研修会の講師を頼まれて

生涯教育研修会の講師としての一日を日記風に書いてしみました。


  一昨日、平成10年10月4日(日)岐阜県薬剤師会の生涯教育研修会の講師として大垣市に行って来た。前日の土曜日に講演の予行練習をするつもりが資料づくりに追われ、夜はテレビで「ジュマンジ」を見始めたらおもしろくて止められず、結局、翌朝出発前にすることにした。発表内容の原稿をあらかじめ作り、言いたいこともすでに頭の中に入っているはずだが・・・それにスライドもあるし、今更暗記しなくてもノー原稿で十分行けそうなものだが・・・・元来、言語中枢の機能が悪いためすぐトチル、言いたいことを忘れてしまう、何を話しているのか途中で分からなくなってしまう、など人前で話すことを苦手としてきたので自信がないのだ。

  朝7時に起きて、さっそく暗記に取りかかった。1時間ほどで自信がもてる状態になったので「これで大丈夫だ!」と晴れやかな顔で言ったところ、横でアイロンをかけていた家内が「じゃー、最後に声を出してやってみたら・・」上手にできることを家内にも示しておかなければならない。自信を持って「スライド1・・・」と始めたところが、初っぱなからトチル、つまる、忘れるといいとこなし。家内は「もっとメリハリの利いた話し方にしたら・・・何を言いたいのか分かりにくい。」「それではこんなふうに・・・」「まぁ、さっきよりいいわ。」「ではスライド2・・・」というふうに進んでいったが満足にできたスライドは一枚もなし。途中に起きてきて、聞いていた5歳の息子は「なんか・・・むかし話みたい。」「それどういう意味や。」顔つきからすると{良くない}と思っているらしい。ますます自信がなくなってきた。ところが最後の5枚はなぜかうまくいった。開き直ったのが良かったのか。要は気持ちの持ち方なのかもしれない。「パパ、上手やねー。」息子に誉められやっと自信を取り戻す。

  しらさぎ6号に乗っておよそ2時間、関ヶ原を通り越し、もうすぐ大垣市だ。北陸は曇っていたが、こちらはさわやかな秋の空。   本論の前に冗談ぽい話を入れると演者、聴衆ともリラックスできかつ一体感が得られ、話に集中してもらえるとどこかに書いてあった。昨夜、何かいいネタはないかとインターネットで探したところ、石田三成は天下分け目の戦いを前に{不安と期待を抱いて}大垣城に入り、そこを本拠地とした、とあった。決戦当日、大垣城より出陣し、朝靄がはれて両軍の布陣を見た三成は「勝った!」と内心叫んだとのこと。この故事と今の自分の気持ちを織り交ぜて話せばうまくいくかもしれない・・・・

  大垣駅には岐阜県薬剤師会の園部裕康さんと近藤剛弘さんが改札口にお待ちであった。どのような薬剤師会なのだろうかと心の底では少し心配もし不安だったのかも知れない。お二人にお会いした瞬間にほっとした穏やかな気分になった。お二人の顔立ち表情には聡明さが溢れ、心許せる旧友に再会したような印象を受けた。講演の前の嫌な緊張感がスーッと消え失せ、むしろ大垣駅前のしゃれたお花のプロムナードをスッキップしたい気分にさえなった。お二人とも研修運営委員で、園部さんはメールで講師依頼をされた方、近藤さんは昨年(97年)の朝日新聞の記事で私のことを知り、運営委員会でぜひ講師にと提案された方でした。ホームページを作らなければ彼らと知り合う機会などなかったのに・・・・不思議なご縁・・・インターネットの計り知れない力を感じた。

  3人で昼食をとった後、園部さんのお車で会場の大垣女子短期大学へ向かった。控え室に通されると、会長、副会長、運営委員の方々、大垣支部の方々と次々とご挨拶に来られた。ここで名刺交換となるところが、一方的にいただくだけ・・・・なんと忘れてきてしまったのだ。もっとも、スライドを忘れるよりはズーッとましだが・・・講演を終えられた岐阜薬科大学の永瀬教授からダイオキシンの話をお聞きしていたら、「お願いします。」と。

  会場は120名ほどの薬剤師でほぼ満席状態。皆さんは朝からのお勉強でかなりお疲れのハズ。しかし、そのようなご様子はまったくうかがえない。やる気のある雰囲気が伝わってきた。過分のご紹介をいただいたあと、電車の中で作った「三成」の話で少し気分を和らげ、すぐ本題に入る。私に与えられた時間は2時間。話し下手の私にはそんなに長時間も関心を引きつけておく自信は全くなかった。そこで趣向を変え、「医薬分業に関する20の否定的意見」を研修会に先立つ1ヶ月に出席予定者に送り、ご自分ならどう反論するかあらかじめ考えていただくことにした。その上で会場での私の「反論」をお聞きになったあと、1時間かけてディスカッションの手はずとなっていた。20枚のスライドを1時間でこなすにはスライド1枚につき3分。トチっている暇はない。でも不思議なことに焦りや、気後れは全く感じない。私の分身が勝手にすらすらとしゃべっている感じ。何か不思議な時間が過ぎていく。途中で調整をしたわけでもないのに、1時間きっかりでしゃべり終えた。いつものトチリは1度もなかったように思う。こんなことは初めての経験だ。

  後半のディスカッションも時間が足りないくらいであっという間に1時間が過ぎてしまった。あらかじめファックスでいただいたご意見ご質問に答えた後、会場での討論となった。でも私の発表に対する質問はほとんどなく、これは私の「反論」が出席者の方々のお考えと一致したのか、あるいはご理解いただけたためか・・・ご質問の多くは、分業に対する医師側の無理解、分業が進展しないもどかしさ(大垣市の分業率はかなり低いとのこと)に集中した。大垣支部長の國枝正憲さんは「言いたいことが胸の中にもやもやいっぱいあって、何から話していいのか分からないくらいです。」市の基幹病院では分業の話は何度か出てくるのだが、その都度いつの間にかどこかで立ち消えになってしまうとのこと。4時きっかりに終了。ファックスでいただいたご意見を全部披露できなかったことがちょっと心残りも、自分なりに責任を果たせた思いでちょっといい気分。

  近藤浩康副会長と研修運営委員4名、事務局の方と夕食をともにし、各薬剤師の分業論をお聞きし歓談ののち大垣市をあとにした。9時過ぎに帰宅したら、大垣市の薬剤師田丸敏広さんより早速メールが届いていた。以下に紹介します。(なお、講演内容、薬剤師の意見は土岐市での講演11月8日が終わりしだいアップロードします。)

田丸薬局(田丸 敏弘、大垣市、薬剤師)
今日先生の講義を拝聴しました。先生の分業に対する思い入れと我々薬剤師が日ごろ感じている疑問が一気に同調したように感じた2時間でした。日ごろより大蔵省などの見解などを耳にしますと我々薬剤師はこれからの医療に必要とされない職種であるのかな〜などと独り卑屈になる日々でした。先生の明確なる御答弁により勇気付けられた、若手を含めた多くの薬剤師がいたことをご報告して、お礼の言葉に変えさせていただきます。貴重なるお時間を頂きましてまことにありがとうございました。お体にはお気をつけになって、患者のための医療にまい進されることを切に願って、お礼の言葉とさせていただきます。