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 朝ごはんを小林さんがみつけたファストフードのお店でみんなで食べて、ホテルで少し休んだあと、9時半にロビーに集合しました。午前中はボストンの講演会の主催者の三沢さんと、お友達の初鹿野さん(はじかのさん)がダックスツアー(あひるのツアー)に連れて行ってくださることになっていました。
 ダックスツアーはボストンの街を水陸両用の観光バスで案内してくれるものです。朝の雨はもっとひどくなっていました。水陸両用のバスはタイヤがあるけれど、船の形をしています。人が乗る部分は、屋根はあるけれど、壁の部分はない形なので、大きなビニールをかけて、雨をふせいでいました。運転とガイドをしているのはアヒルのくちばしがついた帽子をかぶった男の人です。運転手さんが何かおもしろいことを言っているらしくて、何か言うたびにお客さんがみんな大笑いしています。
 「どんなこと言ってるんだろう?」隣の座席のたかちゃんにきくけれど、たかちゃんも「わからない」と首を振るばかりです。
 バスは雨のボストンの街のあいだを走っていきました。運転手さんが説明してくれることを一生懸命聞こうとするけれど、やっぱり私にはさっぱりわかりませんでした。
「ケネディ」って言ったよね、どうにかひとつの単語を聞き取ってたかちゃんに言うと、「うん、ダイとか言ったからここで死んだのかな」
「そうかなあ・・・」
たったひとつふたつの言葉をのぞいては少しもわかりません。みんなが笑っていて笑えないってなんだか淋しい、それから悲しい・・・でも外の景色はきれいでした。雨であんまり見えなかったけれど、でも建物も、講演もとてもきれいでした。三沢さんや初鹿野さんが「英語わかりますか?」と聞いてくださったので、「ぜんぜんわかりません」と言ったので、ときどき「アメリカで一番古い公園です」とか「向こうの建物がそうです」とかと言ってくださいました。ボストンはどうやらアメリカで古い街らしく、ボストンで一番古いものは、アメリカでもとても古いということでした。
 バスは動いたまま川に入っていきました。そしてお船になりました。(なんという川かなあ、知ってる名前の川なのかなあ)そう思って、いつもなら聞きたいところだけど、私は、すっかり勇気をなくしていました。旅行に出てから、いろんな人に声をかけて、わからないままに気持ちが通じ合ったみたいに思っていました。それから少し会話も交わせたようにも思っていました。声をかけてお返事をいただけることが楽しくてうれしくてしかたがなかったです。英語は片言でも、わかりあえるのかな、なんてそんなことを思っていたのかもしれません。でも実際は、運転手さんのお話しておられることのどんなことも少しも私にはわからなかったのです。
 川の中ほどまで行ったときに、「誰か運転したい人はいますか?」と運転手さんが言いました。男の子や女の人や、それからたかちゃんや、何人かが運転手さんの席に座って、少しずつ運転をしました。
 私は何でもしたがりで、知りたがりなので、、バスからお船になったときは、運転席のギアとブレーキちかが、途中で、変わっちゃうのかな、それとも同じで大丈夫なのかなとずっと不思議に思っていたのに、運転したいですと手を挙げる勇気もそのときにはなくしていました。
でもね、本当に窓からボストンが一巡できてとてもよかったです。ボストンはどんな街かなって座っているだけで、いろいろ見ることができましたもの。
 ボストンのダックスツアーが終わって、近くのビルの中のファーストフードがいろいろ集まっているところで食事をとることになりました。
 やっぱりどれもこれも量が多くて驚きました。
テーブルにつくと、お隣のテーブルにおられた三沢さんが
「今日は息子たちも講演会を手伝ってくれていてね、音響を担当してくれているのです。一番下の小学生の子も今日はお話を聞きに来ます。」と言いました。
初鹿野さんは
「三沢さんがお話をもってこられて、それから講演会を開こうということになって、でもそんなこと実現できるのかなあと思っていたけれど、かなうものなのですね。とてもうれしいです」と言ってくださって、(本当にこちらこそ)と思ったのでした。
