時速30kmの対話(飯塚裕久さん)







 このページは、2011年6月18日(土)に女性就業支援センターにて開
催されたケアマネジメントをみんなで考える会主催「緊急企画!! こんなとき
だからこそ、ケアマネジメントを語り尽くそう! 〜介護保険ケアマネジメント
の再生を目指すつどい〜」に登壇いただいた「語り尽くし人」のお一人である
NPOもんじゅ代表飯塚裕久さんとの事前の意見交換の履歴を記したもの
です。飯塚さんには、大変御多忙のなか、対話という企画に応じていただきあ
りがとうございました。そして、せっかくの機会であったのに、当方の不手際
で、飯塚さんのお考えを十分引き出せず、またNPOもんじゅの活動のご紹介
の時間を確保できず、たいへん申しわけありませんでした。

 介護保険のことやケアマネジメントのことは、なかなか対話を積み重ねて新
しいものを生み出すという試みの例がありません。シンポジウムや対談、鼎談
といった企画は数限りなくありますが、複数の人が発言しても、それぞれ一方
的に自分の考えを述べるだけで、ねじれたまま接点のないものばかりです。当
方としては、今回の企画をきっかけとして、飯塚さんとは今後も対話を継続し、
「本当はどう考えるのが正しいのか」を考え続けていきたいと思います。また、
飯塚さん以外の方々との対話の機会も、積極的に求めていきたいと思います。





2011.06.13.MON

乾電池の話〜ケアマネジメントの公正・中立を拝見しました。

 表記タイトルの記事を拝読いたしました。当方からの問い「居宅介護支援事業
所のケアマネジメントが公正・中立であることは必要だと思いますか? また、
もし必要だと思われる場合は、どうすればそれが実現すると思いますか? 」へ
のお答えをいただいたものと思います。実は、乾電池のお話とケアマネジメント
の公正中立との結び付け方について、当方の内部で十分に理解できていないので
すが、本文の後の補足の中に出てくる以下のご意見との関連で、当方の私見を述
べたいと思います。

(以下引用)
「ケアマネジャーの仕事の軸を『公正・中立・独立』だけにしてはいかん。
あれを立たせばこれがたたん。
もぐらたたきみたいなものだよな。
他にも軸があって、いくつかの軸がエコライザーのように上下する。
そいつをマクロで見て全体像だよな。と思いつつ、次回まとまるのかなあ?」
(引用終わり)

 以下、当方の私見ですが、「だけにしてはいかん」というところは、当方も同
意見です。ただ、もしかしたら「違う」かもしれないと思うことがあります。そ
れは何かというと、当方は、ケアマネジメントの公正中立は、ケアマネジメント
の十分条件ではない、という意味で「すべてではない」と考えているのですが、
他方で、公正中立は「ケアマネジメントの必要条件である」とも思っています。
飯塚さんが、もし公正中立がケアマネジメントの必要条件ではないとお考えであ
るならば、当方とは意見が異なることになります。6月18日には、その辺りに
ついて、さらに深めた議論ができればうれしいです。

 ちなみに、通常、ケアマネジメントの公正中立の問題は、第三者機関性が担保
されているかどうかという「倫理的二律背反(ethical dilemma)問題」として
認識されているものと当方は理解しています。アメリカには、高齢者ケアマネジ
メントの専門職能団体があり、NAPGCMと略されます。そのNAPGCMの
ホームページに、以下のコーナーがあります。

ケアマネジャーを選ぶときに賢い利用者が質問すべきいくつかのこと

 このなかの6つめに、公正中立に関することが述べられています。ちょっと意
訳になりますが、

 「あなたの所属している組織では、訪問介護や通所介護などのダイレクトケア
  サービスを提供しますか?」

 この質問に、もし日本のケアマネジャーならばどう答えるでしょう? 「任せ
てください! うちのサービスは質が高く、同系列の強みを生かした連携できっ
とどこよりもご満足いただけます」と自信と誇りをもって主張できるケアマネジ
ャーが、立派なよいケアマネジャーということになるかもしれません。

 しかし、NAPGCMの用意した答えは、次のようなものです。

 「いえ、あなたがもしわたしをケアマネジャーとして選ぶのであれば、ダイレ
  クトケアサービスは当組織からは提供できません。なぜならば、ケアマネジ
  ャーはご本人ご家族の最善の利益を実現させなければならない仕事なのです
  が、ダイレクトケアサービスを同時に提供してしまった場合、ダイレクトケ
  アサービス提供事業者としての最善の利益とご本人ご家族の最善の利益が衝
  突し、ケアマネジャーとしての使命を果たすことができなくなる恐れがある
  からです。」

