Paint in BLACK
                            ひーやん


 その洞窟は地上の世界とは切り離された場所にあった。
 洞窟と言うよりは岩の広間とでも呼べそうな程のその空間を、何処からともなく
吹き込んだ異界の微風が漂い、太陽の物とは異なる光が濡れた岩肌を鈍く浮かびあ
がらせている。
 その岩の広間の中に、一人の男と一人の少女がいた。
 男は精神を集中するかのように固く瞳を閉ざし、じっと何かを待っているようだ
った。いっぽう少女の方は、男の傍らにしつらえられた無機質な低い寝台の上に、
外出着のまま横たえられ静かに眠っているように見える。
 男の名はクンツァイト。この異界に居を置く闇の王国ダークキングダム、その四
天王の一人。少女の名は水野亜美。またの名をセーラーマーキュリーといった。
 ……そろそろか。
 クンツァイトの唇が僅かにそう動く。
「ん…」
 それに応えるかのように、寝台の亜美がかすかにうめき声をあげた。
 集中を解いたクンツァイトの目が、声のした方にむけてゆっくりと開かれる。
「目覚めたようだな」
 その声にびくっと体を震わせた亜美は、ぱちりと目を覚ますとすぐさま身を起こ
し、訝しげに正面に見えるものに目を凝らした。
「……」
 明らかに普通の場所では無い壁の岩肌に、自然と眉がひそめられる。
「私が誰だか分かるか?」
「!」
 驚き振り仰いだ亜美の視線が、傍らに立つクンツァイトの姿をとらえる。
「あ…う…」
 自分を見下ろす視線に、亜美は言葉を探しあぐねるかのように2、3度口を開き
かけた。そして、ようやく頭の中で男の姿とその名前が一致する。
「クンツァイトさま」
 その言葉に、クンツァイトの唇の端が僅かにゆがむ。
 この1日、持てるダークパワーを費やして、亜美の意識に働きかけてきたのだ。
 彼女にとってセーラームーン達が敵であること。ダークキングダムこそが彼女の
居場所であること。そして自分に対する忠誠と服従を。
「!! クンツァイトっ!」
 瞬間、それが自分自身の発した言葉だとは信じられないように目を大きく見開い
た亜美は、叫ぶように言い直すと寝台から素早く飛び降り身構えた。
「マーキュリーパワー!」
「ほぉ、まだ完全ではないか。さすがはセーラーマーキュリー。私が見込んだだけ
の事はある」
 その姿にほくそ笑むクンツァイト。
「メイクアップ!」
 凛とした亜美の声はしかし、暗い洞窟の中にむなしく響いただけだった。
「どうした? 変身はできないか?」
「一体なにを――」
 したの? と問う間もなく、亜美の視線はクンツァイトの眼にとらえられた。
「言ったはずだ。お前は私のものになると」
 クンツァイトの虹彩が鈍い光を放つ。
「思い出せ」
 亜美はその瞳から眼を逸らせられないまま、頭の中に声を聞いた。
《そして今一度、我が名を呼ぶがいい》
「私…わたしは…」
 亜美は必至で記憶をたぐった。
(私は水野亜美。14歳。中学二年生。母は医者、父は画家。友達はうさぎちゃん、
レイちゃん、まこちゃん、そしてルナ。セーラー戦士としてプリンセスを守り敵と
戦う…これが私の筈…なのに、この違和感はなんだろう?)
 昨日も、その前にもクンツァイトと戦った記憶が確かにある。
(私はこの男と戦った。この男は私達の敵。…敵? でもどうして戦ったんだろう?
…ううん、そんな筈ない。だってこの方は…)
「クンツァイトさ――」
(違う!)
 強烈な違和感にさいなまされながらも、亜美は拳を強く握りしめ首を左右に大き
く振った。
 本能が、この男を敵ではないと言っている。けれども、昨日まで信じていたもの
が嘘だと言い切ることはできなかった。
(だって、この人はうさぎちゃんを妖魔にしようとしたんだもの!)
