カンボジア・ベトナム日記


8

次の日の朝、4:15にモーニングコールの電話がありました。前の日にソチアさんが「明日は朝日を見るので、とても早くモーニングコールを入れます。でも雨だったら、朝日を見にいけないので、モーニング・コールはしません。この時期は雨のことも多いです」とバスの中でお知らせがあったのです。
 私は朝日もとても楽しみだったから、モーニングコールが待てずに、窓のそばへしょっちゅう行って、外を見ていました。外は少し明るくなってきているのに、どうしてモーニングコールがならないんだろうと、心配さえしていたのでした。
 4時30分にはもう下へ降りて、玄関の外に出ました。門の外には、二人の男の人が右の方にお一人、左の方にお一人立っていました。ひとりの方のそばに行くと、その人が「グッドモーニング」と声をかけてくれました。
「こんなに朝はやくから、お仕事なんだ。いったい何時に起きてここに来られたんだろう」
「ホワッツ タイム ディドゥ ユウ ウエイク アップ?」
その男の人に、私の英語は通じなかったみたいです。首をかしげて、そしてごめんねというように、動作をしてくれました。
「ううん、私こそ、ごめんなさい」日本語であわててあやまりました。そして近くに咲いていた白い花を見ていました。
「プルメリア」男の人が、花をひとつ取って渡してくれました。
「この花はプルメリアっていう名前なの?」
男の人はにっこり笑って、うなづいてくれました。そして、手でお日様がのぼっていく動作をしました。
「うんうん、今から朝日を見に行くの」彼がまた、空をみあげて、カンボジア語で何か話してくれました。「そうなの、晴れたから、今日大丈夫だよね」うんうん、彼がまたうなづいてくれました。
 ロビーを見ると、みんなが集まっているのが見えました。
「大変、いかなくちゃ。オークン」彼の日焼けした顔に、白い歯がにっこり笑っていました。
 バスに乗り込んで、門を通り過ぎるとき、彼が何かを探しているのが見えました。そして私の顔を見て、またにっこり笑って手を振ってくれました。もしかしたら、ちょっとおしゃべりしただけなのに、私に手を振ってくれようとしたのかな?そう思ったら、本当にうれしくてたまりませんでした。英語はまたちっとも通じなかったけれど・・・
 途中、バスの中から、小学校が見えました。
「小学校だ!」
 私たちが話すことをソチアさんはとてもよく聞いていてくれて、そのことについていつもお話をしてくれました。私たちはそれがとてもありがたかったです。
「学校は行っても行かなくてもいいです。でも、お金はいりません。無料で行くことできます。朝7時に始まって、11時まで学校にいます。そして昼休み、家に帰ります。そして2時からまた5時半まで勉強します。お金持ちの子供は自転車で通うし、たいていの子は歩いて通います」
 あそこに見える子供たちもきっときらきらした目を持っている可愛い子供たちなんだろうなあ・・・あいたいなあ・・・
 朝日を見に、アンコール・ワットの近くは、人がまたたくさん集まっていました。4人乗りや5人乗りのバイクも来ています。
「みなさん、本当にラッキーです。夕日も朝日も見れないで帰る人、たくさんいます。ラッキーです」
 朝日は、参道を渡らずに、お堀のこちら側から、アンコールワットをながめながら見るようでした。
 ところで、私は、ところどころに見られるマークのことが気になっていました。係員の方の胸にも刺繍でついていたし、ゴミ箱にもついていたし、それから、注意書きなどの最初にもついていました。
 参道の真ん中に立てられている注意書きにも、そのマークが記されていたので、ノートに写していると、係員の方がのぞきこんでくれました。
