薬剤師によるリスクマネージメントが今の日本の医療にとっていかに重要かという点から論じてみたい。患者取り違え手術、消毒薬誤注射、血液型取り違え輸血、抗がん剤や抗生剤の10倍量投与など連日のように医療ミスの報道がなされている。しかも、これらのマスコミ報道は氷山の一角とも言われている。
日本ではこれまで医療ミスの頻度が公表されることはなかったが、今年、大阪の医真会八尾総合病院(森功院長、374床)がデータを自主公表した。それによると、院内の医師や看護婦らの報告に基づいた調査で1997年11月から今年2月までのあいだに関連6施設を含めミスが770件、ミス寸前のケースが408件あった。ミスの内訳は、看護方法や投薬に関するものが大半だったが、中には点滴やX線撮影で患者を取り違えるという深刻なミスもあった(日本経済新聞 平成12年3月20日)。同病院は医療ミスの防止に先進的に取り組み、優秀な病院との評価を受けているが、そこでさえこれだけの頻度である。他は推して知るべし。この八尾総合病院のデータから推計するとミスの頻度は平均1日1件ほど発生したことになる。これをそのまま全国の病院に当てはめてみよう。全国で病院は約9200あるので、病院の規模を無視して概算してみると全国で一日9200件のミスがあり、年間にすると335,5万件ということになる。これはあくまで推定値であるが、それにしても多すぎる・・。しかも、これには診療所でのミスは含まれていない。
医療ミスによる死亡数はどうであろうか。米国医学研究所(IOM)によれば米国では年間44,000名から98,000名死亡という推定値が出ている(1999年)。このデータはクリントン大統領にも報告され、国をあげて医療ミス防止に取り組もうとしている。その目標値は5年間でミスを半減させるというものだ。日本での死亡数はどれくらいであろうか?麻酔ミス、手術ミス、お産ミス、内視鏡ミス、薬のミス、MRSAなどなどすべて合計すると相当数に登りそうだ。もしかして、米国に近い数字が出るかも知れない。
『医療は人体に危険を及ぼすかも知れない』というよりは、はっきりと『及ぼす』と言った方がいいようだ。たばこを吸うと肺がんになりやすいのと同じように、医療機関に行くこと自体が病気のリスクファクターの一つとなった。こんなデータがある。コロンビアの首都ボコタ(1976年)で医者が52日間スト(救急医療をのぞく)をした。この間死亡率がなんと35%低下した。国営葬儀協会のコメントは「この現象は偶然なのかもしれないが、事実は事実である」。同じ年、ロサンゼルスでも医者がストライキ。この時の死亡率低下は18%。ストが終わると直ぐもとの数値に戻った。1973年イスラエル。1ヶ月間のストライキで死亡率が50%低下した。これより20年前にも死亡率が大幅に低下したことがあったが、その時もストをしていた。(ロバート・メンデルソン著「医者が患者をだますとき」より)病気を治すことも大切だが、それ以上に大切なのは病気を作らないこと。危害を加えないこと。医者も薬剤師も日々、細心の注意を払って医療に携わるべきでしょう。
薬のみについてはどうであろうか。米国の例で見てみよう。死亡診断書からの実数値で見ると、処方ミスによる死亡数は、通院患者も含めて93年の1年間で7,391人である(Lancet351:643,1998)。これは処方ミスと死亡の因果関係がはっきりしたものに限った数値であり、実際の死亡数はもっと多いと考えられる。
では、処方ミスの頻度はどうであろうか。これは日本に立派な調査がある。「平成10年度疑義照会等状況調査」(調剤と情報6:87,2000)で、座長の中村健教授とそのお仲間がまとめられたものです。調査した処方せん1,545,703件のうち「安全上の疑義」があった10,361件の80%(8,279件)が処方変更されている。すなわち8,279件の副作用の危険が回避されたということである。そして、それは調査した総処方せん枚数の0.54%(8,279件/1,545,703件)にあたる。このパーセンテージは小さいように見えるが、日本での年間の処方回数が約13億回あり、この頻度を単純に当てはめるとなんと702万件にものぼる。「お医者さんはミスをしない」ではなく「医者だからこそミスをする」と考えて調剤にあたった方がいいのかもしれない。これらの数値は薬剤師業務の成果であると同時にその役割の大きさにも驚かされる。医師の立場から見れば薬剤師のお陰でミスが回避されたということで、頼もしくも心強い限りである。