 たとえどれだけ心がその思いに違和感を訴えようとも、その行為は自分にとって
許される筈の無い事だった。
(私から、友達を奪おうとした)
「ふむ、まだ偽りの思い出に執着するか」
 不意にクンツァイトが亜美から離れた。そしてマントを翻すと亜美に背を向けて
歩き出す。
 隙だらけのその背中に、しかし亜美は何もする事ができなかった。
「偽りの…思い出?」
「そうだ」
 再び振り向いたクンツァイトの左手には、いつのまにか一輪の花が握られていた。
中心の数枚だけが白く、それ以外の花弁は全て黒い不思議なその花に、ちらりと亜
美の視線が行く。
「自分のしたことを、嘘だったとでも言うの?」
 だがすぐに眼をクンツァイトに戻し、厳しい口調で問いただす。
「セーラームーンを妖魔にしようとした事か? そんな事ではない。奴は『我々』
の敵だからな」
 手にした花を慈しむように愛でながら、クンツァイトはつまらなそうに答える。
「お前もそろそろ気が付いているはずだ。お前の父も、母も、友と呼んだ人間も、
誰もお前を見てはいないことに。フッ、当然だ。元々連中はお前の仲間などではな
いのだからな」
「嘘よ!」
 叫びながら、しかし亜美は心の中の違和感がすっと消え去るのを感じていた。父
はなぜ家を出て行ったのか? 母はなぜいつも留守がちなのか? 皆はなぜクラウ
ンに来ないのか。
(私とあの人達は、そもそもが相容れない関係)
 なると共に歩み去るうさぎの姿が脳裏をよぎる。そのうさぎのあとを、レイとま
ことが気遣わしげに追いかけてゆく。
(いいえ!)
 そんなイメージを打ち消すように激しく首を振る。
(クラウンに来られないのは、みんなそれぞれに用があるから。何も私だけ仲間外
れにされている訳じゃ…)
 そこまで考えて、亜美は一つの事実を思い出し愕然とした。
(3人で遊園地……行ったんだ)
 うさぎとレイとまこと。知り合って間もない3人はその日、亜美を残して遊園地
に遊びにいった。
(あの時私は、セーラーVの調査するために行くのを断った。だけど、あるいは最
初からそうなるように仕向けられていた?)
 クンツァイトの手の中で、1枚の白い花弁が音もなく黒く染まっていく。
「なぜセーラーマーキュリーになれなかったか分かるか?」
 花から眼をあげてクンツァイトが問う。
 亜美は足下にぼんやりと視線を漂わせたまま答えない。
「それはお前が真の戦士として、ダークパワーに目覚めたからだ。真の力の前に、
偽りの力は消え去った」
「ダークパワー…」
 亜美がその言葉を噛みしめるかのように呟く。
「感じるだろう。お前の中の力を。お前が何になるべきかを」
 クンツァイトの持つ花の花弁が、またひとひら黒くなる。
「今日、お前は生まれ変わる。私の戦士として」
(私がなるべき…戦士)
「唱えるがいい、その言葉を!」
「……嫌」
「なにっ!?」
 初めて、クンツァイトの表情に驚きが走った。急いで手元を見る。と、ほとんど
黒く染まった花弁の中に、ほんの一片、白さを残しているものがあった。
「大切な…友達だもの」
(なんという強さか……だが、やはりこ奴を選んだ甲斐はあった)
 手に入れたマーキュリーを妖魔化するだけなら、これ程手間をかける必要は無か
った。だがクンツァイトが手に入れたかったのは妖魔などではなく、自らの手足と
なるべき力。
(だがクインベリルも薄々気が付いている。あまり時間はかけられまい……ん?)
