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 東スクールは「自閉症児」のためにつくられた学校で、東京都の武蔵野東学園をもとに作られた学校だそうです。もともとは武蔵野東学園の「自閉症教育」(生活療法)が日本の国内だけでなく、海外からも注目されて、アメリカから海を渡って40名もの子供さんが入学されたのだそうです。けれど、創立者の方が、子供たちは「自国の文化や言葉の中で教育されるべき」と考えられて、学校をボストンにも設立したということで、日本人とアメリカ人のスタッフが協力して教育にあたっているということでした。
 東スクールの玄関は、ホールのようになっていました。とても明るくて広くて、学校にいる子供たちが写真入りでずらりと紹介されていたり、子供たちの作品のモビールやポスターや、絵、工作などがたくさん展示されていました。
 私はとてもうれしくなりました。なぜって、まず玄関にこうした写真や作品がたくさんあるということが、とっても素敵って思ったのです。日本では、玄関に校訓がかけてあったり、お花がいけてあったり、表彰状が並べてあったりということが多くて、子供たちの作品や子供たち自身を一番見てもらいたいっていう感じは少ないように思うのです。玄関にブロンズの校訓がおいてあったりすると、もうそれだけで、学校がよそよそしく感じられて、まるでお客さんをよせつけないように思うのは私だけでしょうか?けれど、東スクールは、玄関が、さあ、お入りください、仲良くなりましょうと言ってくれている気がしました。
 実際、あとでお話を伺うと、ある学校嫌いのお子さんが、どこの学校に行っても逃げて帰ってきてしまっていたのに、東スクールに来たとたん、うれしそうに飛び込んできて、玄関のロビーに置いてある手つくりの恐竜のところへ飛んできたり、そのほかのいろんなものに興味を持って、学校を見て回ったあと、「明日もここに来るよ。ずっとくるよ」と言って、ご両親もつきそいの人もすごく驚いたというお話を聞きました。きっと玄関だけじゃなくて、東スクールのいろいろな姿勢が、子供たち側にたったものの考え方なのだろうと思いました。
 玄関で絵や写真を見ながら待っていると、海老原さんという女の方が私たちのために来てくださいました。最初に通してくださったお部屋で、学校のパンフレットをいただきました。そのパンフレットを見て、驚いたことがありました。
 この学校は通学もできるのだけど、多くの人は、生活療法を受けていて、学校が終わってからも、施設で生活の中でいろんなことを学んでいました。だから経費も他の学校より高いのだけど、でも年に一人一千万円以上必要とそのパンフレットに書かれていたのです。
 1千万円?!他のアメリカの学校の経費がいくらか知らないから比べようもないのだけど、100人以上の生徒さんがみんなそんなに裕福なのだろうか?それから裕福でない地域の生徒さんはここへは入れないのだろうかと思ったのです。それで海老原さんにそのことを質問をしました。
 海老原さんがおしえてくださったところによると、ボストンとマサチューセッツの地域の生徒さんには市が学校の授業料を補助しているのだそうです。その地域のお子さんは、ここへは希望で入学するというよりは、州が判定して、東スクールが適当と思われるとここへくることになるということでした。けれど、この学校には、州を越えて、アメリカ全土から、それどころかヨーロッパやオーストラリアからも生徒さんが来ておられました。そしてその生徒さんのご家族は補助がなくて、一千万円以上の授業料を全部個人で負担しているのだそうです。州を越え、国を越えて、そして多くの授業料を払って、この学校に入れている理由は何だろう、そのことを知りたいと思いました。
子供たちはちょうど全校ぞろって夏祭りの練習を外でしているということでした。
「あとで子供たちの夏祭りの練習を見ましょう、はじめに教室に案内しましょう」
海老原さんが一番先に立って、そのあとに私たちが続きました。
 最初に通してくださった小さいお子さんのクラスには、壁に絵と字で一日の授業の流れが一目でわかるように工夫された表が貼ってありました。それから、教室のいろんなところに、絵と字が書かれてありました。タオルのところには、「タオルをかける」、ドアには「ドアを閉める」棚には「かばんをかたづける」という絵つきのカードが貼ってありました。
