カンボジア・ベトナム日記


21

  バスの窓の外を次から次とバイクがたくさん走っていました。まるで流れているみたい・・・そのときに、おかしなことに気がつきました。
「どのバイクもバックミラーがついてないよ。たまについていても、ミラーが右も左もバイクの内側を向いてる……」
 ゴアンさんが説明してくれました。
「たくさんバイクが走っていすぎて、バックミラーで後ろを見ても役にたちませんから、手で右へ出るという指示を出したら、まわりのみんなが気がつきます。だからミラーは誰も見ません。内側にミラーをまげているのはおしゃれです。顔を見ます。女の人がお化粧の具合を見るのです」
 みんな「えー!」とびっくりしていました。
 ところが実は、私もつい車のバックミラーを見るのを忘れるようなのです。というのも、狭いところに駐車するときに、バックミラーを倒すと、かならずもとにもどすのを忘れて、家へ帰ってから、「あ!倒したまま運転してきちゃった」っていうことに必ずなってしまうからなのです。道で私をみかけた友人が電話で「頼むから、見てよね。倒したまま走っていると恥ずかしいし、危ない」って言ってくれて、私も家へ帰って倒したままのミラーを見るたびに、ちゃんと見なくちゃと思うのに忘れてしまう・・・ベトナムのバイクのお話を聞いて、大谷さんに「やっぱりバックミラーってあんまり必要ないのかな?」と言ったら、「何言ってるの。教習所であんなに何度もミラーをみなさいっておそわったやろ!!見るの!!」と叱られてしまいました。
いっぷう変わった建物のところに車は到着しました。中国風の庭園があったり、祠があったり、木がたくさん植えられていたり・・・そこはお寺なのでした。尼さんがおられるお寺で、その建物の奥の方に孤児院があるということでした。
 にこやかに迎えてくださった女の方は、尼さんの衣装をつけておられました。細い道の奥に子どもたちが集まっているのが見えました。まだお昼には少し早いことでしたが、広場に面した食堂には、もうお昼御飯が用意されている途中のようでした。
 孤児院には男の先生もいて、子どもたちの指導員のようなお仕事をされているようでした。子どもたちを広場に集めて、私たちのために、歌をうたってくれました。小さい子は赤ちゃんから、大きい子は中学生くらいのお子さんが、50人くらいおられたでしょうか?子どもたちの歌う様子はとても慣れていて、もしかしたら、こういう訪問がときどきあるのかもしれません。
 私たちの番が来て、諸河さんが踊りを踊ってくださいました。それから、もってきたおみやげを渡させて頂きました。
 そのあと、また子どもたちとふれあう時間をくださいました。双子の女の子が、あゆみちゃんの手をとって、「私のお部屋を見せてあげる」というふうに、二階建てのベッドが並んでいるお部屋へあゆみちゃんを連れて行くのが見えました。
 他の人もまたそれぞれ、子どもさんとお話をしたり、遊んだりしていました。
 広場から少し離れたところに、赤ちゃんがいるのが見えました。案内してくださった尼さんが「この子はまだ6ヶ月です。お寺の前に捨てられていました。やっとここの職員のそれも数人の人になれただけで、あんなに小さいのにあまり誰にも抱かれたがりません」と言いました。私はなぜかその赤ちゃんにとてもひかれていたので、抱かせて頂こうと思っていたところだったのですが、それをお聞きして、ためらいました。
 「ここに来ている子どもたちは、ほとんどがこのお寺の前に捨てられていたのです。それから病院におきざりになっていた子どももいます。親はできることなら、子どもを育てたいのです。でも、貧乏で、どうしてもできなくて、泣きながらここに置いていきます。ここなら飢える心配はないと思うのでしょう」
 目の前のこんなに可愛い赤ちゃんを置いて行かなくてはならないのは、どんなに悲しいことでしょう。そして、置いていかれた子どもたちも、どんなにつらかったことでしょう。「親がいるけれど、ここに預けられている子どももいます。育てられないのです。少しずつ面会にこれるようになった親もいます。そんなとき、周りの子どもたちは複雑な思いがするのです」
