カンボジア・ベトナム日記


3

 旅の出発は今年は成田からになっていました。大谷さんと私は小松から羽田へ飛行機で行って、そこから、リムジンバスにのりました。
成田まではリムジンバスで一時間以上かかります。大谷さんも少し休んでいこうと思ったのでしょう。後の座席の方に、「少し座席を倒してもいいでしょうか?」と声をかけました。日本の方だと思ったけれど、その方は外国の方でした。
「日本語は話せません。英語は少しだけ話せます」と英語でどうやらおっしゃったようです。というのも、私は、英語をすごく話せるようになりたいので、今、ベストセラーになっている、慎吾ちゃんのベラベラの英語の本を覚えようとしていたり、テレビの基礎講座をなるだけ見ようとしているのに、どうしてもどうしても英語が話せないし、聞いても少しもわからないままなのです。だから、想像です。そんなふうにその方が言われたのじゃないかな・・・・と。
 大谷さんはそれで、「ベンチシートがどうとかこうとか・・・」と英語でそれこそベラベラと何か話されました。ところが、その方は首を振って、わからないというような表情をされました。
 それで、私もなんとか大谷さんの言っていることを伝えたくなって、後の座席の人の顔を見て、シートをさわって、「OK?」と聞きました。そしたらなんということでしょう。その方が、にっこり笑って、「ノープロブレム。OK.OK.」と言ってくれました。
「わ、通じた!!」うれしさがこみあげてきました。
 今までも、アフリカやアメリカに行ったときも、とっても上手な方の英語が通じなくて、ただ、手振りと表情だけの私の言いたいことがたまたま通じたことがあったので、大谷さんは
「またや、・・僕の言った単語や文法は間違っていないはずなのに、どうしてOKだけで話がわかってしまうのかな?なんかくやしいな」と言うのです。
「大谷さんもOK?って聞けばよかったのに・・・」
「いや、それじゃあ、プライドが許さないの。僕は英語の言葉とか単語でわかってほしいから・・・動作とかじゃなくて。でもかっこちゃんはいいよ。そういうキャラだから」
 いったい私はほめられたのでしょうか?その反対なのでしょうか。とにかく、私にはどうも英語を使いこなすことなど夢のまた夢で、使いこなせるようになってから、外国の方とお話しようとしてたら、もうずっとお話しないままに終わってしまいます。そっかあ、プライドかあ・・そんなもの初めからないもんなあと思いました。
 大谷さんはくやしいと言っていたけれど、でも、喜んでもいたみたいで、「小林さんに、今のこと、話をしんならん(しなくちゃいけない)小林さんはきっとまた笑ってくれるから」とも言うのでした。
 集合は夕方の6時になっていました。でも、大谷さんと私は、小松ー羽田便の便の都合などで、10時過ぎにはもう羽田についていました。荷物を一時預かり所に預け、ご飯を食べたり、旅に持っていく本をさがしていたりしていると、藤尾さんから携帯に電話がありました。
「カッコさん、もうついてる?うちら、二階のクロワッサンっていうお店にいてんねんけど、こない?」藤尾さんはいつも「みんな大好きツアー」に参加してくださる方で、声宴会にもよく来てくださって、いつも旅の間でも、その他でもいっぱい助けてもらっていて、私にとっては、親友というより、頼りになるお姉さんのような人なのです。
 前回のアメリカとカナダの旅では2女のよしみちゃんが一緒だったけれど、今回は福祉のお仕事につくために勉強をしておられる、よしみちゃんのお姉ちゃんの友子ちゃんが一緒でした。そして、藤尾さんのお友達の渡辺さん、それから、渡辺さんの娘さんで、よしみちゃんともお友達で、語学の大学に今いて、英語がとっても上手なあゆみちゃんも、今回、一緒に来てくださいました。
 渡辺さんのお話をする前に、私と大谷さんの本のこともお話させてください。
 6月に「あなたといつもつながっていられたらいいのに・・・しっぽみたいに・・」(青心社)という本を出版していただきました。話すと長くなってしまうのですが、この本は私が携帯電話やパソコンに、毎朝配信させてもらっている詩をまとめた本なのです。その本は、みんな人はつながっていたいものじゃないかなって思って、携帯で私の気持ちを詩の形にして、メールで配信させていただくことで、いろんな方とつながることができて、実現できた本なのですが、その本を作るときに、詩だけの本じゃなくて、何かもっと可愛い本にしたいなあと思ったのです。
