カンボジア・ベトナム日記


20

   次の日もニュンさんは朝早くからホテルにきてくれました。私たちは今日ニュンさんと一緒に養護学校と、それから孤児院にでかけることになっていました。
 バスに乗り込んだゴアンさんが、
「朝のあいさつをします」とにっこり笑って少し照れて、みんなの方を向いて話をしてくれました。
「昨日はまことにありがとうございました。おかげさまで、たくさんお買いあげいただいて、友達のチーホさんに感謝して、みなさんにも感謝します」私たちはみんなしてゴアンさんのあいさつに拍手をしました。ゴアンさんの笑顔が、とってもうれしかったのです。私たちはいつのまにか、ゴアンさんのことをゴアンちゃんと呼ぶようになっていました。 最初に出かけたタンマオの養護学校は、教会が母体になっているそうで、桝蔵先生のおられる養護学校と姉妹校なのだそうです。
 子どもたちと桝蔵先生のお友達のコアーイ先生が、中庭のテラスで笑顔で私たちを出迎えてくれました。
 ああ、私、自然と顔がほころんでいるのが自分でもわかります。うれしくてうれしくて仕方がないのです。どこにいても、子どもたちと会えるということは、本当にうれしいものだなあと思います。
 コアーイ先生から学校の説明がありました。
「この学校は、ダウン症や、自閉症や、その他の障害をもつお子さんがいます。教会が運営をしています。今は夏休みだけれど、みなさんがいらっしゃるので、何人かの生徒に学校に来てもらいました」
 夏休みなのに、出てきてくださったのだとわかったとき、私は自分のことが恥ずかしくなりました。私は小学校や養護学校へ行きたいなあと、自分の思いを軽く話しすぎていたように思います。ニュンさんが、そんな私のわがままをなんとかかなえようと思って、きっと一生懸命お話してくださって、そして、小学校や養護学校の先生が、登校日にしてくださって、私たちはみんなに会えたのだと思ったら、いっそうこの出会いが大切に思えました。
 子どもたちはみんなとてもとても可愛かったです。そばにいくと、女の子があいている席をすすめてくれました。気がつくと、やっぱり他のみんなも子どもたちと座っていました。
 女の子が、私の手をとって、のぞき込んでくれました。仲良くなろうってさそってくれているのです。私もうなづいて、手をほおにあてたら、女の子は今度は私のほおに自分の顔をよせてくれました。女の子のふっくらとしたほっぺが、どきどきするほど、うれしくて気持ちがよかったです。
 少し大きい男の子は、手に持っていた袋から、ひとつキャラメルを分けてくれました。そして、しきりに、話しかけてくれています。たぶん、何か待ち遠しいことか、楽しいことがあって、そのことを繰り返しお話してくれているのじゃないかなと思いました。ニュンさんに聞いてもらったら、男の子はおうちが遠いので、施設に入っていて、今度家へ帰るのが待ち遠しくて、「○日におうちへ帰るよ」と話してくれているのだそうです。私は日本の大好きな子どもたちのことを思いました。いつも家に帰る日を楽しみにしていて、「○日、おうち、○日おうち」と繰り返しお話してくれる秀ちゃんのことを思いました。それから、遠足が近づくと、毎日「遠足、バス、遠足、バス」とか「ジャスコ、ユニー」と出かけるのが楽しみで、私たちだけでなく、学校に見学にこられている人にも話しかけている、みいちゃんのことを思い出しました。どこにいっても、子どもたちは、みんな、本当に可愛いいです。
 諸河さんが、さくらさくらをみんなの前で踊ってくれました。子どもたちも先生も大喜びです。もし、諸河さんが、ゆかたを持ってきて、踊ってくださらなかったら、学校などの訪問も、さびしいものになったかもしれないと思うと、諸河さんがいてくださって本当によかったと思いました。そして、諸河さんだけでなく、どの方も、偶然ツアーを知って、参加してくださったわけだけれど、本当に一人一人の方がこのツアーにはなくてはならない方だったと今更ながら思うのでした。
