全国から寄せられたご意見、ご感想(20)



1)「薬剤師は信頼できるのか?」

MYKONOS(医師)


お久しぶりにメールを差し上げます、開業して4年めとなる年になりました。ずっと分業でやってきていたのですが、最近だんだんと分業について話すのがおっくうになってきてしまいました。      

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最近の薬価の動向もあるのでしょうが、開業当初から医薬分業をしています私のところに分業の得失を尋ねてこられる先生方も増えてこられました。そこで悩むこともあるのです。

大雑把に言って経済的な疑問(自分で検討できることでもあり最近はあまり聞きません)を除けば質問の重点は(1)「患者が嫌がらないか=面倒がらないか?」と(2)「薬剤師は信頼できるのか?」の2点に絞られます。

(1)に関しては私自身アンケートをとって見ましたが、稀に「面倒だ」「多少高くつく」という苦情は聞くものの、分業にしていたために患者に逃げられたというような経験はありません。よほど医院や患者さんの居住地の近くに薬局がないというような状況でさえなければ障害にはならないでしょう。

(2)が問題です。医師にもいろいろなのがいるわけですから、それを棚に上げて薬剤師の批判をするのもためらわれるのですが分業を論じる際には避けて通れません。何せ、薬剤師が信頼できないということになれば分業形態の如何を問わず分業自体が成り立ちませんから。で、薬剤師とは何か(->どんな教育や訓練を受けた人達であるか)ということになります。


これに関しては開業している医師達だけでなく大学にいる医師達や(学生達も?)同様らしく、私の出身医科大学の生協書籍部でも薬剤師関連の本が並ぶようになりました。最近では「日本の薬学教育」(林一著)という本が何冊か並んでいます。帯には「薬剤師教育が変われば医療は変わる」とあります。内容の大半は私も知っているか推測できていたことですが、このような本を読んだ上では(現在の日本の)薬剤師とは何かと考える医師にも結構厳しいものがあります。

例に挙げたこの本のテーマは巻頭にありますが次のようなものです。

 薬学部の教授達には臨床の(というか実際の調剤・投薬)の経験がない人が殆どである。医学部に限らずおよそ臨床医学に関連する教育施設では考えられないことだ...他分野で例えば航空機の構造や空気力学ばかり教えていて操縦の実習をしない、教官にも操縦の経験がないなどというパイロット養成所を卒業したようなパイロットの飛行機に乗ろうなんて人がいるだろうか。そんなものは役に立たない。


それだけでなく、薬学部での教育自体が薬剤師養成という方向を向いていないのではないか?

 20年程前のことであるとはことわっていますが、「東大の教官が学生に薬剤師国家試験を受けるなと勧めているのに受験する、と嘆いていた」書かれています。実際、国立大学薬学部の学生は受験しても国試合格率が高くないのは事実でした。医療人としてでなく研究者としての道を進む道を選ぶ学生が多いからでしょう。ということは学部での教育内容もそれに見合ったものだろうと推測されます。私自身同じような言葉を別の国立大学薬学部の教官から聞いたことがあります。


正直言って真面目に分業を考えようとしている医師にとっては理想として漠然とはしていますが内科や外科というような診療科と肩を並べる薬剤科を考えているようです(独立した薬局を構えて患者に対応するとあれば医科の各診療科と比較されて当然です)

日常は調剤業務を依頼するのが主でしょうが「薬の専門家」ということであれば症例検討会やCPCにも同席し、各々の症例について薬剤の選択や効果の判定について適切な意見を述べられる医療人であってほしいと...。そんな実力の相手であれば信頼して処方の相談ができますし、尊敬もできるということです。


しかし医療の場での経験を持たず、学生にもそれを勧めないような教員による学校教育ではそこまでのレベルに持っていってもらえないし、卒後教育といっても医師のそれのように組織だったものもないのが現状であるようです。このような実態を実際に診療に携わっている教師陣から教育を受け、学部だけでなく卒後も臨床での研修が当り前である医師がどう見るかは想像できますし、患者さんにしても知れば(知っている人は少ないと思います)不安でしょう。「やはり先生(医師)から薬をいただきたい」と言われかねません。


