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 初鹿野さんの車が停まりました。
 「さあ着きました。ここのお宅なんです」
 そこは郊外の閑静な住宅地でした。アメリカのホームドラマに出てきそうな感じです。ボストンマラソンがテレビで放映されると、道路ぞいに素敵な家が並んで立っているのが見えますが、今西さんのおうちも、そんな広い芝生のおうちがある、木造の素敵なおうちのひとつです。
 まずお庭に案内していただきました。目のそろった青々とした芝生のお庭が広がっていて、そこではもうバーベキューが始まっていました。アメリカについてから肉の大きさに驚いてきたけれど、網の上にのっている骨付き肉は、ひとつが大人の手のひらくらいもあって、こんがりとよく焼け、肉汁がジュージューと音をたてていました。彩りよく盛り付けられたサラダ、いろいろな種類の建物、そのほかにもたくさんのお料理やデザートがテーブルの上にずらっと並べられていました。私たちはただただ、「すごい!!」「うれしい」とびっくりして声をあげたのでした。
 「ホームパーティの準備でハーバードでの講演会に参加できなかった人たちが、山元さんに会うのを楽しみに待っていますよ」初鹿野さんに案内されてテーブルにつくと、何人もの方がすぐに声をかけてくださいました。大学での講演会にきてくださった方も何人もおられました。
 もうカナダで30年以上もくらしているという女の方は飲み物をすすめてくださりながら言いました。
「あなた、ケニアでの自分の体験を話されて、すごく勇気があって素晴らしかったわ。みんなが感じていることだけどなかなか言えることじゃないのよ。本当になんて勇気があるんだろうって感心したわ」
 私が講演会でお話させていただいたケニアの自分の体験というのはこういうことでした。
「昨年の夏、エジプトとケニアに行きました。ケニアのナイロビの空港に降り立ったときです。空港にはたくさんの背の高い黒い肌の男の人がたくさんいました。ある人はそこで働いている空港の人で、ある人は空港を利用する人でした。その人たちの間をぬうように歩きながら、私はどうしてだかそのときにその人たちのことを怖いと思いました。どうしてそんな気持ちになったのかわからないけれど、怖いという気持ちがわきあがってきました。私は自分の心の動きにとてもとまどって、そしてショックでした。車椅子の子供さんと一緒にいたときに、近くにいた子供づれのお母さんが、私たちのことを「車椅子の子供さんををみちゃだめ」と言っていたことを思い出しました。駅の中で手をひらひらさせながらコマーシャルをいうのが大好きな子供たちを遠巻きにして歩いている人たちのことを思いました。私はあのときのあの人たちとおんなじ、私はあきらかに人を分けていると思いました。社会にはいろんな人がいて、だからこそ素敵だと思っていたはずなのに、今私の心の中にあきらかにある怖さはなんなんだろうととても悲しかったです。でも私の怖いという気持ちはすぐに変わっていきました。ケニアで出会った人たちはとても明るく親切でした。ケニアで知り合った青年は私が「養護学校で働いている」と言ったら「それは心と心を通わせる大切な仕事だ」と言ってくれました。日本で同じことを言ったときに、「大変ですね」とよく言われるけど、大変なことは少しもなくてとても楽しいのに、そして心と心を通わせたと思えたときってすごくうれしいんだよと思っていたからとても驚きました。「障害をもった子供たちは家の宝だ」とその青年は言いました。なんて素敵なのでしょう。青年の言ったことは、青年の考え方なのかケニアの人の考え方なのかはわからなかったけれど、でも、誰もが本当に親切でした。もう一人の青年は、「君はマサイを知ってる?僕はマサイ族だよ」と言いました。私が首をかしげると彼は空をポーンと高く飛びました。そして「マサイダンスだよ」と教えてくれました。あまりにも高く飛んだので、私も飛びたくなってまねをして飛んだけれど、運動のにがてな私は20センチくらいしかジャンプすることができなかったのです。