 私は手作りが好きです。それで、木で作ったロボットのようなお人形を、風景の中において、大谷さんが写真をとってくださって、その写真と、私のイラストと詩で、一冊の本にしあがったのです。
 この本を出版してくださったのは、大阪の出版社でした。「この本のシリーズの出版には個展もついているのですよ」びっくりしたことに、青心社の山下さんがそんなふうにおっしゃって、6月の初めに、大阪で、大谷さんの写真と、私の詩とイラストと、人形の二人展が開催されました。けれど、石川に住んで、仕事をしている私たちにとって、大阪の二人展に毎日出かけるわけにはいきませんでした。ホームページなどを読んでくださった方が、たくさんお手伝いをしてくださって、その個展はたくさんの方に見て頂けたのです。
 藤尾さんと渡辺さんはそのときの、個展のお手伝いをてくださったメンバーで、お二人とも、搬入も、お当番も搬出までもずっとお力を貸してくださったのでした。今回の旅ではこの本が、このあとでも、大きな役割を何度もしてくれたので、ここに紹介させてもらいました。
 成田のクロワッサンというコーヒーショップに入ると、4人は折り紙のくす玉を折っていました。
「むこうの小学生にあげようと思うねん」友ちゃんが言いました。
「あやとりも50本くらい編めたんよ」と藤尾さんが言いました。私はすごくうれしくてたまりませんでした。
 藤尾さんや渡辺さんはいつも、いろんなことを助けてくださいます。今回の旅は小学校や養護学校へたくさん訪れることになっていて、交流もすることになっていました。それで、子供たちへのおみやげにしようと100円ショップで、たくさんケンダマやきつねやひょっとこのお面や、お扇子や、だるま落としや折り紙や日本の曲のCDやもっともっといろんなものを用意していました。藤尾さんと渡辺さんは、きっと私たちがいい交流ができるようにと思って、あやとりのひもなどを用意してくだっさったに違いないのです。
 けれど、それだけじゃなくて、友ちゃんやあゆみちゃんが、自分の気持ちで、自分たちもいい交流ができたらいいなあ、子供たちと楽しい時間をすごせたらいいなあ、お友達になりたいなあと思って、くす玉などを用意してくれたんじゃないかなと思ったので、そのことが何よりもうれしかったのでした。
 というのも、今回の旅でも、小林さんは「まず、山もっちゃんが行きたいところを決めないと始まらないよ。旅に来たいと言ってくれる人は、その山もっちゃんが行きたいと思っているところにも行きたいと思ってくれる人が、募集に答えてくれるわけだからそれでいいんだよ」と言ってくださったのですが、それにしても、自分の行きたいところばかりの、そんなわがままなツアーがあってもいいのでしょうか?でも、もし許されるのなら他の方も、ああ、そういうとこなら、私も行きたいし、感じたいし、楽しんできたいと思って、参加してくださったのなら、こんなにうれしいことはないなあと思うからなのです。
 小林さん一家からも「空港に着いたよ」と電話がありました。「もう出発のために集まるところに来ているよ」ということだったので、私たちもそこ行くことにしました。
 他の方も少しずつ、集合場所へ集まっていました。
 今回のツアーは、岩澤さんというANAの男の方がずっと同行してくださることになっていました。
 その他には、前々回のアフリカ旅行でご一緒した、小学校の先生の奥泉さん、そして、ご主人が小林さんと同業の(公認会計士をしておられる)村井さん、東京で小学校の先生をしておられる藤本さん、東京で日本舞踊を教えて折られる諸河さん、そして小林さんと同じ静岡で市役所におつとめの北山さん、遺跡発掘の会社におつとめての引田さん、小林さんの奥さんのあいこさん、娘さんのえみちゃん(お二人も3回ともご一緒させていただいています)そして小林さん、大谷さん、私の全部で15名の旅になりました。
 そこで始めたお会いした方がほとんどなのに、一緒に旅に出ると思ったら、もううれしくて、わいわいがやがやといろんなお話をし出しました。
「もう、ドルに換えてきた?」
「あっちの銀行の方が、細かいお金にしてくれるかもしれないよ」・・・
楽しい旅の始まりでした。


カンボジア・ベトナム日記の4へ
カンボジア・ベトナム日記の目次へ
topへ