MYCONOS(医師)さんより貴重なメールが届きました。医薬分業(特に面分業)でチーム医療が本当に出来るのか?薬剤師は医療機関内に常駐していなければ、その知識や能力を最大限に発揮できないのではないか?と。MYCONOSさんと私の往復書簡を一つにまとめると以下のようなディスカッションとなりました。さて、読者の皆様はどのようにお考えですか?多数のご意見お待ちしています。(98/5/23)
分業はするべきでしょうが... |
MYCONOS(医師) |
A)医療はチームで行われるものではないのでしょうか?
医師は医師の知識と立場で、薬剤師は薬剤師の知識と立場で薬剤を選択・検討しダブルチェックをかけた上で患者に薬が渡るようになるという点では医薬分業は良いことであると思います。しかし、わからないのはなぜ薬局が病院や診療所などと独立して別個に存在しなければならないかです。
お互いの知識や職能によりチェックしあって、間違いのない高い品質の医療を提供するためには組織的にも経済的にも独立しるのが良いのだ、というのが医薬分業推進派の方々の説明のようですが、これは素直に納得できません。
そう言われるのなら看護婦はどうなのでしょう。看護婦も然るべき教育と訓練を受け、医師とまた異なった職能を担う医療従事者です。
では患者は高い品質の医療を受けるために医師はA先生に、看護はB看護婦に、検査はC技師に・・・とビュッフェ形式の食事のように患者自身が職種ごとに最善と思われる医療従事者を選び、自分で選択したメンバーのチームに治療を委ねるのが理想だと言われるのでしょうか?笑うべき非現実的構想です。
医療はチームで行われるものですから、患者についての情報を共有しているだけでなく、お互いの知識や技能を知り尽くし、とっさの場合にも一糸乱れず速やかに確実に対応できるよう訓練されている医療従事者達でチームが構成されているべきです。
スポーツのゲームを見ていてもわかるように一つのチームで優れた成績を挙げる選手でも他のチームに移籍して同様な成績を挙げることができないことがあります、このことからも容易に理解できることです。
返信1、吉田均 |
貴重なご意見ありがとうございます。医薬分業(面分業)の欠点を見事にとらえ、真面目でかつ理路整然としたご主張だと感心いたしました。
確かにおっしゃる通りで、チーム医療に関しては私には異論はないのですが、それでは今までの病院や医院の薬剤師はその職能を発揮して、チーム医療に貢献してきたかと考えると、私の病院時代の経験では“?”です。なぜそれができなかったか。人手不足で調剤することのみで手一杯になっていることもありますが、処方内容について医師に“進言”できない雰囲気があったことも事実です。医師ー薬剤師の暗黙の上下関係のなせる技なのかもしれませんし、医院の場合はその医師に雇われているという雇用関係のためその雰囲気がより強いものに感じられるのかもしれません。あるいは医師の「態度」に問題があったのかも。分業派が「組織的にも経済的にも独立」を唱える根拠はこのあたりにあると私は思っています。もちろんチーム医療は大切ですが、「薬剤師は医師の助手ではない」というのが私の考えです。それに全国の全医院で薬剤師を雇うとなると「可能かなぁ」とも思います。
<追加98.6.6>
「看護婦はどうなのでしょう」について少し述べさせて下さい。薬剤師を看護婦や理学療法士と同等に見るのか、すなわち医師の指示の下で手足となって働くパラ・メディカルと捉えるのか?あるいは、医師、歯科医師と同等と見るのか、すなわち薬剤師を独立した職種ととらえるのか?と。今までの薬剤師は実質的には”前者”だったと思いますが、本来は”後者”であるべきと私は考えています。(討論とは直接関係はありませんが、医”師”、歯科医”師”、薬剤”師”といずれも”師”がついており名前からは少なくともパラ・メディカルではなさそうです。そして「三師会」という組織も全国各地にありますし・・・・・・。)
返信1、MYCONOS |
まず、医院で薬剤師を雇うことが可能であるかどうかという点ですが、これは院内であろうが院外であろうが薬剤師が調剤をすれば同じ額の調剤料が支払わられることになれば可能です。私には同じ技能を持つ薬剤師が同じ仕事をするのであれば院内と院外で調剤料も全く同じで然るべきであると思います。概算ですが(と友人の薬剤師が教えてくれました、また「医者からもらった薬のわかる本」の著者:木村繁氏のHPにも調剤料の金額が書かれていることも参考になります)1枚の処方箋を処理すると1枚あたり確実に1000円の収入は見込める、従って1日30枚で20日/月の処方箋があれば最低60万円の収入になるとのことです。ま、60万円/月から家賃・事務員の人件費等々を引けば苦しいでしょうが医院と一緒なら話は別でしょう。
返信2、吉田均 |
確かに調剤料がアップすればおっしゃるとおり可能ですね。
返信1、MYCONOS |
医師と薬剤師を隔てる雰囲気については確かに先生の言われるような事実はあると思います、しかしこれが「組織的にも経済的にも独立」によって解消されるものでしょうか。それどころか同じ院内であれば距離的に近い位置にいるわけですから何らかの機会に(あるいは状況に強制され)意見の交換もできるものを「組織的にも経済的にも独立」し距離的にも離れてしまえば医師と薬剤師はもっと離れたものになってしまいます。ことあるごとに医師と薬剤師は相談しあって処方や与薬方法、患者の指導方法を洗練させていくべきではないでしょうか。
返信2、吉田均 |
おっしゃるとおり「面分業」では医師と薬剤師が相談しあって指導方法を洗練させていくのは難しいですね。ただ私は薬剤師の最大の役目を「副作用を未然に防ぐ」に絞って考えておりまして・・・・であれば難しくないのではないかと・・・・ただ先生がおっしゃるように「薬剤師の力量を最大限に引き出したい」とするのであればちょっと物足りないことも事実ですね。
返信1、MYCONOS |
以下はしばらく本題と関係のない独り言ないし愚痴です。理論も何もありません。読み流してください。また医薬分業の議論とも直接には関係はなさそうです。