 不意にクンツァイトは虚空を振り仰いだ。そこに何かがある訳ではなく、亜美の
家に仕掛けてあった結界が侵入者を感知したのだ。そのイメージが頭の中に流れ込
んでくる。
(この娘、セーラージュピターか)
 亜美の部屋の前でチャイムを押したまま、中に入ろうかどうか迷っているまこと
の姿を感じる。
「ちょうどよい。あいつを利用させてもらおう」
 自分の家で何が起こっているかを知らない亜美は、急に口を開いたクンツァイト
に驚いて顔をあげた。
「これを見ろ」
 その亜美に見せつけるように、クンツァイトは右手で腰の剣を掴むとその鞘の腹
を亜美に向けた。
 訝しむ亜美の目の前で鞘は白い光を放ち、そこにまことの姿を映し出した。
「まこちゃん!」
 思わず声をあげる亜美。だがこちらからの声はまことには届いていないらしく、
気付いたそぶりもない。
「フ、どうやらお前を見舞いに来たらしい」
「! まこちゃんをどうするつもり?」
 鼻で笑ったクンツァイトに亜美は厳しい視線を向ける。
「私は何もしない。お前自身の目で、偽りの関係を確かめてくるがいい」
 亜美の視線も意に介さず、クンツァイトは鞘から剣をすらりと抜き放つ。その刃
にはまるで黒い雲のように瘴気がまとわりついていた。
「むんっ!」
「ああっ」
 振り抜いた剣から放たれた瘴気が、一瞬で亜美の全身を包み込む。僅かな抵抗も
できないまま、亜美の意識は再び暗黒の淵に呑まれていった。
 
         ・         ・         ・

「――ちゃん! 亜美ちゃんどうした? 具合悪いの?」
(んっ…まこちゃん?)
 耳元でかけられたまことの声に、亜美は意識を取り戻した。
「…だいじょうぶ。でも起きられなくて」
 特に意識した訳でもないのに、言葉が勝手に口をついて出る。
「風邪かな…お母さんは?」
 言葉とともに額に当てられた手が、とても心地よく感じられた。
「しゅっちょう…ヨーロッパ」
 今度は自分の意志で言葉が出せた気がした。母親は週の頭から海外へ出かけてい
って、来週まで戻ってこない。よくある事だった。
「じゃぁ1人で寝てたわけ? なんで電話しないんだよ」
「うん…」
 生返事をしながら、亜美は何故まことがここにいるのだろうと、心の中で首をひ
ねる。
「とにかく、このままじゃ駄目だよ。あたし、何か温かいもの作るから、亜美ちゃ
んはベッドに入って…て、これじゃあ無理か」
「ん…」
 まだ朦朧とした意識のまま、亜美は不意に体が浮き上がるのを感じた。
「布団めくるから、ちょっとの間しがみついてて」
 両の腕で亜美を抱え上げたまことがそう告げる。
 言われるままにしがみついてきた体を右腕だけで器用に支え、まことは空いた左
手で掛け布団をめくる。そして再び亜美をそうっとおろす。
「いま暖房入れるから。コートは脱いだ方がいいね」
「うん…?」
 そう言われて初めて亜美は、外出着のままでいることに気が付いた。
 まことに手伝ってもらってコートを脱ぎ、枕を背もたれにして足に布団をかける。
その頃にはようやく意識もはっきりしだしてきた。
「それじゃあすぐに作ってくるから、ちょっと待ってて。台所借りるよ」
 そう言い置いて去っていくまことの背中を見送りながら、亜美は昨日の事を考え
ていた。
 ここ何日かの日課のようにクラウンで編み物をし、それから外へ出たことまでは
覚えている。だがその後の記憶がない。
(誰かと会ったような気もするし…どうやって家に帰ってきたのかしら?)
