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懐旧の時  バックナンバーの ささやかな思い出

Vae Victis  #150


Vae Victis 執筆陣には、しばしば “ プルースト の マドレーヌ ”   …  つまり、彼らを このホビーに辿り着かせた 付録ゲーム や 記事 がある。そのことに思いを馳せる文章を、彼らは快く寄稿してくれた。

(訳註 : フランスの小説家 マルセル・プルースト(1871〜1922)の自伝的長編小説 「失われた時を求めて」 が元ネタ。その冒頭、主人公の少年が 紅茶に浸したマドレーヌを口にしたことで、鮮やかに昔の記憶が蘇る有名なシーンがある。)



 Numero Une  創刊号

1990年頃、ヒストリカル(歴史) ゲーム市場は " 情報革命 " と " マジック ・ ザ ・ ギャザリング Magic : the Gathering " の影響で 崩壊 してしまった。
この出来事は、 ウォーゲーム を 1970年代の末に フランス語圏の読者 に 披瀝 していた 雑誌 " Jeux et Stratégie (ゲームと戦略) " を 失墜 へと導き、 " Casus Belli " 誌 を ロールプレイングゲーム の分野へと 軌道修正 させた。 故に、この状況下での Vae Victis 誌の登場は、 ある意味で 無謀な賭け だった。

1995年2月、とあるタバコ屋で、私の目は VV誌の創刊号に釘付け となった。

中学校に入学して以来、私は ボードゲーム や ロールプレイングゲーム、そして何よりも 古代 や 中世 を扱う 25mm の ミニチュアゲーム に のめり込んでいて学業に少し支障をきたしていた。 そのため、高校の終わり頃になって 医学の勉強に専念 する決意 を固めた私は、ゲーム活動から足を洗った。 その所為で 今日に至るまで 麻薬断絶の状態、あるいは 聖杯を発見する ペルセヴァル ( 訳註 : アーサー王伝説 に登場する 円卓の騎士 の一人で、聖杯探索 のエピソードで有名。 英語では パーシヴァル ) のような状況 であった。 そんな 私 が、好奇心 から Vae Victis の創刊号へ手を伸ばしたのだ。

VV #1この創刊号は フィギュア に多くのページ ( 10本の記事のうちの4本、それに6ページの 新作フィギュア欄  ) を割き、しかも 素晴らしいカラー写真まで掲載されていた。
 記事で取りあげる 時代 は 当時の嗜好を反映 したものだった : 古代、ナポレオン時代、南北戦争、第二次世界大戦 ... 。 私 にとって まさに決定的 だったのは、" DBM
"( 訳註De Bellis Multitudinis B.C.3000 〜 AD 1485 までを対象とする ミニチュア・ウォーゲームの ルールセット)を扱う記事だった。それまでの私は、どちらかといえば 個々のユニットを 事細かに管理 することに注力していたのだが、その記事の DBMルール は、そんな 私の目を 古代 あるいは 中世 をテーマにするゲームに注がせる 変革 を 成し遂げたのだ。

この ルール は プラケット・システム
( 訳註:1つのプレート(フィギュアの台座)が 部隊規模(兵員数等)の 単位 となるシステム?) と 無作為抽出 による 活性化システム を使用しているため ゲームプレイはスムーズ であり、さらには「ヘリコプター効果」( 訳註:おそらく、視点の高さ や 視野の広さ を持ってしまうこと )を一掃している。すっかり魅了されてしまった 私 は、使い古しの 25mm (のフィギュア)を 原隊復帰 させて 台座に据え付け直し、再び 戦場 へと赴いている。
その後、このシステム(DBM)は 別形式のシステム や " l' Art de la Guerre " の影響で衰退してしまったのだが、皆さん ご存じのように、それらの多くは DBM が 基 になっている。

この四半世紀の間に ウォー・シミュレーション・ゲーム は、ネット販売 や 事前予約システム(P500 や Kickstarter)の発達によって 新たな黄金時代 に突入した。個人的には、どのような形であれ、歴史ゲームをこれからもずっとプレイし続けるだろうし、我らが愛読誌 の 編集 に協力していたこともあるのだ。

ありがとう、VaeVictis 。
早く 200号 に到達しないかなぁ
... 。

トマ・ボロー Thomas BORAUD 


 Le premier jeu  初めてのゲーム

私にとって忘れられない カジスベリ Casus Belli 誌の ウォーゲーム。それは 初めて入手した号 の 付録で、" ガリリアーノの戦い(La Bataille du Garigliano)" だったけど、これは ハズレ だった。( 訳註:カジスベリ誌 第17号(1983年刊)の 付録ゲーム で、1944年の イタリア戦線 を扱う )

