面分業でチーム医療が出来るか?(2)


MYCONOS(医師)さんよりさらに長文メールが届きました。ありがとうございました。面分業は「誂えスーツの買える金額を支払ってぶら下がりスーツを買って帰る」ようなものと”たとえ”ていらっしゃいます。長文ですが一読の価値あります。皆様のご感想は?多数のご意見お待ちしています。(98/6/13)私の反論を挿入しました。(98/6/14)アップル薬局の乾宣子氏から反論のメールが届きました。議論がさらに白熱してきました。


ちょっと違うような...

MYCONOS(医師)


 数日間HPに上がった議論を考えて見ました。考えて見る項目はいろいろあると思います。

まず、医師は病気を治す立場で、薬剤師は「副作用を未然に防ぐ」立場で薬物治療に当たるべきと私は考えています。2つ目として、私は「薬はお金を払った人のもの」との認識で、患者さんは薬のすべてを知る権利があると思っています。3つ目として、患者さん自身が考え、納得する治療を患者自身が選び取る「自己決定権=インフォームド・チョイス」を大切にしたいと。この3つの「考え」から何を言いたいかと言いますと、医師は医師の立場で薬を説明し、薬剤師は薬剤師の立場で説明し、その間にたとえ整合性がなくてもよしとする(このあたりが先生のお考えとかなり相違するかと思いますが)。突き詰めて言えば、医師と違うこと(セカンドオピニオンと言い換えてもいいです)を言うことにこそ薬剤師の存在理由がある、となります。・・・・・(吉田均)

目標は全く相違するとは思いません、私もこのとおりに考えております。相違点があるとすると(あるようですが)... これが最も効率良く機能するには「面分業」か否かという点だけです。私はここに大きな関心があるのです。



医師は医師の立場で薬を説明し、薬剤師は薬剤師の立場で説明し、その間にたとえ整合性がなくてもよしとする(このあたりが先生のお考えとかなり相違するかと・・・・・(吉田均)

これも同意します。治療手段として抽象的に薬を捉えている医師の見方と化学の専門家として物質としての薬を捉えている薬剤師の見方が異なることは当然です。お互いに自分の見えていない部分を説明しあうというところに分業の真価があります。お互い守備範囲の異なるところを扱うのであると考えています。 しかしここでもなぜ「面分業」かという答が出てきません。せいぜい出てきて「お互い別のところを扱うのだから全く連絡がなくてもいいじゃないか---『面分業』でも差し支えないじゃないか」程度です。積極的な解ではないのです。


返書1
吉田均

そうでしょうか?繰り返しになりますが、「整合性のないことを言う」には「薬剤師の独立性」=「面分業」が必要条件と考えています。

今日(98/6/14) の北陸中日新聞の書評欄に「凍れる心臓」(評者・永井明)・・和田心臓移植「事件」を再検証・・・が載っています。溺死したという青年は脳死状態だったのか?宮崎君の心臓は本当に移植が必要な状態だったのか?医療界の非公開、密室性が浮き彫りにされた事件でしたが、この30年間でその業界体質は変わったのでしょうか?今インフォームド・コンセントが叫ばれていますが基本的な体質ははなんら変わっていないのでは・・・・。分業と関係のない話だとおっしゃらないで下さい。「くすり」についても「非公開、密室性」は今もって変わらずです。先生の言われることは分からないことはないのですが、「情報公開」の重要性は何にもまして大切にしなければなりません。それを確保するには薬剤師の独立性の保てる「面分業」が・・・ということになります。

MYCONOS


分業の理想としては、医師から処方箋を受け取り、その処方箋を個々の患者さんそれぞれに最適の指導をしてくれる薬局に持って行って薬を受け取るというのが原則で、患者さんのほうが何等かの理由でその薬局が嫌であるというなら、メリット・デメリットを承知の上で患者さんの自由...で良いと思います(医師 -医師間の紹介も同じです、私もそこまでこだわりません)。ただ私にはデメリットが大きいと思います(ここが吉田先生と判断が異なるのかもしれません)。でも...

言葉を変えて言えば医療に関する(別に他のことでも同様でしょうが)説明は詳しく一人一人にマッチした丁寧な方が良いということです。例えて言えばぶら下がりのスーツと誂えのスーツということです、誂えの方が身体にぴったりであることは言うまでもありません。誂えるためにはお客さんの体格のデータがお針子さんに伝わらなければ作ることもできず、ぶら下がりを買って帰るよりしかたがなくなります。これは調剤薬局でCD-ROMから誰にも一律に出力される薬の名称・作用・副作用のプリントを渡されることにも相当するでしょう。 スーツに関して言えばぶら下がりの方が安いし、店にいってすぐに着て帰ることができるという利点はあります。でも調剤の場合は値段は同じで調剤の時間が変わるわけでもありません。何を好き好んで誂えの買える金額を支払ってぶら下がりを買って帰るのですか?ここが私の疑問です。私なら同じお金を払うのなら誂えを買って帰ります。


返書1
吉田均

「スーツのたとえ話」はとてもおもしろく、思わず納得してしまいました。このお話をちょっとお借りします。私のクリニックは全面情報公開しているためもあるのか、患者さんから「他院の薬との飲み合わせは大丈夫ですか?」と尋ねられることが多いです。でも散剤を見せられても分かりませんね。「薬の名前は聞いてないの?」「教えてもらえません。」この会話を何度したことか・・・・勿論副作用の説明については望むべくもありません。このような医療を「粗悪品のスーツ」にたとえてはいけませんか?私なら、すぐにでも型くずれするかも知れないスーツより、多少高くてもメーカーのはっきりした「ぶら下がり」を買って帰ります。