では過量投与などの処方ミス除いた薬本来の副作用の頻度はどうであろうか。これも米国の調査だが、入院患者の6.7%(95%confidence interval誤差範囲:5.2%-8.2%)に重篤な症状が生じ、そのため0.32%(同0.23%-0.41%)の患者が死亡しているという。これをそのまま米国全体の患者数に当てはめてみると毎年およそ221.6万人(同172.1-271.1万人)の患者に重篤な副作用が生じ、10.6万人(同7.6-13.7万人)が死亡していると推定される。もしこれが事実だとすれば、米国の死亡原因の第4位にあたる。低く見積もった数値で見ても、肺疾患、不慮の事故に次ぐ第6位となる(JAMA279:1200,1998)。恐るべき数字である。
日本では米国のような調査がなされていないが、多剤併用処方が多いという特殊事情と医師および患者に副作用に対する認識が米国に比べて低いということから考えて、発生頻度は米国と同等かそれ以上と見るのが正しいかもしれない。日本ではがん死亡が年間およそ29万人なので、その一割が副作用死だとすれば、2,9万人。二割だとすれば5,8万人となる。がんの副作用死だけでも相当数にのぼると推測される。薬剤師はリスクマネージャーとしてその果たすべき仕事の重要性は計り知れない。
これだけ副作用が多ければ一つの疾病単位としてまとめて、医者も薬剤師ももっともっと勉強すべきではなかろうか。そこで、今回の学術大会のために私案(骨子)を作ってみた。
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処方ミスは薬剤師のチェックでリスク回避が可能である。しかし薬そのものの副作用は減らすことはできない。誤解覚悟で申しますと、それに対応する究極のリスクマネージメントとは“薬を調剤しない”ということである。こんなことを申し上げると「とんでもないことを言う講師だ!私たちの仕事がなくなるじゃないの」と呆れたのではないですか。
ご存じのように、そもそも日本では無駄な薬の処方が多すぎる。たとえば風邪に抗生剤を含めた7〜8種類もの処方は決して稀ではない。その中でも抗生剤はウィルス感染には全く効かないのに熱が出れば当たり前のように処方されている。最近、手元に届いた製薬メーカーからの報告書では塩酸セフカペンピボキシルでの溶血性貧血の例、セフジトレンピボキシルでの無顆粒球症と肝機能障害の例はいずれも上気道炎の診断名がついていた。そもそも、風邪は何もしなくても自然に治る。飲まなくてもよい薬で副作用が出たということだ。こういった無駄な処方は抗生剤に限らない。解熱剤や鎮咳剤、止痢剤しかり。降圧剤や高脂血症治療薬、糖尿病治療薬なども生活習慣病の軽症例に使われ過ぎている。そして副作用の強い抗がん剤さえも無駄な使用例が多いという(患者よ、がんと闘うな、文藝春秋)。そのほかにもいろいろある。薬剤師はEvidence Based Medicine(根拠に基づいた治療)をもっと取り入れ、医師の処方設計に参画すべきである。又、場合によってはそれらの治療に対して警告を発してもいいのではないかと思う。そして、薬の使用を必要最小限におさえる、原則一剤投与とする、できれば薬なしで治すなどの治療姿勢が求められる。
投与を中止して患者の状態が悪くなるような薬はほとんどなく、あるとしてもほんのわずかである。 ドクターズルール425(医者の心得集)クリフトン・ミーダー著・福井次矢訳、南江堂 |
薬のリスクマネージャーである薬剤師自身がミスの原因を作ることがある。正確な調剤を心がけることは論ずるまでもないことだが、しかしそれでもミスは起きる。リスクマネージメントの最後の砦は薬を飲む患者だ。米国厚生省発行の『患者のための医療ミス回避の20の秘訣(http://www.ahcpr.gov/consumer/20tips.htm)』によれば、もっとも重要なのは患者自身が治療チームの主要な一員になることと述べている。けっして難しいことではない。服薬指導する際に薬の話をしながら、調剤の内容を一緒に確認してもらう。これは患者が薬の知識を深めると同時に、薬の自己管理意識を高めることにもつながり、一石二鳥である。