Vae Victis 誌の付録で 同じ立ち位置 にあるのは、創刊号の " チュニジア ’43 Tunisie 43 " 。 今でもお気に入りだ。このゲームは、当時 本で読んでいた ドイツ・アフリカ軍団 や、いつかは ゲームプレイ で使うつもりで製作していた 1/72 の模型との繋がりがあった。
さらに この付録ゲームは、私が ナント市唯一のゲーム店 で初めて買ったウォーゲーム、International Team 社
( 訳註:イタリアのゲーム出版社 )の " Rommel " と 同一のテーマ だった。さらに、私は 軍の 国防史編纂部 に勤務する幸運に恵まれ、屋根裏部屋の埃だらけの段ボール箱の中から カセリーヌ峠の戦い の 作戦計画の写し を発見し、後日、それを使って " Rommel " の3Dマップ の修正を自力で済ませていた。

ゲームシステム は シンプルな " Tunisie 43 " だが、 第二次世界大戦関連のウォーゲームに不可欠な 全ての事柄( 補給・砲撃支援・機甲部隊の突破 )が考慮されている。私にとって それらのルールは、今でも このゲーム が扱う 時期 や 規模 に対して最良のものであり、さらには 最近の " Orage a l' Est  ( Storm in the East ) " シリーズ( 訳註:Vae Victis が発売している 独ソ戦後期を扱う ゲームシリーズ )では 必要最小限の最適化 が施された " Tunisie 43 " のルール が使われているのだ

ドミニク・サンシェ Dominique SANCHES


 Le choc des cavaleries!  騎兵隊の突撃!

25年前のことである。
あの頃
( 訳註:たぶん 1995年、フランスでの 徴兵制 最後の年 )、最後の召集兵達は、48時間の休暇 で 帰省するための 列車を待ちながら、金曜夜 の駅構内を 闊歩 していた。 暇潰しになる iphone も、ストリーミング動画も、その頃は まだ無かったのだ! 仲間のなかの 不運な奴一人に 装備一式を預けてしまえば、新聞売場のなかを ブラつけるようになる。

 ウォーゲーム のために ロールプレイングゲームを放棄した身として、我々は さほど期待もせず次号の Casus Belli 誌 「ポーン・プッシャー
( 訳註:「ウォーゲーマー」の意 )」特集号 を待ち続けていた。
しかし、あの日 見つけた ある奇妙な表紙には、ナポレオン派の将軍達のシルエット が 真夜中に煌めく星の如く 描かれ、彼らは数多のキャッチコピー:
VV #2「歴史ゲーム専門誌」

「完璧な付録ゲーム」

「アウステルリッツ 1805」
に 囲まれていた。
つまり、歴史ゲームの 新刊書 が発売されていた だけでなく、ゲームプレイの助言 や ルールの簡略化 、それと フィギュア・ファン への指南 を惜しみなく提供する 定期刊行物 が存在していたのである。ちなみに、私は 創刊号 を買い逃していたのだが、そのキオスクにはさらなる奇跡により、在庫が 一冊残っていたのだ。

兵卒たちで ギュウギュウ詰めの列車内 で着席するなり、Vae Victis という名の 財宝 のページを私は興奮気味に パラパラめくる。視線は ゲーム・トーナメントの写真 から 第一次世界大戦の塹壕戦ルール、そして ボード・ウォーゲームの選び方のアドバイス へ、新作ゲームの批評 から ルネサンス期の戦術に関する歴史的資料 へと移る。さらに進んで、娯楽の殿堂 たる 全 51ページ の中ほどに、なんとビックリ、個人的に 離れられない大切なテーマ を扱う付録ゲーム が鎮座していた:

" アウステルリッツ Austerlitz 1805、騎兵隊の突撃 "

7ページの ルールと 3ページの ヒストリカル・ノート を 数分かけて貪り読み、切り取り形式の 駒 に見とれて 30分以上が過ぎた。すると、私の 降車駅名 を告げる車掌のアナウンス。
私は(自宅に)友人を一人呼び寄せ、まさに その日の晩、プラッツェン Platzen を襲撃したのだ
( 訳註:”アウステルリッツの戦い” における フランス軍の攻撃目標都市 )

"Austerlitz 1805" の初回のプレイで印象的だったのは、このゲームが  革命の如く 心に鳴り響いた、その理由である。
ただ単に ゲームの 面白味 や 美しさ、あるいは ゲームプレイのダイナミズム や 敵対勢力間のバランスの良さ、さらには すべての軍事史フリークにとって伝説的なテーマであるから、ではない。
定期刊行物 というものが、パリから遠い場所に住んでいて ゲーム専門店に行けない人達に対し、信じられないほど高品質の 歴史ゲーム を低価格で提供可能、しかも この偉業を 隔月で 継続する約束をしているからである!