 他の方たちも、みんな子どもたちと気持ちを通わせあっていました。ツーヅー病院に行って、小学校へ行って、私たちは仲良くなることに言葉なんていらないんだとわかってきたように思うのです。
 「みなさんを歓迎するために、踊りや、歌を練習しました」
 私たちと子どもたちが、手をとりあって一緒に踊りました。顔をみあわせて笑ったり、一緒に歌をうったりもしました。それから、女の子たちが、とっても可愛い踊りをみせてくれました。私たちの後ろで見ておられたお母さん方も、可愛い踊りにたくさんの拍手をおくっておられて、子どもたちはとても誇らしげでうれしそうでした。それから、養護学校の近くの小学校の女の子が、バイオリンを弾いてくれました。
 歌や踊りをみているあいだに、子どもたちは、喫茶店のウェイトレスさんのように、私たちにコーヒーを勧めてくれました。コアーイ先生が、その様子を目を細めてみておられました。この学校の子どもたちはみんな毎日とても楽しいだろうなと思いました。先生方は、みんなとてもやさしくて、子どもたちは楽しくうれしそうでした。
 私は昔のことを思い出していました。
 教員が怖い顔をしていて、子どもたちがたえずびくびくしている情景を、私は何度も見たことがありました。いいえ、それどころか、そういう関係があちこちに見られる学校の中に身をおいたこともありました。子どもたちのそばにいって、頭をなぜようとすると、びくっと体を堅くする子どもたち・・・「怖がってるんだ」と感じました。子どもたちは学校が嫌いだろうなあ、楽しくないだろうなあと思いました。私もやっぱりその場が怖くて、子どもたちと一緒にふるえていたり、泣きそうになったり、でも、まだ若かった私が、ずいぶん生意気に、「怖い学校はだめだと思う」みたいなことをやっぱり泣きながら言ったのを思い出しました。 
 大人はいつも子どもたちの幸せを願っていたのだと思います。「障害を持った子供たちをきびしく指導して、他の子どもたちに少しでも近づけるようにがんばらせるのが障害児教育」というようなことが本に書かれていたり、言われていた時代がありました。そういう考えは、子どもたちにとって、なんとつらかったことろうだと思います。
 コアーイ先生の学校は、とってもあたたかで、子どもたちはにこにこしている・・・前の日に行かせていただいた小学校でもそうだったなあ・・・ノートがなかったり、黒板が古かったり、足りない物はいっぱいあるけれど、子どもたちはきっと幸せだという思いが、私の心をもっと温かくしました。
 コワーイ先生が学校の中を案内してくださいました。気持ちを伝えるための絵カード、発表会のときに使う、民族衣装(日本の着物もありました)、おもちゃ、お祭りの獅子がしら、パズル・・・たくさんの教材は手作りだったり、きっと一生懸命、先生がさがしてこられたんだなあとわかるものばかりでした。
 日本のように物資があふれている国じゃないベトナムで、こんなにたくさんの教材、この養護学校で用意をしておられうということだけでも、先生方がどんなに熱心で子どもたちのことが大好きかがよくわかりました。
 作業のお部屋には、さおり織りという織物の機械がおかれていました。日本から、届いた、折り機だということで、作業室の机の上に、さおり織りの織物の作品が、値札をつけて並べられていました。その他にも、子どもたちが作ったベトナムの大きなビーズの腕輪やキーホルダーも並べられていました。
「私たちも買っていいのですか?」売り場におられた先生が、「もちろんです。買ってくださったらうれしい」と言ってくださって、そしてその作品はお世辞でもなんでもなく、とても素敵なものばかりだったので、私たちはすごくうれしくなって、お買い物をしました。この作品は、桝蔵先生の金沢の養護学校の文化祭でも、売っておられるのだそうです。