最近薬剤師による調剤ミスの報道も多いようですが、これについては医師だろうが薬剤師だろうが薬瓶の取り間違いはあるだろうし(患者にしたら困りますが)、添付文書に書かれてある注意にしても読まない人は読まないだろうし、このような件にについては「だから薬剤師は信頼できない」とは結論できないと言えるのですが、教育内容と卒後の訓練から攻められると弱腰にならざるを得ません。

ま、「理想は大切だが...」という考えはあるのでしょうが、このままでは薬剤師の関与は「薬を臨床での治療手段という目でなく化学物質としての観点から検討する」という意義しか残らなくなってきます。そうなると薬学の卒業生は理学部や工学部や農学部の卒業生とどう異なるのかということになってしまいそうです。


日本薬剤師会も昭和40年代から教育年限を6年とし、臨床薬学も教育過程に組み込むことを提言しています。薬剤師自身も現状では実力が不足すると心配しているのです。実際、添付文書に書かれている副作用の症状の理解だけでも生理・解剖の知識とある程度の臨床医学の習得が必要と考えられます。

こういったことを知っている医師を相手にしますと「日常診療とは臨床そのものである、臨床の知識や経験のない薬剤師が本当に患者に対応できるのか。諸外国では分業しているというが外国の薬剤師というものは日本の薬剤師と名称は同じでも似て非なるものなのではないか」という疑問を受けて立ち往生します。


こんな話題に突っ込んでしまいますと分業を勧める勢いが大いに殺がれるので最近ではもう「うん、うちでは開業以来ずっと分業でやっているよ、大したトラブルもないし、いいことも結構あるよ。全部の患者がメリットをわかっているかどうかは疑問だけれど文句もないようだよ」くらいの返答しかしないことが多くなってきてしまいました、というか私自身なんだかわからなくなってきました。フーッ(ため息)。

実際に調剤業務をされておられる薬剤師の方のご意見にはどのようなものでしょうか?とお尋ねしたいのです。


 また、多少個人的な質問になってしまって不適当かもしれませんが、製薬会社で開発・製薬に携わる場合、薬学出身者と他学部出身者との相違はどこにあるのでしょう。もし本質的な相違がないようなら「薬剤師」どころか「薬学」の意義さえ否定されてしまいそうに思えます。

(薬学部の設置基準や、カリキュラムに医師側が干渉したという話は聞きませんから現在の「薬学」や「薬剤師養成課程」は薬学自身にオリジンがあると思うのですが)(2001/1/9)


2)日本は「正論」があまりにも通らないシステムで・・・

平田(鍼灸師、福島県)

拝啓 時々ホームページを拝見し、その熱意ともよべる主張にすがすがしい爽快感を味わっております。私は福島県の鍼灸師で平田と申します。10年ほどまえから開業し鍼灸の施術にあたっておりますが、開業以前は東京の某医院に勤務しておりましたので、医薬分業とそれにまつわる多々の主張は理解できるものであります。

一般論として、これまでの日本は「正論」があまりにも通らないシステムであったと思います。たとえば環境問題にしても、もっと早くにリサイクルや公害につながる様々な排出規制が通ってよかったものを経済性やそのほかの利害が先行し、一番重視されなければならないテーマが詭弁ともいえる論理で抑圧されていたと思います。

医薬の分業も、また国民全体の医療費を考えるにしても、悪しき風潮がかわり、ダイナミックな変革があるべきと思います。またそうしなければこれまでのシステム全体がまず経済的にも破綻が目前でしょうから、これはさけられないテーマであるとも言えるのでしょう。私は個人的に、本当に質の高い医療を提供する医師、病院、薬局などが正しく評価され、認知される時代がくることを望みます。そのためには、同時に患者サイドの意識改革も必要でしょう。

鍼灸師のところへくるような方は、自然志向というか、現代医療に不信感を抱いている方が多いようです。そのためか、短絡的に「薬は飲んだ方がよいか」という質問が日常的です。私は「それは薬を処方してくださっているお医者さんに質問なさい」と答えていますが、(立場上、法的にもそのような回答くらいしかできません)しかし、その医師がどのくらいの意識をもって臨床にあたっているのかによっては、必要のない薬でさえも「服用」を指示されるケースもあるのではないかと疑念もあり、自分の「回答」が最善なのか自問しております。また、これはおそらく鍼灸師がどのような回答をすべきかではなく、そもそも、そのような質問が医師以外に向かうところに問題があるとも思います。

近い将来、そのような質問をクライアントから受けることのない日がくることを願います。そのためには先生のような主張をなさる方がキーパーソンになると思います。これからも一層のご活躍を期待しております。敬具(2000/1/12)


3)患者に触れたい!患者を意識したい!

