「ホーム・ポジション  〜交差・亜美〜」

                              ひーやん


「さよならー」「また明日ね」「うー、寒っ」「これからどこか行く?」「あ、いーねー」
「――――っ、ファイッ」「「オゥ」」「ファイッ」「「オゥ」」」
 生徒達の姿が三々五々校門からはき出されて行く放課後。校庭の方からは、ウォーミン
グアップのランニングを始めた運動部のかけ声が聞こえてくる。十二月の寒空の中とあっ
て、幾分頼りなげに聞こえるその声を背に、亜美は一人校門を後にした。
 いつもは何かと一緒に帰っているまことやうさぎ、美奈子も、今日は亜美を待たずに一
足先に帰ってしまっている。普段であれば途中にパーラーに立ち寄ったりもするが、こと
今日に関してはその可能性も低い。
 十二月五日。
 一年の中の只の一日ではあるけれど、今日はうさぎや亜美達にとっては重要な日の一つ。
木野まことの誕生日であった。
 毎年々々、誕生日を迎える本人以上に、周囲の人間がその日の到来を楽しみにしている
のはいつもの事だったが、それは亜美にしても例外では無かった。
「うさぎちゃん達、大丈夫かしら……」
 独り言を呟きつつ、買い出し材料を書いたメモを取り出す。
 うさぎや亜美の誕生日であれば、パーティの料理作りははまことの担当となるのだが、
当の本人の誕生日までそういう訳にはいかない。
 これまでのまことの誕生日には、皆でお金を出し合ってオードブルを買ったり、もっと
安易に料理メニューの充実したカラオケ屋で誕生日を祝ったりしていたが、数日前の打ち
合わせで、今年は皆で協力して料理を作ろうという事になっていた。
(「いいこと、まこちゃんの誕生日なんだから、まこちゃんには何もさせないこと」)
(「さんせーっ!」)
 美奈子の自信満々な台詞にうさぎは諸手をあげて賛同したが、亜美は内心、ここは自分
が頑張らねばと密かに心に誓っていた。実際、ケーキも自分達で作ろうという美奈子の意
見にはかなり強く反対した。
 もちろん亜美にしたって、自分達の誕生日にはお手製のケーキを焼いてくれるまことに
お返しをしたい気持ちは十分にある。でも、今年のまことの誕生日は平日。学校が終わっ
てからの時間で、一からケーキを作るには余裕が無さすぎるし、一度失敗してしまえば改
めて作り直す暇もない。
 それよりもむしろ問題なのは、失敗した場合でも「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ」
と言ってしまいそうな美奈子とうさぎのポジティブシンキングな所だ。
 特に美奈子は例えスポンジが生焼けだろうが、クリームが苦かろうが、それを指摘すれ
ば「店には無い個性的な味」として逆に開き直るだろう。なお悪い事に、そんなケーキで
もまことは喜んで食べるだろう。
 でもそれは理解できる。と亜美は思う。
 自分の誕生日にうさぎや美奈子がケーキを焼いてくれたら、どんな味だって嬉しいだろ
うし、美奈子の言うように「個性的」と受け止めてしまうかもしれない。だが、それは自
身がそうなった時の事であって、他の人が、ましてやまことが犠牲の山羊になるとすれば
話は別。
 亜美としてはまことに生焼けのスポンジや、苦みの効いたクリームなどは食べさせたく
ないし、予期できる危険をみすみす看過する訳にもいかない。そこで何とか美奈子とうさ
ぎを説得し、ベースになるケーキには市販のスポンジと生クリームを使用して、最後のデ
コレーション部分だけを自分達で済ませるように提案した。