すると彼はやさしい笑顔で笑って、私の手をもって一緒に飛び上がってくれました。まるで空を飛んでいるように高く飛べて、うれしくてたまらず声をたてて笑うと、彼もまた笑って、また飛ばせてくれました。夢のような時間でした。私はいつのまにかケニアの人たちが大好きになって、最初どうしてあんなに怖かったのかなあと考えていました。そして思ったのは、人はよく知らない人のことは怖かったり分けたりしてしまうのじゃないかということでした。でも知り合えれば大丈夫。仲良くなればわかりあえる。だから学校の子供たちももっといっぱい社会に出て行って、お互いにわかりあえたらいいなあと思いました。」
 こんな話を講演会で、私が出会った養護学校の子供たちの話のあいまにさせていただいたのです。私は、最初なにげなく話し出してしまったこのお話だったけれど、途中で、いろいろな人種の方が住んでおられるアメリカで、あとで仲良くなってからは大好きになったというお話だけど、最初は怖いと思ったなどとお話させてもらうことは、誰かを傷つけたりすることにはならないのだろうか?自分たちアジアの人たちも、もしかしたら、人種の壁のようなものがあって、つらい思いをしている方もおられるかもしれない・・・考えなしにこのお話をさせてもらうことは間違っていたかもしれないという思いが頭のすみにあったのです。
 「あなたとてもなんて勇気がある人なのだろうと感心したわ」という言葉を聞いて、初鹿野さんは車の中で「差別的なことは感じたことがない」と言っておられたけれど、でもそれはやっぱり「差別的なことはけっしてしてはいけないのだ」という思いでみんながくらしているからこそで、ぜんぜん何の壁も、誰がどこの国の人なのだということも意識しないくらいに生活をしているというような意味ではないのかもしれないと思ったし、もう少しこのことについて、機会があれば、旅の間に尋ねてみたいなあと思ったのでした。
 今回パーティに呼んでくださったのは、ボストンに住んでおられる日本の方々のお友達のグループでした。ある方は商社にお勤めで、ある方はこちらの大学に勤めておられて、またある方は国の仕事をしておられると言っていました。
「このサラダおいしいわ、食べてごらんなさい」とすすめてくださったお料理はサラダにラーメンがまぜてあるもので、ボストンの日本人の間で流行っているお料理だということでした。私はサラダやお肉やおいしいお料理をいただきながら、また初鹿野さんが言った夢の話のことを考えていました。アメリカに来ることになって、言葉や風習の違いから、とまどってしまうことがあったり、さびしい気持ちになったときに、アメリカの人の親切はとてもうれしい、けれどまた日本から来た人たちとお友達になって、日本語でのおつきあいも大切にしたりして、困ったときなどにも助け合って生活しておられるのだなあと思ったのでした。
 ふと時計を見ると、アメリカの時間でもう9時をまわっていました。けれど、驚いたことに、空はまだ明るく、少し薄暗くなったかなというほどなのです。
「白夜なんですか?」お隣にすわっておられたハーバード大学の先生をしておられるという方にうかがいました。
「白夜というのは正しくないけれど、この時期は本当に夜が長いのですよ。だからみんなで集まって、いろんなことをしますよ。ゴルフもね、仕事を終わってからゲームができたりね、バスケットしたり、それから日本人同士も集まって何か楽しいことをやったりしてます。サマータイムということもあるのだけれどね」
 アメリカは夏時間と冬時間というのが、あって、夏は一時間、時計を後ろに遅らせるのだそうです。アメリカの方は働くことも一生懸命だけど、でも遊ぶ時間も大切にしているという感じがしました。
 「そろそろ中に入って、お話をしていただくことにしましょうか」
「さあ、どうぞ」
 とおしていただいたお部屋も、キッチンも、玄関もアメリカのおうちはこんなふうかなあと想像していたとおりの素敵さでした。地下には週末に子供たちが集まることのできるゲームコーナーもあるということでした。
