カンボジア・ベトナム日記


6

 2時半頃ロビーに降りていくと、ソチアさんがソファに座っておられました。
「岩澤さんが来られて、今、食事していますよ。ああ、本当によかったです」
 私たちはのんきに楽しく食事をしていたので、ああ、よかったですという言葉を聞くまで、全然心配もしていなかったのだけど、岩澤さんは大変だったのかもしれないとそのとき、やっと思ったのでした。
「1993年に平和になったっておっしゃったけれど、緑も多いし、すごくりっぱなホテルもたくさん建ってる」私が話しかけると、ソチアさんは
「どんどん変わっていっています。今からもどんどん変わります。勉強をいっぱいがんばって、いい仕事をしたり、商売をしようとすれば、街も変わっていけるし、暮らしも変わっていけます。そのためには勉強をがんばることです。カンボジアは、夢がかなう国でもあります。がんばれば、えらくなれる。勉強好きじゃないとだめです。カンボジアのガイドは英語をたくさん勉強します。でも、日本語はたくさんの人が挑戦するけれど、とても日本語はむずかしいので、ほとんどの人がやめていきます。私はこれくらいになるまで3年かかりました」と言いました。カンボジアは生まれ変わって、本当にまだ、日があまりたっていないんだなと、ソチアさんのお話を聞いて、また実感したのでした。
 3時になって、みんなそろって、バスに乗り込むと、岩澤さんが、マイクを持ってお話をされました。
「みなさん大変ご心配をおかけしましたが、みなさんのパスポートは私がお預かりしていますので、ご安心ください。日本でしてきたビザの申請が、一括してされていて、個人の名前がなかったので、偽造のおそれがあると思われたのだと思います。ふつうはそんなときに、少しお金を渡すと、通してくれることもあるのだけれど、あの係官の人は、そんなことをして、もし何かあったら、僕が責任をとらないといけないし、みなさんにも迷惑をかけるからと、通してくれなかったのです。いや、りっぱな係官だと思います。そういうことで、確認などで時間がかかりました」
 もしかしたら、カンボジアに入ることができなかったかもしれないんだ……でも、岩澤さんが全部ちゃんとしてくださったんだと思ったら、本当にありがたかったです。
 バスは舗装された、広くてまっすぐな道を走っていました。それは国道6号線という道路だそうです。
「この道路はフランスが作ってくれました。このまままっすぐ一日進むとタイへ続いています。それから、反対の方向へ行くと、プノンペンです。カンボジアは戦争が多かったから、道路の整備はこれからです」
 この道路はタイにも、プノンペンにも、どこにでも続いているんだなあと少し不思議な気がしたけれど、それほど、完備された道路というのは、まだ少ないということなのだと思います。
「タイへ続いていますが、カンボジア人はタイと戦ってきましたから、あまりタイのことが好きではありません。だから、僕もこの道をタイまで行ったことはありません。この街の名前、シェムリアップも、タイの別名シャムを降参させる街という意味です」
 陸続きのお隣の国のことを好きじゃないと国民の多くが思うということは、やっぱり、きっと国民の人たちにとってもうれしいことではないだろうし、むしろ悲しいだろうなあと思ったのでした。
 道の回りに木が増えてきました。
「もうすぐ、アンコールワットにつきます。アンコールワットは正面が西を向いています。だから観光は午後がいいです。午前中はお日様が反対になってよくありません。だから誰もこないです。午後が一番いいです。夕日があたると、金色に輝く一瞬があります」
 「今から、パスをお配りします。これには、みなさんの写真が貼ってあります。アンコール・ワットや、アンコール・トムはカンボジア人が観光するときはただですが、カンボジア人以外はお金がいります。2日間で、いろいろな史跡が共通で40ドルですので、けっしてなくさないようにしてください」
 アンコール・ワットの周りには、公園のように整備されたところもあって、たくさんのカンボジアの方も、バイクにのってきていました。
 タイでもよく見かけたけれど、カンボジアでもバイクをよくみかけました。お洋服は、ほこりで汚れているようであっても、バイクはいつもぴかぴかでした。水をとても大切にしているようなのに、バイクには水をじゃあじゃあかけて洗っている姿をよくみかけたから、バイクはとても大切なのだと思います。