その数年後、私は " SPQR "(GMT Games)の " ラフィア Raphia "
( 訳註:SPQR のモジュール " War Elephant " に収録されている )、あるいは " ブーヴィーヌ Bouvines "( 訳註:中世フランスにおける戦いで、Vae Victis 第45号の 付録ゲームの一つ として " Bouvine 1412 " がある )といった様々な戦いを 課題 とするトーナメント戦を初めて準備したのだが、そのときは VV誌の " Austerlitz 1805 " が 最も成功し、最も激烈な試合となった シミュレーションゲーム だった。

執政府親衛隊 の突撃を指揮するのが ミュラ
( 訳註:ナポレオン1世の義弟 )だったらなぁ ‥ とか、巧妙に配置された砲兵部隊を駆使するフランス軍の襲撃に抵抗する(ロシア軍の) バグラチオン将軍 のように勇敢でありたいなぁ ・・ などと 一度も思ったことがない人なんているのかな? もし あなたが そうした夢を 一度も実現していないのなら、今こそ " Austerlitz 1805 " に積もった埃を 払い落とすべきだ!

フランソワ・クリスクオーロ  François CRISCUOLO


 Mon premier jeu  私の最初のゲーム

VV #4"Moscou '41 (モスクワ '41)" を付録とする Vae Victis 誌 第4号 が出版されたのは、私の ゲーマー人生の中でも重要な時期だった。
当時の VV誌は テオフィル・モニエ Théophile Monnier の指揮のもとで 売り出し始めていて、私は 彼のことを 同人誌 " Tactiques " の頃から知っていた。やがて ニコラ・ストラティゴ Nicolas Stratigos を テオフィル に引き合わすことができたのは、とある ロシア戦線ものの ウォーゲーム集会でのことだった。
その続きを 我々は知っている…。

さて、私は その第4号の付録として、自身が愛するテーマ を提案した。1941年の モスクワへの最終攻勢 。枢軸軍にとっては 曖昧な攻勢の終末 であり、ソ連軍にとっては 反撃の開始 となる、この戦争のターニング・ポイント。私は このシーソー感覚を 縮小版(ミニゲーム)で表現したかったのだ。
その感覚は SPI 社の "Operation Typhoon" をプレイしている時に感じたものであり、このゲームは 戦略的な《 雰囲気 》を再現する能力では 今でも 最高のウォーゲーム の一つとして 私の目には映る。

処女作のゲーム を出版するのは、なんとも 特別な経験 だ。
味付け を気に入ってもらえるのか、
ルール を ちゃんと理解してもらえるのか、
ゲームをゆがめる 倍賭け
( 訳註:前回の失敗を取り返すための 賭け方 )を やらかしてはいないか、
などなど。それでも 大多数の創作 と同様、ゲームはついに完成。
その後、 1995年の末に 四人の 我が息子達 の 一人目が誕生 ... 。
それ(子育て)は 理由の一つ にすぎないのだが、私は 2012年まで VV との " パリの戦い " の構想( ゲームデザイン )を再開しなかった。
今は ゲーム製作の企画を継続していて、今日に至るまで止めてはいない
      

ワルテル・ヴェイドフスキー Walter VEJDOVSKY


  Messieurs les Anglais...  イギリス軍の皆々様...

