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バンクーバーの空港には5時間半もいることになっていました。新しい空港の中はとても広くて美しく、食べ物やさんやお店屋さんがたくさんありました。登場口をみんなで確認したあと、お昼をその空港内で、時間中にとるようにということと、集合時間の確認が小林さんからあったあと解散になりました。
 今回の旅行で楽しみにしていることがいくつかあったけれど、そのひとつがトイレのことでした。前回のアフリカの旅行では、エジプトやケニア式のしゃがむトイレが、日本のトイレと似ているようで、でもいろんなところが違っていることがとてもおもしろかったのです。今回の旅ではどんなトイレに会えるのかなと思っていたのです。けれどそう思いながらも、アメリカやカナダのトイレは、日本のトイレとそれほど違わないのだろうなあとも思っていました。
 ところが、違っていました。この空港でも、スーパーでも、お店やさんでも、カナダやアメリカのトイレは日本のものと違っていました。それは、トイレを囲っている壁というか、仕切りが、床からずいぶん高いところから始まっているということなのです。床から40センチかそれ以上は空いているのです。順番を待っていると、中の人の足がよく見えました。今、トイレに座ったんだな、今、下着と、ズボンを下ろしたんだなということも、おろしたズボンのすそが、足首のところにたまっているのも、よく見えました。それから天井からもまた4,50センチ空いています。上からは見えないけれど、これだけ上も下も空いていたら、見えるだけじゃなくて、トイレを使う音も聞こえちゃうと思うのです。私は慣れていないから、ちょっと恥ずかしいなという気がして落ち着きませんでした。でも、たぶん慣れれば大丈夫なのかもしれません。昔、中国の大学へ行ったことがありました。大学の中のトイレは、仕切りがぜんぜんなくて、トイレの穴がただ並んでいて、びっくりしたことを思い出します。みんながごはんを食べるように、トイレも、みんなが必ずすることだから、恥ずかしいことではないという考えがあるのかもしれません。アメリカやカナダのトイレも、きっとそういうことが、少なからずあって、足が見えて、今どんなふうかわかったり、音が聞こえてしまっても、大丈夫ということなのかなと思いました。それからもうひとつ、アメリカやカナダの女の人は、背も高かったり、足が長くて、腰の位置も高いということも、理由のひとつかなと思ったりもしました。
 それからトイレットペーパーがとても大きいのです。幅はおんなじだけど、ロールがとても大きいのです。直径が3倍くらいでしょうか?
 トイレだけじゃなくて、こんなふうに、出かける場所によって、いろんなことが違うのがとても面白いです。だってそれはけっして単に形やしくみが違うということだけじゃ、けっしてなくて、風習や、考え方や暮らし方が、見えてくるような気がするからです。
 トイレ以外にもおもしろいものを見つけました。とても大きい近代的な靴磨きスタンドです。一度に4人のお客さんがみがけるようになっていて、その4人のいすも足のせ台も、棚もみんな一体化されていて、そこから、一本のコンセントが出ていて、それが差込口に差し込まれています。靴磨きがしやすいように、靴の位置が、人が立つと胸の前にくるくらいのところにあります。それから大きな階段タンスのようにものをいれておく戸棚が階段のところにあって、その上に座席が作ってあります。足のせ台が立った人の胸のあたりだから、座るところはずいぶん高いところなのです。
 どんなふうにして磨くのか見てみたかったけれど、お客さんはなかなかいなくて、そばにいた靴みがきのお仕事のおじさんは、とてもひまそうでした。
 お昼ごはんはいろいろと並んでいるサンドイッチやさんでとることにしました。ところで、どうしてどれもこれも、こんなに量が多いのでしょうか?コーラのMは、日本のLサイズよりも大きくて、Lは小さいバケツみたいな入れ物に入っているのです。それからサンドイッチも、フランスパンを半分の長さに切ったくらいのものに、生ハムや野菜がはさまれていて、とても食べれそうにありませんでした。量が多いことで、なかなか選ぶことができず、結局クラッカーを少しつまむことにしたのですが、本当にあんなにたくさんの量をみんな食べちゃうのかなと、他のテーブルを見ていたら、女の人も、男の人も、ちゃんと全部食べていて、その他にもかごいっぱいのポテトもみるみるうちになくなっていったので、驚きました。
 でも、アメリカやカナダにいるうちにたくさん食べるようになっちゃったということをツアーの中でもよく聞いたから、量っていうものは慣れていくものなのかもしれません。
 食事が終わっても、まだフライトまでは時間があったけれど、お店屋さんをのぞいても、まだ旅は始まったばかりだから、おみやげを買う気持ちにもなれなくて、あとはみんなソファで眠ったり、少しおしゃべりをしたりしてすごしました。
やっと飛行機に乗り込むと、あと5時間ほどでいよいよボストンにつけるということがとてもうれしかったです。日本を離れてから、14時間がたっていたので、5時間くらいすぐのような気がしました。
 私は窓際の席だったので、窓の外の景色がとてもよく見えました。下には深い森と高い山々がずっと続いていました。
「あれはロッキー山脈!!?」
頂上にエメラルド色をしている湖をもった山もありました。一番高いところにある湖は、もちろん流れ込む川をもちません。あの湖は、その場所にのみ降った雨や雪がずうっと昔からたまったものなのでしょうか?それとも太古の昔から解けることなく、存在する氷なのでしょうか?
