33

春がやってきました。
 まだまだお花が咲き乱れるほどの春ではないけれど、雪がとけ、梅の花が咲きほころびはじめました。季節が変わったということを伝えてくれるいろいろなにおいが、風に乗って流れてくるから、いちじくは少し落ち着きません。
 日が長くなって、夜が来るのがずいぶん遅くなって、私の仕事が終わってもまだ明るいから、お散歩に遠くまで出かけられるようになりました。だからいちじくは、私の帰りをいっそう首を長くして待っています。
 そしていちじく、春はあなたの生まれた季節です。
 3月1日が、そのお誕生日でした。
 お誕生日だからと、いちじくはいつもよりていねいなお散歩をしてもらって、大好きなモーツアルトの曲を聴きながら(そうじゃないかと思うのです。なぜって私が下手なモーツアルトをピアノで弾くと必ずピアノのすぐすぐそばで聴こうとするから)そしてイチゴとクリームがいっぱいのった手造りのケーキの前で、記念写真をとりました。(もっともいちじくがもらえたのはイチゴをいくつかと、カステラを少しだけでした)その日いちじくは2歳になりました。
 お誕生日がやってくると、今までのことがよみがえってくるものですね。私も、いちじくが来てからのことをいろいろと思い出しました。あなたと最初にペットショップで目があったこと、あなたがこの家へやってきた日のこと、初めて一緒に海へ行ったこと、あなたが病気をして、私はあなたを失う不安にどうしたらいいかわからなくなったこと、手術をしたこと、そしてやっぱりあなたのことが心配で、学校にいながら、おろおろとただ歩きまわっていたこと。手術のあと一緒に眠れぬ夜をすごしたこと・・・
 いろんなことがあって、今、いちじくは私たちのかけがえのない家族として、2年どころかもっともっとうんと前からこの家にいたように思えるのです。
 机で書き物をしていて、振り返れば当たり前のようにあなたはそこにいて、私を見ています。私が少しでも立ち上がる気配を見せたら、いそいで、いちじくも立ち上がって、私において行かれないように一生懸命追いかけます。ストーカーと言われようが、なんと言われようが、いちじくは私のそばにいてくれます。
 講演会などで、遠くへ出かけて、私が家を思うとき、私はあなたを含んだ家をいつも思うのです。
「お散歩に連れて行ってもらえたかな?」
「小さい家族は、ちゃんといちじくのウンチも忘れずに持って帰ってきたかな?」
「変なものを食べたりしていないかな?」
「まあるくなって眠っているのかな?」
 あなたが家にいるようになって、私はどこにいても、道ばたの犬ばかりに目がいくようになりました。猫だって大好きだったはずなのに、いつのころからか、猫がいても、それほど目をひかれることはなく、日本にいても外国にいても、知らず知らずのうちに、私の目は犬を追いかけているのです。あの犬にも、きっといろいろなドラマがあり、そして、家族がいるんだろうなあ・・そんなことを思うのです。
 ペットショップのウインドウの中で見つめあった瞬間は、今から思えば、とてもとても大切な瞬間でした。私、いちじくと暮らすようになって、犬って、すごくたくさんの力を持っているんじゃないかなって何度も思うようになりました。
 犬って未来がわかるのじゃないかと思うことがあります。そしていちじくも未来をわかるのじゃないかと思います。お散歩に行くときも、お医者さんに行くときも、私は同じように、「出かけるよ」と声をかけるだけなのに、お散歩の時は大喜びで、はやくリードをつけてとひっくり返っておなかを見せるいちじくが、お医者さんに行くときはゲージの中に入ってしまって、なかなか出てこないのです。
 私が県外へ出ていて、講演会から帰ると、かならずいちじくが玄関に待っています。音を聞いてでてきたのかなと思っていたら、「10分ほど前から、そこにいるんだよ」と家族が言うのです。帰ってくる時間はいつもまちまちなのにと不思議です。
 お散歩に行って、しんちゃんとレイナちゃんのお母さんが、「いちじくちゃんおいで」と声をかけてくれることがあります。ミュニュチュアダックスのレイナちゃんは、お母さんに「レイナちゃんおいで」と呼ばれても、遊びに夢中のときは、ちゃんと聞こえていても、知らないふりして来ないこともあるみたいなのに、お母さんが「いちじくちゃんおいで」と、いちじくに声をかけると、「大変だ!!」とばかりいそいで遊びをやめて、レイナちゃんが呼ばれたわけでもないのにお母さんのところへ駆けていって、お母さんにだっこをせがみます。
「レイナ、やきもち焼いてるのね」お母さんがレイナちゃんを抱きかかえると本当にクーンと甘えた声でなくのです。レイナちゃんは「おいで」という言葉だけがわかるのじゃなくて、「お母さんは今、私じゃなくていちじくを呼んでだっこしようとしてるんだ、私のお母さんなんだぞ」って思ったのに違いありません。犬は言葉は話せなくても、みんなみんなわかっているんだなあと思うのです。
 だから私、犬は小さい赤ちゃんのときから、きっと未来がわかっていて、私はひかれるようにして、いちじくの待つペットショップに行って、そしていちじくは「ああ、私のお母さんがやってきた」ってそう思って、私のことをじっと見てくれたのに違いないとそんな不思議なことを思うのです。
 でもね、やっぱりいちじくは未来なんてわかってないんじゃないかなと思うことだってたくさんあります。それはね、いちじくがすごくドジだったり、失敗したりするからなのです。
 そうでしょう?いちじく、だいたいね、未来がわかるなら、ゴミ箱に顔をつっこんで、出られなくなって、足をばたばたさせて、困った声で鳴くことも、それから、食べちゃいけないものを食いしん坊して食べちゃって、おなかをこわすこともないはずじゃないの?
それからね、タンスの後に入っていって、方向転換できなくて、戻ってこられなくて悲しそうに鳴いているのだってね、一度や二度じゃないでしょう?一度失敗したら、もう、そこへは入っていかなければいいじゃないの?
 けれどだからこそ、私はいちじくをいっそうこんなに可愛いくていとおしくてたまらないのだと思います。
 そうだよ。いちじく・・・私はいちじくをいつも守りたいと思ってる・・・あなたときたら、私がいなかったら、すぐに変なもの食べちゃって、きっと病気になっちゃうもの。すぐに毛玉だらけになって、大変なことになっちゃうもの。
 いちじくは2歳になった今も、2キログラムにもなっていなくて、大きな二つの黒い目で私を見つめてる。初めての人や初めての犬が怖くてほえたり、ふるえたりしてる・・
大丈夫だよ。私があなたを守るよ・・あなたが安心してここにいられるように、あなたが
恐がらなくてもいいように・・・
 あなたはあなたの本当のお母さんと別れ、ペットショップにおかれていた。あなたはペットショップで、お母さんと別れた悲しい思いを胸に持って、もう一人の兄弟と一緒にいたのに、私たちはあなただけを連れ帰ってしまった・・・
 いちじくは、そうして私の家へ来て、それでもよかったよって思ってくれる?私たちのことが大好きで、毎日が楽しいと思ってくれる?
 

34へ

もくじへ