返書1
アップル薬局:乾宣子


マンツーマンが誂えスーツで面がつるしスーツであるという決めつけには少々抵抗を感じます。誰にとっての「誂え」か。マンツーマンというのは医者にとっての誂えではあっても患者にとっての誂えかどうかは患者さんに聞いてみないとわかりません。医者が誂えだと思う薬局が患者にとっても誂えだと決めてしまうのは医者の横暴だと思います。患者さんが医院の前の薬局が誂えだと言えばそれでいいのですが、患者さんが医院の前を選ぶには患者に選択肢を持たせることが前提です。ハナからマンツーマンで医者が誘導してしまえば、患者さんの選択肢は奪われます。誘導しないまでも、医院の真ん前や隣に薬局があれば、患者さんは院内でもらっていたのが隣に移っただけと理解して、何の疑問も持たずにそこにいくでしょう。選択肢のない患者さんに誂えかつるしかの判断ができるでしょうか?そのマンツーマンが非常にレベルの高い仕事をしてくれていたなら、それは患者さんにとってこの上なくラッキーですが、もしその薬局が保険点数をとるためだけの仕事しかしていなかったとしたら、そして患者に選択肢が与えられないとしたらそれはマンツーマンの功罪と言えるのではないでしょうか?

マンツーマンや面の薬局がどんなレベルの仕事をしているか、医者に判断できますか?少なくとも医者にとって良ければ○、邪魔なことをすれば×、という判断基準では患者にとっていいか悪いかはわかりません。私はマンツーマンがつるしで、面が誂えというケースも多々あると思います。

したがってこの論理は「だから面の方が、つまり私は面の薬局で誂えを買って帰ります」とも読めるのです。患者に誂えを探す選択肢を与えることが大切ではないでしょうか?


MYCONOS


さらに別の面から駄目押しをしますと、現在たいがいの大学病院では薬剤部長は医学部教授です。つまり医学部の教授会のメンバーで、薬剤部は他の講座と同等なわけです。

さて、一つの診療科の医師と他の診療科の医師が一人の患者について経過や検査データを交換しあって治療することは日常よくあることで、自分の専門分野でないことについてはそれを専門とする他科の医師に紹介して然るべきです。患者を紹介する場合も通常は「○○先生ご侍史」と個人を指定することが普通です(もちろん単に担当医ご侍史あるいは□□科御中として個人を指定しないこともありますが)。さらにまた市中では複数の医師が一つの建物を共有して開業している、あるいは医師と歯科医師が一つの建物を共有して開業しているのはよく見かけることですし、このようなことに規制があるとも聞きません。

もう一度吉田先生のメールを引用します、

原因の一つがここにあるのではないかと思います。薬剤師を看護婦や理学療法士と同等に見るのか、すなわち医師の指示の下で手足となって働くパラ・メディカルととらえるのか?あるいは、医師、歯科医師と同等と見るのか、すなわち薬剤師を独立した職種ととらえるのか?と。(討論とは直接関係はありませんが、・・・・”

先生のこれまでの論調から考えると先生も医師・歯科医師と薬剤師は同等と考えておられるようですが、同等なのに医師や歯科医師の間で当然なことを否定するのが「面分業」です。これだけでも何かおかしいと思いませんか。


返書1
アップル薬局:乾宣子


医師が薬局を紹介することがいけないとは言いません。ただ、紹介するのは自分のマンツーマン薬局、ただ1軒だけというのがいけないのです。面で処方を受けている薬局で患者さんの家の近くにいい薬局があれば、そこを紹介されることは大変いいことです。患者さんが処方箋を持っていく薬局がわからないと言えば、医者が薬局を紹介するというのはよくあることです。面で処方箋を発行していても地域の薬局地図を持っていれば、患者さんの家の近くの薬局を紹介することができます。面で発行する場合、地域の薬剤師会にお問い合わせ下さい。信頼できる薬局だけをのせた地図を作成いたします。これは誘導にはなりません。ですから、面分業が「医師間で当然のこと」を否定するというのは、実状をふまえたご意見とは言いかねます。


MYCONOS

法的には「面分業」に関する記述は「保険医療機関及び保険医療養担当規則」に出てきます。第19条の2(健康保険事業の健全な運営の確保):保険医は、診療に当たっては、健康保険事業の健全な運営を損なう行為を行うことのないよう努めなければならない。の次にある、第19条の3(特定の保険薬局への誘導の禁止):保険医は、処方せんの交付に関し、患者に対して特定の保険薬局において調剤を受けるべき旨の指示等を行ってはならない。であると思います。 もし医療の本質が「面分業」にあるのなら医師法、薬剤師法、あるいは医療法に規程があって然るべきで、下位である規則などで規程されているというのは解せません。これは第19条の2の次に置かれているということから考えて医師- 薬剤師が結託して不必要な薬剤を投薬して経済的な無駄を生じさせないようにということが目的であるからではないでしょうか。 規則の条文からも私には「面分業」の意義は上記の点にしかないと思えてなりません。