 小さな男の子が、私の手をひいてくれました。腰をおろして「ん?」と顔をかたげてその男の子の顔をみたら、男の子は、紙に書いた手紙のようなものを見せてくれました。ずっともっているのか、幾重にも折られたその紙のはしっこのほうはすり切れていました。
「宝物?」誰からのお手紙かはわかりません。それどころかお手紙かどうかもわからなかったけれど、その男の子は、来る人来る人に、自分の大切なその紙を見せるんだろうなあと思いました。何かわからないけれど、きっと大切で、うれしいものなんだろうなあと思いました。
 広場の真ん中に、変わった大きな白い花が咲いていました。カンボジアの遺跡にも咲いていた花で、いったいこの花はなんという花だろうと思っていたのです。
 尼さんが「これは沙羅双樹の花です」と教えてくれました。ハッとしました。高校の時の古文の時間に習った「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」という平家物語に出てくる言葉を思い出しました。アンコールワットという城で、栄えた人たちが、滅んで、そして、建物さえも、大きな森に飲み込まれていた・・・沙羅双樹の花のお話そのままのこの木がカンボジアのアンコールワットにあったことが、とても不思議だなあと思いました。そして、このベトナムの孤児院にもその花が生えていて、尼さんに教えて頂けなければ、わからないままだったなと思ったら、とても不思議な気がしました。
 小さい子どもたちのお昼御飯が始まりました。みんなそろってお祈りをして、それからごはんを食べ始めました。ごはんとおかずとお汁・・・そんな感じの、質素な、でもおいしそうな食事でした。
 あゆみちゃんが、さっき見かけた6ヶ月の赤ちゃんを抱いていました。赤ちゃんが体をバタバタさせて泣いていたので、あいこさんが「どうしたの?」と聞いていました。
「子どもが赤ちゃんを抱いていて、私に赤ちゃんを渡してくれたのだけど、あゆみの抱き方が悪いのかな?泣いてるの」
 私はやっぱりその赤ちゃんがずっと気になっていて、そのときも抱っこしたかったので、「抱かせてもらっていい?」と言いました。あゆみちゃんが「抱いて抱いて」って言ってくれたとき、私はいったいどうしてだかわからないけれど、やっと抱けるんだと思って、胸が熱くなっていました。
 小さな赤ちゃんは、私の腕にすっぽりと入って、もたれるように、私の腕に抱かれてくれました。やわらかな赤ちゃんの体が、とてもとてもいとおしかったです。赤ちゃんに私の気持ちがきっと通じたのだと思います。赤ちゃんは私に身をまかせてくれて、うれしいことに、泣きやんで、小さな小さな指で、私の腕をそっとにぎっているのです。
「かっこさんの腕が好きみたい」そんなふうにあゆみちゃが言ってくれました。抱いたばかりのこの赤ちゃんが、私はいとおしくていとおしくてなりませんでした。ほっぺもやわらかでした。けれど、お腹が少しふくれていたから、やっぱり少しは栄養失調なのかもしれません。
 学校でも抱かれるのが嫌いな子どもさんは、体を堅くしたり、体をくねくね動かしたりして、身をまかせることをしないのです。けれど、今赤ちゃんは私に身をまかせてくれていました。
 私はこの旅で何度も何度も涙がとまらなくなったけれど、赤ちゃんが私に身をまかせてくれたときも、胸がいっぱいになりました。
「あまり抱かれたがらないのに、不思議です」また尼さんが言ってくれました。私は赤ちゃんが、きっと私がこの赤ちゃんをすごく抱っこしたいとか、赤ちゃんをいとおしいと思っていることが、わかってくれたからだろうと思いました。
 悲しいことに、そろそろ時間ですという声がかかりました。
 私はずっと赤ちゃんを抱いていたいと思ってしまいそうだったけれど、そうもいかないので、説明してくださっていた尼さんに赤ちゃんをお渡ししようとしたら、驚いたことに、赤ちゃんが、わーんと泣いて、体を硬くして、まるで私に抱かれていたいというようなそぶりをしました。