私は病院に勤務しているあいだ医師と薬剤師は対等であると思っていました、...という書き方をすると妙につっこまれるので説明すると、他科の医師と同様に相談を持ちかけたり持ちかけられたり、あるいはその意見を聞くべき存在であると考えていたということです(今もそう思っております、念のため)。しかし、そのように付き合える薬剤師ばかりでないのが困ったところでした。これは先生の言われるような暗黙の上下関係などというものに由来するものでしょうか?私には「他人の専門分野に口を突っ込むな」という雰囲気に思えたのです。他科の医師どうしではそんな返答をしないのに薬剤師の問い合わせにはこのような返答をする医師がいることも事実で嘆かわしいことですが、だからといってお互いにこれでは困ったものです。
ちょっと話を柔らかい方に振ります、女性の薬剤師を結構多く見かけますが見渡して見て医師と結婚した薬剤師を何人くらいご存じでしょう。そして医師と結婚した看護婦の数と比較して見てください。もちろん病院での絶対数が違いますが、それにしても私の知っている数はあまりにも少ないのです。これは医師と薬剤師との接触がどんなに少ないかということの反映ではありませんか?そのような状態の起源については「鶏が先か卵が先か」という議論に陥りかねませんが病院ですらこの始末です。「組織的にも経済的にも独立」したらどうなるのでしょう(誤解のないように念をおしますが薬剤師の女性と仲良くしたいというセクハラ的願望を述べているのではありません)。
もう話が飛び飛びになって申し訳ありません。これは自身の自戒でもあります。もう20数年以上前になりましょうか、私自身医師になるとも思っていなかった頃のことです。某大学附属病院の薬剤師が、薬局内の雰囲気を評して「外部との接触を絶ち、お互いに先生と呼び合って自己満足に浸っている...」と話してくれたのです。確かに薬剤師であっても大学の薬学部の中では助手クラスでも「○○さん」であって「○○先生」ではなかったそうですから学部の助手から移籍してきたこの薬剤師には違和感があったでしょう(20年以上前のことです、今は薬局が自己満足に浸るため排他的な雰囲気になっているとは思いません)。さて、数年後に私は思いがけなく医師になりました。初めて「先生」と呼ばれたとき私はこの話をはっきりと思い出してしまったのです。「先生」と呼ばれるのは冷や汗が出るほど大変なことだ...他の学部では研究生活を重ねてせめて講師にならねば「先生」ではないのに...。今も白衣を着ていないときに「先生」と呼ばれると居心地が悪いのです。余談です(笑)。 私はもうこの薬剤師のお名前を忘れました、顔も思い出せません。でもこの方は私には「先生」でし た。
返信2、吉田均 |
先生のご性格がよくわかるエピソードですね。
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B)途中ですが中間の結論です--------私の考えはこうです。
医薬分業は行われるべきです。調剤という業務だけを考えても医師が診療の片手間に行ったり、まして無資格者に行わせたりできるものではないと思います。
医師と薬剤師は緊密に相談しあって、薬剤を選定し(早い話が病院に於ける薬剤の採用についての検討会議です、この薬剤はどのような状況で有効か、他剤と比較して優れているのかどうか、現在採用されている薬剤との配合禁忌についてはどうか etc.)処方し、患者の手に十分な説明とともに薬剤が手渡されるように努められなければなりません。
従って、医師と薬剤師は常日頃から緊密に連絡を取り合える(と言うか、取っている)状態でなければなりなりません。ということは患者がどこのどの薬剤師に調剤してもらうのかさっぱりわからないという「面分業」などはとんでもない話です、調剤は院内で薬剤師が行うというのがベストであり、どうしても外部の薬局に出さねばならないという場合でも絶対に「マンツーマン分業」でなければなりません。
返信1、吉田均 |
医師が患者さんに薬について説明する内容と、同じことを薬剤師にしてもらうのだとすれば医師の治療方針を熟知している必要があります。その場合は医師の身近に薬剤師がいなければできませんので、先生のおっしゃる通りだと思います。しかし私は少し違った考え方をしてまして、薬剤師は「薬という”物”」に対しての説明に限定すべきではないかと思っています。この点、異論があるかと思いますが「この薬にはこのような効能と副作用があり、このような症状がでたときには服薬を中止し・・・・」というふうに。言い換えれば、副作用を未然に防ぐことが薬剤師の第一の仕事であると考えてるわけです。そうであれば、病名や、処方医の考えが分からなくても服薬指導ができるはずだと思っています。
返信1、MYCONOS |
非常にそっけない言い方になりますが(ごめんなさい)、そんな添付文書に書かれているようなことを改めて説明するだけなら薬剤師は不必要です。
返信2、吉田均 |
話を突き詰めていけば、たしかに薬剤師以外の者にもできることでしょうね。この点は先生に同意します。ただ、いままでの日本の医療では、この添付文書の説明さえなされてこなかったということも事実でして、現在もまだまだ多くの医師は副作用の情報開示をしていません。だからこのあたりをきちんと説明できるようになるだけでも今までの「古い」医療はかなり変わっていくのじゃないか・・・・・、副作用で苦しむ患者さんも減るのではないか・・・・と。
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C)抽象論ではらちがあきませんので、少し具体的な場合を考えます。
一人の医師が使いこなせる薬剤の数は100から150種類程度であるとかつて聞いたことがあります、自分自身について考えて見てもそんなもの(あるいはもう少し少ない?)です。私は自分が使用する薬剤の添付文書はすべてファイルし、目を通すようにしていますが、それでも100種類余の薬剤について十分必要なことを知っているのか不安に思うことがあります。
調剤薬局ではどうなのでしょう、複数の医療機関からの処方箋を受け付けるとすると扱う薬剤の種類は数100種類に上るでしょう。どなたかが書かれていましたが2000種類が当り前という地方もあるそうです、成分が同じで名称が異なるものやミリ数が異なるだけのものも含むでしょうから実際の種類はもっと少ないと思いますがそれでも100や150種類ではないでしょう。薬剤師の先生方はこれだけ多くの種類の薬剤について必要な情報を記憶しきれておられるのでしょうか?失礼な推測をしているのかもしれません、ごめんなさい、でも記憶されているとしても、学校の1学級の児童数と同じで1学級60人より1学級30人の方が一人一人に目を配ることができるという類推をさせていただいてもいい