 森が切れたところに広がった地面には、一点から外側に何方向かへ伸びていく不思議な模様のすじが見えました。そのすじは、水溜りが凍り始めるときにできるような6方向への雪模様のすじのようにも見えるし、また黒かびがどんどん広がって、指を伸ばしていくときの模様のようにも見えました。それにしても、その模様はただただ、大きいのです。海抜何千メートルもの山と比べても、さらに大きいのです。飛行機の上からは模様のように見えるけれど、いったいどれほど大きいのだろうと思います。いったいどうしてそんな模様ができたのか、とても知りたいです。私たちが小さいコップの中や、顕微鏡の中で見ることができる結晶のできかたが、もし、こんなに大きな大地でも行われて、ここにこうしてあとを残しているとしたら、なんておもしろいのでしょうか?唐突ですが、私はそのことが、まるで宇宙の中でおきていることも、手のひらの上で起きていることも、一人一人の人生もみんな同じルールの中でくりひろげられているのではないかと思ったのでした。
 その次に見つけたものは、どこまでもどこまでもまっすぐ伸びている線でした。上から見たら線のように見えるけれど、実際に下へ降りれば、高速道路のようにまっすぐに伸びた大きな道路のようなものでしょうか?けれど高速道路でも、あんなにまっすぐじゃないでしょう。人はもちろんのこと、周りには建物も、畑もなにも認めることができない土地なのに、あの、定規でひいたようなまっすぐな線はいったい何なのでしょう?
 地球はとても広く、知らないことで、いっぱいです。旅というものはそんな不思議を目の前に見せてくれるから、やっぱりおもしろくてたまりません。
 あたりは夕闇が迫ってきていました。飛行機の羽根のむこうに、オレンジ色の美しい空が、広がっています。台地もまたオレンジ色に輝き、その美しさに息をのむばかりです。地球は本当にとてもとても美しいです。
 外にはだんだんと闇がせまってきていました。空には三日月がくっきりとうかびあがりました。いつのまにか、飛行機は海の上を飛んでいました。そのとき、黒い海の上にただよう光をみつけました。波に打ち消されても打ち消されても、またその場所に明るく光るあの光はなんだろう・・・ずっと見ているうちに、その光が、三日月が海に映ったものだとわかりました。
 え?そんなことがあるの?とても驚きました。どこにいても、お月様はいつも自分を見ていてくれるように、でもお月様はどこかをピンポイントに照らしているのでしょうか?前の席の愛美ちゃんが一緒に考えてくれました。
「ねえ、お月様が写っているところに小船をうかべて、私が乗っていたら、ああ、今お月様の光の中にいるのかなあって思える?」
「飛行機から見ると、あそこに光が映っているけど、他のところから見たら、違う場所にみえるのじゃないかな」
「なるほど・・・。じゃあ、実際にはあそこだけに光があたっているということじゃないの?でも、鏡にお日様を反射させて、誰かのお顔にあてていたずらしたら、すごくまぶしいでしょう?お月様のあの反射も、同じ気がするなあ」
「うーん。やっぱり不思議」
私はいろんなことがいつも気になって仕方がないのだけど、なかなかみんな私のそんな話につきあってくれないから、つまんないって思っちゃうけど、愛美ちゃんはいつも、本当だね、不思議だねって一緒に考えてくれてうれしいです。
 それからしばらく、海の上の小船に、白い軽いドレスを着た私が乗って、月を見上げている姿を想像して、お月様の光につつまれているって素敵な気分だなあとうっとりしていました。もちろん別に白いドレスを着ていなくてもかまわないんだけど、そんなときはきれいなドレスをきていたいんだもの。
 大谷さんに、月の話をしたあとで、「ねえ、ドレスを着てお月様の光の中で、小船に乗っている絵を描いて」って頼んだら、「どうやって陸に戻るの?自分でこいで?ドレスなんて邪魔だよね」なんていうのです。そういう場所は想像したくないの。今、光をあびてるんだなあという瞬間だけがいいのにな。
小林さんが見て欲しいものがあるんだと、折りたたんだ手紙を手渡してくれました。それはたかちゃんのお母さんが、旅行に際して、小林さんに送られたものでした。正確なないような覚えてはいませんが、こんなふうな内容だったと思います。
「このたびは、お世話になります。たかこをたった一人で参加させることに不安もありますが、どうぞよろしくお願いします。同室の方が、私と同年齢くらいの方とお聞きして、安心しています。どうぞよろしくお願いします。山元先生にお願いがあります。私はあの子が、幼稚園の先生に向いているのだと気がついてほしいのです。そして、旅のあいだに、あの子に自分のことを好きになってほしいと思っています。高校3年生のこの時期に、とても大切な旅をしてくれるといいなあと思っています」
お母さんのたかちゃんへの思いがあふれる手紙でした。
「読んだら天明さんにも渡してね」
この旅行でたかちゃんと同室なのは、天明さんでした。天明さんはたかちゃんと一緒にお母さんのお手紙を読んでいました。天明さんはその手紙を見ながらうなづいておられたし、たかちゃんも手紙を見つめていました。
 おうちの方はたかちゃんの夢を知られて、その夢に近づくためにいろいろなことをたかちゃんに経験させてあげようとされたのだと思います。たかちゃんが自分の夢へ向かう気持ちに沿われたいと思っておられるのだなあと感じました。

 

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