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 バンクーバーの空港は、まるで宇宙基地を思い起こさせるような、近代的で美しい空港でした。トロントへ行く人の列についていると、面白いTシャツを着たたぶん、アメリカの人が前を歩いていました。背中に大きく、「G足球臥3mー0」と書かれています。
「サッカーするのかな?」私が言うと、みんな「聞いてみたら・・・」と、いろんな人とお話ができるようにと応援してくれるのです。
「ドゥ ユー プレイ フットボール?」
わたしったらまた、突然、そんなことを聞いてしまって、その人をきっと驚かせてしまったと思います。ああ、失敗。しまった・・・「着ておられるTシャツを見てそう思ったのですけれど」とか、そんなふうに聞かなくちゃいけなかったのにと思ったけれど、その人は、私がTシャツをみて言ってるんだなとすぐにわかってくれて、
「ノー。アイ プレイ スキー」と言いました。
それから、たぶん「長野でスラロームのスキーをしたよ。Tシャツにはね、ギャップって書いてあるんだよ」と言いました。ギャップってスキーのことかな?それともシャツのメーカーか何かかな?・・・とてもやさしい人でした。
 そうこうしているうちに、他のツアーの日本の方も話しに参加されて、そうしたら、もう二人の英語がとっても早くて、私はもう何もわからなくなって、「ありがとう」とお礼を言ってさがってきました。私がどうにか少しだけ、彼が何を言ってるのかわかったのは、やっぱり私にあわせて、ゆっくりやさしく話してくれたからなのですね。
 私は自分に驚いていました。この旅はまだ始まったばかりだけれど、日本にいて、なかなか知らない人に話し掛けるということが苦手な私が、ましてや英語もおしゃべりできない私が、こうして、知らない外国の人に、たいした用事ではぜんぜんないのに、話し掛けてるなんてどうしたことでしょう。

 ところで、私はこのツアーに出かけられるということが決まってから、ぼんやりとですが、ずっと考えていたことがありました。
 小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、私は何度赤毛のアンのシリーズの本を読んだことでしょう。アニメーションは、再放送もかかさず見ました。映画も見ました。アンにそんなにひかれていったのは、アンの性格がとても好きだったのだと思います。おっちょこちょいで失敗ばかりしてしまうアン。けれど、アンは誰からも好かれていました。働き手になる男の子がほしいと思っていた年老いた兄妹の所に、孤児院から間違ってきてしまったアンは最初はとても”みにくく””おせいじにも可愛いとはいえない”女の子でした。けれど誰もがアンを好きでした。女の人とおしゃべりすることが大のにがてのおじいさんや、きむずかくてきどりやのおばあさんもアンにはすぐに心をゆるして、うちとけました。私はそれがまるで魔法のように感じられました。人でも魔女になれるのだと思いました。
 私には夢があります。小さいときからずっと持ち続けている夢なのですが、そのひとつは絵本や児童図書の作家になること、そして、もうひとつは唐突のようですが、魔女になることです。ふたつの夢は赤毛のアンの世界といつもいつも重なりあっていました。赤毛のアンにあこがれながら、アンとご自分の生活を重ねておられた、作者のモーパッサンさんにあこがれていました。それから前にも書いたように、アンがたくさんの人の心をひきつけてはなさなかったり、いろんな人がアンに心を開いていく様子は、私があこがれる魔女に他なりませんでした。
 ああ、大好きなアン。今、私はどうして、アメリカのボストンと、そしてプリンスエドワード島にむかうことができているのだろうか。それはまさに私にとって、夢のようなことなのです。まさか地球の裏側の赤毛のアンの島に行けるということなど、頭の中に、かけらもなかった小さいころから思っていたことは、何か力を持っていて、私を今、赤毛のアンの島へみちびいてくれているのでしょうか?夢というものは思っていればかなうものなのだろうか?私の頭の中に、この漠然とした思いがどんどん大きくなってきていました。 このツアーには二人の高校3年生が参加してくれていました。たかちゃんとよしみちゃんという女の子です。ふたりともそれぞれとても魅力的な女の子で、私は二人のことがすぐに大好きになりました。
