カンボジア・ベトナム日記


18

 ホーチミン市で昼食をとり、昼からはクチのトンネルへ行き、その足で、ニュンさんのおたくへよらせていただいて、夕飯をとる そしてゴアンさんのお店に行って、アオザイをつくる・・・これが昼からの予定でした。
 クチのトンネルはホーチミンから車で一時間半ほどのところにあります。田んぼのあいだの道をずっと走ると、そこには、水牛がいたり、牛がいたり、小さかったころのことを思い出すようななつかしい風景が続いていました。
 何のきっかけだったでしょうか?バスの中での話がベトナム戦争のことになりました。そのとき、ゴアンさんが、長い時間をかけてベトナム戦争の話を説明してくれました。ソチアさんやチーホさんと違って、外の風景なども、あまり説明されることが少なかったので、なんだか意外なほど、ゴアンさんはずっと長く長く戦争のことについてお話していました。けれど、私たちはなぜかゴアンさんのお話を聞こうとすればするほど、眠くなってしまったり、何をいってるのか途中でわからなくなってしまったりするのでした。
 ゴアンさんが、みんなの方をむかずに、一番前の席に座って、前を向いてしゃべっているということもあるでしょうし、お話が小さいということもあったかもしれません。
 ゴアンさんの心の中で、戦争のことを日本人である私たちに、話したい、伝えたいというような気持ちがあるのかもしれません。けれど、聞いていないだろうというようなあきらめの気持ちもあったのかもしれない・・と今、振り返るとそんな気がします。
 突然森の中の道になり、そしてそこがクチでした。
 クチのトンネルは、ベトナム戦争のときに、200qから250qというおどろくほどの長さのトンネルが、縦にも横にも長くほられていて、その中には、診療所や、学校や、生活する場所まで作られていたということでした。
 クチは、サイゴンでの戦いを指導する、南ベトナム解放戦線の本拠地だったのだそうです。解放戦線はゲリラという名前で呼ばれていました。ゲリラはトンネルを利用していたので、神出鬼没だったそうです。アメリカ軍や政府軍は、手榴弾や毒ガスで責めたり、水攻めをしたり、いろんなことで、ゲリラを責めたけれど、トンネルの中のつくりが精巧だっために、アメリカ軍はとても手を焼いたのだそうです。
 アメリカ軍は「ゲリラはどこにもいないけれど、どこにでもいる」と言ってゲリラを恐れたということですが、それは、見つけ出そうとして探すと、どうしても見つけることができないのに、でも、どこからでも攻撃をされる恐ろしい存在という意味だそうです。
 ゲリラを恐れたアメリカ軍は、クチにもたくさんの枯葉剤をまいたのだそうです。そのために、ゴム園は全滅したのだそうです。
 私は、もう一度、ゴアンさんに、帰りにニュンさんの家によってねと頼んでおこうと思いました。みんなにも相談したら、「寄りたいし、うれしい」と言ってくれたのです。
「さっきもお願いしたけれど、ニュンさんのおうちに寄りたいので、運転手さんにもお話ししてくださいね」とゴアンさんに頼みました。ゴアンさんは「わかりました」と言ってくれたので、ほっとしていました。
 建物の中で、ビデオを15分くらい観ました。日本語のビデオだったのですが、それを見て、私は自分が考えていたことは少し違っていたのかなと思いました。
 ゲリラという言葉で私が感じていたのは、アメリカ軍に対抗する、軍隊で、政治的に、思想を持って、戦う人だという思いこみがありました。でもビデオで見る限り、それから、そのあと、見学で感じた限りでは、住民が、自分の土地に入り込んでくる軍から自分たちの命や暮らしをまもるために、落とし穴を作って、その奥に軍をはいらせないようにしたり、家の戸口にやりが飛び出すしかけを作って、自分たちは違う入り口から出入りをし、軍が家の中に入らないようにしていたように思えました。
 ビデオの中で印象に残ったのは、クチのトンネルには、学校があって、子どもたちは毎日そこで勉強をしていて、みんなで夜に集まって、楽しく歌をうたうこともあったということでした。戦争という大変なときにも、決して日常の生活を変えると言うことはしなかったと、ビデオでは放映していました。クチにいる人たちは、女の人もおばあさんもおじいさんもみんな戦ったけれど、その戦いの仕方が、女の人やおばあさんは、みんなの食料をつくるために、畑で働いたり、食事の用意をして、森へ運ぶ仕事をして、おじいさんは、アメリカ軍の兵器をつかって、金属を研いで、やりをつくって、落とし穴をつくったりしていたということでした。それも日常のお仕事のようにして、行っていたということでした。強いなあ・・すごいなあ・・だからアメリカ軍や政府軍はかなわなかったのかもしれないと思ったのでした。