 と、答えるケアマネジャーが、専門職としての倫理を体得しているよいケアマ
ネジャーだから、そういう人を選びましょうね、という趣旨のことを述べていま
す。

 このNAPGCMの質問のお話は、サービスを利用するご本人やご家族にお話
すると、すんなり「そりゃ、そのとおりだ」と納得されます。しかし、併設事業
業所のケアマネジャーの方々にお話しても、なかなか納得されません。そして、
当方がネット上に設けた相談窓口には、「塚本は公正中立なケアマネジャーを選
べと言うが、そんなケアマネジャーなんかどこにもいないじゃないか!」という
苦情がしばしば寄せられます。この規範意識と倫理のズレは、いったいどこから
来ているのでしょう?

 ケアマネジメントの公正中立に関する問題は、ちょうど原発問題に似ていて、
みんな「嘘」だと分かっていながら、誰もそれを表に出さない。出せば叩かれて
深刻な不利益を被る恐れがあるからです。そうやって、嘘の上に嘘を塗り重ねる
歳月が長ければ長いほど、崩壊したときの破壊力は相乗的に高まります。当方の
感覚では、もうこれ以上放置してはいけない破綻寸前の状況に立ち至っていると
思います。数はごく少ないですが、業界から抹殺されるかもしれないという恐怖
と闘いながら、専門職としての倫理を貫いて警鐘を鳴らし続けている実践者が当
方の周囲に存在します。無防備に身体をさらけ出している実践者でさえそうなの
に、真理探究を業とし、権力からも表現の自由が緩やかに承認されている研究者
の立場から、この問題に切り込む姿勢がほとんど見られないのはどういうことで
しょう?

 ケアマネジメントの公正中立という問題は、誰もが「なかったことにしたい」
介護保険最大の難問であり、語ることすらタブーとなっている状況ですが、6月
18日のつどいでは、逃げずに切り込みたいと思います。





2011.06.12.SUN

「本末転倒〜ケアマネジメントはどう変わるのか?」を拝見しました。

 飯塚さんのブログ「最新福祉脳!? 夢想転生」より表記タイトルの記事を拝見
いたしました。当方から事前の意見交換のために発した問い「2012年4月以
降、介護保険の居宅介護支援事業(ケアマネジメント)はどうなっていくと思い
ますか?」への答えをここからスタートいただいていることが分かりました。当
方がどれだけ内容を正確に理解しているか心配な部分もありますが、当方なりの
理解を前提に、ここで表明されているご意見に対し、私見を述べたいと思います。

(1)ケアマネジメントに広狭はあるのか?

 飯塚さんは、この記事の中で、ケアマネジメントの広狭について言及しておら
れます。おそらく、白澤政和さんの「『介護保険制度』のあるべき姿 利用者主
体のケアマネジメントをもとに」筒井書房2011年の広狭区分を念頭に置かれての
ことと思います。

 当方は、ケアマネジメントの範囲論として、アドボカシーやコミュニティワー
ク、ソーシャルアクションも当然守備範囲に含まれると考えるのが国際的な常識
ではないかと考えます。であるならば、ここで言う「狭義のケアマネジメント」
は、そもそも要件を満たさないもの、つまり「ケアマネジメントと呼ぶに値しな
いもの」であると言わざるを得ません。その意味で、白澤さんのおっしゃる広狭
二元論にはあきらかに無理があります。白澤さんの論理を徹底すれば、居宅介護
支援事業所は狭義のケアマネジメント、即ちケアマネジメントと呼ぶに値しない
ものを行うところとなってしまい、論理的には居宅介護支援事業所不要論へと帰
結してしまいます。もし、居宅介護支援事業所がケアマネジメントを行う機関と
して有用であると考えるのであれば、居宅介護支援事業所は白澤さんの言う「広
義のケアマネジメント」を行う機関でなければならないのですが、そうなると今
度は居宅介護支援事業所と地域包括支援センターの二重構造を否定せざるを得な
くなります。国家資格である社会福祉士の雇用の場としての地域包括支援センタ
ーを無理矢理に擁護されたために、居宅介護支援事業所との二重構造への批判を
徹底できなかった嫌いがあると当方は考えます。


(2)ソーシャルワークにひきつけることの偏り

 近時、社会保障審議会介護保険部会や介護給付費分科会で展開されたケアマネ
ジメント不要論の中には、ケアマネジャーが介護福祉士だからいけない、看護師
など医療職が担うべきだ、という主張が色濃く出ています。この主張を行ってい
るのは、医療・看護関係の団体と個人です。他方で、このような風潮への反発も
手伝って、貴方のように、社会福祉士などソーシャルワーカーが担うべきだ、と
いう論も、こちらは専ら社会福祉士の団体や個人が主張しているように見受けら
れます。