のではないかと思います。
返信1、吉田均 |
記憶できるか?に関してはもちろん薬剤師の能力にもよりますが、私は可能と考えております。と言いますのは、添付文書を見られるとよくわかるのですが、ショック、肝障害、腎障害、血液障害、ライエル症候群などの皮膚障害等々どの薬にも共通の副作用が多いですね。だからその薬特有の副作用さえおさえておけば説明可能ではないかと・・・
返信1、MYCONOS |
これは確かに言われるとおりだと思います。これは障害にはならないと思います。
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D) 複数の医師の診療を受けた患者さんにときおり見かけることですが、「先生はそう言うけれど、あの先生はこう言った」と言われることがあり場合によっては対応にてこずることがあります。同じ医局内の医者どうしで起こった場合は一方の医師は他方の医師をよく知っているわけですから、どのような考えで何を言ったかがわかりますのでをよく患者さんを納得させて解決するようにもっていけますが、他方が面識もない医師の場合は何がどうなっているのかわからなくて困る場合もあります。これは解決を誤るとどちらかの医療機関が不信を受けることにもなりかねません。
どの医療機関のどの医師からの処方箋が回ってくるかも知れない調剤薬局ではこのような問題は病院や診療所以上に起こるのではないでしょうか。つまり「医師はこの薬を処方するにあたり、このように説明しこのように注意をしたが、薬剤師の先生はそうは言わずにこんなことを言う・・・」です。やはり統一のとれた説明がされることが患者の安心を高め、治療に熱心になれるのではないでしょうか。
返信1、吉田均 |
病気に関連づけて説明するとこのようなトラブルは確かに起きるでしょうね。
返信1、MYCONOS |
病気に関連づけなくても、副作用として何が起きては困るかということの重点が医師と薬剤師で違えば必ず起こります。また、患者が他に持っている疾患によっても起こる確率の高い副作用は違ってくると思います。したがって薬剤師も患者のカルテを覗ける方が良いと思うのです。 原典は古い薬学雑誌(薬学です)の記事なので現状はそうでないという反論も可能なのですが、薬の効き具合や副作用について誰が実際の知識として誰が一番よく知っているか?という論文を読んだことがあります。そこでは一番が看護婦である、なぜなら毎日患者に薬を渡し、患者の1日を観察し、変化を把握しているからであると書かれていました。次いで医師が挙げてあり最後が薬剤師でした、薬剤師は患者を観察しないし、カルテなどの記録も見ないからです。もちろんかなり乱暴な意見です、でもかなり真実をついています。でも、薬剤師が患者を直接見ることがなかったとしてもカルテくらいは見れる、あるいは見なければならないとなればこうではないと思うのです。
返信2、吉田均 |
薬剤師も患者のカルテを覗ける方がより良いことは認めます。
副作用については、確かに現場で体験し苦労した看護婦が一番知っていると思います。少なくとも今までは。でも、今後は薬剤師が力をつけ、経験を深めれば看護婦や医師をしのげる存在になるのでは・・・・・と。(これはあくまで私の願望ですが・・・)多くの処方箋を扱うようになれば面分業指向の薬剤師でも可能ではないかと・・・・もちろん薬剤師の努力次第ですが・・・
ここからは「絵空事」と笑ってお読み下さい。
「薬剤師の独立性」にあくまでこだわるのは、「数年おきに発生する薬害事件をどうにかできないか」という命題が私の頭から離れないせいかもしれません。もちろん現在の医師ー薬剤師の力関係では、たとえば「非加熱製剤はエイズの危険性がありこの処方には応じられません。別の治療法をご検討ください。」などと言える薬剤師は皆無でしょう。でも、将来は「副作用学(=毒物学)では薬剤師が第一人者である」になって、医師と対等に渡り合える力量を持ってほしいという思いが強くありまして・・・夢物語でしょうか?
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E) 調剤薬局の薬剤師は処方箋を持ってきた患者さんの病名を知ることのできる立場にありません。処方箋に書かれた薬剤の量が適当であり、配合禁忌もなければその薬剤が患者さんの疾患に適当なものでなくても処方箋どおりに薬剤を患者さんに渡してしまうでしょう(つまり医師が薬名を書き誤ったときなどの問題です)。このような誤りに関しては無資格者の事務員でも(カルテを見ることができますから)慣れてさえいれば発見できるかも知れないのに、院外に処方箋を出せば発見できなくなってしまうのです。
返信1、吉田均 |
このようなケースでは、おっしゃる通り面分業ではチェックしきれないでしょうね。ただ、服薬指導の段階で「この薬は高血圧に使われる薬で・・・・云々」「あのー私、血圧高くないのですが・・・」などの会話ができれば上記の処方ミスも発見可能かもしれませんね。
返信1、MYCONOS |
患者さんの病名や症状を知っていれば「より良い」と考えているだけですので他のメリット・デメリットを比較してどの程度でバランスをとるかの問題でしょう、議論の余地があると認めます。
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F) 「服薬指導」という面で医薬分業の利点を説く方がありますが、薬は「服薬」するものばかりではありません。ここにごまかしがあります。「服薬」しない薬については目をつぶっているのです。
「薬の使い方指導」と言い替えてみてください。病院(診療所)内にない調剤薬局で坐薬を挿入する、褥瘡の処置のために外用薬を使用する場合などの指導が口頭だけで十分できるのでしょうか。やって見せれば容易に理解できることでも、言葉だけではなかなかにむずかしく十分に理解はし難いものです。しかし、薬剤師は患者の身体に手を触れるような医行為はできないのではなかったでしょうか、実際にして見せるわけにはいかないのではありませんか?
返信1、吉田均 |
そう言われれば確かにそうですね。でも医院の薬剤師も「医行為」はできないのは薬局の薬剤師と同じだと思います。いずれにしてもこれは医師か看護婦のお仕事になるかと私は思います。それとも分業すると手元に外用薬がないためにやってみせることはできなくなりますか?
