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 ボストンの二日目の朝はきれいに晴れていました。お散歩に出かけると、緑の多いボストンの街並みはいっそう美しく感じられました。
 実は旅行から2ヶ月以上がすぎてこの文章を書いています。9月の11日にニューヨークでテロ事件がおこり、たくさんの方の命があっという間に失われました。事件に関するたくさんの報道が毎日のようになされて、恐ろしいテロの計画が、まさに私たちがすごしたあの時に、私たちがすごしたボストンですすんでいたということや、テロに使われた飛行機がボストン空港から出発したものだということを知りました。たったひとつきちょっと前に私たちがいたあのアメリカは、どっしりとして、美しく、どんなことにも揺るがされないような感じがしました。いつもいつも優しくにっこり笑いかけてあいさつをしてくれたアメリカの人たちが今、苦しみと悲しみの中にいる・・・
 世界中のみんながこの事件でショックを受けたように、私もとてもとてもショックでした。心がざわざわとして落ち着かず、ちょっとしたことで泣いてしまったり、落ち込んでしまったりしました。何をするにも無気力でした。
 恐ろしいことが起こり、悲しい気持ちでいるアメリカの今と、私たちが楽しくすごした頃のアメリカとのギャップがとても大きく感じられ、こうなってしまってから書きすすめることがなんだかうそごとのようにも思えたり、のんきなことのように思えたりもしました。今、自分にとって書くことはどういう意味があるのだろうと思ったりもしました。そしてただただいろんなことを考え込んでふさいでいました。
 地球上にまた戦争がいつ起こるかわからない状況の中、思い出したのは、養護学校で出会った卒業生の大ちゃんの詩でした。
 大ちゃんはこれまでもあふれるような気持ちをたくさん詩にしてきました。
 大ちゃんと一緒に戦争のテレビを見ていたことがありました。兵士がライフルで、子供を守ろうとしているお母さんを殺害する光景を見て、大ちゃんは
「殺されるために生まれてこない。殺すためにも生まれてこない。戦争は大事なことを忘れている」
と言いました。それから「ライフルを撃った人はつかまって牢屋に入れられるか?」と聞きました。「戦争だから、つかまらないと思う」と私が答えると、大ちゃんは長い間考えて、そして声をつまらせるように言いました。
「悲しくつらい気持ちです。人が人を殺して それが正しいことなんて いったい誰が 思うんやろ」
誰だって人を殺していいはずがない、そんなことは小さい子供だって誰だって知っていることだと大ちゃんは感じたのだと思います。今回のことで一度にたくさんの方が亡くなりました。可愛い子供を亡くした人、大事な夫を亡くした人、いったいどんなに悲しい思いをしておられることでしょう。大ちゃんはこうも言いました。
「戦争は手と足じゃ足りなくて 心まで持っていくんやな 大好きと思ったり いっしょにいたいと思ったり、心は大事なものやのに みんな 持っていくんやな」
以前、阪神大震災の映像を見て地震の恐ろしさを感じたときにも大ちゃんはこう言いました。
「戦争は地震じゃないから やめられるはずやろ」
 戦争はやっぱりだめ・・・国と国のあいだのことで、私には少しもわかっていないいろいろな思いがあるのでしょう。テロを止めることだって、やっぱりとても大切だと思います。けれど、人が人を殺す戦争でいいことなんてひとつも生まれないとやっぱり思うのです。
 私はまた書き始めることにしました。世界のことをもっともっと知りたいと思うのです。書くことは私にとって、考えることです。だからまた書き続けようと思います。

その朝もボストンの街には犬をお散歩している人や、会社へでかけるために歩いている人にたくさん出会いました。前の日には雨のために袋に入れられて玄関先に投げておかれていた新聞が、今日は袋に入れられずに裸で投げ入れられていました。前の日にダックツアーで通った川を渡ると、朝早くにもかかわらず、ダックツアーのお船が一艘川を下っていきました。じっと見ていると、気がついて手を振ってくれました。まだツアーは始まっていないから、お客さんは誰も乗っていませんでした。ホテルの向かいがわのモスクの横には人工の四角く、浅く大きな池があり、噴水の水があがっていました。池の周りには何人もの人が朝のランニングを楽しんでいて、行き交う人はみんなにっこり笑いかけ、「モーニング」と声をかけてくれました。前の晩に三沢さんのご主人が話してくださったとおり、誰もが、とてもにこやかでフレンドリーなのです。
 今日も三沢さんと初鹿野さんがお迎えにきてくださいました。三沢さんの車の中には息子さんの瑛甫くんが乗っていました。瑛甫くんは3ヶ月間の長い夏休みが終わったら、12年生(高校の最終学年生)になるということで、次への進路についてもいろいろと考えておられるということでした。
 今回の旅行は高校3年生の淑未ちゃんや天子ちゃんと一緒だったり、瑛甫くんと会えたということが大きかったなあと思うのです。3人が3人とも、自分のことをみつめならが夢や進路について考えていて、私もやっぱり旅のあいだに何度も、自分の夢についてや、それから人が夢をかなえていくということはどういうことなのかなあということを考えることにつながったのでした。
「東スクールには瑛甫も行きたいって言ってくれて」
瑛甫くんは前の日の講演会でも音響を担当してくれて、それから夜のお話の会では前の方で、私の話をじっと聴いてくれました。
東スクールの見学は、今回の旅行でもとても楽しみにしていたことのひとつでした。三沢さんが、「息子の瑛甫は音楽をやっていて、その音楽の先生が東スクールの先生なんです。東スクールは自閉症と言われる子供たちの学校です。。生徒さんには素晴らしい才能を持ってる人もたくさんいて、アメリカの各地や、日本でもコンサートを開いてるんですよ
」と以前にお話してくださっていたのでした。
 二日間の日程のあいだに、じっくりとお話をさせていただいたのはいつも車の中だったように思います。
三沢さんは「生きているといろんな迷いがあります。若い頃、すっとバレエを踊っていました。今後自分が世の中の役に立つとしたら、何かな〜?と考えていました。体を動かすことって、人の気持ちにとても働きかけますよね。現代人は、大人に限らず子供たちも、ちゃんと体を動かすことが少なくなっていて、これってとても大切なのではないかと思ったのです。それで、アメリカでそういうことやっているのかな、と調べたら、芸術治療というのをみつけました。日本でも聞いたことはあったけど、アメリカでは何十年も前から研究と実践がなされていて、病院や学校で取り入れられているところが多いのです。セミナーを自分でもしたことがあって、体を動かすということが、単に゛踊ること”に終始するのではなく、そこから自分の生きる姿勢や人生観さえも再発見していく、という目標を掲げてやったのです。自分のやりたい方向が少し見えてきたようで、とても充実した時間でした。まだ時間はかかるかもしれないけれど、これからの私の課題です」
 夢というものは決して、これから学校に進学したり、仕事につこうとしている人たちだけのものではないのですね。初鹿野さんの夢、三沢さんの夢・・・最初は、この旅でアメリカでの差別意識などについて、気がついたことをまとめてみようと思っていたけれど、いろいろな方のお話を聞くたびに、日本を離れて生活している方が、たくさんの夢を持って生きているということに気がついて、そのことに私の気持ちが動いていることに気がついたのでした。
 高速を下りてしばらくして並木道の坂をあがったところに、広いどっしりとした建物が見えてきました。前の日に見たハーバード大学を思わせる建物で、たくさんの芝生があったり、緑が多いところも同じでした。そこが東スクールでした。

  

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