 この議論に対する当方の思いをなるべく分かりやすく表現するならば、「ソー
シャルワークやケアマネジメントの定義から出発して、その名目に合わせて仕事
をする」という発想自体を、そろそろ卒業すべきときではないか? ということ
とです。われわれは、ケアマネジメントだと定義されたいから、ソーシャルワー
クだと定義されたいからこの仕事をしているわけではないですし、むしろ、最前
線で最先端のことをやっている人たちは、いま自分のやっていることが、「まだ
名前をつけられていない何か」だと確信しているのではないでしょうか? まだ
名前はないけれど確実に存在している「実体」をつかまえている自分にニヤニヤ
していたりしませんか? それこそ、飯塚さん流の表現で言えば、「あのときが
イノベーションだったのだ」とはっきり分かった時点で、ふさわしい名前を自分
たちで付ければよいだけのことではないかと、当方は実践者として思うのです。

 ケアマネジャーは誰が担うのか、というソーシャルワーカー対看護師の泥沼の
議論は、他国ですでに体験済みのことです。いま我々が気づかなければならない
ことは、「支配の鉄則は、相手を分断すること」であり、他者から支配されない
ためには、相手の分断意図を見抜かなければならないということです。ケアマネ
ジメントの介護福祉士バッシングは、かつての各専門職間の対立を再燃させ、ケ
アマネジャー全体が一つにまとまらないようにする戦略だと見抜いて、そうなら
ないように、専門職間の対立ではなく、より大きな統合理念を対置してバッシン
グを乗り越えなくてはいけない。そういう意味でも、今は踊らされている場合で
はない、と思うのです。

 
(3)変質を占うキーワードは「標準化」

 飯塚さんは、ケアマネジメントの「ぶっ壊れ方」に似た事例として、医療ソー
シャルワークを挙げておられます。この点については当方も基本的に同様の認識
を持っています。より広く捉えるならば、2012年度以降のケアマネジメント
の変質は、3つの「標準化」の相乗効果として出現するのではないかと心配して
います。その3つとは、「医療の標準化(クリニカルパス)」と「ケアの標準化
(ケアパス)」、そして、「ケアマネジメントの標準化」です。

「医療の標準化(クリニカルパス)」は、既に先行していて、飯塚さんが指摘し
たような専門職の敗北が決定的になっています。ある診断名がついたら、その診
断名に対してあらかじめ決められた治療手順を患者の別なく有無を言わさず適用
し、必要な治療でも一定の範囲を超えたら受けさせない、一定の日数しか入院を
認めず、治ってもいないのに退院させるといった、言うなれば医療からの強制排
除装置としてこの「クリニカルパス」という言葉が用いられています。

 同じように、あやしげな統計資料をエビデンス(根拠)とする「ケアパス」が
開発され強制適用されたらどうなるか。たとえば、「あなたは週2回を超えてデ
イサービスに通っても効果がありません」と勝手に決めつけられて回数を制限さ
れたり、「あなたの場合、老人保健施設でのリハビリ効果は45日を超えたら期待
できません」と強制退所させられたりといった事が起きかねません。医師が、ク
リニカルパスを越える投薬や入院延長が治療上必要と判断して実行しても診療報
酬の支払いが却下されるのと同様に、ケアマネジャーが、心理的なサポートなど
一時的に通所回数の増加が必要と判断してそのようなケアプランを立て実行した
としても、その部分の通所介護事業所への介護報酬は却下されるということが起
きかねません。要介護認定区分支給限度単位数をたっぷり残して使わせないとい
うしくみです。このような意味でのケアパスが導入されてしまったら、居宅介護
支援事業所のケアマネジャーのみならず、自由裁量が最大のウリである小規模多
機能型居宅介護事業所のケアマネジメント(ライフサポートワーク)もまた、裁
量権を奪われて機能不全に陥る危険があるのではないでしょうか?

 そして、「ケアマネジメントの標準化」。上のような医療とケアの標準化に逆
らって「過剰な」サービス提供を計画するようなケアマネジャーには、ケアマネ
ジメント報酬の支払いを全部または一部却下する、という強権発動で、専門職と
しての誇りも裁量も一切合切奪い去る。2012年度介護保険法改正と診療報酬・
介護報酬同時改定には、そういう青写真が透けて見えると思うのは当方だけでし
ょうか?

 そんなことにならないようにするためにはどうすればよいか? を、6月18
日の「語り尽くすつどい」で深めていきたいと思います。





2011.06.11.SAT

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