薬剤師によるクスリのチェックです。後で付け加えた理屈ではありません。

「医師が処方したクスリが間違いであると院外の薬剤師が指摘し、処方を変更した事例がどれくらいあるでしょうか。」たくさんあると思いますが・・・・。



「ソリブジンと抗がん剤の組み合わせ事件が、院外薬局であれば防げたというのでしょうか。」その点は確かにおっしゃる通りわかりませんとしか言えません。しかし、少なくとも、氏の言われる{世界に誇る}院内薬局では防げなかったという事実があります。

「薬のチェックは、顔見知りの院内の薬剤師の方がよいに決まっているのです。」院内薬剤師には他院の薬との重複投与、相互作用のチェックはシステム的に難しいと思いますが・・・

「鼻歌まじりで薬を数えて渡している院外薬局」薬剤師の方々にちょっと失礼なお言葉ですね。お返しに、揚げ足取りですが・・・・私には、かって手術の見学で執刀医が鼻歌まじりでお腹を切っていたので驚いた経験があります。でもそのメスさばきは実に見事なものでした。


医薬分業についての記述が、なぜここまで辛辣なのか、全文を通読してようやく理解できたように思います。氏の医療姿勢は、むしろ保守的なのかもしれない(もし分析間違いでしたらごめんなさい)。私の経験では、そのようなお方は一般に医薬分業について「院内薬局が良いに決まっている」と初めから決めつける傾向が強いように思っています。(99/2/3)

(私の批評についてご意見ご感想ございましたら、メールお待ちしております。もちろん、よろしければ著者の方からも・・・。メールはそのままHPに公開させていただきます。オープンに意見交換できるといいですからね。)



1)医療の効率化を論ずるときにも、やはり、安全性というものを・・・・ 

“転職”薬剤師

『「日本の医療を問いなおす-医師からの提言」を分析する。』を拝読して、同業者(医師)である著者に対する批評をよくぞここまで、書けたものと、その勇気に感心いたしました。

と、同時に、私が、薬科大学を卒業し、就職した製薬会社での自分を思い出しました。当時、私は、医薬情報担当者として、薬の適正使用に貢献しようと思いました。しかし、ある上司は、営業マン(いつの間にか営業マンにされている)は、ノルマを達成することが、第1条件であるとことあるごとに言っておりました。それに対し、私は、反論し、感情的な議論を交わしたことを思い出させられました。   

私も、吉田先生と同じく、日本の医療について、突き詰めて考えれば、現実的には確かに医薬分業にした方がよいと思います。ただし、突き詰めて考えなければ、ほんとうに医薬分業が良いという考えには達しないと思います。著者も、もう一歩、いや、もう二歩くらい医薬分業について考えていただければ、医薬分業をすることが、ベターであるということがおわかりいただけると思います。しかし、多くの医師や国民は突き詰めて医薬分業について考えていないため、その必要性がよくわかっていないのです。この必要性のPRは、やはり、薬剤師が、もっと、もっと、がんばってPRしていかなければならないことです。

 ありがたくも、医師である吉田先生が、薬剤師の代わりに精力的にPRをしていただきまして、1人の薬剤師として、お礼申し上げます。そのうち、薬剤師会から功労賞がでるのではと思うくらいです。しかし、吉田先生はそんなことは、一切期待していないと思いますが、、、。 

話が長くなりましたが、細かく意見感想を述べてしまうと、きりがありませんので、一つだけ、著者の記述内容について申し述べるとすれば、「外国人が、100人中100 人とも、院内がよい」とのことです。このことについては、私も、すぐ薬がもらえれば、便利でよいと思います。しかし、これは、利便性を考えた場合です。安全性のことを考えれば、話は変わってきます。

 同じようなことを私は考えています。それは、診察を希望しない人は、診察無しに、処方せんがもらえたら、どんなに便利かと思います。ただし、病名が、確定してからの話ですが、、、。人気のある病医院は、患者が多いため待ち時間が長く、大変不便です。そして、長く待ったあげく、診察は、3分程度で、いつもの薬が、処方されるわけです。いつもの薬が、処方されることは、最初からわかっています。自分の体のことですから、、、。病医院に行って、窓口で、「いつもの薬の処方せんをください。」といって、処方せんがもらえれば、大変便利です。あるいは、もっと便利なのは、もう、病医院へ行かずに、「前にもってきた処方せんと同じ薬をください。」と、直接、薬局に行って、処方せん無しで、身分証明書だけで、薬を調剤してもらいたいです。

