重篤な副作用の説明ができますか?


ドクターの勉強会などで、私が「副作用の説明云々」などと発言すると「とんでもないこと」「もってのほか」「そんなことしたら、どんな薬も処方できなくなる。」などと言われることが多い。多分、その理由として、副作用情報を伝えることの理解がまだまだ浸透していないということと、説明すれば薬を飲まなくなるという心配が先に立つからでしょうね。分業の場合でも、上田市でのトラブルのように、ドクター側には「薬剤師は、患者さんに余計なことは言っては困る。」という考えが、今もって根強いようです。


医者が患者をだますとき」ロバート・メンデルソン

患者向け添付文書として、薬の副作用と禁忌に関する情報を開示することは求められても、製薬会社は反対する必要などない。反対はすでにアメリカ医師会が行ってくれている。医者は「患者との信頼関係が損なわれてはいけない」という名目で、患者に副作用をかなり控えめな表現で伝えるか、あるいは完全に隠し通したままなのである。医者がよく口にする言い分はこうである。「患者に薬について説明していたら、いくら時間があっても足りない」「患者が副作用についてすべて知ってしまったら、薬を絶対飲まなくなる」医者が守っているのは患者本人でなく、患者との信頼関係であり、しかも、その関係は患者に本当のことを知らせないことで成立している。医者と患者の信頼関係というのは、患者の盲信に依存しているのである。


大阪で開催された第一回医薬ビジランスセミナーに出席したドクターから聞いたのですが、ある「患者の会」の方が「できるだけ正確に、ありのままの薬の情報を提供してほしい。」と発言されたとのこと。「医師は忙しい」は理由にならないとのフロアからの発言もあり。会場の雰囲気は、情報提供は薬の添付文書に近いものにすべきとの考えが大勢を占めていたとのこと。患者さん側には、薬の副作用情報を受け入れる準備ができつつあるように感じられますね。勿論、患者さんによって程度の差はあるでしょうが・・・。

「薬の情報開示」の重要性認識が、ドクターのあいだにも徐々に広がってきています。「副作用」の説明も積極的にされているドクターも増えてきました。インフォームドコンセントに積極的に取り組み、マスコミにも何度も登場されている桜井隆氏は「 ホームページ:さくらいクリニック 」で次のように述べています。「患者がクスリに関して不安や疑問をもち、内服を中止したとしても、それを医療者に伝えてくれれば一歩踏み込んだ対応、すなわち、クスリを中止するか、変更するか、説明し納得して続けてもらうか、他の治療法を選択するかといったことが可能になり、決して治療は中断しない。十分な副作用と効果(リスク&ベネフィット)の説明がなされた上で、患者が服薬を希望しない場合は、医療者は薬物療法以外の治療法を患者に示した上で、そのリスクともども患者に納得して選択してもらう必要がある。」

97年4月から、薬剤師は「薬の効果、副作用を説明する義務」が法律的にも課せられました。しかも、高松高裁では、「重篤な副作用こそしっかりと説明すべきである。」との判決文が出ました。「万に一つのことだから」ではすまされなくなってきたようです。副作用などの情報開示に向けて時代は大きく変わろうとしています。薬の恩恵を受けるのも患者さんなら、副作用に苦しめられるのも患者さんです。(「医者にメス」、「医療の目安箱」)特に命に関わる重篤な副作用は、患者さん自身が早期に異変に気づき、まず服薬を自主的に中止することが最も重要です。それには患者さん自身がその初期症状を十分に理解しておかなければなりません。


投与する薬の数は最小限にせよ。

ドクターズルール425(医者の心得集)クリフトン・ミーダー著・福井次矢訳、南江堂


ところが、多くのドクターはその伝え方が分からず、「ショック」などの重大な副作用を説明しても、患者さんに強いインパクトを与えすぎると考え、説明できずにいます。そして、一般的な眠気や胃腸障害などの説明しやすい副作用のみになっていることが多いと思われます。分業の場合でも、薬剤師は、このようなドクター側の考えにしばられてしまい、消極的になっている方もいるのではないでしょうか。

確かに、「この薬を飲むとショックが起きることがありますのでお気をつけください。」では誰も薬は飲まないでしょう。しかし、最近は薬剤師の説明技法にも工夫が見られるようになってきました。その一つは「ショック」などのインパクトのある言葉を使わず、マイルドな表現を心がける。二つ目として、初期症状の説明の方が、早期発見のためにも大切ですので、たとえば、「皮膚がかゆい、蕁麻疹が出る、唇が腫れる、くしゃみや咳が出て、息苦しい等々」の患者さんに受け入れやすい表現を用いる。そのための薬剤師向きの各種の服薬指導情報集も出版されており、最近は「重大な副作用回避のための服薬指導情報集」薬業時報社という本も出てきました。重篤な副作用の説明方法の実際が載っています。三つ目には副作用の説明のための「枕詞」を、それぞれの薬剤師が工夫したものを用いています。尚、ご参考までに当クリニックの応需薬局では次のような表現を用いています。

