カンボジア・ベトナム日記


14

ドアからニュンさんがにこにこ笑って駆けてくるのが見えました。
「おひさしぶりです。お待たせしましたか?」
 ずっとずっと会いたかったニュンさんの笑顔です。
「明日の話を少しして、このあと山もっちゃんの講演会を僕の部屋でするんだけど、ニュンさんは聞ける?」小林さんが尋ねるとニュンさんは
「弟がバイクで送ってくれて、30分ほどでもどってくるので、先に帰っていてと頼みます。それからでいいですか?私ですか?大丈夫。タクシーか、バイクタクシーで帰りますから。でも、私知らない人は少し恥ずかしいな。大丈夫かな。山元先生と二人なら、大丈夫だけど、恥ずかしいかな?」
 講演会というほどのおおげさなものでなく、ツアーの集まりの前でのお話なんですとあわてて、言いながら、「無理しないでね、みんな優しい人ばかりだから、恥ずかしいって思わなくても大丈夫だし、ニュンさんのことはもうお話してあるの。ただ、お話をきいてもらいたいけど、遅くなっちゃうよ、無理しないで」と言う私にニュンさんは
「山元先生のお話、聞きたいです。本は読んだけど、聞きたいとずっと思っていましたから、やっぱり聞きましょう」と言ってくれました。
 ニュンさんのおうちは、ホーチミン市から1時間半ほど離れた、地下トンネルで有名なクチという町にあるということでした。そこから、ニュンさんが勤めているホーチミンの盲学校へ通うのは、遠くて少し難しいから、ホーチミン市でやっぱり働いている弟さんと一緒に、市内にアパートを借りて生活をしているということでした。
「だから帰りも、20分ほどで行けますよ。心配しないで」
 ニュンさんの言葉はとてもうれしかったです。ニュンさんともっと仲良しになりたいと思っていた私は、ニュンさんに、この旅行に来てからの私の思いを聞いて欲しかったのです。
「僕も聞かせてもらいますよ」岩澤さんまでもがそう言ってくださったことは意外だったし、そしてやはりとてもうれしかったです。意外というのは、いろいろなツアーに参加されているお仕事の岩澤さんは、きっと旅もまた日常の一つなのだろうと思っていました。たくさんの旅行のひとつひとつの、日中の添乗の他の時間まで、おつきあいをお願いすることは、きっとご迷惑になるだろうと、私は思いこんでいました。だから聞いていただけるものなら、聞いて頂きたかったけれど、それはとてもわがままで、してはいけないことと思っていたのです。
 小林さんから、旅の間の講演会には、私が以前に書いた本の中から、この話とこの話をしてもらえないかというリクエストがありました。でも、私は、そのとき、旅で感じたことを聞いて頂きたいなあという気持ちになっていて、そして、またみなさんの感じて来れれたこともまた聞きたいと思っていました。
「今、話したいことがあって、小林さんのリクエストとは違ってしまってもいいでしょうか?」
「もちろんですよ、いいんですよ。僕はそれが聞きたいんだから」小林さんの言葉にほっとしました。私はまだ旅の途中だったけれど、戦争のことが、ずっと頭の中から離れませんでした。お話させていただくことで自分の考えている気持ちにも、気がつけそうな気がしていました。
 
 こんなことを書くと、少し変だけれど、私はベトナムのホテルの一室でお話させていただきながら、まるでベトナムの空気までもが、私の話を聞いてくれているようなそんな奇妙な感覚にとらわれていました。15人の方が、一生懸命、私が感じたことに耳を傾けてくださって、そのみなさんの気持ちの中にすっぽり抱かれているようなそんな感じがしていたのです。
 カンボジアの夕日を見に言ったときに出会った、傷痍軍人さんのこと、音楽を演奏してくれていた人たちのこと、自分がずっと戦争のことをさけてきたということ、そして、また手や足をなくされた方に出会って泣いてしまうことはいけないことじゃないかと思ってきたこと、でも、人はみんな相手を思いやる心を持っていて、その人の痛みを自分の痛みとして感じる心を持っていて、それでいいのじゃないかと思ったこと・・・そんなことを話ました。ベトナムへ来て、戦争博物館へ来て感じたことも話をさせていただきました。
 旅に出て、私は何度も大ちゃんの詩を思い出していました。その詩も紹介させていただきました。
「枯葉剤で
目をもたないで
生まれてきた
女の子と僕は二人で
『戦争はぜったいだめです』と
話していきたい」