 最初はぶーぶー言っていたうさぎと美奈子だったが、亜美の剣幕に押され結局はその案
を飲むことになった。もっとも、それで亜美の不安が全く無くなったかと言えば、そうと
も言いきれない。
 とはいえ、いつまでもケーキの事だけで悩んではいられない理由が亜美にはあった。
「それより今夜のメニューを考えないと……」
 とりあえず思考を切り替えることにする。
 ケーキの方を美奈子とうさぎに任せた事によって、必然的に料理の方はレイと亜美の担
当という事になっていた。むしろ料理を無難にこなす為に、美奈子とうさぎをケーキ担当
に据えたと言えなくもない。
 あらかじめ準備してくるケーキと違い、パーティ会場であるまことの部屋で作らなけれ
ばいけない料理は、ある意味決して失敗は許されないものだった。
 無論、レイと亜美が担当すると決まった時点で、料理の方は八割方成功したようなもの
だったが、レイの思いつきの一言で、事態は新たな局面を迎えたのだった。
(「せっかくだから、プレゼントって意味も込めて、それぞれで何か一品オリジナルメニ
ューを用意しない? まこちゃんが自分のレパートリーに追加しちゃうようなのを」)
 当初、基本的なメニューはまことの好きなミートローフを中心に、手軽に出来るオード
ブルとで行くことに決まっていた。だが、レイから出されたアイデアは、亜美にはとても
魅力的に聞こえた。
 結局その場では「作る余裕があったら」ということで話が落ち着いたが、その時点です
でに亜美の頭脳はフル回転していた。勿論、何か作るつもりであったのは言うまでもない。
 が、これが思いの他大変な事だと気づいたのは、皆と別れた後の事だった。
 まことの好きな食べ物であれば、亜美は幾つも思い当たるものがあった。
 だが、まことが自分のレパートリーに追加しそうなものとなると、当然これまでのまこ
との料理には無いもの、亜美独自の発想が必要となってくる。
 学校での調理実習と家での手伝いを除けば、亜美にとっての料理の師匠はまさしくまこ
とであり、そのまことの発想を超えたものとなると、これは相当に難しい問題だった。
 料理の本は参考にこそなれ、まことも目を通しているであろう事を考えれば、そこに載
っているものを作る訳にもいかず、とはいえ他に参考になるテキストも無い。いっそイン
ターネットを使って、名も知らないような料理の文献を探ってみようかとまで考えたもの
の、それでは何か違うような感じがした。
 結局、これといった決め手のないまま、亜美は今日の日を迎えていた。とりあえず、料
理の本からまことが好きそうなものを選び、亜美なりに工夫したレシピを考えてはみたが、
せっかくのまことの誕生日なのに、何か中途半端に妥協してしまったようで、今ひとつ心
が晴れなかった。
(「先に家に帰って着替えてからの方が良いわね」)
 手にしていたメモをスカートのポケットにしまう。
 問題を先送りにしただけということは自分でもよく分かっていたが、あと少しだけ考え
る時間が欲しかった。
(「まこちゃんが自分のレパートリーに加えそうなもの……」)
 どんなものを作っても、まことは喜んでくれるだろう。
 亜美はまことの笑顔を思い浮かべた。
(「ありがとう亜美ちゃん」)
(「亜美ちゃん、これとってもおいしいよ」)
 屈託のない笑顔でそう言ってくれるであろう事は想像に難くない。
 けれど、亜美の想像はそこで途切れる。本当に気に入ってくれたもの、自らのレパート
リーに追加するような料理に巡り会えた時、彼女はどんな表情を浮かべるのだろう?

