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DRAGON

槍騎兵、軽騎兵、そして戦車

Vae Victis #54



共産主義体制の崩壊後、“東側” と呼ばれていた(東部)ヨーロッパでは、自国史の明確化や、以前は絶対厳守だったイデオロギーという耐え難い抑制を受けることなく それを研究することが、再び可能となっている。



by Philippe NAUD

 

 ロシア、チェコ、ポーランドといった国々の戦史書出版ピークを迎えて此の方、『言葉の壁』 が存在するにもかかわらず、それらの書物の殆どをフランス国内で入手することができる・・・。

 米国文化の支配傾向に対して強硬に反発する勢力が存在する。だがその反面、マーク・トウェーンの言葉は非常に現実的であること、さらには アングロサクソン系の出版社のいくつかが、特にロシア語文献の翻訳書を提供しているから言えることなのだが、彼らはそのことをよく承知していることを、我々はちゃんと理解しなければならない。 とはいえ、この手の戦史書が豊富にあるということは、当然、ゲームの分野にも多大な影響が確実に及んでいることに変わりはない。

 こうしたことから、内容が濃く、時として悲劇的なポーランドの歴史は、特に2つの世界大戦を通じて読者諸氏にも馴染みがあり、一連の興味深い激戦の全てが (ゲームという形で) 提供されている。当然の帰結として、ポーランドの出版社 "Dragon (ドラゴン)” (訳註 : 現在の社名は “ヘキサゴン” ) は、自国の歴史の中で生じた波乱をテーマとするゲームを まず提供しているようだ。

 ポーランドの諺 (ことわざ) は、そうした同国の不幸を 『2人の盗賊に挟まれた受難者』 と表現している。
( 訳註 : これはイエス・キリストが2人の 盗賊 とともに磔 (はりつけ) にされたという聖書の記述 (ルカ福音書 第23章 39〜43) が起源。ここでは ドイツ と ソ連 を 2人の盗賊、ポーランドを 受難者 (キリスト) になぞらえている。)
ソ連邦ロシアとドイツは、1945年までの戦争の深い爪痕をポーランドに残しているのだ。

Wolomin 1920 のボックスアート しかも当時は、共産党員にとって数百年来のポーランドとロシアの対立を思い起こすことが非常に困難 遠回しな表現でもある なことだった。 
このテーマに関して 《 Dragon 》 は、1920年のポーランド・ソヴィエト戦争 (露波戦争) のゲーム "Wolomin 1920 (ボウォミン 1920)" を発売している。しかし同社の発売タイトルは、1939年のドイツ軍によるポーランド侵攻を題材にしたものが大半だ。
まず、"Mlawa 1939"(ムラヴァ 1939) については、のちほど詳しく解説することにする。
"Piotrkow 1939"(ピョートルクフ 1939) は、ポーランド軍が戦力として有効な数の戦車を多数展開する唯一の機会となった、同名都市周辺での戦闘を詳しく描写している。
Pomorze 1939 のボックスアート"Pomorze 1939"(ポモージェ 1939) は、9月1日 (訳註 : 第二次世界大戦の開戦日) に有名なダンチヒ −グダンスク?− の回廊地帯の根もとに位置していた、ポーランドのポモージェ軍の作戦行動を扱う。
まだ他にもいくつかのゲームがあり、それらは作戦級シミュレーションで、ユニットは大隊か連隊規模、再現する戦闘は 戦略レベルでの面白みなど全く無い。もっとも、ゲームのデザイナー達は、ポーランド軍に史実より多目に自由を委ねることによって、 ゲームとしての面白さを与えている、とハッキリ言い添えている。 いずれにせよ、ポーランドのゲーム専門誌に掲載されている それらのゲームの追加シナリオは、理解 (訳註 : 翻訳?) に 酷く苦労することになるのは間違いない ・・・ 追加シナリオこそが、 Taktyka i Strategia (タクティカ イ ストラテジア : 「戦術と戦略」) − この雑誌の名前の意味は分かりやすい − の 『売り』 なのだが ・・・ 。 この雑誌に掲載されている追加シナリオのサイズは、その大半が かなり控えめになっている。もちろん、追加シナリオだけではなく、もっと多彩なテーマの歴史記事も掲載されている。 例えば、2003年1月号では ロシア革命、頑強なキリスト教信仰、ペロポネソス戦争で発生したヘレスポント海峡での海上戦闘 等々。

