「抗生剤」を考える(4)

前章で細菌がプラスミドやトランスポゾンを介して耐性遺伝子をやり取りする能力があることを説明した。現在世にはびこる耐性菌(MRSA、PRSP、BLNAR、VRE)の毒性はいずれも比較的弱い(それでもたくさんの方が亡くなられてはいるが・・)。これらの菌の耐性遺伝子がもし万が一、感染力と毒性がもっと強い菌に受け渡されたとしたら・・・。あってはならない最悪のケースをシミュレーションしてみた。


                        
    

3歳の元気そうな男の子が手指が痛いと私のクリニックを受診した。親指の先が赤く腫れ、爪の周囲が化膿していた。「指先が化膿した時“ひょうそ“といって、ちょっと気をつけたほうがいいのですよ。しかし、ま、この抗生剤を飲むと3日ほどで治るでしょう。薬が終わったら念のためまた見せにきてください。」そして3日後、母親と来院。「先生が治るからと言ったので安心していたら、こんなになってしまったのよ。見立てがおかしいんじゃないの!」見ると親指全体が赤黒くパンパンに腫れており、手首まで赤くなっているではないか。しかも指先は黒ずんで壊死状態になっている・・・。(なぜこんなことに?!)痛みと高熱でぐったりした子供と目の引きつった母親、・・・冷や汗が出てきた。すぐに病院に紹介入院してもらい、強力な抗生剤の点滴を受けたが一向に良くならず逆に悪化する一方。入院2日目にはひじのところまで赤黒く腫れ、肩まで達する勢いであった。薬が効かなければ命を助けるためには腕を切断するしかない。最終手段として苦渋の選択がなされた。しかし・・・、この方法にも限界があった。耐性菌はすでに血流に乗って全身に広がっていたのだ。

毒性の強い耐性菌が病院にも医院にもそして市中にも蔓延し、バンコマイシンをはじめとしてすべての抗生剤が効かなくなったらどうなるか。肺炎や敗血症などで死亡する人が増えるだけではすまないのだ。


最大の被害者はもちろん患者だが、医療関係者特に医者も重大な苦境に立つことになる。死ななくてもよい入院患者がばたばたと死亡していくと病院の不手際による院内感染として世間が騒ぎ出す。まず、マスコミが大挙してやってきて報道合戦が繰り広げられる。病院の玄関にカメラの放列がしかれ、そこを通る人に誰彼なくマイクが押し付けられ、ぶしつけな質問がなされる。院内感染に医療ミスも加わっていると最悪だ。関係者は写真を取られ、インタビューを求めて追い回され、車で逃げても家にまでしつこくつき回される。車から降りると無遠慮で辛らつな質問が浴びせ掛けられ、家に逃げ込んでも安心できない。窓からカメラで覗かれ、インターホンで質問攻めにあうのだ。プライバシーなど望むべくもなくなる。


                  
            

翌日、病院に出勤すれば患者の家族からこんな病気でどうして死亡したんだと責めたてられ、挙句に訴訟に持ち込まれる。患者の治療で疲労困憊している上に、これでは精神的にもぼろぼろになってしまう。病院からは責任を問われて退職処分になるかもしれない(むしろ、その後のことを考えるとこのほうがまだましともいえる)。


そして病院では清掃業者・医療廃棄物処理業者が感染を恐れて逃げ出していく。汚れたシーツや汚物が廊下に置き去りになり、悪臭が立ちこめ、不潔極まりない状態になるのだ。給食業者も食器からの感染を恐れて配給を停止するかもしれない。そしてついに、院内感染を恐れた職員が出勤しなくなる。サボタージュが始まり病院機能が停止する。医者だけが走り回っても治療はできない。検査室からデータが上がってこなければ治療方法の選択ができない。レントゲンが撮れなけば肺炎などの診断がつかない。看護婦がいなくなればもうお手上げだ。白旗を揚げてほかの病院に患者を引き取ってもらおうにも、感染の広がりを恐れて引き受け手は皆無。せめて死亡した患者を葬儀屋に渡そうにも、怖がって病院に近づこうとはしない。霊安室にあふれた死体は病室に置かれたままとなり、院内はいまや戦場のような凄惨な状態となるのだ。