古屋綾子(薬学生)

吉田先生、こんにちは。古屋です。  先日先生のHPを見まして、「私が言いたいのはこれだ!!」というのを見つけたので、半分その方への返事みたいになってしまうのですが、私の意見(というか、愚痴になってしまいましたが・・・)をこの場をお借りして書かせていただきました。 私が見たというのは、「薬剤師は信頼できるのか?」を書かれたMYKONOS(医師)さんのご意見です。

私が今までいろんなところで勉強してきて特に思うのは、今実際に私が受けている薬学教育のあり方です。薬剤師になってもいない私が言えた事ではナイこととは十分わかっています。しかし、しかしなんです・・・・・・。 ほんとにこのままでいいのでしょうか。薬学生が学ぶべきことって創薬に関わるようなことばかりなんでしょうか・・・。 

私事で恐縮ですが、私がTPCに入って現職の薬剤師たちと共に薬剤師に求められていることとは何か?薬剤師に出来ることは何かを勉強しているという話を、以前うちの大学の教官に言ったところ、「キミが薬剤師と勉強していることって、何も今しなくても3・4年になったら勉強できる事だよ。何で今そんなことをしてるの?」と、真っ向から否定されました。とてもショックでした。と同時に、薬大の先生が、実は一番私が言いたい事を理解してくださらない人なのかもしれないと思いました。薬剤師が求められていることや、しいては薬学そものものを考えることって3・4回生の間で、しかも『こうなればいいね』みたいな理想論ばかりを教えられっぱなしでいるような今の教育では、私は意味がないのと同じだと思います。

 いろんな医療ミスや投薬ミスのニュ−スが世間を騒がせていますが、どうして医療に関わるような人間が、あのような事件を平気で行うことが出来てしまうのでしょう。その人の倫理観(?)というか、自分が医療人だという事にたいする‘責任’を真剣に考えているのかと問いたくなります。薬学生には薬学を勉強できる期間は(大学院に進学するとか、他の‘学ぶ’選択肢をとらない限り)4年間しかない。なのにその貴重な4年間の中で、薬学生が人間である患者を、医療の主役を、どれだけの時間自分の心と頭の中で意識することが出来るでしょう。どれだけの時間患者さんと同じ空間に居る(存在する)ことが出来るでしょう。病院や薬局への実習期間は2週間、多くて4週間という大学がほとんどだと思います。医療の主役は人間なのに、医療という大きなものをバックにして薬学を学ぶ私たちが人間を感じれることってほとんどないです。だって今の薬学生の学ぶ対象は患者ではなくくすりです。

大学の先生が口をそろえて言うのは決まって「国家試験に出るのは・・・」や、「有機化学は薬学でしか学べない・・・」だとかだけ。人間は、よほどの意識がない限り、教えられること以外に自分で独学するという意識を持ちにくいですよね。たいていは教えられてきたことや今教えられてることは完璧なものだって思い、教えられていることに対して何ら疑問を持たないです。(だから、私の周囲で私の意見を言ったところで理解を示してくれたり賛同してくれる友人が少ないのかもと思ったりもします。)

 私は、何も自分を『売り』たくて、自慢的にこう書いているのではありません。そんなことしたって何にもならないし、何も変わらないですし・・・。そんな低レベルな事ではなく、薬学教育というものを変えていかなきゃいけないという事を、教育している方々に言いたいのです。私たちの貴重な4年間を、学者である先生方の研究発表の場の一部にしてもらいたくないのです。患者に触れたい。患者を意識したいのです。 4年間しかない時間の中で、ひたすら‘くすり’を教え込まれたら、誰だってくすりにしか目が行かなくなります。そして国家試験を乗り越えてやっと薬剤師になれた、と思ったら、今まで教えこまれてきたくすりの知識はあまり通用しないし、くすりだけでは患者さんを相手に出来ないという現実にぶち当たってしまうわけです。何だか、やってられなくなります・・・。