"Grunwald 1410"(グリュンワルト 1410) − ドイツにとってのタンネンベルク − や、Kirecholm 1605 のボックスアートスウェーデン軍を相手に戦う "Kircholm 1605"(キルホルム 1605) のように、他の時代を扱うシミュレーション・ゲームもある。しかし、このメーカーは ポーランド史にだけ こだわっているわけではなく、"Charkow 1942"(ハリコフ 1942)、"Kasserine 1943 "(カセリーヌ 1943)、あるいは "Waterloo 1815 "(ワーテルロー 1815) といったゲームも揃えている。
でも我々は、なかでも "Mlawa 1939"(ムラヴァ 1939)に より興味をそそられるのだ。 なにしろ、一般的には無名であるこの戦闘は、ドイツ第3軍とポーランドのモデリン軍による第2次世界大戦でも最初の衝突なのだ。モデリン軍は兵力面で劣勢ながらも、ワルシャワまでの通過困難な最短路を防衛する。
9月1日、SS自動車化歩兵連隊 「ドイッチュラント」 を組み入れて編成された 臨時装甲師団 「ケンプ ( Kempf ) 」 の襲撃部隊が、戦線全体で唯一本格的なポーランド軍の要塞に突っ込み、挫折した。このムラヴァ要塞は迂回されており、しかもポーランド軍の防衛部隊はドイツ軍に気づかれることなく放棄してしまっていたにもかかわらず、この要塞が陥落するまで3日間も掛かったのだ。

  Mlawa 1939 のボックスアートこのゲームでは、実際には東方の 「ナレウ」 集団の作戦行動をも含む、もっと広い領域でプレイすることができる。そのソフトマップは平凡なデザインながら、とても大きく( 97cm × 68cm )、ポーランドとドイツの国境からモデリン市付近までの前線をカヴァーし、森林地帯と湿地帯の大部分を含んでいる。プレイヤーが使用できる部隊は種類が豊富で、主力は歩兵や騎兵 ( 両陣営が運用できる。というのは、唯一のドイツ軍騎兵旅団が この防衛区域に存在していたから )、砲兵、それにドイツが圧倒的に優位に立つ戦車である。もっとも、ポーランド軍の弱小な戦車中隊は、もっと有意義な役割を果たせるように 一つにまとめてある、とデザイナーは明言している! 
私は装甲列車が用意されていないことに不満を抱く。 というのは、モデリン軍の管轄内には 3編成の装甲列車が配属されていたからだ。
マーカーや リーダー・ユニット、そしてドイツ軍には航空機ユニットが加わる。両陣営のユニットの規模は、連隊、大隊、そして装甲部隊は特別に中隊である。 他の幾つかのゲームで見られる特徴、すなわち、連隊規模で扱うべきところを大隊で展開できるという点をこのゲームでも見いだせる。Piotrkow 1939 のボックスアートこれは結局、1ヘクスの対辺間距離が 3,000 メートルの作戦級ゲームであることが問題なのだ。 ユニットは表面にプラスチック膜 (訳註 : 「ツヤありコーティング」 のことか?) に覆われた紙製で、ボール紙の台紙に貼り付けられている。デザインは Vae Victis のユニットに似ている。
1ターンは実際の1日に相当。 ターンは、ポーランド軍 → ドイツ軍と交代で実施する9つのフェイズに分割されていて、次の順序で行う。 移動、要塞建設、ポーランド軍の攻撃とドイツ軍の反撃、次にドイツ軍が同じ行程を繰り返す。両軍共通の第1フェイズでは “補給”、ならびにルフトヴァッフェの制空権確保に重要な影響を及ぼす “天候判定” を行う。

 ゲームシステムは戦闘時に複数の表を使用しなければならないが、結構オーソドックスといえる。
大半のユニットはポイント形式で損害を記録する。専用の用紙にそのポイントを記録しておかなければいけないのだが、殆どのユニットは2ポイントだけしか保有していない …。
ルールは プレイ例を含めても 15ページほどなので、特に難解な箇所はない。
6〜20日間に及ぶ4つのシナリオ(戦力は可変)が用意されている。
細かい部分で興味深いのは、勝利条件がドイツ軍の損害を基準にしていることだ。 そのため、プレイヤーは2つの陣営を交代で担当する必要があり、ポーランド軍を担当しているときに最も多くの損害をドイツ軍に与えたプレイヤーが勝つのである!  それでもやはり、戦力的な格差が大きい2つの軍隊が対立するようなシミュレーションゲームは、もはや第2次世界大戦を含めて、相変わらず “古典派の大作家たち” が幅を利かせている時代だけが人々の関心を惹く、という実状に変わりはない。例えば、VV で紹介されている新刊書を見てみるといい …。
ポーランド戦、そして戦術級シミュレーションゲーム(特に ASL) の熟練プレイヤーは、その戦役 (あるいはゲームシリーズ) が持つ些細な物理的欠点を容認した上で、別の面白さを理解するものだ。

 私は、この記事の書き出しから 最も重要な側面、すなわち “言語” については触れなかった。というのも、ここで扱っているゲームと雑誌はすべて ポーランド語 で記述されているからだ。しかしゲームデザイナーは、ムラヴァ 1939 のものと同様な英訳ルールを いくつか作製している。この方面でも彼らは努力する必要があるのだ。
しかし、まだ充分には普及していないように見える 《 Dragon 》 の製品は、急上昇を成し遂げるだけの実力を備えていると私は思う。

 

Fin

 


本記事掲載誌の Vae Victis 54号は、2003年12月に発行されました。

この非公式翻訳文は Vae Victis 編集部の許可を得て公開しています。

Translated by T.Yoshida

 

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