  

それだけですめばまだ良い。自分の家族、そして自分自身も感染症にかかるかもしれないのだ。医者と看護婦が感染の危険が一番高く、そこから家族にもうつっていく。そうなれば、他人を助けている余裕など消えうせ、肉体的にも精神的にも究極の状態に追い込まれていくだろう。

医院は入院患者がいないから安心と思ったら大間違い。病院に入院を拒絶されやむなく受診した患者であふれる。その治療にてんてこ舞いとなるが、押し寄せる患者をさばききれず、不眠不休の闘いとなる。あげくに疲労の極に達っし、倒れてしまう。最終的に病院や医院の機能が完全に麻痺してしまい、それを聞きつけた市民の間にパニックが一気に広がっていく。

市中では中世にペストが発生したときのような最悪の状態に陥るだろう。人々は患者の出た死者の家に近づこうとはせず、互いに疑心暗鬼となり、近所付き合い、友人関係・家族関係が崩壊していく。健康な人も感染を恐れて家から出なくなる。誰も働かなくなれば電気・ガス・通信・下水・清掃業などの社会インフラもストップするだろう。


耐性菌に効く新しい抗生剤の開発に製薬メーカーは躍起になるであろう。多大な利益をもたらすはずとの目論見で・・・。しかし社会インフラがストップした状態では研究が進まない。たとえ奇跡的に作れたとしても、特効薬として闇市場に流すおそれもある。なぜならこの方がずっと儲かるからだ。自分の家族が死にかけておれば1バイアルが10万円になっても高いとは思わないだろう。しかし、闇市場で品薄となればこれが100万円、1000万円とつりあがっていくかもしれない。メーカーにコネがある人と金持ちだけしか手に入れることができなくなる。高価な薬を買えない庶民は病に倒れ、金持ちだけが助かる構図が出来上がっていく。その結果社会秩序が乱れ、薬代を求めて強盗や殺人事件が多発。金持ちであっても枕を高くして眠ることはできない・・・。


  

「こんなシミュレーションなどあるはずがない。吉田君の妄想に過ぎない」と言われるかもしれない。おっしゃるとおり私もぜひ妄想であってほしいと思う。こんなことは現在も将来も絶対あってはならないことである。しかし・・・。今日、ワクチン接種に来た兄弟は、熱もない軽い風邪にしっかりと抗生剤が処方されていた。こんないい加減な薬の使い方、乱用を続けているかぎり、いずれ自然界から今以上の手痛いしっぺ返しを受けるだろう。その時になって後悔してももう遅い。(2002/6/22)

バンコマイシンの効かないスーパー耐性VREが米国でついに出現!
私の恐れていたことが現実化したようだ。VREが持っていた『バンコマイシン耐性遺伝子』がMRSAに手渡されたのだ。VREはほとんどすべての抗生剤が効かない菌だが、幸いなことに毒性が強くなかった。しかし、MRSAはVREに比べるとずっと毒性が強い。この菌をVRSAというそうだ。私のシナリオの始まりでないことを祈るばかりだ。

感染情報センター 「耐性菌」→「VRSA」とクリックしてください。



                  パトリック・リンチ著「感染者」上・下 飛鳥新社、2002年5月発売



医者も薬剤師も必読の書。私の単純なシミュレーションとはまた別の医学サスペンス・ストーリーが待っている。外科医のマーカスはある発言をきっかけにとんでもない窮地に追い込まれていく。担当患者が耐性菌でつぎつぎと死亡し、愛娘までもが耐性ボツリヌス菌に感染、死の淵に立たされるのだ。筋書きは2転3転し、先の読めない展開にハラハラどきどき。迫真の筋書きに一度読み出すとやめられない。話の内容は決して荒唐無稽なものではない。むしろ医学的に勉強になるところが多々あり、説得力に富んでいて、リアリティがある。実際、今の日本ではすでにMRSAやPRSPが蔓延しており、この小説のような展開も十分あり得る。