カンボジア・ベトナム日記


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 カンボジアにはタイから入国することになっていました。日本からカンボジアへ直接行く便というのはなくて、ベトナムか、タイなどの周りの国のどこかへ一度寄って、そこから入国するという方法しかないのです。
 というのも、あとで、カンボジアについてから、ガイドさんにうかがってわかったのですが、カンボジアという国自体が、まだ戦争が終わってまもなくて、空港もまだしっかりと作られていないから、滑走路も薄くて、大きな飛行機の離着陸はできないということでした。
 成田を6時にたって、4時間。日本時間では真夜中になっていました。飛行機の窓の外に、明かりが山のようになっているところが、何カ所か見えました。遺跡?まだ見も知らない国に今降り立とうとしているんだと思うときのドキドキが、私はとても好きです。
 けれど、タイは、明日の朝、カンボジアへ旅立つまでの短い時間いるだけの予定なのです。本当にカンボジアに入るためによっただけなのです。それでも初めて訪れる国。許される時間内、精一杯タイを感じたいと思いました。
 タイと日本の時差はおおよそ2時間です。二時間マイナスをするとタイの時間になるのです。飛行機内のアナウンスで、「今、日本時間では真夜中ですが、時計を2時間もどしてください。ただいま、タイの時間で、22時15分です」との案内がありました。
 いつも外国に来たんだなあと感じるのは、飛行機を降りたときのにおいだという話をよく聞きます。いったいその国全体をつつむ空気にまで、生活のにおいがついたりするものでしょうか?でも、やっぱり、韓国についたときは、唐辛子かキムチのにおいがしたような気もしたし、タイにおりたときも、あ、この南国のにおい・・・どこかでかいだ・・思い出せないけれど、フルーツのにおいだと私は感じたのでした。小林さんもしきりに、「ああ、これがタイのにおいなんだよね」と言っていました。
 「ねえ、タイの”こんにちは”は何ていうんやろ。”こんにちは”と”ありがとう”くらいは知っときたいもんなあ」あゆみちゃんが言いました。藤尾さん親子と渡辺さん親子は大阪の方なのです。
「そうだよね。だけどカンボジアとベトナムのことばかり調べてて、タイの本とか少しも読まなかったなあ」私がそう言うと
「そうなんや、あゆみ、誰かに聞いてくるわ」
あゆみちゃんが言いました。
 最初は客室乗務員さんに聞いて、”こんにちは”が「スワティーカー」だということがわかって、それから、男の人のあいさつと女の人のあいさつが、何か少し違うらしいということもわかったのでした。でも”ありがとう”がわからなかったので、あゆみちゃんは、日本の方にはもちろん日本語で、それから現地の方には英語で「”ありがとう”ってこっちの言葉でどういうの?」と聞いていました。
 私はただただ、すごいなあ・・あゆみちゃんみたいに、おしゃべりできたらなあと思いました。あゆみちゃんが素敵なのは、もちろん英語がお話できることもだけど、どんな人ともどんどん臆せずにおしゃべりして、いつも笑顔でおしゃべりするから、みんなもニコニコしながら、それに答えてくれることでした。
 それで、”ありがとう”は「カップンカー」というのだということがわかったのです。
 「こんにちは」と「ありがとう」があゆみちゃんのおかげでわかって、ああよかった。だって、入国審査のときに、ケニアやエジプトに行ったときも思ったのだけど、にっこり笑って、現地の言葉で「ジャンボ」(ケニアの言葉でこんにちは)とか「アッサラーム」(エジプト語でこんにちは)とか「シュクラン」(エジプト語でありがとう)と声をかけると、あるときは、まるで「悪い人は通さないぞ」みたいなちょっと怖い顔をして、仕事柄か、怒ったようにパスポートを投げつけていた人が、にっこり笑って、挨拶を返してくれたこともあったから、やっぱりそのお国の言葉であいさつができるってとってもいいなあと思ったのでした。
 私が入国審査の順番をついたところは、かっぷくのいい、男の人のところでした。何度経験しても、入国審査のときは緊張します。私の前に、大谷さんが入国審査をしているとき、その人は、大谷さんのパスポートの写真と、大谷さんとを何度も見比べるように、めがねの下から、ジロっと大谷さんの顔を見ていました。
 旅のちょっと前に、大谷さんは髪に細いロットでたくさん巻く、細かいパーマをかけたので、それで、ずいぶんと、前の大谷さんと印象が変わっていました。きっとあの入国審査の人も、本当に同じ人なのかなと、大谷さんを疑っているのじゃないかなと心配になったのでした。
 入国審査がとても厳しかったりする場面に出くわすと、そんなにきびしくしなくても、私たちはちゃんと手続きも踏んでいるのだし、そんなに疑わなくてもいいのにと不思議な気持ちにもなるけれど、でも、考えたら、それが責任あるお仕事だからしかたがないのですね。何度か写真を見比べられていた大谷さんも通ることができて、私の番になりました。