 黒のラブラドール(ミックスですとおっしゃっておられましたが)らしいワンちゃんがキッチンに座っていました。日本からきた私たちの中には何人も犬好きがいて、私も犬が大好きだからすぐに挨拶をしにいくとまっすぐに目をあげて私を見つめてくれました。もうそれだけで、このワンちゃんはとても優しくて人と心を通わせることがとても上手だということが感じられました。実際、今西さんにお聞きするとこのワンちゃんはフランスにおられるときから一緒に暮らしているので、フランス語と英語と日本語の3種類の言葉がわかるということでした。 
 じゅうたんの上に座ると、みなさんが私の周りを取り囲むように座ってくださいました。 遅い夜もやがてやってきたようで、家の外を暗闇と静けさがつつんでいるようでした。たくさんの方やそれから子供さんたちが、周りを囲んで、私を見つめていてくれているのに、ああ、なんて静かなのだろうと、思いました。日本時間では活動の時間なのでしょう。ハーバードでの講演会ではぼおっとしていた頭や体もも、そのときは目覚めていました。
 少しずつお話をさせていただくたびに、うなづいてくださったり、笑ってくださったりで、よく「コンサートなどで会場の気持ちがひとつになりました」という文書を目にすることがありますが、そのとき、今西さんのお部屋に集まってくださった方との思いがひとつという気持ちがしました。
 前のほうで聞いていてくださった、高校生や中学生の子供さんのきらきらした目が忘れられません。
 お話のあと、今度はおうちの中で、お茶とお菓子をいただきました。
 三沢さんが「明日は晴れそうだからよかった。明日はボストンの養護学校の東スクールと、お昼からは若草物語で有名なオルコットのゆかりの地などに行きますよ」と言いました。
うれしい!!三沢さんたちは私たちが楽しめるようにとすごくたくさんのことを計画していてくださったのです。外国の養護学校はどんなだろうか、子供たちはどんなふうな学校生活を送っているのだろうかといつも思っていたし、それから若草物語は大好きで、夢中で読みました。明日になるのが楽しみです。
 ホテルまでは三沢さんのご主人の車に乗せていただきました。私は三沢さんのご主人にもアメリカで人種差別は今はあるのかということをたずねてみました。
「いや、ないですね。それはアメリカの人が、一番恥ずかしいと思っている行為ですから。僕たち日本人もアメリカに来て、差別を受けたという感じは誰も持っていないと思います。深いところにはあるかもしれないけれど、でもそれは恥ずべき行為だと思っています。アメリカの人は第一印象をすごく大切にするのです。まず目が合ったら微笑む、そして挨拶を交わします。それは誰に対してもそうですね。人種を超えて、にこやかに接します。見知らぬ人でもそうですし、商売の話をするときだってそうです。第一印象が悪かったら何事も成功しません。だから僕たちもそのことは大切に思っていますよ」
 私はアメリカにきてから出会ったアメリカの人たちのことを思い出していました。本当に誰もが、通り過ぎるだけの私ににっこり微笑んでくれました。目が合えば必ず「モーニング」と声をかけてくれました。犬の写真を撮ってもいいですか?とたずねれば、みんな「オフコース」と返事をして、「よい旅をね」と言ってくれました。日本のことをきいてくれる人もいました。三沢さんたちもアメリカへ来て、みんなとても温かかったといいました。そう思うと、アメリカの方が日本に来られたら、きっとさびしい思いをされるだろうなとも思いました。道を歩いていても、挨拶どころか、微笑み返されることもないでしょう。文化の違いだと言ってしまえばそれまでだけど、なんだか考え込んでしまったのでした。
「明日また迎えに来ますからね」三沢さんご夫婦が手を振ってくださる中、私たちはボストンのホテルに帰ってきました。 

 

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