「what's this?」その方はこれは「アプサラー」だと教えてくれたのですが、アプサラーって何かな?「何?」男の人は私が書いていたノートの女の人を指さして、また「アプサラー」と言いました。その絵は、前の晩にご飯を食べにいったときに、カンボジアの民族衣装を着て、ピールやお料理をくばってくれていた女の人の絵でした。そうして絵を見ていると、他のカンボジアの人も、のぞきこんで、「そうや、そうや」ってたぶん、そんな感じで言ってくれて、ああ、みんな本当に温かい人ばかり。
 大谷さんはまた、一号くんと、まだ空に残っている月の写真を撮ったり、アンコール・ワットのシルエットと、一号くんを撮っていました。外国の人が
「それはどこで売っていたの?」と聞いてくれました。「アイ メイド ヒム」
「オー。ベリー ナイス」
 一号くんをほめてもらえたこともうれしかったし、それから、一号くんがいてくれたおかげで、いろんな人が、一号くんを指さして、可愛いねとサインを送ってくれたり、ほんのちょっとずつだけど、カンボジアの方や、他の国の観光客の方とぱっとつながれた瞬間があったことが、うれしかったです。
 朝日が昇ってきました。小林さんは、ビデオをのぞきこみながら、静かに歌を歌っていました。きっと朝日が昇ることに感謝し、そして心打たれたから、自然と出た歌だったのだろうと思います。
 そのそき、ソチアさんもまたお日様に手をあわせていました。どこのお国の人にとっても、朝日はきっと特別なものだろうと思いました。そう思いながら、小さいときに、親戚のおじいさんが話してくれたことを思い出しました。
「戦争中は、次の日の朝、日がのぼるのを見ることができるだろうかと思いながら夜、床についた。だから今でも朝日をみると、ああ、今日も生きていたと、やっぱりいまでも思うよ」
 もしかしたら、ソチアさんや、カンボジアの方にとっても、同じように、朝日を見ることは、また特別の意味があるのかもしれないなと思いました。
 帰りのバスから見ると、すぐ近くにも小学校があることがわかりました。行ってみたいけれど、でも、突然行くのは難しいかな、ちょっとだけのぞくくらい大丈夫かな、そう思いました。
 朝ご飯を食べて、集合時間の9時半までは、まだいっぱい時間がありました。
 私は、なんだか、落ち着きませんでした。だって、外国に来て、知りたいことはいっぱいあって、出会いたい人もいっぱいいて、それなのに、ホテルのお部屋の中にいるなんて、やっぱりもったいないのですもの。
 門の外に出ると、道路をわたった向こう側の椰子の木から、椰子の実が一個落ちているのが見えました。椰子の実って、ひとりでに落ちるのかな?だとしたら、危ないなあ、あんなに大きくて重いものが頭の上に落ちてきたら、大変なことになる・・・
 道路をわたって見に行ったら、5歳くらいの男の子が、少し離れたところにいて、私に「こちらへ来い」と手招きしてくれました。手招きというより、早く来いとあわてているみたい・・・それで、そばにいったとたん、私のいたところに、椰子の実がどすんと落ちてきました。びっくり!!上を見上げたら、やっぱり小さい男の子が、椰子の実を落としているところだったのでした。
「ごめん、危なかった・・・教えてくれたオークン」
 オークンしかカンボジア語は使えません。でも、男の子はわかったみたいで、笑ってくれました。どこからか、やせた犬が一匹やってきました。私も男の子の横に行って座ると、その犬は近づいてきて、私の手をなめてくれました。いちじく(私と暮らしている小さな犬の名前です)は元気かな?何してるかな?家のことが、少し恋しくなりました。
