起こってしまった事故は“かけがえのない宝物”


28年前のアメリカ映画「ホスピタル」

手術室:院長(ジョージ・C・スコット)が執刀中、突然患者の心臓が停止。あわててデッキ(布)を患者からはぎ取り心臓マッサージをしようとして、はっと気づく。「患者が違う!」・・・・・


20年前発刊のアメリカの本「医者が患者をだますとき」

病院では取り違えが繁盛に発生する。取り違えるのは物とは限らない。患者の取り違えもよくあるのだ。何年にも前のことになるが、私の弟がヘルニア手術のために病院に行った。手術は午前11時の予定だった。午前9時半に私は病室に行ったが、そこには弟はいなかった。ピンときた私は手術室へ向かった。案の定、弟はそこにいた。弟は危うく子宮を切り取られるところだったのだ!(ロバート・メンデルソン)


平成11年1月横浜の大学病院

午後4時過ぎ、手術回復室:元主治医が心臓病の患者の術後状態を見に来ている。「あれー、Aさんとちょっと顔が違うような・・・・」現在の主治医「そういえば眉の色がもっと濃かった気が・・・」元主治医、隣のベッドで寝ているBさん(“肺”疾患で手術)を見て「Aさんに似ているなぁ〜」と胸に聴診器をあてる・・・・「ハッ」とした様子。聞こえてきたのは聴き覚えのあるAさんの心臓の音。「お名前は何んですか?」・・・・「Aです。」患者を取り違えて手術したことが明らかになった瞬間でした。手術室に入ってからすでに8時間が経過していた。(NHK クローズアップ現代より)


普通、患者が恨みに思うのは最初に犯したミスに対してではなく、さらにミスを重ねたことに対してである。
ドクターズルール425(医者の心得集)クリフトン・ミーダー著・福井次矢訳、南江堂


医療ミス。あってはならないこと。九州でも横浜と同様な患者取り違え手術事件があったとか。過去をたどれば赤ちゃん取り違え事件、妊婦取り違え中絶事件・・・・・医者も人間、ミスをする。私のクリニックでも起きないと誰が言えよう。私の場合は処方ミス、調剤ミスが怖い。実際、苦い経験もある。

ハーバード大学の医師,デビット・ベイツ氏らによれば米国では,患者の入院中におこる事故は,年間で130万件にも上る。中でも,薬に関する事故は約19%を占め,年間の医療費を約20億ドル引き上げる結果にもつながっているという。

私がかって勤務していた病院で起きた小児関係事件だけでも、ソセゴンーボスミン取り違え注射事件(アンプルが類似)、ウィントマイロンーウィンタミン調剤ミス呼吸停止事件(薬名が類似)、ポララミンシロップ転記ミス事件(0.5mlを5mlと転記、内服した乳児は傾眠状態)、デパケン調剤ミス事件(分3を分2で調剤、患者さんはいつも通り1日3回内服し眠気。これ当院の事件。医薬分業のきっかけとなった)。 

一般に医者は知的能力が高くはミスしないと思っている方が多い(?)のではないでしょうか。あるいは医者がそう勝手に思いこんでるだけかもしれませんが・・・そして、ミスしない人がミスしたということになれば保身と組織防衛のため隠すしかない。

柳田邦男氏は「日本の医療界の事故調査と安全対策は、航空界や産業界と比べて30年遅れている」と指摘している(1)。飛行機事故の場合、事故の原因を究明し同様のことが2度と起きないように対策を講じられるように、と機長ら当事者の事故責任は免じられる制度だと聞いている。法律的なことはわかりませんが、より安全な医療現場をつくるためには免責制度の導入もやむを得ないのではないかと思う。起こった事故を非難するより、起こらないための予防の方がより患者の利益となるはずである。