 ここでも、ともちゃんやあゆみちゃんやえみちゃんはいろんなことを感じていたようでした。
 ともちゃんは養護学校で仲良くなった子どもさんとのことでこんなふうにメールで書いています。
「ココナッツミルクキャラメルくれた子とは、初めは全然しゃべたりしてなかった。教室の見学が終わって、トイレに行って、私一番に入らしてもらったから他の人を待つ時間があって、そのときに、みんなの中で、一番大きい子やったと思う。なにか、一生懸命私に話しかけてきてて、ベトナム語やから全然わからんかった。でも、何いってるんやろう?すごいいっぱい話してくれてるし・・・。近くにニュンさんがいたから、ニュンさん呼んで何言ってるの?ってきいてもらったら、男の子は近くの施設から養護学校に通ってるみたいで、『最近里帰りしてきたとこだ。』と言って、手に持っているココナッッツミルクキャラメルを指差しながら、『これがおみやげなんだ。』と言ってると、ニュンさんが教えてくれた。そしてそのキャラメルを私に袋ごとくれる。と言ってるのだと、またニュンさんが教えてくれた。『わあぁ〜いいの?ありがとう』うれしくてベトナム語のありがとうを知っていたのに、そんなことも忘れて日本語で言っていた。男の子は、やさしそうな目をもっとやさしく私に向けてくれた。すぐに移動の時間が来て、出発になった。養護学校の子供たちを背に歩き出したとき、ニュンさんが『彼は、自閉症の子です。自閉症の子が、彼からしたら外国人のあなたにあんなものをあげることはめったにないことです。』、そしてニュンさんはニコッと笑って『もしかしたら、彼はあなたのことが好きになったかもしれませんね。』っというのです。私は手に持っているキャラメルをもう一度ながめました。このキャラメルはいくら位するのだろう?私じゃない人に買ってきたかもしれない。彼の大好きなお菓子だったかもしれない。色々考えて、胸がいっぱいになりました。家に帰ってからも何度もながめて、食べようか置いておこうか考えて、やっと最近せっかく私にくれたのだから、食べることにしました。袋だけベトナムの彼のことを覚えておくためにとって置こうと思いました。
 かっこさんの日記にまだまだベトナムは障害者への理解が少ないことを知りました。ホーチミンは大都市だけど、もっと田舎のほうはまだ、養護学校も、それから小学校もまだできていないところもあると思った。でも私はホーチミンの養護学校の様子を見て、彼の瞳を思い出して、それから小学校の子供たちのことも思い出して、きっと大丈夫だと思いました。ベトナムもカンボジアもこれからの国だから。あんなにも素敵な人がいっぱいいる国だから、日本もウカウカしてたら、どんどんおいて行かれそうな、そんな気がした」 帰りに、コアーイ先生が、額に入った子どもさんの大きな絵をおみやげに下さいました。明るい色の家がたくさん並んだ絵です。空がピンクで、大きなお日様が空に輝いていました。お母さんと子どもが池で遊んでいる、とても楽しい絵です。「重くなるけれど、もらってください」私はうれしくてうれしくてしかたがありませんでした。
 短い時間だったけれど、私はコアーイ先生とすっかり仲良しになったような気がしてお別れがつらかったです。
 お別れがつらいと言えば、養護学校のあと、孤児院に行って、ごはんを食べたら、そこで、私たちはニュンさんとお別れすることになっていました。お昼から、ニュンさんは日本語学校の先生のアルバイトがあるということだったからです。
「きっと泣いちゃうね」大谷さんが言いました。「私のこと?」「もちろん」
「うん、もう考えただけで泣いちゃう」
ニュンさんに「私泣いてしまうかも・・」と言うと、「だいじょうぶ。ずっとお友達だから」とまるでお姉さんのように、ニュンさんは肩をたたいてくれるのでした。


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