 そのあと、またゴアンさんが説明してくれたのですが、説明はバスの中の説明と同じように、残念ながら私たちの耳にはなかなか届きませんでした。けれど、ゴアンさんの思いもあったのでしょう。その説明はとてもとても長かったです。
 説明が終わって、歩き出したときには、もう1時間ちかく立っていました。
ニュンさんとゴアンさんが何か言い争っているようでした。
「どうしたの?」
「私の家へ寄るのは無理だとゴアンさんが言っています。母は残念がるけれど、でも気にしないで」
 そんなこと・・・ゴアンさんにあんなに頼んでいたのに、どうして?クチのトンネルに向かって歩き出していたゴアンさんのところに行って、言いました。
「ゴアンさん、どうしてもニュンさんのおうちに行きたいの。ゴアンさんは『わかりました』って言ってくれたでしょう?」
 驚いたことにゴアンさんは「聞いていません」なんて言うのです。私は、少し腹がたちました。「ゴアンさんは、私が寄ってねって言ったら、確かにわかりましたって言ったもん」それなのに、ゴアンさんったら
「あまり日本がわかりませんから・・」なんて言うのです。
「ゴアンさん、ひどい・・ゴアンさんは日本語が上手なのに・・」泣きそうになって言うと、「観光ルートにないところだから」と言うのです。
「でもね、ここから、5分もかからないそうなの。行きたいの」
「次にベトナムへ来たときに行けばいいです」
「私たちもそんなに簡単にはベトナムへ来れないの」泣きながら言うとゴアンさんは「わかりました。でも遅れてもしりませんよ」と言ってくれたけれど、ゴアンさんはずいぶん怒っていたようでした。
 ニュンさんは私がゴアンさんとお話をしてたのを遠くから観ていたから
「しかられましたか?」と心配そうでした。
「ゴアンさんね、『聞いていない、日本語がわからなかった』って言ってた」
「私はベトナム語で、家に行くことをちゃんと話をしましたよ」
「いいかげんですね」ニュンさんとふたりで少し怒ったら、二人とも気が晴れて、逆におかしくなって、笑いあいました。「でも、最後には行ってくれるって言ったからよかったね」
 クチのトンネルでは少し不思議な経験をしました。
 枯葉で覆われた少し広くなっているところで、探検隊がかぶるようなつばつきの帽子をかぶった、クチトンネルの案内の方が言いました。
「このあたりに、トンネルの入り口があるのだけど、どこかわかりますか?」
 あたりは枯葉だらけで、枯葉の下のいったいどこに、そんな入り口があるのかなんて、わかりっこなかったのですが、なぜか、私は、ある場所に、四角い穴がはっきり見えたように思ったのです。そこから誰か顔を出しているような気持ちがしたのです。なぜ?と聞かれたら、なぜだか答えられないのですけれど、そんな気がしたので、近くにいた大谷さんに、「そこ、そこ。そこだと思う」と言いました。足で枯葉をどかしてくれたら、本当にそこに四角い入り口がありました。
 「どうしてわかったの?」どうしてだかわからない。自分で言っておきながら、本当にそこに穴があったので、驚いたほどでした。
 それはとても小さい長四角の穴でした。そんな穴から人が本当に出入りできるのだろうかと不思議に思うくらいの大きさでした。
 案内の男の人が、まず、ふたの部分に枯葉をのせ、そして体ぎりぎりの大きさの穴の中に体を入れて、そして頭の上にふたをかかげるようにして、そのまま沈みこむと、ふたがすっぽりと、おさまりました。なるほど、ふたの上に枯葉がのかっていたので、周りともう区別ができなくなりました。
 するりと出てきた男の人が、「誰か挑戦してみてください」と言いました。でも、その穴の奥がどこまでもどこまでも続いているのだと思うと、まるで底なし沼のような恐ろしさを感じます。恐がりのわりには、どんなこともやってみたい私も、穴の中には、コウモリとか、ムカデなんかもいるのかなと、怖くなって、ちょっとためらったりもしたけれど、でもやっぱり旅に出たら、どんなことでもしないとあとで後悔しそうと思ってしまうのです。