マスコミによって明らかにされる医療ミスはほんの氷山の一角。病気を治すことは医療人の使命ですが、医療ミスを起こさないことはそれ以上に大切なこと。今までの日本の医療にはその認識が足りなかったのではないか。「医療安全工学」という学問の確立を提案したい。それにはミスを闇に葬っていてはいけません。事件の当事者だけを質していては再発防止にはなりません。なぜそのようなミスが起きたのか、システムのどこに問題があったのか、何を改善していけばミスが起きないのか。勿論、今までも個々の医療機関あるいは各個人がミスの経験を踏まえ、各自工夫をしてきたのですがそれが共通の財産として一般に知らされることは少なかった。村上陽一氏は「起こってしまった事故、あるいは幸い未然に食い止められた事故予備軍はかけがえのない宝物だ」と述べている(2)。今回の患者取り違え事件は当事者の決断とマスコミの取材努力で事故の経緯が明らかになり、他の病院にとって大変参考になった。

 当HPで、「薬のミス〜医療の安全性のピットフォール(落とし穴)〜」というページを作り、読者の皆様からご自身が経験あるいは見聞きした“薬に関する事故”のメールをお待ちしております。いただきましたメールは“かけがえのない宝物”となるはずです。嫌な記憶や苦い経験は公表したくないのは人情。私も同様です。でも私はミスがあった場合、患者さんにその経緯を率直に伝え、丁寧に謝るようにしています。それは自分のためでもあります。メディオの阿部康一氏は「被害者が一番求めているのは謝罪の一言です。次に被害者が求めるのは“なぜ事故が起きたのか真相を知りたい”“事故の再発を防止してほしい”ということです。病院側に過失があればそれを正直に認め、謝罪すれば、被害による後遺症等のために生活が大変にならない限り、訴訟に至ることはないだろうと思います。」と述べています。

「治せる医師・治せない医師」バーナード・ラウン著、1998年、築地書館

もし失敗したら、医師はどのように患者に説明するべきなのだろう。医学部在学中も卒業後も、どのようにミスには対処するべきか、何の指導も受けていない。正々堂々とミスを認めるのではなく、失敗をごまかし、証拠隠滅し、責任も転嫁し、あいまいにし、やり過ごすのが、おおかたの反応だ。私は研修医の時に、過失を示唆することや失敗を認めるようなことは、一切カルテに書いてはいけないと先輩たちから訓示された。患者が死んでも、口が裂けても「お気の毒でした。」と言わない医師たちもいる。そんなことを言えば、罪を認めたと思われて、訴えられるかもしれないと用心するのだ。

黙ってミスをやりすごそうと思うのは最悪のやり方だ。失敗は、予想し、対処し、謝罪しなければならない。医師が、プロとしてのうわべを装いながら、失敗をあいまいにしようとすれば、患者は医者を冷たい人間だと感じ、見捨てられたと思う。ミスを認めることは、力強い謙虚な行いだ。



安全な医療現場を作ることが医療人としての使命とはいえ、医療ミスを公開することは勇気のいること。幸いインターネットの場合は匿名であれば個人を特定できません。その点を利用し、ここに“かけがえのない宝物の山”を築いてみませんか?お互いのミスを共有することによってより安全な医療ができるようになるはずです。このページを読まれた方は一応義務として「宝物」を一つお送りください。ぜひお願いします。100名の方にご協力いただければ“100の勉強”ができることになります。一つが100倍になるということですね。

 もちろん、いただきましたメールはHPに掲載しだいすぐに「ゴミ箱」行きとします。そうすることにより、万が一第三者からメールアドレスを教えてほしいと言われても「消去したのでわかりません」と答えることができ、私自身も面倒に巻き込まれることがなくなります。また、プロバイダーは電気通信事業者として、法的に守秘義務が課せられており、メールの内容やアドレスを第3者に知らせることはできません。(なお、特定の個人や医療機関がわかるような内容の場合はその部分を変更あるいは削除して掲載いたします。)(99/3/3)

(1)北陸中日新聞夕刊(2月25日)「医療の安全を求めて・下」

(2)同上(2月24日)「同上・上」

関連サイト
「看護事故」
「医療ミス・調剤ミス―患者はどこを訴える?」

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