「わ、4人も乗ってるよ」お父さんの後に、子供を抱いているお母さん、その後にまた子供・・・
「4人は普通です。バイクは免許がいりません。乗れるまで何人でも乗ってもいいです」ソチアさんの説明に、みんな「えー!!」と言って驚いていました。
「街のお金持ちの人はHONDAのバイクを持っています。そして、それが買えない人は、YAMAHAか、SUZUKIの中古のバイクに乗っていますよ」
 アンコールワットの正面に来ました。河のような大きなお堀が、アンコールワットを囲んでいました。「お堀の向こうへこの橋を渡って行きます。パスを見せて通って下さい」
ソチアさんのあとに、私たちも続きました。
橋は縦に半分がでこぼこしていて、もう半分は平らでした。
「右側はフランスがなおしました。だからまっすぐです。左側はまだなおしていないので、でこぼこです。この大きな石には穴がふたつあいています。そのころ、機械はありませんから、この穴にひもをかけて、象が石を運びました。フランスがなおしたのは、昔の石を使っていません。コンクリートの石を使ってなおしました。だから、お堀の右側はまっすぐにコンクリートでなおっています。今、右側を日本や韓国が、なおしてくれています。日本は、それから韓国も、昔の石を使ってなおしますから、時間がかかります。でも、昔のままの石を使うのはいいと思います」
 道路や遺跡など、いろんなところで、いろんな国が力を出し合っているというのを聞いて、とてもうれしくなりました。それから、早稲田大学の先生が中心になって、アンコールワットの橋からずっと続く道を、昔のとおりになおしていると聞いたこともとてもうれしかったです。
 アンコール・ワットは12世紀前半に、スールヤバルマン2世という王様が作った石でできた建造物です。5つの塔と大きな回廊の壁面を飾る素晴らしい女神のレリーフ、それから更新する勇壮なクメールの兵士などが有名です。
 以前から、アンコール・ワットに行ってみたいなあと思っていました。私がアンコールワットを知ったのは、小学校の図書館にあった、雑誌の中の記事ででした。森の中を歩いていたら、突然、素晴らしい建物がかくされているのがわかった・・・壁には素晴らしい女神様が微笑んで、我々を迎えた・・・というようなお話だったと思います。そして紹介されていた、写真は、とても大きな塔と、レリーフ、そして生い茂った森でした。
 突然、お城があわわれたときの驚きはどんなだったでしょう。今もカンボジアの森にはたくさんの遺跡が隠されているのだといいます。ああ、私も遺跡を見つけてみたいなあ。 それにしても、眠りの森の美女のお話のように、とてつもなく大きな物が、すっぽり森によって隠されていたというのは、なんと不思議なことでしょう。まるで森が意志を持って、その遺跡を隠し、守ってきたように私には思えました。
 テレビで見たときに、アンコール・ワットは、一つの小宇宙を作っていると言っていて、そのことも、アンコール・ワットに足を踏み入れるとそれも、納得できる気がするのでした。
 回廊へ続く道をまっすぐ歩いていると、石でつくられた入り口の枠の中に、ちょうど遠くの石の塔が、すっぽりと絵のようにおさまる場所がありました。
 こんなにきれいに絵のように見えるのは、きっと偶然じゃないんだろうなあって思いました。全部計算して、つくられているんだろうなあと思いました。他の窓や入り口からも、ちょうど女神様のお顔が見えるようになっていたりするのです。それだけではなくて、夕日が差し込んでくると、回廊に作る柱の影と光がとても素晴らしいかったり、どんなことも計算されて作られているように思いました。アンコール・ワットはきっとカンボジアの昔の人(クメール人)が、時間や空間、そして宇宙の中の我々の存在みたいなものも、きっとすべて知っていて、それを表現したのではないかなと思ったのです。
 回廊にはたくさんのレリーフで埋め尽くされていました。そのレリーフのすばらしさもどんなふうにお話したらいいかわからないくらいです。たくさんのデパターと呼ばれる女の人の象は、ひとつひとつ、お顔はもちろんのこと、髪型も、アクセサリーもいろいろで、たとえば、首にかけられた豪華な首飾りの鎖ひとつひとつに至るまでていねいに掘られているのです。素晴らしい設計士や建築家や芸術家が、きっとクメールにはたくさんたくさんいたのに違いありません。