私にとって 初めてのウォーゲーム の 一つは、" Nach Frankreich ! " ( 訳註:GMT社 の " Victory in the West " の フランス語版で、ORIFLAM社 が発売 )というタイトルでした。そして このゲームを購入した直後、その箱絵 が 表紙に描かれた 雑誌に、私は遭遇したのです。
VV #6フランスの雑誌 が ウォーゲーム を採り上げるなんて 想像もしていませんでした。なので、私は 自身初の VaeVictis を 速攻で 購入してしまいます。

Nach Frankreich! 関連の記事のほかに、" フォンテノイの戦い Fontenoy 1745 " を 題材とした 付録ゲーム が収録されていることに気づきました。この戦いについて 私は無知でしたが、付録ゲームの歴史記事(ヒストリカルノート)が 私の知識欲 を満たしてくれたのです。
付録ゲームの(駒の)作成に取り掛かろうとしましたが、材料の不足に 気づきます。仕方がないので、手許にあった カーペット用の両面テープ で 駒を 超強力に 接着させたのでした ... 。

フォンテノイ での フランス軍は、方形堡を 防御の拠りどころ として 部隊を配置しました。 戦線正面では、イギリス軍 と オーストリア軍 の態勢のほうが  一見強力そうに見えます。 しかし、接敵するまで 苦戦していた フランス軍 の砲兵は、彼ら(英・墺)に多大な損害を強いています。

このゲームの ルール は易しく、戦線の 膠着状況 を良く再現しています。そして プレイ時間 は それほど長くありません。故に、 私はこのゲームを 多くの いろんなプレイヤー と 何度もプレイしました。
攻撃側としても、防御側としても、フランス軍 は 毎回優位を占めます。 そうした プレイバランスの欠如 があるにもかかわらず、プレイを 毎回 楽しめました。たぶん、私のなかで 最もプレイ回数の多い ウォーゲーム でしょう。

初めて手にした Vae Victis 、それは 私にとって 吉兆 だったと思います。               

エルヴェ・ボルグ Hervé BORG


L'honneur retrouvé de l'armée française 
 
フランス軍の名誉回復

Vae Vicis が ちょうど 一周年となる 1996年の春、各号で沸き起こる 歓喜の声は、まだ 鳴り響き続けていた。
第7号の付録ゲーム " アブヴィル Abbeville 1940 " 、これには 早速、関心を惹かれる。

当時、1940年を扱う戦術級のウォーゲームはとても珍しかったのだ。 その四年前に " アドバンスド・スコード・リーダー (ASL) " の 10番目のモジュール が出版されたのみで、そこで 提供された シナリオ の中で 我らが兵士達(フランス軍)が 目覚ましい活躍 を見せることはない。

1993年には、確かに The Gamers 社が " GD '40 " を出版していて、扱うテーマは ストンヌ Stonne の戦い の最初の二日間、5月15日と16日である。けれども、このゲームでの花形は ドイツ軍の グロス・ドイッチュラント(GD)連隊 であることを認めねばなるまい。まぁ、それだけのことだ。
米国のゲーム出版社は、戦術級での 1940年戦役
( 訳註:ここでは ドイツ軍によるフランス侵攻戦を指す )に あまり関心が無い。

アバロンヒル Avalon Hill 社の作品が あったっけ。
" パンツァー・リーダー  Panzer Leader " の エキスパンション(拡張キット)で、アバロンヒル 社製ゲーム の専門誌 " ジェネラル  The General " の 第15巻 第2号 (1978年刊) に掲載されたものだ。ユニット(駒)のカウンター・シートが2枚、シナリオが10本、追加ルールが少々 ... とにかく 面白味の無い、日の目を見ることが無いままであるべき バリアントなのだ。

VV #7これらとは真逆に、" アブヴィル 1940 " では すべてが変わった。
まず何よりも、VV誌 第7号 の表紙には アルバート・ブレネ Albert Brenet の筆による 見事な水彩画 が描かれている。まさに拍手喝采。
ド・ゴール大佐が 平然と オートバイ兵の報告に耳を傾け、その前景には突撃準備の整った 戦車長が ルノー R35 戦車から 体を半分だして 攻撃命令を待つ。遠景には パナール装輪装甲車 が完全に燃え尽きてしまっていて、その遠方の 地平線一面は 砲弾の雨...。

まぁ、これで全部言い尽くしはしたけれど、この号の付録ゲームは(表紙の)第一印象を ブチ壊してはいない:(ド・ゴール大佐の)第4機甲師団 ( La 4e DCR ) による反撃を シミュレートする " アブヴィル 1940 "、これは ウォーゲームという小宇宙の中で フランス軍が取り戻した ほんの僅かな名誉、なのである。

