カンボジア・ベトナム日記


12

 ホーチミンの飛行場は、びっくりするほどたくさんの人でごった返していました。飛行場の中というより、ゲートの外が満員でした。
「すごーい、どうしてこんなに人がいるの!?」えみちゃんの驚いている声が後の方で聞こえました。ぜんぜん、前にすすめないくらいの混みようでした。
 空港で私たちを待っていてくださったのは、チーホさんという背の高い男の方でした。
 「僕の名前はチー・ホです。ホー・チ・ミンの反対のチー・ホと覚えてください」
 ガイドさんはどこの国に行っても、自分の名前をこんなふうに覚えてくださいって最初におっしゃって、そうすると、本当に、その名前が覚えやすいから、すごいなあと思います。
 チー・ホさんはとても声の大きな方で、私たちの方を振り返ってみて、とっても楽しく、わかりやすくお話をしてくださいました。
「みなさん、こんにちは。今、みなさん空港に降りられましたが、びっくりしたと思います。空港はすごく混んでいました。誰か大スターが来ていると思いませんでしたか?でも、そうではないです。ベトナムはまだ、外国へ行くということはお金がかかりますから、とても難しいことです。だから、誰かが外国へ行くということになると、親戚や近所の人、赤ちゃんから、おばあちゃんまでみんな送りに行きます。そして外国から帰ってきた人を迎えに行くときはその3倍もの人がまた行きます。一人に対して50人から100人くらいの人が迎えに行きます。大型バスを借りていきますから・・・外国から帰ってきた人はそういう意味ではスターですから、みんなまたそのあと、いろいろな力も借りたいと思って、たくさんの人が集まっています」
 チーホさんは長野県に留学していたことがあるそうです。
「チーホさんがこちらへ帰ってこらえたときも、たくさんのお迎えでしたか?」
「そりゃあもう、たくさんの人で、『あなた誰?』と思うような知らない人まで迎えに来てくれて、でも握手して、おかえりなさい、ただいまと言いました」チーホさんはとてもユーモアもあって、お話もお上手で、引き込まれるように聞きました。
「ベトナムのお金はドンといいます。一万ドンが100円と思ってください。何かを買って、10万ドンと言われたら、すごくびっくりした日本のお客様が、だまされたとおもうことがありますが、一万ドンは100円ですから、10万ドンは1000円です。でも、ベトナムではアメリカドルがどこでも使えます。ホテルで両替ができますが、しなくてもいいと思います。あまりたくさんのお金を、ベトナム紙幣に交換すると、あとで、鞄いっぱいベトナム紙幣で持って帰らないといけなくなります。アメリカドルで大丈夫です」
 私たちは、荷物をバスにつんだまま、最初に戦争証跡博物館へ行くことになっていました。
「ここは、戦争の博物館ですから、ちょっと、悲惨な写真や、展示物もたくさんあります。特に女の人は、途中で、気分が悪くなったりということがありましたら、外のところで休んでいてください。ここでは、15分見ます」
「え?そんなに少し?」私はまたわがままを言いそうでした。ここでは、もっとゆっくりと、写真を眺めていたかったのです。でも、それを言い出せずにいました。
岩澤さんが、「前もってお話しておきたいことがあるのですが」とおっしゃいました。
それは何かというと、
「この博物館では、日本を責めているような展示もたくさんありますので、ご承知置き下さい、時々怒り出すお客さんがおられるんです」ということなのでした。そのとき、私はまだ日本がどんなふうにベトナム戦争にかかわったかということを、ほとんど知らずにいました。
 チーホさんの説明にあったように、ここはベトナム戦争で実際に使われた、爆弾や戦車、それから大砲、そして、写真のパネル。枯葉剤の被害の記録や、枯葉剤の被害で、双子のふたりの体が互いにくっついたままの胎児や手や足に奇形を持っている胎児のホルマリン漬けなども展示されているのでした。
 去年の暮れに、沖縄へ行きました。沖縄にも、戦争の博物館がありました。そこでは、日本の戦争だけでなくて、世界中の戦争のいろいろなものが展示されていました。
 私はその博物館で、立っていられないほどの衝撃を受けました。
 中でも、とてもショックを受けたのが、机の上に置かれたとても可愛いピンクのくまのぬいぐるみでした。どうしてこんなところにぬいぐるみがあるんだろう。戦争の展示物の中で、そのぬいぐるみはそこに似つかわしくないように思いました。
「亡くなった子が大切にしていたぬいぐるみなのかな?」いろいろな写真を見て、すでに涙がとまらなくなっていた私には、そのぬいぐるみが、どんなに可愛がられていたことだろうと思って、ぬいぐるみに添えられた説明書を見て、驚きました。
