カンボジア・ベトナム日記



 なぜベトナム?なぜカンボジアに行きたいの?いろいろな人にも尋ねられ、私自身もなぜ行きたいのだろうと考えながら、旅立ちを迎えました。
 「みんな大好きツアー」というちょっと変わった名前のツアーがはじまって3年目になりました。
 講演録を作ってくださったり、講演会のたくさんのお世話もしてくださる小林さんが(すべてボランティアというか、小林さんがお気持ちでしてくださってるのです)私と一緒に行くツアーを毎年企画してくださって、一昨年はアフリカツアー、去年は、アメリカとカナダ、プリンスエドワード島ツアー出かけました。
「次はどこへ?」カナダの旅行中尋ねられたときに、私の心はすでに次はベトナムへと思っていました。私にはどうしても知りたいことがありました。知らなくてはいけないことがありました。 その話の前に、まず大ちゃんのことを紹介させてください。
 大ちゃんは小学校6年生のときに、大阪の養護学校から私のいた養護学校に転校してきた男の子です。最初はお互いにお話ししていても、なかなか気持ちが通じ合えず、「今日は何曜日?」と聞いても「俺、カレーライスくったわ」とか「俺、犬怖いんや」といったふうに、ちぐはぐな答えしか返ってきませんでした。まさか大ちゃんが、まだ仲良くなっていない人の言葉は心の中にいれられないんだということに、気がつかず、私は、大ちゃんにはいろいろなことが難しいんだろう、何曜日とかいうのもわからないんだろうと思いこんでいました。私の心がそんなふうだったから、大ちゃんとはなかなかわかりあえなかったのです。目もけっしてあわず、大ちゃんはいつも私を避けているようにさえ見えました。ところが、いつのころからか、毎日一緒にいるあいだに、私は大ちゃんを好きで好きでたまらなくなって、そして大ちゃんもいつか私を好きになってくれたようでした。目が合わなかったことがうそのように、大ちゃんはいつもいつもそばにいて、私を見ていてくれるようになりました。そしてしばらくして、大ちゃんは、私に詩の形で気持ちを伝えてくれるようになっていったのです。
 ある夏の日のころ、大ちゃんが家へ遊びにきました。そのときに、私の机の上に置いてあった一冊の本をまっさきに大ちゃんは見つけました。それは黒柳徹子さんが書かれた「トットちゃんとトットちゃんたち」という本でした。その本は、黒柳さんがユニセフの親善大使として、ルワンダやボスニアなどを訪れられて、栄養失調や、感染症、それから内線や戦争に巻き込まれながらも一生懸命に生きて、あるいは死んでいった子供たちのことについて書かれた本です。私はそのとき、まだその本を読んでなかったのですが、大ちゃんが「山もっちゃんと一緒にこの本読むんや」と言いました。
 けれど、私は、その本の中の写真を冷静に見つめることがなかなかできませんでした。子供たちのとてもとても細い腕、栄養失調のためにふくれたおなか、今にも死んでいこうとしているのが感じられる子供たちの表情……、そのうちに涙がとまらなくなりました。大ちゃんはそんな私を見て、
・・・・・・・・・・
本を読みながら
泣くのなら
「もうやめにしよ」と
思うのに
「知らなければ
いけないから
本を読むの」と
言いました
(金の星社「土の中には見えないけれどいつもいっぱい種がある」から)
・・・・・・・・・・・
と言いました。
 私は、怖いことや痛いことや、そして悲しいことが苦手です。もちろんそんなことを得意だという人なんて誰もいないと思うのですが、私は、人一倍、そういうことが苦手なような気がします。
 小さいときから、そうでした。保育園のときに、誰かが転んで足から血を流しているのを見ると、かならずというほど、泣き出して、動けなくなりました。手を怪我した友達を見ると、自分の手が怪我をしたように、痛くて自分で自分の親指をそっとかんでいました。そうすると痛さがまぎれるような気がしたのです。
 誰かが怪我をした話を聞くと、耳をふさいでその場から逃げ出しました。どうも、そういう体質というのじは、遺伝をするらしいのです。
父も怪我をした話を聞くと、「やめろ」と顔をしかめて、その場からいなくなっていました。大人になった今でも、やっぱり私のそういったことはかわらないようで、養護学校に勤めていることもあって、年に何度か、子どもたちがもし、食べ物をのどなどにつまらせたりしたときに、のどから食べ物を書き出したり、人工呼吸をしたり、心臓マッサージをしたりする訓練を、職員がするのですが、リアルな訓練が、実際のことのように感じられて、しっかり訓練をうけようと思うのに、まるで大切で大好きな子どもたちが、今まさに、大変なことになっているように思えて、泣きながら訓練をすることになってしまうのです。そんなときは、自分がなさけなくて、もし、実際そういう場面に出くわすようなことがあったら、子どもたちの命を守ることができるのだろうか、できないのじゃないかと思えて、なさけなくてなさけなくて、たまらなくなります。そんな自分が嫌いでした。
 そんな私は、戦争のことはいつも見ないように、聞かないようにしてすごしてきました。けれどそれではいけないということは、心のどこかでわかっていたのです。父も新聞社に勤めていました。事件や戦争など、残酷なシーンにも出くわすことが多く、そんなとき父は「知らなければならないことがある」と言っていました。でも私は、わかっていても、なかなかまっすぐにそのことに向き合う勇気がなかったのです。
 けれど、大好きな子供たちといて、いったいなぜ戦争が起きるのだろう……戦争の中に身を置いたときの人の気持ちはどんなだろう……もっともっといろいろなことを私は知らなければならないのだ、そしてそのことをいつか書きたいとそう思うようになりました。「ベトナムへ行きたい……」私がそう思ったのには、こんなわけがあったのです。
 その思いを強くしたのは、アメリカのテロの事件と、そのあとに怒ったアフガニスタンでの戦争でした。ボストンにテロの起きる一月前にいた私たち、ちょうどそのころに、同じボストンで、テロの相談がされていたり、テロのための実験が行われていたことも知りました。アメリカやカナダの友人が、アメリカの状況を次々と伝えてくれました。そしてやっぱり、私は戦争のことについて、知りたい、知らなければならない……それが私にとって、どんなに辛かったり、怖かったり、涙が止まらないことであったとしても……とそう思うようになりました。
 そんな私の思いで、決まったベトナム・カンボジアのツアーに、今年も13人のメンバーが一緒に行こうと言ってくださいました。どのお一人も、旅ではかかせない方だったなあと、今旅を終えて思います。人の出会いというものは不思議です。旅に出るまでは知らない同士だったのに、今では、本当に心が通い合った、大切な友人だなあと思うのです。


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