「スワティーカー」
 声をかけて、おそるおそるパスポートを出すと、少し太ったその人が、まためがねのすきまから、見上げるように私の顔を見ました。
 あれ?違っていたのかな?もう一回、ゆっくりと「スワティーカー」と言うと、その方は「スワティーハー」とお返事をしてくれたように聞こえました。カーじゃなくてハーなんだよと言ったのか、それが男の人のあいさつの言葉なのか、私にはわからなかったけれど、挨拶をかえしてくれたのがうれしかったです。パスポートを返してくれたときも、やっとのことで覚えてた”ありがとう”「カップンカー」を言うと、その男の人は、まためがねのすきまから、私の顔を見て、やっとにやりと笑ってくれたのでした。笑顔って緊張していた気持ちをほぐしてくれたり、相手のことが好きになったり、そんな魔法のような力をもっているものですね。その笑顔を見たときに、ちょっとでも気持ちが通じ合えた気がして、うれしくてたまらなくなって、怖いなあと思っていた審査官の人がなんだかとても優しい人のように思えてきたのでした。
 入国審査の跡、手荷物をうけとって、外へ出ると、タイの空に大きなまあるい月がかかっていました。ああ、私はこの月と一緒にタイへ来たのだとふと思いました。本当に変なことを考えるものです。月は地球のどこからも見えて、それが当たり前のことなのに、遠いタイへ来て、外へ出て初めて見た月は、まるで先回りをして、私を待っていてくれたように感じたのでした。
 私たちを待っていてくれたのは、月だけではありませんでした。にこやかな顔をした、ポワさんという丸顔の女性のガイドさんが、出口のところに立っていました。
 バスに乗り込んだ私たちに、ポワさんはさっそくタイの説明をしてくれました。
「日本とバンコクは2時間ほどの時差があります。あなたがたは、明日の朝、カンボジアへの飛行機に乗りますから、本の少しのおつきあいになりますが、よろしくお願いします。タイのお金はバーツといいます。一バーツは3,2円ほどになります。だから、だいたい3倍すればいいです。タイではほとんどドルは使えません。今日の夜と、朝の分の飲み物と、少しおつまみくらいを買うのでしたら、5ドルほど、タイのお金に換えれば十分です。でも、今日7月24日は仏様が悟りを開かれた日ですので、今日と明日は、国のどこでも、お酒は飲んではいけない日です。だから、コンビニにも残念ながら、お酒はないです。売っていけないと決められているのです。だから、2ドルほど、換えればいいかもしれません。水かジュースなどを買って、少しお菓子を買ってもあまります」
 ポワさんはとてもお上手な日本語でそんなふうに話してくれました。
 バンコクは近代的な街でした。3年前にできたというモノレールが街の景色を作っていたり、とても大きなビルが立っているのも見えました。けれど、路地の向こうはまだ小さくて、舗装されていない道が見えたり、そのおくには、たくさんの人がぎゅっとつまって住んでいるのではないかと思われるような、家々もこの街は持っているのだろうと感じたのでした。
「バンコクは暑いでしょう?」ポワさんが聞いてくれました。確かに空港から一歩出ると、これが南国の空気なんだなあと、感じられるほど、湿度の高い熱い空気が体をつつみました。日本ではほとんど汗をかくことがないから、汗腺があまり発達していないのだろうと思っていた私なのですが、汗がにじみ出てくるようなのです。
「僕は汗かきで、冬でも汗をかいています」と話していた添乗員の岩澤さんの顔からはもう、、ぽたぽたと汗が流れ出していたのでした。
 ポワさんが続けて説明してくれました。
「タイでは、使い捨てというのは一般的じゃないので、シャンプーや歯ブラシなど、もし持っていなかったら、コンビニで買ってください。ホテルの部屋にあるものはすべてお金がいると思ってください。水も、石けんも、そこにあるものを使ったら全部お金をはらわないといけません。水道の水は汚くはありませんが、あなたがたは慣れていないですから、飲まないでください。慣れていないとおなかを壊すことになります。それから、朝、枕ゼニを20バーツほどおいてください。60円ほどですけど、おいてください」
 エジプトに旅行をしたときに、ハッサンさんというガイドさんが、私たちに話してくれたことを思い出しました。
「エジプトの水が汚いのだとは思わないでください。ただ慣れていないだけです。私たちは慣れているから、おなかを壊すことありません。あなた方は慣れていないだけなのです」ハッサンさんは、エジプトのお水が汚いのだと思われるのはきっと悲しいし、嫌だと思ったのだと思います。ポワさんもきっとそうなのです。私たちは、おなかを壊すとすぐに、そこの衛生状態が悪くて、汚いように思ってしまいがちだけど、そんなものの見方はやっぱりおかしいのかもしれないなと思いました。
それから、枕ゼニっていう言葉を外国の方が使うのもおもしろいなあと思いました。私も初めて聞きました。ベットメーキングをしてくださる人へのチップのことだと思うのだけど、日本に帰ってから2つの辞書で調べたけれど、その言葉は出てはいませんでした。