自分が何のためにここに来て勉強しているのか、わからなくなる時が最近増えてきました。こういう‘机の上の勉強’ばかりする以外に薬剤師になれる選択肢はないものかと、無意味な考えが浮かんだりするのです。とても悔しいです。こんなのを勉強したいんじゃないんだって、そんな思いばかり駆け巡ります。そして‘こんな勉強’の為に成績が芳しくなく留年の2文字がちらつき始めている自分がとても情けない・・・・・・。

先生本当にスミマセン。こんなメールを先生に出すべきではないです。本当に失礼していますよね。ごめんなさい・・・・・・。でも、こういう自分を発したくて・・・ただそれだけで書いているのかもしれません。 先生、私のこの気持ちを何処にぶつければいいのでしょう・・・・・・。大学でしょうか、薬剤師会・薬学会でしょうか・・・。それとも、何もせずにただ黙って残りの学生生活を‘くすり’だけに費やせば良いのでしょうか。変えたい、変わらなきゃいけないのに、どうすればいいのか、分かりません。でも、このまま何もせずに学生を終えてしまったら、それこそ何も変わらないのだと思うのです。(2000/1/22)


4)「分業の質」に重点を置いて取り組んでいこうと・・・

松田寛之


 先生、お久しぶりです。近頃の大阪は春がもうそこまで来ているようで、一雨ごとに暖かくなっています。しかし、今日は真冬並みの寒さで、本当に久しぶりに雪も降ったようです。石川はまだまだ寒いのでしょうか。 

 先生のHPを通じて分業に関していろいろな意見を目にしてきました。私個人としてはそろそろ「分業の是非」よりも「分業の質」に重点を置いて取り組んでいこうと思い始めました。幸いにも門前薬局でない私の薬局は「質」にこだわらなければ患者さんが寄り付いてくれない環境に立たされています。と言っても特別なことをする訳ではありません。門前薬局ではなく、敢えて私の薬局に来ていただいた私の目の前にいる方とコミュニケーションをとる事から始まり、副作用(の初期症状)を会話の中から確認すること。あるいは希望する方には副作用情報を予め提供すること。会話の中から患者さんの治療における誤解、心配事を取り除くこと。薬の大切さを知ってもらうこと。理想は果てしなく高くなってしまいます。しかし、実際の自分の今の力では十分にできそうもなく、やはり地道な勉強と日々の実践しかありません。

 一方で、私の得意分野である注射薬の無菌調剤に関しては、(先生におだてられた事もあって)益々積極的にがんばっています。今度6月に阪大病院内で催される「日本在宅医療研究会学術大会」(当番世話人:阪大病院保健学科の高木教授)という小さな会で一つ発表したいと思って準備を進めています。まだ正式に受理された訳ではありませんが、携帯用ディスポーザブルポンプ(微量注入ポンプ)を用いた(塩酸モルヒネ注による)在宅疼痛管理を実施(訪問服薬指導)した症例報告と、その問題点について報告したいと思っています。「保険薬局による注射薬の無菌調剤」、「訪問服薬指導」、「塩酸モルヒネ注」とキーワードの多い発表で、薬局薬剤師には面白いかもしれませんが、不慣れなので上手くできますかどうか・・・。上手くいけば、続いて機会を見つけて発表することも考えています。ネタは沢山あるので。おだてられれば大いに木に登るのが私のいいところです。

 最後になりますが、HPに載っている今一番新しい学生さんの意見についてです。大学で学んでいる事が将来、薬剤師として役に立たないのではないか、との不安があるように受け取りました。非常に根のまじめな学生さんで、また視野の広い物の見方と問題意識のある学生さんと取りました。   私の目の前にいる患者さんに、私ができること。それは決して問題意識そのものではなく、問題意識に根ざした地道な努力に違いないのではないかと私は思います。悩むばかりでは患者さんの役には立ちません。問題意識がない勉学は実のりません。この学生さんは現実の問題点は正しく認識されているかと思われたので、後はそれに向けてやはり地道な努力を続けて欲しく思いました。私も院生時代は専門分野の論文を読みながら、少しの時間を割いて無菌調剤やそのバリデーション、分業や医療制度・その問題点、海外での医薬分業(欧米では当然過ぎて「医薬分業」と言う言葉すら無いようですが)、社会保障制度、薬剤師の職能などのことを学んでいました。少々生意気ですが、この学生さんには勉強中の同士としてエールを送りたい気持ちです。