 色とりどりのカードの絵がとっても美しく、たくさんの情報が流れるように入ってくるといわれる「自閉症」のお子さんに、整理して、教員側の気持ちというか意図を伝えようとしてあるんだなあと感心しました。
 次に案内してくれたのは職員室でした。
「日本の方はびっくりされないのだけど、アメリカの方や他の国の方がとても驚かれるのがこの職員室です。アメリカの学校には職員室というものがないのです。自分の教室に部屋を持っているのが一般的ですが、ここでは日本のいいところを積極的に取り入れています。ひとりひとりの子の今日の身体的、精神的な状態はどうか、今日の予定はどうか、帰省しているかしていないかなどが、朝の会できちんと確認されるようになっています。アメリカの方はこのことをお話すると、びっくりして感心されるけれど、おこなわれるのは当たり前のことだという私たちのとらえかたです」
 日本から来た私は、アメリカの学校に職員室がないということや、アメリカで教員が子供たちの状態を知らないで、どんなふうに授業がおこなわれているのかなあと逆に不思議に思いました。職員室がないということは、教員自身の拘束少なかったり、自由な気持でいられるといういい面も確かにあるけれど、一同に集まる部屋がなければ、子供たちのことについて話合う機会というものがどうしても少なくなってしまうし、障害を持ったお子さんの中には、精神的に波があったり、体が弱かったりするお子さんも多いから、子供たちの状態をみんなで知っていることは大切なんだと改めて、自分たちの学校に職員室があることや、朝の会がある意味はとても大きいんだなあと思いました。
 いくつかクラスを見せていただいた後、海老原さんが「さあ子供たちに会えます」と言いました。教室を見せていただいて、そこに子供さんがたとえいなくても、お勉強の様子が目に浮かぶようだったからうれしかったけれど、やっぱり私は子供たちに会いたかったです。だからいよいよ子供たちの姿を目にすることができると思ったら、うれしくて早く運動場に出たいと思いました。
 東スクールでは毎年夏に、浴衣を着て、夏祭りをして、盆踊りも踊るし、おみこしもかつぐのだそうです。
 外へ出るまでのあいだ、海老原さんに聞いてみたいことがありました。「夏休みはないのですか?」瑛甫くんたちのお話を聞いて、それからそうでなくても、スヌーピーの漫画などを見て、6月から9月まで3ヶ月という長いお休みがアメリカの学校にはあると知っていました。だから7月の終わりのこの時期に、学校があって、子供たちがいるということが不思議でした。
「生活療法をとっているので、夏休みはとても短いのです。十日ちょっとくらいです」
「え?そんなに短いのですか?おうちであまりすごさないと、そのお子さんの居場所が家の中でなくなってしまうことはないのですか?」
 海老原さんは、子供たちはいつか地域に帰って、生活してほしいと思っていると言いました。だから家に居場所がなくならないようにしたいとも言いました。そのために、夏休みは子供たちの兄弟が、ここへ遊びに来て、一緒にすごす時間を持ったり、家族みんなが一緒に楽しめる行事を考えているのだと教えてくれました。実際、そのときも体育館には生徒さんの兄弟が遊んでいました。
 外に出ると、全校の子供たちが、集まっているのが見えました。大きい子も小さい子もみんな浴衣を着ています。アジアの子供たち、アメリカの子供たち、他にも世界のいろいろなところから来ている子供たちが日本人スタッフとアメリカ人スタッフと一緒におみこしをかついでいました。
 楽しそうに声をあげる子供たち、笑顔でなくても、一緒にいる先生を頼りに手をしっかりにぎっている何人かの子供たち、それからは体を前後にはげしく振りながら、音楽に身を任せている何人かの男の子、それからおみこしの和に入ることが嫌だったのでしょうか?それとも他にしたいことがあったのでしょうか?集まりの外で大きな声で泣きながら体を硬くしている女の子がいて、そばには女の子をなだめているのが男の先生が見えました。それは日本でよく見受けられる養護学校の様子のように思いました。
「子供たちの様子をみられた方たちはとても驚きます。アメリカでは行動療法が主流で、本校のように、子供たちの気持ちを受け入れながら一緒にいるという教育があまりないのです」
 私はここで、子供たちと一緒に教員がどんなふうにいるのが正しいかということを書きたいわけではないので、行動療法とはどんなものかということや、どちらがどうだということについては、書かずにおこうと思います。