ニコラ・セヴォー Nicolas SÉVAUX


  Dans la cour des grands 諸侯の宮廷 にて 

1996年の夏、Vae Victis誌 の創刊から 早や 一年が過ぎ、フランスの ヒストリカル・ゲームの情景 に しっかり根づいていた。
" シャン・ド・バタィユ  Champs de bataille "
( 訳註:「戦場」の意で、VV誌 第9号の付録ゲーム )が登場したのは その頃。一目惚れは 一瞬のことだった。

確かに その企画は 野心的なものであった。
とにかく、Vae Victis に相応しい ゲームシリーズ を。
例えるなら、当時 栄光の頂点 にあった GMT Games の " GBOH " に比肩するシリーズを、まずは 世に送り出す必要があったのだ。

これを書いておかないと『画竜点睛を欠く』になる。
" Champs de bataille " の ルール を作成したのは
ステファン・マルタン   Stéphane Martin
テオフィル・モニエ       Théophile Monnier
ニコラ・ストラティゴ   Nicolas Stratigos
の 三人である。
フィギュア と ゲーム、その 二つの世界の橋渡しとなる このルールは " DBM " から派生したものであり、つまりは Vae Victis の DNA を濃縮した「エキス」なのである。

VV #9私は純然たる ボードシミュレーション・ゲーマー だが、(このルールは)それで充分に役割を果たしていると思う。なぜなら、リュック・オリビエ  Luc Olivier が ディベロップした ヒストリカル・シナリオ、 " ソワッソン  Soissons 486 "  および  " ポワティエ  Poitiers 732 " が 非常に満足できる出来栄え であり、" Champs de bataille " が 本物のウォーゲーム であることは 明白なのだから。
その証として、" Champs de bataille " は 同じ年(1996年)の 第13回 ウォーゲーム・フランス選手権(トーナメント大会)の課題ゲームとして採用されているのだが、これは Vae Victis のゲーム史上 初の快挙であった。

その頃になると、Vae Victis は “ 諸侯の宮廷 ” に 割り込むようになる。次第に《 roliste 》化してゆく カジス・ベリ Casus Belli 誌を凌ぐ存在となったのだ。
( 訳註:《 roliste 》とは フリジア語 で「ロールプレイヤー」の意であり、カジス・ベリ誌が ロールプレイングゲーム に傾倒していった 様 を表す )

この " Champs de bataille " シリーズは ここしばらくは 姿を消している。けれども 長期間の潜伏 となる前に VV誌の 付録 として 3つのモジュール、
15号の " カディシュの戦い  (Qadesh) "
30号の " アレキサンダー大王  (Alexandre le Grand) "
53号の " アジアの戦い  (Asie) "
が出版されているので、これらと共に このシリーズは 直(じき)に再開・発展するだろう。

ちゃんと 私に連絡をくれればね ...

フレデリク・ベイ Frédéric BEY
フレデリク・ベイ 氏の個人サイト


 La série sans nom 名無しのシリーズ

Vae Victis で 暫し懐かしく思い出すのは、第二次世界大戦中の軍事作戦をシミュレートする《 名無しのシリーズ 》だ (その最新作は、2つのゲームで構成される " Orages a l' Est (東方の嵐)" )。
このシリーズは VVの製品のなかで 最古参 であるのみならず、最も長寿 でもあり、1997〜2018年までの期間に 12個のゲームが VV誌の付録 または 袋入り
(訳註:ジップロック?)の形式で出版された。

VV #131997年、まずは ニコラ・ストラティゴ  Nicolas Stratigo の手による VV誌 第13号の付録ゲーム " Arnhem 1944 " という形で世に登場し、それ以降は 他の 6人のデザイナーによって 様々な戦場を舞台に、シリーズ は継承される。
 4作目として出版されたゲーム(VV誌第48号付録の " Ardennes 1944 ")で ルールが 簡略化 された。これにより、以降、このシリーズの安定感たるや 抜群 である。

シリーズの 各作品 は、1〜2週間ほどの 1つの会戦 を扱う。
1ターンは2日間、1へクスの対辺間距離は1〜5km 。

すべての 支援部隊 や 特殊兵器(砲兵・工兵・対戦車兵器 等々)は、マーカーを 複数の司令部 に割り当てることで シミュレートする。これらのマーカーは 使用後に マップ上から 除去、あるいは後のターンで 再利用 できる
( 訳註:1つのマーカーを使用したらダイスを振り、出目によって 除去 または 再利用 が決まる )

ユニット(部隊駒)の規模は ゲーム毎に、あるいは 陣営毎に異なり、連隊・旅団 または 師団 を表す。それらはフォーメーション(上級部隊)単位 …「軍団」または「軍」… で まとめられる。