「殺されるために
生まれてこない。
殺すためにも
生まれてこない。
戦争は大事な
ことを忘れている」

「僕が生まれたのには理由がある
生まれるってことには
みんな理由があるんや」
 
 一人一人の人間は、この世に必要だからこそ生まれてきたと大ちゃんは言いたいのだと思います。そして私は、この旅に来て、そのことが真実のように思えました。
 私は人間の素晴らしさは、変わっていけることだと思うのです。人は時としていろんな間違いを起こしてしまいます。でも、人は、誰かと出会ったり、経験をしたりして、変わっていける・・・そんなとき、その出会いはその人の人生において、なくてはならないものだなあと思います。
 一人の人がこの世に生まれたのは、もちろん、その人の人生のためなのだと思うけれど、でも、それだけではなくて、大きな宇宙の中のちっぽけな一人の人が、大きな時間の流れの中で、いろいろな人と出会い、お互いを変えていったり、時には世界を動かしたりもするということはなんて素晴らしいことなのでしょうか? 
 私は、それから、あのホルマリンにつかった赤ちゃんたちのことを考えました。体が互いにくっついた双子の赤ちゃんも、この世に必要だったから、赤ちゃんとして、お母さんのお腹に宿ったのでしょうか?赤ちゃんたちは生きて、この世に生まれることはありませんでした。お母さんお父さんはどんなに悲しくつらい思いをされたことでしょう。赤ちゃんも、どんなに生まれたかったことでしょう。
 (戦争博物館にホルマリンに漬けられて、そこに置かれることが必要だったというのなら、それはあまりに悲しすぎるじゃないか、愚かな人間が、戦争はぜったいダメですということに気がつくために、女の子は目を持たずに生まれてきたというのだろうか、赤ちゃんはホルマリンに入っているのもそのためなのか?)
 頭の中でいろいろな思いがぐるぐるとめぐりました。悲しくて、せつなくて、どこにぶつけたらいいかわからない憤りを覚えました。
 人間は本当になんとおろかな動物なのでしょうか?人間は大きな犠牲をいっぱい払って、そして、繰り返し、「戦争はぜったいダメです」と教えてもらっていても、今もまだ、戦争をやめると言うことはありません。そして私もやはりその人間の一人なのです。子供たちは何も悪いことはしていないのに・・・
 日本が、戦争に関わったことを、私たち日本人や、そして子供たちが知らないでいることは、やっぱりだめだと思いました。ホルマリンのつけられていた子供たちのこと、目を持たないで生まれてきた女の子のこと、・・・そして自分たちが戦争に関わってきたのだということをどうしても知らなければいけないと思いました。
 でも、私はまだこんなことも考えました。前にも書かせて頂いた通り、人の心は、他の人をおもいやるようにできているということも、また真実だと思うのです。
 農民の頭を、髪の毛をつかんで、話さずに、ずっと荒れ地を歩いていたアメリカの兵士の写真がありました。その兵士だけでなく、たくさんの戦争に出かけた兵士が、精神を壊して、日常生活をおくることができなくなったと聞いています。
 前に大ちゃんとテレビを見ていたときに、自分が、家族に愛されている兵士を殺してしまったという思いが、いつか、自分もまた殺されるのではないか、自分の愛する家族も、いつか誰かに奪われ殺されるのではないかという思いに変わって、「殺される、殺される」と言い続けて食事もとれずにただ、空を見つめているアメリカ兵の映像が映されました。
大ちゃんはそのとき
「人を殺した人は
いつか自分も殺されると
そういうふうに
思うんやな。
それがあたりまえやと
僕は思う」
と言いました。大ちゃんは「それがあたりまえや」と言ったのです。人は愛でいっぱいの生きものでもあるのですね。相手の苦しみや悲しみや痛みを思いやることができる、素晴らしい生き物でもあるのです。
 私はこの旅で、人は愚かでもあるし、でも、素晴らしくもあるんだなあと、繰り返し思いました。
 部屋におられる15人の方も、それぞれに、今まで旅をしてきて、感じたことで、そのとき心がいっぱいになっておられたのだと思います。大きなため息をつかれたり、また涙を流したりしておられました。私もやっぱり胸がいっぱいでした。
 講演会のあと、ニュンさんが「本で一度読んだお話もあったけれど、実際に聞くことができて、本当によかったです。明日からみなさんと過ごせることがとってもうれしいです」と言ってくださいました。
「遅くなってしまったけれど、大丈夫?」もう10時をまわっていたのです。
「弟が待っていてくれていますから、大丈夫です」こんなに長い間、本当に申し訳ないと思ったのに、ニュンさんはやさしく笑って
「弟も遊んで楽しかったから大丈夫」などと言ってくれるのでした。
 「明日は朝、9時にツーヅー病院へ行くことになっています。朝8時半にロビーに集まっていてくださいますか?」ニュンさんは、私たちのために、病院や学校や孤児院に本当にこまめに連絡をとってくださって、予定も組んで、私たちがベトナムへ来るのを待っていてくださったのでした。
 


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