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 いちじくは耳ダニがあったために、それから2週間おきに病院で注射をしていただくことになりました。


 今週は耳ダニの注射、さ来週は予防注射、その次はまた耳ダニの注射、そしてその次はまた予防注射。延々と続く注射にいちじくはすっかり病院嫌いになりました。


 そしてもうひとつ嫌いになったものがありました。

 それは車です。


 注射がすっかり終わるまでは病院以外に車に乗ることができなかったので、車に乗ると、痛いことをするところへ行くと思ったのかもしれません。いちじくはなかなか車に乗ろうとしなくなりました。今から車で出かけるとわかると、もう両足を踏ん張って座り込んでしまい、歩こうとしないのです。無理に抱き上げて車に乗せると、今度は車酔いをしました。


 最初は車酔いだなんて気がつかなかったのです。ただ、いちじくの口のまわりがやけに濡れているなあと思ったのです。どうして濡れているんだろう…思い当たらなかったけれど、もしかしたら、それはいちじくのよだれなのじゃないかと思いました。そしてますます、こんなにたくさんの量のよだれがどうして出るのだろうと思ったのです。


 いちじくは苦しそうに食べたものを吐くようになってしまったのを見たときに、私は初めて、それが車酔いのせいだったとやっとわかったのでした。

 車に乗ると酔うからと言って車に乗らないわけにはいきません。病院に行くにも、いずれ、遠い公園に遊びに行くにも、歩いて行ける距離ではないのです。


 それに私はいちじくといろんなところへ一緒に出かけたいと思っていました。キャンプや旅行…一緒に楽しめるところなら、どこだって一緒にいたいと思っていたのです。


 それには車酔いをやっぱりなんとかしなくてはなりませんでした。
 まず病院のお医者様に相談しました。先生は、笑いながら言いました。


「薬はあるんだけどね、人間のように、薬を飲んだから大丈夫という思いこみが犬はできないからね、薬が効きにくいんだよね。うん、あんまり効かないなあ。気休め程度。それより、ドライブは楽しいんだってわかれば、そのうちきっとなおるよ」
 
 ちょうど、予防注射からは2週間がたっていました。もう外へ出てもいいよとお医者様にも言っていただいていたのです。


「今日はね、楽しいところに行くのよ。公園にいくの。うれしいところに行くのよ」


いちじくはあいかわらず、足を踏ん張って、車に乗るときに抵抗しています。


「楽しいところに行くから大丈夫なのよ」


私は一番近い公園を目的地にしました。


 助手席のカーペットに大きめのペットシートをしきました。
「そこにいなさいね。座席にあがっちゃいけないのよ、運転の邪魔をしてもいけないのよ」

 いちじくはおりこうさんです。
 最初はすぐに助手席にあがってきて、そして運転している私のところへ来ようとしました。でもそのたびに車を停め、「いけない」と言って、シートの上にお座りさせると、一度目と2度目と3度目は失敗しても、その次にはどうやらいちじくは私が言いたいことがわかってくれたようでした。


 助手席の下に頭をつっこんで、ペットシートの上に頭を乗せていました。


 運転席にあがってこないでいるいちじくにほっとしながらも、気になって、いちじくの方をみると、いちじくはいつもその視線に気がついて、頭をあげ、不安そうに私を見つめているのです。


「大丈夫よ」そっと手を出すと、いちじくは私の手の方へ首をのばして、手をぺろぺろとなめました。


 運転をしながら私は胸がいっぱいになりました。車酔いをしていても、少しもそのことに気がつかないでいる私、いちじくのことを少しもわかっていない私、身勝手な私、そんな私を、いちじくはいったい頼りにしてくれているというのでしょうか?


 公園についたとき、公園は夕日色につつまれていました。いちじくに綱をつけ、車を降りて、一緒に歩くと、いちじくは初めてのお散歩に、少しとまどっているようでした。何度も何度も私の顔をみあげて、私がうながすと、ゆっくりと私のあとについてきました。


 夕方の公園には、何頭かの犬と、その犬の飼い主が一緒に散歩にきていました。いちじくは人や犬が近づいてくるたびに、私の後に隠れてしまうのです。


 私はまた、いちじくが私のことをまるでお母さんのように頼りにしてくれているということがわかって、いちじくがいとおしくてなりませんでした。そしてなんて臆病で弱虫なんだろうとそのことが、またいとおしいのでした。


 そのときはまだいちじくが、「きかん坊で、ずいぶん気の強い犬だね」なんて、言われてしまうことがあるなんて、思いもしなかったのでした。

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