 将来確実に役に立つ事ばかりを効率よく学ぼうとすれば、焦ります。大いに回り道をすることを進めたいと思います。回り道に見えて、それが自分の持ち駒となり、他人と違うものの考え方を見つける事の役に立つことでしょう。薬剤師として働くのであれば、周りの多くは薬剤師ですから、薬剤師免許を持つこと自体、何の特長にもなりません。重要なことは薬剤師としての知識量とそれを活かすコミュニケーション技術、あるいはコンピュータなど何でも良いのですが、薬剤師と余り関係の無い特技、地道に努力することを好んでできる習慣が重要と私自身は考えています。 

 自分にもできていないことを学生さんに押し付けてはいけませんね。読み返して恥ずかしくなります。 それでは先生、お元気で。在宅医療研究会での発表が正式に受理され、成功するようであればまた近況報告を書かせてください。(2000/3/13)


5)がっくりしてきました。

横山(宮城県)

突然失礼いたします。宮城県の横山と申します。 きょう、とても失望したことがあったので、帰ってすぐに『医薬分業』で検索してこのHPにお邪魔しました。

私の行く医院でも医薬分業にしているところ増えてきました。が、ほとんどはただ薬局が門前に出ただけ。 「かかりつけの薬局を」と言う張り紙などは見ていましたが、ほとんどの患者は二度手間になるのがいやなのか、そのまま門前の薬局に直行しています。私もそうでした。が、きょう息子を小児科に連れて行って処方箋をもらったとき、思い切ってその門前の薬局ではなく、以前別の医者にかかったときに行った薬局に行くことにしたのです。『かかりつけの薬局』にしようと思いまして。ところが、結果は無残なものでした。 『この薬とこの薬は置いていません。』 あせった私はそこから帰り道の道中4軒もの調剤薬局に寄りましたが答えは同じ。その処方箋にある薬が揃う薬局はひとつもありませんでした。 結局、門前の薬局に戻るしかないことになってしまったのです。

そんな特殊な薬ではないと思うのですが。疲れるし、時間は使うし、むなしいし、ひどい経験でした。こんな状態の医薬分業なんて、意味ないでしょう。もうがっくりです。失礼いたしました。


6)怒りは一応静まりました。

横山(宮城県)

こんにちは。 宮城県の横山です。興奮していきなり失礼なメールを送ってしまったにもかかわらず、すぐに親身なお返事をくださいまして、ありがとうございました。

実はあのあと、かかった小児科の門前薬局に出直しましたら、なんとしまっていたのです。その小児科がその曜日は午前診療なもので、門前薬局もそれに合わせて午後は休みというわけです。ショックを受けましたが、必死でもう1軒別の薬局に行きましたら(どうしても薬を手に入れたかったので。)そこが偶然にも、かかった小児科の門前薬局の別支店でした。それで事情を話したところ、『今すぐには無理だけれど、夕方までにご自宅までお届けします。』とのこと。数時間後に本当に丁重に届けてくれ、薬の説明も詳しくしてくれました。その薬局に別の病院の処方箋を持っていってもいいかと尋ねたところ、「もしその薬がない場合は、少し時間をいただければ(遅くとも翌日には)揃えます。同じ薬をその後も続けて処方されるようでしたら、在庫に入れておきますし。」とのことでした。

そういえば、他の薬局でも「すぐにはご用意できません。」と言われたような気もします。私は焦っていたので「拒否された」と受取ってしまったのですが・・・。あと、薬局の受付の方が、いかにも迷惑そうな(当惑した?)表情だったからかもしれません。落ち着いた今では、表立ってクレームをつけるほどの怒りもなくなってきています。カッカ来ている時にぶちまけて、すみませんでした。

吉田先生のホームページは、まだ全部は読みきれていないのですが、知らなかったことがいっぱいで、怖くなったりびっくりしたりしています。

お薬手帳も今回作ってきてくれましたが(有無を言わせずのようですね)、これは薬局独自のものではないんですね。初めて知りました。これに記入してもらうと別にお金がかかるんですか。最近の薬局では処方された薬の名前、効能、副作用など詳しい資料をくれるところもありますが(手帳とは別に)、これはどうなんでしょう。ちなみに今回の薬局ではそうした資料と、手帳と、両方でした。かかりつけにするなら、もちろん名前も教えてくれないようなところは嫌ですよね。(今でもそういう薬局あります。)(2000/3/26)