 まことに起こされるまで外出着のままで寝ていたくらいだから、相当疲れている
筈なのに不思議と体は何ともなかった。さきほど自分の口から「起きられない」と
言ったのに。そう思うと何か変な気分だった。
 そんなことを考えているうちに、まことがお粥を運んできた。サイドテーブルに
トレイを置き、土鍋からお椀にお粥をすくう。
「ネギ、入れる?」
「…うん」
「いっぱい食べて」
 お椀とレンゲを手渡され、亜美はこくりと頷いた。
「熱いから気をつけるんだよ」
 お粥をひとさじすくって口に運ぶ。まことの言葉とは裏腹に温度は程よく加減さ
れていて、御飯の甘さと少し薄目の塩味も舌に優しかった。
(おいしい…)
 消化のよいお粥と葱、それと付け合わせの梅干し。どれも風邪などで体力を失っ
ている時に適している。葱は体温の上昇と脳の活性化、梅は疲労の回復や胃腸の働
きの促進、そしてどちらにも殺菌作用。
 それらの事を亜美は知識としては知っていたが、常なら風邪の時はすぐ医者に行
くか常備薬を使っていたので、こんな風にベッドに入ったまま何かを食べるのは、
もっと幼かった頃以来のような気がした。
(誰かが看病してくれるのって、いいな)
 傍らで自分のことを心配してくれるまことの存在が、とても嬉しく思える。
「おかわり」
「はい」
 なんとなく甘えてみたい気分になってお椀をさし出す。まことは笑顔でそれを受
け取るとお粥をすくい、再び亜美に手渡す。
 そんなやりとりが何だか楽しくて、気が付いた時にはもうデザートしか残ってい
なかった。
「いっぱい食べたね」
 まことが感心したような声をあげる。
「元気、でた?」
 気にかけてくれる言葉に自然と笑みが浮かぶ。
「うん」
 亜美のそんな表情に、まことも心からの笑顔を返す。
「他になにか欲しいものある?」
「……遊園地」
 少し悩むように小首をかしげた亜美は、不意に心の中に浮かび上がった言葉を呟
いた。
「は?」
 まさかそんな答えが返ってくるとは思っていなかったのか、瞬間まことの目が点
になる。
「遊園地、行きたいな」
 あっけにとられたまことの表情が面白くて、亜美は今度ははっきりと口にする。
「え!?」
 するとまことはまたもや意外そうに聞き返してくる。
(遊園地に行きたいだなんて、子供っぽすぎたかしら?)
 よほど自分と遊園地というのはイメージが合わないのだろうと、亜美は心の中で
嘆息する。自分でも何故急に遊園地などに行きたいと思ったのか分からない。
「だめ?」
「ううん、全然OK。行こうか、遊園地。それより体の方は大丈夫なの?」
「平気」
 気遣うまことに笑顔で答える。なんとなく口に出した遊園地だったけれど、まこ
とがOKしたとたん楽しみでならなくなった。
「早く行きましょ」
 今日のまことは自分の言うことなら何だって聞いてくれる。そんな気がして亜美
は目を輝かせた。


 久々の遊園地を亜美は心の底から楽しんでいた。
 ふと、最後に遊園地に来たのはいつだったか考えてみたが、うまく思い出すこと
は出来なかった。少なくとも、ここ数年訪れたことが無いのは確か。
(…どうでもいいか、そんな事)
 子供達に混じって着ぐるみのクマから風船をもらう。何の偶然か手渡された風船
の色が自分の好きな水色と、まことのイメージカラーの緑色だったことが殊更に嬉
しく思える。
 まことと来てみて初めて分かった。友達と来る遊園地がこんなに楽しいものだと
いうことを。そして気の置けない人と過ごす時間が、こんなにも輝いて見えるとい
うことを。
「そうだ」
 自分のこの嬉しさをまことにも分けてあげたい。
 そう思った亜美は緑の風船を手に、少し離れたベンチで待つまことに小走りで駆
け寄った。
「はい」
 いきなり差し出された風船に、まことは少し驚いたように亜美を見つめる。
(連れてきてくれて、ありがとう)
 亜美の思いが伝わったのか、まことはふっと相好を崩して風船を受け取った。
「行こっ!」
 いきなりまことの手を取ると駆け出す。
 風船に込められた感謝の気持ち。それを受け取ってくれた笑顔が、亜美にはなん
だか気恥ずかしかった。
「亜美ちゃん、そんなに急がなくても」
 引っ張られるようになりながら、まことが声をあげる。
「まこちゃん、わたし、すごく楽しい」