返信1、MYCONOS |
この項は医薬分業でも一部にしか関連しないので強調しすぎることは害があると思いますし、先生の言われるとおりです。しかし「服薬指導」という言葉で医薬分業を議論するとここに書かれたような場合があるということを忘れがちになるのではないかと思い指摘しました。
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G) 数年前のソリブジンの事件に見るように同時に服用してはいけない薬剤が処方されていないかどうかのチェックには面分業の医薬分業が有効なように見えます。しかし、これも患者が常に同一の薬局に処方箋を持って行った場合にのみ成り立つことです。しかも病院(診療所)が与薬する度に処方内容を文書で交付し、他の医療機関を受診する際には必ず提示するよう指導しておけば同等の効果が得られるものと思います。
返信1、吉田均 |
確かにきちんとすべての医療機関が情報開示してくれればできることですね。
返信1、MYCONOS |
これは医薬分業以前の問題です。医薬分業だから避けられるというような議論にもっていってほしくないので指摘したわけです。これは今でも何とかできますし、何とかしてほしいものです。
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H)繰り返しになりますが最終結論です。
医師と薬剤師は各々の知識や能力を生かし、協力し合って患者の治療に努めるべきですが、そのためには薬剤師は診療機関内に常駐し、他のco-medicalとも連絡を取り合ってその業務を行うことによって能力を最大限に発揮できるのだと思います。
と言うことは、薬剤師による院内調剤が best、「マンツーマン」の門前薬局が better と思われます。「面分業」などは論外です。
・・・となってしまうと思うのですがいかがでしょう。
返信1、吉田均 |
患者さんのためによい医療をしたいという先生の姿勢はすばらしいです。”面分業”では先生と私は意見が異なりますが、求める医療の原点はもしかして同じではないかと推察いたします。院外より院内調剤の方が、先生の求める「よりよい医療」ができると確信されるのであればそれが一番だと思います。
返信1、MYCONOS |
息が合って、かつお互いに変に遠慮しない関係の薬剤師と仕事ができるのが理想です。そのためにはやはり個人的な付き合いがないとそうなれないのではないかなと思うのです。二兎を追うものは...の諺に対応する英語の諺に Between two stools you fall to the ground というのがあります。患者さんを力を合わせてゆったりとした椅子で支えてあげたい、でもそのつもりで2つの座面をあわせた結果があいだのすき間から落っこちた、ということになっては申し訳ないのではないかと思うのです。
読者からのメール |
病気の子供の親として(薬剤師) |
myconos先生のご意見を興味深く拝読させていただきメールを差し上げます。
今年4歳になる私の次男は、極小未熟児で生まれ、担当医のご尽力により一命は取り留めましたが、生後6ヶ月頃より点頭てんかんの症状が現れ、抗てんかん剤を連用いたしております。次男の状態は、発作の回数も減り、意識レベルも少し上がって参りました。良くも悪くも落ち着きつつあるが、もう少し回復して欲しいと言うのが親としての想いです。今一番苦慮しているのは、完全に発作を無くしたいと思う反面、薬剤の連用による肝機能低下リスクとの判断です。これは担当医とよくよく相談して決めて行くつもりでおります。この様な個人的事情を持っておりますので、私達夫婦は薬剤師という立場より、患者の家族としての意識を遙かに強く持っております。
myconos先生は、「医療はチームで行われるもの」と考えておられますが、此のチームの中には、患者(患者の家族)は含まれておりませんね。患者に病気についての正しい知識、治療方針、具体的な治療方法などの情報を与えることは「百害有って一理なし」などとは、勿論、考えておられないとは思いますが・・・・・・
外来患者の病状を一番把握しているのは、患者本人、一緒に生活している患者の家族です。残念ながら、看護婦でもなければ、医師でも薬剤師でもありません。患者本人や家族を治療チームの一員と思って情報(効能効果だけではなく、副作用まで含めた)を共有していただきたいと思います。
本題の医薬分業について、myconos先生のおっしゃる「統一のとれた説明がされることが、患者の安心感を高め、治療に熱心になれるのではないでしょうか」というご意見は、もっともなことと思いますが、患者の不安や疑問を一つづつ払拭し、患者が納得した結果としての「統一された説明」と、患者に提供する情報を初めから制限し、検閲した「統一した説明」とでは、大違いです。
myconos先生は医師と薬剤師が連絡を取りやすい「マンツーマン分業」でなければならないとお考えのようですが、マンツーマン分業は、「医療側に都合の良い情報」は与えるが、「副作用などの不都合な情報は与えない」ということに繋がらないでしょうか?
患者は自分自身で「医者からもらった薬がわかる本」などを買い求め、自分の服用する薬についての基礎知識を得たり、「患者の会」などで情報を得ます。パソコン通信やインターネットで情報を得ることもできます。私も、遠く長崎大学のホームページの相談コーナーに、「てんかんの外科的治療」について、質問させてもらいました。患者としては、藁をもつかむ思いであらゆる情報を得たいのです。
少なくとも面分業なら、処方薬を受け取るだけではなく、患者は自分の欲しい情報を提供してくれ、且つ疑問や不安の相談に乗ってくれる”患者にとって好ましい薬局”を”患者自らの意志”で選ぶことができると思います。
「日本の官僚は優秀である」といわれておりましたが、血友病エイズ患者に対する厚生省の不手際は、自分たちに不都合な情報・資料は開示しようとしないばかりか、存在さえ認めようとしなかった。世論をバックに新大臣になった政治家の一声で、二日後には出さざるを得ない始末。官僚の諸氏は「主権在民」を痛感されたことでしょう。医療の現場でも、レセプト開示につづいて、やっとカルテの開示義務が法制化されようとしています。法律を作らなければ、開示されないというのは、なんともお寒い限りですが、患者の家族としては、これが「主権在”患者”」の第一歩と、喜んでおります。(5/28)
返信 |
MYCONOS(医師) |