返書1
吉田均

確かに信頼できる薬局に紹介できる制度はいいかもしれませんね。でもこれができない原因を作ってきたのが一部の医者であり薬剤師なのです。「ある県ではリベートつきマンツーマンは当たり前とか・・・」「薬剤業者、誤変換で『やくざ異業者』と・・・・・」というメールが私のところに届いております(ご参照:「全国からのメール」1の1、4の3)。先生は「分業するにしても最低条件マンツーマンでなければ・・」とおっしゃっていますが、このタイプの分業は癒着を生みやすいのです。先生のような医師ばかりであれば「医師や歯科医師の間で当然なこと」も実行できるでしょう。でも悲しいことに、逆のタイプのお方がたが多いようなのです。

「じゃ、リベートのない院内調剤は?」と問われればもっと悪いですね。まず第一に、無資格者に調剤させている医院が大部分だという点。とても危険なことです。先生の言われるように最良のチームを組もうにもそのメンバーがいないのですから。

次に薬を使えば使うほど利益が出る点です。「薬価差は技術料だ」などと言っていた某医師会もありました。「日本の医療費にしめる薬剤比率が高いのは、薬価が高いせいだ。」と言っている医療団体もありました。でもそんな高い薬ばかり好んで処方してきたのはいったい誰なのでしょう?ついこの前も「脳循環代謝改善剤」の承認取り消しがありました。その薬を使っても使わなくても効果は変わらなかったとか・・・・。承認した厚生省も悪いですが、薬が効くか効かないか現場の医者が一番わかっているはずです。もし、効果についてわからなっかった、メーカーを信じて処方していた、などと言う医者がいたとしたら、・・・・・「処方のしっぱなし、後の結果は知ーらないよ。」になります。そこまで悪くはないはずですので・・・・そんな無駄な薬を使い続けたのは薬価差あったからだと私は思っています。「病気を治すために最良の薬を選択してきた。減らすべき薬はない。薬価差を求めての処方ではない。」と言っていたのに昨年9月からの薬剤費の別途負担で診療抑制がかかると、とたんに処方薬の減少や低薬価の薬の選択が全国的に見られるようになりました。「最良の薬」のはずが病状 の変化もないのに簡単に変更されてしまいます。暗に「最良の薬でなかったんですよ。」と言っているようなものですね。

「面分業の意義は上記の点に“しか”ない」とおっしゃいますが、これ一つとっただけでもとてもとても大きな価値があると思います。

返書1
アップル薬局:乾宣子

面分業の意義はもうひとつあります。あまりにも言い古されたことで、いまさら書くのもはばかられますが、「上記の点にしかない」と言われると、言わざるを得ません。

「他科受診」です。他科受診でも重複投与や相互作用のあるものが処方されない限り、機能しないじゃないかとおっしゃるかも知れません。が、私がそうではないと思います。患者さんにとって、自分の受診歴や薬歴を一人の薬剤師が全て把握してくれているというのはどれほどの安心感につながるか知れません。

他でもらっている薬を持って来られても、専門外ならあまりしっかりとはわからないというのが医者の本音ではないでしょうか?薬剤師は全科の薬を知っています。何千という薬がわかるわけがないとおっしゃいましたが、それがわかっているのです。もちろん医者とはその深さが違うと言われるかも知れません。でも、専門の薬、200位ならとても深く知っているけれど、他の薬は名前も知らない。が、専門分野の診断、治療についてはまかせておけよというお医者さんと医者ほど深くは知らなくても何千という薬の薬理作用と代表的な副作用くらいは覚えているし、調べるためのDI資料も持っている薬剤師との両方をかかりつけにした方が、患者さんも幸せではないでしょうか?



MYCONOS



ここまでが「面分業」に関する私の意見の整理です。以下の件は乾先生のご意見を読んで考えたことです。ご意見は私の意見への反論というような形で出されていますのでご本人は面分業に関することだと考えておられるのかも知れませんが私には面分業とは直接には関係なく薬剤師の職務権限や能力ということになると思えます。「病気の子の親」さんも薬剤師であるとのことですが患者ないし患者の家族としてのご意見であると考えて薬剤師を対象とした議論はしませんでしたが乾先生は「薬剤師」としてのご意見のようですので私もそのつもりで書かせていただきます。 まず、吉田先生のメールを引用します。

突き詰めて言えば、医師と違うこと(セカンドオピニオンと言い換えてもいいです)を言うことにこそ薬剤師の存在理由がある、となります。・・・・・(吉田均)
この点について私にも少し述べさせて下さい。今までの討論が平行線をたどった原因の一つがここにあるのではないかと思います。薬剤師を看護婦や理学療法士と同等に見るのか、すなわち医師の指示の下で手足となって働くパラ・メディカルととらえるのか?あるいは、医師、歯科医師と同等と見るのか、すなわち薬剤師を独立した職種ととらえるのか?と。(討論とは直接関係はありませんが、医”師”、歯科医”師”、薬剤”師”といずれも”師”がついており名前からは少なくともパラ・メディカルではなさそうです。そして「三師会」という組織も全国各地にあります・・・・・・。)(吉田均)

 これまでの議論で私の論調にそのように思わせるところがありましたでしょうか(極力そうとられそうな言い回しは意識して避けたつもりなのですが)?理学療法士には知り合いがいないので考えたことはありませんが、私はすべて同等で守備範囲が違うだけと思っています。看護婦についても「病気の子の親」さんがアメリカの例を引いておられましたが、看護婦についてもアメリカでは独立して業務を行う看護婦が存在しますし、テレビ(例えば「ER(救急救命室でしたっけ?)」など)にも治療方針を医師と対等に議論する看護婦が登場します。 余談ですが(私の悪い癖です)後半に関して言えば「臨床検査技師」、「衛生検査技師」というものもあります。ここまでくると少し考え込んでしまいますが、いずれにせよ「医師=doctor」、「歯科医師=dentist」、「薬剤師= pharmacist(米), chemist(英)」に共通する語幹はないようです。さらに余計なことですが、前2者への呼びかけは「Dr.」ですが薬剤師への呼びかけは「Mr. / Mis」です。