 男の子と別れて、今度はホテルの隣のお店をのぞきました。そのお店は、日用品を売っているお店でした。シャンプーや石けん、それから、洗剤・・・たわし・・そんなものを売っているお店でした。お店のお国座っているおばあちゃんが私に「スパニッシュ?」と言いました。スパニッシュ?スペイン人っていうことかな?「ノー」おばあちゃんはなんだかがっかりしたようでした。お店の品物を並べていた男の人が「日本人?」と日本語で聞いてくれました。うんとうなづいたのに、おばあちゃんは、また「スパニッシュ?」と聞くのです。たぶん「違うよ」と男の人が言うと、おばあちゃんは悲しそうに首を振りました。おばあちゃんはスペインの人を待っているのかな?私はアジア人にしか見えないだろうに、それでもスペインの人だといいなと思ったのかな?私もがっかりして、私がスペインの人でなくて、おばあちゃんの待っている人でなくて、すまないなあと思っていたら、おばあちゃんが、細い腕で、私の頭をぽんぽんとさわってくれました。私はちょっとだけ涙が出そうになりました。
 お店の前を男の子がお魚を持って、通りかかりました。「お魚?」そう聞くと、お店の男の人は、道路の前の泥の池を指さしました。
「わ、あそこで、お魚がとれるの?こんなに近くで便利!!」おなかがすいたら、お魚が近くでとれたらどんなに便利でうれしいでしょう。
 でも男の人がにっこりしながら、私に動作と言葉で伝えてくれたことに、私はとてもびっくりしました。その男の人は、あれは爆弾でできた穴だと言ったのです。上からなにかが落ちてきて、ばーんと破裂してなったと・・
 私ったら本当にいつも、なんてのんきなのでしょう。心臓がドキドキして、胸が苦しくなりました。本当にほんの少し前まで戦いがあったのです。すぐ家の前に爆弾が落ちたのが、ついこの間なのです。
 前に黒柳徹子さんが、言っていらっしゃったことを思い出しました。
「平和って25年しか続かないって言われているのよ。それがね、今は日本では何十年も続いている・・だから安心して、戦争はもう終わった、なくなったって思ってるけれど、世界の中では、明日も平和って限らないって思っている人はいっぱいいるのよね。日本の平和だって、自分たちが心でちゃんと平和が大切って考えていないと、また戦争っておきるかもしれない・・」
 ソチアさんにバスの中で尋ねたことを思い出しました。「どうして、そんなにカンボジアはいっぱい戦争がおきたのでしょう。でも、もう戦争は起こらないですよね」
ソチアさんは「そうだといいですねえ」って「そう願っています」と言いました。「カンボジアの人は、政治をしている人や力を持っている人をあまり好きでありません。なぜって、そういう人たちは、戦争が起きるとすぐに、国民に何もしらせず、自分たちだけ国の外へ逃げて、命が助かる。でも、僕たちは、苦しんで、戦いの中にいます」と言いました。ソチアさんは自分たちの力で戦争をおこさないでいようとは思えないのだと思います。ソチアさんたちの知らないところで、戦いはいつも起きる・・もう平和になったかな。今度は大丈夫かなとそう思っても、また戦いは起きてきて、それが繰り返されてきた・・だから、この平和も、ずっと続いてほしいと心から願っているけれど、でも、戦争はいつ起きるかわからないし、不安だと感じているのだと思いました。
 「またおいで」と何も買っていないのに、隣のおあばちゃんと男の人は手を振ってくれました。ホテルに戻って、今度は大谷さんとお散歩に出ようとしたら、藤尾さんと、渡辺さんが走ってホテルの中へ入ってこられました。
「カッコさん、会えてよかった。あのね、小学校に今、ともことあゆみちゃんが行ってんねん。小学校のぞいてたらな。中に入っていいよって言ってくれて、今な、折り紙とかとりにきてん。カッコさんもいくやろ」
「うん」(子供たちに会えるんだ)大谷さんと二人で大急ぎで小学校へ向かいました。塀の外から見ていたら、中に、諸河さんやともちゃんやあゆみさんがいるのが見えました。
「入っていこう」大谷さんに続いて私も中へ入りました。
私が行くと、あゆみちゃんが「お母さんが、今折り紙取りにいってくれてるねん」と言いました。あゆみちゃんもとってもうれしそうでした。