5月29(金)から3日間、大阪で日本皮膚科学会総会が開催されるに先立ち、28(木)の午後に関連行事として市民公開講座が「皮膚のアレルギー」と題して開催されました。これは当然のことながら医師を対象としたものではないのですが、こういうものを聴いておくことは非医師である患者さんが何に関心をもっているかを知り、また経験を積んだ先生達はどのように疾患の実際や理論を聴衆に説明するのかそのテクニックを学ぶという面で役立つであろうと思い出かけました。以前からこれは聴きに行こうと予定していたのですが、偶々、先生から転送されてきた「病気の子供の親御さん」からのメールを読んだ直後でしたので6人の演者の講演を非常に興味深く聴くことができました。
講演のあと、フロアからの質問を受け付けました。当然予測されるように自分の疾患についての質問が圧倒的でした。おいおい、そんなことは現在かかっている先生に聞けばすむことじゃないか?いうような質問が多かったことには考えさせられました。医師が説明しないのか、説明はしても患者が理解(あるいは納得)できるような表現でなかったのか、あるいは説明もなく患者からも説明を求められるような雰囲気ではなかったのか... 座長を始め、演者の先生方は懇切丁寧に答えておられたのですが、その中で座長の先生が質問者に「医者(=病院/診療所)は薬をもらいに行くところではありません、説明を聞きにいくところです」と言い切ったことに妙に感心しました。座長先生は意識されて言われたのではないでしょうが、これは医薬分業の表現です。
説明をしない医者はその務めを果たしていないし、薬をもらえばそれで満足し、説明を聞かずに帰る患者は患者の務め(?)を果たしていないというべきでしょう(これは誤解を招く言い方かも知れませんが患者も治療のチームの一員と考える方になら許してもらえるでしょう)。
現在先生のHPに掲載していただいている私の主張はこの説明が best に行われるためには患者の疾病、既往歴、合併症などのデータを共有するような医師と薬剤師との関係が理想的ではないか? だから...というところにあります(繰り返しになりますので省略します)。ここで転送メールの方へのお返事になりますが、下記の部分で不安があるのです。
少なくとも面分業なら、処方薬を受け取るだけではなく、患者は自分の欲しい情報を提供してくれ、且つ疑問や不安の相談に乗ってくれる”患者にとって好ましい薬局”を”患者自らの意志”で選ぶことができると思います。 |
繰り返しますが、正しい情報の提供には基礎となるデータが不可欠であると思うのです。基礎となるデータが詳細であるほど得られる情報は正確になります。それと気になるのですが「患者にとって好ましい」と「患者が好ましいと思う」では全く話が違いませんか?私としても患者が「患者にとって好ましい」薬局に行ってもらうことは望ましいと思います。
その他、転送メールの方が気にされているチームでする情報の整理というものがあるとしてもそれは検閲という削除・改ざんではなく、提示順序の入れ替えというようなものなのではないでしょうか。良い例ではないですが、例えば妊娠する可能性のある女性に対しては催奇性はトップにも挙げるべき注意事項ですが、可能性のない女性では重要性は低く、男性では限られた薬剤以外は無視されます。患者一人一人で最も重要な関心事項は異なるはずです(良い例ではないというのはこの件は薬局でも窓口で確認できるからです、糖尿病か何かある患者を例に挙げるべきでしょうか)。
患者や家族をチームの一員と考えるのかとのお尋ねには以前にも挙げましたスポーツのチームの例を用いたいと思います。実際問題として新患が受診するごとに異なったメンバーで医療従事者が組むわけではありませんから、医療従事者側のメンバーは既存のものです、患者や家族はここに入団して来て一緒にプレイすることになる新入団の選手ということになるでしょうか。もちろんチームごとの雰囲気や用兵策によって入団してきた選手が全力を発揮できてチームの成績を上げるか、好成績を挙げることができないままに終わるかは当然あり、A選手にとって best なチームがB選手にとっても best とは限らないでしょう。しかし患者や家族が入団するにあたりどのチームを選びその一員にになるか決めるのは全く自由であると思うのです。満足できるチームを選び、あるいは選び損なったと思えば遠慮なく移籍できます。つまりD医師とE薬剤師のチームはE薬剤師は良いがD医師は良くなさそうなのでこのチームはやめてG医師とH薬剤師のチームが良さそうだからこちらにしよう...です。
あー、でもこのようなことは医薬分業以前の問題で、医者から納得のいく説明がしてもらえないなら薬を院内でもらおうが調剤薬局でもらおうが何の違いもありません(例え院内調剤でも薬剤師が follow できるようなことではないでしょう)その場合は薬局がどうこうという以前にためらわず医者を変えるしかないと思います。
ところで吉田先生にこのように質問をすると意地がわるいでしょうか? もし先生が薬剤師で薬局に立つとします。調剤時に患者のカルテを参照できる場合とできない場合で違いがないですか?
医薬分業にとどまらず、良い医療とはを論じる場が必要なのかも知れません。いろいろな方の(メールに限らず、市民講座でのフロアからの質問などもそうですが)診察室の外での声を聞くことは反省や考察の材料になります。良い機会を下さってありがとうございました。(5/29)
返信 |
病気の子供の親として(薬剤師) |
吉田先生 こんばんは myconos先生のメールをご転送いただきありがとうございます。
myconos先生は、インフォームドコンセントに対して昔の医師よりも前向きに対応されていると思います。
それと気になるのですが「患者にとって好ましい」と「患者が好ましいと思う」では全く話が違いませんか?私としても患者が「患者にとって好ましい」薬局に行ってもらうことは望ましいと思います。 |
myconos先生の考えておられる「患者にとって好ましい薬局」は、医師の価値観で判断した「患者にとって好ましい薬局」であるように思います。私の考える「患者にとって好ましい薬局」は患者の価値観で判断した薬局で myconos先生の言う「患者が好ましいと思う薬局」です。なぜ、「患者が好ましいと思う薬局」では、いけないのでしょうか?
「血友病の治療薬が、エイズウイルスに汚染されている可能性がある。」という情報を、「産・学・官」の価値観で握りつぶしたことが、悲劇を生んだ源だと思います。あの時、「患者の価値観」で情報を公開していたら被害者の数はもっと少なくて済んだのではないか思うのは、私だけでしょうか?
