カンボジア・ベトナム日記


9

  午前中に最初に出かけたのは、アンコール・トムでした。 
アンコール・トムの真ん中にバイヨンという寺院があります。そこは、いくつもの石で作られた大きな仏像の顔がたくさんあることで有名です。
「ここでは、今でも、お坊さんやおばあさんが、線香の日をたやさずにお参りをしています。おばあさんはお坊さんの食事の用意もしています」
 ソチアさんの説明のとおりに、回廊の中のある空間で、おばあさんが、線香をたいていて、私たちの方へも線香を差し出してくれました。
 日本の3倍ほどの長さの線香を受け取って、靴をぬいで、その中へ入りました。手をあわせながら、まるで、日本のお寺の中で、手をあわせているみたいな気持ちだなあと思いました。場所も、中の様子もぜんぜん違うのに、どうしてこんなに落ち着くのでしょう。そのときに、どの国の人も神様を心の中に持っていることの不思議を思いました。そして、こんなふうに書いてしまうことは、いいことかどうかわからないけれど、神様は確かにおられるんだなと思ったのです。そして、今、私がカンボジアのバイヨンの中に、こうしていられることを、心から感謝したいと思ったのです。
 人と人の出会いは不思議です。出会うことによって、心が揺れたり動いたりする・・・今まで考えていたことが違っていたんだなと気がついたりする・・いろんなことを考えて、自分の心を見つめたりする・・そんな出会いが、まるで偶然ではなく、あらかじめ、用意しておいてくれたように、そこにあらわれる・・・それは、きっとその人に必要だからこそ、用意されたものなのじゃないか・・・もしもそうなら、私はこの旅に出かけることができたのも、私に必要だから、用意されたのではないだろうか、なら、私、きっといろんなことを感じよう、そして、いっぱい考えよう・・異国の仏様に(けれど、きっと私たちがいつも身近に感じている、神様だったり、仏様が今、目の前におられるのだと感じながら、)手を合わせて思ったのでした。
 「ここにはどこにでもたくさんの菩薩像の顔があります。その顔はクメール人特有の顔です。僕の顔は鼻が大きいから、クメール人らしい顔です。カンボジアには、華僑の人がたくさん入ってこられているので、クメール人らしい顔はすくなくなってきました。あの顔を見てください。日本人の有名な人にそっくりです。誰ですか?」
おだやかに目をつぶるそのお顔は、いったい日本人の誰に似ているのでしょうか?
「正解は、京 唄子さんです」
みんながなるほどーと歓声をあげるくらい、本当にそのお顔は京唄子さんにそっくりでした。前に、ソチアさんが、アンコール・トムの方が自分の祖先だと感じると言ったのはそういう理由があったのですね。そして、ソチアさんは自分が、クメール人の子孫であることをうれしく、誇りに思っているんだなと感じました。
 第二回廊の中の別の空間に入ると、汗がすっとひくような感じがしました。窓からは、菩薩の横顔と青い青い空が見えました。石の作りが、音をもさえぎるのでしょうか?静かな誰もいないその空間に腰をおろすと、「悠久の時」の中に自分もまた、そこにいるのだと実感できるのでした。
 バイヨンを出て、入り口の方へ歩いていると、男の子が、胡弓のような楽器を持ってそれを売っていました。
「山もっちゃん、楽器だよ。楽器買わないの?」小林さんが、私が楽器が大好きなのを知って、声をかけてくれました。
 前に桝蔵先生と話をしていたときに、ベトナムには楽器屋さんもいっぱいあるよと聞いていて、それだったら、おみやげのような楽器でなくて、少し高くてもちゃんとした楽器を買いたいなと思っていました。
「もし楽器屋さんに行けたら、ちゃんとした楽器を買いたいなと思っているの」そばにいた大谷さんも「そうするんだろう」と言いました。私が、前の旅行で、メープルシロップとはちみつを間違えて、それを持ちきれないほど買って、失敗したことなどを大谷さんはよく知っていて、「楽器はちゃんと音がならないとね」「いいものを買う方がいいなあ」と前々から言っていたのです。