「私、入ってみたい」
「山もちゃんはどんなときもやるんだよね」小林さんがそうおっしゃったのは、何度かの旅行で、ピラミッドにのぼったり、アフリカの小学校のトイレを使ったり・・・いつだって、やりたがりの私をよくご存じだからでした。
 長いスカートをはいていました。こんなときに、どうしてスカートはいてきちゃったんだろう。肩ぎりぎりの長さの穴へ体を沈めるときは、まずどうしたらいいのでしょう。膝を穴の木の枠について、手を今度はわきにおいて、すべりおとすように体を入れたら、すとんと入ったのだけど、体を沈めてあたりをみる心の余裕はありませんでした。
「あれ?どうやったら出れるんだろう」考えたら、腕の力もないし、下に踏み台もないから、出れるはずもなく、結局は、大谷さんや小林さんや他のみなさんに腕をひっぱりあげてもらって、出ることができました。
 次に入った大谷さんは、なかなか出てきませんでした。少し奥まで入ってみたのだそうです。「ずうっと続いていたよ。行ってみた?」
「ぜんぜん見ないで、出てきちゃった」
今になって思うと、もう少し奥までのぞいてみたらよかったな。
 それにしても、そのトンネルはとても堅く、くずれる心配はないのだそうでよく作ってあるなあと思いました。
 少し行くと、土の中から煙が一筋出ていました。煙は、厨房につながっているのだそうで、蒸したばかりのお芋が近くの机のお皿の上に置かれてありました。
 「今は煙が出ているけれど、昔はこの一筋のけむりも出ていなかったです。葉っぱがつまった長い穴の中を通すことによって、けむりが出ないようになっていて、それで、中で食事を作っても、このトンネルが発見されることはなかったのです」
 その次には、落とし穴のしかけを見ました。穴の下におそろしくとがった鉄の棒がつきだしているもの、板の上に枯葉がのっていて、その板は人がのると、くるりと裏返って、人は下へ落ちる仕掛けの物・・・・もっともっといろいろなしかけがありました。それから、家のドアを開けたとたんに、矢が飛び出してくるという恐ろしい仕掛けもありました。ビデオで説明があったとおり、この仕掛けは、アメリカ軍の残していった、戦車や爆弾の鉄の板を使って、作られたものだそうです。
 そこで見た仕掛けは、相手を攻撃するというよりは、責めてくる相手から、自分たちの命や生活を守るためのものばかりでした。自分たちが生活している場所に、戦ったり殺したりするために、兵隊さんが入ってきたら、どんなに怖いことでしょう。やっぱり守るために精一杯のことをしただろうと思いました。
 ところで、小さいとき、私は、落とし穴を作って遊んだ覚えがあるのです。それが、戦争と関係があったとは少しも知りませんでした。大きな穴を掘って、中にお水をいれて、穴の上に、枯れ枝を立て横において、そして、その上に、葉っぱをのせるのです。けっして、誰かが落ちたり、怪我をすることもなかったけれど、そして、誰を落とそうと思ったわけでもないのに、落とし穴を作りました。その楽しさは、粘土でおちゃわんをつくる楽しさに似ていた気がします。きれいにできたらうれしかったし、泥で遊ぶことは楽しかったです。けれど、戦争に関係があったのではないかとふと気がついた今、なんだか少しせつないです。
 森の中には、中へ入って、相手に銃を撃つためのシェルターがあって、ああ、ここへ走ってもぐりこんで、ぱっと顔を出して銃を撃ったりしたんだなと思うと、映画の一シーンを思い出して、銃にあたって、うーっと声を出しながら、子どもさんの写真を握りしめて亡くなっていく人、かばうようにして、また頭を出して銃を撃つ人・・・そんな光景が、本当にここで繰り広げられたんだなあと思いました。森の中には爆弾の大きな穴もたくさんありました。ひとつ爆弾が落ちると、こんなに大きな穴があくのだということも驚きでした。けれど、もっと驚いたのは、その戦争が繰り広げられていた、その地面の下のトンネルの中で、集まって歌をうたっていたり、トンネルの中の学校で、子どもたちが勉強していたということでした。
 このクチのトンネルの施設の中には、射撃場がありました。「男の方たちはよくここで、射撃を楽しみます」トンネルのガイドさんの言葉を聞いて、複雑な思いがしました。