「このあと、ハーバード大学の通りに絵本やさんがあって、そこにお連れしたいと思っています。そのあとハーバード大学へ行く予定です」
 講演会はハーバード大学でさせていただくことになっていました。ハーバード大学という名前はよく聞いたことがありました。でも、私は、その大学がボストンにあるということどころか、アメリカにあるのだということも、よくは知りませんでした。
 ただ、小林さんが場所がハーバードだということをすごく喜んでくれたこと、それから父と母も「一生、そんな場所でお話させていただけることはないから、よかったね」といってくれたことで、そうなんだ、偶然、ハーバード大学の場所をお借りしたのではないかと思うけれど、それにしても一生もう、使わせていただくこともないようなところなのだなあ、父も母も、そして小林さんも喜んでくれていることが何よりうれしいなあと思いました。
 ハーバード大学の近くに、ショッピング通りがありました。私の大好きな絵本の原書がたくさん並んでいる可愛い絵本やさんが、楽しくて、私たちは時間いっぱいそこにいたので、講演会のハーバード大学に走るようにして行きました。大きな石でできた門の中はすごく大きな敷地で、たくさんの建物があって、どれも古い歴史を感じさせました。
「あの像はハーバード大学を作った人です。終わってからゆっくり見ましょう」
他にも教会のような建物や、石でできている建物がいくつもあって、そのどれもが美しい芝生に囲まれようにして建っていました。
「公園みたい・・」
「思っていた通りのところ」
「すごいねえ」
みんな口々にいろんなことを言いながら、先をいそぎました。
 会場のイエンチェンホールというところは古さがとても趣のある木造の建物の中にありました。講演会を主催してくださった方々が、いすを並べたり、OHPを用意したり、音響の用意をしてくれているところでした。音響の用意をしてくれている高校生くらいの男の方はきっと、三沢さんのお子さん。お母さんが開いた会を家族の方がお手伝いをされているのってすごく素敵でいいなあと思いました。
 おいくつくらいの方でしょうか?年配の女の方が
「よくいらっしゃいましたね。私はもう何十年もアメリカに住んでるの。今日は楽しみにしていたのよ。さ、さ。あなた、いすにこしかけて」とはきはきとした口調でにこやかに声をかけてくれました。その方は、いすの並べ方なども指示しておられて、すごくかっこよかったです。
 お話の時間になって、私は最初に、ボストンをロンドンと間違えてしまって失礼しましたとお話して、それからたいていの講演会でお話させていただく「きいちゃん」のお話をし出しました。ところが、どうしたことでしょう。すごく緊張をしているせいなのでしょうか?体がどうも変なのです。いつも何度も何度もしているきいちゃんのお話なのに、頭が真っ白になりそうになります。次の言葉がすらすらと出てこずに、それからどうしてだか頭を傾げると、そのまま頭の重みで頭がかたむいて、そのままどこかへ沈み込みそうにすらなります。
 大変・・私、いったいどうしちゃったのでしょう。不安で、仲間の顔をみたら、驚きました。一緒のツアーのみんなが、たったひとり小林さんをのぞいて、本当にそろってみんながぐっすりと眠っているのです。
 もしかしたら、もしかしたら、自分では眠いという感じは少しもないけれど、これが「時差ぼけ」(時差ぼけって言葉は使ってもいい言葉?)なのでしょうか?飛行機の中でもちゃんと眠ったのに、日本で夜中の時間になると、やっぱり頭の中は眠っちゃうのでしょうか?いけない・・・やっとボストンに来れたのに・・・ボストンの方がこんなに一生懸命してくださってるのに、ちゃんとお話しなくちゃ。