  おそるおそる教室に入っていくと、あゆみちゃんが、教室から出てきて、クラスの先生を紹介してくれました。あゆみちゃんは英語でお話していて、お教室の先生は英語がとてもお上手でした。
「このクラスは9歳の子のクラスやねんて。あゆみな、あっちのもっと小さいこのクラスに行く約束してきてんねん。そやから、ここはカッコさんがいてな」
 まるで、授業のように、子供たちが私のことを見つめています。いったいどうしたらいいでしょう。諸河さんが、
「さくらの歌を歌ってくれる?私踊るから」と言ってくれました。諸河さんは日本舞踊の先生なのです。
 さくら・・さくら・・子供たちのきらきらした目が一斉に諸河さんを見ていました。諸河さんのやわらかな手が、右に左にゆれるのを、一生懸命見ていました。
 藤尾さんが、折り紙を持って戻ってきてくれたので、折り紙をみんなで折ろうということになりました。授業の途中で、実も知らない私たちが、その授業をじゃましているのじゃないかと心配だったけれど、先生はどうぞどうぞと言ってくれるのです。
 一枚一枚千代紙を手渡しと、子供たちはたった一枚の千代紙なのに、立ち上がって、手を顔の前であわせてていねいに「オー・クン」と頭をさげてから受け取ってくれるのです。どの子もみんなそうなのです。私はそのたびに、こちらこそと、本当に心からありがとうと思いました。鶴を折ることにしました。それから鶴とほとんど同じ折り方の「はばたく鳩」というのを折ることにしました。「羽ばたく鳩」は手で羽を下からひっぱると、羽がばたばた動くのです。
 初めて折るのに、鶴は少しむずかしかったのに、子供たちはとても一生懸命でした。そして、とても上手でした。どうして、生まれて初めての折り紙がこんなに上手なのだろうと不思議なくらいでした。見ていると、折れた子は、折れていない子を助けてあげていました。そして、ちょっとむずかしくてわからなくなると、私に「折って」というふうに差し出して、それが終わると、隣の子の分も私に渡して、「ここも折って」というのです。諸河さんも、北山さんも一緒に折り紙を教えておられました。そして先生も、折り方を覚えようと熱心に聞いてくださって、私はやっぱりそのうちに胸がいっぱいになって、今子供たちと一緒にいれることがうれしいなあと思いました。
 渡辺さんや藤尾さんやともちゃんやあゆみちゃんが、学校の近くを通って、子供さんに話しかけて、そしたら、中へ入っていいよって、男の人が言ってくれて、その人は学校の人かと思ったら、そうじゃなかったんだけど、それで入ることができて、「カッコさんを呼んでこな」って言ってくれたんだと後で藤尾さんが教えてくれたのです。そんなことも今、先生が自由に私たちと交流させてくださっていることも、それから、ソチアさんがこの時間をお休みにしてくれたことも、ホテルが小学校のそばだったことも、何もかもが、本当にうれしくてうれしくて、そのことが胸をこみあげてきたのでした。
 子供たちは日本を知っているでしょうか?桜の花を知っているでしょうか?鶴を知っているでしょうか?知らないかもしれないけれど、諸河さんの踊りや、折り紙や、そして私たちが来たことは覚えていてくれるかもしれません。
 折り紙が終わっても、私たちはしばらく、その学校にいました。
 教室をのぞいていた、もう少し小さい男の子と、少しおしゃべりをしました。
 目を指さして、「これは何?」って聞くと、その男の子は「目」をカンボジア語で教えてくれました。「じゃあ手は?」って聞くと「手」も「耳」も「足」もみんな教えてくれたのに、私ったら、せっかくならった言葉をすっかり今は忘れてしまったのです。でも、教えてもらった男の子のやさしい手と、大きな黒い瞳はちゃんと覚えています。
 いつのまにか小林さんも教室にきておられて「いっぱい教えてもらったね」と声をかけてくれました。
 学校のすみに、お店屋さんがありました。小さな屋台のようなお店屋さんでした。パンやお菓子を売っていました。