ですが私はこれをもって薬剤師の地位がどうこうとは言いたくありません、こんなことは長年の習慣にすぎません。

 ただ先生からのメールでinspireされたことがあります、「獣医師」です(これも「Dr.」と呼びかけられる職業です)。医薬分業であれば「獣薬剤師」も存在するのでしょうか。ご存知と思いますが、獣医師の処方箋も薬剤師が調剤します。

医師-歯科医師間では重複する医療の分野がありますが、基礎になる学問は別として医師-獣医師や歯科医師-獣医師では重複する医療の分野はありません。ですが薬剤師はこの3者からの処方箋を扱うのです。

このことから考えると薬剤師に期待されていること、そしてそのために受ける教育は対象が人間であるか獣であるかなどを問うていないのです。つまり特に人間の医療をターゲットに特化せず、適切な品質の薬剤を提供し、適切な使用方法を指導することと思えます。つまり薬剤師とは生物活性を持つ化学物質に関するプロです。このことは以下に示す種々のエピソードからも推測できます。・


返書1
アップル薬局:乾宣子

あまりにも飛躍したご意見です。獣医師の処方箋も受けるから、薬剤師は人間の医療をする資格はないとも聞こえますが、ひねくれていますでしょうか?ちなみにうちの店では獣医師の指示も受けております。最近は人間用の薬を犬や猫に使うことが多いので、近所の獣医さんから依頼があります。もちろん、飼い主さんに服薬指導をいたしますが、こういうことをしていると、人間の医療には立ち入れないのでしょうか?もしくは、化学物質しか知らないのだから、こと人間の体については介入するなとでも?亀の甲をいじっていればいいんだよ!とでも?


MYCONOS



学校医・学校歯科医というものがあります、これは児童・生徒を検診して疾患のある児童生徒には治療を促し、また必要な予防注射を施行したりと医療行為を行う存在です。で、学校薬剤師というものをご存知でしょうか?話題にすると知らない方が多くて驚くのですが学校薬剤師が存在します。例えば、これからの時期であれば学校薬剤師はプールの大腸菌数や塩素濃度の測定・調整などを行ったりするのです。しかし授業の一環として衛生関係の講義をするような機会がないかぎり直接に児童・生徒と接するような医療行為は普通ありませんのでご存知の方が少ないようです。


返書1
アップル薬局:乾宣子

これは学校薬剤師会の活動内容に対する苦言ですね。それは私もよくわかります。もっと、授業の一環として講義でもすればいいと思います。が、地域によっては積極的にこのような講義を行っている学校薬剤師達もいますので、これを引き合いの出される意味をはかりかねます。

MYCONOS


以前、吉田先生に送りましたメールに長井長義のことを書きました、乾先生は薬剤師ですから東大薬学部を創設した有機科学者である(医師でも薬剤師でもなかった)長井先生のことはご存知と思います。他国はいざ知らず(実は同様なのですが、急激な西洋医学の導入を行った明治期の日本ほど差し迫った必要性に迫られたことはないでしょう)日本では薬剤師に製薬技術を求めたのです。現在でも日本の著明な有機科学者の多くが薬学関係者であることからもこの歴史が引き継がれていることがわかります。また日本の薬学部にもれなく微生物学や薬理学などの講座が置かれるようになったのは(例外はあり、古くから置いていた薬学校は数校ありましたが)ようやく新制大学になってからです。日本の薬学が直接に疾患や患者と向き合うことにあまり関心を持っていなかったことがうかがわれます。このことも進駐軍のバージル・サムス準将が日本に医薬分業を徹底させようとしたのにかかわらず失敗した一因でしょう(医師会史などを読んでいますと、この時期、進駐軍の威光に怯え分業に備えて女性薬剤師と結婚する医師が非常に多かったそうです。これはこれで顰蹙です)。

薬剤師国家試験の合格率を見てみましょう。厚生省の報道発表のページを見ると平成8年度の結果が載っていますが古くから同じ傾向があります。国公立大学の合格率と私立大学の合格率です。私は昔、入学試験の偏差値から考えると国立大学卒業生の合格率の方が高いと思っていました(税金を使って勉強しているのです、私もそうあってほしいと思います)が実は10%程度の差をつけて私立大学の合格率の方が高いのです。何故ですか?