 私、正直に言うことにしました。「すみません、これが時差ぼけっていうものなのでしょうか?なんだか不思議な感じで頭の中がぼおっとして・・ごめんなさい。立ってお話します」こんな言い訳をしても、みなさんぜんぜん怒らないで、かえって笑ってくださったので、ほっとしました。立ちあがって、それから時々歩いたりしたら、だんだんとふらふらしていたのが、なおったからよかったです。でも本当に人間の体って不思議ですね。あんなに緊張していたのに、それから飛行機の中ではちゃんと眠ったのに、時間になると頭の中は眠りそうになるのですもの。ああ、「時差ぼけ」って怖いです。
 お話もどうやら終わることができて、ちゃんとお話できたか心配だったけれど、みなさんがたくさんの拍手をくださって、それから何人もの人が「感動しました」なんて言ってくださってほっとしました。実際のところ、お話しているあいだも、みなさんが身を乗り出すようにして聞いてくださったり、笑ったり、うなづいたりしてくださってるのが、見えていたけれど、ちゃんとお話できたのだろうかと心配でたまらなかったのです。
 最初に声をかけてくださった年配の方も「あなたのお話、とってもよかったわ。大事なことを忘れかけていたのを思い出させてくれたわ。ありがとう。ね、握手をして。あなた、がんばってね」って言ってくださいました。
関係のないことだけれど、アメリカにきて、「あなた」という言葉が私たちはなかなか使えていないなあと実感しました。「私」という言葉はよく使います。「私はこれにするよ」とか「私ね」って言えるけれど、知らないかたや、仲良くなった方にも「あなた」って言葉はあらたまった感じがして、「あなたはどれにする?」って日常ではなかなか言えなくて口ごもったりして苦労します。仲良くなって初めて、お名前で「山田さんはどうする?」「ねえ、田中さん」って声をかけることができるんですよね。でも、アメリカの方は「YOU」って言葉を上手に使われるし、アメリカに長い間暮らしておられるかたも、「あんたね」ってスマートに使われるなあと思いました。英語では主語を明確にするからかもしれないけれど、いろんなことを日本人はあいまいにおしゃべりしたり、考えたりしていて、それがいいところでもあるし、わかりにくかったり、伝えにくかったりしていることでもあるのかなあと思いました。
 講演会が終わったのは7時をとおに過ぎていました。でもまだ空は明るいままでした。心配だったお話が終わったので、気持ちがすごく楽になりました。イェンチェンホールの前でピースをして写真を撮ってもらったり、くるくるまわったりして、うれしくなって、ハーバード大学の中を見て歩きたくなりました。
 「懇親会を仲間のところでするので、車に乗っていかれます?それとも門のところまで歩いていかれます?」と三沢さんが聞いてくださったので、このままハーバード大学を知らないで帰ってしまったらもったいない・・もう来れないかもしれないのにと思って、あわてて「門まで歩いていきます」と言いました。
 芝はとてもきれいに刈られていて、いろいろな年の方が楽しそうにおしゃべりしながら、歩いていました。ふと芝生の上を見ると、あ、リスがいます。
「ほら、りす、りす、りす」そっとそっと近づくと、どこからか犬がかけてきて、リスを追いかけました。リスは芝生の中に立っている大きな木にいそいで上っていって、犬はその木のふもとで、いつまでもリスに吠えていました。
「食べるの?」
「いいえ、遊んでいるだけ。ボストンにはリスがいっぱいいるの。ボストンの人はあんまりリスを喜ばないの」
「え?どうして?あんなに可愛いのに」
「だってリスはすごくいたずらをするのよ。作物をとるし、家の中の食べ物も食べたりするのよ」
 でもやっぱりリスはとても愛らしくて、いつもだったら大好きな犬が、このときばかりは少しにくらしくて、「吠えちゃだめ、怖がってる」と木の下で、まだリスにむかって吠えている犬に言いに行ったのでした。。
 それから、いすに座っているハーバード大学を作った人の像の前で写真をとったり、構内にはえている木や木の実をみたり、空を見上げたりしながら門まで来ると、初鹿野さんと三沢さんのご主人さんの車が門におむかえにきてくださっていました。
 「これから今回のメンバーのひとりの今西さんの家に行きます。山元さん、そこでホームパーティと、それからパーティの用意のために講演を聴けなかったメンバーのために、また少しお話してくだい」