 ただ思うことは、日本では逆に、養護学校に行動療法を取り入れようとしている動きがあるけれど、東スクールの教育が、ボストンに住む子供たちや両親だけでなくて、州や国を越えて支持されているということを思うと、もっと日本が本来していた、子供たちの気持ちを受け入れながら、子供たちを抱きしめるようにして子供たちといるということに自信を持ってもいいのじゃないかなあと思ったのです。そしてそれがとてもうれしかったのです。
 子供たちと先生の様子を見ていると、体がうずうずしました。私は学校を案内していただいているだけだから、けっして今は子供たちとかかわっちゃだめってわかっているのだけど、大好きな子供たちがそこにいて、言葉が通じなくても、ちょっとでもいいから触れ合ったり心を通わせたいなあって思いました。そしてあらためて、私、子供たちと毎日一緒にいられて幸せだなあって思ったし、夏休みになって、一週間くらいあっていない学校の子供たちにとてもとても会いたくなったのでした。
 すぐ近くの背の高い肌の黒い男の子が、まるで視線をあわせるように、じっとこちらを見て、ぴょんぴょんと跳ねました。私には「君たちだあれ?何してるの?君たちは僕と遊んでくれる人?くれない人?」って聞いているように見えました。
 後ろ髪をなひかれるようにして校舎にはいると、今度は給食室を案内してくれました。「創立者は食事も教育にはとても大事と考えていました。だから食材にもとても気を使っていますし、楽しく食事ができるようにと工夫しています」
 本当に可愛いらしく飾られた清潔な食堂でした。
 「アメリカでは家庭でも学校では食べたくないものは食べさせないのが普通です。アメリカの考え方なのです。けれど本校はどんなものも食べるようにさせたいと考えています。無理にというより、『一口だけでも食べようとか』『小さくつぶしてまぜて食べようね』という声かけをしたり工夫したりして、食べるようにすすめています。でもこのことは簡単なことじゃないのです。アメリカは自由ということを大切に考える国だから、『どうして嫌いなものを無理に食べさせるのか』という質問や『きらいなものは食べさせないでください」という要請が多いのです。ご存知のように、自閉症の子供たちはとくに好き嫌いが多いです。きまったものしか食べないお子さんが多く、コーラーとスナック菓子だけしか食べないでここへ来たお子さんもたくさんおられます。親の理解を得ることは大変な努力が必要です。それからアメリカ人のスタッフも、好きなものを食べるという教育を受けて大きくなってきています。そのスタッフにもいろんなものを食べる必要性を理解してもらい、自分たち自身も好き嫌いなく食べるようにしてもらうようにしているのですが、嫌いなものを丸呑みするように食べていたり、ときには食べないでいようとしたりするので、容易なことじゃないなあと思いますね」
 アメリカでは行動療法をとりながらも、給食に関してはそういう自由な方法をとっているのだなあと意外な気もしましたが、よく考えれてみれば、子供たちのことをやさしくつつむように接するということが、子供たちの気持ちのままに自由に放りっぱなしで育てると同じなはずもなく、大切なのは、子供たちを心から愛している気持ちなのだろうなあと感じました。
 「ここは子供たちが生活をしている場所です」
 次に海老原さんが案内してくださったのは、宿舎でした。ここでは学校が終わった後の生活もすべて教育の一部だと考えているということで、宿舎も学校とつながっていました。ひとつの部屋には二人から4人の子供たちの部屋があり、どの部屋もきちんと整頓されていました。壁紙が花模様だったり、ストライプだったり、とても素敵なのです。ミッキーマウスで飾られた部屋、オーディオがたくさんそろった部屋など子供たちの好きなものがお部屋にはちゃんとおかれていました。
 こともなげに海老原さんは案内してくださったけれど、自閉症と呼ばれる子供たちの中には、いいえ、それに限らず子供たちの中には、水が大好きでお部屋を水浸しにしてしまったり、土が大好きで土をもってきちゃったり、その他にもいろんなものを持ってきたり、やぶったり、描きつづけることが好きだったり、いろんな子供たちがいると思うのです。
 けれどここには決してきびしくそのことを制しているという雰囲気がないのに、とてもきれいに整えられていて、そして子供たちの好きなものをきれいに並べられていたりして、子供たちの個性も大切にされていると感じました。どんなに丁寧に愛情をもって、スタッフのみなさんが子供たちと接しておられるのだろうということに胸をうたれる思いでした。