薬剤師が患者のカルテ参照する事ができれば、患者は個々の状態に応じた説明が受けられるというメリットがあります。逆に患者は、カルテに書かれた医師の診断(主観)に沿った説明しか受けられないというデメリットも考えられます。米国市民のアンケートでは「誠実な職業人」ベストワンが、薬剤師さんだそうです。医療制度が違うとはいえ、米国の薬剤師がカルテを参照しているとは聞いておりません。米国市民は、どんな価値観で薬剤師を「誠実」と思っているのでしょうか?。(5/30)
返信 |
吉田均 |
現在先生のHPに掲載していただいている私の主張はこの説明が best に行われるためには患者の疾病、既往歴、合併症などのデータを共有するような医師と薬剤師との関係が理想的ではないか? だから...というところにあります(繰り返しになりますので省略します)。・・・MYCONOS |
おっしゃりたいことはよく分かりましたので、ここで、医師ー薬剤師関係を別の方向から、述べさせてください。
まず、医師は病気を治す立場で、薬剤師は「副作用を未然に防ぐ」立場で薬物治療に当たるべきと私は考えています。2つ目として、私は「薬はお金を払った人のもの」との認識で、患者さんは薬のすべてを知る権利があると思っています。3つ目として、患者さん自身が考え、納得する治療を患者自身が選び取る「自己決定権=インフォームド・チョイス」を大切にしたいと。この3つの「考え」から何を言いたいかと言いますと、医師は医師の立場で薬を説明し、薬剤師は薬剤師の立場で説明し、その間にたとえ整合性がなくてもよしとする(このあたりが先生のお考えとかなり相違するかと思いますが)。突き詰めて言えば、医師と違うこと(セカンドオピニオンと言い換えてもいいです)を言うことにこそ薬剤師の存在理由がある、となります。・・・・・従って、医師と薬剤師は薬の説明に相違が生じても互いに受け入れていかなければならない(お互いにかなりの覚悟が必要ですね)・・・・・・・・と。
もちろんこれをやり始めれば医療の現場にかなりの混乱をもたらし、「患者さんに無用の心配をさせない」という温情父権主義と激しくぶつかるでしょうね(実際、上田市をはじめ各地で、トラブッています)。患者さんも混乱しますし、「お任せ医療」の患者さんではついて来れないでしょう。しかしそれでも「しなければいけないこと」と私は考えています。インフォームド・コンセントの過渡期にはある程度の「混乱、トラブル」もやむを得ないと・・・・・・結論になりますが、「“服薬指導”は薬剤師にしてもらうからこそ意味がある。医師や看護婦にはその代理はできない。」ということになります。もちろん、今の日本の医療の現状からかなりかけ離れた考えかもしれませんが・・・・・・
医者から納得のいく説明がしてもらえないなら薬を院内でもらおうが調剤薬局でもらおうが何の違いもありません(例え院内調剤でも薬剤師が follow できるようなことではないでしょう)その場合は薬局がどうこうという以前にためらわず医者を変えるしかないと思います。・・・MYCONOS |
先生のような診療姿勢であれば「病気の子の親」のメールにありましたような「懸念」は払拭されると思います。ただ、いろんな患者アンケート調査を見ますと、残念ながら患者の納得のいく説明は少ないようです。私が薬剤師の独立性にあくまでこだわるのはここに一つの要因があります。すなわち、お任せ医療を何とかしたいという、どちらかと言えば低いレベルでの話でして・・・一方、先生はインフォームド・コンセントをさらに徹底するためにはどうすべきかという高次元なレベルでの議論だと思います。もしかして、この辺の基本的考え方の違いが先生と私が「一致できない」原因になっているのかもしれませんね。
ところで吉田先生にこのように質問をすると意地がわるいでしょうか? もし先生が薬剤師で薬局に立つとします。調剤時に患者のカルテを参照できる場合とできない場合で違いがないですか?・・・MYCONOS |
カルテを参照できた場合はおそらく日々の服薬指導はずいぶん楽(らく)でしょうね。薬剤師にとっては説明しやすくなりますから・・・・それに患者さんの納得も得られやすいでしょうね。ただ、それに流されて安易な説明にならないように注意が必要です。まれかもしれないけど「知ったためのデメリット」ということもあり得ます。言い換えれば医師のカルテを見るとによって先入観が入ってしまい、医師の気づかなかった副作用を、医師と同様に病気の症状と考えてしまうこともあり得るということです(枝葉末節的でしょうか?)。
それと、病気に関連づけて説明すれば、薬のコンプライアンスは上がると思います。これは利点ですね。ただ、その分、副作用の説明がおろそかにならないかと心配もします(老婆心?)。それに、患者さんから病気のことでつっこまれるかもしれませんね(薬剤師とすれば苦手なところですね)。前にも言いましたように、私は薬剤師の第一のお仕事は「薬の安全使用、副作用の防止」と考えていますので、薬という“物”に対しての説明に徹した方がよいのではないかと思っています。したがって、カルテを参照することに必ずしもこだわりません。先生のおっしゃる「bestな説明」ではないかもしれませんが・・・・
医薬分業にとどまらず、良い医療とはを論じる場が必要なのかも知れません。いろいろな方の(メールに限らず、市民講座でのフロアからの質問などもそうですが)診察室の外での声を聞くことは反省や考察の材料になります。良い機会を下さってありがとうございました。・・・・MYCONOS |
今回の討論は私にとってもとても有意義なものでした。先生のお陰でより深く思考する機会が得られました。ありがとうございました。(5/30)
「面分業」の現場薬剤師の声 |
アップル薬局 :乾 宣子(大阪府豊中市、薬剤師) |
「面分業」の現場薬剤師の声もお聞き下さい。
まず、よりより医療とは患者の不安や疑問をできるだけ解決して、患者自らが積極的に治療に参加できるようにもっていくこと。ここは、両者意見の一致するところのようですね。私もそう思います。では、患者の不安や疑問とはどんなものなのか。現場で感じているところを申し上げます。
患者さんは病院でも医院でも常に順番に並んで一連の医療を受けています。病院なら完全に番号をつけられて窓口をぐるぐる回らされます。そして、気がついたら玄関を出て家に帰っているのです。これが不安や疑問の原因です。おわかりいただけますか?患者自身、なにが不安でなにが疑問かわかっていない、が、得も言われぬモヤモヤを持ったまま家に帰ってしまう。そこで、気を取り直して何か解決してくれるものはないかと本屋に行く、「医者からもらった・・・」シリーズを見つける、むさぼり読む、しかし専門的な知識がないから誤解する、余計に不安になる、疑問が沸く・・・・