病気を治すためには、これはよく効くとてもいい薬です。ただ、どんなに優れたお薬でも、からだにとっては異物です。ごくごくまれに体との相性が悪く、過敏反応が現れることがあります。滅多にないことなんですよ。でもその初期症状を知っておくと、ひどくならないうちに発見でき、手遅れにならないうちに早く治ります。薬の副作用は誰に出るかは飲んでみないとわからないというのが実状です。だからといって、飲まなければ病気が治りませんし、悪化するかもしれません。そこで、万に一つの副作用にいかに対処するかが大切です。それには早期発見しかありません。今から説明することは、きっと今までお医者さんから聞かれたことがないと思いますですので、驚かれるかもしれません。お医者さんは、心配されると思って意識的に説明して来なかったのです。でもその初期症状を知っておくのと知らないのとでは大違いです。例えて言いますと「知っておくということは、生命保険にはいること。」保険と同じように安心のためにお聞きください。


このように薬剤師は、患者さんが過剰に心配しないようにいろんな工夫をしています。ほとんどの患者さんは、冷静に受け止め、納得されて服薬されます。ただ、まれに、特に心配性の方が服薬を迷う場合があります。ドクターに相談に行くかもしれません。その時は「薬剤師が余計なことを言って!」などとおっしゃらずに、薬剤師の説明をフォローしていただければありがたいです。また、患者さんによっては冷静に受け止められても、「症状が軽いのに、ここまでの薬は・・・」と考えて、薬の変更を希望されるかもしれません。いやがらずに相談に乗ってあげてください。さらに、ドクターのお手を煩わせることがもう一つ増えます。それは、病気の症状を副作用の初期症状かと心配して、問い合わせが増えることです。これも副作用を未然に防ぐためにはある程度必要なことです。是非ご理解のほどお願いいたします。

桜井隆氏より早速メールが届きました。ありがとうございました。

こんばんわ。さくらいクリニックホームページより引用していただきありがとうございます。私の一番言いたいところを捕らえていただいてうれしく思います。すなわち、薬の副作用情報を提供した結果、患者さんが心配して内服を止めたその後どうするか、ということです。副作用の情報提供がコンプライアンスを悪くする、という医療者は、患者さんが内服をやめたあと二度と来院しない、「心配で薬を止めたなどと言ったら医者にしかられるから二度といかないでおこう。」という患者ー医療者関係であることを自ら認めているに他ならないのです。心配でやめたあとどうするか、副作用かな?と思ったあとどうするか、そこで患者さんがもう一度来てくれれば、次にどうするか相談できるはずです。今までに医療になかったのはこの次にどうするか、の相談です。そこで薬を飲まない場合の不利益と利益、薬を飲んだ場合の利益と不利益、この4つを比較検討して患者さんがどうするか決定するのに必要な情報提供とアドバイスが我々医療者の専門家としての仕事と考えます。なかなかそこまで到達するには医療者、患者ともに努力が必要とは思いますが。これからもよろしく。        さ くらいクリニック 桜井 隆




薬剤師・乾宣子氏 より「副作用の説明」について貴重なメールいただきました。ここまで出来る薬剤師だと、医者から見ても、とても頼もしい!プロフェッショナルな薬剤師はここまでやっていることを、読者の皆様に知っていただきたい。




大変ご無沙汰いたしております。その後、ますます活発なネット活動、いつも拝見しております。さて、11月末(97年)にUPされた副作用の伝達の件で、少し思うことをメールさせて下さい。


私が仕事をする上で、常に忘れてはならないと思っている事柄があります。それは「この患者さんは私の身内だ、と思うこと」宝塚市立病院薬剤部に入局したとき、プロパー出身の薬局長がこの言葉を下さいました。プロパー出身の彼は、全く調剤経験がありませんでした。しかし、薬局長というからには調剤を勉強しなければならない。その時、全ての処方せんを自分の親、子供の薬だと思って調剤にのぞむことを心がけたというのです。病院の薬剤部というところは1日に何百枚という処方せんを調剤します。1枚の処方せんを錠剤係り、散剤係り、水薬係り、鑑査、などなど、たくさんの人間の分業により作っていきます。ともすれば、処方せんの向こうに”これをのむ人がいる”ということを忘れがちで、ついつい”処方せんを処理”してしまうのです。病院薬剤師が最も陥りやすい危険な状況です。それを、まず入局してすぐに戒めて下さった薬局長に、本当に感謝しています。この一言があったから、薬剤師を一生の仕事とすることができたのだと思うのです。



さて、前置きが長くなりました。本題に入りましょう。もし薬をのむのが自分の親、子供だったら、そして自分が薬に対して何の知識もないシロウトだったらと考えてみて下さい。医者にかかったら、どんなことを知りたいでしょうか?


これは、薬の知識の大小にかかわらず誰でも思うことでしょう。ICが声高に叫ばれたり、情報提供などという言葉がさも新しいことのように言われていますが、ちょっと考えてみれば大昔から医者にかかる患者の不安、疑問、本当に知りたいことはこういうことなんですよね。少なくとも、患者さんの苦痛を何とかしてとってあげようと思えば、こういう不安や疑問に答えることも、当然のこととしてとらえるべきだろうと思います。どうして、これまで「黙ってのんでろ!」式の医療がまかり通っていたのでしょう。その方が不思議でしょ?