         ☆         ☆         ☆

 部屋に戻った亜美は、手早く着替えを済ませた。まだ日もある時間のため、当然の事な
がら母親は帰っていなかったが、今日まことの家で誕生日のパーティをやることは事前に
話してある。
 それが証拠に、キッチンのコンロには昨日作ったスープの鍋。二人暮らしのため食べき
りの料理が多い中、このスープだけは例外的に翌日も食卓に供される事が多かった。
 別れた父の地元の郷土料理だというそれは「手軽で」「日持ちがして」「うまい」が故
に多忙な亜美の母親の十八番となっていたが、亜美自身もその味が大好きだった。
 母親曰く「多めに作るのがコツ」だそうで、これがあるという事は、昨日のうちから今
日のことを視野に入れていたというのが分かる。
 朝出かけるときには何も言わなかったが、母親がちゃんと自分の事を考えていてくれて、
亜美は少し嬉しくなった。
 それでも一応、外出先と帰宅時間を書き置きに残して、火元と戸締まりのチェックをす
る。
 まことへの誕生日プレゼントを忘れずに持った事を確認し再び表へ。日は先程よりさら
にほんの少し傾いただけだったが、亜美の心の中に焦りを生むには充分な角度だった。
(どうしよう、もう迷っている時間も無いし……)
 商店街に着くまでには献立を決めてしまわなければいけない。とは言え普通に歩いても
十分はかからない距離。ゆっくり考えている時間はあまりない。
(やっぱり昨日考えたものにしようか……)
 いっそ「思いつかなかった」というのも一つの手では、と亜美は思う。レイならば多分
何も言わないだろうし、他の三人は元々知らない事だ。余裕があれば、と予め答えてもあ
る。そして余裕が無いのが今の現状だ。
(でも……)
 一度やる気になったものを投げ出すのは性に合わなかった。だが諦める事と妥協する事、
どちらも良い選択とは思えない。
「危ないっ!」
 突然の叫び声とともに、亜美はいきなり後ろから肩を引かれた。
「きゃぁっっ!」
 咄嗟の事に対処しきれず、よろけるように何歩か後ろに後ずる。
 プァーーーーーン。
 その亜美の目の前を、派手なホーンを鳴らしながらトラックが通り過ぎた。無意識のう
ちに横断歩道の信号が青の事だけは確認していたが、右折してきた対向車には全く気が付
いていなかったのだ。
「大丈夫だった?」
 後ろによろけた亜美を抱きとめた人物が背後から声をかけてくる。
「はるか……さん?」
 聞き覚えのある声に首を巡らせば、それは天王はるかだった。何処かへ出かける途中だ
ったのか、カジュアルスーツに身を包んだその姿は、いつ見ても同じ女性だとは思えない
ぐらいに凛とした雰囲気を醸し出している。
「姿を見かけたから声をかけようと思ったんだけど、何か考え事をしてるみたいだったか
ら遠慮していたんだ。でも、間に合って良かったよ」
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
 はるかと向き直り、亜美は深々と頭を下げる。
 今夜の料理のことに気を取られるあまり、周囲の事が目に入らなくなっていた自分がと
ても恥ずかしく思えた。デスバスターズと戦っていた頃のはるかなら、いや今であっても、
こんな事で悩んでいると知られれば、戦士失格と言われてしまうだろう。
「いいよいいよ、そんなに改まらなくても。それよりこれ、落としたよ。大事な物なんだ
ろう?」
「あっ! すいません」
 亜美の前に差し出されたそれは、ラップとリボンの施されたペンケース程の長方形の小
箱。まことへの誕生日プレゼントだった。
 はるかの手からそれを受け取り慌てて外観を確かめる。幸いなことに多少包装紙が汚れ
ただけで、それも手で拭けばすぐに取れ、亜美はほっとため息をついた。
「まこちゃんへの贈り物かい?」
「!」
 はるかの突然の台詞に亜美はどきりとした。何故これを見ただけで、まことへのプレゼ
ントだと分かってしまうのだろう?
「フフッ、今日はまこちゃんの誕生日なんだろう? さっき、うさぎちゃんに会った時に
そう聞いたよ」
 亜美の驚いた様子がおかしかったのだろう、はるかはくすりと笑うとタネを明かした。
「あ……、はい、そうです。きょ、今日は、まこちゃんの誕生日なんです」
 詰まりながら答えた亜美は、自分でも何故こんなに慌てているのだろうと思った。
 それでも無理矢理「冷静に冷静に」と必死に心を落ち着ける中で、ふとある事に気付く。
「もしかして、はるかさんもまこちゃんの誕生日に?」
 何処かへ出かけるような格好も、うさぎがまことの誕生日のパーティに誘ったとすれば
頷ける。が、亜美の読みに反してはるかは首を左右に振った。
「いや、まこちゃんの誕生会に行きたいのはやまやまなんだけど、生憎先約があってね。
これからみちるとヴァイオリンのリサイタルに行く予定なんだ」
「そうなんですか……。すいません、お時間を取らせてしまって」
「いや、待ち合わせと言ってもまだ先だし、みちるはあれで案外時間にはルーズだから気
にする事はないよ。それより亜美ちゃんの方こそいいのかい? 何か考え事があったみた
いだけど」
「それは……」
 亜美は口ごもった。今悩んでいる問題は、はるかに相談できるような内容でない事は分