 途中にふらふらになってしまった私にとって、お話をまたさせていただけるというのはとてもうれしいことでした。
 私は初鹿野さんの車に乗せていただきました。初鹿野さんはご家族のお仕事の都合でボストンに来られることになったということで、現在はボストンの日本語学校で日本語を教えておられるということでした。
 ところで私は旅に出たら、何か自分なりに何かに気がついたり、考えたりすることができたらいいなあと思っていました。今回の旅行でも気がついて考えることができたら、それを本にしたいと思っていました。その気持ちを知っていた出版社の星山社長が、旅行に発つ前夜電話をくれました。
「アメリカはいろいろな人種が集まっているところです。山元さん、アメリカではどんなふうにみんなが暮らしているか、しっかり見てきてくださいよ。山元さんは今まで障害を持った方が、社会から分けられることに対して考えて来ました。アメリカやカナダでは、そこに住む外国からの人が分けられて生活をしていたり、人種による差別について、見てきてください。人に会うたび、そのことを尋ねてみてくださいよ」星山さんはそんなふうに言っていたのです。
 けれどアメリカに着いてから、みんなとても親切でした。差別を感じさせる場面はありませんでした。でも生活の場面では星山さんの言われていたような差別があるのかもしれません。講演会や、そのあとの場面では聞くことができなかったので、車の中で、初鹿野さんに聞いてみようと思いました。
「初鹿野さん、アメリカでは人種差別のようなことが、今はありますか?それからアメリカにいる日本の人やアジアの方もそんな差別を受けていますか?初鹿野さんはそれを感じたことがありますか?」
 初鹿野さんは運転をしながら、にっこり微笑まれました。
「私自身はそんなことを経験したことがないですね。それどころか、知り合いもいないアメリカに来て、とても心細かったときに、アメリカの人はね、みんなとてもとても親切にしてくれて、私どんなに助かったかしれないです。私ね、夢があるんです。日本に帰ったら、日本にきている留学生の役にたつことをしたいと考えています。だって、風習も言葉も違うところに来て、みんなどんなにか不安だと思うから。それは私が経験したことだからよくわかるんです。お返しというのも変だけれど、私は留学生が少しでも不安から抜け出せるような手助けができたらなあと思うんです」
 私はそのとき、ダックスツアーのときのことを思い出していました。私はあんなに短い間だったけれど、言葉がわからなくて、みんながいっせいにわーっと笑ったときに、笑えないことがとても淋しく、まるで自分だけがのけものになっているような感じがしました。ダックスツアーでいろんなことを見れたことはとても楽しかったけれど、その瞬間はとても淋しくて悲しい気持ちでした。初鹿野さんは日本語学校で教えておられるから、英語だってきっととてもお上手なのだと思います。それでも、やっぱりとても心細かったと言われました。そしてそのときに助けてもらったことが忘れられないって。私はあんなに短い時間でもさびしい思いがしたのです。毎日生活していく中で心細いということはどんなに深刻なことでしょう。
 自分がつらかったときに助けてもらってうれしかったから、私も助けたいという思いはとても素晴らしいなあと思ったけれど、初鹿野さんはそれだけじゃなくて、そうすることが私の夢だ、私のしたいことだと言われました。してもらったからしてあげるということだって簡単なことじゃないけれど、私もそうしたいんだという思いをお聞きして、初鹿野さんや、それからきっと人間ってとても素敵なんだと胸がいっぱいになる思いがしました。 そして、このことに気がつけたのはやっぱりダックスツアーに行けたからで、ダックスツアーに連れて行ってくださった三沢さんと初鹿野さんにいっぱいありがとうといいたかったです。
 今回の旅では夢という言葉をよく聞くし、私もそのことについてよく考えるなあと思いました。

 

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