 戦争中、爆撃がひどくなると、人々は家から一時、地下などへ避難しました。そんなときは、とにかく着の身着のままで逃げていくしかなくて、子供たちが、たとえ、大好きなぬいぐるみを連れて行きたいと言っても、両手をあけておかないと逃げるじゃまになるから、置いて行きなさいと言われて、泣きながらも、置いていくしかなかったということがあったのだと思います。その留守の間に、こともあろうか、軍はそのぬいぐるみに爆弾をしかけたのだそうです。
 爆撃がおさまった子供たちは、家に戻ると「おいていってごめんね」と一番に大好きなぬいぐるみを抱きしめたのでしょう。そしてそのとたん、ぬいぐるみは爆発して、その子供は、信じていた大好きなぬいぐるみを抱いたまま、死んでいったのです。
 どうして?どうして子供を殺さないといけないの?子供は武力じゃないでしょう?子供は、誰のことも傷つけたりしないでしょう?・・・。
 説明をしてくださった方は、
「片手を失った大人、片足を失ったゲリラたちは、自分の家族や、自分を守ろうとして、それでもまだ戦おうとするのです。けれど、大切な子供を失った大人は、守るものを失って、戦う意欲を失うのです。心の傷は、体の傷よりももっと、大きいものなのです。軍はそんな人間の心理もみんな知りつくしていました。だから、ぬいぐるみに爆弾をしかけたのです」
 急にお腹のそこから何かがつきあがってくるようでした。吐き気なのか、涙なのかわからないけれど、何かを吐き出してしまいたいような気持ちでした。怒りなのか悲しみなのかわからないけれど、何かがこみあげてきました。そしてやっぱり涙がとまりませんでした。戦争というものは、本当になんと恐ろしいことを平気でしてしまうものなのでしょう。

大ちゃんは
「戦争は
手と足じゃ足りなくて
心まで持っていくんやな
大好きと思ったり
一緒にいたいと思ったり
心は大事なものやのに
みんな持っていくんやな」という詩を作っています。
 この博物館に行きたいですと行ったのは私なのに、私はやっぱり怖かったです。でも、怖いから入らないでいようとはもちろん思いませんでした。私はずっとずっと恐がりでした。怖いものは見たくないし、できるだけさけようとしてしまう・・でも、それではダメなのです。チーホさんの言葉を聞いて、ちゃんと見てこよう、ちゃんと知らなくちゃ・・知りたいと思いました。
 博物館の建物の外には、ふうせん爆弾や、ナパーム弾、戦車が展示されていました。
 そして建物の中へ入りました。そこに展示された写真は、いろいろな国のカメラマンが、戦禍の中で、自分の命をかえりみずに、撮影したものばかりで、本当の戦争の状態が映されていました。日本の沢田教一さんの「ピューリツアー賞」を受けられた、有名な写真もかざられていました。その写真は戦争の火から逃れるために、母親と母親に抱かれる子供、そして、もう少し大きい、子供が河の中を進んでいる写真です。 
その写真の中に、アメリカの兵隊さんが、首しかなくなっている人の髪の毛を手にぶらさげて歩いている写真がありました。
「チーホさん、この人はどうしたの?なにを下げて、どうして歩いているの?」
「農民を殺して、気が狂って、首をさげたままずっと歩いているのです」
 きっとこの兵隊さんは、人を殺すことに心が耐えられかったのに違いないと思いました。そしてそれは当たり前だとも思ったのです。私は、人が怪我をしたのを見ただけで、腕が痛くなってしまったり、泣いてしまったりする・・・そのことにずっとコンプレックスを感じてきました。そのために、大変な場所でちゃんと子供たちを助けることができないのじゃないかと、とても怖かったし、自分はなんてダメなんだろうとも思っていました。。けれど、私は今、兵隊さんの写真を見て、わかった気がしました。人の心は、本当は人を愛するようにできていて、そして、人の苦しみや痛みをわかろうというふうにできているそれが人間なんだ。カンボジアで、「上を向いて歩こう」を演奏してくれた人たちと会ったとき、私もそして、あゆみちゃんやともちゃんや、それから他の人も泣いていたかもしれない。私たちの目から涙が出たそのわけは、やっぱり、人を愛する気持ちを持っていたり、目の前の人が、今までつらいことがあったのだろうなあと思ったり、それから、それでもがんばっている姿はなんて素晴らしいんだろうと感じられるという、そういう素敵な心が、人間にはそなわっているからなんだ・・・・人は誰だって誰だってそうなのだとわかった気がしたのです。
 それなのに、憎んでいるわけでもない人を殺さなければならない状況に追い込まれたとき、人はどうなるのでしょう。あのとぼとぼと首をもったまま、何かを口走りながら、歩いている兵隊さんのように、人間の心はそんな残虐なことには耐えられないのだと思いました。
 でも、大ちゃんの詩のように、戦争は間違ったことをたくさんします。人は残酷なことをすることは耐えられないし、恐ろしいことはしたくないという気持ちを持っていて、どんな理由があっても、人を殺すことは間違いだという気持ちも持っている・・・そんなふうに作られているのに、戦争が起こると、