国立大学薬学部の教官である小学校の同窓生に尋ねました。彼は胸を張って答えました「我々には免状などというものはいらんのだ。だから国家試験はシャレである。国家試験に合格するようならそれは結構、合格しなくてもそれまた結構、薬剤師免許がなくても実力と業績があれば大学でも企業でもポストはある、行政官にだってなれる。理学部を見ろ、工学部を見ろ、そうであるのがあたりまえなのだ。免許証がなければ仕事ができないというのは邪道である!」。 これまた薬学教育の目指すものが直接疾患や患者と向き合う医療(これには免許という公認が必要です)に重点を置くものでないことをうかがわせる事実です。

20年とはいいませんが10年以上は前でしょう。医学・薬学における膨大な学問の進歩のために修業年限4年では薬学教育は不十分なのではないか、医薬分業も踏まえて臨床医学に関する知識も必要であるから修業年限を6年にしようという案が出されたのです(増加した年数で臨床実習などもする予定であったようです)。この頃、獣医学分野でも同様の理由から同様の提案がなされ、獣医学部の修業年限は延長されなかったものの学部卒業後2年の修士過程を修了しなければ獣医師免許は取得できないこととなり、実質6年の修業年限になりました)。しかし薬学部では修業年限は変更されませんでした。この経過が日本薬学会誌「ファルマシア」に書かれておりましたが、強力な反対意見の一つが私立大学から出た「修業年限が延長されると学生の大半を占める女子の結婚適齢期に重なってしまうので、入学希望者が減少することが予想される。これは大学経営上非常に困ったことである」との理由であったとのことです。



上記の反対意見だけを取り上げると議論を誤るとは思いますが、考えるところ薬学部はせっかくの機会であったのに薬剤師には臨床経験を積む必要はないとは言わないまでも重要性は低いと判断したものと思われます。そして現在の薬学教育はその線の上で行われているのです。公平にはしたいので平成8年度からの薬剤師国家試験の内容が医療薬学重視に改められており、それに対応するように各大学で臨床薬学etc.の講義が増えていることを付け加えます。しかし新方針の卒業生が戦力になるにはなお数年を要するでしょうし、彼等にしても医学部のポリクリのように1年以上患者を前にする臨床教育を受けたわけではないのです。

臨床検査技師の国家試験受験資格は通常の薬学部の教育課程+数時間の補講で得られます。ですが実際にはこのルートで臨床検査技師の資格を取る例はあまり多くありません。これについては付き合いのある薬剤師から個人的に聞いただけですし、厚生省のHPにも受験資格別の合格率が記載されているわけではありませんが、まず受講者が少なく、受験資格を得て受験しても合格率も悪いとのことです。

上記のエピソードから私は次のように推測します。(1)薬学出身者の関心と誇りは化学の研究や製薬に向いており、臨床に対する関心はないか薄い。(2)そのためもあるのか教育の中に臨床的なものを取り入れようとする意欲に乏しい傾向がある。(3)教育がそのように設定されているので受験資格がある臨床検査技師程度の国家試験にも合格できる程の臨床知識もない。

返書1
アップル薬局:乾宣子


ここに書かれたエピソードは全て事実だと思います。しかし、だから上記(1)〜(3)までの結論に結びつけられるのは、あまりにも視野が狭く無理矢理という感がいたします。現役の薬剤師達は確かに有機化学や無機化学というものの講義をたくさん受けました。たしかに現在の臨床薬学のような講義はありませんでした。が、現場で必要に迫られ日々臨床薬学の勉強をしております。病院薬剤師も開局薬剤師もこれは同じです。たとえ教育をうけずとも、化学の基礎の上に臨床薬学を勉強することは可能です。現場にいるのですから、ポリクリと同じ臨床の場で、です。

私の主宰する勉強会では、現在の薬学部で行われている臨床薬学のテキストを使っています。たしかに臨床薬学を大学で習った若い世代は、答えをすぐに出してきますが、その根拠や患者にどう説明するのかといったことになりますとからきしアウトの状態です。独学と思われる年輩の世代(化学一辺倒だった世代)の方が現場経験が長い分、的確に根拠を述べ患者に対してどうするべきかを考えられると思います。


MYCONOS

 ですが、私は薬剤師には臨床知識が乏しいから医薬分業が不適当であると言いたいのではありませんし、ましてや医師・薬剤師と対等たり得ないと考えるわけでもありません。上記のエピソードも決して一面的にネガティブにとるべきものではありません。先にも書きましたように薬剤師とは生物活性を持つ化学物質に関するプロの化学者であると思います。薬学教育はそのために何が必要かを優先順位をつけ、教育内容を定め、学生の訓練を計画しているのであると思います。このような教育によって与えられる化学的な知識は医師にはありません、薬剤師の持つ物質としての薬剤に対する知識は医師にないものなのです。ですからお互いに異なる守備範囲を補いあって医療を行うべき存在であるものと思っています。



で、乾先生のご意見を見ていきますと、

全ての患者さんがこうだとは言いませんが、少なくとも慢性病に患っている場合、こういうスパイラルに陥るのは至極簡単なことだと思います。どうして、本屋に行くのか。吉田先生もおっしゃったようにセカンド・オピニオンが欲しいのです。主治医がどんなに言葉をつくして説明をしても、その病院の薬剤師が説明をしても、やはりぬぐいきれないものがあるのです。この先生にかかっていてもいいんだろうか・・・この病院で大丈夫?そもそも診療科が違うかもしれない、先生はもしかしたら「うそ」を言ってるんじゃないか・・・などなど、医者からみれば失礼千万なことを患者は考えてしまうのです。お医者さん達、怒らないで下さい。病気を患った本人でなければわからない精神的なダメ−ジというものは、時としてこういう心理を生むのです。・・・・(乾宣子)

これは当然そうでしょう。医者だって自分や自分の家族が病気になれば治療を受け持ってもらっている医師以外にも相談することは普通であると思います。心理は当然です、問題は誰に相談するか?です。