 そんなはずないかもしれないけれど、私は、私が赤ちゃんをここで、尼さんや他の人に渡したら、「ああ、この人も私を置いて行こうとするんだ・・私を捨てようとするんだ」って思うのじゃないかと思って、涙がこみあげてきました。
 赤ちゃんはこんなにこんなに小さくても、そして、ご両親に仕方がなかった理由があったにしても、「私は捨てられてしまったのだ」ということをきっと感じているんだと思いました。
 赤ちゃんが泣いていても、そして、私がずっと赤ちゃんを抱いていたいと思っていても、連れて帰りたいと思っても、それはできないことだから、結局私は赤ちゃんを尼さんにお渡ししました。
 案内してくださった尼さんが、おいのりをしていってくださいと、私たちに声をかけてくださいました。
 子どもたちに手を振って、お別れをしました。私たちは、最初に見た建物の正面の階段をのぼっていきました。やせた白い大きな年老いた犬が、私たちを迎えてくれました。その犬は、まるで神様にお仕えしているような不思議な犬でした。年老いているから動作がゆっくりで、そして、こま犬のように、祭壇の前にすわっていました。
 奥から、女のお坊さんが出てこられました。言葉でどう説明したらいいのかわからないのですが、その方の姿を見たときに、また涙が出そうになりました。年配のやさしさがあふれているそのお坊さんがゆっくりと歩いてこられて、私たちに、ていねいに頭をさげてくださいました。ふと小林さんを見ると、小林さんも涙を流していました。大谷さんも泣いていました。
「どうして?」と言われたらわかりません。私はそのとき、急にマザーテレサのことを思いました。マザーテレサは「どうして、あなたは貧しい人を助けようとするのですか?」との質問に、「目の前に貧しさに苦しんでいる人がいるから」と答えたと聞きました。この女のお坊さんもまた、目の前に助けを必要としている子どもたちがいたら、できることはなんでもしたいと思われたのに違いないと思いました。
 私はマザーテレサにお会いすることはなかったけれど、もしお会いしたら、やっぱり今と同じ涙を流したかもしれないなと思いました。
 養護学校を運営しておられたのも、教会で、孤児院を運営しているのはこのお寺…国はまだまだ貧しくてなかなか手がまわらないのだとゴアンさんが教えてくれました。
 祭壇におまいりをさせていただいたあと、その女のお坊さんは私たちに
「一緒にお昼御飯を食べていきませんか?」と誘ってくださいました。私はとても驚きました。もうそのときは、お昼近くになっていました。
 きっと尼さんは、すべてのお客さんに、こんなふうに食事をしていかないかとさそってくれるのだと思います。そして、もし、私たちが、「それじゃあそうします」と言ったとしたら、きっとご自分の食べる分を分けて、私たちに一緒に食卓へつくようにすすめてくれるのだと思います。「お昼を別のところで食べる予定がありますから」とお断りしましたが、私は、ホーチミンで私たちが、フランス料理をいただくことになっていることを恥ずかしいような気持ちがしていました。
 私たちの今日のお昼の食事があれば、ここに入っている子どもたちはきっと1ヶ月以上も、もう1品多くのおかずを食べることもできるでしょう。そして、私はきっとここを出てフランス料理やさんに行ったら、おいしくいただきながらも、たくさんの量をいつも食べれないから、残してしまうのだろうと思いました。
 それにしても、私はこの旅に来て、本当にたくさん涙を流しました。どこへ行っても心が揺れるのです。悲しい涙よりも、それはそこに住んでいる人のやさしさにふれたためだったり、大好きという思いがつのるためだったりしました。
 最後に握手したお坊さんの手はあたたかでした。 


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