 私たちが泊まることになっているホテル”クイーンズパーク”までは空港からバスで40分ほどだったでしょうか。通りの中でもひときわ大きな建物が、そうでした。ホテルの入り口のところに、背がホテルの二階よりもまだ高い木が、覆い被さるように生えていました。その木は、とてもいいにおいのする白い美しい花をいくつもつけていて、ホテルの入り口のところに、その花がたくさん落ちていました。何気なく拾ったその花は肉厚で、これが落ちるときはきっとポトっと音を立てるのだろうとそんなことを思うのでした。
 ホテルに入って、部屋の鍵をもらって、明日の朝の予定を聞いたあと、解散になりました。
「二人で5ドルくらい換えっか?」大谷さんが声をかけてくれました。地元の講演会でもいつもいろんなことをお世話してくださる大谷さんと、旅でも一緒に行動することがとても多いです。アフリカの本では、イラストと写真を担当してくださいました。今回も、写真を撮ってくださって、それから、もうひとつ、前に書いた「あなたといつもつながっていられたらいいのに・・・しっぽみたいに・・・」の本の次の写真も、この旅行中に撮られる計画でした。
「今、人形と撮るのはむずかしいわ。暗いし・・明日の朝の散歩のときに撮るか」
 旅に出ると、朝のお散歩もとても楽しみなひとつです。観光地ではなくて、ホテルのまわりにも私の知りたい物はいっぱいあります。建物の作り方、いろんな人との出会い・・・だからお散歩は楽しみのひとつです。大谷さんもきっとそうなのだと思います。もう「散歩するんやろう?」とも聞かずに、そう思っているようでした。ましてや、タイは今回の旅では、通りすがりの国です。お散歩しなかったら、タイでの時間はすぐに過ぎてしまいます。もったいなさすぎますもの。
 ホテルの部屋はとても広かったです。お風呂は大理石でできていました。台湾に昔とまったときもそうだったなあ、アジアには大理石がとれるところがいっぱいあるのでしょうか?
 「ねえ、バスの中から、小さい社みたいなものが見えたの。中に仏様をお祭りしてあるみたいだった。ホテルの前にあったよ」
 「じゃあ、見に行って、それからコンビニに行っか?」
 それは、社と言ったらいいのか、祠(ほこら)と言ったらいいのかわかりませんが、一メートル四方ほどの、石のお城?かお宮さん?のようなものが台の上に乗って立っているのです。戸が開いていて、その中には、とてもカラフルな観音様が立っておられるのが見えました。そして、その建物に、いくつもいくつも、花でつくられた大きなストラップのようなものがささげられていました。小さいお皿の上には、果物やお米などがたくさん備えられていました。
 可愛い・・ドールハウスみたい・・・。ポワさんが、昨日と今日が、仏様の特別な日だと教えてくれたことを思い出しました。特別の日だから、こんなにお供え物があるのか、それともいつもなのかはわからなかったけれど、ひとつの社だけでも、タイは信仰の厚い国なのだろうと感じられたのでした。
 コンビニから、ツアーで一緒の人たちが何人か出てくるのが見えました。
「トムヤムクン味のポッキーがあったで」友ちゃんが教えてくれました。「こんなんもあったで」そう言って見せてくれたのは、ホットなんとかとかかれている少し辛そうなプリッツでした。日本でも、旅に出ると、そこでしか売っていないお菓子を見るのは大好きです。うきうきして入ると、中の様子は日本のコンビニにそっくりだけど、並んでいる物がやっぱり少しずつ違っておもしろかったです。
 インスタントのカップラーメンも、もしできることなら、どれもこれもためしてみたいような珍しいものがいっぱいでした。
「あ、ポケモンスナック。5バーツだって。えっと15円くらいだ」スナックの小袋を買おうとしている私に大谷さんは「そんなもん、日本で売ってるんじゃない?」と言いました。
「だって、タイ語が書いてあるんだもん、おまけにもタイ語がついているんだよ」
でも、やっぱり考えたら、大谷さんが言うとおり、本当にタイらしいお菓子は別にあるはずなのに、なぜかキティちゃんとか、ポケモンとかドラえもんばかりに目がいくのでした。
 それにしても、日本の企業は自動車とかバイクとかだけでなく、いろんなところに進出しているんだなあと思ったし、それから、子供たちの世界でも、日本の影響は大きいんだなあと思いました。というのは、お菓子にポケモンやドラえもんの模様はにせものじゃないと思ったけれど、キティちゃんにとてもよく似た猫や、マイメロディによく似たうさぎの絵のお菓子や、ハンカチなども売られていたからです。
「あれ?!ビール売ってるよ」
今日は売られていないというお話だったけれど、コンビニには並んでいたので、大谷さんはビールを買っていました。24バーツ(日本円で、70円か80円くらい)ビールにはホテルにおかれていた、ミネラルウォーターや、街にあった、大きなゴミ箱と同じ、象が二頭と、そのあいだに木が生えている絵がついていました。どうして、ゴミ箱にまで同じ絵がついているのかな?