7)町のかかりつけ薬局の薬剤師です。

 細川陽子(ほそかわ薬局・長野県、薬剤師)

初めてお便り致します。1年5ヶ月前に開局致しました昭和25年生まれの薬剤師です。長野県南安曇郡穂高町の西友ストアの中に自分の薬局を開きました。インタ-ネットもまだ初心者ですが先生のホ−ムペ−ジはほとんど毎日拝見させて頂いております。

先月は20医療機関より350枚の処方箋を受け付けました。小さな薬局ですので、患者様の薬はほとんど覚えております。ドクタ-に治療プランをしっかり聞いてとか、服用前より体調が悪くなったらすぐ連絡してなど、基本的なことを毎日お話しています。

3月26日の横山様のメ〜ル拝見しました。門前薬局がある場合に起こりやすい事件だと思いました。どんなお薬が処方されたのかわかりませんが、もしかして門前薬局にしか扱いのないゾロでは?と思ってしまいました。同じような事は私の薬局でもあります。お時間をいただいて配達していますが、患者様側からすれば迷惑この上ないことですね。また、同成分のお薬に処方変更していただく場合には同じ町内ならまだしも、離れた地域の医療機関の場合には手間どることがあります。

医療機関側からみれば門前がないと不安なのでしょうか。薬剤師と患者様と信頼関係を築くにはまだまだ時間がかかるのでしょうか。

きょうこんなことがありました。A病院(門前薬局がありません)からの処方箋で半年間おみえの患者様が2ヶ月前からB整形外科にかかられて(B整形外科には開業と同時に門前薬局ができました)処方箋をもっておみえでしたが ”門前薬局に行くように医院の受付の方から言われたのでそうするのでごめんなさい。”とおっしゃるのです。診ていただいている医師から嫌われたくないという患者心理があるのではと思います。患者様が薬局を選べるという事をお話しましたが・・・。どちらにしても A,Bの医療機関のお薬に関して相互作用がないかなど調べていくのが私の仕事だと思っています。

横山様が信頼のおける薬剤師と出会えること期待してきょうはこのへんで失礼いたします。(2000/3/30)

                                       

8)「薬剤師は信頼できるか」と問いかけられても...

大阪府、薬剤師、53才


HPには時々訪問しておりました。最近は、薬剤師よりも、医師や、他の医療者の方々の意見が多いようで、世間が広がる気が致します。

このページのトップに「薬剤師は信頼できるか」、このような問いかけのご意見がありました。誰が、この問いかけに答えたら、よろしいのでしょうか。問いかけた方は、その心底に、医療には医師1人、今のままでいいという思いをお持ちなのか、それとも、医療への責任を、より完璧にするために、信頼して他者に委ねてみたいという思いをお持ちなのか、要するに、信頼が先か、ただのシステムかという問題になってしまわないでしょうか。

数ヶ月前になりますが、準看護士による、世にも恐ろしい筋弛緩剤事件がありました。「薬剤師をリストラ」と言い切ったあの院長の言葉が現実だなあとは思いますが、私たち、現場にいる薬剤師の立場からすると、そこに薬剤師がいれば、医療にとって、できることは、あったはずです。

また、足りないところはあったにしても、薬学教育は、やはり、薬という物質と、人間という生物の両方を軽重なく考えさせるということでは、終始一貫しており、他の学部では与えられない見識だと思います。薬学部の、すべての先生が、薬剤師としての実務に就いている必要もないし、医学部にも、看護学部にも、栄養学部にも、時代の要請に応じて、薬学や、化学の先生は、派遣されてしかるべきでしょう。薬学部は、現在の薬剤師を、育成してきましたし、確かに、医師とは、違う目を持つ人種に育っています。そのことを私は、医薬分業の面から、決してマイナス要因ではないと思います。自分たちの立場や、知識・力を過大にも、そして、過小にも評価してはいけないと、謙虚に、しかし、使命感を持って頑張っている薬剤師たちは、昔も今もいると思います。