「僕たちも買っていいんだって。買ったら・・・」大谷さんが、言いました。のぞくと、缶の中はカンボジアのお金だけでした。ドルは使えるのかな?そう思っているうちに、つい買い損ねたのだけど、珍しいものもいっぱいありました。あれ?地面に落ちているお金はキティちゃんの絵が描いてある・・・
それはお菓子がついたくじつきのおもちゃだそうで、裏はカンボジア語で何か書いてありました。カンボジアでもキティちゃんは人気なのかな?あとで、ソチアさんに尋ねたら、カンボジアはキティちゃんのことを「トコタ」という名前で呼んでいて、やっぱりとても人気があるのだそうです。私がそれを拾うと、同じものを持っていた男の子が、何枚かそのキティちゃんのお金をくれました。うれしくて、ホテルに持って帰って大事にそれをノートに貼りました。
 お店に近い教室から、少し大きな女の子がのぞいていました。中に小さい赤ちゃんを抱いている女の子がいます。
「わぁ、なんて可愛いのでしょう」そばにいくと、女の子は、その赤ちゃんを私に「抱く?」というふうに聞いてくれて、うれしくて、赤ちゃんに「いい?」という風に、聞いたら、赤ちゃんは嫌じゃないみたいだったので、(というのは、まだ赤ちゃんは4,5ヶ月くらいだったから、いいよとか嫌とかは言わなかったのです)だっこさせてもらいました。そんなに小さい赤ちゃんの耳にはもう、ピアスがあいていて、小さな小さな手には、本当に小さな指輪が光っていました。
「誰の赤ちゃん?」小林さんは英語の話せる先生に聞いていました。
「ああ、先生の赤ちゃんなのね」
その赤ちゃんは、お店屋さんで、お菓子を売っていた人の赤ちゃんで、そしてお店やさんも実は先生がしていて、その売り上げで学校のものを買っているのだいうことも、わかったのでした。
 「そろそろ行かないとね」という小林さんの声にうなづきながら、本当はその言葉をおそれていました。わかっていたけれど、もっとずっといたかったなあと思いました。でもね、先生がいくらいいよと言ってくださっても、私たち授業を中断させていたのですものね、
 運動場を横切ると、そこで、大きな男の子たちが、サッカーをしていました。ちょっと見ていたら、背の高い男の子が、ゴールを決めました。そうしたら、ゴールを決めた男の子に、みんながお金を渡しているようでした。何してるのかな?まだ遠くに小林さんや藤尾さんがお話しているのが、見えたので、少しの間だけ私もサッカーに入れてもらうことにしました。私のところにボールがわたると、みんなちょっとだけ遠慮して、私が蹴ると、今度はすごいスピードでボールをおいかけていました。でも、やっぱり子供たちはみんな優しくて、3回に一回くらい、ボールを渡してくれるのでした。
 ゴールを決めた少年に、写真を撮ってもいい?といいととびきりの笑顔でカメラの前で笑ってくれました。ちゃんと撮れたかな?
 学校の前にも、前に見たと同じような泥の池がありました。そこでも、子供たちが魚を捕っていました。これもきっと爆弾の穴・・学校の前にまで爆弾が落ちたんだな、子供たちも、その爆弾をあびたのだろうかと、想像すると本当に怖かったです。今、会ってきた笑顔の可愛い子供たちにいつまでも笑っていてほしいと思いました。
ホテルに帰ってから、ソチアさんにサッカーのことを聞きました。。
「小学校で、サッカーしてる男の子がいて、ゴールを決めたら、みんなからお金をもらっていたみたいなんだけど、何をしてたの?」
「かけています。賭(かけ)です。男の子はサッカー大好き。ゴールを決めたら、みんなからお金をもらえます。僕も、昔いっぱいもらいました。高校の時は大きい大会でゴールをたくさん決めたからアルバイトになりました」
 ソチアさんは、少しいたずらっぽく笑いました。


 



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