面分業の薬剤師は、こんな患者さんの心の隙間を埋める作業をしています。その患者の処方内容を知り、病歴を知り、家庭環境を知っていて、専門的な知識もある薬剤師が患者さんの求めるセカンド・オピニオン役を務めるのです。もちろん、薬の話から入りますが、当然病気の話になります。こんな時にいらぬ説明をされてはというのがDrのお気持ちでしょうが、「私は薬剤師ですから、薬の説明はしますが病気のことは主治医にお聞き下さい」では、患者さんはどんな気持ちになるでしょう。「Drに聞けないからあなたに聞いたのに・・・やっぱり本屋に行こう・・・」になったのでは、それまでの薬の説明など何の役にも立ちません。能書の内容を説明するだけなら薬剤師なんかいらないというのはごもっともです。・・・・(乾宣子)

医師の方針・説明に関するセカンドオピニオンは他の医師に求めるべきで薬剤師がそのようなセカンドオピニオンを提供できるとは思いません。意見はしっかりとした理論(ロジック)の上に立つべきものですし、理論はこれまたしっかりとした証拠(エビデンス)の上に形成されるものですから診察・検査をしない薬剤師はその立場にはありません。当然、本屋さんに行っても解決にはならないでしょう。


返書1
アップル薬局:乾宣子


もちろん、医師の領域に立ち入った意見など申しません。あくまで、薬剤師の立場を守った上での意見、アドバイスをしているつもりですが。こういう意見も患者の耳には入れない方がいいとお考えですか?


MYCONOS


病気の話になった時、患者さんの病気に対する不安な気持ちが何なのか、いつ治る?楽になる?この先生でいい?などなどを本人と一緒に整理していき、主治医にどうい>う風にきけばいいのか、何をポイントに訴えればいいのか、次の診察時でいいのか、すぐに電話した方がいいのかetcをアドバイスするのが私達の仕事です。決して病気の説明をするのではありません。主治医から聞いた話が半分しかわかっていないとしたら、通訳をするのです。そして、これは私たちにしかできない仕事です。・・・・(乾宣子)

ここに挙げられていることの殆どは診察時に医師が対応すべき事柄です。これは医師の反省すべき点であるでしょう。このような疑問を患者さんが診察を終わったとき、なお持っているようならそれは医師に問題があります。このような疑問を受けた場合、ご自身で患者さんにアドバイスするより医師に患者さんに説明がよく理解できていない旨連絡してあげるほうが親切だと思います(もっともそんなことをすると患者さんが余計な気を使うことがあるかも知れないというおそれがあることは認めます)。

返書1
アップル薬局:乾宣子

患者さんは自分の不安感がどこにあるのか明確にはつかんでおられないという場合がよくあります。そのもつれた糸を、話ながらほどいていく作業を薬剤師がしているのです。そして、ならば次回の診察で医師にこう言えばどうですか?これを電話で報告した方がいいんですよ。などのアドバイスをするのです。こういうアドバイスが、患者にとっては大きなお世話なのでしょうか?おせっかいでしょうか?たしかに医師に問題があるといえばそうでしょうが、現在の診療時間でこんなに手間のかかる作業を医師はして下さいますか?また、医師がどんなに努力しても、あの診察室の雰囲気では何も聞けなかったというのもまた、患者さんの本音です。


それから、誤解のないように申し上げますと、ケースバイケースで医師に問い合わせるところはきちんと電話もしますし、患者さんが理解できていない旨、ご報告して対応についてご指示をいただくこともあります。薬剤師の立場では判断できない質問の場合、患者さんには「診療に関わることで私ではわからないこともあるので、じゃ、先生に電話して私が聞きましょうね」とお話しした上で、医師に問い合わせをし、どのように患者さんにお話ししたらよいかを尋ねてから、対応することもよくあります。その場で患者さんに電話をかわってもらうこともありますし、あとで主治医から電話していただくこともあります。全て、ケースバイケースです。決して、主治医の知らないところで勝手なことを言っているわけではありません。あくまで、医師と患者をつなぐコーディネーターであるという自覚を持って仕事をしております。薬剤師なんかにされるより、看護婦にやらせた方が臨床を知っているからまだましだとおっしゃるのなら、もう議論をする必要もありませんが・・・・

MYCONOS

「通訳」については危険です、医師間でもカルテを見ずに患者さんの話を聞いただけでは治療・処置の意図・方針を考え違いすることがあります。常に「誤訳」の可能性がつきまといます。文献調査でも翻訳を読むより原典を当たるべきであるのと同じです。


返書1
アップル薬局:乾宣子

これもケースバイケースです。通訳できるものと、できないものの判断はきちんとしなければならないと思います。

MYCONOS
患者さんの本音が聞けない環境でいくら言葉を尽くしても、限界があるでしょう。ですから全く独立した薬局に、患者自身が選んだ信頼できるかかりつけ薬剤師を持つということが、医療の隙間を埋めることに少なからずお役にたてると私は信じて、この仕事をしています。そして、患者がかかりつけ薬剤師を持つために、是非、面による・・・・・・・・(乾宣子)

 ここのところに論理の飛躍があると思います。乾先生の話の流れから考えると患者が本音が医師にぶつけるようにもっていくように納得させることが重要であるとお考えのようで、これは全く正しいことです。でもこれは薬剤師でなければできないことですか?