となれば、 この薬はこれこれこういう作用を持った薬で、だからあなたの今の病状に対してはこういう理由で処方されているんですよ。と、まず、処方の理由と服薬の必要性を理解していただいてから薬は両刃の剣になることもあり、病気を治す作用もあるが、同時にいらない作用をすることもあり、これを世間では副作用というのです。というふうに、副作用をいう言葉に対する不安をとりのぞいて、この薬をのむと、これこれこういう症状が起こることがあるかもしれないと、副作用の説明にはいり、そして、忘れてはならないのは、そういう副作用が出たときの対処法をきちんと伝えておくということだと思います。


もしも副作用が出たとしても*薬をのむのを止めてすぐに主治医に連絡する*しばらくすると慣れてきて治まる可能性の強い副作用だから、様子をみながらもう少しのんでみて、どうしてもがまんできなかったら主治医に相談すればいい*次の診察時に主治医に相談するETC・・・・などなど、副作用の重篤度、緊急性などによっての対処法をできるだけ具体的に伝えておくと、患者さんは副作用があることを納得した上でも、なお安心して毎日の服薬ができるのではないでしょうか?自分の家族が口にいれるものなら、これぐらいは教えて欲しいと思いますし、副作用はわかったけど、もしそうなったらどうなるの?という疑問を残したままでは、新たな不安がわいてきます。


薬を口にいれるのは医者でも薬剤師でもない、何も知らない患者なのです。何も知らせないまま、人の体に毎日侵襲を加えるというのは、とても無責任な行為です。考えようによっては、暴力とも言えるのです。正直な話、自分がのむ薬は、能書の隅々まで調べ上げてからでないといやだというお医者さん、いらっしゃるんじゃないですか?なのに、患者さんにはMRさんのいうとおりホイホイ出してたりして、うまく値切れたから、大量に在庫があるから、でホイホイ出してたりして。こっちの薬の方が儲かるから、でバカスカ出してたりして・・・もし、そうだったらそういう診療は暴力そのものでしょう?副作用が伝えられないというお医者さんは、まさかこういう人達?患者のための医療?医者の権威医療になってしまったのでしょうか?出来高制度の弊害かもしれませんね。いずれにしても、ゆがんだ医療を何とかしなければならないと思います。医療は100%患者のためだけにあるのです。それ以外の目的は、何もないのです。COMLという団体が存在しなければならないこと自体、何かがおかしいのです。(私はCOMLの応援者です。誤解のなきように・・・・)作者注:COML、代表・ 辻本好子氏、”賢い患者になりましょう”を合い言葉に活動している団体。



更に付け加えますと、服薬指導をする際に、私はまず、この患者さんは服薬に関してストレスを感じていないか、ということを探るようにしています。その上で、何に重点をおいてお話するかを決めていきます。患者さんの求めるものはそれぞれに違い、本人もそれに気付いていないことの方が多いので、うまくヒットすれば患者さんの表情が変わっていきます。あまりしゃべらなかった人が、次々質問をしてくるようになります。やった!の瞬間ですよね。


これに到達するために必要なのは、実は薬や治療に対する知識なのです。知識があった上に、やさしさや愛想や気遣いがあって初めて成り立つのではないかと思うのです。どっちが先かと言えば、「知識」です。知識がしっかりしていて、気遣いを怠らなければトラブルを起こすようなことにはならないと思うのですが・・・


薬剤師の仕事の中でもうひとつ大事なことは、薬を渡すという行為が一連の医療のサイクルの中の最後のパートであるという意識です。開局の場合、医療機関と離れているために医者の仕事との連携を忘れがちです。たとえ処方した医者を知らなくても、「この患者さんはまず医者のところに行ってそこの看護婦さんや、検査の人や、その他いろいろな医療従事者のもとで治療を受けてその結果、薬物治療も受けることになりここに来たんだ」ということをいつも頭においていれば、この1枚の処方せんに至るまでの経緯を意識して話ができます。この処方せんに至るまでの、たくさんの医療従事者の仕事を尊重するという意識がとても大切です。また、患者さんは必ずその道をたどってきているのですから、患者さんの気持を察する上でも重要なファクターです。



「薬剤師はコミュニケーションのとれない医者の処方に対する説明は出来ない」と医者の側からもよく言われますが、私は違うと思います。お互いプロ同士なら、面識のない医者の処方であってもなんら恐れることはないのです。医療人はすべて患者のために働くプロなのであり、薬剤師は医者の助手ではありません。”医者の指示で行う薬の説明が本当に薬剤師の仕事でしょうか。それなら、医者が時間を作ってすればいい、看護婦さんでもできる、になりませんか?「時間がないから、看護婦さんも忙しいから、じゃ、薬剤師さんやってくれる?」は違うでしょう?プロに求められる能力はとてつもなく大きい。特に医療に関しては命を預かる仕事ですから、何にも増して厳しいものです。薬剤師自身がこの事の重大さに気づいていないのではないかと思います。(97/12/14)