かっている。
 歩行者信号が再び青に変わった。歩き出しながらはるかが振り返る。
「まこちゃんの誕生日のことと、何か関係あるのかな?」
「……ええ」
 はるかの後を追うように道路に足を踏み出した亜美は、少しためらいがちにこくりと頷
いた。
「僕で良ければ相談にのるよ」
「……今日は優しいんですね」
「可愛い子猫ちゃんには、いつだって優しいつもりだよ」
 気障っぽく笑うはるかに、亜美は内心ちょっとだけむっとする。
「みちるさんに怒られないですか?」
「みちるはみちる、僕は僕さ。お互い干渉はしない」
 そう言うとはるかは前を向いた。このまま行けば商店街に入るが、亜美の内心の事情を
知らないはるかはそのままどんどん歩いていく。
「強いんですね……」
 先を行くはるかを止める声もかけられず、亜美はその背中を見つめた。
 お互いが干渉せず、それでいて深く信じ合える。それは今の自分にはとても真似のでき
ない事だと亜美は思った。まこと一緒にいる時には、彼女が何を考えているかが気に掛か
る。まこと離れている時には、今頃どうしているだろうと考えてしまう。
「強いとか弱いとか、そういう事じゃないと思うな。ただお互いのホームポジションがは
っきりしている、それだけの事だよ」
 前を向いたままではるかが答える。
「ホームポジション……帰る場所、ですか?」
「心のね。いや、魂(ソウル)の、かな? ソウルミュージック、ソウルフード、ソウル
メイト。自分の原点、自分が自分であることを確信できる、そんなものの事さ」
「自分が自分であることを確信できるもの……」
「海王みちるは僕を形作っている。彼女がいるから、僕は僕であることを確信できる。僕
たちはお互いを写す鏡だ。みちるがいなければ僕は僕は足り得ないし、僕がいなければみ
ちるはみちる足り得ない」
「…………」
「あとは演歌と銀シャリって所かな?」
「演歌と銀シャリ……」
 何と答えていいやら亜美は言葉に詰まった。みちるははるかのホームポジションである
ことは理解できるが、演歌と銀シャリが魂の帰る場所とは。
(「いよっ、江戸っ子だねぃ」)
 亜美になりかわり、脳裡で美奈子がツッコミをいれる。
「あ、いや、レースで海外へ行った時なんかにはね……みんなには内緒だよ」
「え、ええ。みんなのイメージを壊しちゃ悪いですからね」
 振り向いてはるかが笑った。その笑顔につられ、亜美も小さく笑う。
「……ところでさ」
 亜美が微笑んだのを見て、はるかはにこやかな表情を浮かべたまま足を止めた。
「はい」
 亜美も立ち止まってはるかを見る。
「亜美ちゃんのホームポジションは、まこちゃんなのかい?」
「え、………………………………………………分かりません」
 不意に問われた事の内容に、亜美は口元に手をやりしばらくのあいだ考えた。そして、
思ったことを正直に答える。
 はるかにとってのみちるのように、みちるにとってのはるかのように、まことにとって
自分が、自分にとってまことが帰るべき場所だと、今はまだ言えない。言える日が来るか
どうかも分からない。
 自分には母がいて父がいて、うさぎがいてレイがいて美奈子がいて、そしてまことがい
る。誰かが、ではなく、全ての存在が水野亜美という形を作っていると思う。
「ただ……」
 けれども。
 もし、木野まことという存在がいなくなってしまったとしたら? 自分は自分でいられ
るだろうか? あの北極点Dポイントの時のような事が、もしまた起こったとしたら。
「ただ、失いたくはありません」
「そう」
 はるかは亜美の瞳をじっと見つめた。
「まこちゃんの事は、好き?」
「――――はい」
「へぇ」
 はるかは少し感心したように声をあげ、普段亜美が考え事をする時のように口元に手を
やった。それからおもむろに人差し指を一本立てる。
「……じゃあ、さっきのこと黙っててもらう代わりに、僕から一つだけアドバイス」
「? なんでしょう」
「自分にもっと自信を持つこと」訊ね返す亜美を指差すように、人差し指を向ける。
「『木野まことにとっての水野亜美』という人間にね」
「まこちゃんにとっての、私?」
「そ。世界中の誰よりも、まこちゃん本人以上に、木野まことにについて理解している。
それが水野亜美だって。そのことに君はもっと自信を持っていい」
「そんな……」
 亜美は頬を赤らめ口をぱくぱくさせた。
(それが出来れば苦労しませんっ! 私ははるかさんじゃないんだから)
 思ったことは言葉にはならず、ただ否定的な呟きだけが漏れ出る。
「……そんなこと、できません」
「やる前から諦めるなんて、亜美ちゃんらしくないな。みちると全力で戦った時の事を思
いだしてごらんよ。僕が見た感じ、君が思っている程まこちゃんにとって、君の存在は小
さくないと思うよ」
「でも……」
「時には自惚れも必要さ。そうすればきっと、いま君が悩んでいる問題にも自ずから答え
を導き出せる筈だよ。……おっと、そろそろみちると約束した時間だ。じゃあ僕はこれで。
頑張れよ」
「はるかさん!」
 亜美が呼び止めるよりも早く、はるかはガードレールをひらりと飛び越えると、そのま
ま車道を横切り通り向こうのビルの陰に消えていってしまった。

