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 いちじくが病気になりました。そしてそれは私のうっかりのせいでした。
 以前、いちじくの予防注射を受けに病院に行ったときに、お医者さんに
「いちじくちゃんは毎日何を食べていますか?」と聞かれたことがあったのです。
「前は乾燥したえさを食べていたけれど、半生の方が喜ぶってわかったので、今はそれを食べています」
ところがお医者さんはこう言いました。
「半生は毎日食べるのには適してないよ。たまにおやつに食べるのは、ワンちゃんも喜ぶからいいんだ。生なのに、腐らないのは防腐剤が多く含まれてるんだよ。ずっとそのまま食べていると大きくなって肝臓を悪くすることがあるよ。それにいちじくちゃんの体はなんといっても小さいからなあ」」
 あわててたくさん買い込んだ半生のえさをやめることにしました。その時点でおやつも乾燥フードに変えたのに、でも「おやつにならいい」という言葉が耳に残って捨ててしまうのももったいないかなあなんて欲張りなことを考えて、押入れにしまいこんであったのです。そしてそれきりになっていました。
 8月のお盆の日のことでした。いつものようにいちじくはお部屋で遊んでいました。その日はうっかりと廊下のその押入れのドアがきちんと閉まっていませんでした。私はパソコンに向かっていました。グボっというような耳慣れない音がして、ふりむくといちじくがおしっこシーツの上で不自然なかっこうをしています。
「どうしたの?」
見るといちじくはすごくたくさんのぶつぶつのものを吐いていました。いちじくは割合丈夫で、病気らしい病気もしたことがなく、吐くということもあまりなかったので、驚きました。いったい何を吐いたのだろう・・・すぐにはわからなかったけれど、よく見るとそれがどうもえさらしいということがわかりました。けれど朝食べたえさとは違うものです。いったい何だろう?まだ押入れにしまってあったえさだということに気がつかず、何が起こったのかわかりませんでした。そうこうしているうちにまたいちじくが今度もたくさんの量のものを吐いたのです。あわてていちじくを抱きかかえ、ペットシーツを取りに押入れに行って、ようやく事態が飲み込めました。押入れの戸が半分あいていて、そこには半生のえさが散乱していました。小袋がふたふくろ・・・それはいつもならいちじくの1週間分くらいの食事の量でした。乾燥したえさはおなかがいっぱになると途中でも食べるのをやめるのです。普段なら考えられない量のえさを一度に食べてしまうなんて・・・、よほどおいしかったのでしょうか。
 3度目の吐き気がやってきたようで、いちじくがまたゲホっという声を出しました。すぐに病院につれていこうと思って、いつものお医者さんに電話をしました。でも間が悪いことに、電話から流れている留守電の音声は「お盆のためにお休みさせていただきます。診療は17日からはじめます」というものでした。
 どうしよう。どうしよう・・・オロオロして友達に
「いちじくが吐いてる・・・」と電話をしました。「私の残していた古いえさをたくさん食べちゃって吐いてる・・・」
「どうして捨てなかったの」
「だってだって・・・忘れていたの。病院もお休みなの・・」
泣きながら電話をしているので、友達も私のことが気の毒と思ったのでしょうか。
「悪いものを全部出せば大丈夫だから泣かないで」
 でもそれからもいちじくは何度も吐きました。もう食べたものもおなかのなかに無いと思うのに、まだ吐いていました。もうペットシーツまでいく元気も無いのか、お部屋のすみやじゅうたんの上にももどしました。そして今度はおなかまでも壊したようで、どろどろのウンチをして、そしてしまいには血のまざったウンチをしたのです。そしてぐったりと横になってしまいました。
「いちじくが死んじゃう」
また電話をしても、病院は留守電のままで、「急患の方はどうぞ」とも何とも言ってはくれません。電話帖をめくって、小松市じゅうの獣医さんに電話をかけました。でもかけてもかけても、受話器からはお休みを知らせる留守電が流れるばかりです。もうどこも今日はお休みなんだとあきらめかけたころ、受話器から「もしもし」という男の方の声が聞こえました。私はその声にかえって、変わった留守電だなと思ったくらいです。
「もしもし、もしもし、どうしましたか?」はっとして
「あの、犬が、犬が吐いて、血のウンチをして、どうしましょう・・・。病院はしておられるんですか?」
「大丈夫ですよ。しています。お盆は休みませんよ。つれていらっしゃい」
「ありがとうございます」いちじくを助けてくれる神様みたいに思えて、また「ありがとうございます。どこもお休みで」と取り乱していることをいいわけして、すぐにいちじくを抱きかかえてお医者さんに向かいました。
 車に乗って気がついたら、なぜか手にはせんたくばさみをいれる小さいかごを持っています。いちじくとお散歩するときに持っていくかばんを持っていこうと無意識に思ったのかな・・・とにかく私はいちじくが死んじゃうんじゃないかと思うから、心配で心配でたまりませんでした。悪いことばかり考えてしまうのです。いちじくはぐったりしていて、とてもはかなげに見えました。