 でも、男の子は私が楽器が好きって、きっとわかっていたのかもしれません。だって、何度も何度も、楽器を手にして、5ドル、5ドルって言うのですもの。それでね、そんなおもちゃの楽器なのに、とても上手にならすのです。それで、のぞきこむように、5ドルって言うのです。思わず5ドル払って楽器を手にしたら、私はやっぱりうれしくてにんまり笑ってしまうのでした。「買うと思った・・」大谷さんは少しあきれ顔でした。
 その次に出かけたのはタ・プロム遺跡というところでした。
 「アンコール・ワット、アンコール・トム・・それからどの遺跡も、ジャングルの中から発見されました。そのとき、すでに遺跡はジャングルの木々の中に埋もれるように立っていました。石に根っこが入り込んでいました。そのままだと遺跡はくずれてしまいます。それで、修復するときに、木は切られ、根っこは取り除かれたのです。けれど、このタ・プロム遺跡は自然の力がわかるように、そのままにされています。そして、修復が大切という考えもあるけれど、もう一つには、長い年月そのままで、朽ちていくことも、また自然のなりゆきだという考えもあって、ここはそのままになっています」とソチアさんが説明してくれました。
 バスを降りたところで、私たちを歓迎してくれるように太鼓をうちならしている人がいました。
「中でも聞けます、進みましょう」ソチアさんがそう言いながら、遺跡に続く森の舗装していない道を歩いていきました。「本当は他の遺跡も、このように森をくぐりぬけた向こうにあったのですが、遺跡がよく見えるように、森を切ってしまったのです」
 少しすすむと、森の先の方から、優しい音楽が聞こえてきました。それはきっとカンボジアの民謡のような音楽なのではないでしょうか?優しくて、そして異国を感じさせる音楽でした。
 歩いていくと、演奏をしている人たちは、道の端にゴザを敷いて、その上で、さまざまな楽器を演奏していました。何人もの人たちは、ある人は足がなく、ある人は両足がなく、そしてある人は手がありませんでした。そして、ある人は目が見えないようでした。
私たちが立ち止まると、楽団は「上を向いて歩こう」の曲を演奏してくれました。
 あ、泣いてしまう・・・地雷で、あるいは戦争で手足を失われた人の前で泣いてしまうことにためらいがあったけれど、私は涙をとめることができませんでした。素晴らしい演奏に心が動いたのでしょうか?いいえ、それだけではないはずです。
 そのとき、私は小さいときに、怪我をした人のそばにいて、自分も足が痛くてたまらなくなったことを思い出しました。人は苦しみや悲しみや痛みを体験した人に出会うと、「ああ、痛かったんだね。どんなにか苦しかったんだね」とその痛みを自分の痛みとしてとらえるのだとそのときに思いました。そしてそれはけっして恥ずかしいことではないんだとも思いました。人は他の人の痛みを自分の痛みとして感じることができるからこそ、その人の痛みをわかろうとできるのだ、もしかしたら、思いやることができるのではないかとそう思ったのです。
 傷痍軍人さんに会ったときの涙を私はずっとずっと恥じて、そのままそのことを、引きずってきてしまっていたけれど、泣いてもよかったんだと思ったのでした。
 カンボジアに来て、私たちはまだ二日目だけど、でも、戦争がついこの間まであったのだということを、いろんなところで、感じてきました。ポル・ポトの時代に、たくさんの虐殺があり、そして、恐ろしい拷問を受けた人もたくさんいることを知りました。
 大ちゃんはこんな詩を作っています。
「どうしてか わからんわ
ポルポトの人やって
奥さんや恋人や
子供がいるはずなのに!