ゲームターンは、主として 両陣営共有の 活性化フェイズ で構成される。両陣営のプレイヤーが、自軍の フォーメーション を1個ずつ 交互に活性化 するというもので、このシステムは極めて柔軟性が高い。活性化された フォーメーション に属する 各ユニットは、1〜3の 作戦ポイント を所持し、これを消費して 移動 や 攻撃、 陣地構築 を実施する。
 
作戦ポイントは「組み合わせ」が可能で、2ポイントを消費して 強力な攻撃 ができたり、複数ユニットの活性化を組み合わせが可能。例えば、敵の防御を撃破するために、とある戦車ユニット(3作戦ポイント所持)が2ポイントを使った後、歩兵ユニットが前進して攻撃。次に戦果拡張のため、件の戦車ユニットが 残りの1ポイント を消費して前進・・・。
1つのフォーメーションの中で あらゆる組み合わせが可能であるとともに、2つのフォーメーションを同時に活性化することも起こりうる。

東部戦線からイタリア戦、西欧から中近東までと、この《 名無しのシリーズ 》は 多くのプレイ機会 を提供している。
名無しのままにならないよう、シリーズの 命名 を提案しよう。

《  Guerre éclair (電撃戦 )》シリーズ、なんてね。

リュック・オリビエ Luc ORIVIER


  Le Grand Cirque ル・グランシルク (偉大なるサーカス)

VV #14Vae Victis は 常に優良な入門書 でありました。
フィギュア愛好家 が ボードゲーム に挑戦することが許されるのなら、逆もまた真なり。
その証拠は "
ル・グランシルク  Le Grand Cirque  ( 偉大なるサーカス )" にあります。

これは VV誌 第14号に掲載された ミニチュアゲーム用のルール で、作者の ピエール・ラポルテ  Pierre Laporte の 溢れる才能の賜物 であり、名作
" オラジュ・ダスィエ  Orages d' Acier "
( 訳註:VV誌第2号に掲載された第一次世界大戦もののミニチュアゲーム用ルール。タイトルは「鋼鉄の嵐の中で」の意 ) も彼の手によるものです。

" ル・グランシルク " では スペイン内戦末期 から 第二次世界大戦初期 までの 空中戦 を追体験できます。 ルールは とても理解し易い だけでなく、猛烈に プレイしたくなる ように レイアウト されているのです。

航空機は 15 機種 が用意され、各機種は 出力 ・ 操縦性 ・ 失速 ・ 急降下 ・ 頑丈さ などの要素で特徴づけられています。
武装も、当然ながら 機種ごとに 固有の設定となっています。
機動 と 射撃 のシステムが 非常にシンプル なので、短時間 かつ ダイナミック なゲームプレイを実現しています ( d6 ( 六面体ダイス、以下同 )、d8、d10、および d12 の使用がベースになっている)。
 

この デザインチーム は 毎度のことながら 優れたアイディアを考案していて、とりわけ 「ポーン(紙製の駒)」 を提供することで、フィギュアの購入 から ユーザーを 解放しました。
ゲーム・システムを 六角形のマス目(へクス) や 3つのシナリオ (その中の1つは ソリテア形式) に適合させるためのアドバイスが用意され、これがルールを補完しています
( 訳註:フィギュアの使用が基本であり、その代用として ポーン(駒)を導入するための「アドバイス」だと思われます )。 実際、このゲームには プレイしてみよう と思わせる思惑 があるようで、その方針で すべてが作られています。 
結果、その狙いは達成されているのです! 


第19号では 爆撃機 と 9つの新機種、それと 1つのソリテア形式のシナリオを導入。 第25号では 1941年〜43年の期間への カスタマイズ、ならびに 新たな10機種の導入が提示されています。

" ル・グランシルク " は 地味 ではありますが、Vae Victis の 偉大な成功作 なのです!