 高校3年生のとき、私は自分の目的というものが、具体的には少しもわかりませんでした。というのも、私はそのときも(もちろん今もですが)魔女になりたいと思っていたからです。でも担任の先生は、そんな目標では、どこへすすめばいいかわからないから、もう少し具体的な夢をもってほしいとおっしゃいました。自分の気持ちのどこかで、先生のおっしゃるように、今は、次にどの方向へ進むのか、たとえば大学に行くのか、他の進路にすすむのか、大学にいくなら、どの学部に行くのか・・・そういうことを決めなければいけないのだろうとわかっていたのだと思います。そして理学部の化学科というところに進んだのですが、でも私の本当の夢はそこで、決して立ち消えることはなかったのだなあと飛行機に乗りながら考えていたのです。どんな方向にすすんでも、人は夢をかなえることができるのだろうか?かなわないほどの大きな夢、割合かないそうな小さい夢、夢はいろいろあるけれど、でもどんな夢も、願っていればかなうものなのじゃないか。それから夢があるから私たちは明日へ進むことができるのじゃないかとも考えていたのでした。
 二人の女の子たちは、二人とも、今、進路について考えているのだと話してくれました。私はきっとツアーでふたりととても仲良くなれる・・・そんな不思議な自信のようなものわいてきたときに、私は二人ときっとずっと仲良しでいられるから、二人が夢をかなえていくのを見ることができるのかなと思いました。そしてそのことを知りたいし、声援したいなあと思ったのです。
 二人のことをもう少し紹介させてください。一人はたかちゃん。私はたかちゃんに会ったとき、自分の知っている私の大好きな女の子に、お顔やしぐさがあまりにそっくりで驚きました。その女の子は養護学校で出会ったみっちゃんという女の子です。大谷さんが同じ学校だったので、「ねえ、たかちゃんってみっちゃんにそっくり・・・」「あ、本当だ」ってふたりで話しました。ふたりともみっちゃんが同じ学校の時から大好きだったので、そっくりのたかちゃんが、会ったとたんになんだか急に可愛くて、気になりだしました。それから、このツアーにたかちゃんが、一人で参加していたので、少しでも不安じゃないようにとみんながたかちゃんのことを思っていて、それでわたしもみんなと同じような気持ちでたかちゃんのことが気になったということもあるかもしれません。
 もう一人はよしみちゃん、去年アフリカで一緒だった藤尾さんの娘さんで、今年は二人で参加されたのです。よしみちゃんはたぶんとっても緊張していたのだと思います。最初はあまり笑顔が見られなくて、この空港についたときも、お母さんに「すごく緊張した顔してるね、ずっと」って言われていました。私は一目あったときから、よしみちゃんのことがすごく好きだなあと思いました。好きって思うときは、いろいろです。すぐにまだお互いに話もかわしていないのに、とても心がひかれて、きっと仲良しになれるし、ずっと友達でもいられるんだって思うこともあるし、だんだんと仲良くなって、好きになっていくとき・・そんなふうにいろいろです。
 そして私は一目みたときから、よしみちゃんと私がきっととても考え方が似ていたり、なんだか分かり合えそうと思いました。そしてお友達になりたい・・・大好きだなあって思ったのです。
 よしみちゃんは髪の毛を金色にしていました。藤尾さんが「よしみはね、しょっちゅう髪型がかわるのよ。高校を卒業して、美容院の専門学校に行ったら、髪型は自由にできないから、今自由にしたいと先生に言って、先生にわかってもらってるのよ」と教えてくれました。そう、よしみちゃんは夢のひとつが美容士さんになることなのだそうです。私は淑未ちゃんが、自分が大切だと思っていることを先生にちゃんとお話したんだよという藤尾さんのお話がとても素敵だなと思いました。自分のことを大切にするってとても大事なことですもの。もし、たとえば、何かの権力に対しても、自分が大切にしていることはよしみちゃんはきちんと伝えようとする人なんだなあと感じたのです。
他の方ももちろんそうなのですが、高校3年生の二人が旅行に参加してくれたことは私にとって、とてもうれしいことのひとつでした。
 

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