一人一人がやさしくても
戦争が
恐ろしいことを
平気にする」
 目の前でお父さんを殺された子供たちが、今、大人になっていると聞きました。私にははかり知ることができないけれど、その恐怖や悲しみはいったいどんなに大きかったでしょう。そして、きっと今も心の中にずっとずっとその思いは絶えずあって、忘れることがないでしょう。家の前や学校の前に爆弾がボンボンと落ちて、明日の朝、朝日がみれるかどうかもわからないという生活はどんなでしょうか?そんなことを思うと、私はやっぱり涙がとまりませんでした。そして、今こんなに誇らしげに、楽しそうに堂々と演奏している人たちの姿はやっぱり胸をうちました。
 気がつくと、あゆみちゃんも泣いていました。あゆみちゃんはあとでこんなことを教えてくれました。
「夕日を見に行ったとき、足のない人がいて、あゆみはその人を見ることができひんかった。音楽を演奏している人も最初は見れないと思ったのに、その中に目が見えない人がいて、演奏しながら、その人は本当に楽しそうににっこり笑いながらその人が演奏しているのを見たとき、なんやしらんけど、涙が出てきてとまらなくなってしまってん。きっとつらいこともいっぱいあると思うのに、あんなにやさしくにっこり笑っているあの人が本当にすごいなあと思ってん」
 この旅行には、あゆみちゃんや、ともちゃんや引田さんやえみちゃんという4人の若い女の子が参加してくれていました。年は関係ないかもしれないけれど、若い女の子たちが、その折々に、いろんなことを感じていて、そして、私もまた、自分が感じる以外にも、彼女たちの耳や目や気持ちを通して、いろんなことを感じてると思ったことが一度や二度ではなかったです。
 演奏が終わって、私たちはいっぱい拍手をしました。小林さんが初めに、演奏のお礼と、そして、楽団の当然の報酬として、お金を缶に入れられました。支払ったと言ったほうがいいかもしれません。みんなも次々といれて、私もお金を入れました。ソチアさんが、勉強をする人は焼き物を習ったり、音楽を習ったりすると前に教えてくれて、そのときはどんな風にお仕事をしておられるのか実感がわかなかったけれど、楽団の人たちだけでなく、カンボジアの人たちはみんな生きるために食べるために一生懸命、勉強して働いているんだなあと思いました。
 楽団の人たちは、私たちがその場を離れたあとも、見送ってくださるように、千昌夫さんの「別れのワルツ」を演奏してくれました。
 遺跡のどこもかもが、大きな木の根っこに覆われていました。太い根っこは蛇のように、遺跡の屋根に長く伸びていたり、血管のように、網の目のように、細かく覆われていたり・・・それを見ていると、遺跡が、木の根っことともに、息をしているように感じらるのでした。
「この遺跡は、映画に出てきます。帰ったらビデオで、必ず見て下さい」ソチアさんが教えてくれた映画は、ゲームを映画化した、トゥーム・レーダーという映画でした。見たことはないけれど、ゲームはしたことがあります。そのゲームはアクションゲームで、女の人が、高いところから飛び降りたり、のぼったり、石の回廊を走ったりするものでしたが、ここでどんな活躍をして映っているのか、とても興味があるから、帰ったらきっと見たいと思いました。
 ふたつの遺跡をまわったあと、バスは市場を通っていきました。すごくたくさんのお店が並んでいます。そのはずれのところに、私たちがお昼を食べる中華のレストランがありました。
 中は暑かったけれど、一部屋だけ冷房がかかっていて、そこに入れていただけました。トイレに行くと、日本人の女の人が列をついていました。どうやら、お仲間の人がなかなか出てこないようです。
やっと出てきた年配の女の人が
「困ったわ。流れへんねん」と言いました。
「紙を流すからやわ、ここは水圧が低いから、紙、流したらあかんのやて。まあいいから、かわって」
「あかん、大のほうやから」
「えー。あんた弱ったことして、どないするの」
 その方が本当に困ったなって思っておられるのに、私たちはなんだかおかしくなって、笑ってしまうのでした。
