天国とんぼ 「一寸一言二言三言」

 ●No.0040 神様のためにって本当?

 神様のために何かをすると考えている人たちを見ていると、自分が正しいことをしているという意識が強くありすぎて、とても怖くなるときがあります。
 神様のために相手を責め、神様のために人を殺し、神様のために戦争をする、そんなことを神様が望んでいるとは思えないことにまで、「神様のため」、「主の栄光を表すため」という言葉が使われている気がします。
 神様は、いつ私がそんなことを頼みましたか、私の名前を勝手に使い、恩着せがましいことを言うんじゃないと怒っておられる気がします。

 私の恩師のS先生は、「伝道や宣教をする人たちは、それを神様のためにやると思っていますが、それは傲慢な考え方です。神様は、私たち人間の助けの手を必要とされるほど、手の短い方ではありません。私たちが伝道をするのは、私たちがあまりに傲慢なために、反省するようにと、訓練の手段として、伝道をし、宣教をするようにとお命じになられたのです」という意味のことを、よく言っておられました。

 私にとって、人に親切にしたり、サービス精神を発揮するのは私の勝手な趣味だと思っています。
 だからこそ、お礼を言われるのが辛い場合もありますので、相手に感謝されないように細工をする場合もあります。
 また、相手にとっては全く余計なお世話である場合もあると思っていますので、いつも、「ゴメンナサイ」という言葉を言えるよう、用意しています。
 そうでないと、相手が喜ばない場合に、感謝しない人と思い、喧嘩になったり、言い争いになってしまいますが、そんなことを神様が喜んでくれる筈はないのにといつも思っています。

 自分の信仰に自信を持っている人たちには、相手のやっていることを私がやって見せ、あなたも私も、過ちを犯すという意味ではなんら変わらない罪深い存在であることを知らせるミラー作戦をとります。
 その結果として、相手の方の私への言葉が激しければ激しいほど、やがて自分にそれが強くはね返ってくることになり、大きい効果をもたらします。
 どうか信仰を持つ皆さんは、それが本当に神様のためなのか、自分の感情なのか、冷静に見極めて戴きたいと思っています。


  


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