「クメールの人たちってみんな素晴らしい・・ソチアさんは素晴らしい祖先をもっていらっしゃるんですね」とソチアさんに言うと、ソチアさんは、「アンコール・ワットは我々の誇りだし、生き甲斐でもありますね」とうれしそうに笑っておられました。
「ただ、僕はアンコール・ワットに書かれている人びとの方が、僕の祖先という気がします」そのときは、ただそうなんだと思ったのだけれど、それは次の日になるほどと思ったので、そのことはあとで、書きますね。
 大きな回廊を回りながら、ソチアさんは説明を続けてくれました。
「これを作ったクメール人は4つの組に分かれていました。石を山から切り出すグループ。その石を象に乗せて運ぶグループ、石を使って、建物を組み立てるグループ、そして、彫刻を彫るグループです」
 本当に人間の力ってすごいです。どのグループの仕事も本当にすごい!!ともちゃんが旅の間に絵や文章で書きつづっていたノートに、
「昔の人は、今より、力も心も強かったんじゃないかな?あんなに大きな石を運んだり、彫刻をし続ける、力も心もあるから・・今の人は力が弱くなってきたんじゃないかな」
って書いていたけれど、私も、ともちゃんの書いていたのを見て、本当にそうだなと思いました。そして、今は力も心ももしかしたら弱くなっているのかもしれないけれど、人間ってやっぱりすごいんだ!こんなに大きな力が出せる生き物なんだとも思いました。
 アンコール・ワットの真ん中の十字の回廊には、4つの十字に配置されたプールがありました。今は水をたたえてはいなかったけれど、昔はここにたくさんの水がいられていたとソチアさんは言いました。
「王様にはたくさんおきさき様がいて、その一人一人のために、こんなにたくさんのプールがありました。この水も、人が下から運んできたものです」
 お掃除をしようと思って、くんだバケツの水いっぱいでさえ、よろよろと運んで、重すぎて途中でひっくりかえしてしまったりしている私には、こんな高いところまで、遠くから水を何回も何回も運ぶなんて考えられないことだと思いました。本にはこんなふうに書いてありました。
「これは王が単に水浴びをするためだけの施設ではなく、王国の農業を支える治水技術を示す宗教施設でもある、農業では、必要な水を確保することと、配分することが大切であるが、この聖地には水が四方に広がることによって、乾期には、まんべんなく水を供給することもできる技術のすばらしさを誇示しているのである。これはまた宗教的な宇宙観を表した物で、天空の聖地を表している。今でも地上より高いところに水をたたえた池を作ることは容易ではない」(地球の歩き方から)
 やはり、クメール人はとてもとても優れた人たちだったんだなあと思います。
 
 回廊を回っていると、ところどころに、大きな目をした小さい少女が、座っていました。恥ずかしそうに座っていた少女は、ここでどんなお仕事をしているのかなとわからなくて、ソチアさんに尋ねると、ソチアさんは「きっと勉強が好きではないです」とに少しさびしそうに言いました。だからといって、ここで遊んでいるというわけでもきっとないのだと思います。もしかしたら、一緒に写真を撮りたいという人と写真を撮って、それをお仕事にしているのかもしれません。
「カンボジアでは、小学校はお金がいりません。みんな行こうと思えば、行けます。けれど、勉強が好きでない人は、やめてしまいます。お店を出したりすれば、お金がもらえますから、勉強が好きでない人はそうします」
 いつも優しいソチアさんさんが、学校の話になると、少し厳しくなるようにも見えたけれど、ソチアさんはついこのあいだまでの戦争でとても苦労して、そして、平和になって、それから、一生懸命がんばって、がんばって、日本語を勉強したり、他の勉強もしたりして、そして、今のお仕事についているから、自分を勇気づけるためにも、それから、がんばればきっと、たくさん道が開かれるし、夢もかなうのだから、子供たちにがんばれよと声援を送りたい気持ちが大きくて、そんなふうに言うのじゃないかと思います。。
「養護学校はありますか?たとえば地雷で足をなくしてしまった子供たちは、小学校へ通うことができますか?」
「プノンペンに行くと養護学校があります。そうでなくても、足や手をなくした子供たちは、国が、いろんな技術を教える学校に入れてくれます。その学校では、瀬戸物を作ることを教えてくれたり、それから音楽を教えてくれたりします。でも勉強が好きな人だけです。勉強をするのが嫌いな人は、物乞いをしています」