アルノー・デラシエガ Arnauld DELLASIEGA


 La gloire de l'Empire  帝政の栄光

VV #181998年、 Vae Victis 誌 第18号 が 付録ゲーム " リボリ  Rivoli 1797 " を伴って 出版された。
大成功を約束された ナポレオン一世の新シリーズ " Jours de Gloir (栄光の日々)" の端緒となったゲームだ。

リチャード・バーグ  Richard Berg の作品 " Triumph & Glory " ( GMT Games ) が 密接にデビューに関わる このシリーズは、フレデリク・ベイ  Frédéric Bey の精力的な指導の下、 シリーズ それ自体が なんとか成長できた。結果、今日では これと同じルールのシステム を使用して ナポレオン一世時代の戦い をシミュレートできるゲームが おおよそ 40個以上も存在し、その大半が Vae Victis から出版されている。

フレデリク・ベイは 部隊の戦闘隊形( 横隊・縦隊・散開、etc )には あまり束縛されておらず、それが ナポレオン一世時代を扱う 20世紀末の シミュレーションゲーム の規範になっていた。しかし実際は、麾下部隊に対する マイクロマネジメント
( 訳註:上司から部下への過度な干渉・監督行為  )を要因とする 戦闘の混乱状態に プレイヤーをより多く直面させることが このシリーズの目的であった。故に 指揮命令 および 活性化 のルールが、このゲームの「肝」となっている。

どのような順序で ユニットが活性化されるか は、複数枚ある 活性化マーカー を
( 訳註:カップ等の容器に入れて )無作為抽出するシステムであるため、プレイヤーには 全くわからない。おまけに、ターン毎に 1枚のマーカーが 活性化されない( 訳註:1枚だけ容器内に残したままにしておく )ルールが 現在も オリジナルのままで 変更されていない!
フランス軍司令部は、概して リーダーが優秀 であるため 敵軍よりも優遇されているし、其の上、ユニットの固有能力によって 三つの兵科(歩兵・騎兵・砲兵)の特性が より強調されている。これもオリジナルのままだ。


とにかく、この VV第18号は実に独創的なのだが、それは イタリア戦役のなかでも 滅多にシミュレートされない会戦 を扱う興味深いゲームを提供しているだけでなく、この号が かなり多くの時間をプレイに要する この大掛かりなシリーズのデビューを当時の熱狂的なファンに告知したから。その上、 200周年となるよう毎年開催された『 200周年記念優勝杯 』トーナメントに数多く参加する幸運に恵まれた人たち全員にとっては、フランスで最も名高いコルシカ人(=ナポレオン一世)の武勲を辿れるようになっていたのだ。

( 訳註:" Jours de Gloir "シリーズの各ゲームは、それぞれの題材となる会戦の 200周年となる年に出版された )         

グレゴリ・アントン Grégory ANTON


Pour l' honneur 名誉のために

私は Vae Victis の 全付録ゲームの中でも、とあるゲームから多大な影響を受けた:VV #114ワルテル・ヴェイドフスキー  Walter Vejdovsky の " パリの戦い  La bataille de Paris 1814 " (VV誌 第114号) である。
これは "
Eagles of France " シリーズ のデザイナーによる2作目の付録ゲームで、フランス軍プレイヤーに勝ち目のない アンバランスな戦い の追体験を我々に提示する。


1814年3月30日、マルモン および モルティエ 両元帥は モンセー元帥とともに パリ防衛の指揮を執り、はるかに優勢な連合軍と対峙していた。
名誉のため(だけ)の戦いだけど、きっと名誉は保たれる!

対仏大同盟諸国側は 壊滅的状況のフランス軍 から反撃を受けて 丸一日 苦しめられたが、 最終的に 同盟諸国 が パリへ 侵入して 開城できたのは、まさに 数的優位 であったから。

そんなわけで、このゲームでは 細切れに到来する同盟諸国軍との丸々一日の戦いを追体験できる:まずはロシア軍、次にプロシア軍、最後にオーストリア軍。
ゲームシステムは 首都のモラル表 が鍵となっている;フランス軍が 同盟諸国軍に 徹底抗戦 している間は。しかしやがて 周辺都市が陥落、あるいは同盟諸国軍がパリに入城して 総崩れ になる。
だから フランス軍プレイヤーは、できるだけ長く持ち堪えなければならない。
まぁどっちにしろ、フランス軍の降伏によってゲームは終結 するだろう … これは疑いの余地もない … パリを保持していた期間で 勝者 は決まる。 しかしだ! フランス軍プレイヤーは プレイ中 ほぼずっとイニシアティブ(主導権)を 握り続けるので、メチャクチャ楽しい。


このゲームは 娯楽作品として  ものすごい大当たりである。
ルールは簡単、プレイは大変面白い … とりわけ フランス軍なら。

このゲームを熱烈にお勧めする!      