「戦争に行きたくない、人を殺したくないです」と勇気を持って言える人は、逆に、弱虫だと思われたり、それから、悪い人、国を愛する気持ちをもっていない人のように言われて、家族までも、とらわれてしまうことがあったと聞きます。
 虐待を受けたり、虐殺された人はもちろんのこと、虐待をしなくてはいけなかった人や、虐殺をおこなわなければならなかった人も、また戦争の大きな犠牲者なのですね。
その他にも、いろいろな写真がありました。うっそうとしたマングローブの林が、枯葉剤がまかれたあと、まるで白い骨だけが無数にのこっているみたいになっている写真がありました。
 それから、おそらくは枯葉剤のために、影響を受けたたくさんの子供たちの写真がありました。
 枯葉剤の影響はさまざまです。
 ベトちゃんドクちゃんのように、体のどこかがくっついていたり、共有して生まれてきた兄弟、姉妹。背骨が外にそってしまっている子供さん、足、うで、手、指のない子供さん、水頭症で、頭が、3倍にも5倍にもふくれている子供さん、眼球がなくて、目の部分が、平らになっている子供さん、耳のない子供さん、体の皮膚が薄くて、内臓が保護できなくて、腸などが飛び出てしまう子供さん、最初は元気に生まれたのに、足がだんだん内側にまがって、体も内側にねじれて、歩けなくなる子供さん・・脳がなくて、生きることができずに死んで生まれてくるお子さんもたくさんいます。それから、頭自身がなかったり、人の形をしていないで、肉のかたまりが生まれてくるということもあるそうです。
 たくさんの写真の子供たちは、今、どんなふうに生活をしているのでしょうか?明日会う約束のベトちゃん、ドクちゃんの小さい時の写真もそこにはありました。
 チーホさんは「ベトナムでとても有名なベトちゃんとドクちゃんです。みなさんもご存じと思います。もう20歳を超えました。ドクちゃんは学校へ通っていたそうだけど、やめたと聞いています。どうしているかな。ベトちゃんは、脳炎にかかって、寝たきりで、意識もあまりないようです」と話していました。
 写真の横には、死んで生まれた、体がくっついているホルマリンにつけられた赤ちゃんも、置かれていました。
 私は写真やホルマリンつけになっている赤ちゃんをじっと見つめることがむずかしかったです。どうしてだかわかりません。養護学校に子供たちと一緒にいて、子供たちの中には、事故で足を失ったり、生まれたときから、手や足がないお子さんもおられます。でも、子供たちはいつも可愛く、いとおしいです。じっと見つめることができないというような経験は一度だって、なかったのです。なぜなのか・・旅を続ければ、私の今の気持ちの理由もわかるのでしょうか?
「枯葉剤などの化学薬品は日本などの国もつくりました。それは、アメリカからよりも日本の方がベトナムに近いからです。そして、沖縄から、化学兵器や爆弾をつんだ飛行機がどんどん飛んできました」
 「日本のことをベトナムの方はうらんでいるでしょうか?チーホさんは日本が嫌いではないのですか?」
 私が思わず尋ねると、チーホさんは
「人は前を向いて生きていくべきですから。そんなことは思いません。今、前を向いて生きていくことが大切です。そのためには、誰かを恨むことよりも、誰かと仲良くすることが大事ですね。僕は、そう考えます」
 チーホさんの言葉にまた胸が熱くなりました。してしまったことは消えることはないし、されたことも消えることはないけれど、いつまでもそのことを恨んでいても、いい関係は決して生まれない。チーホさんはやさしい笑顔で言いました。
 けれど、私は、自分たちがあまりに、戦争に日本が携わったことを知らないでいすぎるのではないかとも思いました。日本史や世界史を学んでいても、江戸時代まではとてもわしく学んできているのに、そのあとは、教科書にさかれている枚数も短く、そして、学ぶ時間もとても短い気がします。小学校でも中学校でも高校でも、その繰り返しだった気がします。そしてまた、私が学ぼうという姿勢もなかったのだとも思います。
ベトナムだけでなく、お隣の韓国や、インドネシアやマレーシアや、満州や、いろいろなところと日本はどんなふうに関わってきたのかということを、ちゃんと知りたいし、知るべきだとも思いました。
 「さあ、次へ行きます。遅れました」結局そこには3,40分くらいもいたのだと思います。いそいでいるチーホさんは足を痛めておられるように見えました。
「チーホさん足を痛くされましたか?」
「昨日、町でガラスを踏みました。それで、お医者さんで6針縫ってもらってきましたから」
「え?大丈夫ですか?」
「はい、痛いですが、大丈夫です」そういいながら、笑っておられたけれど、ときどき、片足でケンケンをしたり、顔をしかめたり、チーホさんの足はあんまり大丈夫そうではありませんでした。
 



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