全ての患者さんがこうだとは言いませんが、少なくとも慢性病に患っている場合、こういうスパイラルに陥るのは至極簡単なことだと思います。どうして、本屋に行くのか。吉田先生もおっしゃったようにセカンド・オピニオンが欲しいのです。主治医がどんなに言葉をつくして説明をしても、その病院の薬剤師が説明をしても、やはりぬぐいきれないものがあるのです。この先生にかかっていてもいいんだろうか・・・この病院で大丈夫?そもそも診療科が違うかもしれない、先生はもしかしたら「うそ」を言ってるんじゃないか・・・などなど、医者からみれば失礼千万なことを患者は考えてしまうのです。お医者さん達、怒らないで下さい。病気を患った本人でなければわからない精神的なダメ−ジというものは、時としてこういう心理を生むのです。
面分業の薬剤師は、こんな患者さんの心の隙間を埋める作業をしています。その患者の処方内容を知り、病歴を知り、家庭環境を知っていて、専門的な知識もある薬剤師が患者さんの求めるセカンド・オピニオン役を務めるのです。もちろん、薬の話から入りますが、当然病気の話になります。こんな時にいらぬ説明をされてはというのがDrのお気持ちでしょうが、「私は薬剤師ですから、薬の説明はしますが病気のことは主治医にお聞き下さい」では、患者さんはどんな気持ちになるでしょう。「Drに聞けないからあなたに聞いたのに・・・やっぱり本屋に行こう・・・」になったのでは、それまでの薬の説明など何の役にも立ちません。能書の内容を説明するだけなら薬剤師なんかいらないというのはごもっともです。
病気の話になった時、患者さんの病気に対する不安な気持ちが何なのか、いつ治る?楽になる?この先生でいい?などなどを本人と一緒に整理していき、主治医にどういう風にきけばいいのか、何をポイントに訴えればいいのか、次の診察時でいいのか、すぐに電話した方がいいのかetcをアドバイスするのが私達の仕事です。決して病気の説明をするのではありません。主治医から聞いた話が半分しかわかっていないとしたら、通訳をするのです。そして、これは私たちにしかできない仕事です。
病院薬剤師の友達がたくさんいます。ある時、病棟担当薬剤師と話していたとき、彼女が言いました。「患者さんの本音を聞き、本当の患者さんの性格を掴みたいと思って病棟の仕事をしているけど、患者さんにとっては私はしょせん、病院の人なんよ。看護婦さんにも医者にも、そして薬剤師にも、”いい入院患者”を演じていて、主治医に言えないことは薬剤師にも言えないって言うのよね・・・」
患者さんの本音が聞けない環境でいくら言葉を尽くしても、限界があるでしょう。ですから全く独立した薬局に、患者自身が選んだ信頼できるかかりつけ薬剤師を持つということが、医療の隙間を埋めることに少なからずお役にたてると私は信じて、この仕事をしています。そして、患者がかかりつけ薬剤師を持つために、是非、面による分業を捉えていただきたいと思います。面で受けている処方でも、必要とあれば主治医に連絡しお話させていただくこともあります。顔を知らなくてもプロ同士ですからきちんと話せますよ。ただ単に、調剤をどこでするかという議論ではなく、患者自身がかかりつけの薬剤師を持つことのすばらしさをもっと議論して欲しいと思います。これからの医療において、かかりつけ医とかかりつけ薬剤師は、患者にとって必要不可欠なものであると思います。その両者を患者が本当にこころから信頼してこそ、医療は実を結ぶものと思います。医療側がどんなにすばらしい技術と知識を持ってしても、当の患者がそっぽを向いていては水の泡ですからね。
医者にも薬剤師にもピンとキリがいます。願わくば、お互いのキリの話を持ち出して「だからだめなんだ!」という議論にはしないで下さい。お互いがピンを目指してこそ、議論に発展があるというものですから。(98.6..4)
返信 |
吉田均 |
面分業で「チーム医療」に取り組んでいる薬剤師の意見を聞きたいと思っていたところです。貴重なご意見ありがとうございます。
実際のところMYCONOSさんのように考えるドクターがむしろ多数派だと思います。分業するにしても、自分の目の届くマンツーマンが最低条件で、自分の治療方針を理解し、それに沿った服薬指導のできる薬剤師、すなわち専属の薬剤師が必要だと・・・(98.6.6)
返信 |
アップル薬局 : 乾 宣子(大阪府豊中市、薬剤師) |
HPへのUP、ありがとうございました。
実際のところMYCONOSさんのように考えるドクターがむしろ多数派だと思います。分業するにしても、自分の目の届くマンツーマンが最低条件で、自分の治療方針を理解し、それに沿った服薬指導のできる薬剤師、すなわち専属の薬剤師が必要だと・・・吉田均 |
今まで、このようなDr達の意見は耳にタコができるほど聞きました。一部の薬剤師も同じことをのたまったりしてますから、確かにこの意見が多数派であることは認めます。が、これはあくまでも医者からみた話であって、患者からみた話ではないと思うのです。こう言うと「医者が患者のことを考えていないとでもいうのか!!」とお叱りを受けるでしょうが、患者さん達とじっくりお話すると先日のメールに書いたような悩みを、皆さんかかえておられます。
医者の説明が、ほとんど患者には理解されていないこともあります。医療訴訟が起こると必ず「説明した」「いや、聞いていない」、でもめているのがその証拠です。患者は医者の前で冷静ではいられないのでしょうね。特に大きな病院ほどその傾向は強いのではないでしょうか?院内の薬局や、自分では選べないマンツーマン薬局は、患者にとって病院と同じなんです。つまり、医者の前にいる気分をそのままひきずっている状態なのです。この隙間を私たちにまかせて欲しいのです。
先生が「薬剤師は副作用の説明、薬害の防止がお仕事」をおっしゃるのも、先生が医者だからだろうと思います。医者の立場なら薬剤師に期待するものは当然これになるでしょう。が、患者さんが薬剤師に求めるものはもっともっとわがままです。薬剤師は医者と患者をつなぐパイプ役ですから、医者の要求にも答え患者の要求にも答えながら、その患者が最良の医療を受けられるようにコーディネートしていくのがお仕事だと思います。当然「副作用の防止」も含みますが、決してそれだけではありません。
40〜50軒の医療機関からの処方せんを受け付けていると、それぞれの医者のくせなどはわかりません。わからないから、患者さんにできるだけ正しくお話しなければならないのです。だから勉強が必要なのです。マンツーマンなら、その医者のくせだけを覚え、その医者が「こう言ってくれ」と言ったとおりに説明しておけばいいのですから、こんな楽なことはありません。楽に毎日を過ごせますから、勉強も努力もしなくなります。当然、薬剤師は堕落していきます。
マンツーマンがこれ以上増えるということは、上記の三段論法により薬剤師の質をどんどん低下させる結果になります。医者にとってこれは、目先のことだけ考えれば安心でしょうが、レベルの低い薬剤師に自分の患者を預けられますか?専門外の薬についてDIを頼もうとしても、答えられない薬剤師しか育ちません。マンツーマンの薬剤師は、その医者の使う薬しか知らないのですから。それでもマンツーマンしか許せませんか?面分業は論外ですか?
