天国とんぼ 「一寸一言二言三言」

 ●No.0007 「ギノマイ」こそが、イエス・キリストの生き方

 イエス様は、ヨハネの福音書1章14節に、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」とあるように、神様という身分にありながら、わざわざ死ぬべき肉体を有する人間となられました。

 ピリピ2章6節以降に「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」とあるように、「人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われた」 お方でした。

 人間は、今まで以上の自分になろうと、常に上を目指して生きようとします。

 それが、「成り上がる」ことを意味する「なる」なら、イエス・キリストは、「成り下がる」という意味での「なる」を選択されたお方でした。

 自分の権利を強硬に主張するのではなく、自分以外の人のために、自分の持っている権利やあらゆるものを捨て、自分を捨てた生き方を選ぶことが出来た「自由なる存在」、それがイエス・キリストでした。

 私も含め、多くの人間は、損得勘定からなかなか逃れられないという意味において、不自由な人間でしかありませんが、T先生は、イエス・キリストと同様、自由な立場でものを考えることの出来る方であり、これまでの地位を惜しげもなく捨てて、ゼロからスタートすることを決意されました。

 この生き方に、私たちは見習うべきものがあると考えます。


  


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