ヴァンサン・ジェラール Vincent GÉRARD


 Les plaisirs de la découverte 発見の喜び

1995年から Vae Victis への寄稿を私は始めた。それから25年経ち、この雑誌は フランスにおける 歴史ゲーム の主要媒体の一つであり続けている。既刊の全号を眺めた上で個人的に一つのゲームを選ぶ、あるいは 思い出を語るのはとても難しい。

私はフィギュアを用いる歴史ゲーム
(=ミニチュアゲーム)への興味を持ち続けているが、この分野は四半世紀を掛けて大きく変化した。ゲームメーカー数の減少やインターネットの影響で、すべてのスケール(フィギュアの縮尺)で ほぼすべてのものが フリー(無料)になった。ルールは 進化はしたものの、その中のいくつかは消滅し、残りの大半は ファンの間で全く評価されなかった。ゲームが扱う 歴史時代 の人気という面で、その重要性にも関わらず パッとしない「時代」もあれば、 大繁盛している「時代」もある。
でもまぁ、そんなことはドーデモよくて、私たちは そういう領域 で遊んだり、楽しい時を過ごしたり、勝ったり負けたり、馬鹿げたルールに頭を悩ませたり、仮想的な歴史テーマを研究したり、大量の 収集ストック から フィギュア を取り出して 色を塗ったりしている。

150号の刊行後も、私は相変わらず Vae Victis 誌への寄稿や 同誌の読書、一介の読者よろしく ゲーム や 歴史時代の発見 を楽しんでいる。そこには 常に新たな 発見の喜び があり、歴史 と ゲーム への絶えることのない 新たな情熱 を感じる。それこそが この雑誌の強み なのだ。                       

マルク・ドディノ Marc DODINOT


  Une couverture hors-série 別冊の表紙

VV hors-serie #2君は Vae Victis から影響を受けてたか? と ニコラ・ストラティゴ は 問う。
VV 誌の 別冊(hors-série)第2号のことを思い出す以前に、私は当惑しっぱなしだ :

わりとオタクで 普通に 15mm
(の フィギュア)一辺倒だった あの頃、別冊第2号の表紙を飾る 28mm の《 Berlin 1945 》の演出が 私の記憶 に刻みこまれる。それはともかく、ミニチュアゲームの発展に寄与した諸々を祝する 25周年記念を 私は満喫した。
まず当然のこととして、インターネット が 我々のホビーに多大な影響力を持った。まずは 我々を結集させて、次に 数多のミニチュア用「ルール」を簡単に利用できるようにした。要するに、これはミニチュア・ゲーマー達を複数の《 党派 》に分散させるためだ。
DBM 等々の「ルール」が ほぼ独占するような時代は終わり、ある 一つのゲームの トーナメント戦 に何十人もの参加者が集まるのは例外的になった。こうした事象の《増大》により、プレイアビリティが向上した ゲームシステム の出現が可能となり、ゲームプレイの 平均時間 は短縮された。
それと、コストパフォーマンスに優れた プラスチック製のフィギュアや模型 が 続々登場したことによる " 小競り合い escarmouche
( 訳註:10〜30個のフィギュアを用いて 小規模な戦いをシミュレートする ミニチュアゲーム )の出現 " と " 28mm フィギュアの復活 " を言及せねばなるまい。実際、ルールとフィギュアで 一つのパッケージ を形成する《 排他的な 》ゲームシステムが 以前にも増して発売されているのだが、このことだけは、その将来を 私は心配している。
今のところは、まだ 様々なメーカーの フィギュア を 混ぜて使用できるけれど ... 特定のサプライヤー
販売店 での フィギュア購入 が強要されている所為で、《 地主  proprietaire 》が 特定のスケール(フィギュアの縮尺)を指定してしまっている場合を除いて。この風潮が規準にはならないことを願おう。差し当たりは、我らが《 小さな兵士達  petit soldats 》と Vae Victis が 私達の《余暇社会  societe des loisirs 》を映し出す 願望 すべてに向き合い、常に これを上手く実現できている:

我らが愛するこの雑誌が 数年内に皆で一緒に喜び祝うであろう 第200号 まで続くことを、ここで断言する!

ジャン - フィリップ ・ アンバシュ Jean-Philippe IMBACH

Fin


本記事掲載誌の Vae Victis 150号は、2020年3月に発行されました。

この非公式翻訳文は Vae Victis 編集部の許可を得て公開しています。

Translated by T.Yoshida

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