「あ、バケツがあるからそれで流すわ」そうして、その方はバケツに水をくんでながしていました。
 でも、本当に、カンボジアでもベトナムへいったときも、トイレの水の勢いは本当に弱かったです。トイレの横には ゴミ箱がおかれていて、使ったトイレットペーパーはそこに入れるようになっていたようでした。だから、たとえば、トイレを使う音を消したくて、水を流すようなことをしたら、次に水がなかなかたまらなくて、困ります。
 カンボジアは、高い山がないのだそうです。だからダムも作れないし、きっと水がとても大切なのだと思います。雨期の間は雨はまだためておけるけれど、でも、河にはそれほどたくさん水は流れていなかったように思いました。だから、きっとトイレのお水もとても大切に使っているのです。私たちだって、水がたくさんあるからと言って、水をくみ出すエネルギーだって使うわけだし、水をきれいにするエネルギーだって使っています。それが日本だけじゃなくて、地球に大きな影響をおよぼすことだって考えられますもの。
 「市場に行ってみたいな」ご飯のあとあゆみちゃんが言いました。私だって市場が大好きです。「すぐ近くだったよね」「隣だよ」と大谷さんが言いました。
 ご飯のあとにちょっとだけ寄れるかな?聞いてみようね。ソチアさんに尋ねると、カンボジアの日中はとてもとても暑いから危険なのだそうです。地元の人も、3時くらいまではお昼寝をして、それから出かけるから、私たちも、3時くらいまで休んで、そして、そのあともう一つ遺跡を見て、それから、市場に寄って、食事に行けばいいから、そうしようということになりました。
 
 少し休んで、2時半くらいにロビーに降りると、ソチアさんがいて、ショッキングピンクの花のつぼみのような形をした、縦20センチ、横10センチくらいの果物を持っていました。
 お昼ご飯のときに、中華料理屋さんで、ともちゃんが下の階へ、ソチアさんを呼びに行ったときに、ソチアさんはちょうど果物を食べていたのだそうです。それは、私も変わった果物だなあ、なんだろうと思っていた果物で、ショッキングピンクの皮に、白い果肉がついていて、その果肉の中にごまをちらしたように、黒い小さい種が、まんべんなくあるのです。「これ何?」とともちゃんが聞いたから、ソチアさんが市場でその果物を買ってきてくれたのだそうです。
「えー!ソチアさん、わざわざ買ってきてくれたん?」ともちゃんはとってもうれしそうでした。その果物はドラゴンフルーツという果物でした。ベトナムへ行ってからわかったのですが、その果物は、実はサボテンの実だったのです。
 それから、ソチアさんの手にはもうひとつ何か持っていました。それは、トゥーム・レーダーのDVDでした。
「この映画です」ソチアさんは市場で、フルーツを買って、そしてレンタルのDVDを借りてきてくださったのでした。
 ソチアさんのことが、私たちはいつのまにか大好きになっていました。昨日会ったばかりだなんて思えない・・そうも思いました。ソチアさんはいつも、私たちの質問に一生懸命答えてくださいました。私なんて、きっととても答えにくい質問も、そして、つらいことを思い出してしまうような質問もいっぱいしたと思うのに・・・
 ソチアさんが大谷さんが木のお人形の写真をずっと撮っておられたのを、珍しそうに見ていたので、「あなたといつも・・・」の写真のポストカードをお渡ししました。ソチアさんは「漢字がまだむずかしいです。ですけれど、大丈夫です。先生いますから・・・」とポストカードの詩を読んでみせてくれました。
 「あのね、ソチアさんの奥さん、日本人なんやって。岩澤さんが教えてくれはってん」
ともちゃんの言葉に「内緒の先生がいます」と秘密めいたことを言っていた意味がやっとわかったのでした。
 それからまた岩澤さんもソチアさんにカンボジアのことをたくさん聞いておられました。岩澤さんも私たちと同じように、旅を楽しんでおられるみたい・・・そう感じたとき、とてもうれしかったです。



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