 いつもの病院とは比べようのないくらいこじんまりとした小さな病院でした。ペットショップのようにペット用品が置いてあったり、ワンちゃんや猫ちゃんの写真や置物がおいてあるわけでもなく、待合室にはベンチがひとつと、予防注射のポスターが貼ってあるだけでした。とても優しいお顔の院長さんが、「つらかったでしょう」と声をかけてくださると、私はもう子供みたいにフェンフェンと泣きながら、どうしていちじくがこんなことになちゃったかの話をしました。そして診察台にのせて、お医者さんがいちじくの体に触れたとたん、なんということでしょう。いちじくは本当に恩知らずです。もしかしたら病院のにおいと診察台が避妊手術のときの恐ろしさと痛さを思い出させたかもしれません。いちじくはガオガオ犬に変身して、こともあろうか院長先生の手に噛み付こうと額にしわを寄せて、ウーと低い声をあげました。
 院長先生は「よしよし、元気があるよ。大丈夫。おそらく血のついた便は何度もウンチをしたので、お尻のまわりがただれたせいでしょう。吐き気止めのお薬を出そうね」と笑ってくれました。
 本当にいちじくはなんて恩知らずで、なんておばかさんなのでしょう。どこもお休みだったんだからね、それを診てくださったのに、ウーってうなって、手を噛もうとするなんて・・・
自分がえさを押入れにしまったまんまにしていたことをすっかり棚にあげて、いちじくにそんなことを言ったけれど、でも本当は自分のせいなんだと何度も何度もそのことが悔やまれました。いちじくが体を休めることができるように、小さい家族たちに「いちじくをそっとしてあげてね」と話して、ゲージにいれました。半生のえさの残りをを砂を噛むような思いで、全部ゴミ袋に捨てました。もう見るのも嫌なくらい、自分に腹をたてていました。
 いちじくの吐き気はなかなかおさまりませんでした。夜9時ごろ、今度は血が混ざったというよりは、血のかたまりのような真っ赤なウンチをしたのです。
また病院に電話をしました。もう夜遅くだから今度こそは電話に出てはもらえないだろうなと思ったけれど、受話器からまたやさしい院長先生の「もしもし」という声が聞こえました。「また血のウンチをしたんです。それから一回吐きました。つれていってもいいですか?」「気をつけていらっしゃいね。ドアは開いているからはいってきて」どこまでもやさしい院長先生でした。
 さっきと同じように病院には院長先生がただひとりでした。
「本当に心配をかけるワンちゃんだね。じゃあ、注射をしておこう」
 家に帰ってからも心配でたまりません。でも抱いて寝るといちじくは体を休められないかもしれません。いちじくのケージのところに枕を持ってきて、眠ろうと思うけれど、なかなか眠れませんでした。
 私は、18日から北海道へ行くことになっていました。講演会のためなので、いちじくが病気だからいかないというわけにはいきませんでした。そうだ、明日はいつもの病院があく。今日診ていただいた病院は小さくて入院はできないみたいだったけれど、いつもの病院なら入院できるはず。北海道へ行ってるあいだに悪くなったらいけないから、入院させてとお願いしてみよう。
 さっきまでは夜だってお盆だって、開けていて、いつも診てくださる院長さんのところにこれからは通おうって思っていたはずだったのに、自分の都合ばかり考えている自分に気がついて、恩知らずなのはいちじくじゃなくて、私だなと思いました。でも、あさってからの3日間のことを思うとしかたがないなとも思うのでした。
 夜一度も吐くこともなかったので、少しほっとしていたのに、血便をまた朝しました。お湯に浸したごはんも口をつけようとしません。朝一番にいちじくをまた病院へ、今度はいつものところへ連れて行きました。
これまでのことと一緒に「昨日違う病院で診ていただいて、夜には注射も打っていただいている」ということも お話しました。そしてできれば明日からいないので、入院させてほしい、そうでないと日中 病院へ連れてこれる人は家にはいないのだと言うことも付け加えました。
 お医者さんはいちじくのことをよく知っておられるので、なおのことだと思うのですが「いちじくちゃんは入院はむつかしいと思うよ。気が弱いからね、もっと悪くなってしまう。そういうワンちゃんのほうが多いんだ。いつものところでじっとしていないと、違う環境でますます悪くなるよ。いちじくちゃんは小さいから病院さえ連れてきてもらえば、飼い主さんがいなくても、もし暴れるようなことがあったとしても、なんとかなるから、誰かに頼んでつれてきてもらいなさい」それでも私は心配で、
「本当に病院においておかなくてもいいのでしょうか?血のウンチもしたし・・」などとしつこく聞いたけれど、お医者さんは、やっと頭をもたげながらもお医者さんにウーっとうなっているいちじくを見て、「誰にでも甘えられる犬じゃないようだからね、家が一番。ただ確かに血便はd心配だからつれてきてね」と言うのでした。
いったい誰にお願いしようかと思ったときに、おうちでお仕事をしていて、いちじくが大好きな私の友達のともちゃんのことを思いました。ともちゃんはいつも通り道だからとどこかへ出かけるついでによく寄ってくれます。おうちにはとおじゅうろうちゃんとななちゃんという名前の犬とミックという猫がいます。お仕事もおうちでのお仕事だから、いいよと言ってくれるかもしれない・・・長いおでかけのときなどにも、いつも心にかけてくれるのがともちゃんでした。
 お医者さんではまた注射を打っていただいて、お薬をいただきました。
「ご飯は吐いているあいだは無理してあげないで。でもあんまり食べないようだったら、それも心配だから、つれてきてください。缶詰を出すから、ひとさじずつ食べさせてね。一回に3分の1まで。それからお薬も忘れずに飲ませてくださいね」
 病院から帰ってともちゃんに電話をすると、
「いいよ、大丈夫だから。夕方に寄ってみるから」と言ってくれたのでした。
 夕方ともちゃんが来てくれたころには、いちじくに、お薬がぴったりあったのか、それともちょうどいちじくがなおる時期にさしかかっていたのか、いちじくはずいぶん元気になっていました。ましてや大好きなともちゃんが来てくれたのです。眠ってもいられないと思ったのか、ともちゃんに飛びついてしっぽをちぎれるほどに振っていました。さっきまでぐったりと床に頭をつけて寝ていたのがうそのようです。
「元気、元気。これなら大丈夫。犬は自分でなおすよ。おなかをこわしたら、食べないでなおすから大丈夫。ただ純血種はミックス犬に比べて弱いんだよね。だけどいちじくはこんなに元気だもの。明日の夕方いちおう病院には連れて行くけど、きっと大丈夫だから、安心して」
ともちゃんが、とおじゅうろうちゃんの前にもとおくろうちゃんという犬といて、家族の一員として犬を大事にしていることを知っていたので、ともちゃんの力強くやさしい言葉が何よりもうれしく、そしてほっとしたのでした。
 明日から北海道に行って、家を留守にするので、家にいる小さい家族にお医者さんが教えてくれた食べさせ方とお薬の飲ませ方を言うと、小さい家族にとっても、これは責任十台、大事なことだと思ったのでしょう。紙にかいて、ケージのそばに貼っていました。