 振り返らずにそう言うと、背後から「あたしもだよ」と返事が返ってくる。
 それだけで亜美は心が満たされる思いだった。
「次はこれ」
「メリーゴーラウンドかぁ」
 華やかな音楽に合わせて動く回転木馬を前に、まことは思わず苦笑いを浮かべる。
「まこちゃんも乗ろう」
「いや、あたしはいいや…ガラじゃないし。亜美ちゃん乗ってきなよ。見ててあげ
るからさ」
「そうなの? それじゃあ行ってくるね」
 まことに手を振った亜美は手近な木馬に腰を下ろした。それから程なくしてベル
が鳴り、回転台が動き出す。上下に揺られながらぐるりと一周してくると、亜美を
探すまことの姿が目に入った。
「まこちゃーん!」
 亜美はまことに向けて手を振った。それに気付いたまことが笑顔で手を振り返す。
(私、きっとこんな時間が欲しかったんだ)
 木馬の背に揺られながら、亜美はそんな事を考える。
 家で一人勉強している時も、学校の屋上でお昼を食べている時も、別に寂しいと
思ったことは無かった。それは、うさぎやまことと友達になった今でも変わらない。
それが自分にとってちょうど良い距離感だった。
 けれども、放課後や塾のあと、今までならまっすぐ家に帰っていた足は自然とク
ラウンに向くようになっていた。きっとそれは他の人にはない、彼女達との間だけ
に築かれた絆を感じていたから。
 急に変わる必要は無い。そうレイは言ってくれた。今ならその言葉がよく分かる。
知らないうちに、あの時よりずっと自分たちの距離は近くなっている。
(もっともっと、こんな時間が続けばいいのに…あ、いけない)
 考え事に気を取られそうになった亜美の目に、再びまことの姿が映る。
「まこ――」
 あげかけた声と手は、しかし次の行動に移されないまま凍りついた。
 いつの間にかまことの側に現れていた男が、親しげに話しかけている。それに応
えるまこともまた、何だか楽しそうだった。
(元基さん? どうして…)
 声をかけられないまま、亜美を乗せた木馬は2人の前を通り過ぎた。けれどもま
ことが亜美に気付くことはなく、そのまま2人の距離は開いていく。
《来るがいい》
 不意に頭の中に声が響き、亜美の世界は暗転した。

         ・         ・         ・

《分かっただろう》
 亜美の意識の中、クンツァイトの声が響く。
(分からないわ)
 亜美が応える。
《……》
 心底「意外な」とでも呼ぶべき波動が伝わってきた。
 この方でも動揺するのだな、と亜美は心の奥底でひっそりと笑う。
(私が敵と分かっているなら、なぜ彼女達は今まで私と共にいた? どうしてさっ
さと私を倒さなかったの?)
《それが知りたければ、私の下へ来い――》
 どこかほっとしたような気配を残し、クンツァイトの意識が遠ざかる。それを確
認してから亜美はゆっくりと目を開いた。
(ここはどこ……病院?)
 寝かされていたベッドや点滴の道具、看護婦の存在から亜美はそう判断する。
「あら、気が付いたのねぇ。体は大丈夫? だるくはない?」
「うるさい」
 声をかけてきた看護婦に向かって右手を払う。その瞬間、触れた訳でもないのに
看護婦は意識を失ってベッドに倒れ込んだ。
(これが…私の力)
 自分の右手をじっと見つめる。昨日までの自分と何も変わっていない掌。けれど
も、そこに確かに満ちている力を亜美は感じていた。
(これがダークパワー)
 亜美はベッドから立ち上がり病室を抜け出た。そのまま誰にも見咎められずに廊
下を歩く。
「あれは…」
 遠くの待合室にまことの姿が見えた。最後に遊園地で見たときと変わらず、元基
と2人で話し込んでいるようだ。
(……)
 真実を知った今となっては、馴れ合っていた日々が懐かしくも思えた。
 亜美は無言のままできびすを返す。自分の行く先は、誰に尋ねなくても分かって
いた。


「来たな」
「ええ」
 かつてはシンと呼ばれていた男の家。今では廃墟と化した美術室とでも呼ぶべき
部屋で、亜美とクンツァイトは再び対峙した。
「さっきの答え、聞かせてもらおうかしら」
「いいだろう。我らが追っているプリンセス。お前も知っているだろう」
 クンツァイトの声に亜美は頷く。
「だがその居所は知るまい。不思議だとは思わないか? 本来守らなければならな