 私ときたら、変なことばかり気になるのでした。
 「朝、何時頃お散歩に出るの?」
「日の出ころの街も撮れたらいいし、撮れなくてもいいんやけど、とにかく早くてもいいから、起きたら電話くれる?」大谷さんの言葉で、朝、3時半くらいから、起きていた私、いくら早くてもいいといっても、まだだよねと窓の外を見ていました。
 この街は、そんな朝早く(夜遅く?)てもとても元気です。少し離れたところでは、一日中、明かりがついたままのお店もたくさんあるようでした。
 あれ?少し明るくなってきたみたい・・・あわてて大谷さんに電話をしたのが、4時半すぎでした。
 「あなたといつも・・」(しっぽみたいに)の本に登場する木のお人形(通称1号くん)をつれてホテルの外に出るともう街はすっかり明るくなっていました。こんなに朝早くて、タイの空気は暑かったです。
 夜に見に行った社のところで一号くんを撮影して、街を歩いていると、道路の向かい側に犬がいるのが見えました。毛がとても短くて(スムースと言えばいいのでしょうか)、やせていて、顔の長い犬が、不思議そうに私たちをみつめていました。
「イヌ、イヌ!!」
 私が「イヌ」と叫んだのは、けっして犬が怖いからじゃないのです。犬が大好きだから、車に乗っていても、歩いていても、家の外で見かけても、とにかく犬がいるとわかったらおおさわぎをします。
「こっちへこないかな・・・」そう思っていたら、今度は私たちのいるところにも、犬が2頭歩いていたのです。
「誰も、首輪つけてないね。おうちがない犬なのかな、それとも首輪はつけないのかなあ」あ、また犬!街のあちこちから、わらわらと犬が出てきました。
 犬から少し離れたところに座って、「おいで」と言って、でも、日本語で言ってもわからないかなと思い直して「カモン」と英語でいいなおすと、大谷さんが笑って、「犬は、英語もわからんよ」と言いました。
 でも、日本語が通じたのか、英語が通じたのか、それとも私の気持ちを犬がわかってくれたのか、そのどれかわからないけれど、その犬は突然、体を低くして、ゆっくりと匍匐前進(ほふくぜんしん)するように、私のところへ近づいてきたのです。そのかっこうがあまりに不思議でおもしろかったからだと思います。大谷さんが犬の方にむきなおって、近づいて写真をとろうとした瞬間、犬はぱっと立ち上がって、また離れていきました。でも、また私が「おいで」と手招きすると、おもしろいことに、また同じように匍匐前進をしながらとうとう私のところまできて、手をなめてくれたのです。
 おもしろいなあと思ったのは、犬も人と同じなんだなと思ったことです。学校で子供たちと仲良くなろうとするときに、子供たちはいつも一対一で関係を築いていこうとするように思うのです。この人と仲良くなってもいいのかな?この人は僕のこと好きなのかな?僕とお話したいのかなって、ゆっくり見きわめるようにして、仲良くなっていく・・・けっして、一人の人と仲良くなったから、じゃあもうみんなと仲良しかというと、そうではない…当たり前のことかもしれないけれど、人と人、それから人と犬がつきあったり、仲良くなるときってそうなんだなあと思いました。だからそのワンちゃんは、今はこの女の人とまず関係をつくるんだと思っていたから、大谷さんが近づいたときには、ぱっと離れたのかなと思ったのです。
 それからもう一つおもしろいなあと思ったのは、他の犬たちが、私とその犬の様子をじっとみていて、その犬が私にまるで抱かれるようにくっついて座っているのを見て、だんだんと遠巻きにしていた輪が小さくなって、他の犬も近づいてきてくれたことです。
仲良しになるのって本当に楽しいです。
 犬のいた広場の端のほうに、たぶん昔、日本では「リンタク」と呼ばれていたタクシーが停まっていました。自転車タイプじゃなくて、モーターがついているオート三輪車のような車のタクシーです。
「昔、こんなの走っていた気がする……」本当に見て覚えているのか、写真で見たり、本で読んで知っているだけなのか、どちらかはわからないけれど、とてもなつかしい気持ちになりました。