 驚いたのは、この宿舎にはお風呂の施設がなくて、カーテンでしきられたシャワーがいくつも並んだシャワー室がそれにかわっていたことです。
(アメリカの人はシャワーが多くて、あまりお風呂につかることがないのかなあ?)と思ったけど、聞くことはできませんでした。
 トイレには小さい子供さん用の小さい便器がありました。「この便器も、日本の保育園や養護学校ではよくみかけますけど、こちらではとても珍しいんですよ」
海老原さんはこの学校が大好きで、そして誇りに思っておられるのだなあということが学校を案内していただいているあいだによくわかりました。
 「そろそろ子供たちが次の授業を受けていると思いますから、学校に戻りましょう」
海老原さんは子供たちのほかの授業を見せてくださるために宿舎を先にみせてくれたのでした。
 廊下を歩いていると、一人の小さい男の子が、少し怒った様子でろうかを歩いていきました。そして男の先生が、後ろを追いかけるように歩いていました。その男の子と先生には学校を見せていただいている間に何度かまた会いました。 
「最近入学した生徒さんです。まだ落ち着かずにいろいろ部屋の中を見て回っているのでしょう」
 私はここでも、この学校の姿勢が、どうしてでも無理に集団に入れるのだというふうでないのだなあと思いました。それから学校のどこにもかぎがかけられていず、自由に風を入れているということにふと気がつきました。そんなこと、当たり前のことのようだけれど、でも飛び出してしまう子供たちがいると、すぐにカギをかけなくては考えてしまうことってあると思うのです。カギをかけることは簡単です。カギをかけないで、子供たちの安全を守ろうとするときは何倍もの努力がいることです。スタッフで子供たちの安全を守りながら、子供たちの気持ちを大切にしようという表れが、この明るく、自由に感じられる校舎にあふれているなあと思いました。
 中学生の教室では音楽をしていました。日本人の先生で、瑛甫くんの音楽の先生でもある方が真ん中に立って歌を教えておられました。チーフになる教員がスタッフがひとり、そしてサブのスタッフが数名、子供たちの後ろにいたり、間に入ったりして、子供たちと一緒に歌を歌ったり、合奏をしている様子はやはり、日本の養護学校の様子そのままでした。私たちは子供たちが半円に並んでいる後ろに並んで、授業を見せていただいたのですが、お祭りの練習のときよりずっと子供たちの近くにいることができてとてもうれしかったです。私の前にいた女の子が、音楽にあわせて頭を大きく振っていました。そして急に私の方へ手を伸ばしました。どきっとして、私も手をのばしそうになって、でもいけないとそれをやめました。女の子は、(ああ遊んでくれないのね)ってその瞬間感じたのだと思います。もうすっかり私に興味がなくなっちゃったというように、前を向いてしまいました。
 学校にいても、子供たちがこちらの姿をみとめてくれたその最初の一瞬をのがすと、なかよくなることに時間がかかることがあります。その女の子とはそれでよかったのだろうと思いながらも、ああ残念って思いました。
 それからまた私たちは学校の入り口に戻ってきました。一通り学校を見せていただいて感じたことは、私たちの学校と東スクールはもちろん違うこともいっぱいあったけれど、でも子供たちと一緒に子供たちの気持ちにそっていたいという意味ではおんなじだなあと思いました。もし、外へ行こうとしている生徒さんの手を無理にひっぱって部屋へもどそうとしている様子ばかりを見ることになったり、部屋や窓にかぎがかけられていたりという様子をみたら、うれしくない気持ちになったと思います。でも、ここではけっしてそうでなくて、そのことが世界中から高い評価を受けている・・・私たちもそのことを大切に考えたいなあと思いました。
 海老原さんはまだ日本にいた頃、あるとき急に障害を持った子供たちと一緒にいたいと思い立ったのだそうです。
「それでね。近くにあった養護学校に『勤めたいのです』とお願いに行ったのです。それが武蔵野東スクールでした。そして今ボストン東スクールにつとめていることを考えるととても不思議です。若いときの思いとか夢が、人生を開いていくということを実感しています」
海老原さんの言葉に、ああここにも外国の地で夢をかなえた人に出会えたのだと驚きました。本当にこの旅行では、そういう方に何人も何人もお会いすることになったのでした。

  

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