・お薬は一日3階のませます。粉のおくすりは顔を横にむけて、口をイーと開いて歯の上にお薬をのせます。
・かんづめをひとさじずつあげます。いっぺんに缶詰の3分の1以上はあげません。
・お水を飲まなかったら、ポカリスエットをあげます。
・ケージからあまり出さないで、休ませてあげます。

そんなふうに紙には書いてありました。
 北海道に立つ朝にはいちじくはすっかり元気になっていました。もうもどすこともなくて、ケージの中でちゃんといつものようにお座りをして私を見てくれました。小さな家族と一緒にスプーンでかんづめの餌をあげるとそれも食べてくれました。そして出かけるまでにももどすことがなくてほっとしました。
いちじくは私が出かけるから、よくなってくれたんだ・・・そんな気がしました。
「ありがとうね。行ってくるからね」
いちじくは私の話をじっと聞いていたようでした。そしてしばらくして、しっぽを丸めてケージの中の自分のベッドの上に丸くなりました。いちじくは朝学校へ出かけるときも、もう遊んでくれないって知ってるから寝るよと体を丸くします。もう大丈夫だなと思いました。
 北海道からも何度も電話をしました。いつもなら「みんな元気?」と最初に聞くのに、そのときばかりは「いちじくはどうしてる?」と聞きました。いちじくは本当に家族の一員なんだといまさらながら思いました。
「もうふつうだよ。かんづめのえさじゃなくてもいいんじゃないかな?」そういうくらい元気なようでした。
ともちゃんも「一応連れて行ったけれど、お医者さんももう大丈夫って言って注射も何もしなかったよ。よかったね」って。
 初めての病気。私のせいでなっちゃった病気はこうして元気になりました。


 

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