 私はソチアさんが「物乞い」という言葉を使ったので、ドキっとしました。私はどんなふうに考えたらいいのかわからなくなっていたのです。観光地には、おみやげを手にした子供たちがたくさんいます。「安いよ」「ねえさん、これ買って」日本語で声をかけて、「一ドル」「一ドル」と商売をしています。
 私は最初、その子供たちは、マッチ売りの少女のように、親方に「品物を売らないと返ってきてはだめだ」と言われたり、売らないとご飯がもらえなかったりしているんだろうかととても心配になっていました。でもソチアさんに「あの品物はどうやって手に入れるの?」と聞いたら、ソチアさんが、「市場で安く仕入れてきて、それを売ってる」と教えてくれました。「子供が仕入れるときもあるし、家族が仕入れることもあります。通りを風船を持って歩いている子がいたけれど、あの風船はカンボジアでは手に入らないから、きっとタイの国境近くまで行って、買ってきていると思う」と教えてくれました。私はマッチ売りの少女みたいに、いじめられて売っているのだったらどうしようと思っていたので、すごくほっとしたし、それだったら、商売だから、当たり前だけど、決して「物乞い」と言われるものじゃないなあと思いました。ソチアさんが「物乞い」と言ったのはどういうことなのだろう…そのあとでも、そのことを何度も考えました。
 けれどソチアさんはこんなことも言いました。
「カンボジアでは、子供は3人くらいですが、もっと多いときもあります。学校に行くのは、長男です。そして次男も行くことがあります。でも、その弟やその妹は学校へは行きません。学校へ行かないで働きます。学校へ行かない人は、大きくなったら、ほんの少ししかお金をもらえないような仕事にしかつけません」
 お勉強が好きでも、お勉強したくても、できないという現実もやっぱりあるのだなと思いました。
 アンコール・ワットの中は、気温は高かったのだろうけれど、風が通りすぎていました。高いところにあがって、下の回廊のあいだの、地面を見ると、草の間を風が筋を作って走るのが見えました。犬が、どこからかやってきて、回廊の中へ入っていきました。犬が通った道だけが、草があまり生えていなかったから、犬はいつもあそこを通っているんだなとわかりました。いったい何をしに、行ったりきたりしているのかな、あの犬は昔の宮殿、アンコール・ワットに住んでいるんだなと、街にいた犬とかわりのない様子なのに、なんだか特別な犬のような気がしました。なぜって、やっぱりそこは、特別な場所で、アンコール・ワット自体がやっぱり特別な宇宙の空間のように思えたからです。
 アンコール・ワットは中心にむかって、第1の回廊、第2の回廊、第3の回廊と回廊が3つあります。中心に向かっていくときはとても急な階段をあがっていかなければなりません。
 第2から第3の回廊へは特に急な階段がふたつをつないでいます。そびえるように、その階段はあって、斜度は60度か、もっとあるのじゃないかと思います。私にはほとんどはしご段のようにすら見えました。
 ソチアさんが、言いました。
「ここから上は元気な人だけがあがります。6時15分までに降りてこないと、日没のアンコール・ワットに間に合わなくなりますから、元気で足に自信がある人だけのぼってください」
「山もっちゃんのぼる?」あいこさんが聞いてくれました。
「うん」本当は足に自信があるわけではないのです。でも、迷惑をきっとかけないようにして、登る・・・高いところは怖いけれど、でも、またここへこれるかどうかわからないのだもの。だから登る。登りたい・・でないときっと後悔するもの。「え!山もっちゃんのぼるの?」小林さんも心配してくださったから、私、がんばって、後をふりむかないで、どんどんのぼろうと思いました。
 本当に急な階段でした。4つばいになって、たたただ、登っていきました。そうでないと、足がすくむから・・・
 やっとやっと上に着きました。小林さんはビデオをずっととっておられたのですが、ビデオを見た人が、わかるように、説明文をおしゃべりしながら、ビデオをとっておられます。「よく、こんなものをつくりました」「素晴らしいです」「素晴らしいです」と何度も素晴らしいですと言っておられるのが聞こえました。


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