「今でもタイではこういうのを作ってるのかな?それとも昔、日本や他の国で使われていたのが、今はここで、同じように使われてるのかな?」
 なぜって、ケニアやエジプトでは、ハングルや、日本語で会社名が書かれているバスをよく見かけました。たぶん、もう使われなくなった車を払い下げて使っているのだと思います。だから、これもそうかなと思ったのでした。でも、そうだとしたら、このリンタクは本当にいろんな経験をして、いろんな世界を見てきてるんだなあと思いました。
 広場の向こうに、大きく「侍」の文字が見えます。日本人向けのお店なのでしょうか?街のあちこちに、最初に見た社のようなものがありました。そして、どの社にもたくさんの花や果物が供えられていました。それから、道ばたのガジュマロという根っこが浮き上がって見えるとても大きな木にも、たくさんの花が供えられていました。タイの人々のあいだに、信仰が根付いているのだろうと感じられた風景でした。
 いくつかのお店がガレージを開け、仕事を始め出していました。そこを若い姿勢のいいお坊さんが早足で通って行きました。オレンジ色の布を身にまとっていて、裸足です。お店屋さんのおとうさんが、お坊さんにちょっと頭を下げるのが見えました。そしてお坊さんは軽く頷くようにして、通り過ぎていきました。
 知り合い同士のあいさつかもしれず、それはうかがい知ることはできませんが、私はお坊さんだから、挨拶をされたのかなと思ったのでした。そして、きっとタイはどうも、宗教がしっかり根付いている国のようだから、お坊さんは大切にされているのかなと思ったのでした。
 そろそろホテルに戻ろうと歩いていると、道ばたにおばあさんが道に犬と座っていました。おばあさんは私と目が合うと、一生懸命話しかけてくれました。
 おばあさんは、「この犬はね、6匹も赤ちゃんを産んだところだから、おなかが減ってしかたがないから、ごはんをあげてるんだよ」って言いました。そして、通りの向こうを指さして、「赤ちゃん6匹は向こうにいるんだよ」って。
 大谷さんがどうしたの?と言うので、「おばあちゃんがね、この犬が6匹も子供を産んでおなかがすいているから、ごはんをあげてるんだって」と言うと、
「なんでそんなことわかれんて?なんで?」と言うのです。
あれ?本当になんでわかったのだろう。大谷さんは、私が英語はもちろんタイの言葉なんてお話しできないのは十分承知の上なのです。だから、どうしてわかったのかきっととても不思議だったのです。
 あれ?どうしてわかったんだろう……私も本当に不思議です。でもおばあちゃんは私に、手振りを交えてそう確かに話してくれたし、私も、「そうなんですね、だから、このワンちゃんにごはんをあげてるんですね」って答えたのです。他の犬もごはんをほしそうにしていました。でもおばあちゃんは、「あなたはだめよ」と、他の犬をやさしく追い払っていました。きっと「あなたは他でもごはんをみつけてこれるでしょう?それに、このワンちゃんはミルクをいっぱい出さなければならないのよ」って思っていたのだと思います。
 おそらくおばあちゃんはこの犬の飼い主ではないでしょうか。でも、お母さんワンちゃんが食べるのに困ったら、子犬がみんな死んじゃうから、心配であげてるのだと思います。いろんなところでタイって信仰心の厚い国だなあと感じていたのだけど、おばあちゃんの優しさとそのことは無関係じゃないかもしれないと思ったのでした。
 おばあちゃんにお願いして、写真も撮ってもらいました。それから、ありがとう、バイバイと手を振ると、おばあちゃんは小さくて細い手を顔の前であわせて挨拶をしてくださいました。私もまねをして手を顔の前であわせたら、今度はもっと深くお辞儀をしてくれました。英語でも、タイ語でも、日本語でも、きっとおばあちゃんとお話はできなかったけれど、私たちは確かにたくさんお話をして、わかりあったように思ったから、本当にうれしかったです。ああ、おばあちゃん、元気かな?あの犬も元気かな?





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