本音を説明しなければ物事が自分の意図と離れた方向に進んでしまい不満を生じるのは何の世界でも同じです。私は最近医院を建設したわけですが、意図どおりのものになるよう設計段階はもちろんのこと、建設に取りかかっても設計士の方に相談しまっくっていました。こんな当り前のことは、あえて薬剤師でなくても患者さんが信頼できる多少の人生経験のある方に相談すれば適切な助言を受けられるでしょう。


返書1
アップル薬局:乾宣子

あくまで専門職としての話をしています。人生経験のある人に相談するというような内容ではなく、あくまで専門的な話に限ってのことです。薬剤師に何の専門知識があるのか、亀の甲しか知らないくせに、とおっしゃるのなら、これも議論の必要はありません。


MYCONOS


分業するにしても、自分の目の届くマンツーマンが最低条件で、自分の治療方針を理解し、それに沿った服薬指導のできる薬剤師、すなわち専属の薬剤師が必要だと・・・・(吉田均)

先生、「目が届く」「専属」は言いすぎです。先にも書きましたように医師と異なった分野の専門家です(医師は衛生検査技師、臨床検査技師になれます=免許取得の道があります、しかも検査所の管理監督は原則として医師があたる旨の規定があるほどです。しかし薬剤師や看護婦については教育を受け直さない限り道はありません、国試受験に際しても一方の資格を持っていれば免除科目があるということもありません。つまり全く異なる専門家です)、こちらに知識がないのに監督したり支配することは不可能です。『密接に連絡を取り合う=常時双方向のデータフローが確保されている...』です。

これは私の意図がうまく伝わっていません。(1)「治療方針を理解してもらい、それに沿った服薬指導をしてもらうためには個々の患者について『密接に連絡を取り合う=常時双方向のデータフローがある』状態が必要である。そうでないと医師の治療方針伝達だけでなく、逆方向の情報=e.g.患者さんに説明がよく理解できていない旨の連絡などのフィードバックも期待しにくい。(2)そのためには常時顔をあわせ、気心も知れている関係の方が良いであろう。(3)...となれば同じ施設で仕事をすることが best ということになる。院内調剤ということになるだろうが、そうでなくても最低(1)の条件を満たそうと思えば見ず知らずの薬局に処方箋が回ったのでは実現不可能であろうから「面分業」はバツということになろう...です。


返書1
アップル薬局:乾宣子

見ず知らずの薬局に処方箋が回っても、薬剤師はきちんとフィードバック致します。ご安心下さい。密接に連絡を取り合うことは可能です。気心が知れていなくても、プロ同士なのですから、患者について意見を交換することは可能だと思います。何もしょっちゅう食事をしたり、飲みにいったりまでする必要はないでしょう。


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これからの医療において、かかりつけ医とかかりつけ薬剤師は、患者にとって必要不可欠なものであると思います。その両者を患者が本当にこころから信頼してこそ・・・・(乾宣子)

かかりつけ医とかかりつけ薬剤師が顔を合わせればいがみ合うということはもちろん、見ず知らずとかではまずいでしょう。宗教的な語句を引き合いに出すと不適当なこともあるのですが「三位一体」というところが私の理想です。

返書1
アップル薬局:乾宣子

医師と薬剤師がいがみあうという例を私はみたことがありません。薬剤師が医師にあげへつらうのはたくさんみましたが・・・・医師同士、面識がなければ患者さんを紹介できないでしょうか?患者さんが遠方に越されるというとき、どうしても次の主治医に伝えたいことがある場合、これはまずいことでしょうか?医師というプロ同士なら、普通に意見の交換ができるはずです。薬剤師を独立した仕事とお認め下さるのなら、なんら、問題はないはずです。

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先生が「薬剤師は副作用の説明、薬害の防止がお仕事」をおっしゃるのも、先生が医者だからだろうと思います。医者の立場なら薬剤師に期待するものは当然これになるでしょう。が、患者さんが薬剤師に求めるものはもっともっとわがままです。薬剤師は医者と患者をつなぐパイプ役ですから、医者の要求にも答え患者の要求にも答えながら、その患者が最良の医療を受けられるようにコーディネートしていくのがお仕事だと思います。当然「副作用の防止」も含みますが、決してそれだけではありません。・・・・(乾宣子)

前半は私の意見ではありませんね。(注:吉田均の意見)もし薬剤師の業務のメインが「副作用の説明、薬害の防止」であるなら臨床知識の不足が大きな足かせです(もちろんあるにこしたことはありません)。副作用の種類が言えてもその実際の重篤度や治療対象となっている疾患と比較して我慢すべきか(できるか)の判断ができないのですから、無視できるものに引っかかって混乱を招いたり、無視していけないものを見落としたりしかねないからです。

返書1
アップル薬局:乾宣子

こうならないように、日夜勉強いたしております。

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しかし、「副作用の説明、薬害の防止」は薬剤を処方する際にまず医師が考えなくてはならないことです。医師も自分が見過ごしても薬剤師が捕捉してくれるだろうなんて考えて処方してはいけません。ただ人間のやることですからダブルチェックができればさらに好ましいと思うのでその点は分業の利点の一つですが、ここが薬剤師のお仕事のメインかどうかは疑います。。 説明云々ということであれば、副作用の説明以外にもあります。誰が言ったことか知りませんが「患者は診察を終わって30分(15分)たつと、言われたことの半分を忘れる」というのがあります。ですから患者に危害が及ぶような重要なことは繰り返し患者に説明がされなければなりません。このことに関しても「面分業」では不安であるという論はあるのですが(推測してもられると思います)、今はもっと気になることがあるので割愛します。