 しかし、これは、できないでしょう。というのも、安全性の問題が関係してくるからです。その理由については、申し上げるまでもないでしょう。 いずれにしても、医療の効率化を論ずるときにも、やはり、安全性というものを重視して話をしなければならないということです。

ところで、このように、日本の医療を良くしたいという意見交換を、現場の人々で話をするということに、意味があるように思います。著者ではないですが、厚生省官僚は、現場の声、あるいは、現場の実体を十分把握していないまま、話を進めているように感じました。



2)「え、この薬とこの薬は、禁忌なのに」


患者の味方になりたい薬剤師


吉田先生、お久しぶりです。先日、HPの「日本の医療を問いなおすー医師からの提言」を分析する。を読みました。最近、身近な問題で、薬剤師側のとても古典的な考えやシステムに、1人で憤慨していたのですが、この著者の発言を見て、「やっぱりそんな後ろ向きで古典的な考え方の医師もいるんだなあ」と、少し複雑な気分でした。                             

特に興味をひかれたのは、やはり、薬の過剰投与の部分です。


「医師は処方するクスリの量が多いと分かっていても、つい量が増えてしまうのです。なぜならば、患者をよくする手段として医師に出来ることは、クスリの処方を増やすことしかないからです。患者の訴える症状が一つ増えると、クスリが一つ増えることになります。このことから、多くの慢性疾患を持つ老人には多くのクスリが処方されることになります。患者に我慢しなさいとは言いにくいのです。」


確かに、強い訴えがあれば、我慢するよりも薬を、というのは一つの方法かも知れません。しかし、薬もモトをただせば体にとっては異物。作用が緩和だから、なんて甘い言葉をかけられて、主薬に対して、下剤や整腸剤、酸中和剤等を複数与薬されている患者さんの、なんと多い事か。「これを飲んでると、安心なのよね」という言葉に、悲しくなる事もたびたびです。主訴に対してあてはまる多くの薬を出したからといって、完全に患者さんが安心している訳ではない事は、事実です。

あまりにも多すぎる薬の数に、ふと我にかえって、とても心配になるようです。副作用、相互作用も、医師が処方したからといって、鵜呑みに「安全」と考える患者さんは、確実に少なくなっていると思います。だからといって、医師ー患者間、或いは薬剤師ー患者間の距離はまだまだ遠いために、医師や薬剤師に相談できない。これをやめてみたり、あれをやめてみたりしているうちに、結局、薬がないと便秘になる、下痢をする、胃がもたれる、といった自覚が生じている患者さんは、私が知っているだけで何人いるでしょう?薬が増え過ぎて管理に困ったり、その薬が何のための薬なのか忘れてしまっている患者さんもいるのです。


「薬剤師がクスリをチェックする、医薬分業によりクスリ漬けが改善される、などの院外薬局の利点はあとで付け加えた理屈です。」「医師が処方したクスリが間違いであると院外の薬剤師が指摘し、処方を変更した事例がどれくらいあるでしょうか。」「薬のチェックは、顔見知りの院内の薬剤師の方がよいに決まっているのです。」


チェックする、という作業は、実は、顔見知りではとてもしにくい事だとは思いませんか?知り合いだと、「あの人はこう考えるから」「いつもはこうだから」という心のゆるみは、絶えずどこかにあると思うのです。面分業が盛んに叫ばれているのは、そういう観点からなのではないでしょうか。

それに、「え、この薬とこの薬は、禁忌なのに」あるいは、他院の内服薬からの推察で「血圧高そうなのに、こんなの出しちゃっていいの?」「慢性腎疾患らしいこの患者さんにこれはないでしょう?」というお薬の組み合わせの発見は多々あります。勿論、短期投与なので、必要だから今回分だけは服用するように、という指示での変更なしもありますが、併用禁忌薬剤、或いは禁忌疾患の患者さんであった場合、その原因薬剤はほとんどが中止になります。

そして、意外に多いのが、同効薬、或いは全く同じ薬物の重複投与です。どんなに注意していても、やっぱり気がつかない事はあるものなのです。特に、他院での内服については、医師には内緒にしておいて!という方もいるくらいですから、全ての患者データが本当だとは限らないと思うのです。

又こんなに長いメールになってしまいました。次のアップデートを楽しみにしています。