い存在なのに、仲間であった筈のお前ですら分からないというのは」
「確かにそうね」
 プリンセス。セーラーヴィーナスは確かに滅多な事では自分たちの前に姿を現す
事はなかった。
「お前がいたからだ、マーキュリー。プリンセスは本来我々の仲間である筈のお前
の覚醒を恐れ、居所を知らさないのだ。何故ならお前の力を知って、奴らの仲間に
取り込んだのもまたプリンセスの仕業だからだ」
「……」
 亜美は無言のままクンツァイトを見つめた。その言葉の意味を頭の中でゆっくり
と咀嚼する。
「私と戦った時のことを覚えているか? お前がセーラームーンを取り返しに来た
時のことを」
「勿論よ」
「あの時お前は私の剣を自らの剣で受け止めた。あれがお前本来の力だ。昨日の攻
撃など、その力に較べれば児戯に等しい。プリンセスはお前を仲間に取り込みなが
らも、その力が自分に向けられる事を恐れた。だからお前が弱いままである事を肯
定したのだ」
「私が…弱い」
「そうだ。徒党を組まねば戦えぬあの連中は、お前にとってただの枷、剣の鞘にす
ぎん。守ってみせる事で力の解放をさせないでいる。だがそれこそが奴らの狙いだ。
鞘を壊せ、剣を抜き放て、そうすればお前はもっと強くなるだろう」
「……」
「私と共に来い」
 クンツァイトが亜美に歩み寄る。
「待て!」
 その時、2人の横手から荒々しい声がかけられた。
 亜美が声のした方を振り向くと、そこにはまことの姿があった。
「亜美ちゃん!」
 亜美の姿を見つけたまことは急いで駆け寄ると、クンツァイトから庇うように2
人の間に割り込んだ。そして間をおかずにセーラージュピターに変身する。
「亜美ちゃんはここにいて」
 ジュピターはそう言うと亜美の手を引いて、物陰に隠れさせた。
(弱いままである事を肯定…)
 ジュピターのされるがままに任せながら、亜美は先ほどのクンツァイトの言葉を
頭の中で反芻した。
 その間にもジュピターとクンツァイトの戦いは続いている。
「シュープリーム・サンダーーッ!!」
 ジュピターの放った電撃を、クンツァイトが剣ではじき返す。はね返された攻撃
は、ギリシアの神殿を模した柱に当たり、亜美に向かって倒れ込んできた。
(亜美ちゃん!)
「っ………くぅっ」
 とっさに駆け込んだジュピターがその柱を受け止め、はね返す。
(今の私なら、手を動かすこともなくあの柱を破壊できたろうに)
 大きく息をするジュピターの背を見つめながら、亜美はそんな事を考える。
「亜美ちゃん逃げろ。ここはあたしが」
 亜美の方を振り返ったジュピターがそう告げる。その表情は真剣そのものだ。
(守ってみせることで、力の解放をさせないでいる)
 クンツァイトの言葉がまた1つ、証明されたような気がした。
「早く!」
 立たせようと腕を掴んだジュピターの手を、亜美は乱暴に振り払った。
「!」
(もう茶番劇は結構よ)
 突然の行為に驚いて立ちつくすジュピターの顔を見つめながら亜美はそう思う。
 立ち上がり、クンツァイトのもとへと歩き出す。
(彼女は私の枷、私の鞘、私の弱さ……そんなもの、もういらない)
 振り返ってジュピターを見る。まだ事態がよく飲み込めていないその表情に、お
かしさがこみあげてくる。
(おばかさん)
「!」
「亜美ちゃん、まこちゃん!」
 ジュピターの目が驚愕に見開かれる。そこへ駆け込んできたムーンとマーズも、
クンツァイトの側にいる亜美の姿に、何が起こったのか分からないような戸惑いの
表情を浮かべた。
「お前、亜美ちゃんに何をした!」
 怒りに叫んだジュピターが前に出る。その光景すら、今の亜美には茶番にしか見
えなかった。
「見せてやれ」
 背後からクンツァイトの声がする。亜美は頷くと歩を進めた。
(そう、見せてあげる。覚醒した私の力を。あなた達が封じていた私の真の姿を)
 左腕をかかげ、力を解放するその言葉を口にする。


「ダークパワー・メイクァップ!」


                    to be continued?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           あとがき


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