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大阪ー金沢・富山・新潟間の電車特急。撮影の頃は、まだボンネットタイプのヘッドマークにはイラストが入っていませんでした。1982年からイラストが入ることになります。2001年3月2日にて富山駅発着の「雷鳥」はすべて「サンダーバード」に統合(金沢駅発着は除く)され富山駅ではその姿を見ることが出来なくなりました。同時に「スーパー雷鳥」も廃止となりました。
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新幹線博多開業の1975年3月のダイヤ改正で、485系の富山・金沢−米原間の新幹線接続の使命を与えられて登場したL特急です。ネーミングの由来は石川県の旧国名「加賀」の「加」と富山県の旧国名「越中」の「越」を合わせたもののようです。北陸本線は長大編成の電車特急が多い中、食堂車抜きの7両という短編成特急でした。1991年3月のダイヤ改正後は、運転区間が全列車金沢−米原間になり、富山駅ではその姿を見ることが出来なくなりました。
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米原ー福井・金沢間の455・475系の電車急行でした。普通車のみの6両編成で、米原での新幹線連絡を使命としたビジネス急行として活躍(5往復)しました。1982年11月15日のダイヤ改正で1往復を残し、特急「加越」に格上げされ、ヘッドマークも廃止され、残った1往復も1985年3月10日のダイヤ改正で廃止されました。
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最盛期には金沢と七尾、能登を結ぶ七尾線の58系ディーゼル・415系電車急行でした。写真の頃は輪島、珠洲、蛸島方面を結ぶ58系のディーゼル急行であり、気動車急行でヘッドマークを付けているのは四国各線の急行列車とこの急行「能登路」だけでした。
2001年3月からは1日1往復のみの運行となり、2002年3月23日のダイヤ改正に伴い廃止されました。
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特急「北アルプス」 1990年3月10日飛騨古川〜富山間廃止 2001年9月30日廃止
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名古屋鉄道8000系気動車による国鉄高山本線乗り入れ特急列車で、1985年までは夏山シーズンには富山地方鉄道立山駅まで乗り入れていて、珍しい3社直通運転が行われていました。1990年3月改正にて飛騨古川ー富山間が廃止となり、翌91年には新造8500系気動車に役を譲りました。
2001年9月30日にキハ8500系の「北アルプス」は廃止されました。
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上野ー金沢(上越線経由)間の485系の電車特急。1982年11月14日に上越新幹線開業にともない廃止されました。
この「はくたか」というネーミングの列車は、1997年3月に北越急行開業に伴い越後湯沢ー金沢(北越急行線経由)間の特急列車として15年ぶりに復活を遂げました。
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富山港線は、北陸本線の富山と岩瀬浜を結ぶ8.0キロの電化線(1924年富岩鉄道として開業時からの直流方式)です。クモハ73形とクハ79形(富山第一機関区・城川原派出所配置)でこの日まで運行されていました。旧型国電ですがブルー塗色なので、まるで京浜東北線の国電みたいでした。翌日より金沢運転所所属の475系が受け持つこととなりました。
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名古屋ー下呂・高山・富山・金沢間の高山本線のキハ58系のディーゼル急行でした。夜行の9号は季節運転で七尾・能登線へ乗り入れていました。写真は、キハ65が先頭車両です。
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大阪ー金沢・富山・新潟間の電車特急。向日町運転所の受け持ちで、この583系の「雷鳥」は通称「青雷鳥」と呼ばれていました。撮影の頃は、1985年3月14日のダイヤ改正後(583系定期運用から離脱)なので臨時L特急「雷鳥」だと思います。
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大阪ー青森間の485系の電車特急でした。この頃は向日町電車区受け持ちであり、「雷鳥」と共通運用でボンネットタイプの運用も多かった。国鉄メイク(当然のことながら)のボンネットなんてこの頃は珍しくもなかった・・・。2001年3月2日廃止されました。
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