         ☆         ☆         ☆

「……はぁ」
 商店街のスーパーで、メモを片手に食材を買い物かごに入れていた亜美は、手を止めて
深いため息をついた。
 現れた時と同様に、唐突に去っていったはるかと交わした会話は、結局亜美の困惑をさ
らに深めただけだった。
「まこちゃんにとっての私に自信を持てって……」
 はるかに言われた言葉を、途方にくれたように呟く。
 まことにとって自分はどのような存在なのか? それを考えた事は何度もある。けれど
もそれを決めるのは自分ではなくまことの方だ。
 まことにとってパートナー足りうる存在、共に戦うとき背中を任せられる、一緒にいる
とき安らげる、そういう存在でありたいと思っている。けれど実際にそれが出来ているか、
確認する術はない。
(「時には自惚れも必要さ。そうすればきっと、いま君が悩んでいる問題にも自ずから答
えを導き出せる筈だよ」)
(いま悩んでいる問題……って、お料理の事よね……)
 結局はるかに料理の事は話さなかった。ただ、まことの事に関係があると言っただけ。
 はるかのアドバイスは全然的を射ていないような気もする反面、いい加減な事を言う人
間でない事も確かであり、亜美はもう一度先程の言葉を頭の中で反芻する。
(「時には自惚れも必要さ」)
(自惚れね……。例えば、まこちゃんは私の事を――――)
 まことは自分のことを必要としてくれている。
 まことは自分のことを大切に思っていてくれている。
 まことは自分のことを愛――――
(あああっ、やっぱりだめっ!)
 考えるだけで顔が火照ってくる。とてもはるかの言うように、まことにとっての自分に
自信を持つ事など出来そうにない。
「逆なら簡単なのにな……」
 私はまこちゃんを必要としている。
 私はまこちゃんの事がとても大切。
 私はまこちゃんを……愛している。
 改めて思うと少し恥ずかしくはあったが、でもそれは偽りのない気持ち。
(あ、そうか)
 不意に亜美は閃いた。
 自分がまことに対して抱いている気持ち。それをそのまま立場を逆にして考えてみる。
(私がまこちゃんに抱いている気持ち、イコールまこちゃんが私に抱いている気持ち)
 自分の気持ちとまことの気持ちがイコールだなんて、自惚れもいいところだ。けれど、
はるかの言っていたことは、そういう意味のような気がする。
(私がまこちゃんにしてもらって嬉しいこと、イコールまこちゃんが私にしてもらって嬉
しいこと)
(私のレパートリーに加えたいと思うまこちゃんのお料理、イコールまこちゃんがレパー
トリーに加えたいと思う私の料理)
(私が作ってみたい、まこちゃんのお料理は――――)
 まことにはいろいろな料理を教えてもらった。中華料理、イタリア料理、インドやトル
コ風の味付け。料理の本や番組を見ながら一緒に作ったりもした。けれども一番知りたい
と思ったのは。自らのレパートリーに加えたいと思ったのは。
(まこちゃんの家の、家庭料理)
 それがまことの味の基本であり、まことを、まことを形作る人達を感じさせるものだっ
た。亜美の中で、まことをまことたらしめているものの一つだった。
(ソウルフード。心のホームポジション)
 なんだか胸がドキドキしていた。
 はるかが言った通り、答えは自分の中にあった。
 昨日決めたメニューなんて、もうどうでもよくなっていた。
(まこちゃんに教えてあげよう)
 手にしていたメモをポケットにしまう。
(私の家の家庭料理を。「手軽で」「日持ちがして」「うまい」私の家の味を)
 そうと決まったら、もたもたしてはいられなかった。
 不必要な食材を急いでもとの場所に戻し、代わりに水野家の定番スープの材料を買い足
す。レジを待つ時間すらもどかしく感じられ、精算が終わるやスーパーを飛び出す。
(まこちゃんはどう思ってくれるだろう)
 まことのリアクションを想像しながら亜美は足早に歩く。今度の想像は途中で途切れた
りしない。それはきっと自分と同じように、まことも喜んでくれると思えるから。
 まことのマンションが見えてくる。
 少しでも早く会いたくて、今の気持ちを伝えたくて、亜美の足はさらに早くなる。
 同じ時代に生まれ、同じ世界に育ち、こんな気持ちを抱ける人と出会えた。そんな今日
は奇跡の日。
 階段を上り、まことの部屋の前に立つ。
(お誕生日おめでとう)
 ドアが開いたらそう言おう。それからパーティの準備をしながら今日あったことを話そ
う。そして、私の家のスープを作ろう。
 ひとつ深呼吸をして、亜美は呼び鈴を押した。

                                   Fin.


あとがき


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