良識ある薬剤師は、必死で勉強しています。今、薬剤師は「ノアの箱船」に乗れるかどうかの瀬戸際にいます。洪水はもうすぐ始まる。箱船に乗れなかった薬剤師は薬剤師をやめていくのです。
面分業が進むことによって薬剤師は必ず淘汰され、「街の薬局には真の薬の専門家がいる」という世の中になると思います。これが私の目標とする「面分業」です。お医者さん方、現状だけをみてあきらめないで下さい。のびる可能性を秘めているのは、開局薬剤師なんです。(98.6.6)
返信 |
病気の子供の親として(薬剤師) |
私が患者の親として、myconos先生のご意見にメールを差し上げたきっかけは、吉田先生のHPでmyconos先生が述べられている下記の文面を読んだからです。
複数の医師の診療を受けた患者さんにときおり見かけることですが、「先生はそう言うけれど、あの先生はこう言った」と言われることがあり場合によっては対応にてこずることがあります。同じ医局内の医者どうしで起こった場合は一方の医師は他方の医師をよく知っているわけですから、どのような考えで何を言ったかがわかりますのでをよく患者さんを納得させて解決するようにもっていけますが、他方が面識もない医師の場合は何がどうなっているのかわからなくて困る場合もあります。これは解決を誤るとどちらかの医療機関が不信を受けることにもなりかねません。 |
ここでmyconos先生が御心配されている事(医療機関に対する不信感)を私たち夫婦は体験いたしました。
妻は、F病院産婦人科で長男を出産いたしました。3年後再度F病院産婦人科に受診。今度の担当医は産婦人科部長でした。定期検診も欠かさず受けておりました。8月末の6ヶ月検診では、記念のエコー写真を貰ってきました。私は母子共に順調なものと安心しておりました。
9/19深夜、突然出血が始まりました。F病院に担ぎ込み、当直の産婦人科医A先生が内診応急処置後、新生児ICUのあるM病院へ救急車で移送される事になりました。なんとA先生と看護婦さんも救急車に同乗してくれました。それほど危ない状態だったのでしょう。
移送されたM病院で、帝王切開を受け、母子共に一命を取り留めることができました。妻が退院する日、M病院の産婦人科部長先生から色々ご説明を受けました。その中で早産の原因は「前置胎盤」によるものだが、ちゃんと定期検診を受けていたのだから注意を受けていたはず・・・・、母子手帳をめくりながら次の言葉が出てこない。しばしの沈黙の後、「次の子供が出来たら、僕の処にかならず来るんだよ。」
次男は、4ヶ月後退院出来ましたが、新生児脳内出血の後遺症で、脳性麻痺とてんかんを発症しております。発作で泣き叫ぶ次男を抱いて、せめて後2週間胎内にいられれば・・・・。前置胎盤が検診で判っていれば・・・・・という悔しい想いでいっぱいです。
妻の友人(F病院の職員)によると、A先生は、M病院に勤務経験があり、M病院の産婦人科部長先生から次男の件で何らかの連絡があったようだ。A先生は、次男の件でF病院産婦人科部長に、かみついて大喧嘩になり、F病院の産婦人科部長は科内の職員に箝口令を発したそうです。
医者と言えども所詮は人でしかありません。見落としもすれば、結果として間違った診断もします。しかしミスを認めず、箝口令を布いてまで有耶無耶にしようとする保身的姿勢は、人として最低ですね。チームの和を乱したA先生は、他の病院へ飛ばされてしまいました。
myconos先生は、「統一のとれた説明がされることが、患者の安心感を高め、治療に熱心になれるのではないでしょうか」。そのためには医師と薬剤師が連絡を取りやすい院内投薬、分業するならば「マンツーマン分業」でなければならないとお考えのようですね。
私は次男の出生時に、もし、M病院でもF病院でも先生の理想とされる「統一のとれた説明」を聞かされ、そしてF病院の職員に友人などおらず、病院内のゴタゴタを知らずに済んでいたら、どんなに心安らかであったろうと思います。こんな体験をさせられた私には、myconos先生の理想とされるチーム医療の裏側には、院内に箝口令まで布いたF病院の産婦人科部長と同じ、密室主義・患者不在の医療体質が隠れているように見えてしまいます。
吉田先生は、よしだ小児科クリニックの患者さんが見る可能性もあるホームページ上の「医薬分業・私的考え」で、実例を上げて自らの調剤ミスを認めておられる。これには正直いって驚きました。ホームページを見て、吉田先生は「頭の中が真っ白」なんてことがあるのかと不信感を持つ患者もいるでしょう?、自ら自分の非を認める事は、大変な勇気のいることだと思う私と同じように「この医者なら信頼できそうだ。」と思う人もいるでしょう。私にとって残念なことは、よしだ小児科クリニックの場所が石川県では遠すぎて次男には通院できそうにないことです。
myconos先生もご指摘のように、私も面分業だけが患者に対する情報公開だとは思いません。面分業は、医療情報公開のひとつのステップでしかないのです。しかし、ひとつのステップさえ容易に踏み出せない日本の医療は、かなり病んでいると思います。(98.6.8)
「面分業でチーム医療が出来るか?(2)」 へつづく