返信1
吉田均

「副作用の説明」をきちっとしてしている医師はかなり少数派ではないですか?少なくとも私の周囲では稀です。医師の集まりで私が「副作用の説明は・・・」と言うと「とんでもないこと」「もってのほか」「そんなことしたら誰も薬を飲まなくなる」などの言葉が返ってきます。「繰り返し」の説明どころじゃなくて一度も説明を受けていないのです。でも、そのような医者にかかったとしても、面分業であれば薬局で副作用説明を受けることができますね。

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私は調剤業務とは患者さんが服用すべく指示された薬剤を種類・量を正しく選び取るだけでなく、患者毎にコンプライアンスをどうすれば高めることができるかを考えて投与する形態を選び(e.g.賦形剤、矯味剤など)、服用されるまでどのように保存することが望ましいか、どのような時に、どのようなものと一緒に服用すべきか(あるいはすべきでないか)等を考察し、説明することと考えています。これだけではないのでしょうが、ざっと思いつくだけでもこれだけ挙げられます。このようなことは患者さんの肉体的条件だけでなく、精神的な状態・能力、家庭の環境等を考慮することなく行うことはできないと思うのです。このような把握が薬局の窓口ですべての患者に対し十分にできるとは思えないし、できるとしても医師側から事情を流しておける方がより充実した調剤ができると考えて議論しています。

一般うけするからでしょう、薬剤師会などの作る分業啓蒙パンフレットなどにも「副作用の説明、薬害の防止」が目立つように掲げられているので困るのです。分業を「これがメインだ!」と勘違いするから「薬剤師には臨床知識が足らないから分業は不安である」というトンチンカンな反論がでるのです。


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吉田均


「調剤業務とは」のご意見にちょっと物足りなさを感じました。「ざっと思いつくだけ」で本当はもっともっとあるのでしょうが、もしこれだけのことであれば先生のおっしゃる「一糸乱れず速やかに確実に対応できるよう訓練されているチーム」でなくても十分こなせることだと思います。実際のところ、私のクリニックの応需薬局では日常的なお仕事です。カルテを見なくとも上手に説明しています。


「一般うけするからでしょう」の点は誤解です。薬剤師の職能はコンプライアンスを高めることではありません。副作用の説明をせずしてコンプライアンスを高めようとすることに私はある種の危惧感を抱きます。話が飛躍していて、いいたとえではないかもしれませんが「この非加熱製剤はこうこうこういう作用で出血を止めます。現在のあなたの関節内出血を止めるにはこれしかありません。だから是非おうちでも注射を続けて下さいね。」・・・当然コンプライアンスが高まりますね。そしてその結果が薬害エイズ事件・・・・。コンプライアンスを高めるということは大切かもしれませんが、このような危険性もはらんでいることも知っておかねばなりません。副作用の説明があり、他の治療法も考慮し、その中から患者自ら選択し、そして納得した上でのコンプライアンスということが重要ではないでしょうか?


MYCONOS


後半は再び、かかりつけ医とかかりつけ薬剤師が見ず知らずとか顔を合わせればいがみ合うという関係ではまずいでしょう...というところに戻ります。

マンツーマンがこれ以上増えるということは、上記の三段論法により薬剤師の質をどんどん低下させる結果になります。医者にとってこれは、目先のことだけ考えれば安心でしょうが、レベルの低い薬剤師に自分の患者を預けられますか?専門外の薬についてDIを頼もうとしても、答えられない薬剤師しか育ちません。マンツーマンの薬剤師は、その医者の使う薬しか知らないのですから。それでもマンツーマンしか許せませんか?面分業は論外ですか?・・・・(乾宣子)

これは乾先生、ご自身で「キリ」の薬剤師の話をしていらっしゃる。医師も薬剤師も現在の自分の専門以外のことについても常に勉強していなければならないでしょう。もちろん自分の専門外のことには知識の量・質ともに限界があるでしょう。その場合には医師はその専門の医師に問い合わせる/照会するという方法を取ります。薬剤師もそうして悪いとは思いません。

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アップル薬局:乾宣子

マンツーマンの中にもレベルアップを目指しているところもたくさん出て来ました。が、マンツーマンの現状というのは、こういうものなのです。必要がないと人間勉強しなくなります。マンツーマンでも面の処方箋も積極的に受けようとすると、レベルアップをはかりますが、隣の先生の処方箋だけでいいとなると、勉強の必要がなくなります。つまり、専門外になります。往々にしてこれは経営者の方針いかんによるものですが・・・決してキリの話を持ち出したのではありません。

MYCONOS
良識ある薬剤師は、必死で勉強しています。今、薬剤師は「ノアの箱船」に乗れるかどうかの瀬戸際にいます。洪水はもうすぐ始まる。箱船に乗れなかった薬剤師は薬剤師をやめていくのです。・・・・(乾宣子)

先に国家試験の成績をあげましたが、最初からなるつもりのない方々も多いようですが...。

いや、これは真剣に反論して下さらなくて結構です。薬学教育を受けた上で成果を別の道に求めることが悪いわけではありません。薬剤師の道を選ばれた方は多いに精進されるよう期待します。


返書1
アップル薬局:乾宣子

つまり、薬剤師は臨床の場には必要ないとおっしゃるのでしょうか?薬を揃える調剤業務だけをしていればいいんだ、医者の領分にしゃしゃり出るな!ということでしょうか?マンツーマンなら許せるというのは、マンツーマンの薬剤師に何を期待されているのでしょうか?ただ、正しく薬を揃えて、自分のいうとおりの指導をしてくれというのでしょうか?そうだとしたら、あまりにも悲しい時代錯誤としかいいようがありません。