大ちゃんは
「戦車は
兵器や
ピストルや
いらんもん
なんでつくるんやろう」
と言っています。みんな人を殺す道具だからだと思うのです。小林さんは
「男は、戦って、上に立ちたいという欲望を持つように作られているのかなあ。女性は、家族を守るために、戦うようなことがあっても、自分が世の中を征服したいというような夢はもたないと思うのだけど、男は、そういうことを考えるものかもしれない」と言いました。
 ずいぶん時間がかかったので、ニュンさんが、「このままだとやっぱり家にいけないかもしれませんね」と言いました。もうバスに戻る時間だったので、
「お願いします。みんないそいで・・」そう言いながら、私も走り出しました。私は、やっぱり、どうしてもニュンさんのおうちに行って、お母さんにお会いしたかったのです。
 バスにのったとき、ゴアンさんはまだ少し怒っているようでした。ニュンさんのおうちはクチのトンネルから、とっても近かったので、ほっとしました。
 生け垣の中に、ニュンさんのおうちはありました。中から、とても優しい笑顔をしたニュンさんのお母さんが私たちを出迎えてくださいました。
 ニュンさんのおうちはとても可愛いらしくて、素敵でした。窓には、鉄の棒でさくがあるのだけど、そのさくは鉄の棒で模様が作られているのです。他でも見かけたその柵は、お花の模様だったり、動物の模様だったりするのです。それから、家の周りにはお花がたくさん咲いていました。(ニュンさんは日本のたんぽぽがベトナムにも咲いていたらいいなあって言ってたなあ)
 「こんにちは、今回はニュンさんにすごくお世話をおかけしています。こうしてお母さんにもお会いできてうれしいです。私ニュンさんが大好き」ニュンさんにそう伝えてと言うと、「ちょっと照れますね」といいながら、ニュンさんはお母さんに伝えてくれました。お母さんは、ニュンさんにとてもよく似ていらっしゃって、そしてうれしそうに、そして少し恥ずかしそうに笑ってくださいました。
 ニュンさんのおうちのお庭にはたくさん果物の木がありました。
 家のテラスのテーブルに、ニュンさんのお母さんは食べきれないような量の果物を出してくださいました。夏みかんよりももっと大きなみかんのような果物、それからドラゴンアイという名前の、ライチに味が似ている果物、それからなんという名前だったでしょうか?大きな黄緑色の皮の中に、すごく粘りけのつよい、甘い果肉が入っている果物。
「これ、みんなニュンさんのおうちで採れたんですか?」
「そうですよ。今から、ひとつかふたつ、自分で木からとってみませんか?」
 おうちの奥にも庭がひろがっていました。ニュンさんが前に話してくれた犬が、ニュンさんのところにうれしそうにやってきました。「私、クチに帰ると、夕方に、一緒に走ろうよと犬をさそいます。ホーチミンは人が多すぎるし、騒がしいです。私はクチのこの家が大好きです」
 お母さんに教えて頂いて、木から直接、グレープフルーツの2倍くらいある大きさのフルーツをとって、それをおみやげにいただきました。一緒に写真を撮ったり、おしゃべりしたり・・・短い間だったけれど、とてもとても楽しくて、うれしくて私たちはずっとにこにこしていました。
 こんな時間を作ってくださったのは、もちろんニュンさんとお母さんだけど、でも、ゴアンさんが、「いいよ」と言ってくださったからだと思ったからだ、って気がついたら、急にゴアンさんにお礼をいいたくなりました。
だから、「ゴアンさん、ありがとう。すごく楽しかった、つれてきてくださってありがとうございました」って言ったのです。
 そのとき、ゴアンさんはびっくりすることを言いました。
「こんなにニュンさんの家が近いと思わなかったから。僕こそうれしい。あなたたちは、すごく心のある人です。僕はぜんぜん心がない」
「え?どうしてそんなことを言うの?ゴアンさんは心のある人だって、私知ってる。ドクちゃんとも仲良しだったし、小学校でも子どもたちと仲良く遊んでた。やさしい顔だったよ」
「いや、僕はだめです。心がないから・・・」
 なぜだかわからないけれど、ゴアンさんは「自分は心がないから・・」と何度も繰り返すばかりでした。 


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