私も、30年前の国立大学薬学部の卒業生で、そのころの女子大生亡国論とも相俟って、花嫁修業の免状のつもりなら、なぜ私学に行かなかったと、面と向かって言う教授もいたくらいです。それでも、教育され足りなかった部分を補い補い、人生も積み重ね(この部分は、前の投書に述べました。)、薬剤師とは、こうあるべきだという、一定の見識には至っております。また、薬学教育は、国立大学だけで行われているわけではなく、多くの私学で試行錯誤を重ねつつ、薬剤師を目指す薬学教育は、成されてきているように思います。

こう書くと誤解されるかもわかりませんが、私は現在をすべて肯定するような楽観人間ではありません。が、あらためて「薬剤師は信頼できるか」と、医師に問われれば、日々薬剤師業務を遂行している者の一人として反論したくなりました。誠実に、仕事をするだけ、薬剤師としての自分を、その職業意識が命ずるままに高めて行くだけ、処方箋を持ってきた、患者さんに、「あなたは、信頼できますか」と問われたとき、「あなたのために、私のあらん限りの、知識と、経験を生かすよう努力します。あなたに、信頼しますと、言っていただきたいから」と、調剤するときは、それがすべてだと思います。(2001/5/9)

10)塩酸モルヒネ注の持続注入ポンプを用いた在宅疼痛管理

松田寛之(薬剤師)

吉田先生、こんばんわ。

学会発表は無事終了しました。不慣れなもので、大変緊張しましたが、言うことは全部言えました。私は塩酸モルヒネ注の持続注入ポンプを用いた在宅疼痛管理について述べました。今年に入ってから経験した7例のうち2例を紹介し、社会的に意義深い本サービス拡大のために解決すべき種々の問題を取り上げました。120名の小さな部屋でしたが、超満席で、立ち見が部屋中にあふれ、それでも立ち見も入りきれずにいたようです。勿論、私の発表がお目当てと言うわけではないでしょうが、在宅疼痛管理のセクションは大変な人気でした。参加者は、病院薬剤師もいたようですが、医師や看護婦が多かったのではないかと思います。私にとっては大変貴重な経験でした。                   

発表が金曜日と言うこともあって、私以外の薬局のメンバーは参加できなかったのですが、翌日土曜日に参加した2名は私の何度か行ったリハーサルと比較して、自分たちのやっている日常業務の意義とか大切さを改めて感じたようです。在宅での輸液療法もそうですが、まだまだ在宅疼痛管理は一般的とはいえません。勿論、その受け皿が整備されていないなどの理由もあるのですが、もし私の薬局の訪問可能なエリアに住まわれている方で、希望する方がいれば、その方に「在宅」というもう一つの選択肢を提供したいと思います。それは、私の喜びです。医療の世界でも患者に選択権があることは勿論ですが、そのための情報提供や情報公開が必要なわけですが、分野(疾患)によっては選択肢がそもそも無いケースがあるわけです。人生の最も重要な時期に選択肢が無いなどと言うのは全く不幸です。その方々に「選択肢」を提供できることは私の喜びです。入院を希望する方も在宅と比較した上で、自らの希望として入院加療を行えることは重要です。現段階で、在宅疼痛管理、あるいは在宅死を希望される方は明白な意思を持っているケースが多く、ほぼ全ケースでサービスを喜んでいただけていま す。数は多くありませんが、「選択肢」を提供する意義は限りなく大きいと確信しています。私は更にその「質」を検討しながら前進したく思います。

口演の「結語」で「選択肢の提供」の他にもう一つありまして、「薬剤師職能の社会への還元」という大きな言葉を使って、本サービスを提供できる喜びについて述べさせてもらいました。人の役にたつって、素晴らしい!私は薬局のメンバーに時々話をします。「文句があるときは多くの場合自ら進んで文句をいうが、有難く思ったときにそれを口に出して相手に伝えることが我々自身、どれだけあるだろうか。患者さんからもし『ありがとう』と言われたら、そう口に出してくれたことに感謝し、謙虚に、しかし大いに喜ぼう!」これからも地道に、たとえ僅かでも患者さんや家族に喜こんでもらえるよう、地道にがんばりたいです。(2001/6/27)